« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月27日 (水)

縄文からの絵巻物語~未来の課題解決に向けて~その③~

ヨーロッパの貴族の紋章や企業のロゴ(マーク)を見たことがあると思います。そこにはライオンや鷲が描かれていることもあれば、蛇やトカゲなどの爬虫類が描かれているものもあります。一見すると爬虫類など気持ち悪いと思われますが、それは爬虫類の(獲物を狙うと)絶対にあきらめないところ、喰らいついたら絶対に離さないところ、そして(なかなか)死なない・生き延びるところにあやかっているとのことです。すなわち爬虫類の執念、そして勝つ(獲物を獲る)ための知恵にあやかり、それをシンボルとして取り入れているとのです。そして彼らには勝つことこそが(唯一の)正義につながるという思想もあるそうです。それは勝つためには手段を択ばないこともあります。また何十年、何世紀と時間をかけて勝ちを取ることもあります。それはその世代だけでなく一族の名誉をかけての戦いでもあるようです。


Photo_3



さて第1回にも書きましたが縄文の暮らしは自然に即したものでした。大自然こそが偉大なるものであり、人間はその中のひとつに過ぎず、その法則に従って生きるというものでした。それ故に自然に手を加えるのは最小限度にとどめ、人びとは自然を崇めて暮らしていたのでした。そして人々は大なり小なり自然の声を聞きいていたのですが、その能力が最も高く偉大なる自然の声、多次元の声を聞く存在がトベであり、そのトベを中心に集落は形成されていたのでした。


けれどもいくらすべては自然の中の循環物であろうとも、人間は喜びもあれば悲しみもある存在です。また智恵を働かせ、争いや困りごとの問題を解決できる存在でもあります。それ故に子供が生まれると喜び、その子の成長を願います。そして亡くなれば自然に返ると言えど悲しみます。日本は四季豊かな国です。豊富な食べ物に恵まれつつも、季節やその年によっては食料が乏しい時もあります。そんな時病が流行れば子供は死に、時には村の存続の危機ともなり得ます。トベはその解決方法はないものかと願っていたのでした。


Photo_4



ある時トベはいつものように夜明けとともに禊ぎを行っていました。それは代々のトベから引き継がれた儀式であり、その地と身体を清めるためのものでした。禊ぎが終わった後トベはしばらく水の精霊たちと戯れていました。水はすべての生命の基であり、それ自体もまた生命です。朝陽と共にすべてが輝きだし、新たなる生命が芽生え、その中に身を浸していると、何やら気配を感じました。そしてそこに現れたのが西からやって来たという男であり、その手には稲穂が握られていたのです。そうしてその男の持つ稲穂により、水田技術がもたらされ、それにより栄養価が高く、かつ長期の保管がきくトベにとっては願ったり叶ったりの物が得られたのです。


トベが出会った西から来た男たちは平和と安住を求めて何世紀にも渡り、東へと移動してきたものでした。彼らは戦いの愚かさを知り、争うことを止め、その土地その土地の風習を受け入れながら、共存しつつ移動し続けてきたのでした。それが彼らが何世紀にも渡り移動してきた中で得てきた知恵でもありました。故に彼とその集団はトベとその村の人々とも共存することを第一としつつ永住の地にたどり着いたことを喜んでいたのです。


しかしながら時と共に風習の違いなどそれぞれに折り合いのつかない者たちが出てきたことも確かでした。その者たちはそれぞれに分かれ、一方で従来の暮らしを続け、一方は低地で水田技術を発達させていったのでした。けれども水に恵まれた土地においては水田技術を使う方が食べ物には恵まれていました。その分生存率、出生率ともに高く、繁殖力・繁栄力共に従来の人々よりも大きかったのです。


Photo_2



さてトベと出会った西から来た男は失われた十支族の一支族であり、彼こそが最初に日本にやって来た(再び戻って来た)一族でしたが、日本にやって来た支族はそれだけではありませんでした。アッシリアよって国を失い、再び流浪の民となった十支族はそれぞれに各地をさ迷うこととなりました。支族の中には儀式を専門とする集団もありました。彼らにとって儀式の主となる棺を守ることこそが一族の使命でした。彼らもまたその棺を安全に場所へと移動させるために、東へと向かい、陸地の果てにある海を超えた向こうということで海伝いに伝説の地を求めたのでした。


