セルフポートレイト

2017年5月31日 (水)

エンジェルナンバー現る!

数字には古くから神秘的なものとつながりがあると考えられているそうです。それぞれの数字にはそれぞれの周波数があり、私たちに影響を与えていると考えられているのです。万物は数字でできており、その数の法則で、その人の性格や欲求までも予知できるともいわれているのです。その代表的なものがカバラ数秘です。占いなどでカバラ数秘術占いとして出てくるので聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。その他にエンゼルナンバーというものがあります。これは、私たちの周りには常に天使がおり、その天使が数字を通じて私たちにメッセージを送ってくれているというものです。


Photo_3


さて、先日、このところテンションが低い日が続いており、この先どうしよう~仕事も含めてこのまま続けた方が良いのか、それとも思いきって切り替えた方が良いのだろうか~と、将来をネガティブにとらえてしまう自分がいました。そこで先日ご縁をいただき「(私が)この人すごいな」と思った人の下に(人生)相談に行きました。その際話の中で私の波動を測ってもらうことがありました。左手の人差指を紙に書かれてある数字の上に乗せ、右手の親指と人差し指をつなげて輪っかを作り、いわゆるOリングテストで調べていくのですが、そこで出てきた数字が、444と222でした。(Oリングテストについてはコチラを参照ください。)


私の(潜在的に)持ち合わせている周波が444、現在までの周波が222とのことです。その解説として私が持ち合わせている周波(=持っている可能性の引き出し、あるいは救うべき人の数)は444であり、これまでに自分の持ち合わせている引き出しの222を開けてきたとのことで、残りの222を開けていく努力をしなさい。そしたら444は次に1000、あるいはそれ以上にもなりうるとのことでした。


Photo_2


その解説を聞いてその時はなるほどと思ったのですが、けれどもそのあとこのゾロ目の数字444222には何か意味があるのではないかと感じたのです。なぜなら波動の値はゾロ目である必要はなく、例えば423でも、227でも構わないのです。けれどもなぜかテストの結果見事にどちらもゾロ目がでてきました。そこで私の中でひらめいたのがエンゼルナンバーでした。


Photo_4


そこでエンゼルナンバーを調べてみたところ、


エンゼルナンバー444
あなたの周りに何千もの天使がいます。あなたは完全に天の存在から愛され、サポートされ、導かれています。あなたはとても強くはっきりと天使の領域とつながっていて、あなた自身が地球の天使となっています。なにも恐れることはありません。すべてうまくいっています。

444はなにも恐れることはないというメッセージです。すべては起こるべき時に起こり、うまくいきます。あなたのやっていることは成功します。あなたの手の届くところに、愛とサポートを与えてくれる魂がいつもいます。


エンゼルナンバー222
関わっている全ての人に神の恩恵があるので、想像どおりに全てうまくいくことを信じてください。心配を手放し信じる心を持ってください。

長期的に見てすべては一番ベストな形で現れます。あなたのエネルギーをネガティブなものに費やさないでください。すべてが含まれた最高の善のために、全てのことがうまくいくように魂が働いていてくれます。222はまた今あなたがやっていることをこのままやり続けてくださいというメッセージでもあります。あなたが明示したことが結果として現われようとしています。


ということでした。余りに素晴しいことが書き綴られており、ビックリ仰天するのですが、私は地球の天使(お世話係り)になりたいなーなんて思ってもいるものの、まだまだ遥か彼方であり、そこには至らないのが現状だったりもします。それでも「222」のメッセージの中には、「あなたのやっていることをこのままやり続けてください。」とあり、今回今後の活動についての相談に行ったのでドンピシャ!でもあります。そしてどちらの数字にも「恐れるな」「ネガティブになるな」というメッセージがあり、自分の中にある不安を指摘したものとなっています。


Photo_5


その方との話を終え、家に帰り、ひと仕事しようとミカン畑に行ったところ、今度は3匹のモンシロチョウが現れました。普段なら(人が近寄ると)すぐに逃げていくところを、いつまでも自分の前をじゃれ合うように舞っているのです。初め1匹はみかんの葉に止まっており、2匹がその付近をひらひらと舞っていたのですが、しばらくすると葉に止まっていた蝶も飛び立ち、3匹が一体となって舞い始め、その姿はいかにも楽しんでいるようでもあり、自由自在でもあり、とても不思議な光景が目の前に現れたのです。


もしかしてこの3匹の蝶にも意味があるのではないかと思い、エンゼルナンバー「3」の意味を調べたところ、


エンゼルナンバー3の意味
アセンデットマスターがあなたの近くにいます。あなたの祈りに応えて、助けてくれています、とのことでした。ちなみにアセンデットマスターとは、イエスやブッダのように、以前いた聖職者やヒーラーのことです。


更になぜ「蝶」なのか気になったので調べてみたところ、蝶には、魂や輪廻転生、復活、あるいは美や喜びの意味があるそうです。こう調べていくと何か全てがすごく意味深の世界が広がっているように思えてきました。やはりこの現実世界(3次元世界)とあの世(5次元以上)はつながっているのです!

Photo_6


ちなみに話しが逆戻りするのですが、相談中に出てきた話しの中には、守護霊は変わりうること、守護霊は直接何かをすることはないが、間接的に知らせてくれること、感謝と実践が大切であること。好奇心を持ち続けること。出逢い、縁を大切にすることなど様々な話しをしていただき、こちらもものすごくためになるものでした。「求めよ!さらば与えられん」の如く、今の私に必要なことをダイレクトに、間接的に、そしてスピリチャル的に与えてくれた頂いた時でした。人生求めて、願い、祈れば、その答え(ヒント)を何らかのカタチで与えてくれるものですね。きっと守護霊さまは大忙しな一週間だったことでしょう。この一週間だけでなくこの先も大忙しかもしれません…(^^)


数字には周波数があり、神秘的なものとのつながりがあります。それを信じるか信じないか人それぞれなのでしょうが、私は信じたいと思いますし。今回は信じます!そういえば相談しに行った方との話しに最初に出てきたことは、「宇宙は数字でできている。」ということでした。これもまた不思議なことです。ふと目覚めて時計を見ると同じ数字が並んでいたとか、いつもこの数字が現れるよなとおもう時など、その数字は天使(守護霊)からあなたへのメッセージである可能性があります。数字が気になった時、その数字の持つ意味を調べてみることが、人生を変えることにつながるかもしれません。

 

ちなみに相談に伺った先は、龍源先生 です。すごい方です!

