Wellbeing(ウェルビーイング)

福祉 こころ

2017年10月11日 (水)

仕事って何だろう②:その意味と価値を広げる

働く(仕事する)ということについて改めて考えていますが、前回は仕事するとは、社会に必要(と思われる)ものを提供し積み重ねていくこと。そして社会のニーズに応えていくこと。あるいはそこから社会をリードしていくことということを書きました。


それが現時点での私が考える「働く(仕事する)」ということの定義なのですが、実はもうひとつあります。それは現代社会の中でほとんどの人が、「働く(仕事する)」とは、お金がつきものである、つまりお金に換算できるという考えを持っているということです。いえ、そこに縛られているともいえるでしょう。私はこの「働く=お金に換算できる」という概念、縛りを変えられないものかと思っています。というのはかつて重症心身障がい児者と呼ばれる人たちとの出会いがあったからです。


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重症心身障がい児者とは、重度の肢体不自由(身体障がい)と重度の知的障がいを併せ持つ人たちのことです。もっと簡単に言えば、小学校12年生ぐらいまでの知能かつ、寝たきり状態の人たちといえば想像できるかと思います。そのような人が日本には約43,000人いるとされています。


このような状態の人たちですから、一般的には働くことはできないと言われています。実際かつてある(ビジネス)プレゼンテーションの場で彼らのことについて話しをすると、プレゼンの後その場にいた人から「彼らは働くことができないですよね。」といわれたことがあります。その時「そうじゃない!」と説明したのですが、彼は「はあ?」と分かってもらえませんでした。


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私は数年前に初めて重症心身障がい児者たちに出会いました。彼らの在宅生活の調査を施設から依頼されたのがきっかけです。その際多くの重症児者と出会いました。私と同じぐらいの年齢の人から、20代、10代、小学1年となったばかりの子など様々な年代層の人たちと出会い、そしてその家族とも会いました。そのような状態の彼らとの(初めての)出会いはあまりに衝撃的であり、かつ深く考えさせられるものでした。


彼らとの出会いを通じて、生きるとは何なんだろうと考えたこともあります。また彼らから(仕事を遂行する)力を与えられたこともあります。あるいは彼らがそこにいるだけで、心を落ち着けられたりもしました。更には家族をつないでいる、時には彼らの存在が地域をつないでいる光景を見ることもありました。話しをするわけでもなく、寝たきり状態であるにも関わらず、彼らは周りの人々に影響を与えているのです。それを通じて私は、たとえ寝たきりで言葉がしゃべれなくても彼らは彼らなりの役目があり、その役割を果たしている、彼らには(生きる)価値があり、彼らは働いてもいるのだと思ったのです。


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彼らはお金を稼ぐわけではありません。癒しを与えたからといってお金を請求することもありません。ただそこにいるだけです。けれども彼らはそこにいて人々に影響を与えるだけの価値を持っているのです。そしてその価値を日々積み重ねているのです。この価値(の積み重ね)こそ彼らの働きであり、仕事ではないかと思うのです。


つまり働く(仕事する)とは、社会に必要とされる価値を提供すること、それを積み重ねていくこと言えるのではないでしょうか。そこにお金に換算できるとかできないということは関係ないのです。言い換えると、働く(仕事する)とは、人々に喜びを与え、幸せにしていく行為と言えるのではないかとも思います。


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もしこの概念が広がると働く(仕事する)ということがもっと自由になものとなって来るのではないかと思うのです。人々は豊かになり、いろいろな人やものを大切にするようになるかと思うのです。そして共生社会が広がってくると思うのです。


現代社会は何もかも使い捨てです。それはモノだけでなく、人や人の心までも使い捨てとします。そのような社会に未来はないといってもよいでしょう。持続可能な社会、本当の意味で社会を発展させていくために何のために働く(仕事する)のか、私たちは再度考える必要があるのではないでしょうか?





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年10月 4日 (水)

仕事って何だろう ①:積み重ねていくこと

大人となったら働く(仕事をする)ことは誰もが当然のことと考えていると思います。このことは日本だけでなく世界共通のことでしょうし、太古の昔から人々は働き続けてきています。けれども現在二ートと呼ばれる若者だけでなく中高年の引きこもり者も増えていく中で「働く(仕事する)」ことの意味が問われているようにも思います。そこで改めて私たちは一体何のために働くのかを考えてみたいと思います。


ライオンやゾウ、イノシシにしろ鹿にしろ動物にとっての働くとは食べ物を得るということになるのでしょうが、脳を発達させてきた人間にとって「働く」ということはそれだけではなくなっていることは確かです。食料の安定的な確保、寒さと雨露をしのぐ住処と衣類を得て、更には「学問」という知を学び続けるようになった人間において、働く(仕事をする)とは「生」の意味を問いかけるものになっているのではないでしょうか。


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そこでまずは一般的に働く(仕事する)とは何なのかと思いインターネットで「仕事 何」で調べてみたところ、「社会に貢献すること、人とのつながり、自身の成長、人生そのもの、そしてお金を稼ぐことetc」ということが出てきました。面接上の文言では、社会に貢献すること、人とのつながり、自己の成長などが模範解答となっているようですが、実際のところは20代ではお金を稼ぐことから始まり、年を重ねていく中で、成長、貢献、そして人生となっていくのがおおよそのパターンであるようです。(ちなみに「仕事 目的」で検索するとまた違ったものが出てきてこちらも面白いです。)


私自身を振り返ったところ、これまで何のために働く(仕事をする)のか節目節目で考えてきたように思うのですが、私の場合どちらかというと、「Live to work(働くために生きる)ではなく、Work to live(生きるために働く)」ということを常に考えてきたことが挙げられます。そのためいかに(人生を)生きるかを重視し、働くことはその手段としてしかとらえて来なかったこともあり、正直40半ばを超えるまで「仕事って何か」ということを正面から考えてこなかったように思います。


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現在私は仕事として、「一般企業における障がい者の雇用を通じてよりよい職場づくり」を行う(営利)事業、そして障がい者の支援を通じて誰もが暮らしやすいまちづくり」を行う(非営利)事業等を実施しています。これらは私の人生経験を通じて、今必要であると感じたこと、やりたいと感じたことを事業として行っているのですが、様々な事例を参考としつつも、私自身が考え組み立ててきているものです。ある意味オリジナルといってもよいのではないかと思います。


これらの事業は3
年前から始め最近ようやく少しずつカタチになりつつあるのではないかと思っているのですが、正直(お金の面も、精神的にも)しんどいと思うことも多々あります。それでも楽しいと思える感覚もあり、それを感じた時には喜びが湧き上がってきます。そして同時にこのところのカタチになりつつあることを通じて思うことは、「仕事とは、積み重ねていくものだと」言うことです。


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「仕事」とは、その字の如く「事(こと)に仕える」ということです。この仕えるとはもともとは君主や目上の者のために(自身を)用いるということから「捧げる」という意味が込められていると思います。それでは今の時代何に自分自身を捧げていく(奉仕する)かということになると、まさに「人(他者)」であったり、「社会」であったり、あるいは「地球(大自然)」であったりするのではないでしょうか。それが現在の「仕事」の大前提となってくるのではないかと思うのです。もちろん中にはお金ということもあるのでしょう。それも確かです。まだまだ今の世の中お金がなければ生きていけません。けれども世界中でお金の獲得合戦が繰り広げられ、その振り子が振り切った現在、(日本の)若い人を中心にお金への関心が薄れ、シェアする概念が広がり、モノにこだわらなくなる現象が広がる中で、あるいは田舎に移住し物々交換する機会が増えてきた人々を見ていると、この先お金が一番の重要要素として取り上げる必要はなくなってくるのではないかと思うのです。


「自分が(人や社会に)今必要と思うこと」、「自分のやりたいと思うこと」を行っていると、最初はどれほど自分がよいと思ったことを提供しようとしても、それは(社会とは)ミスマッチなところも出てくるかもしれません。すなわち受け入れられないこともあります。(私の場合実際にありました。)けれどもその次また自分が必要と思うこと、やりたいと思うことをやり続けて行くということを繰り返していくうちに、いつしかその積み重ねが、自分の腕を磨き、自分自身を高め、そして遂には社会のニーズに合ってくると思うのです。(今の私がそうです。)


そして社会のニーズに合ったものを提供していくこと、あるいはいつしか社会をリードしていくものを生み出し提供していくこと、その積み重ねこそが仕事ではないかと思うのです。そして気がつけばいつしか自分自身がかつての自分よりもずっと高みにいるのではないかと思うのです。残念ながら現在の私は今の仕事においてそこまでの領域には達していませんが、本来の仕事、あるいは未来の仕事のあり方とはそうなっていくのではないかと思うのです。そうなると社会も随分とかわって来るのではないでしょうか。


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残念ながら今の仕事や、働き方はお金を大前提にしており、その中でいかに自分自身の喜びを見つけるかというものです。随分と歪められてきたものがあると思います。けれども時代は少しずつ、会社に貢献するだけでなく、社会への貢献や、何のために働くかの意味を問う人が増えてきています。私たちは1日のうちの1/3~半分近くを「働く(仕事する)」ことに費やしています。世界の国々の経済水準が同一化していく中で、働く意味を問うこと、特に四半世紀社会停滞を続ける日本では、その意味を見いだすことはこの先新たな未来を創っていくことにおいて必要ではないでしょうか?


そこでまずは働く(仕事をする)とは、自分自身が社会に必要と思うこと、やりたいことを「積み上げていくこと」。それを通じて腕を磨き、自分を高め、社会のニーズにマッチさせていくと同時に、社会に新たな価値を生み出していくものと定義してみたいと思います。


 



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年6月 7日 (水)

新しい日本を創ろうよ ②

前々回の記事では障がい児の特別支援学校や学級の増加、そして障がい者の支援事業所が増えていることをお伝えし、これからは障がい者を活かすことで社会を変えていかなければならないのではないかということを提案したのだが、それではどのようにそれを行うか考えてみたいと思う。
             
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もう7,8年前になるのだが「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメンタリー映画を見た。この映画は当時養護学校(現在の特別支援学校)で教師をしていた山本加津子先生を主役に障がいのある子が持つ能力や純粋さを伝えるとともに、彼らも同じひとりの人間であることを教えてくれる映画だ。
             
             
その映画の中でペルーの古代博物館に展示保管されている(古代の)布織物の話が出てくる。その布にはたくさんの手が描かれている(編まれている)のだが、中心にある手ひとつが、なんと6本指の手なのだ。
             
             
余談となるが手足の指が生まれつき多いひとはまれにいるようで多指症(たししょう)、逆に少ないのは欠指症(けっししょう)と言われ、あの豊臣秀吉も右手の親指が2本あったらしい。(ウィキペディアより)
             
             
映画の中で博物館の館長は、6本指の手が真ん中に置かれている理由を、当時は障がいのある人を異端視するのではなく、特別な人として、つまりは神の使いとして崇められていたのではないかと推測している。
             
             
この話がとても印象に残り、その後もずっとこの映画を思い出すときはいつも古代布が浮かんできて、その意味を自分なりにその都度考えていた。そんなある日よくお世話になっている人と飲む機会があり、その際に縄文時代に狩りの方法の話が出てきた。当時狩りに出かける際に自閉症の人を連れていくのだが、その人をどこに配置したかということだったのだが、真中に配置していたとのこと。その理由は、自閉症の人は周囲の異変等に最初に気づく能力を持っていたかららしい。
             
             
この話を聞いて、古代布の話しと重なり凄く感激した。同時に障がいのある人の位置づけにビビッと来るものがあった。そう、障がい者を真中に位置づけて考えるのが本当なのだ!
             