こうして海を渡ることとした支族もいれば、新たな国を作ろうとした支族もいました。それぞれが各地をさ迷いつつ移動していく中で、他の民族と出会い、受け入れられることもあれば、戦うこととなったこともありました。時に戦いに勝つこともあれば、負けることもありました。負けた時には捕虜となり、奴隷の如くひどい虐待を受けたこともありました。そのような中で戦いの方法を磨く者たちもいれば、生き抜く知恵を磨くものもいました。また支族の中にはどのような手段であれ、生き延びることを第一とした支族もありました。そしてその支族の多くが子供のころから言い伝えられた東の国を意識的に、あるいは無意識のうちに思い出し、東へと向かって行くのでした。


Photo



(
続く)



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年12月20日 (水)

縄文からの絵巻物語~未来の課題解決~その②

権力者たちは自分たちを正当化するために、歴史を塗り替えようとします。正義は我にありとし、その存在を神格化しようとさえします。人々に強要し長い年月を経てやがてそれは真実の如く神話や伝説となり、歴史化されていきます。


例えばアダムとイブの話。それは旧約聖書の「創世記」に記された最初人間の話です。そこで生み出されたエデンの園はまるで砂漠化する前の中東の地のようにも思われがちですが、それはもしかすると時の権力者がそうした話かもしれません。もともとはシュメールが生み出した物語ともされていますが、もしもそれがシュメールでは東の国とされていたならば…、そしてそれが旧約聖書で書きかえられたならば…。さらには新約聖書でも書きかえられたならば…。そして現在でもそれが唯一残されているものが復活祭=イースターであるならば…。空想は広がっていきます。


Photo


紀元前7世紀ごろアッシリアに追われた北イスラエル王国の10支族は各地に離散を余儀なくされました。それぞれの支族は各地で奴隷とされたり、苦役を負わされたりもしました。中にはひどい虐待を何世紀も渡って受けた支族もありました。そのような中で国を追われたときから東方を目指した士族もありました。


かつて我々の先祖は何千年も昔に日の出ずる東の果てからやってきた。そこは遙かなるこの陸の向こうの更に海を渡った島である。そこは誰もが平和に暮らす地であり、この世はその東の地から始まった。我々もそこからやってきたのだ。そのような伝説を長老から聞かされていたのです。そこで彼らはアッシリアに追われた後、その伝説を信じて東へと向かっていくこととしたのです。


Photo_2


ユダヤの歴史は、神に選ばれた民族とされながらも、争いの歴史です。これまで安住の地を求め移住を繰り返し、時に捕えられ捕虜となったり、時に領土を構えてきましたが、そこには絶えず争いや支配が繰り返されていました。そのような日々を終わらせ、争いのない平和の地、わが先祖イースターの住む東の地へと彼らは向かうこととしたのです。


しかしながらそれは何世紀にもわたる過酷な旅でもありました。何世代も世代を交代しながら彼らは東へと向かいました。時に捕えられ苦役を強いられ終える世代もいました。時に再び分散することもありました。また時にはその地の人々と融合することもありました。それでも彼らは先祖の言葉を信じ、それを達成するするために東の地を目指して移動し続けて行ったのです。


1


移動していく中で各地の民族との接触を通じて、彼らは様々な知恵や技術を教え、また身につけていきます。もともと移住の民族でもあることから、交流や交渉は得意とするところでもありました。そして彼らはひとつ自分たちに課していたことがあります。それは争いのない平和に暮らす東の神の国に行くために、決して争いはしないということです。それ故時にその地に住み続け、知識や技術の交流を通じて、新たな知恵を獲得し、それをまた新たな地へと伝えて、彼らは東へと向かったのです。


彼らが獲得した知恵や技術のひとつが水田による稲作という農業でした。それまで寒冷地帯や乾燥地帯では野菜などが少ない時期、あるいは天災により採れない時期を干し肉やドライフルーツなどの乾燥させたものでしのいできましたが、稲作により高栄養のものが長期間保管できるようになったのです。


ある日支族の長は夢を見ます。それは朝陽に照らされる中で身を清め祈りを捧げる女性の姿でした。その姿は彼がこれまでであった女性の中で最も美しく神々しい姿でした。その女性は振り返り、彼の姿を見つけはじめは驚いた様子でしたが、やがてゆっくりと右手を彼に向けて差し出したのでした。目が覚め起き上がった彼はそれは正夢であり、その日は近いと確信したのです。


2_2


それから数か月。彼らは遂に陸の(東の)果てにやってきます。そこにいる誰もが手を取り喜びます。その中で彼はこれまでの苦労、そして何世代にもわたって続いた旅、かつての長老たちの姿を思い出したのです。それと同時に夢に現れた女性の姿を浮かべるのでした。