2905_3
(実際にみかん畑で出会った蝶、一匹はみかんの葉にとまっているところ。)



エンゼルナンバー参照HP:「Timeless Edition エンジェルナンバーとは?
             

            
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

2017年5月24日 (水)

僕らは地球のお世話係を目指して

 らいふあーと~僕らは地球のお世話係~で伝えたいことのひとつは、物質やお金一辺倒の世界から「心」や「精神」を大切にする「心の豊かさ」を求めていきましょうということです。

行き詰まり
 バブル経済が崩壊して25年以上、四半世紀以上が経つにもかかわらず、いまだ日本は社会の停滞にあえいでいます。これまでにニュース等でいざなぎ景気を超える景気拡大期間であるとか、つい最近では「(経済)成長」「景気拡大」と連呼されていますが、それを実感する国民はいったいどれほどいるのでしょうか?ほとんどいないのではないでしょうか?

 思えば戦後の高度成長期から文明の利器はどんどん進化を続け、人々の生活を一変してきました。日常生活、仕事、学習環境をはじめありとあらゆるものがそのスタイルを変化してきたと言ってもいいでしょう。と同時にそこには常に「お金」がついて回るようになり、それを著しくエスカレートさせたのがバブル経済であり、そしてその後の金融経済でしょう。

 けれどもこの文明の利器=物質主義は人々に便利をもたらすと同時に自然などの環境を破壊してきたことは誰もが認めることでしょう。今や放射能に汚染され、大陸からはPM2.5などの大気汚染が海を越えてやって来ており、海洋資源は減少し、そして国土は乱開発されてきました。

 また科学技術の進化は便利さを手にすると同時に、私たちの生活スタイルを否応なく変化をもたらし、そこには生きづらさも生み出され、人々に精神的不安定をもたらしたことも否めません。社会的に追い詰められ、精神が蝕まれ、遂には自らの命を絶つ人が増加していることも誰もが認めるところでしょう。

 こうしてバブル崩壊後より四半世紀以上日本は立ち直れず、社会の行き詰まりに面したまま今日に至ります。


科学の進歩
 江戸末期から明治にかけ、日本は自国の存亡をかけ、国家体制の大転換を成し、西洋科学を取り入れ、科学文明を進歩させてきました。科学に進歩により私たちの生活は便利になり、楽になり、そして豊かになったことはこれもまた誰もが認めることでしょう。今ではボタン一つでご飯が炊け、洗濯ができ、遠くに離れた人とコミュニケーションがはかれ、またあらゆる面で時間の短縮が可能となってきました。

 けれども科学の発達と同時に失くしてしまったもの、忘れてしまったものがあることも否めないのではないでしょうか。今私たちはかつての不便さは、人とのつながりをもたらしており、あるいは体力や忍耐を養っていたことを思い出しつつあります。

 そこで私は思うのです。この失くしたもの、忘れてしまったものを、何らかの方法で取り戻すことができれば、この25年以上感じ続けた社会の行き詰まりを突破し、新たな世界を手にすることができるのではないかとうことを!


宇宙へ!
 現在世界で唯一多くの人々に夢をもたらしているのは「宇宙世界」ではないでしょうか?科学の進化により、宇宙がどんどんと身近なものとなってきています。かつては宇宙に地球のような星はないと考えられてきたものが、今では地球と同じような環境を持つ惑星が宇宙には無数にあることが分かってきました。そしてそこには生命が存在するのではないかという期待、果ては私たち人間と同じような高等生命が存在するのではという期待も高まってきています。その答えが分かるのもそれほど遠い先ではないことでしょう。そこでこの宇宙が身近に迫る今だからこそ地球と人間の関係をもう一度見直すことが必要ではないでしょうか?


日本の文化
 元来日本人は自然と共生してきた民族といえるでしょう。あらゆるところに神様は宿っている「八百万の神」の思想などは、自然を崇めて生きてきたことを物語っています。

 考古学の調査の進展により、縄文時代は一万年あまり続いてきたという驚異的な事実が明らかになってきました。そしてそこにはこれまで考えられてきた以上の、想像をはるかに超える文明があったことが分かりつつあります。

 縄文時代の終わりには大陸からやってきた人々により弥生時代が始まり、そして奈良、平安、鎌倉、戦国時代へと続いていきます。もともといた人と文明、やってきた人々とその文明は時に争いももたらしますが、時代とともにそれらは統合され編成され、日本独自の文化となります。そしてその結果は江戸末期西洋から来た人々により、極東の地にパラダイスがあったと評されるものとなっていたのです。


間違える
 日本が作り上げたパラダイスは、日本はグローバル化を目指す上で一旦捨てなければならなくなります。科学文明を取り入れ、それを進化させ日本は、世界の中での国を歩んでいきます。それは日本ばかりではなく、西洋を中心に世界の国々がそうなっていきます。そして科学はますます進化し、それにより地球はどんどんと小さくなってきたといえるでしょう。けれどもここで人間は傲慢になってしまい、間違いを犯してしまいます。科学は自然を超越できるものであり、それを発明し使う人間は自然(地球)を支配するものと思いあがってしまうのです。それは日本(人)も同様です。かつてものを最後まで使い切り、ものを大切にするという心は捨て去られ、使い捨てられ、次から次へと消費・消費となってしまいます。そこには自然を崇拝する精神も失われ、それが故に環境破壊がもたらされるようになりました。


