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時世

2019年7月24日 (水)

想いが人を動かす

まずはじめの大前提として、国政はもう終わりを迎えていると思っています。国(国家)という枠組みが終わりの時を迎えているのです。その象徴として現在の腐敗しきった国会(議員)があると思っています。

 

そんな中第25回参議院選挙が行われました。そこで注目すべきことが起こりました。それは山本太郎氏であり、れいわ新選組です。彼(ら)は各地で演説を行い、それをYouTubeで流し多くの国民がその演説に聞き入りました。私もその一人です。

時に涙を流しながらこの国の状況を憂い、今変えなければならないと熱く訴える姿。それは十分に心を動かされるものでした。氏の演説を聞いて彼に一票投じようと思った人も多かったのではないでしょうか。

 

数年前に選挙権が18歳からとなり、各機関、各メディアが若者に投票に行くことを呼びかけるキャンペーンが行われています。それにもかかわらず現在の若者の多くは選挙に無関心であると思います。

何も変わりはしない。変わるはずがない。上の者たちが彼らの(都合の)いいようにこねくりまわし、自分たちは貧乏くじを引かされるだけ。それならば自分の好きなことをして、周りとシェアしながら生きる。だから選挙なんて関係ない。

そんな考えの若者が多いのではないでしょうか。

 

それは若者だけではありません。かつての民主党をはじめ裏切り続けられ現在の政治にうんざりし、政治に無関心となっている世代も多いのではないでしょうか。けれども氏の熱き声を聞いて、この人ならばもしかして…、託してみるのもよいのでは…。そう思い投票に行った若者、そしてもう一度かけてみようかと思った中高年も多かったのではないでしょうか。その結果が比例代表で99万票につながったと思うのです。

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結局れいわ新選組は2人の当選で、代表の山本氏は99万票を獲得しながらも落選という結果となりました。たとえもっと多数の当選者が出ていたとしても果たして彼らの掲げた政策が実現できるものなのか、それは分かりません。けれども今回「想い」が人を動かすということを改めて証明されたのではないでしょうか?

 

おそらく次なる衆議院選挙では、より多くの人が彼らに関心を持つようになることでしょう。なぜならひとつは演説を聞いて心は動かされたけれど、やはり選挙に行かなかったという人も多いことでしょう。その人たちの中から次は動く人が出てくると思うのです。ネットの広がりは今回以上に拡散するはずです。

 

もう一つは、今回彼らは主要マスメディアから取り上げられることはほとんどなくネット上での選挙戦でした。彼らに注目したの多くは若者やネットを使う世代であったことでしょう。その世代層とネットを使わない高麗者層(特に後期高齢者層)はあまりにその数が違います。けれども2名当選した以上次からはマスコミも取り上げざるを得ない状況となってくることでしょう。ならば次はネット層以外の人の中にも彼らの「想い」聴き、彼らに託してみようと一票を投じる人も現れてくることでしょう。

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一念岩をも通すという言葉があります。どんなことでも一途に思いを込めてやれば成就するということです。どんなに巨大な権力が障害となって立ちふさがっていようと、必死になって取り組めばそれに風穴を開けることができる。今回は2議席の獲得というごく小さな穴でしかないかないようにも思えますが、あの暑き演説によって99万票を得たということで、まさにこの言葉を体現してくれた選挙戦でした。私たちはこの先「想い」が社会を変えていくということをまさに実感することになるのではないでしょうか。

 

このことは国政のような大きなことだけではありません。自分自身の周りのこと、自分自身のこともそうです。すべては「想い」があり、そしてそれを行動へと移して成就へと向かうのです。ものごとを動かすのは「想い」から始まるのです。私たちはこのことを再度認識し直さなければなりません。そして私たち自身が取り組まなければなりません。

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最後にテレビで当選者が出るたびに候補者の名前に花をつける首相が映されていました。その顔は笑顔でした。けれどもどことなくその顔には自分の時代の終わりがやってきたことを悟ったように思えました。表層意識ではそうは思っていなくとも、潜在意識で、魂レベルで自分の役割の終わりが来たこと、政治生命の終わりを悟ったように思えました。彼の魂がようやく正常に戻れることを喜んでいたのではないでしょうか。

 

 

らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

 

 

 

2018年9月 7日 (金)

謙虚にならなければなりません

北海道で震度7の地震があり、相当の被害が出ています。

火力発電所にも被害が出て、しばらくの間北海道は電力不足に陥いるようです。

また大規模な山崩れが発生し周辺にあった民家が土砂に押しつぶされたりもしています。

私が最初に朝のニュースで見た映像は厚真町の民家があった周辺の山崩れだけだったので、「凄い崩れ方で大変だな。」としか思わなかったのですが、昼のニュースで付近の山々一体で崩れている映像を見て、恐怖すら感じました。

そしてこれは全て「天からの人間への警告」であると思った次第です。


20180906(時事通信9/6画像より)


昨日台風21号の影響で関西国際空港が水没し、一時空港自体が孤立した状態になった映像をニュースで見ました。

その時に感じたことは、「どんなに人間が自然に対抗したとしても、そして(人間が)これで大丈夫であると思ったとしても、自然はそれを容易に超えてくる」ということを伝えているのだということでした(※1)

そして今回の山崩れと、まさに自然の脅威を知らされたように思いますし、本格的に人間に対する警告が始まったといえるのではないでしょうか。



振り返ればそれは7月の西日本豪雨での土砂災害による地域の孤立、川の氾濫により地域の水没などの被害から始まり、この夏の連日の酷暑と今自然は次々と人間に自然の力を見せつけているのだと思うのです。

けれどもそれは全て人間に対する警告と気づきの促しです。




昨年の6月心の中で妙に胸騒ぎを感じることがありました。

それはもう地球はそろそろ限界に達しているのではないだろうか、もしこのまま人間がエゴ一辺倒で地球を破壊することばかり繰り返したならば、きっと地球は人間に対して牙をむき始めるのではないかというものでした。
 

 これまで地球の破壊について、誰もがそのことを感じてきてはいたものの、ほとんどの人が何もすることなくこれまでと同じことを繰り返してきました。

誰もが環境破壊を言いながら他人のせいにしてきました。

企業が悪い、政治が悪い、社会が悪いと誰かにその責任をなすりつけてきたのです。

確かにそれらも悪いです。

企業も政治も自らの利益ばかりを追求し、自然や社会を破壊してきました。

けれどもその責任は彼らだけにあるのではありません。

私たち自身にもあるのです。

その企業の製品を選んできたのも私たちです。

そしてその政治家を選んできたのも私たち一人ひとりなのです。

本来ならばどこかで「NO」を突きつけることもできたはずです。




日本人は元来自然と共にありました。

それがどんどん変わっていき、いつしか自然を平気で壊していくようになってしまいました。

特に太平洋戦争後からその勢いは激しくなり、ほとんどの日本人がその流れに乗ってしまい、経済(自己利益)を第一とし、ものを大切にする心も、自然を大切にする心も忘れてしまいました。




思えば311の東日本大震災はまさにそのことを知らしめるためのものでした。

そして一時は日本人は世界中の人々ともに天に祈り、願いました。

けれども残念ながらそれは時の流れと共に薄れていき、次第にまた元の経済優先、我優先の生活に戻りつつあるのが現状です。




今自然はこの猛威を通じて、日本人一人ひとりがもう一度自分のあり方、自然とのあり方を見直すように警告しているのだと思います。

そして生命の大切さを教えているのだと思います。




私たちは今一度自然に対して謙虚にならなければなりません。

畏敬の念を取り戻す必要があります。

私たちはどんなに自然に対抗しても、自然には叶わないのです。

そして私たちは自然の恵みによって生かされていることを思い出さなければなりません。

そしてそれに見合った行動をしていかなければならないのです。



では見合った行動とはどのようなものであるかというと、一度にしても無理が来てしまいます。

長く続けることはできません。

例えば確かにまだまだ暑いです。

冷房を使わずにはいられないことも多いでしょう。

そして熱中症を予防するためにも冷房をつけることも必要でしょう。

けれども適正温度+1度の設定にしてみませんか。

その気持ちと行動から始めることが次なる行動へとつながっていきます。




それでももしかすると既に遅すぎたかもしれません。

しばらくは私たちはその警告を受け続けなければならないかもしれません。

けれども自然に対する謙虚さを取り戻し、祈り感謝すれば、きっと自然は、そして天は、私たちに救いの手を差し伸べてくれることと思うのです。
 

 

 (※1)関西空港は工事時点で手抜きがあり毎年毎年地盤沈下していたということもあり、人災ともいえますが、台風21号による被害全体をみると自然の猛威といえ、その象徴ともいえます。

2018年1月 3日 (水)

新時代までの猶予期間

新年明けましておめでとうございます。今年もコツコツ思想磨きをしていこうと思います。先日本を読んでいると、日本における過去の偉大な僧侶の中で、自分の思想を展開し発展させた人物は、空海と道元禅師の二人ぐらいしかいません(※1)、と書かれていました。彼ら二人には足元にも及びませんが私なりに思想展開していこうと思います。


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さて昨年の大きな出来事のひとつに、明仁天皇の退位の日が2019430日となり、平成時代の終わりが決まったことがあります。思うに今上天皇ほど、平和を愛し、国民に寄り添った天皇はいないのではないでしょうか。日本国憲法が公布されその身分が国民の象徴となり、その象徴天皇としてのあり方を身をもって実践され、日本国民みんな大好きな天皇であると思います。そのような優しさを感じずにはいられない天皇陛下なのですが、その平成時代を振り返ると、そのお人柄と正反対な時代であったのではないかと思うのです。


平成とは、太平洋戦争により焼け野原と化した国土を国民が一丸となり力を注いで経済力つけた昭和の時代を引き継いで、その成果として空前絶後のバブル状態となり、人々が物質的文化を謳歌し、我が世が永遠に続くと思いきや、その泡は木端微塵にはじけ、それから四半世紀以上ずっと停滞状態が続き、社会は悪化していく時代であったといえると思います。


現在は政府、日銀、官僚、経済界が一体となり、お金をばらまき、景気が回復状況にあるように見せかけていますが、かつては国民総中流といわれていたものが、格差は拡大し、貧困層は増え、子供の6人に1人が貧困状態となっています。更には猟奇的殺人などの事件が次々と発生し、小さな子供を持つ親は安心して彼らを外に出せない状況となり、社会はまるで闇の中にあるといえるような状況です。


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この25年間をひとことで総括すると、経済(的価値の)崩壊から次なる新しい価値を生み出せなかったといえるのでしょうが、そこにはバブル時代を謳歌した人々(バブラー)の夢をもう一度という物質文明の欲望の囚われから抜け出せられなかったといえるのではないかと思います。


しかし現在バブラーたち、その主役であった団塊世代は引退し、後期高齢者へとなっていっています。彼らの金魚の糞の如くについて行った世代も年齢を上昇させています。そしてバブルを知らぬ世代がどんどん増加している最中です。そんな中で平成時代が終わりを告げ、新たな元号となるのは新たなる時代を創造しなさいということを意味しているのではないでしょうか?


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先ほど社会は闇の中にあると書きました。それは日本だけでなく、世界もそうであるといえるでしょう。けれどもその闇の中にも確実に夜明けとなる兆候は現れていると思うのです。昭和・平成の時代を牛耳った日本の親分アメリカ合衆国は、一時は世界の警察官として、世界を支配する勢いでした。けれども現在その帝国の崩壊は目に見えて明らかになってきています。アジアの小国が反旗の狼煙を上げているのもその一つでしょう。更にインターネットの発達により、帝国がその勢力拡大のために裏で行ってきたことが次々と明らかになり、その手法を世界の人々が批判し、帝国にNOを突きつけるようになって来ています。


さてインターネットの発達による影響はアメリカ帝国だけではありません。世界中にその影響は及んでいます。もちろん日本にも及んでいます。そのひとつが透明性であるといえるでしょう。政治家や官僚たちが秘密裏にことを進めるため、そして国民を統制するための法を次々と制定する一方で、政治家やその一味、そして大企業の不正が次々と暴かれるようになってきています。SNSにより一度火がつけばあっという間に広がっていくようになっています。これらも新しい時代のための一助であるといえるのではないでしょうか。


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平成時代が終わりその次にやってくる新しい時代、それはどのような時代となるのでしょうか?まだまだ不透明なことだらけです。けれども近未来を示す確実な指標のひとつとして人口ピラミッドがあります。数条年後の予測はともかく、10年後の予測はほぼ確実なものとなるでしょう。

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2025年人口ピラミッド(※2)

2030

2030年人口ピラミッド(※3)



いわゆる団塊世代が後期高齢者の中でも介護を必要とする時代の最中、私たちは経済ばかりを求める時代ではないことが明らかなのではないでしょうか。経済とは暮らしの中の一部であり、それだけで国民生活を判断する時代を終わらせる必要があると思うのです。それはバブル崩壊後に就職活動を余儀なくされた世代ほど実感しているのではないでしょうか。


幸いなことにバブルを知らない若者たちの間では、経済だけを追い求める価値観は薄れています。シェアする=分かち合うという概念が膨らんできています。そして世界の人々がインターネットのでつながり、国を越えて話し合い、分かち合う時代が来ようとしています。科学の発達はよい面もあれば悪い面もあります。けれどもその活かし方によっては人々が新たな夢を持つことができ、また想いをひとつにできるようになりました。