そして翌日、彼は海の向こうに朝日とともに光の陰として浮かびあがる島を見たのです。それはまるで黄金の島のようであり、まさに伝説の神宿る地であったのです。


2



 
次回へ続く)









らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年12月13日 (水)

縄文からの絵巻物語~未来の課題解決~その①

私たちが習う歴史とは強者の歴史です。勝った者がそれを正当化し、正義とします。例えそれが殺戮と強奪の末あれ、それは正当化され、時にはなかったことともされ、勝者はその地、その収奪物を謳歌するようになります。そして年月をかけ人々はその正当化された、ある意味捻じ曲げられた歴史物語を信じるようになっていくのです。その典型的なのがアメリカ合衆国なのでしょう。先住民の歴史は現在の多くのアメリカ人にとってタブーのひとつです。時の流れと共に消え去るのを待っている状態といってもよいでしょう。けれどもそこには負けた者(排除された者)達の歴史があるのも確かであり、例えその視点は抹殺されつつも、その場所に静かに眠り続けます。そしてそれは人々の意識の奥深くに横たわってもいます。何世代経とうとあります。それを目覚めさせるものの一つがスピリチャルというものなのでしょう。


数カ月前本屋を訪れたところ、「ニシキトベの復活~太古の記憶の解放、根源的な生への回帰~」佐藤シューちひろ著(ナチュラルスピリット)という本が目に飛び込んできました。直感的にこの本に何かがあると感じ、その場でパラパラとめくったところ現代社会の混沌や崩壊状態を立てなおすヒントが詰め込まれており、ワクワクしたのですが、その時は買わずに立ち読みで済ませました。けれども先日どうしても欲しくなり、購入してしまいました。そして改めて読んでみるとそこには、日本の歴史の陰の部分となってしまった神武天王(カムヤマトイワレビコ)以前の世界がスピリチャルに展開されており、私の中に縄文時代の暮らしの想像が次々と広がっていったのです。


Photo_5



縄文時代トベ(戸畔)と呼ばれる女酋長が村の長として各村をまとめていました。トベとはシャーマンであり、現在でいう巫女であり、天と交信できる人でした。熊野地方ではかつて熊野のことをニシキ(丹敷)と呼んでいたので、熊野のトベはニシキトベ(丹敷戸畔)と呼ばれていました。


トベは代々宇宙のエネルギーや地球のエネルギーを感知し、そこに自然物を配置したり祠を立てたりして、その地のエネルギーを増幅させ、その地域一帯をそのエネルギー体で守護してくれるように祈りを捧げていました。時にトベは精霊たちとコンタクトを取り、その時々の村や村人達の課題の解決に当たっていたのでした。


Photo_3



トベは女性であり、その地その村を守るため、ありのままを受けいれることがその特徴でした。そのため大自然に人間が手を加えることは必要最小限とし、その循環の中で生きていくことを基本としていました。人間は大自然の中の一循環物であり、自然の声に耳を傾けながら生きることを良しとしていたのです。その為狩猟採集を中心としつつ、自然を破壊せぬ程度に土地を改良し、作物を育て村の生活を行っていました。


男たちは狩猟に出かけ、必要な分だけ獲り、そして必要最低限の建物を建て、道をつくり、道具を作り、そして酒をつくり、踊り、神へと捧げていたのでした。時に男たちはその男性性の持つ未知なるものへのあこがれとして冒険心が湧き上がり、家族や仲間を連れて新たな世界へと旅立つこともあったのです。時にトベはそれを認め、その中の女にトベの能力を授け、その一団を送りだすのでした。それは自然を最小限度での改良を良しとしていたため、大集落と成すことはそれに反することともなりうるためトベは仲間たちを送りだすことを意味してもいました。


Photo_4



さて自然の循環の中での生活であったため、時にはどうしても食料が枯渇する時期も出てきます。その際には人々は最低限度の食生活となり、辛抱を強いられました。そんな時に病気が出た場合は多くの人が犠牲となることもありました。時には村が全滅状態となることもありました。自然の循環の中に生きることは仕方がない事でもあり受けいれるしかなかったのですが、それを悲しみ、何とかならないものかと思うのも人間であり、ニシキトベはその課題を何とか解決できないものかと、神に祈りを捧げお告げを待っていたのでした。


ある時ニシキトベは夢を見ます。それは西から(神のような顔をした)男がやって来て、ニシキトベの抱えるその課題を解決してくれるというものです。それからというものニシキトベはその男を待ち続けるようになります。


次回につづく









らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »