文化・芸術

2017年6月21日 (水)

新しい日本を創ろうよ④~日本を紐解く~

さて前回は幕末に日本を訪れた西洋人の日記や旅行記などから、江戸時代(末期)の日本人がいかに幸せに暮らしていたかということを書きましたが、今回はその生活(時代)を築き上げるまでを見ていきましょう。

             
江戸時代は徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を創設してからおよそ260年間続くわけですが、この260年間に日本人はパラダイスジャパンを築き上げたともいえます。何故なら江戸時代の前はどうだったかというと戦国時代と呼ばれるいわゆる日本を統一しようと各地域の武将たちが争いを繰り広げていた時代だったからです。更にその前を見てみると、室町時代があり、鎌倉時代の武士の時代があり、その前の前は、平安時代、奈良時代…弥生時代、そして縄文時代と遡ることができるわけです。


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さて現在この日本の始まりとされる縄文時代の研究が進み、当時の生活が徐々に明らかにされてきています。一般に縄文時代とは狩猟採集生活の原始的暮らしであったと教えられてきましたが、調査研究の結果、実はそうではなく、(もちろん狩猟採集もありましたが、弥生時代とは違う自然に寄り添うカタチの)農業が営まれ、土器が作られ、煮炊きがされ、村の中では、建築がされ、道路さえも作られており、非常に文明的な暮らしが営まれていたことが分かってきています。そしてそれはナント1万年以上も続く驚異的な時代であったことが明らかとなっているのです。
             
ひとつの文明が1万年以上続くということは、それは現在の私たちとは全く違う価値観に基づく文明であり、それだけ平和裏に暮らしていたのだと思われます。その農業スタイルや出土した土器などから日々の暮らしぶりは自然と共にあったものと思われます。この1万年続く驚くべき時代は、今の日本人には全く想像もできないことでしょう。けれどもそのDNAは日本人に強固に埋め込まれているものだと思うのです。何故なら、何度も繰り返しますが100年や1000年でもなく、10,000年も続いたものなのですから! そしてこのDNAがあったからこそ日本は江戸時代のパラダイスジャパンを創りあげられたと思うのです。


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再度縄文時代から江戸時代までをもう一度振り返ってみましょう。大陸からの人々の移入が始まり、稲作が開始され弥生時代へと変わっていきます。そして古墳が作られ、飛鳥・奈良時代となり、漢字が持ち込まれ、仏教という宗教が入ってきます。この間ずっと大陸からの移住者とそして彼らの持ち込んだ大陸文化が日本に入ってきたことが分かります。そしてそれらが花開くのが平安時代であり、日本独特の文化が作られていきます。空海により密教がまとめ上げられ、神道と融合されていきます。ひらがなが生まれ、物語が記述され、平安雅といわれる貴族を中心とした華やかな文化が花開くこととなります。
             
それから武士が台頭し、鎌倉時代、室町時代と武士の納める社会が形成され、禅の流入と共に、質実剛健の文化が築かれていきます。それはこれまでの貴族を中心とした文化であったものが武士階級へと移ると共に、仏教の庶民化など、大陸からの流入文化が庶民の間に広がり土着化していく過程であることが分かります。
             
続いて応仁の乱を経て、下剋上の世の中が始まると共に、ポルトガル船が訪れ、日本人が初めて西洋人に直接会うこととなり、同時にキリスト教、鉄砲などの西洋の文化と科学が入ってくることとなります。ちょうどこの戦国時代の頃は日本においては農業技術の進化により、開墾され、生産性が向上しており、新しい技術を受け入れられる素地ができていたともいえます。けれども日本が統一され江戸時代となり、幕府はキリスト教流入の阻止、西洋の植民地政策に対して危機を覚え、長崎の出島にオランダ船と中国船(明・清)のみの出入りを許可する鎖国を行います。
             
この鎖国によって極度に海外からの文化の流入が制限される260年間に日本独自の文化が形成されていき、質素な暮らしながら、陽気で純粋にして、そしてそのほとんどが満足した顔、幸せそうに見える極東のパラダイスと呼ばれる日本が出来上がったと言えます。


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縄文末期から大陸の人々が移住を始め、大陸文化が持ち込まれる弥生時代、飛鳥・奈良時代が約600年ほどです。そしてそれらを基に日本の貴族文化が花開く平安時代が約360年、そして同じく大陸文化を取り入れつつ鎌倉、室町、戦国時代と武士を中心とした文化が約500年、計1,500年あまりの文化が中和され、そして縄文時代のDNAと調和されたのが江戸時代の260年ではないかと思うのです。
             
弥生時代から戦国時代までの約1,500年間に流入してきた文化を10,000年の縄文時代に間に形成されたDNAの中に取り込まれていく。10,000年のDNAはそれほどのものだと思うのです。もちろんそれは日本の自然豊かな国土との関係も大いにあると思います。縄文文化は日本の自然と切っても切り離せない、自然に溶け込んだ、自然と一体化した文化だからです。それ故に江戸末期に訪れた西洋人はその風景の美しさ、人間により開墾された田畑と自然が一体化した風景、道々を飾る花々、そして人々の暮らしを見て絶賛するのです。


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「日本人はいろいろな欠点を持っているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる。」(オールコック)
             
「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるものかと見とれてうっとりしたほどであった。」(ポンぺ)
             