            
もちろん歴史の中では障がいのある人を見せものにされたりした時代もあるのだろう。けれども明治以降合の近代化の時代の中で、合理的思考が重視されていくようになり、彼らは不完全な人間として、差別され、隔離されるようになって来たと思うのだ。そんな中で本人やその家族、そして支援者の力で、今日の障がい者福祉が制度化され、彼らの居場所がつくられ、権利が保障されるようになってきた。その成果が特別支援学校であったり、障がい者の支援事業所である。
             
             
けれども現在それが新たなる転換期を迎えていると思うのだ。先にも書いたが特別支援学校・学級は増加、不足の事態にあり、支援事業所は増え続けている。そして障がい者支援だけでなく日本の社会保障費は莫大に増え続け、国の財政を圧迫している。それ故に医療保険も自己負担額は上がり、最近では介護保険制度などは利用者負担の増加がすすんでいる。正直このままではもたないと思うのだ。両者が共倒れになるのではないかと懸念する。
             
             
そこで思うのが、障がい者を活かす社会をつくるということであり、その方法が障がい者を真中において考えるということである。
             
             
障がい者を真中において考えるとは、ひとつはインクルーブデザインと呼ばれる手法がある。これは子供、高齢者、障がい者などマイノリティ、いわゆる社会的弱者といわれる人たちをデザインする段階から積極的に調査し、そこから出た課題をや気づきをアイデアに変換し、それらにも対応できるデザインを考えるという手法である。もっと簡単にいえば障がい者や高齢者なども含めてだれもが使える(使いやすい)ものづくり・ことづくりを行うための手法である。ただそれも重要かつ必要な手法であるのだけれども、今回ここで提案するのは、デザインプロセスよりも、一般企業の障がい者雇用という面から「障がい者を真中において考える」ということである。
             
            
一般企業における障がい者の雇用において、現在は従業員50名以上の企業には、2%の障がい者の雇用(法定雇用率)が義務付けられている。つまり50人の従業員(正社員)がいれば、1人は障がい者雇用をしなければならない。そして従業員が100人以上の企業においては、法定雇用率に満たない場合は、納付金(いわゆる罰金)をその不足人数に応じて支払わなければならない。そこで企業は障がい者を雇用することになるわけだが、現状を見る限り、ほぼ義務だから雇用するという考えであり、多くの企業が最低賃金、あるいはそれに近い金額で雇用するのが通常となっている。
             
             
けれども最近障がい者雇用により、その職場環境が良くなったとか、従業員のやる気が向上した、あるいは業績が上がったということがよく言われるようになってきた。それが書籍にもなっている。例えば「なぜ障がい者を雇う中小企業は業績を上げ続けるのか」影山摩子弥著(中央法規)などがある。そこに書かれていることは、障がい者雇用で得られることとして、
             
    ・人材育成のノウハウができる
    ・社内の業務の流れが改善できる
    ・職場環境が改善できる
    ・健常者社員が前向きに取り組むようになる
    ・適材適所のノウハウが形成される
    ・戦略的観点が身につく
      以上の6点が挙げられている。
             
             
まずはこの観点から障がい者雇用に取り組めばよいと思うのだ。いきなり障がい者を真中において企業経営をしろと言っても、現時点ではどうすればよいかも分からなければ、よほどの企業でしかそれで経営が成り立つとも思えない(例えば日本理化学工業)。そこから少しずつ障がい者を理解しながら、障がい者のできる能力を見極めていけばよいと思う。
             
             
現在における企業経営は利益第一主義であり、いかに成長・拡大していくかということに主眼が置かれている。グローバル経営の中で、大量生産・低コストが求められる中では仕方ないことではないかとも思う。けれども時代は少しずつ変わりつつあり、これまでのグローバル主義に疑問が呈されるようになり、また手作りの製品が見直されるようにもなっている。(手作りの)雑貨が人気であり、DIYが人気となっているのもその一つだろう。そこにはこれまでの大量生産・均一製品に対する価値観の変化が読み取れる。やがて人々に大きな変化をもたらし、それはいずれ企業にも大きな変革を迫ってくると思うのだ。もしかするとそれは社会情勢にも大きな変化を強制してくることがあるかもしれない。その時こそ障がい者を真中に考えることが出てくるのではないかと思うのだ。
             
             
まだまだそのような変化が来るように思えないかもしれない。そこは世界中が金融ジャブジャブ政策をとり、日本でも補助金ジャブジャブ、中央銀行による株価吊り上げ政策でその状況を維持しており、そのように見えるが、それも限界に近づいている。企業においては徐々にであるが、そこから抜け出し、あるいはそれを頼りとせず、御用達に徹しようとする企業が現れ出している。同時に若者の働く概念、中堅どころの仕事に対する意義も変わりつつあり、報酬よりも働きやすさや、意義を求め始めている。また人々に「持続可能性」であったり、「ロハス」ということも徐々に浸透し始めている。これらの認識がもう少し進めば障がい者への認識も改められはじめ、そこで初めて障がい者を真中において考えるということが出てくると思うのだ。
             
             
そして障がい者を真中において考えることが人々に認識されたときにはじめて、人々の社会に対する認識の変化、そして地球に対する認識の変化が生じてくると思うのだ。人々の意識の変化が生じると思うのだ。今はまだ利益、自己利益=エゴが渦巻いているけれど、そこから抜け出し他者意識が出てくると思うのだ。
             
            
まだまだ時間はかかるのかもしれない。けれども残された時間も少ないのかもしれない。どちらが早いのか勝負なのかもしれない。どちらにせよそこに留まっているのではなく、私たちは一歩を踏み出すしかないのだと思う。
             
             
             
             
             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             
             

2017年5月17日 (水)

どうなる日本?~新しい日本を創ろうよ!~その①

 (日本の)子供の数が減り続けていることは誰もが知っていることだろう。総務省によると外国人を含めて14歳以下の子供の数(平成29年4月1日)は前年よりも17万人少ない1571万人で、36年連続の減少であるとのこと。それ故に地方のまた地方においてよく学校が閉校となり、次からスクールバスで通うようになるとか、あるいはその跡地をどう活用していくかなどの声を聞くことも多い。
             