思い出す
 けれどもどんなに科学が進化しようと、暮らしが変わろうと、わたしたち人間の生活は、生命は地球上で行われていることには違いありません。そしてその暮らし、生命を繋いでいるものはすべてこの地球の恵みによってもたらされています。水、大地、空気(酸素)、食べ物等すべて地球の恵みです。宇宙からの恵みもあります。太陽の光、星々さまざなものが人間の生活に影響を与えています。それを人間が生きていける程度にしてくれているのが地球です。科学文明がここまで発達した今、宇宙が目の前に迫ってきた今こそ私たちは地球との関係を見直すべき時ではないでしょうか。そして地球の恵みで生きていることを再確認するべきだと思うのです。


宗教を超えて
 歴史の中でさまざまな宗教が生み出されてきました。それらは時代を超えて人々の生きる支えとなってきたことは確かです。けれども同時に今日までそれが原因で人間の争いとなっていることも明らかです。

 人間誰もが平和に暮らしたいという願いを持っています。生きる支えを必要としています。残念ながら今の宗教ではこの目的を全面的には果たせていません。いろいろな宗教がある中人類共通のもののひとつが「地球という惑星に暮らし、地球の恵みで生きている」ということではないでしょうか。

 私たち人間は地球のお世話係りであるということ。それは人間を傲慢さから解放し、謙虚さをもたらし、共通のものをもたらしてくれるものだと思うのです。宇宙へ飛び出す前の今だからこそ地球人に必要な根本思想だと思うのです。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年5月10日 (水)

ミツバチがいなくなり沈黙の春がやってくる農薬問題を実感

ゴールデンウィーク前からミカンの花が咲き始めました。いよかん、レモン、デコポン、カブス、温州みかんと次々と咲いています。木によってほとんど蕾がついていないものから、花が付きすぎている(着花過多)なものまであり、自然界の不思議さを思わずにいられません。


着花過多なものは養分が花に取られすぎるような気がして、「付きすぎや~!」と蕾を取り除きつつ、「お前らな~、もうちょっと加減ちゅうものがあるやろ…」と文句を言ったり、木を見ては喜んだり、悲しんだりと、喜怒哀楽と独り言を言いいながらいよかんの木を世話している自分がいます。我ながらよほどのミカン好きだと思います。


この時期みかんの花が咲くと、花の香りが付近一帯に漂います。近隣は住宅街であり、家の方まで香りが届くようで、みかんの香りがするね~との声が聞こえたりもします。畑の前の道路を通る人たちはその香りに癒されているのです。ミカン畑は地域の癒しでもあるのです。


2905


ここから本題です。このゴールデンウィーク中にひとつ気づいたことがあります。みかんの花咲くころ、その香りに誘われるのは人間だけではありません。虫たちも誘われてやってきます。その代表がミツバチです。毎年ミツバチがやってきてせっせと蜜をかき集めています。ところが今年はそのミツバチがいないのです。


いつもなら自然に目に入ってくるミツバチが今年はほとんど見当たりません。耳を澄ましてあのブンブンいう音を聴こうとするのですがその音もしません。一体なぜ???その日は夕方6時過ぎで暗くなりかけておりそのせいかとも思い次の日もう一度確認することしました。


そして翌日朝再び訪れると、やはりいないのです。木に近づき耳を澄ましたところかすかに音がします。眼を凝らして音のする方を探してみると一匹いました!探さないと見つからないとは…。昨年も少ないなと思ってはいたものの、今年はもっと少ないのです。心配度が増すばかりなので翌日今度は昼間訪れると、昨日よりはおり、ブンブン音も増えていました。少し安心しました。それでもやはり少ないなと思わざるを得ないのが実情です。


2905_2


かつては田畑だらけで、あぜ道が小中学校への通学路とされていたこの一帯も、時代とともに田畑はつぶされ、宅地化され、今ではほとんど田畑がなくなり住宅街となってしまいました。ミツバチが少なくなったのはその影響もあるのでしょうが、頭の中には、もっと別の理由~とある物質~が浮かびました。


ネオニコチノイドです。


ネオニコチノイドとは、ニコチンに似た成分(ニコチノイド)をベースとする、現在世界でもっとも広く使われている殺虫剤で、昆虫 に対して選択的に強い神経毒性を持ちます。1990年代から市場に出回り始め、現在このネオニコチノイド系農薬がミツバチを殺すとして世界で問題になっています。けれども日本ではその認識が低く、現時点でネオニコチノイドの使用そのものに対する規制がない上、使用量の規制緩和が行れるなど他の先進国とは逆の動きも見られています。また、ネオニコチノイド系農薬の残留基準もヨーロッパの数倍から数百倍に達する場合が多いため、日本の生態系に大きな影響を与えている可能性があります。


Photo


日本の農薬使用量は世界トップクラスなことはよく知られています。日本人の清潔志向、きれいなモノ好きが原因で、農作物も虫食いのないものが選ばれます。それ故に農家、農作物生産業者はそういうものを作るために農薬を使用します。その農薬は害虫だけでなく益虫も殺してしまいます。そのひとつがミツバチです。


ミツバチを見ていると、次から次へと花へ移り、花の奥まで頭を突っ込み蜜をかき集め、本当に働き者だなあと思わずにいられません。お陰で受粉が進みます。他の昆虫を見ていると正直ミツバチに比べると怠け者…と言われても仕方がありません。


そのミツバチが減少してきているのです。先日花と風景を撮影するためにダム周辺を写真撮影しながら歩くことがあったのですが、そこでもミツバチを全く見ませんでした…。その後農業を営む友人らと話す機会があったのですが、みな口を揃えたかのように最近はミツバチがめっきり少なくなったといいます。もしこのままミツバチがどんどん減少し授粉が十分に行われなくなったら、農作物はどうなってしまうのでしょう?農作物だけでなく花や木の植物事態が…。


 
幸いなことにミカンはミツバチがいなくても自家受粉するので実はなるのですが、それでもやはり花咲く時期にミツバチがやってきてブンブン音を立てながら蜜をかき集める。それが自然だであり、そこに安心があるのです。


2905_3



このままでは本当に「沈黙の春」がやってくるかもしれません。 見た目にこだわりすぎるあまりに、周辺のものに害を与えているかもしれない。あるいは自分自身の体内に有害なものを取り入れることになっているかもしれない。そして周りも自身も害がもたらされているかもしれない。そろそろ日本人もこのからくりに気づかなければならないのではないのではないでしょうか?



(平成29年8月一部修正)


参考HP:act beyond trust








らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

2017年4月26日 (水)

お金のアファメーション

いつの頃からかお金に対してネガティブなイメージを持っている。

貧困や格差の拡大、政治家のばらまき、そしてパワーエリートによるマッチ戦争の引き起こしとマッチポンプの強奪などを知るたびにますます近寄りたくないものとなっていた。


一時期自分なりにお金とは何かということで、人間を豊かにもするものとして

・人間間のコミュニケーションのアップ

・モノの循環の向上

を掲げ、お金に近づこうとしたが、それでもやはり自分の中で分離したものであった。


そのお陰で(?)今ではすっかりお金と縁がなくなり、アララ状態…。

(それでもちゃんと生きているのが不思議だし、生きていけるのだ!)


多くの人が現代社会を憂い、都会から離れ、地方の里山エリアに移り住み、自給自足的な生活を行いつつも、今の社会においてお金はまだまだ必要なのが現状である。

また多くの人がお金のその正体を理解し始め、更にはエリート層の乱用から、その価値が揺らぎはじめてはいるが、それでもまだしばらくお金はモノやサービスの売買に必要であり続けるだろう。

それに今もしそれが突然なくなったら、社会は更なる混乱となり、新たなる争いが生じることにもなりかねない。

お金とどう付き合っていくかが課題だ。


さて、ここでもう一度初心に戻って、お金について考えてみると、お金があればものは買える。

けれども(人の)心を買うことはできない。

一方でお金で人の心までもは変えないけれど、お金でモノやサービスを買うことによって、(一時的にしろ)心が満たされたり、豊かな気分を味わえるのも事実である。

そして今の社会、現代人の今の概念ではお金は必要である。

いくら田舎に引っ越したといえ、地方都市ではやはり生活の上でお金は欠かせないし、山村エリアで自給自足に近づけてもある程度のお金は必要である。

その中で、お金に対してどのような感覚、考えを持つか?

そんな時出会ったのが1冊の本だった。

はせくらみゆきさんの「リッチマネーの秘密」(徳間書店)である。

(ひとこと断っておくと、この本は本屋での立ち読みで、買っておりません…。申し訳ありません。)

その本をパラパラめくっていると、ひとつのフレーズが目に飛び込んできた。

それは「お金は旅する神様」という言葉。


元バックッパッカーで、旅好きの自分、

山川草木悉有仏性、八百万神を信ずる自分

そして、お金は人間を豊かにもするものを理論的に分かっている自分。

お金はさまざまなな人々の間を行き来し(旅し)、(人々を豊かにもする)神様である!

これなら受け入れられる!


そして更に「リッチマネーの秘密」に書かれているお金の考え方を自分なりに変えて、

お金

お金の「お」は、お陰様の「お」

お金の「か」は、感謝の「か」

お金の「ね」は、ネイチャー(自然)の「ね」

(本ではお金の「か」は感謝の「か」、マネーの「ま」はまごころの「ま」となっている。)

お陰様の感謝をネイチャーに! お金は旅する神様。神様今日もありがとう!!

ということで自分なりのお金のアファメーションができた!


そして更にこの本を見た後、すぐそばにあった小林正観さんの「ただしい人から、たのしい人へ そしてありがとうの人になる」という本を手に取った。

同様にパラパラめくり、目に止まったページには、

「人間は学問(教育)を通じて学ぶのではなく、楽しいから学ぶ。」ということが書かれていた。

ネガティブからポジティブへと変わりゆく時代

お金に対する考えもポジティブにしていく必要がある。

ならば「お金は旅する神様」とは、まさにピッタリだと思った。

いいことに使って循環させれば、旅する神様もきっと喜んでくれるに違いない!

お金をネガティブにとらえている人達、自分なりにポジティブに変えていきましょう。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年4月12日 (水)

現代における宗教の役割

宗教について考えてみた。

最初に言っておくと、自分の宗教に対する考えは、もうずいぶんと前からキリストも仏(ブッタ)もイスラム(マホメット)も見たもの、見た世界は同じであり、ただ表現の違いであること。

それぞれの個性がそこに現れたというもので、根源は同じであるということである。


ただ今回はその部分を題材とするのではなく、別の観点から、つまり宗教の役割という点から捉えてみたいと思う。


自分が思うに、宗教をひと言でいうと、その役割は「(生きていく上での)心のよりどころ」であると思う。

けれども歴史上、そして現在も続くイスラムとキリスト間の争い、そしてこのところ特にクローズアップされるイスラム(過激派)によるテロ、

更に我が国日本においては、数々の新興宗教が設立され、その中には盲信により人生を狂わせたり、他者に危害を加えたりするということも起こり、

多くの人が宗教に対し、その一般的な歴史的価値を認めつつも、レッテルを張り、敬遠しているのが現状だと思う。


それが故に日本人の多くは(戦後)無宗教社会を選び、その代わりに宗教的行事を宗教とせず、生活の中のイベントとして捉えることを選択した。

実際のところそれを仕掛けている企業もあるが…。


宗教という心のよりどころを捨て、その代わりに社会に、そして人々の暮らしの中に大きく台頭してきたものが、物質であり、お金である。

けれども物質はカタチあるモノであり、それは、いつかは壊れ、失われていく。手中にあるようでないもの。

またお金においては数えられるものであり、1億あれば、5億あれば…とその欲望は膨らむ一方である。

そしてその枚数(金額)が減っていくと、今度は逆に心配が膨らんでゆく。


更にそこにプラスして、近頃は権力者・エリートたちのその乱用によりその価値、そして信頼性が揺らいでいるのが現状である。


宗教の信頼が失われ、物質主義の限界が露呈され、お金の信用と価値は揺らぐ。

このような状況の中で、人々は一体何を心のよりどころにすればよいのだろうか?

科学?スピリチャル?芸術?