「この時われわれが通ったような魅惑的な道に、私は他の国々を遊歩した際に出会ったことはなかった。それは時折、英国の田園地帯のいくつかで出会った道を思い出させたが、最初は先入見があったにもかかわらず、英国にはこれと較べられるようなものがないと認めないわけにはいかなかった。広い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、その木立は道を縁どって素晴らしい日蔭をつくり出していた。時折みごとな生垣も目についた。それはときにはさまざまな種類の常緑樫、ときには杉などの常緑樹でできていた。丁寧に刈りこまれ、ある時は英国貴族の庭園でよくお目にかかるヒイラギやイチイの丈高い生垣を思い出させるほど、高くのび揃えられていた。どこでも小屋や農家はきちんとしており清潔に見受けられた。こんな様子はほかの東洋諸国では見たことがない。・・・風景はたえず変化し、しかもつねに美しい―丘や谷、広い道路や木蔭道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる。」(フォーチュン)
             
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原でもの珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」(ヘンリー・S・パーマー)


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この10,000年間の縄文時代に形成されたDNAが、新たなものを中和し、調和させる。それらが江戸時代に働き、弥生時代から戦国時代の1500年が取り込まれ、調和され、新たなカタチを生み出し、結果上記のような感想が述べられる日本が生み出されたと思うのです。そしてこの力こそが日本の根底にある力であり、これからの新しい日本を形成していく力となると思うのです。
             
先進国の中で子供の貧困率が高い国、自殺率の高い国に位置する日本であるよりも、世界中の人々から「美しくて、みんな笑って幸せそうで、まるでパラダイスみたい!」といわれるような日本を取り戻したい(創りたい)と思いませんか?
             
             

(参考文献:「
逝きし世の面影」 渡辺京二著 平凡社  )    


    
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~




             
             

2017年4月12日 (水)

現代における宗教の役割

宗教について考えてみた。

最初に言っておくと、自分の宗教に対する考えは、もうずいぶんと前からキリストも仏(ブッタ)もイスラム(マホメット)も見たもの、見た世界は同じであり、ただ表現の違いであること。

それぞれの個性がそこに現れたというもので、根源は同じであるということである。


ただ今回はその部分を題材とするのではなく、別の観点から、つまり宗教の役割という点から捉えてみたいと思う。


自分が思うに、宗教をひと言でいうと、その役割は「(生きていく上での)心のよりどころ」であると思う。

けれども歴史上、そして現在も続くイスラムとキリスト間の争い、そしてこのところ特にクローズアップされるイスラム(過激派)によるテロ、

更に我が国日本においては、数々の新興宗教が設立され、その中には盲信により人生を狂わせたり、他者に危害を加えたりするということも起こり、

多くの人が宗教に対し、その一般的な歴史的価値を認めつつも、レッテルを張り、敬遠しているのが現状だと思う。


それが故に日本人の多くは(戦後)無宗教社会を選び、その代わりに宗教的行事を宗教とせず、生活の中のイベントとして捉えることを選択した。

実際のところそれを仕掛けている企業もあるが…。


宗教という心のよりどころを捨て、その代わりに社会に、そして人々の暮らしの中に大きく台頭してきたものが、物質であり、お金である。

けれども物質はカタチあるモノであり、それは、いつかは壊れ、失われていく。手中にあるようでないもの。

またお金においては数えられるものであり、1億あれば、5億あれば…とその欲望は膨らむ一方である。

そしてその枚数(金額)が減っていくと、今度は逆に心配が膨らんでゆく。


更にそこにプラスして、近頃は権力者・エリートたちのその乱用によりその価値、そして信頼性が揺らいでいるのが現状である。


宗教の信頼が失われ、物質主義の限界が露呈され、お金の信用と価値は揺らぐ。

このような状況の中で、人々は一体何を心のよりどころにすればよいのだろうか?

科学?スピリチャル?芸術?

科学…その進歩は凄まじい。情報のスピード、情報量、どちらも科学の力による。けれども人々はモラル無き科学の進歩を恐ろしく思う。

スピリチャル…ブームである。(個人的に自分もはまっているし、信じている。)けれどもまだまだいかがわしく思う人も多いし、実際にいかがわしい人も多い。

芸術…その可能性あり。けれどもどうやって心のよりどころに?心に余裕は与えるだろうけれど…。それにアートのセンスなんてないわという人も多い。


自分達は今すべてが不透明な時代にいる。

そこに輪をかけて情報過多により混乱は増す一方である。

このような時代の中で人々は生きていかなければならない。

如何に生きるか、何のために生きるか。

そのために何を持って心の拠りどころとするか、何を信じていくか?

生きていくための自信はどうやってつけていけばよいのか?

そこに宗教が再び入りこむ余地はあるのか?

別の役割があるのか?

答えは「分からない。」である。

けれどもその答えをこの先考えていきたいと思う。



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年10月 5日 (水)

お遍路さんへ!

以前にもお伝えしたかもしれませんが、今年(平成28年)は60年に1度のお遍路さんの当たり年だそうです!何でも逆打ちすると通常の4倍の後利益MAXになるとか…。みなさんご利益をいただけるといいですねぇ~。今年はお遍路さん賑やかです!

そのお遍路さんの開祖である弘法大師空海さんは(日本)密教を完成させた人であり、日本史上、いえ世界史所においてもまれにみる天才です。更にその密教界では現世利益は否定されていません。現世利益もよしとします。眼耳鼻舌身意すべて聖なりとしています。なんたって僕たちの今世の目的の一つは幸せになるということですし…。

さて、先日とある人から(経営者のグループの)お遍路の案内をしてもらえないかという打診がありました。

結局その話は流れてしまったのですが、その際その経営者の方にひとつお伝えしたことがあります。それは多くの人が言われることですが、「歩き遍路が一番利益が多い」ということへの僕なりの意見です。

僕の経験から、確かに歩き遍路はそれだけ時間と体力を使ってお参りするので、お接待を受けたり、いろいろな人に会ったりして、より多くのものを受け取ると思います。けれども車やバスで回ろうと、バイク・自転車で回ろうと、歩いて回ろうと、お遍路する人みんなに共通の利益が与えられます。