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              (愛媛新聞  平成29年5月5日)
             
             
 ところが、子どもの減少により学校が減り続ける一方で、増え続けている学校(学級)もある。それどころか深刻な不足の事態に陥っている。多くの人がそういうと保育園のことかと思うかもしれないが、そうではない。障がいのある子供が通う学校、いわゆる特別支援学校、あるいは特別支援学級だ。
             
             
 特別支援学校小、中学部の1学級は6人が上限で、重複障害の場合は3人。幼稚部から高等部までの在籍者は15年に13万8千人で、10年で1・36倍になった。特に知的障害のある子が増え、全体の9割を占める。比較的障害が軽い子が通う小中学校の特別支援学級の在籍者も15年に20万1千人で、10年で約2倍になった。(朝日新聞デジタル2017年4月30日より)
             
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              (朝日新聞デジタル2017年4月30日より)
             
             
 子供の数が減り続けている中で、特別支援学校、特別支援学級に通う子供たちの数は急増している。その背景には、障害の診断が普及したこと。障害があると診断されると、支援が得やすい教育を望む保護者が増えたとみられ、「特別支援教育への理解が深まった」(文科省担当者)との見方がある(同朝日新聞デジタルより)とのこと。最近発達障がいという言葉をよく耳にするようになったが、脳科学や医学の発達とともに、それらが障がいとして診断されるようになったのだろうが、それにしてもその上昇は多いと思わざるを得ない。(ただ今回この原因についての考察は次回にする。)
             
             
 子供に関するものではないが、最近どんどん増えているな思うものがひとつある。それは、障がい者を支援する事業所だ。18歳以上の障がいのある人たちが通う、デイサービスのようなところ(生活介護)、あるいは軽作業などの仕事をする事業所(就労継続支援事業所A型、B型)があるのだが、特にB型の事業所の増加を感じずにはいられないのだ。そこでは障がいのある人たちが、職員(支援員)の指導の下で、さまざまな仕事を行っている。
             
             
 先ほど特別支援学校や学級に通う子供の増加を示したが、彼らの高等部を卒業しての行き先の多くがそことなる。もちろん中には一般企業へと就職していく者もいるが、多くが支援事業所に通うようになり、軽作業などをして日中を過ごすようになる。
             
             
 彼らの障がいの程度は重度から軽度までさまざまであるが、それぞれ障がい者手帳を持っている。だからその多くが障がい者年金を受給するようにもなっている。それに日中支援事業所での軽作業で賃金(工賃)を得て、年金と工賃が彼らの収入となっている。一方で事業所は彼らが日中そこに来ることで、国から給付費をもらい、それによって職員(支援員)の給料を賄い事業を運営している。
             
             
             
 さて、現在日本は、障がい者の数は増え続け、その年金の支払いや事業所への給付費はそれに比例して増え、また高齢化率の上昇とともに国民の医療費は年々増え続け、さらに介護に関する給付費も増え続け、日本の社会保障費は上昇し続ける一方だ。いくらそれらを抑制しようにも、社会保障・社会福祉は国の義務である限り、それをなくすことはできないし、その上昇は当面は上昇し続けるだろう。更に現在の日本は、社会保障費の給付以外にも、あらゆる分野で補助金などを出しまくっており、日本の借金(債務残高)は増え続ける一方だ。このままでは日本はいったいどうなってしまうのだろうかと思わざるを得ない。
             
             
 そこで私が思うのは、少なくとも障がいのある人たちをもっと活かす社会をつくっていかなければならないのではないかということだ。これまで彼らの居場所・働き場所をつくることを目的として、その結果支援事業所が増え続けてきた。けれどもこの先障がいのある子が増え続けていく中で、事業所をそれに比例して増やしていくことがよいとは思えない。これだけ障がいのある人が増えていく中で、ある意味それはこの先隔離にもつながるのではないかと思うのだ。だからこれからは彼らを含めて考えていく社会にしていかなければならないと思うのだ。それは障がい者だけでなく、高齢者やマイノリティの人々も含まれてくる。まさにバリアフリーやユニバーサルデザイン、あるいはインクルージョンと呼ばれるものであり、ダイバーシティと呼ばれる社会だと思うのだ。そこを行うための第一歩が障がい者を活かす方法を考えるということだ。
             
             
 障がい者を活かす社会にしていくためには、社会の価値感が変わっていく必要がある。大きく言えば経済至上主義、物質主義の転換として捉えないといけないかもしれない。ところが現在社会はそれらこそが中心に居座っているようにも思える。政府の言うこと、企業人のいうこと、メディアもそれらを煽ることばかりしている。けれども社会はそこから抜け出そうとしているのも現実だ。だからこそ彼らは国民をつなぎとめるために補助金を出しまくり、メディアで持って消費欲をくすぐろうとしているとも言える。彼らの悪あがきに惑わされず、社会の価値を変えていくための一手を行うか。それこそが今問われており、取り組む価値のあるべきものと思うのである。
             
             
             
             
   らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2016年8月17日 (水)

What's Next?