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現在世界はこの先どのようになるのか分からない混とん状態にあります。けれども一方で透明性は高まり、悪事を働けば、それがあっという間に世界に広がってしまう時代です。ある意味恐ろしいことですが、心にやましいことのない生き方をすればよいということでもあります。


これまで成功者といわれる人々の多くが、大なり小なりやましいことを抱えつつ、そこへ上りつめたことでしょう。中にはお金と手にした権力でもみ消したということもあるかと思います。けれどもその手はもう使えなくなりつつあるのが現代です。バレてしまい、あっという間に突き落とされるのですから。これからの成功者といわれる人に求められるのはある意味正しい生き方、正直な生き方が求められているともいえるでしょう。


それは一見するとしんどい世の中のように思えるかもしれません。けれども正しい生き方、正直な生き方は人間本来の生き方であるとも言えます。人々が分かち合う生き方、それは素晴しい生き方です。心にやましいことなく、正々堂々と生きられるとは、素敵な世界であると思うのです。


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新たな時代がそうなるようにもっていくのも、そうでない生き方とするのも私たち一人ひとりの意識です。どのような選択をするのか、そしてどのような未来を選ぶのか、その期間が新しい元号までの時なのではないかと思うのです。この1年と4か月ある意味天が与えてくれた猶予期間(選択期間)、あるいは浄化期間なのかもしれません。心のクリーニングをしましょう!そして今上天皇の想いに応えましょう。



参考文献:

(※1)「クリーニングの真実」 川田薫・山内尚子著(きれいねっと)

(※2)(※3)国立社会保障・人口問題研究所HPより





らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~



2017年11月 6日 (月)

株式考:マネーゲームは致しません!

株価が連日値上がりし、戦後最長の日経平均株価連続値上がり日数を更新したと騒がれています。きっと株を手にしている人は大喜びであり、この先の期待感も膨れる一方なのではないでしょうか?かくいう私も実は株を少々持っています。ただしそれは私が購入したものではなく、親父の遺産として(電力会社の株を)時価にして200万円ほどのものを相続したものです。


その株についてあるのは知っていたものの興味がないのでずっと放ったらかしにしていました。、ところが数か月前にその株を預けている証券会社から電話があり、その株を売って他の株に変えませんかといってきました。原発反対派の私としては電力会社の株など持つのも嫌だったので了承したところ、そして中国のIT株を購入を勧められ、あまり乗り気にはならなかったものの何も考えずに任せました。すると3ヶ月後に再び連絡があり、株価が上がり今売れば40万円の利益が出るので、その株を売ってほかの株にしましょうとの話しでした。


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万円預けたら240万円となり、たった3カ月で2割増しとなったのですからすごいことです。本来なら大喜びなのでしょうが40万円の利益を手にしても少しも嬉しいと思えませんでした。なぜならもともとそのお金は私のものではありませんし、また自分自身の手で稼いだわけでもなく言われるままに「ハイ」といっただけのものであり、「つまらない」としか思えませんでした。


その後証券マンはいかにも次に買うべき株を進めてくるのですが、うるさいな…としか思えませんでした。なぜなら株で短期でいかに儲けるかというのは一種の博打であり、マネーゲームとしか思えないからです。現在企業は株価対策に追われており、企業の戦略も株価の維持もしくは上昇させることがウエイトを占めているところも多いように思われます。それ故に短期の利益に走り、儲かればよい、時に不正もひとつの手段と考えているように思うのです。そこには社会のためというのが抜け落ちていると思うのです。


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以前から「会社は誰のものであるか」という議論がなされています。私はこのところずっと社会(を良くするため)のものであり、従業員(とその家族、関係者)や顧客のものの立場です。株主はその一部でありはしますが、決して会社の主役ではないと思っています。



株主とはその会社の長期的成長、(その会社を通じて)社会をよくするために援助するものであり、その会社が悪い方向にいかないように見守る存在であると思うのです。その結果配当というものが生じ、それを手にするものだと思うのです。


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その証券マンはこの株をこの株をと勧めてきます。そこで私は今の証券会社のあり方に、そして彼の価値観にほんの少しでも影響を与えることができるならばと思い、次のように言いました。


長期的(5年間)に見て、これから社会をよくするために絶対に必要だと思う企業を選んで欲しい。ただしそのお金は親父の遺産であり、無駄にするつもりはない。銀行の定期預金の金利よりもよい結果となるものを選んでそれを購入して欲しい。


翌々日その証券マンが再び連絡してきました。AI(人工知能)関連株でした。上司とも相談してその企業の株を選んだとのことでした。正直私の言った意味を理解してくれたにも思えず、乗り気はしなかったのですが、「あなたが私の要求に沿ってその株を選んだのならば…」と承諾しました。もし5年後に損を被ったら損失補填をしろよと伝えると、「それは…」と逃げ腰でしたが…。


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結局今回の株の売買で思ったことは、自分で頭を使って、体を動かして、働いて稼ぐのが一番であるということです。そして自分で働いたお金で安心して暮らせる仕組みをつくることが政治家の仕事であるということです。決して株価を維持・上昇させることが政治家のすることではないのです。もちろん退職して年金の足しにするための利殖としての株式投資はありだと思います。けれどもそれは贅沢を謳歌するためにあるのではなく、つつましやかな暮らしを送るだけの利殖の獲得であるべきだと思うのです。そしてそこに社会の豊かさがあると思うのです。



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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年10月29日 (日)

選択の時:茶番劇の中に生きる or 大地に根を下ろして生きる

イタリアにあるコロッセウムと呼ばれる競技場をテレビやネット等で見たことがあると思います。中には実際に現地に行ってみたという人も多いことでしょう。そこでは征服した地から連れて帰った奴隷に剣を持たせ戦士として実際に戦わせ強い方が生き残る闘いが行われたり、剣闘士と猛獣が戦いどちらが勝つかという闘いが行われていました。


中世の時代広大な領土(属州)を得たローマ帝国は市民に無償で食糧を配布したり、剣闘士試合や競技といった見世物を毎日開催して娯楽を与えました。そうしてローマ市民はそれらの恩恵を享受したわけですが、権力者がそれらを行った目的は市民を政治に対し盲目状態にとどめえおくためでした。この愚民化政策を詩人ユウェナリスは詩篇で「パンとサーカス」と表現し、当時のローマ社会の世相を揶揄したのです。


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さて現在社会に戻り、ここ数年実施日本の現政権が行っている政策は、株価を上昇させることと、オリンピックを始め数々のスポーツに熱狂させることです。


