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2018年2月

2018年2月 7日 (水)

障がい者体験(?)からその気持ちを学ぶ

障がい者の一般企業における雇用支援をしていることから現在野菜の加工場で週2回(15時間程度)働いています。もともとはそこで障がい者を雇用することができないかと思い、まずは自分で体験してみようと思ったのがきっかけなのですが、現在思いがけず私自身が障害がい者状態となり、身をもって障がい者の状況や気持ちを実体験する日々を送っています。


その加工場には野菜の前処理部門、カット部門、サラダ部門、運送部門などあるのですが、現在私は袋詰め部門に属しており、カットされた野菜を袋詰めする作業を行っています。勤務している間ひたすらカットされた野菜を袋詰めしており、、一見すると単純作業に見えるのですが実はそうことは単純ではないのです。


加工場では多くの野菜がカットされています。ひとつの野菜でも注文に応じて様々なカットの仕方があります。例えばニンジンひとつにしても扇型に切るものもあれば、短冊形に切るのもあります。またその厚みや長さも変わってきます。千切り、角切りもあればみじん切りもあります。そしてそれらを詰める袋も様々なものがあるのです。袋の大きさはもちろんのこと、袋の厚みが違うのもあれば、真空用の袋もあったりします。更に注文先によっては袋を閉じるシールを指定するところもあれば、袋の綴じ方を指定するところもあります。そのため作業自体は「袋詰め」というひと言なのですが実はいくつも覚えなければならないことがあるのです。


しかし年齢的に中年域の上になりつつあり、かつての記憶力はドンと低下しています。更に週2回(火・木)の10時間程の仕事であること、注文に応じての作業ため毎回同じものをするとは限らないことなどから(ほとんど)覚えることができません。せっかくなんとか覚えたとしても次その作業をするのが時には数週間後ということもあり、その頃には抜けてしまっていることが多々あります。メモを取ってもそれを見直す間もありません。


そのような状態なため毎回聞きながら行わなければなりません。その為加工場の上司の人からよく怒られます。忙しく働いている中で毎回同じことを聞くわけですからイライラされます。もともとおっちょこちょいなところもあり、更には作業をしているときは超無口になることもあり余計にイライラされています。


そうするとこちらもひとつの作業を終え、次の作業をする際に何をすればよいか指示をもらう際に、きっとまた怒られるのだろうな、イライラされるのだろうなと思ってしまいます。


以前やったことのある作業であるということは分かるのですが、どうやってすればよいか細かいところ~材料がどこにあって、どの袋を使うのか、どの注文書を見ればいいのか等~を全部覚えていないので聞かざるを得ません。そうすると何回同じことを言わせるのかと思われるわけです。私自身もその上司に対して「悪いな~」とも思いつつも、(そこに作業マニュアルがあるわけでもなく)こればかりは仕方がりません。そしてまたイライラされ、怒られるということが繰り返されるわけです。


いくら鈍感な私でも怒られることを繰り返すと嫌になってしまいます。と同時に仕事において何の自信も持てないままであると(先の見えない)不安な気持ちにもなります。そして出した結論がこれは今のままでは障がい者が働くのは無理なので今回は見送ろうということでした。けれどもある時ふと思ったのです。それはこの状態こそ障がい者の状態であり、気持ちではないだろうかということです。


例えば知的に障がい者やある種の発達障がい者が毎日この袋詰め部門に通ったとするとこれだけのことを一度に覚えることはまず不可能でしょう。その為毎回どうしてよいのか分からず聞かなければなりません。けれどもその都度怒らると、また怒鳴られると思ってしまいます。そして怒られないために聞かずにしたことがやはり間違いがあったり、やはり失敗してしまったりして今度は余計に怒られる…。怒られることが繰り返され、それは記憶へとインプットされ続ける。そんな日々が繰り返されると大抵の場合心が折れてしまうことでしょう。(怒られることが分かっているならば)行きたくなくなります。そんな心の状態では鬱にもなります。


けれどもその中で唯一の救いとなることがいくつかあります。ひとつは優しく教えてくれる人の存在です。この人に訊けば怒られずに教えてもらえる。同じことを聞いてもきちんと指示してくれる。そのような人がいればある程度安心して働くことができます。私も今日はAさんがいるので分からなければなるべくAさん訊こうと思ってしまいます。


そしてもうひとつ(その加工場で)安心できる時は、同じことの繰り返しです。私の場合白菜の葉っぱ1枚ものの袋詰めと大根けんの袋詰め作業のですが、これだけはある意味体で覚えたので安心して行えます。それを何時間もした時には単純作業ながらこの加工場の役に立てたかなともいます。また今日は働いたという気になれます。


知的障がいの人などまさにそうではないでしょうか?中には意識はしっかりしているけれど、(記憶などの部分で)脳が働かない、あるいは身体がそのように動いてくれない人もいるでしょう。そのような人たちができることをすることができたならば、そしてそれが誰かの役に立つならば、それこそが自分の存在意義を感じられるときなのではないでしょうか。


そしてもしずっと同じことを繰り返し身体で覚え自信が持てたころに、ひとつ新たなことに挑戦しそれができた時、それはまた新たな喜びと自信となるのではないでしょうか。そのような一つひとつの成功体験の積み重ねがやがては1人前の仕事をすることにつながるのではないでしょうか。そういう意味でかつての徒弟制度は1年間皿洗いなど知的に障がいのある人でもできるシステムだったのかもしれません。(怒られるとか、ひっぱたかれることは別として…。)


ということで私なりに障がい者の実体験(?)をして思うことは、障がい者が一般企業で働くことにおいて必要なことのひとつは、灯台となる人をつくるということです。この人に訊けば怒られずに教えてもらえる。同じことを聞いても(懲りずに)きちんと指示してくれる、失敗を受け止めてくれる、修正してくれる人。もちろん時には怒られることもあるでしょう。それでも自分を基本的に受け入れてくれ安心できる人。そんな人が必要です。


正直そのような器の人をつくるのも、見つけることも大変なことだと思います。ましてや誰もが忙しく働いている現代社会の中ではほとんど不可能かもしれません。それでも障がい者の状況を伝え、そのことを理解して受け入れてもらう人づくりをしなければなりません。実際のところ障がい者雇用は少しずつ増えているのですから。もちろんそれと同時にそのような人づくりだけでなく周囲の理解を促していくことも必要でしょう。


その為にまずはやはり私自身がそらだけの器となれるように努力したいと思うのです。今回このような身を持っての体験は貴重です。いくら理論で学んだとしても実体験に勝るものはありません。そして何よりも相手を変えるためにはまずは自分が変わらなければです!
 


らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~




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