僕が今障がい者の支援に関わっている理由は、

重症心身障がい児者と呼ばれる人たちがもっと外に出て、いろんなものを見たり、いろんな体験をしたり、いろいろな人と触れ合ったりすることができるようにしたいとの想いから。

彼らにも社会に影響を与えることがある、

その役割があると信じているから。

その影響や役割とは、社会の人々の価値観を変えていくこと。

そして(社会の人々に)「働く」という意味をもう一度考えてみてもらいたいこと。

それらを行うためには、彼らに対する社会の理解が必要ということで、障がい者の支援を行っている。

けれども一方で、重症児者は、意味のない存在、いなくても良いのではなどと考える人がいるのも確かなこと。

だから殺害したりする人がいる。

例えそこまでいかなくとも、彼らは「働くことのできない」存在、「役に立たない」と思っている人は多い。

今回戦後最悪級の殺人事件が起こり、それも対象が重度の複合障がいを持っている人達だった。

そのニュースを見て、

かわいそう、ひどい、許せないなどと思うことはある意味簡単なこと。

では、その次は?(What’s next?) となると時間とともに忘れていくというのが実情だろう。

彼らを世話することはとても大変なこと。

中には彼らを見放す親だっているのだから。

そしていくら彼らのお世話をしても、彼らをコントロールしようと思えば、それは無理な話し。

正直僕は彼らの直接的なお世話に携わったことはない。

彼らの在宅生活における必要なものは何かを調査しただけ。

けれども僕はかつてベッドに縛られた高齢者を見てきた、無残な死に方をした高齢者を見てきた。(介護してきた。)

そしてそれを変えようとして、挫折して、そこから再び立ち上がり、一生懸命働いて、

10年後に初めて満足して死んでいってくれたと思った。

ようやく満足いく介護(看取り)ができたと思った。

でもこれははっきり言って自己満足の世界。

僕の中のカルマの除去をしたまでのこと。

じゃあ次は?(What’s next?)

やっぱ重症児者を外に出られるようにするために、社会の理解を促進させるということ。

でも今やかつてのように体は動かない。

以前のような体力もなければ、この分野の経験も浅い。

だから以前のようなやり方は通じないし、例えできても失敗するだろう。

けれどもその為にこれまでの学びがある。

それらの学びを活かしつつ、10年かけて今度はみんなが納得いくものをつくりあげたい。

それが僕の残りの人生の使命のひとつだから!




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2015年12月23日 (水)

便秘でお悩みの方向けルポ~介護現場~夜勤帯のおバカな職員たち!

東京にあるベッド数86床の特別養護老人ホームの出来事である。

2階に44床、3階に42床、つまり2階に44人、3階には42人の入居者が暮らしていた。

現在介護施設はユニット性(少人数制)や個室が主流となっているのだろうが、当時はまだ4人部屋が主であり、個室はあっても1室か2室、もしくは2人部屋がわずかにある程度だった。

その施設では夜勤帯は各階2名計4名の介護職員が勤務していた。


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ある日の夜勤のこと。

その日はヨッちゃんとの夜勤だった。

ヨッちゃんは当時20代前半のキャピキャピのギャル(死語?)で、普通の子とは全く違った思考回路の持ち主だった。

よく言えば超個性的、悪く言えば超エゴイスト。

今はどうか知らないが、かつての神田○ののような子だった。(顔も似てるかも…?)

ひと言でいうと、よく介護職員としてやっているなと思える子だった。(事実介護職員を辞めた後は夜のお仕事に…(という噂))

けれどもヨッちゃんとはお互い変わり者同士ということで仲の良い職員の1人だった。



さて、夜勤の仕事は忙しい。

夕食介助を終え、誘導、着替え、臥床、後片づけなどなど諸々の仕事をしなければならない。

遅番の職員も19時までだ。

残りはすべて夜勤職員でしなければならない。

ひと段落すると職員もお腹がすくのでわずかな時間で夕飯をかき込んで、今度は消灯時のトイレ誘導をして、入居者をベッドに寝かせ、その後も洗濯等諸々の仕事が待っている。

テキパキこなしていかなければどんどん仕事が溜まっていき、朝まで働きっぱなし状態となってしまう。

なんといっても夜勤者は17時から翌日10時までの17時間勤務だ。


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消灯時の仕事が終わり、ようやく1時間ほどの小休憩。

スタッフルームに戻ってくるとヨッちゃんが何を思ったかお茶を出してくれた。

「コレお茶どうぞ。一緒に飲みましょ。」

「エッ!何?どうしたの?」

これまでヨッちゃんがお茶を出してくれたことなどない。

一体何が起こったのかと驚きつつ、少々不安にかられつつ、それでもヨッちゃんのその行為を有難く思いお茶を頂いた。


半分ぐらい飲んだころヨッちゃんが、

「これお通じの良くなるお茶だから。」とひと言。

「何それ?このお茶でお通じがよくなる?」

何かあるのではと思ってはいたけれど、そんなお茶とは知らず飲んでしまった…。

けれどもお茶だし、いくら便秘にいいとは言いつつ大したことなかろう、と思って全部飲んだ。



そして再び仕事に戻る。

今度は12時前の排せつ介助、巡回、そして別の階のヘルプにも行き、洗濯ものの作業だ。

それらの仕事を終え、まずはひと通りの仕事が終了。時間は0時30分。

椅子に座って書き物などをして1:00。仮眠の時間となった。

その日は先に仮眠を取らせてもらうことにした。

ヨッちゃんに「休憩頂きま~す」と告げ、休憩室でひと休み。



2:30仮眠終了。ヨッちゃんと引き継ぎをして、今度はヨッちゃんが仮眠の時間となる。

しばらくしてから各部屋に入居者の様子を見に巡回へ出る。

懐中電灯を片手に201号室から211号室まで順番に入居者さんの状態確認。

みなさんスヤスヤ眠っている。



順調に205号室まで巡回を終えた時、それはいきなりやって来た。

お腹が急にギュ~っと音を立て、猛烈な便意が僕に襲ってきた。

「ウワッ、何だこれ!」

これまでに経験したことのないほどのトイレに行きたいモードだ!

巡回の途中であるけれど、業務中断も仕方がない。

僕は職員トイレへとダッシュした。

職員用トイレはスタッフルームの裏側にあり、配置的に回り込むような構造になっている。

小回りを利かせ超速ダッシュする。アコーデオンカーテンを開けトイレの前までやって来てドアを開けようとすると、鍵がかかっている!

何故?

何故鍵がかかってんの???

もしかして…ヨッちゃんが先に入っている~!