考えてみてください。今の日本はかつてないほどにスポーツがクローズアップされているのではないでしょうか。オリンピックは当然のことながら野球、サッカー、陸上、水泳、スケート、最近では卓球にバトミントンなど様々なスポーツが連日メディアに取り上げられ人々の興奮を煽っています。そこには文化が成熟したということもあるのでしょうが、スポーツに熱狂させることによって国民の社会に対するフラストレーションを発散ということもあるように思えます。


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さて、このような記事を見つけました。

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毎日160億円を株式に投資する謎の人物(団体)Xがいるそうです。お陰で株価は下がることなく毎日上昇し、連続上昇記録を更新しました。


またこのような記事もありました。

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これらの記事が意味することの想像はお任せしますが、現政権がとる政策はまさに現代版「パンとサーカス」ではないでしょうか。「株価とスポーツ」名付けてもいいと思います。


さて今回衆議院が解散され総選挙が行われたわけですが、結果自公の政権が3分の2以上の議席を維持したということで、日本人の多くがこの「パンとサーカス」ならぬ「株価とスポーツ」政策を選択したのではないでしょうか。


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多くの属州を得た結果ローマは潤い、沢山の食料を得ることとなります。そのため当時の貴族たちは有り余る料理を食べるために、嘔吐するための薬飲み、食べては吐き出し、また食べるという生活を繰り広げたそうです。


一方現在の日本では多くのテレビ番組等でグルメが紹介され。芸能人をはじめレポーターがそれらがいかに美味しいかコメントしています。中には大食いタレントがいかに食べるか、あるいは激辛グルメをいかに食べるかなどの様子が放送されたりもしています。またネットでもグルメレポートが人気となりカリスマブロガー達がいかに美味しいものが提供されているか、そしてそれらを食べての感想が日々更新されています。現在の日本はなんだか現代晩ローマ帝国と似ているように思うのです。


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さてそのローマ帝国において、その後の歴史をみてみると、強大な帝国の衰退が起こり、東西に分裂します。そして遂には消滅に至ります。一方日本はここ四半世紀以上前のバブル経済の崩壊から一貫して衰退してきているわけですが、現在のグルメの状況はバブル時代からの延長線上にあるといってもよく、更に今回懲りずにそれを助長する「株価とスポーツ」政策が支持されたこととなります。さてこの先一体どうなるのでしょうか???


ただ私が思うことは、今回の選挙の投票率は戦後2番目の低さということもあり、日本人の多くは愚民化が進んでいることもあるのでしょうが、選ぶべき政党も政治家もいないということではないでしょうか? 今や国民が信頼するに値する(国政)政治家はいないというのが私の実感です。


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現代の日本の社会において権力者の象徴が政治家(+官僚)大企業(いわゆる財界)、そしてメディアであると思います。そしてそれらは一緒になって狐と狸の化かし合いを繰り広げ、国民に茶番劇を演じています。しかしながらそれらの様子はどんどんネットでネットで暴露され、多くの国民が真実に気づき、それらにつきあうことにうんざりしているのではないでしょうか? 更に一部の国民は未来を見据え始めたのではないかと思うのです。それは国家の時代、大企業の時代は間もなく終わりを迎えるということです。


これからはグローバルな時代でありつつも地域社会の時代へとなりつつあります。また多くの人を標準化させシステムに組み込むことよりも、一人ひとりの特性を生かす時代へとも移ってきています。それは強力な国家システムも大企業システムとも相反する世界です。つまり国家も大企業も衰退していく運命にあるのです。そこで今本当に問われているのは、この先この茶番劇に巻き込まれ翻弄されて生きていくか、それとも自分自身を生きていくかということだと思うのです。


自分自身を生きるとは、自分の土台をしっかりとすることです。(世の中)何が正しく、(自分の人生で)何をなすべきなのか、そしてどこへ向かって生きていくか、つまり自分自身がどう生きていくかを定めるということです。


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パンとサーカスならぬ「株価とスポーツ」に群がりそれに熱狂していくのもありだと思います。それはそれなりに波乱万丈に飛んだ生き方ができるのかもしれません。一方で大地に根をおろして生きる、自分自身の足元をしっかりさせて生きていく。どちらを善しとするか、そして天はどのような世界を祝福してくださるのか、それぞれの次元でもって判断する時が来ているのだと思うのです。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年9月27日 (水)

さよならアメリカ:僕らは新しき日本人、地球人を目指します!

北朝鮮とアメリカの罵り合いが続いています。双方がそれぞれに相手の非難すると共に脅し合いを行っています。その様子はニュースで取り上げられているからまだ真剣に捉えられるものの、数年後にエンターテイメント番組の笑いを取るためのVTRとなるのではないかと思ってしまいます。


冷静に判断して今回の合戦は北朝鮮に軍配を上げるというのが妥当ではないかと思うのですが、それと同時に感じるのは世界にアメリカ合衆国の弱体化を露呈してしまったということです。表の世界裏の世界でさまざまな駆け引きがなされているのでしょうが、一般のニュースとして流れてくる情報からでも透けて見えるのはアメリカの内部崩壊の様相であり、それはもう止められなくなっているとしか思えません。今私たちはかつて世界の警察と称していた国が沈みゆく姿を見ているのだと思うのです。


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しかしながらそこに滑稽さを見せているのが我が国日本であるのかもしれません。未だにアメリカの後ろ盾を信じて、アメリカの北への罵りに加勢するかのように、北朝鮮を非難し強がっている日本は、何かとんでもない勘違いをしているようであり、世界各国の笑いものとなっているのではないでしょうか。我が国は今かつてのソビエト連邦の崩壊と東ヨーロッパ諸国との関係の東欧状態にいるのではないでしょうか?


今日本に必要なことは、アメリカと共に北朝鮮を非難しつつ、軍事的緊張を高めていくことではなく、アメリカの後ろ盾のなくなった日本、つまりは米軍の撤退した日本の世界へのあり方を考えていくことではないかと思うのです。


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我が国はアメリカのいなくなった後、対北朝鮮、対中国を始め、近隣諸国との関係を一体どうするのでしょうか? 憲法改正を行い自衛隊を国防軍とし、軍隊を保持することを宣言するのでしょうか? それは北朝鮮から新たな「核兵器」や「原発攻撃」の挑発を受け、中国からはその軍事規模、圧倒的な兵士の数でもって東シナ海が侵略されかねないという新たな脅威にさらされるだけではないでしょうか?


徴兵制を設け、若者を一定期間軍への所属を強制するのでしょうか? いざ戦争となれば赤紙召集を行うようになるのでしょうか? けれどもそのようなことをすれば、さすがに物言わぬようになった日本人も目覚めるのではないでしょうか? 一部を除けば日本人の誰も戦争を求めていません。いくら戦後70年以上たったとはいえ戦争体験、原爆体験、そしてここ数年の戦争屋テロ事件のニュース等を通じてほとんどの人が平和を望んでいます。今日本が進めるべきことはいかに平和な世界を築いていくかということではないでしょうか?


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さて、日本は太平洋戦争で連合軍に敗れました。戦争中に多くの過ちを犯したのも確かです。けれども多くの東南アジアや太平洋諸国から信頼もされてもいました。中国や韓国のように当時の日本の政策を非難し、今でも賠償や謝罪を求め、自国の反日感情を高めようとする国もありますが、一方で現在でも当時日本が進出した国々の人々が日本語を話したり、日本人に親しみを持っているところもあります。


では何故日本がそれらの国々や人々から親しみを持たれているのでしょうか? それは当時の日本がそれらの諸国に進出すると同時に、その国の産業育成を図り、インフラを整備し、そして教育を施し、当時西洋諸国の植民地としてあった国々が独立するための足掛かりを築いたからです。


そのことから考えると、私たち日本が平和国家として世界に発信していくためには、その地の民の安全・安心な暮らしのため、そして平和な日常を送るために何するべきなのかを共に考え歩んでいくかを提案し、実践していくことが必要ではないかと思います。


そして中国や北朝鮮に対してはいかに包み込んでいくか、軟着陸をさせるかを提案していくべきではないかと思うのです。そのためにも韓国をはじめ東南アジア諸国などに対してまずは共生していくための平和的関係を築くことが必要ではないでしょうか。


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またこれからは国家という概念よりも地域やその地域の民でもって協力をしていくべきではないかと思うのです。ネットの世界においてはすでに国境はなくなっています。権力者たちによるグローバリゼーションは失敗しつつありますが、人々のグローバル化はこの先もますます進んでいくでしょうし、一方でローカルが見直され、その質を高めていこうとすることも確かです。すなわちこれから先は国家の概念は薄れていくと思われますし、現在の足かせとなっているのは国家概念なのかもしれません。


更に言うならば、IT技術の発展とともに科学の発展はすさまじく、地球はどんどん小さくなっています。一方で宇宙はどんどん膨らむと同時に身近になってきています。今私たちは争っている場合ではなく、手を取りあう時代が来ているのです。21世紀はこれからいよいよ本番へと向かっていきます。私たちは科学によって地球が小さくなると同時に、再度それらについて考えなければなりません。そして地球と人間の関係、人間の意識や心を見直さなければなりません。もういつまでも20世紀にしがみついている場合ではないのです。


それらを含めてアメリカ亡き後の日本のあり方を考えるときが来ているのではないでしょうか?権力者たちによって仕掛けられるアメリカと北朝鮮の茶番、世界の茶番に振り回されるのを終わりにして、21世紀づくりをしていきたいものです。古きを見直し新しき日本人・地球人となりましょう!


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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年8月23日 (水)

黒から白を生む:北への思いから日本へ

以前北朝鮮のアメリカへの挑発に対して、アメリカに一発くらわせて、それを契機に日本が目覚めればということを書きましたが、北朝鮮のアメリカへの挑発は過激さを増す一方で、遂にはグアムに一発との脅しとなってきました。


核兵器を完成させたのかどうかはともかく、ミサイルのエンジンはウクライナ製であるといわれ、裏の世界では戦争勢力を始めとしていろいろな国や機関、そして人々が動いていることが分かります。その中で大将(正恩)も士気高揚としていますが、ある意味戦争を起こすためのコマとして踊らされているのでしょう。


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このところの北朝鮮とアメリカのやり取りを見て感じることは、一発くらわしてとの思いを通り越し4つのことを感じています。ひとつ目はアメリカの弱体化であり、二つ目は核兵器の威力と恐ろしさ、3つ目に人間の愚かさ、そして最後にやはり日本よもう一度です。


かつて東西冷戦と言われた際には、ソビエトとアメリカ合衆国の大国2国がにらみ合い、核兵器の製造合戦と対立を繰り広げてきました。その後ソビエトが崩壊し、合衆国の一強となり、世界の警察として君臨してきました。それが今や東アジアの北朝鮮という小さな国に挑発されている状況です。時代の変化と合衆国の弱体化を感じずにはいられません。


その北朝鮮はというと、これまで再三にわたる世界の核兵器開発停止の呼びかけにも応じず、その開発を進めると同時に、ミサイル発射の実験も繰り返してきました。そして遂にそれはアメリカ領域に届くまでになり、合衆国領土攻撃の脅しをするまでになりました。(小さな国でも)核兵器を持つと世界中を脅かすことができます。改めて核兵器の威力と恐ろしさを思い知らされます。


この核兵器を使用すれば地球を木端微塵に破壊することも可能でしょう。例え北朝鮮の持つ核兵器にそこまでの威力はなくとも、広島のものよりも数段威力は大きいでしょうし、使用されれば多くの人間や生き物が死ぬこととなります。善良な市民、無邪気な子供たち、更には動物などの多くの生命が巻き込まれ死にます。たとえ生き延びたとしてもその後の後遺症に悩まされ続けます。このような兵器でもって世界を支配しようとする人間は愚かです。全く持って愚か以外に言いようがありません。


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状況からして現在私たちはぎりぎりのところにいるのかもしれません。独裁者国家が核兵器を持ち、かつての大国をそれでもって脅しているのです。一歩間違えると本当に戦争が起こり、第三次世界大戦や核兵器の打合いになりかねない状態です。世界中が真っ暗な中にいるといってもよいのかもしれません。けれどもこのような状況だからこそ見えてくるものがあると思うのです。それは黒さの中の白、つまりは「愛」であったり「賢明さ」です。



核兵器や戦争は人間のエゴがもたらした究極のものであるとも言えます。人類絶滅、地球の滅亡とつながるかもしれません。しかしだからこそそこに「愛」がより一層輝いてくるともいえます。夜明け前の金星のように真っ暗な東の空に輝いてくるように思うのです。それは個々人を通り越した愛です。「人間」「地球」そして「生命」という大きな愛です。私たちはそこを見つめていかなければならないと思うのです。


またこの人間の愚かさが生み出した暗闇の中で、だからこそ人間の賢明さもまた輝いてくると思うのです。人間は愚かな動物です。けれども知恵ある動物でもあります。人類がここまで発展してきたのもその知恵を使ってきたからです。だからこそ今知恵を発揮し、人間の持つ賢明さを信じるべきだと思うのです。


