経済・政治・国際

2017年6月28日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑤~明治から現代を紐解く~

前回は縄文時代から江戸時代までの歴史を振り返り、江戸時代にジャパンパラダイスが作られたのは、弥生時代から戦国時代までに流入してきた文化を、1万年以上続づいた縄文時代に形成された遺伝子~自然に寄り添いながら生きていく平和的DNA~が、それらをミックス・中和し、縄文DNAと調和させていき出来上がった暮らしがそれであるとの考えを述べました。当時の日本人の幸せそうな表情や暮らしぶりを見て、(幕末に日本を訪れた)西洋人は驚かずにはいられなかったのです。
             
さて今回は幕末・明治維新から現代までの日本の変換を見ていきたいと思います。
幕末から明治・大正にかけて日本を訪れた西洋人たちは、その日本人の幸せそうな暮らしが、彼らの来訪により破壊されていく(いった)ことを知っていました。
             
「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩は本当にお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」(1857ヒュースケン)
             
「日本人は宿命的第一歩を踏み出した。しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜きとったとおなじで、やがては全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう。そして日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう。」(1855リュードルフ)
             
「古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になったと。」(1905チェンバレン)
             
「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になることは確かなことだろう。しかし昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることは決してあるまい。」(1925ウェストン)
             
とあるように、当時の西洋人は日本の西洋文明の流入により、物質的には豊かになるであろうが、その国土の美しさや人々の素朴さや純粋さは失われてしまい、最終的には(国ごと)全部が崩れてしまうことを予感していたのです。
             
幕末の西洋人の来訪、開国、国内の動乱、そして明治維新となり日本は西洋文明(物質文明・科学文明)を続々と導入し始めます。もちろんそれは西洋各国の植民地政策への対抗策であったと思われます。幕末に下田に現れた軍艦を初めて見た時、日本人はきっと腰を抜かしたでしょうし、その後彼らの持つ軍事力、科学文明、そして中国、東南アジア各国の(悲惨な)状況を知れば知るほどこのままではいけないと思い、立ち上がる人々がいたのは当然であったことでしょう。
             

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ここで西洋諸国の歴史を振り返ると、それは民族間の争い、そして宗教間の対立の2つが大きく占めてくると思うのです。ヨーロッパ大陸はアジア大陸と接しており、アフリカ大陸とも近く、その歴史は各民族間の争いであったと言えます。古くはギリシャ文明の時代から、ローマ帝国、そしてゲルマン人の大移動、ペルシャとの戦い、英仏戦争を始めヨーロッパ各国同士の争いと、民族間の争いの歴史を遡れば3,000~5,000年、あるいはそれ以上になるのではないでしょうか。同じく宗教の対立となると、誰もが思い浮かべるのがキリスト教とイスラム教の争いであり、610年のイスラム教の成立からともいえますし、それ以前にもユダヤ教とキリスト教の対立、キリスト教の各宗派の争いがあったのも確かですし、こちらも遡れば同じく2,000年以上宗教間の対立がるともいえます。このように西洋諸国の歴史は、対立や争いが切っても切れない関係であり、そこには争いのDNA、勝ち抜くためのDNAが形成されているとも言えるでしょう。
             
この対立・争いの本質を見てみると、強いものが勝つ、あるいは独占するということであり、領土、財宝、そして人々の命の取り合い・奪い合いともいえます。より多くを殺し、降参させ、奪い、奴隷とする。オールオアナッシングの世界といってもよいのかもしれません。それが故に西洋人は勝つため、生き抜くために戦いの知恵を磨き、科学を発達させてきたと言えるでしょうし、もしかするとその正当化やその意味を見いだすために哲学を発達させてきたと言えるのかもしれません。
             

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さて日本の歴史に戻り、明治以降の日本は列強諸国に対抗するためにパラダイスを捨て、富国強兵政策を取り、日露戦争を戦い抜き世界にその強さを知らしめます。思えば江戸末期の日本人は驚異的な体力を誇り、武士道の精神からも、そのころの日本人の強さとは途轍もないものがまだ残されていたのでしょう。その後日本はアジア各国へ進出し、いくつかの戦いを繰り広げ、遂には太平洋戦争で敗戦を迎えます。ある意味開国から太平洋戦争までに日本は西洋諸国の文明を取り入れると同時に、日本古来のものを失っていった、その上で3000年以上の争いのDNAをもつ民族の土俵で戦いを挑んだのですから負けて当然といえるのかもしれません。
             
戦争に負けはしましたが、ここでひとつ面白いことが分かります。太平洋戦争の間鬼畜米兵だったのが玉音放送で敗戦を知らされた直後、日本人は親米となります。と同時に焼け野原となった東京を立て直していくのです。それは前にも紹介しましたが、幕末に西洋人によって描かれている(江戸末期の)日本人そのものではないかと思うのです。
             

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「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。…女や子どもたちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみ跡形もない。まるで何事もなかったように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床を欲しがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などはどこにも見当たらない。」(ベルツ)
             
「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです。生きていることを喜びあうという風潮が強いせいでしょう。誰かの言葉に『自然がいつも明るく美しいところでは、住民はその風景に心がなごみ、明るく楽しくなる。』というのがありましたね。この国の人たちはまさにそれで、日本人はいつのまにかそういう自然に感化され、いつも陽気で見た目によいものを求めながら自分を深めていくのです。」(マーガレット・バラ)
             
これらを読んだ後、敗戦後の日本を想像すると、「ギブミー チューインガム」と米兵に向かってかける声や「東京ブギヴギ」の曲を思い出さずにいられないのです。
             

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そしてその後高度経済成長期を経て、途中何度かの停滞もありはしたものの日本経済の躍進は凄まじく、遂にはアメリカの魂といわれるロックフェラーセンターを買収するまでに至り、経済繁栄を謳歌するに至ります。いわゆるバブル経済ピークであり、この頃の日本は明治以降の物質主義を取り入れた新しい日本、その結果生み出された日本(物質ジャパン)の最高潮にあったともいえます。さて戦後からこの間に出来上がった日本の企業スタイルといえば終身雇用制度であり、年功序列であり、いわゆる家族的経営スタイルです。この家族的経営制度は今思えば、物質主義と経済を縄文時代からの遺伝子が中和させ出来上がったものではなかったかと思うのです。
             
しかしこの頃の日本は「自然に寄り添う」という一番大切なものを忘れていたことも確かです。物質主義に溺れ、お金にまみれていました。お金がお金を生み出し始め、お金で何でもできるという風潮が生まれたのもこの頃ではないでしょうか。そしてそれは日本人の驕りとなり、西欧諸国、特に米国から反感を買い~同時に恐怖も煽り立てたことでしょう~、そこから経済戦争、金融戦争というこれまでの目に見えて殺し合う争いとは違った戦いが始まります。ただし今では、そこに(裏では)見えない暴力が介在していたことも今では明らかになりつつあります。そして日本はこの経済戦争、金融戦争に見事に破れ、搾取され続け、バブル崩壊からの停滞状態が四半世紀過ぎた現在も続き、立ち直れずいます。
             