科学…その進歩は凄まじい。情報のスピード、情報量、どちらも科学の力による。けれども人々はモラル無き科学の進歩を恐ろしく思う。

スピリチャル…ブームである。(個人的に自分もはまっているし、信じている。)けれどもまだまだいかがわしく思う人も多いし、実際にいかがわしい人も多い。

芸術…その可能性あり。けれどもどうやって心のよりどころに?心に余裕は与えるだろうけれど…。それにアートのセンスなんてないわという人も多い。


自分達は今すべてが不透明な時代にいる。

そこに輪をかけて情報過多により混乱は増す一方である。

このような時代の中で人々は生きていかなければならない。

如何に生きるか、何のために生きるか。

そのために何を持って心の拠りどころとするか、何を信じていくか?

生きていくための自信はどうやってつけていけばよいのか?

そこに宗教が再び入りこむ余地はあるのか?

別の役割があるのか?

答えは「分からない。」である。

けれどもその答えをこの先考えていきたいと思う。



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年4月 5日 (水)

あの世での人生プランニング

産婦人科医で池川明先生という人がいます。池川先生は子供の胎内記憶について研究されている方で、幼児期の子供が「空からお母さんのことを見ていた」とか「お母さんと約束したじゃない」など生まれてくる前の記憶を話すことが多々あることから、「子供は親を選んで生まれてくる」ということを唱えられています。


私が初めて池川先生を知ったのは、出産をテーマにしたドキュメンタリー映画「生まれる」という作品を見た時です。その中で先生が登場されその持論を述べられていたのですが、それを知った時は「そんなものなのかな? 自分の場合はどうなのだろう???」としか思いませんでした。もしかしたらそうかもしれないし、そうでもないような…、はっきりとした答えは出せず、そのままにしていたのです。けれども先日やはりそうなのかもしれないと思ったことがあったので、今回はそのことを書きます。


95fcf58b21f4589660f7dfde500c8c8c_s



それは障がい者の支援事業所を立ち上げられ運営している武さん(仮名)との飲み会の席での話しで、武さんの生い立ちを聞いた時のことです。


武さんは小さいころからの家庭環境・経済的環境から、中学生の時バリバリのヤンキーとなります。学校ではつまらない授業をする先生に向って物を投げつけたり、ガンを飛ばしたりする生徒でした。もちろん学校内外でタバコもプカプカ吸っていたことでしょう。武さんがいる中学校は当時市内でも12位を争う荒れた学校といわれていました。その荒れた生徒の1人が武さんであり、武さんは学校を卒業したら先輩同様極道の道をまっしぐらに走って行くものと思っていたそうです。


ところがある日、武さんは母親から父親の悪口をさんざん聞かされた挙句、父親と離婚をすることを聞かされそうです。そして弟にもそのことを伝えるから呼んで来いと言われます。その時武さんは母親に向かって「弟は関係ないだろ。親のいざこざに弟を巻き込むな!」と訴え、これからは弟の面倒は自分が見ていこう、そして弟を守っていこうと決心します。


同時に武さんは弟には大学まで行かせたいと思います。そのために今のように反抗ばかりしているのではなく、勉強して高校だけは出て、きちんと就職して、そして弟を大学へ行かせるための費用を稼ごうと決めます。


それらのことを決めた武さんが最初にしたことは、これまでのバリバリのヤンキーヘアだったのをグリグリの丸坊主にしたことです。そしてこれまでのヤンキー仲間のもとに行き、今日からもうみんなと遊ばない!と宣言します。更に学校の職員室に行き、勉強を教えてくれと、先生にお願いをしに行きます。その姿を見た先生はみな驚きますが、先生の中にはこれまでさんざん武さんにいじられた人もおり、彼に教えることを最初は断固拒否していた先生もいました。それでも武さんは毎日職員室へ通い続け、勉強を教わります。そのひたむきな彼の姿を見て、一時は勉強を教えることを拒否した先生もやがて武さんのことを見直し、勉強を教えてくれるようになります。そして年が明けた春に武さんは何とか(私立に比べて授業料の安い)県立高校に入ることとなります。




そこからまたいろいろとあるのですが、中略して、十数年後のことです。


Photo_2



武さんはバイクで事故を起こしてしまいます。一命は取り留めたものの、身体はほとんど動かず、更には足を切断しなければならなくなるかもしれないことを先生から伝えられます。結局は切断しなくて良くなったのですが、その状況に彼は絶望を味わい、それが原因で鬱となります。


鬱状態で先の見えない暗闇の中をさ迷う武さんを救ったのは、一冊の仏教の本だったそうです。それをきっかけに武さんは仏に導かれつつ、鬱状態から立ち直っていきます。リハビリの結果体も無理は効かないものの、動くようになり、歩けるようにもなります。そして武さんは自分が体験した鬱、不自由な身体を通じて、彼と同じような立場の人たち、つまりは障がい者を支援していこうと決意します。



現在武さんは障がい者支援事業を立ち上げ、常時100名近くの障がい者を支援しています。そして障がい者、そこで支援する職員からはもちろんのこと、多くの人達から慕われています。(実際その日武さんと一緒に飲んでいた居酒屋のアルバイト店員も以前武さんが店を訪れた時に彼の魅力を感じ、それ以降兄貴のように慕っています。)また武さんは現在これまでの自分の経験を社会に返したいと、仕事を通じてできるボランティア活動にも取り組んでいます。


55003dd5dbe4e46514ab93e0397b23b1_s



話を聞いたあと、武さんはきっと生まれてくる前に、今世どのような課題解決に取り組むか、どのようなことを達成するか(3次元での人生)すべて計画してきたに違いないと思ったのです。そしてその上で母親に「あなたの子として生まれてもいいかい?」と尋ね、母親もそれを承諾したのだと思うのです。今回の計画を実行するためにこの人に母親になってもらおうと武さん自身が決めたのだと思うのです。きっと母親とも前世のどこかで何らかの縁があり、その課題解決も兼ねているのでしょう。


また武さんの話しを聞いて、きっと彼は前世で坊主であったことがあるに違いないと直感的に思いました。もしかすると結構名前の知れた僧侶だったのかもしれません。今世で人を救うためには坊主であるよりも、一般人として生きた方が自分の使命は達成されるとしたのだと思うのです。そしてある程度計画通りの人生を送っているのではないでしょうか?


Photo



子どもは親を選んで生まれてくる。


決してそれを科学的に証明することはできないと思います。それが理解できるのはあの世に戻って、また再びこの世に戻って来る時かもしれません。けれどもそれは生まれてくる時に忘れてしまいます。例えもし残っていたとしても成長と共に忘れていきます。だからまあ面白いといえるのですが…。


0ce36f34155630080b3e01b24af2a38e_s



子どもが反抗期を迎え、親に「勝手に産みやがって、一体誰が生んでくれって頼んだよ~!」などと叫んだときは、冷静に「あんただよ…。」とひと言で終わるのかもしれません。






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2017年3月29日 (水)

航海人生 イッツ ミー!

人生を船(旅)に例えるならば、どのような船(旅)を選ぶだろうか?

豪華客船、フェリー、ヨットやクルーザー、あるいはタンカー?

人それぞれに自分の乗る船を描き、そこでの世界を描くのだろう。


豪華客船を選んだ人は、昼間はプールで泳いだり、サングラスを掛け太陽を感じながらドリンクを飲み、夜はパーティーやカジノを楽しむという、いわゆるセレブ生活を描くだろう。

フェリーに乗っている人は、旅行の最中かも知れないし、あるいはビジネスへと向かう人かもしれない。

ヨットやクルーザーは少人数で海を楽しみ、船上で乾杯しているかもしれない。タンカーは資源や物を世界中に運ぶまさに仕事ってところだろう。


じゃあ自分は?

って考えた時、一番に出てきたのは「ポンコツ船」だった。


ソナーなし、魚を電気で感電させるビリビリマシーンなし、コンピューター制御のエンジンなしのアナログ機械でできた船。昭和の船だ。

そして空を見て、潮を見て、風を感じて、判断する。


でもって、マグロの一本釣り!


って言いたいところだけれど、そうではなく鯵(アジ)鯖(サバ)の一本釣り。

決して(一網打尽にする)網での漁ではなく、魚の身体を傷つけることを極力少なくするために1本釣りだ!


じゃあ、アジやサバばかり釣っているかと言うと、そうでもなくて、海にゴミが浮かんでいたら拾うし、客船から落っこちた人がいたら助け、どこかの船に乗せてもらえるように動くし、故障した船があれば、牽引するし、(簡単な)修理もする。


時には自分の船も故障するので、そんなときは海の上で、陸の上で(自分で)直す。

そんなポンコツ船の船長だ。


まあ、何とも目立たず、地味な船であり、船長なのだろう…。


でもね、そんなオンボロ船でも、自分の中にしっかり夢は持っている。

方向性は見えている。


海を守り、困った人がいれば助けるし、困った事態が起これば解決する。

そして何より自然と共にあり、必要以上は求めず、この大自然(海)がより美しく豊かな世界(海)となる。

そのために生きる!


大自然(海)に仕えて生きる。


そして、大自然(海)が与えてくれたものを、(自分で)活かしながら生きていく。

それが自分の喜びであり、楽しみである。


人生を航海しても、決して後悔はしない!!


それが自分にとっての夢であり、生き方であり、それこそが自分にとっての「らいふあーと」なのだ!



全くもって阿保だな~と思いつつ、そんな妄想をして、ニヤニヤしている自分がいるのである。

只今AM3:48…。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年3月 8日 (水)

生きてく上で大切なこと

ここ2か月余りアマーリエさんが下ろされた霊言(スピリチュアル・メッセージ)にすっかりはまっている。

最近はそこに高橋信次さんの「こころ」についての本も加わり、周りからするとすっかり宗教にはまっているように見えるのだろうが、自分自身では宗教というよりも信仰の大切さを実感している毎日だ。


最近某元女優が突然引退、出家し、更には暴露本を出版し話題となった。

その本を読んではいないのだが、チラホラその内容をネットのニュース等で知る限り、多くの人、特に若者が憧れるような世界(芸能界)は、派手で、一見満たされるような世界に思えるけれど、

実際は薄っぺらな世界であり、満たされるどころか「見失う世界」であり、そんな世界に生きているのに意味があるのか?ってことを言っているのではないかと思う。


今回の騒動が芸能界にどのような影響をもたらすのか分からないけれど、ただ一つ自分が思うのは、若手の人気女優が突然出家したということで、若者に信仰というものが見直されてくるのではないかということだ。

多くの若者が今世間の嘘や虚構に悩まされて、何のために生きているのかが分からなくなっているのが現状だと思う。

その点からするとよいことだと思えるのだが、しかし多くの宗教の現状が、教団組織維持のために信者を囲い込み、お金を貢がせるものと成り果ててしまっているのが厄介なところ。


本来宗教とは、自らの自由な精神をはぐくみ、発達させ、見いだすのを手助け、そして自分の力で神を見出し、歩いていけるように押し出してやるのがその役割である。

すなわち精神を養う場であり、教えであるのだが、多くの場合宗教そのものがその精神を失ってしまっているが故に批判され毛嫌いされている。


そのため自分の中では宗教と信仰を分けて考える必要があるのではないかと思っている。

というよりも宗教の時代は終わった(終わりを告げる)と思っている。

そして今自分が思うことは、人生の中で大切なことは、決して偉くなること(学歴や権力をもつこと)、お金持ちになることではなく、更に(これまで自分がはまっていた)、超能力や霊能力を持つことでもなく、


・どれだけ多くの人を愛することができるか
・どれだけ万物(大自然や人)と調和して生きていくことができるか
・どれだけ広い心を持つことができるか

この3つこそが大切に思える。


これまで自分はひとりで生きていけるようにするために、勉強もするし、先を読む能力も身に付けそして、実力をつけて…、と思っていたのだが、それらは全く持って間違いだったと思うのだ。


この考えでは、全く持って調和する心もなければ、広い心を持つこともできないということが分かった。


もしかするとその考えのまま行っても、ひとつの人生経験としてよいのかもしれない。

それはそれで魂の成長となり、次の生まれ変わりにカルマの解消を目指せばよいのかもしれない。

けれどもそれでは今世を終える時あまりにも寂しく、あの世にもまっすぐにいけないものと気づいてしまった。


それを教えてくれたのがアマーリエさんと高橋信次さん(の本)である。

そこから導き出されたのが上記の3つである。

これら自分なりに実践しつつ、両者の教えを更に深く学びたいと思うこのごろである。


けれどもそれだけで終わりたくないと思うのが自分でもある。

今これにネイティブアメリカンの教えを加えて自分なりの見方を生み出したいと思っているのだが…、

そうするとまた間違えを犯してしまうだろうか?