それは「お参りできてありがたい。」と思えることです。

歩いて四国を廻った時いろいろなお遍路さんと出会いました。50回以上廻っている人もいれば、エンドレスで歩いて廻り続けている人もいます。あるいは高齢で階段を上ることが難しく、下から拝むという人もいますし、同じく高齢者で階段でこけても上がろうとする人もいます。

何故この人たちはそうまでしても廻るのだろうとずっと考えていました。中には商売がうまくいくよう利益目的の方もいるでしょうし、病気を治したい、死への準備、あるいは自分探しなどひとり一人それぞれに理由があるのだと思います。けれども僕が最終的に見いだしたのは、先に書いた「お参りできて有難い」ということです。これは歩き遍路の最後の方に僕自身の中に生じた心であり、そのことを確信しました。

「お参りできて有難い。」

そう思えることがお遍路さんみんなに与えられる共通利益であり、何よりものご利益です。(中にはそう思えない方もいるかもしれませんが…、その方はもしかすると欲の皮が厚すぎるのかも…。それもまた良しですが…。)

ということをその方に伝えしました。

けれども今思うと更にもっとよいのが、お遍路参りを通じて日常生活を感謝して生きられるようになることです。お遍路経験での感謝が日常生活に活かされるようになればとても素晴らしいと思います。更に更にそれを突き詰めれば「今ここに生きていることに感謝して生きていく」ということになるのでしょう。

今この瞬間瞬間を感謝しながら生きていく。

こうなるとご利益超マッハ!僕もそうなりたい…。そんな人生が送れると素晴しいと思うのです。

実は最近すっかりお遍路経験がはげ落ちてしまった僕…。あの頃を思い出し、もう一度心を立て直さなければと思っているところです。そしていつかまた感謝のお遍路旅をしたいと思うのです。

只今修行の真っ最中です!

感謝

(当時のお遍路日記はこちら



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年9月21日 (水)

ルート地球のお世話係パート2

平成のバブル景気が崩壊して25年以上が経過しています。この間ずっと日本は低迷状態にあります。一時期いざなぎ景気を超える景気拡大期(いざなみ景気)とも言われたこともありますが、結局は大企業のみの景気拡大であり、今では大企業は莫大な内部留保を抱え、国民の格差は拡大し、子供の6人に1人は貧困層と言われるようになっています。
             
この25年いくつかの政党が政権を運営し、名前を覚えられないほど多くの首相によって様々な経済政策がなされてきました。けれどもその結果は、国の借金が1000兆円を超え、国民1人当たりの借金は830万円となったこと。更には原発事故が起こり、多くの国民が借金を背負うだけでなく、重大な命のリスクにさらされるまでになったことです。
             
それでも日本の権力層のトップの面々は、現在も経済成長、経済成長と声を張り上げ、GDPの拡大を目指しており、多くの国民も(大半が40代以降ですが…)それで再びあの頃の豊かさが取り戻せると思っているのが現状です。

けれども本当は、日本の豊かさの次元が変わっているのです。そのことにもうそろそろ(いい加減)気付かなければならないと思うのです。なんたって25年、四半世紀以上が過ぎているのです!
             
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戦後からバブル時期まで、いわゆる昭和の時代は、日本にとって物質的成長が豊かさの次元だったことは違いありません。人々は科学の発展、物質の恩恵を受け、それまでの縛りから解放されました。けれども昭和天皇の崩御とともにそれは終わりを告げます。平成の始めの賑わいはその余韻に過ぎなかったのです。
             
平成(1989年)となり第1回目の精神的次元のシフトが起こり、次に2000年(平成12年)に第2回目、そして2012年(平成24年)に3回目の次元のシフトが起こり、その次元はどんどん大きくなっています。
             
それにも関わらず、政府、国会、霞が関、日銀、大企業は、今もお金とモノ縛られ続けており、多くの国民もそれに引っ張られている~マインドコントロールされている~状態が続いています。

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世界をみてみると、中国・東南アジアなどの新興国と呼ばれる国は今も物質次元にあり、彼らはそれらを通じて現在これまでの縛りから解放され豊かさを得ようとしています。それらといくら日本は競い合っても仕方ありません。そもそもの土俵が変わってしまっているのですから。
             
先進国(先進没落国?)と呼ばれる国々も、物質的次元から精神的次元への移行の促し段階にあり、それに薄々と気づき始めたり、あるいは様々な混乱が起きていたりするのが現状です。

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そんな中密かに注目されるべき国、その存在感を徐々に高めているのががブータンではないかと思うのです。
             
ブータンの注目されるべき点は、なんといってもGNH(Gross Natinal Happiness~国民総幸福量~)政策でしょう。経済成長ではなく、国民一人一人の幸福度、そしてそこには自然保護、自然との調和、そして人々の暮らしの中にある伝統文化を守ることを欠かせないものとしています。(その中でゆっくり近代化を進めていく。)
             
ブータンが2005年に行った国勢調査では約97%の国民が「幸せ」と回答しており、世界を驚かせました。ブータンは世界でも下から数えた方が早い最貧国のひとつです。それでも国民の多くが幸せと答えられる国とは?それを僕たちは考えなければならないのではないでしょうか?
             