そしてその愛と賢明さを発揮し、世界を平和へと導くのは日本人の役割ではないかと思うのです。日本は世界で唯一の被爆国です。太平洋戦争の終結として2発の核爆弾を使用され、多くの人々が亡くなり、その悲惨さと苦しみを知っている国です。更には原子力発電の爆発とメルトダウンを通じて「核」自体の恐ろしさを身をもって体験した国でもあります。唯一の被爆国であり、放射能の恐ろしさを体験した国であるからこそ、その愚かさを訴えられることができると思うのです。


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寄らば大樹の陰ではありませんが、これまでのようにアメリカの核の傘に隠れて、安全に過ごしていくという時代は終わりました。北朝鮮はイランやパキスタンのように離れた国ではありません。日本海の向こうの隣国です。だからこそ日本は余計に「核」の廃絶を先頭を切って行わなければなりません。


日本はこれまで多くの国を援助してきました。無駄な援助や裏のある援助等も多々あったのでしょうが、日本に感謝している国も多いはずです。太平洋戦争の際にも、間違いも多く犯しましたが、他国の自立を支援してきたことも確かであり、それを今でも感謝している国もあります。また日本国民の勤勉性は世界中の人が認めるところであり、今日の発展において日本が寄与した部分は大きいものがあります。だからこそ日本は新たな平和の道を模索していかなければなりません。


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西洋の歴史は争いと奪い合いの歴史であり、その根底にあるのは「恐怖と屈辱(リベンジ)」です。そこに彼らの持つ理性と論理がうまく働けばよいのですが、これまでの外交のあり方からすると必ず自身の優位性を保とうとするに違いありません。それでは今回の大将との和解には至らないように思えます。一方日本人のDNAには中和と調和の遺伝子があります。東洋と西洋をここ150年間も中和させてて来ています。更に縄文時代からすると1万2千年以上の歴史を持つ国です。それを持ってこの暗闇を照らす金星への道筋を切り開いていくべきだと思うのです。



今や小国が大国と対等に渡り合える時代です。アメリカの言いなりとなり北朝鮮を非難するばかりではなく、愛と賢明さで持って北朝鮮とアメリカの融和を図り、世界を地球を新たな次元へと導く日本であってもらいたいものです。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年8月 2日 (水)

共生するためには、次の総理を予想している場合ではないぞ!

未来を予測するにあたって経済アナリストの藤原直哉先生の考えをよく参考にさせてもらっています。先生は毎週日本や世界の情勢を分析し解説したものやこれからのリーダーシップについて説かれたインターネット放送を配信されています。82日の放送で「なるほど」と思ったことがあり、そこから私なりにいろいろと考えたので書いてみたいと思います。


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現政権が末期症状にあるのは誰もが分かることだと思います。そして多くの人が次は誰だろう、(Aさんとの声が多いようですが…)と予想し、そしてまあ誰がやってもダメだろうな…と考えているのではないでしょうか?


藤原先生は、それは江戸時代の第16代将軍が誰かを考えるようなものだと仰います。つまり15代将軍は徳川慶喜であり、その後の16代は「ない」「いない」であり、次の総理も「ない」「いない」が正解ということです。もちろん実際はAさんか誰かがなり、その後もしばらくはKさんIさんと続きはするでしょうが、それは「ない」「いない」と同じということなのでしょう。


それではこの先どうなるのだろうかというと、藤原先生は地方政党の時代がやって来ると言われます。これからの国会は、国連のように各国の代表が集まり、代表間の話し合いで決めていくように、地方の代表が中央に集まり、各地域の課題を持ち寄り、方向性を決めていく方式となると話されます。


何が違うかというと、これまでの中央集権、いわゆるトップダウンの方式ではなく、ボトムアップの方式へと変わっていくということです。要はこれまでの縦社会の終わりが来ているということです。そしてこれは日本だけでなく世界も今同時にそれに面しており、それが現在の世界的混乱となっているとのことです。


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そこで思うことがあります。それは日本の中央(東京)の時代が終わり、これからは地域政党の時代となり、地域ごとに運営していくようになっていくわけですが、地域の政党に任せるというカタチになってしまうと、それも間違いであるということです。それでは結局地域における小規模中央集権となってしまいます。そうではなく一人ひとりが地域政党、つまりは地域を担っていかなければならないということです。それはどういうことかというと「もうお上に頼る」という時代は終わり、これからは自律し、自立する時代がやって来る(来ている)ということです。


すなわちこれまでのお任せ意識を捨て、自分が何をするかをきちんと考えていかなければならないということです。藤原先生はこのことを「縦社会」が終わり「横につながる」時代と言われています。そしてこの横につながる時代、横につながる社会こそが「共生」といわれるものだと思うのです。


「共生」という言葉を聞くと、一見するととてもいい響きであり、誰もが理想的であるように思うと思います。けれども実はそこには「自律し、自立する」という1人ひとりの責任感というか、大きな意識の変換が要求されるものなのです。


それ故藤原先生は「共生」するには、1人で考えたり、ネット上で意見を述べ合ったりするだけではなく、実際に「行って」「見て」「聞いて」「話して」の行動が大切であると説かれています。


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「共生(きょうせい)」とは、もともとは仏教の「共生(ともいき)」から来ています。文字通り「共に生きる」ということでしょう。そしてこの「ともいき」は感覚だけではいけない言葉なのだと思うのです。「行って」「聞いて」「話して」とは、言い換えれば、「行動」し、「体感」し、「経験」して、そしてそれらをまとめ上げていく。みんなでつくっていく。それができて初めて「共生(ともいき)」となるのではないかと思うのです。まさに「言うは易く行うは難し」のものであるということです。けれどもこれを行ってこそ新しい時代は開けてくるのだと思うのです。


誰が次の総理大臣になるかを予想しているのではなく、まず自分自身は何をどうしていくか、それをきちんと考え、行動していくことが大切である。でなければ、時代の混乱に飲み込まれるだけですよということなのだと思います。


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共生(きょうせい)という一見するとやさしい言葉ですが、そこに至るためには私たち自身が精神的に成長していくことが要求され、そしてそれをこなしてこそみんなが喜びあえる「共生(ともいき)」の時代がやって来るのだと思います。


時代の要求を乗り越えていかなければなりませんね!