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年2月22日 (水)

人類至宝のメッセージ

2017年が始まり2ヶ月が経過しました。私ごとですがこの2ヶ月の間で今年最大級の出来事のひとつとなるだろうと思われるの出来事が起こりました。それは“アマーリエ”さんという人を知ったことです。


アマーリエさんとは、「巫女として多くのメッセージを降ろした。彼女の巫女能力は高く、人格霊だけでなく、地球神霊や太陽神霊、さらにはオーム神霊からもメッセージを受け取ることが可能であった。(レムリア・ルネッサンスHPより)」という人です。要するにアマーリエさんは、巫女(チャネラー、霊能力者、シャーマン)であり異次元からのメッセージを受け取る能力のある人です。けれどもその能力が半端じゃないのです。


最近はスピリチャルブームでいろいろな人が異次元や宇宙()からのメッセージを受け取り、それを書籍にしていますが、それらのほとんどが「うまく生きていくための方法」であり、突き詰めると個人の欲なのです。それはそれでよいと思いますし、またうらやましくもあり、時にはその人たちが書いた本やブログを読んで、なるほどと思い参考にすることも多々あります。


けれどもアマーリエさんの持つその能力は、その規模が個人の欲ではなく、一貫して地球人類の意識を向上させるためのメッセージであり、先にも書きましたが、人格霊からのメッセージを受け取るのはもちろんのこと、宇宙の全歴史を記録するアカシックレコードを読み、更には地球や太陽や宇宙の神霊からもメッセージを受け取るという(人類初の?)壮大なものであり、そんじゃそこらのものではないのです!!


実は私はアマーリエさんの「男たちのルネッサンス」という本を数年前に購入し読んでおり、これまでその名前だけは知っていました。けれども基本的に彼女は女性向けのメッセンジャーだと思い、その他の本をこれまで手にすることはなかったのです。それがある日、地球(ガイア)のことについてもっと知りたいと思ったところ、「男たちのルネッサンス」にもガイアのことが書かれてあったことを思い出し読み返してみたところ、地球は男性性の「テラ」と女性性「ガイア」の2つの神霊からなるとことなど自分の知らなかったことが書かれていたのです。そこから改めて興味を抱き、その他の本を購入し読んでみたところグイグイと引き込まれ、すっかりとその能力に魅せられるとともに、こりゃ本物だ!と確信した次第なのです。


Photo_3


アマーリエさんの受け取るメッセージは、天照大神から、ゼウス、アレキサンダー、日蓮上人、大天使ガブリエル、坂本竜馬、空海、イエス・キリスト、アポロン、ジャンヌダルクなど天上界の人から歴史上の人物など様々であり、これまでに私が何冊か読んだものは、優しく語りかけるもの、力強く勇気を与えてくれるもの、未来の生き方のヒントを与えてくれるもの等様々です。どのメッセージもそれぞれの個性ある表現をされているのですが、誰もに共通していわれていることがあります。それは、

・私たちは神の子である(分御霊である)こと

・魂は永遠である(輪廻転生を繰り返している)こと

・愛を学ぶ(神は愛そのものである)こと

この3点に尽きるのです。そしてこのことを心から認識できれば、人間の意識は向上し、戦争や争いはなくなり、地球は平和な星へと変わり、アセンション(次元上昇)するというのです。


Photo_6


けれども宇宙から見ると人間(地球人)はまだまだ小学生レベルであり、波動の荒い生命体なのだそうです。これまでに何度もアセンションに失敗し、(ゴンドアナ、レムリア、ムー、アトランティスと呼ばれる)いくつもの文明が滅んできたそうです。そして今の文明も人間のエゴにより悪想念はたまり、地球はボロボロの状態で、文明が滅ぶ崖っぷちにあるとのことです。そのような状態の中で地球(テラとガイア)はひたすら耐え続け、天上界の人々は何とか現代の文明でもってシフトアップ(アセンション)したいと最後の計画を進行させているとのことです。そのためにアマーリエさんを通じてメッセージが下ろされているそうです。


私たち人間はこの3つのこと(神の子、魂は永遠、愛を学ぶ)を一体いつ理解できるのでしょうか?


Photo_7



ところでこの3つのこと。一見すると「宗教そのものではないか。」と思ってしまうものです。キリスト教がこれまで繰り返し、繰り返し「愛」を説きつつも、どれだけ多く争い、利権にまみれ、そして人々の人生を狂わしてきたことかと思います。「魂は永遠であること=輪廻転生すること」。かつてこのことは日本人なら当たり前のことと捉えていました。けれども物質主義に走り、唯物論に囚われてしまった日本人は今やこのことをすっかり忘れ、今世この身限りの生き方をしてしまっています。そして「神の子=分御霊」であること。これはスピリチャル界ではワンネスともいわれ、この世界好きには当たり前のこととなりつつありますが、一般の人々からすると、何を言っているのかという世界観であり、宗教信者の信仰のひとつと捉えられています。


これらのことを宗教という枠組みを超えて、いかに人々に分かりやすく、易しい言葉で伝え、理解してもらうかということが課題となっています。



Photo_5



 
私もかつてイエスキリストが見た世界、マホメッドが見た世界、仏陀が見た世界、どれも実は同じものであり、それぞれに個性を伴い表現が違っただけである考えたことがあり、現在もそう思っています。だから結局宗教は様々なものに分かれる必要はなく、宗派のようなものでしかないと思うのです。もとをただせば一つのものであること。一つの世界であること。それをいかに人々の肚に落としていくか、それこそが争いを終える唯一の方法だと思うのです。