ちなみに別の幸福度調査では、ブータンの幸福度はずっと低くなっています。けれどもその調査の中にある項目のひとつがGNP(GDP)経済成長です。
             
世界各国がグローバルリズムの影響によってモノラル化する中、ブータンは今も自国の伝統を保護し、大切にしています。そこには今も彼ら独特の美が生きています。もちろんブータンの人々も普段はTシャツを着たり、化成繊維やナイロンを着たりもします。けれども今も伝統文化がしっかりと残されています。
             
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さて、再び日本に戻ってみるとどうでしょう?多くの伝統建築は破壊され、近代的なビルや建物へと変わり、都会をぎっしりと埋め尽くしています。競争社会が毎日24時間休むことなく繰り広げられています。誰もが生き残ろうと必死となり、あるものは精神を犯され、あるものは死を選びます。
             
大手メディアは毎日これでもかと、グルメ番組、お笑い番組を流し続け、今の価値観を維持しようとしています。一見すると日本はこのままずるずるとバブル崩壊後の低迷をあと10年、20年と引きずって行くだけのようにも思います。
             
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けれども日本にも可能性の芽は出てきています。そのひとつが地方の地域が頑張っていることです。もちろんそれは地方の消滅を避けるため、あるいは地方経済の活性化が主な目的となっていますが、そこでは地域の伝統的な食や産業が見直されて、それをもう一度取り戻し、発展させようとしています。
             
更に自らの活路をそこに見いだそうとする若者も増えつつあります。都会では得られない充実感を求める若者、Uターン(Iターン)してくる人々が増えています。それらを通じて日本の伝統、日本の美が取り戻されていけば、きっと再び日本人の持つ精神が取り戻されると行くと思うのです。
             
それを支持するかのように、競争世界が生み出したITという産物が、SNSや情報面から側面支援を始めています。それに伴い大手メディアの力は弱まり、これまで隠されていた多くの事柄が表に出始めています。人々は真実を知るようになってきています。
             
そこに今世界的に起こりつつある精神次元への移行が重なり合えば、きっと大きなシフトが起こってくると思うのです。
             
天の計らいとは絶妙なのかもしれません。
             
             
             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

2016年3月30日 (水)

現代社会を変える!ガイアビジョン十訓2016

まずは下の十訓をみて下さい。


1.
もっと使わせろ

2.
捨てさせろ

3.
無駄使いさせろ

4.
季節を忘れさせろ

5.
贈り物をさせろ

6.
組み合わせで買わせろ

7.
きっかけを投じろ

8.
流行遅れにさせろ

9.
気安く買わせろ

10.
混乱をつくり出せ


これ見てどう思いますか?

現代社会にピッタリ当てはまると思いませんか?

スマホのお財布システム、流行の服、年々増えていく時節のイベント、コタツでアイス、商品券配布などなど…。


実はコレ1970年代に電通が提唱した戦略十訓なのです。

現在は上の十訓ではないようですが、それでも現代社会にほぼ完ぺきに当てはまり恐ろしいぐらいと思いませんか?

それはつまり「私たちの生活は企業戦略に踊らされている」ということです。

企業だけではなく、高齢者に商品券を配り、今度は若者に配ろうなどと考える政府もそう同じと言えるでしょう。

企業も政府も一体となって消費せよせよの大合唱をしているのです。


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1970
年代といえばまだまだアナログ全盛期です

高度成長期は終わったにしても、まだまだ経済は発展していく最中です。

そしその時代から40年以上が経ち、現代は社会も成熟し、地球環境も大きく変わりました。

それにも関わらず今も1970年代以上にこの戦略に乗せられ続けているのです。

いえ、ますます過激に、あからさまになってきていると言ってもよいでしょう。


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さてそれではここでこの戦略十訓の反対語にしてみるとどうでしょう?


1
. 大切に使う

2
. 長く使う

3
. 無駄遣いをしない

4
. 季節を感じる暮らしをする

5
. 贈りものしない、(おすそ分けする)

6
. 本当に必要な物だけを買う

7
. 目的をきちんと持つ

8
. 流行を追わない

9
. よく考え、判断する

10
.心を落ち着けて


こうすると何だかかつての日本が甦ってきそうではありませんか?

かつて日本は国民総中流階級と日本人自身が言っていました。

さらにさかのぼり、江戸時代末期には、(日本にきた西洋人から)日本人は満足して幸せそうで、まるでパラダイスのようだと言われていたのです。

(総中流社会はともかく)そんな時代のフレーズはこちらだと思います。



それになんといっても地球環境を大切にしなければならないこれからの時代にピッタリだと思いませんか?


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現代の社会において、毎日毎日いったいどれだけの資源が無駄にされて、挙句の果てに地球環境が破壊されていると思いますか?

空気は汚れ、水も汚れ、肥沃な大地は奪われ、自然は破壊されています。

そのことはみなさんご存知のはずです。

きっと何とかしないといけないとみなさんも思っていることだと思います。



 
ところでみなさん子供にどれだけのお金をかけているのでしょうか?

社会人となるまでに大変な額を投じていると思います。

それらはすべて親心であり、子供のためを思ってのことだと思います。

子どもたちに立派な社会人なってほしいとの思いから、自分たちを犠牲にすることも厭わないことでしょう。


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けれども本当は子供たちに安心して暮らしていける社会や環境を渡すことの方が大切ではないでしょうか?


放射能を浴びる暮らし、テロにおびえる暮らし、いじめや不登校、挙句に自殺する(教育)環境、格差や貧困を感じる社会、子供を安心して外で遊ばせられない地域など

先の見えない不透明で、行詰まりの現代社会を渡しますか?


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大人も子供も本当に必要なものは何なのでしょう?

一度じっくりと考える機会をつくってみてはいかがでしょうか?



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ということで、らいふあーと~僕らは地球のお世話係~では、この戦略十訓を反対にしたものを「ガイアビジョン十訓2016」としたいと思います。


目指すは、地球とともに共生・共発展していく世界づくりです!