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この30年間市場原理主義が導入されてグローバル化は加速し、ITの発展は益々進み、金融経済は過激さを増していきます。世界はインターネットでつながれ夜も昼もない世界となります。そして競争が更なる競争を煽るようになっていきます。10年ひと昔と言われたものが、ドッグイヤー、マウスイヤーといわれるようになり1分1秒を争うようになりました。企業の在り方は一変し、社会も凄まじい勢いで変化していきます。それと同時に精神が壊れる者は増え、自殺者も増え、そしてこれまで考えられなかったような事件が起こり始め、人々の社会への不安は増していく一方です。
             
そして今では日本ではなく世界中が競争にさらされ、喰うか喰われるかの争いを繰り広げています。それは企業間の競争だけでなく、宗教間、国家間の争いともなり、人も企業も宗教も己の利益追求一色となり世界はまるでハイエナのような社会となっています。その結果日本だけでなく、世界中がボロボロとなりっています。経済基盤、金融基盤も崩壊寸前です。人間社会も同様です。更には地球も破壊尽くされ、今や大地も水も空気も汚染されています。その為に気象変動は起こり、この先地球はどうなるのか誰も分からないのが現状です。
             
日本は先に記した礎石を1個抜きとった状態から、今やすべてが崩れ落ちた状態になっているともいえます。そして間もなく世界も同じような状況を迎えようとしているように思えます。いま世界中は各国の経済も金融もそして政治システムも騙し騙し維持しているのがやっとの状況です。この先日本はどうなるのでしょうか?世界はどうなっていくのでしょうか?明るい未来がやって来るのでしょうか?それとも…。
             

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ここから先はまだ誰にも分かりません。けれども今のままでは益々地球は破壊されていくことは確かです。それは益々人間の生存環境が脅かされていることを意味します。だから私はこのままで流されていくならば暗い未来になってしまうと思います。それが故に歴史を振り返って来ました。そして今こそ江戸を学び、縄文のDNAを復活させ、新しい日本を生み出していく意思をしっかりと持つべき時だと思うのです。
             
私たちの中には縄文時代にしっかりと組み込まれた、自然に寄り添い生きていく、中和させ、調和させるDNAが組み込まれています。そして一度はそれを江戸時代に見事に外から入って来た文化を中和させ、調和させ西洋人から称賛される暮らし、そして国を創りあげました。それから150年を迎えた現在、今度はそれを意識して心がけ、新しい日本を作ろうとするときだと思うのです。現在科学は150年前と比べると凄まじい発展を遂げました。
その科学によって人間の意識の研究も盛んになってき、人間の意識が大きく社会形成にも関係していることが明らかになってきています。それ故に意識することはとても重要です。
             

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更に現在縄文の中和要素が再び働き始めているように思います。人々は、特に若い人々の間で、シェアすることを良しとする考えが増えてきました。また地方においては、経済的効果を狙ったものですが、地域おこしが活発となり、各地域で昔からあるものをよしとし始めました。外国人も日本の歴史や風景を求めてやって来る人が増えてきました。これらはすべて物質主義や経済を中和していく過程ではないでしょうか?私たちは今これらのことを意識し、次なる未来をイメージして、育てていくべきだと思うのです。
             
「古い日本は妖精の棲む小さくて可愛らしい不思議の国であった。」(チェンバレン)
             
              もしかするとアニメもコスプレも中和過程の最中なのかもしれません。そして今度の中和過程は日本国内だけでなく、世界へと発信し、世界を中和していくことになるのかもしれません。世界は益々混乱を深めていく様相です。そして彼らの持つ歴史からして「中和」よりも争いの遺伝子が今も表に出ています。中和できるのは縄文の遺伝子を持つ日本人です。それを彼らに事実として示すしかありません。だから私たち日本人の手に世界の未来・地球の未来がかかっているのです。争いの遺伝子をやさしく包んで、新たな未来を築いていきましょう!


             
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参考文献:「逝きし世の面影」 渡辺京二著 (平凡社ライブラリー)

             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2017年6月 7日 (水)

新しい日本を創ろうよ ②

前々回の記事では障がい児の特別支援学校や学級の増加、そして障がい者の支援事業所が増えていることをお伝えし、これからは障がい者を活かすことで社会を変えていかなければならないのではないかということを提案したのだが、それではどのようにそれを行うか考えてみたいと思う。
             
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もう7,8年前になるのだが「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメンタリー映画を見た。この映画は当時養護学校(現在の特別支援学校)で教師をしていた山本加津子先生を主役に障がいのある子が持つ能力や純粋さを伝えるとともに、彼らも同じひとりの人間であることを教えてくれる映画だ。
             
             
その映画の中でペルーの古代博物館に展示保管されている(古代の)布織物の話が出てくる。その布にはたくさんの手が描かれている(編まれている)のだが、中心にある手ひとつが、なんと6本指の手なのだ。
             
             
余談となるが手足の指が生まれつき多いひとはまれにいるようで多指症(たししょう)、逆に少ないのは欠指症(けっししょう)と言われ、あの豊臣秀吉も右手の親指が2本あったらしい。(ウィキペディアより)
             
             
映画の中で博物館の館長は、6本指の手が真ん中に置かれている理由を、当時は障がいのある人を異端視するのではなく、特別な人として、つまりは神の使いとして崇められていたのではないかと推測している。
             
             
この話がとても印象に残り、その後もずっとこの映画を思い出すときはいつも古代布が浮かんできて、その意味を自分なりにその都度考えていた。そんなある日よくお世話になっている人と飲む機会があり、その際に縄文時代に狩りの方法の話が出てきた。当時狩りに出かける際に自閉症の人を連れていくのだが、その人をどこに配置したかということだったのだが、真中に配置していたとのこと。その理由は、自閉症の人は周囲の異変等に最初に気づく能力を持っていたかららしい。
             
             
この話を聞いて、古代布の話しと重なり凄く感激した。同時に障がいのある人の位置づけにビビッと来るものがあった。そう、障がい者を真中に位置づけて考えるのが本当なのだ!
             
            
もちろん歴史の中では障がいのある人を見せものにされたりした時代もあるのだろう。けれども明治以降合の近代化の時代の中で、合理的思考が重視されていくようになり、彼らは不完全な人間として、差別され、隔離されるようになって来たと思うのだ。そんな中で本人やその家族、そして支援者の力で、今日の障がい者福祉が制度化され、彼らの居場所がつくられ、権利が保障されるようになってきた。その成果が特別支援学校であったり、障がい者の支援事業所である。
             
             
けれども現在それが新たなる転換期を迎えていると思うのだ。先にも書いたが特別支援学校・学級は増加、不足の事態にあり、支援事業所は増え続けている。そして障がい者支援だけでなく日本の社会保障費は莫大に増え続け、国の財政を圧迫している。それ故に医療保険も自己負担額は上がり、最近では介護保険制度などは利用者負担の増加がすすんでいる。正直このままではもたないと思うのだ。両者が共倒れになるのではないかと懸念する。
             
             
そこで思うのが、障がい者を活かす社会をつくるということであり、その方法が障がい者を真中において考えるということである。
             
             
障がい者を真中において考えるとは、ひとつはインクルーブデザインと呼ばれる手法がある。これは子供、高齢者、障がい者などマイノリティ、いわゆる社会的弱者といわれる人たちをデザインする段階から積極的に調査し、そこから出た課題をや気づきをアイデアに変換し、それらにも対応できるデザインを考えるという手法である。もっと簡単にいえば障がい者や高齢者なども含めてだれもが使える(使いやすい)ものづくり・ことづくりを行うための手法である。ただそれも重要かつ必要な手法であるのだけれども、今回ここで提案するのは、デザインプロセスよりも、一般企業の障がい者雇用という面から「障がい者を真中において考える」ということである。
             
            
一般企業における障がい者の雇用において、現在は従業員50名以上の企業には、2%の障がい者の雇用(法定雇用率)が義務付けられている。つまり50人の従業員(正社員)がいれば、1人は障がい者雇用をしなければならない。そして従業員が100人以上の企業においては、法定雇用率に満たない場合は、納付金(いわゆる罰金)をその不足人数に応じて支払わなければならない。そこで企業は障がい者を雇用することになるわけだが、現状を見る限り、ほぼ義務だから雇用するという考えであり、多くの企業が最低賃金、あるいはそれに近い金額で雇用するのが通常となっている。
             
             
けれども最近障がい者雇用により、その職場環境が良くなったとか、従業員のやる気が向上した、あるいは業績が上がったということがよく言われるようになってきた。それが書籍にもなっている。例えば「なぜ障がい者を雇う中小企業は業績を上げ続けるのか」影山摩子弥著(中央法規)などがある。そこに書かれていることは、障がい者雇用で得られることとして、
             
    ・人材育成のノウハウができる
    ・社内の業務の流れが改善できる
    ・職場環境が改善できる
    ・健常者社員が前向きに取り組むようになる
    ・適材適所のノウハウが形成される
    ・戦略的観点が身につく
      以上の6点が挙げられている。
             
             
まずはこの観点から障がい者雇用に取り組めばよいと思うのだ。いきなり障がい者を真中において企業経営をしろと言っても、現時点ではどうすればよいかも分からなければ、よほどの企業でしかそれで経営が成り立つとも思えない(例えば日本理化学工業)。そこから少しずつ障がい者を理解しながら、障がい者のできる能力を見極めていけばよいと思う。
             
             
現在における企業経営は利益第一主義であり、いかに成長・拡大していくかということに主眼が置かれている。グローバル経営の中で、大量生産・低コストが求められる中では仕方ないことではないかとも思う。けれども時代は少しずつ変わりつつあり、これまでのグローバル主義に疑問が呈されるようになり、また手作りの製品が見直されるようにもなっている。(手作りの)雑貨が人気であり、DIYが人気となっているのもその一つだろう。そこにはこれまでの大量生産・均一製品に対する価値観の変化が読み取れる。やがて人々に大きな変化をもたらし、それはいずれ企業にも大きな変革を迫ってくると思うのだ。もしかするとそれは社会情勢にも大きな変化を強制してくることがあるかもしれない。その時こそ障がい者を真中に考えることが出てくるのではないかと思うのだ。
             
             
まだまだそのような変化が来るように思えないかもしれない。そこは世界中が金融ジャブジャブ政策をとり、日本でも補助金ジャブジャブ、中央銀行による株価吊り上げ政策でその状況を維持しており、そのように見えるが、それも限界に近づいている。企業においては徐々にであるが、そこから抜け出し、あるいはそれを頼りとせず、御用達に徹しようとする企業が現れ出している。同時に若者の働く概念、中堅どころの仕事に対する意義も変わりつつあり、報酬よりも働きやすさや、意義を求め始めている。また人々に「持続可能性」であったり、「ロハス」ということも徐々に浸透し始めている。これらの認識がもう少し進めば障がい者への認識も改められはじめ、そこで初めて障がい者を真中において考えるということが出てくると思うのだ。
             
             
そして障がい者を真中において考えることが人々に認識されたときにはじめて、人々の社会に対する認識の変化、そして地球に対する認識の変化が生じてくると思うのだ。人々の意識の変化が生じると思うのだ。今はまだ利益、自己利益=エゴが渦巻いているけれど、そこから抜け出し他者意識が出てくると思うのだ。
             
            
まだまだ時間はかかるのかもしれない。けれども残された時間も少ないのかもしれない。どちらが早いのか勝負なのかもしれない。どちらにせよそこに留まっているのではなく、私たちは一歩を踏み出すしかないのだと思う。
             
             
             
             
             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             
             

2017年5月17日 (水)

どうなる日本?~新しい日本を創ろうよ!~その①

 (日本の)子供の数が減り続けていることは誰もが知っていることだろう。総務省によると外国人を含めて14歳以下の子供の数(平成29年4月1日)は前年よりも17万人少ない1571万人で、36年連続の減少であるとのこと。それ故に地方のまた地方においてよく学校が閉校となり、次からスクールバスで通うようになるとか、あるいはその跡地をどう活用していくかなどの声を聞くことも多い。
             
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              (愛媛新聞  平成29年5月5日)
             
             
 ところが、子どもの減少により学校が減り続ける一方で、増え続けている学校(学級)もある。それどころか深刻な不足の事態に陥っている。多くの人がそういうと保育園のことかと思うかもしれないが、そうではない。障がいのある子供が通う学校、いわゆる特別支援学校、あるいは特別支援学級だ。
             
             
 特別支援学校小、中学部の1学級は6人が上限で、重複障害の場合は3人。幼稚部から高等部までの在籍者は15年に13万8千人で、10年で1・36倍になった。特に知的障害のある子が増え、全体の9割を占める。比較的障害が軽い子が通う小中学校の特別支援学級の在籍者も15年に20万1千人で、10年で約2倍になった。(朝日新聞デジタル2017年4月30日より)
             
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              (朝日新聞デジタル2017年4月30日より)
             
             
 子供の数が減り続けている中で、特別支援学校、特別支援学級に通う子供たちの数は急増している。その背景には、障害の診断が普及したこと。障害があると診断されると、支援が得やすい教育を望む保護者が増えたとみられ、「特別支援教育への理解が深まった」(文科省担当者)との見方がある(同朝日新聞デジタルより)とのこと。最近発達障がいという言葉をよく耳にするようになったが、脳科学や医学の発達とともに、それらが障がいとして診断されるようになったのだろうが、それにしてもその上昇は多いと思わざるを得ない。(ただ今回この原因についての考察は次回にする。)
             