残念なことにアマーリエさんはこの世にはいません。あまりに大きな意識体からのメッセージを受け取り続け、人間の身体はそれだけのエネルギーを受け取れるだけの波動を持ち合わせていないが故に、それに耐えきれず身体のダメージが大きく、この世の生涯を終えられたそうです。ご自分の身体を犠牲にしてまでも降ろされた数々のメッセージを通じて私も人間が意識を向上させ、そしてアセンションする方法を考えてみたいと思うのです。


Photo_8




(参考図はコチラ<世界宗教概念図>
             
             
             
             





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2017年2月15日 (水)

竜馬の好奇心:その向こうに何がある?

日本人なら誰もが知っている坂本竜馬。いわずと知れた明治維新の立役者のひとりです。きっと竜馬にあこがれる人も多いことでしょう。私が竜馬について知っていることはごくわずかです。土佐に生まれ、お姉さんの影響を受け、新婚旅行に出かけ、日本で初めて株式会社を設立した人。更に中岡新太郎と同郷故に仲が良く、勝海舟とも談義し、遂には大政奉還を成し遂げ、そして京都で殺された人、この程度です。司馬遼太郎の「竜馬が行く」は読みましたが、それも20年以上前のことです。竜馬についてほとんど無知といってもいいでしょう。それでも竜馬について自分の想像を書いてみたいと思います。


というのもそのきっかけはアマーリエさんの「アセンション最後のハードル」(5次元文庫)を読み、その中に坂本竜馬のメッセージが収録されており、それに大いに触発され、幕末の時代の様子、そしてその時の竜馬を想像してみたからです。


Photo_3



竜馬が土佐藩、現在の四国の高知県に生まれたことは知っていますが、高知のどこに生まれたかは知りません。けれども私が思うに竜馬はきっと子供のころ何度も太平洋を見たと思うのです。それがもしかすると竜馬像のある桂浜かもしれないし、別の場所かもしれません。そしてその時きっと太平洋のそのでっかさに驚いただけでなく、「その向こうに何があるのだろう?」と思っとと思うのです。その当時太平洋の向こうにアメリカ大陸があるという知識が竜馬にあったかどうかは知りません。もしあったならその未知なる大陸をイメージしたかもしれないし、なければ果てしなく続く海の向こうに何があるのかを想像したと思うのです。そしてこの「その向こうに何があるのだろう?」想像と好奇心こそが竜馬を動かし続ける原動力となっていたと思うのです。



2



幕末黒船の来航により、日本人は彼らの持つ科学の力、軍事力に驚嘆したことでしょう。眼の前で大砲が放たれ、巨大な水しぶきが生じた際には、さぞ腰を抜かしたことでしょう。それこそ頭隠して尻隠さず、南無阿弥陀仏を唱えるのがやっとのことだったのではなかったでしょうか。そんな中で攘夷論が生まれ、更には(西洋に対する)徳川幕府の無力さから、尊王論、そして開国論が生まれ、そこに坂本竜馬もその一人としており、開国と大政奉還に国の未来を見たのだと思うのです。


きっと当時の限られた情報と知識を組み合わせ、将来の国について議論を重ねていき国の未来の姿をイメージしていったのでしょうが、その際いつも竜馬の根底にあったのは太平洋を見た時の「その向こうにあるもの、それを見てみたい。」という好奇心であり、それが「この国の今の現状を乗り越えた未来の姿を見てみたい」であったと思うのです。それがゆえに次々に新たなものごとを取り入れ、そしてあれほどのことを成し遂げたのではないでしょうか。


Photo_4



さて、ここで今の自分を振り返ってみると、もちろん竜馬ほどの器はないことは分かっていますが、それにしても好奇心が薄れてしまったなと思うのです。特に40歳を過ぎてからは好奇心はあったとしても、それを空想や理論の世界で終わらしてしまっています。自分自身に制限を設けてしまっているのです。もちろんそれは年相応に自分自身が何ができ、何ができないか分別が付くようになったという利点もあると思うのですが、それを理由にやらなくなってしまっている自分がいるのです。あたかも今宇宙時代(宇宙意識)の到来を感じているにもかかわらず、同じように制限をかけ自分の殻に閉じこもっている自分がいるのです。


けれどもこれは私だけでなく今の日本人の多くがそうなのではないでしょうか?それは現代の社会環境から来るものやや教育のせいでもあるのでしょうが、与えられるもので満足しようとし、それを守ることのみに力を注いでいるのではないでしょうか?未来を今の延長にしか置かず、現状路線を維持することをよしとし、不平不満があれば社会や他人のせいにしているのではないでしょうか?


Photo_5



少し前友人がOSHOタロットをしてくれました。そこに最初に出てきたカードは、モラリティ(道徳)というまるでがんじがらめに縛られているようなカードでした。まさにそれは今の私自身を象徴しているようでした。そして次に出てきたカードは、アイスオレーションでした。涙だけが氷を溶かす力があるとのことです。もしこれを好奇心として解釈すれば、好奇心だけが自分の制限を解放してくれるということとなります。そして最後に出たカードは、プレイフルネス(遊びに満ちる)でした。まるで自由自在に生きて光を放ってるようなカードでした。


Kimg0604



「いくつになっても好奇心を持ち続け、それに身を任せてみよ。先のこと、不安ばかり考えるな!それよりもその先に、その向こうにある何かを見に行け!」。もしかするとカードも竜馬はそのことを伝えようとしたのかもしれません。


宇宙時代の訪れは、プレイフルネスに向かって人間に行動を起こすためのシンクロニシティを次々とおこしているのかもしれません。それが今竜馬の好奇心を想起させたように思えるのです。残りの人生をどう生きるかが問われているようです。

(2017.11一部修正)

Photo_6









らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

より以前の記事一覧