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年11月25日 (水)

縄文夢想:たくましさと優しさに満ちあふれた人々

中学1年の時、社会の先生のあだ名は大ちゃんでした。大ちゃん先生は歴史の授業の際、生徒にその頃の状況がよく分かるようによく独り芝居をして当時の場面を再現していたのです。

「お~い、天気がいいから海に貝採りに行こや~!」

「お~い、今日は山に木の実採りに行かんか~?」

縄文時代の再現です。30年以上前の授業の様子が今も記憶に残っているのですから、いい先生だったのでしょう。(今はどうされているのでしょうか?)


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その芝居のせいか分かりませんが、縄文時代といえば、木の実を取りに行ったり、貝を採ったりと、その日の食べ物を野山に行って取ってくる、いわゆる狩猟採集の時代であり、そして堅穴式の住居に住んでおり、どちらかと言えば原始的生活を描いてしまいます。

縄文土器なども含め、彼らの生活全てにおいて原始的なものだと思っていました。おそらく現在も多くの人がそう思っているのではないでしょうか。

同時期アジア、ヨーロッパなどでは文明が栄え、善政が行われたり、哲学が追及されもしていたのに、日本は原始的なままで、随分と遅れていたのだなあ…などと思う人も多いことでしょう。私もそう思っていました。

ところが先日NHKの番組で、縄文時代の調査研究が進み、今や彼らの文化はこれまでの常識を覆し、世界的に見て独特であり、かつ最先端な生活であったことが明らかになり始めているそうです。


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(舞台は青森県にある三内丸山遺跡です。)縄文時代は今から15千年前から始まり、弥生時代まで1万年以上続く「持続可能」な社会を形成していたことが明らかになって来たのです。

これは世界各国(ヨーロッパ、アジア、中国)の文明がどれも長くて数百年の国家であり、常に争いが繰り返されるという歴史であったのに対して驚異的な長さです。

その生活様式は狩猟採集を基本としながらも、その地に定住する独特のものであったのです。


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世界が麦畑のような農耕により文明を発達させていく一方で、そのような農耕を拒否し、代わりに栗の木を植え、春は山に山菜を採りに行き、夏は海に魚を取りに行き(干物にして保存)、秋には植えて育った栗の実などを集め、冬は動物を狩りその肉を食べ、毛皮を取るという生活を送っていたと考えられるのです。

その生活実態は、日本の自然と共生した大変豊かなものであり、文化的にも優れていたのです。

早くから土器がつくられていたのですが、それらはおそらく世界で初の土器であり、そしてあの縄文土器の独特の模様は、自然の精霊をかたどったものであり、自然への畏敬の念が込められたものだと思われるのです。

土器を作り、煮炊きし、翡翠を加工して着飾り、更には漆を使うという文化を早くから発達させたのです。また自然を敬い、定期的に儀式を行い、神を崇めていたのです。

更には巨大な建造物や道路も建設され、そこには優れた測量技術・土木技術が使われていたのです。

それらのすぐれた技術を用いつつも、すべては自然の循環の範囲の中に納まるように生活することにより、集落を維持・発展させながら1万年という時代を(おそらく争うことなく)持続させてきたのです。

この先調査が進めばますますその生活実態が明らかになってくることでしょう。


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さてここからは私の想像となるのですが、彼らの生活はとても豊かに感じられるのです。

もちろん平均寿命は現在の半分にも満たない30歳ぐらい(?)でしかなかったことでしょう。

けれども中には60年、70年と生き続けるひともおり、その人たちは長老と呼ばれ、誰もから尊敬され、敬われていたことでしょう。

彼らはたとえ若くして死んだとしても、死んだらあの世に帰り、またこの地に戻ってくることを分かっていたのだと思うのです。

だから死をそれほど恐れていなかったのではないかとも思うのです。

そして現在のように精神的に追い詰められることもほとんどなく、毎日必要な労働だけを行い、そしてみんなで共に唄い踊っていたのだと思うのです。

ナントこの時代に既にお酒を造っていたような形跡もあるそうです。

 
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(時にお酒を飲みながら)炎を囲み子供たちに話しを聞かせ、あふれんばかりの星を眺めて果てしない宇宙を想像しながら、夢や希望を語っていたことでしょう。

それらがどのような内容のものであったのか想像もつきませんが、(その夢や希望は)現在とは全く違ったものだったことでしょう。


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目を閉じれば彼らの笑顔が思い浮かびます。そこには同時に逞しさと優しさにも充ち溢れています。

そして彼らは「お~い、一緒に山に山菜採りにいかんか~?」と笑顔で呼んでいるのです。





らいふーあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年10月 1日 (木)

地球元年:今日から地球と人間の関係が変わります!

突然ですが、みなさまおめでとうございます! 2015101日は、地球と人間が本来の関係(地球のお世話係、共生・共発展)を取り戻す共生元年です。と言っても直観的にそう思っただけなのですが、今日から地球と人間の新しい関係を築き上げていきましょう。


さて先日テレビを付けるとニュースで国連機関のアフリカ人女性が次のようなことを話していました。


「地球は人間がいなくても大丈夫。けれども人間は地球なしには生きていけない。先に消えるのは私たちです。」


この考えはまさに「らいふあーと~僕らは地球のお世話係~」の大きなテーマのひとつなのですが、みなさんはどう思われますか?