             
 子供に関するものではないが、最近どんどん増えているな思うものがひとつある。それは、障がい者を支援する事業所だ。18歳以上の障がいのある人たちが通う、デイサービスのようなところ(生活介護)、あるいは軽作業などの仕事をする事業所(就労継続支援事業所A型、B型)があるのだが、特にB型の事業所の増加を感じずにはいられないのだ。そこでは障がいのある人たちが、職員(支援員)の指導の下で、さまざまな仕事を行っている。
             
             
 先ほど特別支援学校や学級に通う子供の増加を示したが、彼らの高等部を卒業しての行き先の多くがそことなる。もちろん中には一般企業へと就職していく者もいるが、多くが支援事業所に通うようになり、軽作業などをして日中を過ごすようになる。
             
             
 彼らの障がいの程度は重度から軽度までさまざまであるが、それぞれ障がい者手帳を持っている。だからその多くが障がい者年金を受給するようにもなっている。それに日中支援事業所での軽作業で賃金(工賃)を得て、年金と工賃が彼らの収入となっている。一方で事業所は彼らが日中そこに来ることで、国から給付費をもらい、それによって職員(支援員)の給料を賄い事業を運営している。
             
             
             
 さて、現在日本は、障がい者の数は増え続け、その年金の支払いや事業所への給付費はそれに比例して増え、また高齢化率の上昇とともに国民の医療費は年々増え続け、さらに介護に関する給付費も増え続け、日本の社会保障費は上昇し続ける一方だ。いくらそれらを抑制しようにも、社会保障・社会福祉は国の義務である限り、それをなくすことはできないし、その上昇は当面は上昇し続けるだろう。更に現在の日本は、社会保障費の給付以外にも、あらゆる分野で補助金などを出しまくっており、日本の借金(債務残高)は増え続ける一方だ。このままでは日本はいったいどうなってしまうのだろうかと思わざるを得ない。
             
             
 そこで私が思うのは、少なくとも障がいのある人たちをもっと活かす社会をつくっていかなければならないのではないかということだ。これまで彼らの居場所・働き場所をつくることを目的として、その結果支援事業所が増え続けてきた。けれどもこの先障がいのある子が増え続けていく中で、事業所をそれに比例して増やしていくことがよいとは思えない。これだけ障がいのある人が増えていく中で、ある意味それはこの先隔離にもつながるのではないかと思うのだ。だからこれからは彼らを含めて考えていく社会にしていかなければならないと思うのだ。それは障がい者だけでなく、高齢者やマイノリティの人々も含まれてくる。まさにバリアフリーやユニバーサルデザイン、あるいはインクルージョンと呼ばれるものであり、ダイバーシティと呼ばれる社会だと思うのだ。そこを行うための第一歩が障がい者を活かす方法を考えるということだ。
             
             
 障がい者を活かす社会にしていくためには、社会の価値感が変わっていく必要がある。大きく言えば経済至上主義、物質主義の転換として捉えないといけないかもしれない。ところが現在社会はそれらこそが中心に居座っているようにも思える。政府の言うこと、企業人のいうこと、メディアもそれらを煽ることばかりしている。けれども社会はそこから抜け出そうとしているのも現実だ。だからこそ彼らは国民をつなぎとめるために補助金を出しまくり、メディアで持って消費欲をくすぐろうとしているとも言える。彼らの悪あがきに惑わされず、社会の価値を変えていくための一手を行うか。それこそが今問われており、取り組む価値のあるべきものと思うのである。
             
             
             
             
   らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2017年5月 3日 (水)

北に見る妄想?:目覚めよ日本人!

北朝鮮のアメリカに対する挑発が活発になっています。日々ニュースで、ミサイルが、軍事演習が、と報道されて、アメリカに対する挑発が続いています。(実はその反対でアメリカが仕掛けているようにも思うのですが…。)


これまで北朝鮮がミサイル実験等を行うたびに、、「また北朝鮮か、おとなしくしておけばいいものを…。」とか「独裁国家で、厄介な国やな~。」との思いしか持っていませんでした。けれども数日前から、北朝鮮を応援してみるのもいいのではないか?ちょっとアメリカの鼻をへし折ってくれないかな?と思うようにもなってきたのです。


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あらかじめ言っておきますが、私は核兵器も原発もNO Thank you!派です。核兵器などさっさと廃棄されればよいと思っているし、原発ももはや無用の長物にすぎないと思っています。原発を再稼動させる勢力に対しては嫌悪感と軽蔑でしかありません。もちろん、戦争やテロも「愚か」以外のなにものでもなく、最近は「争い」さえ御免こうむりたいと願うのです。


にもかかわらず、あのジョンウン大将がアメリカを一発ぎゃふんと言わしてくれないかと…、そんな思いを持ってしまうのです。


というのは、アメリカの再三の警告(脅し)にも関らず、大将のアメリカへの敵対心をむき出しにし、来るなら来い!の姿勢に、今の日本になくなってしまったものが見えるように思えるからです。


考えてみれば、これまでのアメリカは裏を返せば、ヤンキー以外の何者でもなかったと思うのです。特に第2次世界大戦後は超大国、そして世界の警察を名乗りつつも、その裏でやってきたことは、世界中を脅し、暴力でもって「かつあげ」しまくってきたというのが事実だからです。


 
南米諸国、アジア、イラク、リビア、中東一帯、その軍事力を見せつけ、英米の正義を振りかざし、策略、暗殺、権力などあらゆる手段を使って世界を脅し、屈服させてきたと思うのです。


その手段はえげつなく、時には自国(の民)を犠牲にしても、略奪をしてきたと思うのです。911などその真実はまさにそれだと思うのです。


そしてヤンキーの一番のカモであり、何でもかんでもやってきたのが、わが国日本だと思うのです。よく不良の子分を名乗り、その名で持って威張りつつも、親分の前ではひたすら彼らの持ち上げ役を演じる者がいますが、まさにそれに近いのが日本だと思うのです。(ただ本来の日本人の根は自然にやさしく、人に対しても思いやりのある性格なのですが…)


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トランプ大統領が誕生し、国内主義を掲げ、これでアメリカも、時に世界に対して自国の利益のためにいちゃもんをつけることもあるかもしれないけれど、基本は国内政策重視でおとなしくなるかと思ったのですが、ネオコンの悪あがきにより、シリアへの攻撃が行われ、そして今北朝鮮への挑発合戦を繰り広げ、対立の激しさが増してきています。


トランプ大統領が本当に攻撃しようとしているのか、それともネオコン対策の一環として現在の政策を繰り広げているのか分かりませんが、この先もし本当に攻撃があるとするならば…、


アメリカがその軍事力を見せつけ圧倒的勝利をおさめるよりも、小国北朝鮮がその統制力でアメリカにひと泡吹かせてくれないかと思うのです。


そして世界の目を醒まさせてほしいと思うのです。 特に日本の目を覚まさせてほしいと思うのです。


先にも書きましたが、日本はこれまでアメリカのポチとして、貢ぎに貢いできました。今では国民を貧困に貶めるまでになり、更にはアメリカ従属型軍事国家へと変わろうとしています。南スーダンでの訓練、そしてアメリカの補給船の護衛、これらすべて確実に軍隊化への工程だと思うのです。それを上手にオブラートに包みこみ、現状ではそれが必要、あるいはやむを得ないと思わせるように導いています。その役割を買って出ているのが大手のマスゴミでしょう。