待とうとするが、もう待てない。

早く終わらせよ~と怒鳴りたいところだが、そうもいかない。

このままではヤバイ!


そして僕は再び走った。

今度は入居者さんの居室へ!

そして「トイレ借ります!」と声なき声で断り、大急ぎでトイレに座る。


セーフ!!

怒涛の勢いで…、超大量の○○〇が…。

ズボンをあげ一連の作業が終わると、何だかどっと疲れてしまった…。



その後巡回を終わらせ、いくつかの仕事をこなし、再びひと息つきにスタッフルームに戻ると、ヨッちゃんが

「すごくない?」

「すごいどころじゃないよ!死ぬかと思ったわ!」

笑い転げるヨッちゃん。



そのお茶はセンナ茶
と言われるものだそうだ。

こんなお茶が世の中にあるとは知らなかった。

今もその名を覚えている。


そうして何とかその日の夜勤を終わらせた。

もしあの時、トイレに間に合わなかったら、一体どうなっているのだろうかと考えると恐ろしくなる。

まあ特別養護老人ホームだけに紙おむつは溢れるほどあるのだが…。

そして都心から郊外への太陽が照り付ける電車に揺られ、居眠りしながら帰っていった。



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もう会うこともないだろうけど、もしヨッちゃんと会うことがあれば、きっとあの日の話題で盛り上がるだろう。

風の噂ではヨッちゃんは今では2児のおっかさんになってるという。

当時の性格からするとモンスターペアレントになっているのではないかと心配する今日この頃であるが、いいお母ちゃんになっていることを願う次第である。



最後に便秘でお悩みの方お試し下さい。








らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年11月18日 (水)

生きる原点を考えさせてくれる映画

先日「Lifersライファーズ 終身刑を超えて」 という映画の上映会に参加してきました。この映画はアメリカで殺人や強盗などの事件を起こし、終身刑を受けた人々の更生についてのドキュメンタリー映画です。


現在アメリカ合衆国には200万人の受刑者がおり、そのうち10万人以上が終身刑受刑者とのことです。そこで彼らの更生を目的としたアミティという民間団体が、受刑者に対して刑務所内で実施する更生プログラムの様子や、自分の犯した罪を反省し更生したことが認められ仮釈放となり、同団体が設立した社会復帰施設で生活する(元受刑者の)様子を撮影したものです。
 

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映画を見て分かったことは、受刑者の多くが子供の頃に性的虐待や暴力などを受け、その心の傷が修復できずいるのです。なぜならその心の傷の修復を手助けしてくれる人も環境もないからです。唯一その心の傷を埋め合わせてくれるものがドラッグやバイオレンスなのであり、そこに彼らは陥っていくのです。けれどもそれらは当然ながら一時的に和らげるものでしかありません。いつしか心が壊れてしまい、我を失くし、気がつけば事件を起こして刑務所へ収容されているのです。そして例え刑期を終え出所しても、刑務所内で心の傷は修復されることはないままなので、更には社会から疎外されるため、再び事件を起こし刑務所へ戻るという悪循環が繰り返されるのです。


そこで彼らの更生を促すために、刑務所内にアミティのカウンセラー(かつての受刑者)が入り、当事者同士のピュアカウンセリング等様々なセッションを通じて、自分自身のことや自分が犯したことの事実を振り返っていき、心の修復を図ろうとしているのです。その振り返る手順は、

 
①(事実を)受け止める

 
② (お互いが)支え合う

 
③ (何か・誰かの)役に立つ

この3つを順次行い、繰り返すことによって、反省を促すと同時に自分自身の客観的にみることによって心の修復を行っているのです。



この映画を見て私が思ったのは、彼らが更生していくために必要なことは、、

Ⅰ支えが(受け止めてくれる、あるいは支援してくれる人や機関)が必要なこと

 
Ⅱ(自分自身が)社会に役立つこと、役立てることを実感することが必要なこと

という2つのことです。そしてこの2つのことは私が現在考えている社会福祉に共通することなのです。


現在私が行っている福祉の仕事は、障がい者の支援ですが、私が彼らに必要と思うことは、

 
ⅰ)今ここにいるという価値(=存在価値)が認められること。

 
ⅱ)支え支えられ、何か(誰か)の役に立ち、それを実感し喜びを感じること。

 
ということなのです。変な言い方になってしまうかもしれませんが、映画の中の受刑者のカウンセリングと同じことなのです。


そこで思うことは、もしかするとこれら2つのこと、~存在価値が認められること。そして何か・誰かの役に立ち、喜びを感じること。~は、受刑者や障がい者にかかわりなく、すべての人間がこの世に存在し、生きていくということの原点の一つではないかということです。



私たち(一般?)の人間も、存在価値が認められなければ、生きていくのは辛く感じます。また何か・誰かの役に立ててこそ生きがいや喜びを感じることができます。そこにはどのような身分も経歴も関係ないのです。私たちはついつい日常生活の中でそのことを忘れてしまっているのではないでしょうか?


「ライファーズ 終身刑を超えて」 印象に残る映画でした。










らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年11月 4日 (水)

ありがとうのちから

祉の道を歩む人たちの動機は様々だと思います。先輩の話を聞いて進もうと思った人、おじいちゃんおばあちゃんにかわいがってもらったことから介護士を目指そうと思った人、あるいは障がいのある兄弟がいたことなど、それぞれきっかけがあることと思います。私が福祉の道を進もうと思ったきっかけは「ありがとう」の言葉からです。最初はお金儲けの不純な動機もありはしたのですが、「ありがとう」の響きに負けてしまいました。今回はそのお話をしたいと思います。


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代後半バックパッカーとしてオーストラリア・東南アジアを約4カ月かけ旅をしてきたのですが、それを終えて日本に戻ってきた際に「さて、これからどうしよう?」と考え始めました。その数年前から「経営コンサルタントになりたいなあ」と思っていたものの、これまで製造業で営業やメンテナンスしかしたことのない私がいきなりそうなれるものではありません。更に当時は住所不定、無職状態であり、まずは住処を何とかしなければと思い、行き着いた先が横浜であり、知人宅での居候生活でした。