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もし現在のアフリカなどの開発途上国の人々を含め、世界中の人間が現在のアメリカや日本のような生活をしたならば、地球は5個必要だと言われます。当然ながら地球は1つしかないから、そのような時には地球の陸地はすべて砂漠となり、海も黒ずんだ死海となることでしょう。もちろんそこには人間はいなくなります。もしいたとしてもごくわずかな人数でしかないでしょう。そして再び原始的生活から始めるしかないでしょう。


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現在開発途上国には、先進国の資本がどんどん流入し、人々は経済発展とともに先進国のライフスタイルを真似しつつあります。それは同時に上記のことが現実化しているということであり、人間は破滅に向かっていることを意味しています。そこで今まさに求められているのが、先進国における生活様式の変化であり、それは持続可能なライフスタイルへの変更なのです。


その証拠に世界中が大きな気候変動の中にあり、異常気象に見舞われています。これはここ100年間の人間活動が地球環境に与えた影響の結果であり、人間に対する警告です。警告だけならまだいいのかもしれませんが、このままいけばおそらくレッドカードが出され、退場させられる羽目になることでしょう。それもそれほど遠い先のこととは思えません。


現在地球上には80億人の人間が生きています。それだけの人間が生きていくために求められているライフスタイルとは、おそらく現在のスタイルとはかけ離れたものでしょう。現在の先進国の生活水準は途上国の犠牲の上で成り立っているのですから、途上国の経済発展とともに先進国の生活水準は下がらざるを得ません。現に日本も世界の先進各国も生活水準は格差というカタチで分かれつつあります。


けれどもいきなりその水準を変えることはできないでしょう。私たちはその水準にすでに慣れきってしまっています。水準を無理やり下げるには相当の抵抗感と敗北感が漂ってしまうことでしょう。


ではいかに豊かさを享受しながら、ライフスタイルを地球と共生することができるものとしていけるのでしょうか。つまり持続可能な発展ができるのでしょうか?


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持続可能な発展。それはテクノロジーによる進化もあるのでしょう。けれども今一番求められていることは、意識の変化ではないでしょうか。その中でも、特に「地球」を意識することだと思うのです。私たち人間は地球の恵みによって生きているのであり、生かされている存在です。そしてそれを感じ、地球に感謝すること、祈りを捧げることが必要です。何故なら地球も私たちと同じ意識ある生命体だからです。その祈りと感謝はきっと地球の意識に届き、私たちに共生するための智慧を与えてくれることでしょう。


まずはこの意識を育てていくことが必要ではないでしょうか?


繰り返しとなりますが、地球は1つしかないのです。5つ作ろうにもつくることはできません。この先東南アジア諸国、ブリスク諸国、そしてアフリカとその生活水準は高くなっていきます。その時に私たちはいかに争うことなく、分かちあうことができるかということを考えていかなければなりません。その際に必要なことこそ「人間」ではなく「地球」を優先で考えることです。なぜなら人間優先ではどうしてもエゴが出てしまうからです。最終的には争いが生じ、これまでと同じことの繰り返しとなってしまいます。そこで「地球」を優先し、地球を美しくしていく中で、人間がどのように生きていけばよいかをみんなで考えていくのです。そこにテクノロジーも生きてくるのです。


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さあみなさん、今日を境に地球ファースト(ガイアファースト)にシフトしていきましょう。それほど難しいことではありません。お先にどうぞ精神があればよいのです。みんなでそのアイデアを出し合っていけばいいのです。そうすると地球がどんどん美しくなっていきます。それだけではありません!それによってあなた自身がますます美しくなっていくのです。地球も人間もより美しくなっていきましょうよ!!







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年7月29日 (水)

フォルクローレ:人生は楽しむためにあるというメッセージ

先日フォルクローレのコンサートに行ってきました。フォルクローレとは、ラテンアメリカの民族音楽の総称のことです。当日はケーナとサンポーニャという楽器を演奏する人と、ギターを弾く人の2人の演奏だったのですが、演奏される曲は、誰もが知っている「コンドルは飛んでいく」からオリジナルの曲まで様々な曲が演奏され、どれも心にジ~ンと染入るものでした。


およそ1時間ちょっとのコンサートだったのですが、ラストに演奏された曲は、それがオリジナルなのか、昔からある曲なのか分からないのですが、とても明るくテンポの良い曲でした。体が自然に動いてしまいそうでした。そしてその曲が演奏されている時に私の頭の中にメッセージが飛び込んできたのです。


それは、「人生は楽しむためにある!」というものでした。


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本来地球は充分なもの、あるいはそれ以上のものを人間に与えているのです。


ところが人間は地球の与える恵み以上のものを望んでしまいました。それが西洋思想であり、西洋の歴史であるのです。そしてその歴史とは搾取であり、搾取によって自分たちがあらん限りの贅を尽くすというものなのです。


その搾取の歴史として、私たちが一番よく知っているのは、奴隷制度や植民地政策です。現在これらは過去の歴史において起こったものとされていますが、その思想はしっかりと今も残っているのです。例えば外交です。現在の外交とは、いかに自国に有利な結果を交渉によって引き出すかという駆け引きとなっていいます。


外交にしろ、交渉にしろその本当の目的は、両者がWIN-WINになるようにするためのものです。けれども今も昔もWIN-LOSEのもとなっています。そして、その背後に見え隠れしているのが各国の「力」関係であり、「経済力」、もっと言えば「武力」そして、「脅し」であり、行き着く先は「戦争」です。



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本来日本を始め、アメリカ大陸、南ノ島の国々、東南アジア共に十二分に恵まれた土地です。江戸時代の庶民は、それを十分に享受し、明るく楽しく暮らしていたのです。アメリカ大陸に住むネイティブアメリカンも自然の恵みを享受し、自然(聖霊)と共に生きていたのです。南の島々の国々の人びとも自然の恵みだけで十分に生きているだけのものを得ていたのです。


そのような環境のもとで暮らしていく中に音楽もありました。それは旋律に基づくものではなく、神への感謝であり、人間の生に対するの喜びでした。もちろんそこには突然の死を悲しむものもあれば、時には自然の恐ろしさも含まれています。すべての音楽は生活の中に溶け込んでいたのです。