このままでは世界がヤンキー(ネオコン)によって、世界各地で争いが繰り広げられ、遂には第3次世界大戦へとなってしまいかねません。終戦後平和国家への歩みを誓ったはずの日本が、今のままでは戦争を誘発する国家になってしまうかもしれません。


そこで大将が、ヤンキーどもに一発くらわせ、人々の目を覚ませてほしいのです。(でもそのときに決して核を使わず、韓国も攻撃せずであってほしい。)


そしてもしジョンウン君に日本人の血(めぐみさんの子)が流れているならば、アメリカに一発くらわせ世界の人々が目覚めたとき、核開発の廃止宣言と平和宣言を行い、同時に自身の出生の秘密を世界に伝えてほしいと思うのです。


そうすればすっかり眠らされ、呆けきった日本人(のDNA)も覚醒するのではないでしょうか??


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こんな妄想をする私は変でしょうか?五月の陽気のせいでしょうか?



(平成29年8月一部修正)




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


             

2017年3月22日 (水)

21世紀づくりの始まり

ニュースを見れば毎日政治家や官僚たちのバレバレの嘘のオンパレードです。

表面は国民・国家のためという大義名分となっていますが、その中身は私利私欲を満たすためという欲望追求でしかなかったのがこれまでの数々の政策です。

その(嘘の)コーティングが剥げ落ちて、中身が見えだしてきたどころか、更にはそれが溶けだしてきたので、その対応にてんやわんやなのです。


その姿を自分たちは今見ているのです。

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それは政治の世界だけでなく経済界も同じです。


決算が公表できずに、延期に次ぐ延期だなんて、これもまた嘘で塗り固めようにも、中のドロドロしたものが次々と溶け落ちるので、それができないということです。


原発のメルトダウンに続いて、今度は政治も企業自体もメルトダウンしてしまった…、というシャレにもならないのが実態なのです。


ひとつの企業だけならまだ構わないのかもしれませんが、きっとこれをきっかけにこの先同じような(大)企業が次々と出てくるのが今後の展開なのでしょう。(既にそれが出始めています。)


そんな中唯一安定しつつ、もしかすると期待が持てるかと思われているのが株価かもしれない!…と思われるかもしれません


けれどもこれもまた嘘です。


実態とはかけ離れたところで維持され、操られているのが現状です。


その証拠に日銀がこれまでにどれだけ株を購入し、そして今では筆頭株主となっている企業がどれだけあることでしょう。


きっと最後に露呈し、今の混乱にとどめを刺すメガ砲となるのが、株価を含め、国債や債券類の崩壊(金融崩壊)となるのでしょう。


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ひとことで言うと、今私たちの目の前で起こっていることは、これまでの権力者やエリートと呼ばれている人たちが築き上げてきた仕組みの崩壊なのです。


そしてこのことは日本だけでなく、世界中がそのような状況なのです。


嘘で塗り固めてきたグローバル化、世界の利権構造=世界システム、社会システムの破たんという歴史的な状況、いえ、これまでの歴史にもなかった状況を私たちは目にしているのでしょう。

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それらを目にするだけならまだよいのかもしれません。


けれどもこのシステムの崩壊はやがて私たちの暮らしにも大きな影響を与えてくると思われます。


今はまだ権力者・エリートとその周りで混乱状況にあるのでしょうが、いずれその影響は私たちにもおよび、大なり小なりそこに巻き込まれ、私たちもパニック状態になるのかもしれません。


それがいつやって来るのか、年内か、来年か、それは分かりません。


けれどもいずれにしろ準備をしておいた方がいいと思います。(もしかすると天変地異も起こって来るかもしれません!?それがトリガーとなるかもしれません…。)


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でもひとつだけいえることは、今回の大異変・大崩壊は、これまで私たち人間がつくり出してきた、自然に反し、人間のエゴに基づいたシステムが崩壊しようとしていることです。


自然に反した世界の崩壊ということです。


つまり自然に基づいたシステムの中に移行すればよいということです。


今後は自然の中の一部としての人間となるようにすればいい。


そしてその為に必要なことは、まずは反省です。


これまで築き上げたシステムの何が自然に反し、人間のエゴによるものだったのかの点検と反省が必要です。


そして今後どのようにすれば自然の(循環)サイクルに人間生活が組み込むことができるのかということの検討が必要です。


そこで私が思うのは、まだまだ権力者・エリート内でのドタバタ騒ぎの間に、私たち庶民は自然システム内の生活に移行しましょうということです。


彼らはドグマが大きい分移行に困難が伴うでしょうが、庶民はそれが小さい分そこへの移行は彼らよりもずっと容易だと思うのです。


もちろんいくつか改めるのに大変な思いをしたり、苦痛を伴ったりすることもあるでしょうが、早いうちに移行すれば、その分大難を小難に変えることができると思うのです。


それができればしめたものです!

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そして今回何より私が思うことはこの出来事は(人間には及ばない)天による大きな力が働いているということです。


だから天に感謝し、天の想いに寄り添えば、きっとよりよき世界に導かれるでしょう。


今世これまでの悪行を清算して、新たな未来へと向かおうではありませんか!

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図解はこちら




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2017年2月 8日 (水)

神様の鎖国計画(Watch2017)

現在の世界情勢を私なりにまとめてみると「鎖国主義」となるのではないかと思うのですが、「鎖国」といえばだれもが思い浮かべるのが江戸時代ではないでしょうか!

江戸時代徳川幕府が鎖国政策をとった主な理由は

・キリシタンの増加、団結、反乱

・貿易赤字の拡大による金銀の流出、貿易管理

・スペイン、ポルトガルの領土拡大政策の脅威

以上の3つにまとめられ、結局は国内(徳川幕府)体制の不安定要因を取り除くということになるのではないかと思います。

 さて現在のアメリカの問題を見てみると

・貿易赤字の拡大、天文学的巨額の財政赤字

・プアーホワイトの増加、格差拡大

・(不法)移民の流入、自国民の失業、テロの脅威


以上の3つが大きな課題としてあげられ、まずは国内の安定を図りたいというのが実情であり、それを大統領選挙で訴え、支持されたのがトランプ大統領ではないかと思うのです。

そこでトランプ大統領の行おうとしていることはアメリカの鎖国的政策であり、それはこれまでのグローバリズムとは正反対のものです。そのためこれまでのグローバリズムにより潤っていた人々、その政策をよしとしていた人との対立が現在のアメリカ国内の騒乱(内乱)となっているのだと思うのです。

この政策はこれまでグローバリズムの旗振り・推進役であったアメリカが、そこから降りるというということの突然の宣言でもあり、突然のリーダーを失った世界各国はこれから本格的に混乱してくるのではないかと思うのです。

結局ひとことで言うと、現在世界も日本もグローバリズムの再検証を迫られているのだと思うのです。

ここ30年のグローバリズムがもたらしたものが何だったかというと、

・世界標準化~世界のアメリカナイズ、西洋化、モノカルチャー化

・最適地(最安地)生産による、大量生産、大量消費、使い捨て物質主義文化

・大企業の利益拡大(利益の独占)によるプワー層の増大、格差拡大

この3つにまとまられるのではないかと思います。

これでは否定ばかりとなってしまうので、肯定的面で捉えると

・かつての貧困国が新興国となり、教育水準、社会インフラの向上

IT革命により情報伝達の加速、一部独占者による秘密の一般への公開

・世界的交流(融合)

となるのではないかと思います。



さて現在の日本を見てみると、トランプ大統領の誕生により、政治家・官僚の慌てようは滑稽を通り過ぎ、どうしようもない以外のなにものでもないように思えます。企業活動においてもアメリカと同様に大企業の利益独占化が進むものの、同時に東芝など大企業の陰りが見えてきています。こちらも今後は官僚や国会議員同様の混乱が訪れるのでしょう。けれども日本の本当に注目すべきはそんな大きな組織とは正反対に各地域の小さな組織にあると思のです。


現在各地域で地域づくりが盛んになっています。その要素は経済的側面や地域の存続問題が大きいものの、各地域の特色を活かした6次化製品の開発やイベントの開催をおこなっています。それによって各地域が磨かれ、地域の魅力がアップしています。それ故に地方や地域に目を向ける若者も増えています。そしてこれこそがこの先の支日本を支える力となっていくと思うのです。


今後大企業・大組織は世界の混乱に巻き込まれ、右往左往するでしょうし、崩壊していくところも多々あるでしょう。そしてそれはある一定程度中小企業にも及ぶでしょうし、私たちの暮らしにも影響を与えるでしょう。けれどもその中でこそ生き残る企業も人々も、そして地域もより一層磨かれてくるのだと思う。そして何が本当に大切なものなのか見直す機会を持つことでしょう。中でも企業に関して言えばその存在意義が大きく転換を迫られるのだと思います。これからは自社の最大利益と規模の拡大を求めるのではなく、地域や社会の本当の意味での発展(循環型・地域・人・自然との共生)に貢献する企業が生き残ると思いますし、利益とは継続のためのご褒美となっていくと思うのです。。



結局今回のトランプ大統領の誕生は、天の大がかりな仕掛けのひとつであり、これを通じてここ150年あまりの人間の意識を転換しなさいと言っているのだと思うのです。「いったん閉じて自分の足元(内側)をもう一度見直しなさい」ということではないでしょうか。そしてまさに今問われているのは神様(天)からのこのメッセージをあなたは受け取ることができますか?ということではないかと思うのです。


人間の知恵は神様の叡智には及ばないのです。せっかくですから神様からのメッセージ、しっかり受け取りましょう。(でなきゃ生き残れないかも。)

その時はきっと神様も喜んでくださるはずです!

 

解説図はこちら
             
             
             
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2016年12月28日 (水)

アメリカンWAYからの転換を考える:どうする日本!?

世界が大きく変わろうとしています。アメリカ主導の時代が終わり、誰もがこの先どのような世界となるのか予測できないような状況となってきています。トランプ氏の次期大統領が決定し、ますます世界は混とんとする様相を呈しています。(それでもヒラリー氏がなるよりかはずっとよかったと思います。)この先ロシアや中国が台頭するのか、それとも多極化した世界が広がるのか、しばらくは分からないのではないかと思います。そこで私なりの近代世界の形成と今後の日本を述べてみたいと思うのですが、まずはアメリカと近代世界の形成を述べたいと思います。


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第2次世界大戦後から今日まで世界はアメリカの主導によって近代化(西欧化)が進められてきたと言っても過言ではないと思います。その一番の方法を振り返ってみると、アメリカはずっと世界の中で対立を作り出し、それを自国の繁栄へとつなげてきたと思うのです。どういうことかというと、西側と東側による冷戦対立から始まり、対イラク、そして対中東・アラブ諸国~リビア、アフガニスタン、シリア~、更には(東アジア・日本に向けての)対北朝鮮、そして対中国etc。これらの対立を生みだすと同時にそれをうまく利用して自国の利益とすること。これこそアメリカの一番の方法だったと思うのです。


対立を作り出し、そこに自国の正義を振りかざし、そして白黒つけようと世界に迫ります。一応中立的な立場から判断したと見せかけるように国連というカード使います。けれどもその陰に常にあったのはアメリカの“にらみ”であり、そしてその武器が軍事力(暴力)と経済力であり、もうひとつはディベート力だったと思うのです。


対立を生みだし、アメリカの正義を振りかざすために、世界をアメリカ側につけるわけですが、そこでまず使われるのがディベート術であり、相手国がいかに不義を行ったかということのコマーシャルです。それはアメリカのロビイスト、弁護士産業のあり方を見れば分かります。(なんたってその力は有罪者を無罪にするほどのものですから…。)そして更に使われるのが軍事力を背景とした同盟国という名目であり、そこに「自由と人権、そして民主主義の名のもとに」とスローーガンを掲げればほぼ多数決は得られます。


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ここでアメリカの産業構造は軍産複合体となっています。その規模は一定期間戦争が行わなければ自国の経済が立ち行かなくなるといわれるほどです。それ故に軍産複合体、プラス政府が合体・共同し、世界に対立を生みだし、自国を「正義」とし、同盟国の賛成を取り付け戦争を仕掛けてきたわけです。(ちなみにそこにはじつは表立っての攻撃と、裏では敵国にも手をまわし、どちらに転んでも利益を得るというマッチポンプな方法をとってきたことが明らかにされています。)こうしてアメリカは「対立」を生み出し、争いを生じさせ、それを最終的には軍事力=戦争で持って解決する。それこそが自国の繁栄となるものであり、そのカタチを今日までより強固にしてきたと思うのです。



そしてもうひとつアメリカが世界に取った戦略が「開発」という名の搾取だったと思うのです。途上国に対し自国の繁栄を見せつけ、いかに西欧化・近代化という開発がその国の繁栄につながるかをプロパガンダ(宣伝)し、そのための開発支援を行うという名目で、その国の財を奪っていく。もちろんそこにはディベート術があり、ロビイストの活躍があり、更には自分たちの思惑の片棒を担ぐ者にはアメを与え私腹を肥やさせるという裏取引を行い、それでもって全体からは搾取するという方法をとってきたと思うのです。



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「対立」を生み出し戦争につなげていく方法と「開発」という名の搾取、これら二つでアメリカは繁栄を謳歌してきたわけですが、それを通じて比重が増してきたのが「お金(金融)」です。少し「対立の」論点から離れてしまいますが、そこで経済の仕組みを「モノ」から「金融」中心へと変化させ、「金融利益」の獲得を至上命題とします。それに伴い経済や金融を「実態」から「架空」へとも変化させます。二酸化炭素の排出権などまさにそれを表わしているといえるでしょう。そうして「利益」獲得はますます激しくなり、それは他国から搾取するだけでなく、遂には「未来」からも搾取するようになります。デリバティブなどの金融関連商品がそれにあたります。


未来の利益を確定させ、それを現在の利益とする。すなわち未来に生じるものを搾取するわけですから、未来に穴があいてしまいます。そしていつかはその未来はやってきます。その未来をまたさらに先の未来へと伸ばしてと繰り返しつつ、穴はどんどんと大きくなりやがてはその未来の穴は埋めきれなくなります。


そうして「対立」や「(開発)搾取」だけでは(穴を埋めるのに)足りなくなったこと、そしてその「対立」「搾取」などアメリカが採ってきた方法などが次々に暴かれ、ドツボにはまり、二進も三進も行かなくなっているのが現在のアメリカだと思うのです。そしてそのとばっちりを一番に喰らったのが「プワーホワイト」と呼ばれる人たちであり、アメリカの99%と呼ばれる層であり、彼らの共感を生み出したのがトランプ氏だったと思うのです。(本来はサンダース氏なのでしょうが、そこはヒラリーがお金の力で…。


こうして世界帝国が沈みゆくのと同時に、上って来たのがロシアや中国であり、現在はかつての栄光を今でもあるものとして見せつけるアメリカと、上がってきた両国の思惑が絡み合い、世界が混乱した状況にあるのだと思うのです。


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そんな状況の中で日本はどうあればよいのでしょうか? 世界が大きく動こうとしている今日本人はこれまでの歴史を振り返ると同時に、日本の未来、世界の未来のあり方を考えていかなければならないのではないでしょうか? 日本には新しい世界をつくり上げていく力と義務があると思うのです。


図 解①

(H29.8一部修正)
             
             

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2016年10月19日 (水)

食と社会の基盤

近ごろ地元産の水産品や農産物を東南アジアや中東へ海外展開するというニュースを良く見ます。そこにはプランナーはもちろん、県知事も同行しトップセールスを行い、現地への輸出・販売にこぎつけようとしています。

日本の農産・水産品が世界に認められることは素晴らしいことだと思います。それが農業・水産業を営む人々の懐を潤すならば尚更です。

けれどもふと思ったことがあります。

現在スーパーに行くと、野菜などの生鮮食品は地元産品、あるいは国内産のものが多くあります。けれども同時に中国産も結構あり、時にはブラジル・チリ産のものもあったりします。安いものを提供するために地球の反対側まで行くのかと思うと、その輸送にどれだけのエネルギーを使うのだろうと思ってしまいます。(それでも安いというのが不思議?)

更に加工食品になるとその割合がすっかり変わり、その多くが中国産のものが使われています。それに続いて東南アジア諸国、そして時にはトルコやロシアなどの国名も見られ、日本産の割合はかなり低くなります。唯一販売者・輸入者に日本企業の名前が書かれていますが…。

現在多くの人々がこの加工食品を食べる割合が増えています。地産地消と言われる中、あるいは地球環境問題が深刻になる中これでいいのかと思ってしまいます。

日本人が日本で作ったものは一部の日本人の口にしか入らずに外国へと輸出され、現地の富裕層の口に入る。一方で外国人が外国で作ったものが日本へ輸入され日本人の口に入る。(しかもまたこれが商社の指導で安く大量に作るために農薬・化学物質にまみれているということもあったりするようで…。)

何だかこれっておかしいのではないだろうかと思うのです。

現在日本でも貧困層の増加が大きな問題となっています。子どもの貧困問題のために全国に子ども食堂なるものが増えています。しっかりと食べられない子供が増える一方で、日本の食材は外国へと輸出される。

矛盾を感じてしまいます。

国の基盤は国民にあります。そしてその国民の安心の第一は衣食住にあります。それをおろそかにして豊かな日本となりうるはずがないと思うのです。

僕たちは一体何のため、誰のためにものを作っているのでしょうか?




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年9月28日 (水)

大量生産・大量消費から道の駅型スーパーへの転換

大量生産・大量消費という言葉をよく耳にすると思います。大手のスーパーやドラッグストア、あるいはディスカウントショップや100円ショップと呼ばれるところなどはまさにそこに当てはまるのではないでしょうか。現在ではほとんどの人が大なり小なりそれらの恩恵を受けていると思います。中にはなくてはならないと思う人もいると思います。けれどもそろそろ見直しを考える時期に来ているのではないかと思うのです。


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先日とある食品加工の企業を訪問することがありました。13時にアポイントを取っており、到着したのが12時50分ごろだったのですが、ちょうどその時大勢の外国人が次々に工場に入っていくところでした。社長に聞いたところ、その多くがネパールから語学留学として日本にやってきている人で、アルバイトが許可されている範囲で働いているとのことでした。


その席には人材派遣に関わっている人もおり、近頃は中国・タイ・ベトナムは自国の人件費の高騰により、彼らを(実習生として)確保することが難しくなってきており、自国の物価・賃金がまだまだ安い国の人たちが日本にやってきているとのことでネパールからきているとのことでした。また今日本の産業は彼らの労働力なしには決して成り立たないとのことでした。


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そこで私が疑問に思ったことは、この産業構造は必要なのだろうかということです。


ただし外国人労働者を使うことが良い悪いなどという問題ではなく、私が頭に思い浮かべたのは、最近よくニュースなどで耳にする、食べ物の異物混入の為に食品を廃棄するという問題です。その量は何万、何十万という数量であることがよくあります。それだけの量を廃棄するということはいったいどれだけの食料を無駄にしてしまうのだろうと思うのです。


ごくわずかの異物混入の為に全部捨てるのはもったいないとなると、下手をするとそれを転売してしまうということにもなりかねませんが、それでもやはりもったいないと思うのです。中にはそのためにどれだけの生命が犠牲になるかもしれません。このことを考えると、産業構造のシステム自体に問題があるのではないかと思えるのです。


大手のスーパー、レストラン、食品関連事業者は日々競争の中でコストカットを迫られていますし、また迫ってもいます。それが故に下請けの(加工)業者に大量発注することで、価格を下げるようになります。下請けの加工業者はその量をその価格で捌くために、分業システムを作り、作業効率を最大限に上げようとしますし、またなるべく人件費を抑えようともします。それがゆえに外国人実習生と呼ばれる人たちが集められます。そしてそこで行われるのが、単純作業と流れ作業でとにかく数をこなしていくシステムです。そこにあるのは機械化できない部分を人間を機械のように使うということではないかと思うのです。そしてこれこそ大量生産・大量消費という物質主義の象徴ではないかと思うのです。


物質文明に陰りが見え始めた現在、そろそろこのシステム~コンビニや大手スーパー、大手レストランのように全国一律に同じものを販売するという制度~を見直したほうが良いのではないかと思うのです。工場のように大量に(同じ)ものを積み重ねて販売するのはもうそろそろやめてもよいのではないでしょうか?