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

 

2017年7月19日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑦~グローバリズムの正体~

西洋の歴史を振り返ると、それは争いと奪い合いの歴史であり、それが彼らのDNAとなっていることをこれまで随所に述べてきました。今回はその辺りも含めて、グローバリズムの正体を私なりに紐解いていきたいと思います。

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まず西洋諸国(ヨーロッパ大陸)を見てみると、そこにはインド・ヨーロッパ語族に属する多数の民族が暮らしていることが分かります。そしてその歴史を見るとゲルマン人の大移動など民族間の移住と定住であり、そこにはもともと住んでいた民族との争いがあったことが容易に分かります。また地図を見るとヨーロッパ大陸はユーラシア大陸の一部であることが分かります。ユーラシアとは、メソポタミア文明、インダス文明、そして黄河文明の4大文明の3つを抱えます。残りの1つエジプト文明はアフリカ大陸ですが、そのアフリカ大陸もすぐそばであり、4大文明のすべてがあると言えます。同様にその歴史を見ると各民族が争い、植民し、そして移動するということの繰り返しです。すなわち西洋の歴史とはヨーロッパ大陸であると同時にユーラシアという地球上で一番大きな大陸であり、そこに住む様々な民族が陣取り合戦を繰り広げてきたその歴史の一部なのです。


勿論西欧人の歴史は奪い合いだけではありません。彼らの特徴は、民主主義の確立、基本的人権の獲得などから分かるように、大変論理的であり、知的であることが分かります。それぞれの民族がいつも争い奪い合っているばかりでなく、交流し、交換し合い、そして切磋琢磨し合った結果、新たな技術や芸術が生まれ、その中で科学が発達してきたことが分かります。彼らは論理的に考え、新技術(科学)を生み出し、それを持って世界に進出していったのです。


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ところで西欧人というと、基本的に白人といえるのでしょうが、その中でひとつ特異な人達がいます。ユダヤ人です。旧約聖書を生み出し、そこからキリストが生まれ、いつしか西欧文明=キリスト教文明といってもよいほど、西欧文明の根幹の部分に関わっているのがユダヤ人です。けれどもその歴史を振り返れば、近年のことならばナチスによるホロコーストといい、迫害の歴史ともいえます。その民族の始祖アブラムは、メソポタミアのウルから部族を引き連れ「カナンの地」へ移住したことから始まり、歴史の中で移住を繰り返し、争い、弾圧され、遂には離散させられますが、それでも各地で生き残り、結束してきた人達です。つまり西洋諸国(白人)とはヘブライ人(ユダヤ人)の歴史を含んでいるのです。



さてそのユダヤ人は歴史上各地で弾圧されてきた民族です。当然西洋諸国でも弾圧され、彼らは自由に仕事の選択することも許されませんでした。その為彼らは当時身分の卑しいものが行うとされた金貸し(金融)を主たる職とします。けれども現在社会をみて下さい。当時人々から蔑まれたその職が、今では金融業界として世界を圧巻し、日本の若者が就きたい職の常に上位までなっているのですから驚かされます。それと同時にこれまでどれだけ屈辱に耐え、そして知恵を屈指ししてきたかを考えると、そこには途轍もない彼らの想いを感じずにはいられません。


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さてこれらのことから西洋の歴史を紐解いていくと、3つのことが分かります。


ひとつは、これまで何度も書いてきましたが、彼らの歴史とは、争いと奪い合いの歴史です。いくら平和裏に暮らそうにも、他の民族からの攻撃があれば、それを防がなければなりません。防御のためには武力が必要でしょうし、時には(先に)攻撃して征服することも必要ともいえます。それを突き詰めれば「殺らなきゃ、殺られる」という考えが起こるのも当然といえるでしょう。そしてこのことを更に突き詰めると、その根底にある心理は「恐怖」です。その「恐怖」故に、争い・奪い合いが繰り広げられてきたと言えます。


ふたつ目は、彼らの歴史とは論理的、知性的なところで発達してきたことです。つまり左脳を屈指した文明といえます。他民族が入り乱れるユーラシア大陸の中で、生き残るためにはいかに理論整然と知的に考え話すことも非常に重要な要素であったと思います。一方、ユーラシアの極東にあり、大陸とは海で隔てられた我らが日本は、1万年続いた縄文時代からして直感的、感性的であり、右脳の文明といえます。そこに大陸からの移住者による論理や知性が組み込まれていく中で発展してきた文明です。


そして3つ目は、ユダヤ人に関するものです。こちらも先ほど書いたように彼らの歴史は迫害の歴史であり、身分も、職業も差別されてきました。そのような中で生き残るために、蔑まれる金貸しを仕事としてきました。けれども遂にはその職の地位を高くし、権力を持ち、そして世界を支配するものまでにその地位を向上させてきました。そこには血と汗と涙、そして知力を屈指してきたことでしょう。と同時にその根底には、屈辱と、いつかは見返してやる(リベンジしてやる)という想いが含まれていたと思うのです。

以上の3つから西欧の歴史とは、恐怖、論理と知性、そして屈辱(リベンジ)だと言えるのです。


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さて、ここで世界史全体を見てみると、この400年間はアメリカ合衆国も含め西欧諸国による世界進出の歴史であると言えます。イギリスの東インド進出からアジア各国の植民地化、アメリカ大陸への進出、そしてアフリカ人(黒人)の奴隷といい、西欧諸国による略奪・殺戮の歴史といっても過言ではないかもしれません。ではなぜそのようなことが行われたかというと、その根底には、先ほど上げた「恐怖」「論理と知性」そして「屈辱(リベンジ)」があると思うのです。この400年の間、そして彼らの「論理と知性」から、一見すると彼らは非常にスマート(賢く、優れている)と思いがちです。けれどもその心の奥底には「恐怖のDNA」と「屈辱(リベンジ)DNA」=「ネガティブDNA」があり、それらが原動力となっているのです。そして現在進められているグローバリズムの底辺に横たわっているのは、まさにそのネガティブDNAであり、結果世界的競争、奪いあい、征服主義なのです。


現代世界中でこの「ネガティブDNA」に基づく経済競争が行われることにより、地球の破壊は急激に進み、そのダメージは気候変動を始め様々なところで現れてきています。科学の発展により地球が小さくなり、世界の交流が盛んになることは誰にも止められません。けれども現在のネガティブなグローバリズムでは破滅を招くばかりです。地球人はその価値観を変えなくてはなりません。本当のグローバリズムとは、決して競争・奪い合い、征服ではなく、どうすれば共存していけるかを考え実行していくことであり、「共生き(ともいき)主義(DNA)」なのです。そしてその「共生きDNA」を持ちあわせているのが日本なのです。






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年7月 5日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑥~現代から未来へ!~

世界で相次ぐテロ事件、北朝鮮のミサイル発射問題、中国の東シナ海への進出、アメリカ・ヨーロッパの混乱、そして国内では貧困格差、大企業の波乱、商品価格の上昇、ストーカー事件に親殺し子殺し、感染や疾病、更には放射能、地震に異常気象など。私たちはまるで不安の中にいるようです。


健康、子育て、老いなど生活に関する不安、異常な事件による社会に対する不安、そして世界や地球規模の不安など、次から次へと不安ごとが生じ、まるで不安を背負って生きていきなさいと言わんばかりです。庶民である私たちはもちろんのこと、例え権力者や名誉のある人、あるいは有名人などお金持ちというような人たちであったとしても不安を持って生活しているようにも思えます。一体どうなっているのでしょうか?