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ところが今や世界中が西洋的価値観に染まり、自分の欲望を満たすために、あらん限りに取ることをよしとするようになっています。与えられた範囲内で暮らしていくことなど過去のものとなってしまっているのです。


それを象徴するものがお金です。本来お金は良いものでも悪いものでもなく、人間の使い方次第なのですが、残念ながらそれが一つの権力の象徴と結び付けられるようになり、人々は手段を選ばずお金そのものを求めるようになってしまいました。


そしてその挙句の果てが、現在の地球環境であり、原発事故であり、テロです。これらは人間の強欲の結果引き起こされたものであり、このままでは人間は滅びるしかない状態になっています…。


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と、このようなネガティブなことをコンサートが終わった後に考えてしまったのですが、そのサンポーニャの音とそのメロディは全くその逆で、今を楽しみ感謝して、そして「人生は生きるに十分値するものである」ということを感じさせてくれるものでした。


フォルクローレが、西洋人が金銀財宝の略奪のためにやって来る前からあった音楽なのか、その後に生まれたものか分かりません。けれども最後に演奏された曲の根底にあるものは、古の時代からあるも「喜び」そのものでした。


お互いがごちゃごちゃした、策略ばかりの世の中よりも、地球の与えてくれる恩恵の範囲内で精一杯楽しく生きる人生を選びたいものです。そんな世の中をつくっていきましょう!





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年2月 4日 (水)

美味しいものをいっぱい食べても太らないためにサプリメントを飲むという流行

テレビを見ていると最近はサプリメントや健康保険飲料の宣伝をよく見みます。お昼の時間帯のテレビCMなどはその系統が大半を占めているといっても過言ではありません。ネットでもその関連の宣伝があふれています。その中で気になったのが中性脂肪をつきにくくするサプリメント、あるいは落とすというサプリメントです。


要は太るのを防ぐもの。ダイエット用と思っていたのですが…。


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テレビコマーシャルのサプリメントの宣伝で、主婦と思われる女性がインタビューに次のように答えていました。


「美味しいものを(どうしても)食べたいので、サプリメントは欠かせません」。


これを聞いて、この系統のサプリメントはダイエットのために飲むだけのものではないことが分かりました。


美味しいものを心ゆくまで食べたい。けれども太るのはイヤ!じゃあ中性脂肪をつきにくくするサプリメントを飲んで、美味しいものをいっぱい食べよう!だって美味しいものは脂肪分がいっぱいだから!


その女性の言っていることはこういうことだと思うのです。そしてそれは、嗚呼、まさに現在の日本はローマ帝国末期と同じではないかと思うのです。なぜなら帝国末期人々は食べては吐き、食べては吐き、また食べるということを繰り返していたからです。吐くための薬が用意されていたほどです。吐くための薬と中性脂肪を付きにくくする(落とす)サプリメントほぼ同じではないかと思うのです。


いっぱい食べて、薬を飲んで、はき出しまた食べるという現象はローマ帝国末期に見られたわけですが、末期といわれるだけに、この後ローマ帝国は分裂し、やがてはその名前も消滅していくのです。ということは日出ずる国日本はどうなるのでしょうか?同じ道を歩むのではないでしょうか?


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テレビの番組を見ると、なんと食べ物に関するものの多いことでしょうか?どの番組でもレポーターはそれがどれくらい美味しいのか、その驚きと喜びを表情と言葉を用い130%表現しようとしています。そして放送された後はその店には長蛇の列ができています。


中には本当に体にも良い食べ物モノもあるのでしょう。けれどもそれらをテレビで見ている限り、その多くが脂ののったコッテリ系だったりします。こうして脂肪(の多い美味しいもの)を食べて、それを落とすためにサプリメントを飲むことになるのでしょう。


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ここ数カ月の間に、食品添加物、がん医療、予防接種、電磁波など日常の中にある有害物質に関する本を何冊か読んでいいます。現在の日本では2人に1人ががんになるといわれています。お役人までもが「日本は2人に1人ががんになる時代だから、早期発見して、抗がん剤でがん治療しましょう。」と発言する時代です。美味しいものの全てが癌になるとは言いませんが、その脂が何らかの病気を誘発していることはありうることだと思います


厳しいご時世と言われながらも、脂ののったグルメビジネスと癌ビジネスは絶好調な日本のようです!ローマ帝国は他国の侵入により分裂し滅びゆきましたが、この国はみんなガンとなり滅びちゃうのかもしれません。ならば美味しいものを心ゆくまで食べて、サプリメントを摂りつつ、がんになって抗がん剤治療して死ぬ。それもよいのかもしれません。


結局(大手)メディアはお金で動いています。広告料やスポンサー料として収入を得るならばそこに有利となるように操作しようとします。真実が捻じ曲げられてしまうことさえあります。サプリメントやグルメに対しても同様です。もしそれが嫌で、健康のままポックリ逝きたいというならば、サプリメントに頼らない生き方、あるいはメディアに流されない生き方をした方が良いのではないかと思うのです。あなたはどちらを選びますか?