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その代りに私が提案するのは、「道の駅型スーパー」を増やしていくということです。少量かつ地域ならではのものを売買するようにすればいいのではないかと思うのです。そうすることによってもし異物混入することがあっても大量廃棄することもなく、必要最低限で済むと思えますし、毎日永遠と続く単純作業をすることなく、もっと人間らしく働けるようになると思うのです。


もちろんそこには大量生産し、保存するために使われる添加物という化学物質も入れられることもないでしょう。それよりももしかすると今日食べる人々の顔を想像しながら作ることができますし、そこには喜びや愛情がいくつのもの段階で込められるのかもしれません。同じように買う人もつくる人の顔をイメージすることができます。また高齢者が尊敬され活躍できる場が増え、そしてその技の継承ができるかもしれません。あるいは障がい者の雇用も増えていくかもしれません。そうなると作る側も食べる側もお互いにハッピーになるのではないでしょうか?


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考えてみると、大量生産された品物は、好き嫌いの感情はありますが、作り手の顔を想像することなど全くなく、たとえあったとしてもコマーシャルに出ている俳優やそこで出てきたフレーズではないでしょうか?それらのものは全てコピーライターの人やプランナーの人が考えたものなのです。


時代の境目、大企業による大量生産・大量消費の限界と崩壊を私たちはこれから目にするのかも知れません。けれどもその崩壊と同時にそこに現れるてくるのは、一人ひとりの顔が想像でき、みんながハッピーになれるものが芽を出してくることなので、心配せず、楽しみにしましょう!



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             

2016年9月21日 (水)

ルート地球のお世話係パート2

平成のバブル景気が崩壊して25年以上が経過しています。この間ずっと日本は低迷状態にあります。一時期いざなぎ景気を超える景気拡大期(いざなみ景気)とも言われたこともありますが、結局は大企業のみの景気拡大であり、今では大企業は莫大な内部留保を抱え、国民の格差は拡大し、子供の6人に1人は貧困層と言われるようになっています。
             
この25年いくつかの政党が政権を運営し、名前を覚えられないほど多くの首相によって様々な経済政策がなされてきました。けれどもその結果は、国の借金が1000兆円を超え、国民1人当たりの借金は830万円となったこと。更には原発事故が起こり、多くの国民が借金を背負うだけでなく、重大な命のリスクにさらされるまでになったことです。
             
それでも日本の権力層のトップの面々は、現在も経済成長、経済成長と声を張り上げ、GDPの拡大を目指しており、多くの国民も(大半が40代以降ですが…)それで再びあの頃の豊かさが取り戻せると思っているのが現状です。

けれども本当は、日本の豊かさの次元が変わっているのです。そのことにもうそろそろ(いい加減)気付かなければならないと思うのです。なんたって25年、四半世紀以上が過ぎているのです!
             
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戦後からバブル時期まで、いわゆる昭和の時代は、日本にとって物質的成長が豊かさの次元だったことは違いありません。人々は科学の発展、物質の恩恵を受け、それまでの縛りから解放されました。けれども昭和天皇の崩御とともにそれは終わりを告げます。平成の始めの賑わいはその余韻に過ぎなかったのです。
             
平成(1989年)となり第1回目の精神的次元のシフトが起こり、次に2000年(平成12年)に第2回目、そして2012年(平成24年)に3回目の次元のシフトが起こり、その次元はどんどん大きくなっています。
             
それにも関わらず、政府、国会、霞が関、日銀、大企業は、今もお金とモノ縛られ続けており、多くの国民もそれに引っ張られている~マインドコントロールされている~状態が続いています。

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世界をみてみると、中国・東南アジアなどの新興国と呼ばれる国は今も物質次元にあり、彼らはそれらを通じて現在これまでの縛りから解放され豊かさを得ようとしています。それらといくら日本は競い合っても仕方ありません。そもそもの土俵が変わってしまっているのですから。
             
先進国(先進没落国?)と呼ばれる国々も、物質的次元から精神的次元への移行の促し段階にあり、それに薄々と気づき始めたり、あるいは様々な混乱が起きていたりするのが現状です。

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そんな中密かに注目されるべき国、その存在感を徐々に高めているのががブータンではないかと思うのです。
             
ブータンの注目されるべき点は、なんといってもGNH(Gross Natinal Happiness~国民総幸福量~)政策でしょう。経済成長ではなく、国民一人一人の幸福度、そしてそこには自然保護、自然との調和、そして人々の暮らしの中にある伝統文化を守ることを欠かせないものとしています。(その中でゆっくり近代化を進めていく。)
             
ブータンが2005年に行った国勢調査では約97%の国民が「幸せ」と回答しており、世界を驚かせました。ブータンは世界でも下から数えた方が早い最貧国のひとつです。それでも国民の多くが幸せと答えられる国とは?それを僕たちは考えなければならないのではないでしょうか?
             
ちなみに別の幸福度調査では、ブータンの幸福度はずっと低くなっています。けれどもその調査の中にある項目のひとつがGNP(GDP)経済成長です。
             
世界各国がグローバルリズムの影響によってモノラル化する中、ブータンは今も自国の伝統を保護し、大切にしています。そこには今も彼ら独特の美が生きています。もちろんブータンの人々も普段はTシャツを着たり、化成繊維やナイロンを着たりもします。けれども今も伝統文化がしっかりと残されています。
             
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さて、再び日本に戻ってみるとどうでしょう?多くの伝統建築は破壊され、近代的なビルや建物へと変わり、都会をぎっしりと埋め尽くしています。競争社会が毎日24時間休むことなく繰り広げられています。誰もが生き残ろうと必死となり、あるものは精神を犯され、あるものは死を選びます。
             
大手メディアは毎日これでもかと、グルメ番組、お笑い番組を流し続け、今の価値観を維持しようとしています。一見すると日本はこのままずるずるとバブル崩壊後の低迷をあと10年、20年と引きずって行くだけのようにも思います。
             
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けれども日本にも可能性の芽は出てきています。そのひとつが地方の地域が頑張っていることです。もちろんそれは地方の消滅を避けるため、あるいは地方経済の活性化が主な目的となっていますが、そこでは地域の伝統的な食や産業が見直されて、それをもう一度取り戻し、発展させようとしています。
             
更に自らの活路をそこに見いだそうとする若者も増えつつあります。都会では得られない充実感を求める若者、Uターン(Iターン)してくる人々が増えています。それらを通じて日本の伝統、日本の美が取り戻されていけば、きっと再び日本人の持つ精神が取り戻されると行くと思うのです。
             
それを支持するかのように、競争世界が生み出したITという産物が、SNSや情報面から側面支援を始めています。それに伴い大手メディアの力は弱まり、これまで隠されていた多くの事柄が表に出始めています。人々は真実を知るようになってきています。
             
そこに今世界的に起こりつつある精神次元への移行が重なり合えば、きっと大きなシフトが起こってくると思うのです。
             
天の計らいとは絶妙なのかもしれません。
             
             
             
             
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