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「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある。」(ティリー)

「日本人は毎日に生活が時の流れにのってなめらかに流れていくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」(ジョージ・スミス)


「誰もがいかなる人々がそうでありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」(オズボーン)

 逝きし世の面影」渡辺京二著平凡社ライブラリーより


幕末に日本を訪れた西洋人たちは、日本人を見て上記のような印象を持ちました。何だかそこには現在とは正反対の世界があったように思えます。現在の日本人を外国人が見るとどのように思うのでしょうか?上記のような印象を持つでしょうか?これまで見てきた自殺率、貧困率などそこからは上記の感想を持つことはとてもできはしません。


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前回幕末から明治、昭和の敗戦からバブル経済、そしてその崩壊後の今日までをみてきました。経済戦争・金融戦争の結果、利益争奪一辺倒の世界、エゴむき出しのハイエナ社会となり、今では日本だけでなく世界各国が崖っぷちに立たされています。そしてそれが生活の安定を脅かし現在の不安となって現れていると思われます。



さてこの不安の原因を探っていくと、ハイエナ社会の結果生み出されたことももちろんなのですが、その奥には2つの要因があることが考えられるのです。ひとつは「人為的に生み出された不安」であり、もうひとつは「日本人の土台に反する生き方によって生み出された不安」です。


まず人為的に生み出された不安とは、例えば現在世界中でテロが発生し、日本でも起こるのではないかという不安にさらされています。テロといえば多くの人が思い出すのが911のニューヨークの貿易センタービルでの事件だと思います。これをきっかけにテロに対抗するとして中東での戦いが始まり、そこから世界中にテロが広まったと言えます。けれどもこの911事件に関しては発生後から数多くの疑惑が出てき、今では権力者たちによるヤラセであったことが明らかにされつつあります。更に現在世界中のテロの根源となっているISIS集団。これもまた権力者たちにより世界に混乱をもたらすために生まれたものであることが明らかにされつつあります。そしてその根底にあるのは、それによりお金を儲けようとする権力者たちのエゴです。権力者たちの限りなきエゴの追求の結果私たちの不安は生じているのです。これが人為的に生み出されている不安です。


そしてもうひとつの日本人の土台に反する生き方によって生み出された不安とは、放射能問題もそうですが、明治以降の主たる政策となって来た物質主義の極致による不安です。現在の社会は利益争奪戦のハイエナ社会であることは先ほども書きました。そこには日本人の土台となる縄文時代のDNA「自然に寄り添う」というものは全くありません。この150年間日本が取ってきた政策は自然と相反するものがほとんどでした。それ故に何度も公害が発生し、人々の健康が害され、同時に自然も破壊されてきました。今では地方でも都市化が進み、県庁所在地を中心に多くの人々が自然とかけ離れた環境の中で暮らしています。

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この2つの不安の要因ですが、どちらもいわば人間のエゴから発生しているものです。なのでどちらも人為的といえば人為的です。けれどもひとつめの人為的要因とは一握りの人達(大なり小なりの権力者たち)の欲望から生じているものであり、もうひとつは民衆を含めた多くの人、つまりは人間の持つ欲望(エゴ)から発生しているものです。


ひとつめの人為的要因には現在大きな変化が生じてきています。それはこれまで(権力者たちの力によって)裏の世界に隠されて決して表には出てこなかったものが、ウィキリークスなどによって暴露され、世間に知らされるようになってきたことです。アメリカの世界各国への盗聴、ISISの秘密などが次々と暴露され、それらはネットを通じてアッという間に広がるようになりました。日本でも一時大きな話題となったのがスノーデンファイルでしょうし、あるいはタックスヘイブンのパナマ文書などでしょう(但しパナマ文書に関しては更なる疑惑がありますが…)。国内問題では加計学園の問題、豊洲市場の問題などもそうであると言えます。この傾向はこの先益々大きくなり、これまで裏で行われていたことがどんどん表に出てくると思われます。


そしてもうひとつの日本の土台に反する生き方ということですが、こちらもその変化の兆候は少しずつ現れてきています。「自然に寄り添う」ということは、これまでに述べてきた中和され、調和するということであり、更に言えば共存・共生していくということにつながってきます。現在アウトドアブームが日本中でブームとなっていますが、それもそのひとつの徴候といえるでしょうし、前回書いたシェアをするという概念もそのひとつであると言えるでしょう。その他数年前から大きく広がり始めた共感による資金調達クラウドファンディングもその関連といえます。

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さてこの2つのうち、ひとつめの人為的要因はこの先これまで秘密裏にされていたことが次々と明らかにされていくことでしょうから、秘密を抱える権力者や国民を欺いてきた人たちはその居場所が徐々に狭められていくことでしょう。その為自己の欲望を満たすために人々を欺くことはこれからは難しくなっていくと思われます。故に自然淘汰されると言ってもよいのかもしれません。ただしそこには権力者にすべてを委ねるという庶民のこれまでの姿勢ではなく、1人ひとりの自立と自覚が求められるのは言うまでもありません。


そしてもうひとつの土台の上で生きていく、自然に寄り添って生きていくということですが、これは人間のエゴ=物質的所有の欲望、あるいは便利さを求める欲望から生じ、そこから外れていった結果が現在の状況となり不安を生じているものです。現在シェアの文化が広がり、自然回帰への傾向が見られてはいます。けれどもそれ以上のペースで人々は欲望を追い求め自然を破壊しています。日本人にはその傾向は減少しているのかもしれません。けれども世界をみれば圧倒的に欲望を追い求めているのが現状です。このことに関して私たちは意識しなければなりません。そしてどこかで歯止めをかける意志を持たなくてはなりません。

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現在あらゆるメディアはこぞって人々の欲望を駆り立てようとしています。テレビもネットも消費を促すものを垂れ流し続けています。政府も消費することを奨励し、中央銀行と組み、お金をばらまき続けています。それでも消費は思うように伸びていません。何故でしょう。それは日本人の持つDNAが働き始めているからです。バブルが崩壊して以降、停滞期を経て、そのDNAが少しずつ働き始めているのです。だから縄文時代の生活が明らかになりつつあり、そしてまた江戸時代の日本人の暮らしが注目されているのです。


私たちはこのDNAの働きを意識するべきです。そしてどのように未来を築いていくべきなのか考えていくべきです。決して何も縄文時代や江戸時代の生活スタイルに戻れというのではありません。この150年間に入ってきた豊かさもあります。それらを一度整理し、中和し、調和させ、そして自然に寄り添う新しい生活スタイルを確立しなければなりません。それができるのが日本人なのです。


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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~