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年7月30日 (水)

未来を予測する

 千賀一生さんの「ガイヤの法則Ⅱ」(ヒカルランド)はシュメールの神官とのスピリチャル的交流を描き、宇宙と地球の法則を説いたものでる。2年ほど前に出版され、とても感動したのを覚えている。けれども前著「Ⅰ」の方がより刺激的であり、「Ⅱ」はどのようなことが書かれていたのか覚えていなかった。そこで久々に読み返しているのだが、次の記述に注目した。

(転載開始)
 「東洋の諸地域は、いったん、現在の経済体制に乗る形で発展へと向かうことになる。これは、2048年までは、0度領域の、現象界ではまだ作用し続けるからだ。だがそれは、大地のパワーそのものではない。大地のパワーはすでに東回りスピンへと転回を始めており、現象世界では、いわばその残り火がしばらく燃え続けるのである。
 大地のパワーそのものは、大地の変動と共に転換を達成するが、過去へ執着しがちな人間の変化はそれに遅れ、社会変化はさらに遅れがちとなる。
 だが、あなた方の変化は早いほうが摩擦が少なくてすむのだ。
 東回りスピンへの優位性の移転により、日本以西の東洋諸地域がまず活気付くことになるだろう。あなた方の予想を上回るほど経済的開発がアジア地域で急速に展開することになり、下降する欧米と急加速するアジアの発展と言う、好対照が極端に露になるだろう。今は清潔感のないアジアのさびれた小都市も、この半周期である2030年頃には、非常に美しい芸術性を備えた都市となる。
 そしてアジアの人々は、自身への自信を取り戻しながら、既存の経済体制を超えたアジアらしい社会を求めるようになるだろう。その変化の源泉は、政府や行政ではなく、民間から湧き起り、国家はそれに従わざるをえなくなるだろう。まず、アジア全域の民間に対して新社会への流れを与える人々が、日本にあふれるようになるだろう。
 あなた方日本人は、アジアで最初に欧米化へと向かい、そのマイナス面を咀嚼しているが、それを土台に、どうしたらそれを超えられる新しい社会へと向かえるかを、既に潜在レベルでは希求し始めている。そうして、多くの日本の民間人が民間レベル、意識レベルでアジアをリードするようになる。これが2030年までに急速度で生ずる変化である。
 それは決して行政レベルではない。個々の人々が、個々の意志でアジアの諸地域をリードする。しかし、そうした人々すべての意志の背後には、一つの意志が働いているのだ。それは135度の意志、すなわち、このあなた方の星の聖なる意志である。
 そうして、個々の意志でありながら、同時にひとつの方向を目指した新たな文化的変化がアジアに生ずるようになる。その文化的変化が、しだいに社会体制までに及ぶようになるのだ。
 また、個人の意思の下には、互いにつながり合った『一つ』の意志があるという認識を常識とするようになるだろう。
 こうした民間からの変化と力により、アジアの諸政府や諸行政も、その体質をしだいにアジア本来のものへと変えてゆくこととなる。そしてその流れが、2048年までには、一つの完成を見るのだ。
 それは、一都市集中的な組織的国家とは対照的な、個々の小都市のバランスの取れた共和社会となる。その基盤となるものは、個々の意志による活動でありながら、その意志の背後に働く共通の『意志』への認識となるだろう。
 それが、あなた方が迎えようとしている新たな文明の柱となるのだ。」

(転載終わり)

 これを読んで、世間にはいろいろな未来の予測がされており、僕自身もいろいろと書いてはいるけれど、ここに書かれてあるのが一番現実的な道筋ではないかなと思った。

 東南アジアは今後もどんなに地球環境のことが言われようと、物質的豊かさを求めて、人件費などのコスト的優位性をうまく活用しながら、経済的に目覚ましい発展を遂げていこうとするだろうし、かつての先進国と呼ばれた日本も含めた欧米諸国もそれを利用しながら企業利益を求めていくことだろう。

 一方多くの日本人は経済成長の限界を感じているのも確かであり、気候の急激な変化、あるいは原発事故を通じて、現在のシステムの誤りを感じているのも確かであろう。しかしながらそれではどうすればよいのか、どのように変わっていけばよいのかというその答えが見えていない、あるいは見えていたとしてもこれまでの生活からシフトすることができずにいて、これまで通りの流れに乗らざるを得ないのが現状だろう。

けれどもいずれは東南アジアもそのコストの優位性を失う時が来るであろうし、同時に教育水準の向上により、地球環境に対する意識を持つ人々も増加し、変化せざるを得ない時が来るだろう。その際日本が現在の混迷した状態を脱し、新たな方向性を見いだし、世界に示すことができていれば、アジア諸国もそれを新たな目標とするだろう。

 そのことを千賀氏は、「その変化の源泉は、政府や行政ではなく、民間から湧き起り、国家はそれに従わざるをえなくなるだろう。まず、アジア全域の民間に対して新社会への流れを与える人々が、日本にあふれるようになるだろう。」と書いてある。まさにその通りだと思う。

現在の日本を見てみると、政治と市民(国民)の意思がどんどん乖離している。政府に甘い蜜を吸わせてもらっている一部の機関や人々のみが、政府を支持し、いかにもそれが国民の意思であるかのようにマスメディアによって操作され垂れ流される。そして多くの国民がそれにマインドコントロールされる。けれども多くの人々が心の中で違和感を抱えているという状況。

 けれども、それらのウソはネットなどでどんどん暴かれてきており、ネットを頻繁に利用する者は、政府やメディアの言うことを信じなくなってきている。信じているのは新聞やテレビなどのマスメディアを今も主要な情報源としている人々。そしてこのメディアは今や傾斜産業と言わざるを得ない状況。(唯一地方紙のみが可能性を秘めている。)そのためいずれは真実を知る人々の方が増えてくる。

 そしてやがては真実を知った人々が立ち上がり行動を起こし始める。(すでに始めている。)そのような人々が日本にあふれた時こそ日本が新しい文明をリードするようになる。もちろんそれは政府や中央が先導するのではなく、民間人である。そしてそこから生まれる「共通意識」。そう考えると何だかワクワクしてくる。僕もその一員となれるように行動をしなくては!

 やはりあとは意識のあり方ですね。



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