居候先は自営業をしていたためその仕事を夜間は手伝っていたのですが、日中かなりの時間を持て余していたので時々近所にある釣り堀に行き魚を釣りながらボ~ッと時間を潰していました。釣りをしながらある時ふと周りを見渡すと壁の向こう側に「特別養護老人ホーム」という文字が壁に掲げられているのが目に入って来ました。


そういえばかつて友人が福祉の資格を取るので老人ホームに実習に行くって言ってたな~、とかつての友人との話しを思い出しました。暇だからどんなところか見にボランティアにでも行ってみようと思い、早速その特別養護老人ホームに電話し、ボランティアをさせて欲しい旨を伝えたのですが、「現在そのようなことは募集しておりません。」と断られてしまいました


現代ならば決して断られることはないのでしょうが、当時はまだ介護保険の制度もできておらず、まだまだ閉鎖的な場所だったのです。そのため「何だ、人の行為を!」と思いつつ、断られたものは仕方がないので、再びどうしよう?と考えながら近所を散歩をしていると、今度は市が運営する「養護老人ホーム」が目の前に現れたのです。ではここで!とボランティアを申し出たところ、今度は「いいですよ。」と承諾してもらえました。


けれどもそのころの私は養護老人ホームと特別養護老人ホームといっても何がどう違うかも分かっておらず、そもそも福祉というものさえよく分かっていない状態でした。まあ爺ちゃん、婆ちゃんが何かの事情でそこで暮らしているのだろうとぐらいしか思っていなかったのです。(今考えるといきなり最初に申し出た特別養護老人ホームに行っていたなら、福祉をやろうと思わなかったかも知れません。)


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それから養護老人ホームにボランティアに行き始めたのですが、そこで与えられた主な仕事は掃除でした。あとは話し相手であったり、たまに部屋まで車いすを押したり、おじいちゃんおばあちゃんの手をつないで部屋や食堂まで連れていくということでした。


そんなわけで特に大したことをするわけでもなく、ただ単におじいちゃん・おばあちゃんを部屋まで連れて行っただけなのですが、去り際にその方々から「ありがとう。」と言われたのです。


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そこで化学変化が起こったのです!

その「ありがとう」という言葉が何だかとても心地よく感じたのです。

企業で働いていた時も機械を修理したり、点検したりした後に、お客さんから「ありがとう」と言われていました。けれどもその「ありがとう」とは全然心への響き方が違っていたのです。

「この感覚は何!? 一体なぜ同じ『ありがとう』という言葉でもこんなに違うの?」

と思いつつ、その心地よさは日本に戻ってきて以来ずっとどんよりしていた私の心に火をつけたのです。それから約2週間私はその老人ホームにボランティアに通い、心地よい「ありがとう」に触れ続けたのです。


こんなに喜ばれて、また自分も気持ちいいならば福祉の世界で働くのもいいなあと思い始めたのです。「そうだ、福祉コンサルタントになろう!」と思い、それから十数年間私は現場で高齢者から「ありがとう」の言葉を聞き続けることになるのです。


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もし今あなたが企業で働いていて、私はここで一体何のために働いているのだろうと悩んでいるならば、福祉体験をしてみるのもいいかもしれません。介護業界や高齢者福祉といえば、安月給に、長時間労働、そしてその離職率の高さもなにかと話題となっていますが、そこにはそれら以外の別の価値があります。


上辺だけではない本当の人の優しさを感じることもできれば、人の死に向き合い、生の意味や人生の意味を考えさせてくれます。そして何よりも純粋に「ありがとう」という言葉に何か感じるかも知れません。まあもちろんヘタをすると罵声を浴びせられるかもしれないけれど、それはそれでまたご愛敬です。


らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年9月30日 (水)

あの世とこの世の境界線をみた

見えない世界があることを信じる人もいれば、信じない人もいることでしょう。魂の話しも、幽霊の話しも、すべて信じないという人も多く、逆にそのような話しをしようとすると変な目で見られることも多いのも事実です。けれども見えない世界を体験した人にとって、それは夢や幻ではなく、確かに存在する(もうひとつの)世界なのです。


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私が初めて見えない世界があるということを感じたのはタスマニアで遭難しかけた時のことでした。(その時のことは別の記事に書いてあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。)二度目に別の世界があると感じたのは、それから67年後のことで老人病院(療養型病床群)と呼ばれていたところで働いていた時でした。今では老人病院という言葉はなくなりましたが、かつては脳梗塞などの後遺症により家に帰れなくなり、かといって老人ホームにも入れない高齢者たちが、社会的入院と称して、病院で暮らしていたことがあります。そのような行き場のない高齢者が暮らす病院を老人病院と呼んでいました。そこで働いていた時の出来事です。



その日私は夜勤だったのですが、夜間に患者さんの1人が亡くなられました。亡くなられた方がいらっしゃった時には、死後処置として、その方の体を拭き、着物を替え、口や鼻などに綿を入れ、死後の姿を整えます。(ちょうど映画の「おくりびと」のようなものです。)看護師さんと一緒にその方の最後のお世話をさせていただきました。そしてその後その方をご家族と共に霊安室までお連れしました。



患者さんが亡くなられた時というのは、何度経験しても悲しいものです。たとえその方が問題の多い患者さんだったとしても、その思い出が懐かしいものとして蘇ってきますし、あるいは例えその人が入院してから数日間だったとしても、その数日間の出来事が思い出されたりするのです。ましてや何カ月もお世話をさせて頂き、一緒に笑い合った患者さんなど、走馬灯のように思い出が蘇り、涙をこらえるのが精いっぱいです。お別れの時というものはいつも辛いものです。


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さて霊安室にその方をお連れしたと言っても、その方がそこに長時間いるわけではありません。お迎えの車がやって来るまでの数十分から数時間です。そこから家に帰る人、お寺に行く人、あるいは今ではそのまま葬儀場に行く人など様々なのですが、いずれにしろそこはお迎えが来るまでの一時的な場所にしかすぎません。そしてお迎えの車が来るとその方の最後のお見送りとして、その方に関わったできる限り多くの職員が1階へと降りていきます。私もその1人として最後のお顔を拝見し、お見送りするために降りていきました。



その患者さんは深夜に亡くなられ、6時過ぎの朝早くにお迎えの車がきました。その為お見送りする職員も数人だけでした。ご家族の方数名もその場にいらっしゃったのですが、その中におそらく曾孫さんらしき、まだ3歳になるかならないかの小さな子供が母親に抱かれていました。その子は曾婆ちゃんが亡くなったことなどきっとまだ分からないことでしょう。母親に抱かれながら、時折何かしゃべりながら笑顔で曾婆ちゃんの顔を見ていました。



運転手の方がその方をストレッチャー(台車)に乗せ換え、霊安室から車まで移動します。それに付き添って家族と職員も車まで移動します。車に到着し、運転手はその方をそのまま車に乗せられました。そして手を合わせて拝んでから振り返り、家族に向かい「ドアを閉めさせて頂きます。」といってドアを閉められました。


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ガチャッという音と共にドアが閉められた瞬間何だか世界が区切られたように感じられました。するとそれと同時に母親に抱かれていた小さな子供が突然泣き出したのです。ついさっきまで笑っていたその子が突然大きな声を上げて泣きはじめたのです。



「ああ、この子もきっと何かを感じたのだな」と思いました。この子はまだものごとを論理的には分からないけれど、直観ながらに曾婆ちゃんが亡くなり、もう会うことができなくなることが分かったのだなと思いました。その子と亡くなられた曾婆ちゃんがどれほど会って、話したことがあるのかは分かりません。けれども子どもながらに死を感じたのだと思いました。同時に、大人にはもう分からなくなってしまったけれど、子供には何か見える(感じられる)ものがあったのだ(あるんだ)と思ったのです。



子供の心は純粋です。その純粋な心であるから感じられる世界があります。もしかすると子供や動物などには見えたり感じたりする世界が当たり前のようにあり、(その純粋な心を失ってしまった)大人には見えない(忘れてしまった)世界があるのかもしれません。


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以上が、私が見えない世界があることを感じた二度目の出来事です。これと同じようなことが皆さんにもこれまでにあったのではないでしょうか? 私たちはあまりに見える世界にこだわり、そしてエゴに囚われるあまりに、いつしか子供の頃には見えたものが見えなくなってしまっています。それさえも忘れてしまっていると言ってもよいでしょう。けれどもそれを取り戻すことは不可能ではありません。意識と心がけ次第で取り戻すことが可能です。その為の努力をしてみませんか。きっとそこには新たな世界が広がります。






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年6月10日 (水)

直接援助と間接援助

 このところ久々に仕事で対人(直接)援助に関わっている。

 今回は障害者の一般企業への就労支援であり、以前やっていた高齢者福祉とは全く違うので分からないことだらけだ。その為いろいろと調べながら、相談しながら、制度の狭間を行くか、それとも制度を利用するかと頭を悩ませながら進めている。例えて言うならば、パズルのピースをひとつ一つ見比べながら組み立てているようだ。

 けれどもそれが実に楽しくて楽しくて仕方がない。

 嗚呼、自分てこんなことが大好きなんだ!と改めて実感している。

 ここ1年どうやってお金を稼ぐかってことで(頭を悩ませ、)試行錯誤の連続だったのだが、その悩みとは全く次元の違う試行錯誤を楽しんでいる。またこの数年は人への直接援助ではなく、当事者とは直接かかわることのない間接援助を行ってきたので、久々にじかにこの人(とその家族)のために動いているということが実感できその有意義さを味わっている。

 ということで楽しみながら自分のできる限りを尽くそうと思っているのだが、今自分が行っている支援は、本人と家族の自立と自己実現のための選択肢をひとつ増やしているという想いなので、最終的に自分が提示した援助が本人家族に選ばれようと選ばれまいとどちらでも構わない。

 一番大切なのは本人と家族がベストと思えることが選択されること。(本人の将来ベストとなれば一番良いのだが…。)

 自立を支援し、その人の幸せに一歩近づけること。それができることが自分にとっての幸せ。その人が喜んでくれる姿が見られたならば一番うれしい。

 けれどもこの支援が終わると、再びお金を稼ぐことの試行錯誤が始まる。純粋に対人援助に専念することができればいいのだが、直接援助では自分が支援できる人には限りがある。 

 今回はより多くの人々が、幸せを感じることのできる基盤(仕組み)を作ること。

 そのことを理解してくれる人はまだまだ少ない。なんせ公共的なことにも関わらず、国(税金)に頼らずに社会の理解を促しながら進めていこうとしているのだから。周りからそれでどうやって食べていけるの?と聞かれる。それに対して「なんとかなるんじゃないの?」としか答えるしかない。

 まだまだ先は不透明。それでも何故かその方向に向かっている。それも(人からいくらスピード感がないと言われようと)自分のペースで行っている。自分でも論理的には分からないけれど、きっと直観的にあるいは魂的にその先には光があることを感じているのではないかと思う。

 だから崖っぷち綱渡り状態ではあるけれどこのまま進みます!

 ちなみに先日友人から今度(知り合いの)霊能力者に会うから何か尋ねたいことがあれば聞いてあげるよと言われたので、自分の今行っている仕事について訊いてみてもらったところ、

「天職です。そのまま続けて下さい。けれども今あなたの周りにお金の神様はいません。」

と答えが返って来たそうだ。もうしばらく崖っぷちが続くのかな???

 もうしばらくこのスリルを楽しむしかない!




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~もよろしくお願いします。