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2017年8月

2017年8月23日 (水)

黒から白を生む:北への思いから日本へ

以前北朝鮮のアメリカへの挑発に対して、アメリカに一発くらわせて、それを契機に日本が目覚めればということを書きましたが、北朝鮮のアメリカへの挑発は過激さを増す一方で、遂にはグアムに一発との脅しとなってきました。


核兵器を完成させたのかどうかはともかく、ミサイルのエンジンはウクライナ製であるといわれ、裏の世界では戦争勢力を始めとしていろいろな国や機関、そして人々が動いていることが分かります。その中で大将(正恩)も士気高揚としていますが、ある意味戦争を起こすためのコマとして踊らされているのでしょう。


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このところの北朝鮮とアメリカのやり取りを見て感じることは、一発くらわしてとの思いを通り越し4つのことを感じています。ひとつ目はアメリカの弱体化であり、二つ目は核兵器の威力と恐ろしさ、3つ目に人間の愚かさ、そして最後にやはり日本よもう一度です。


かつて東西冷戦と言われた際には、ソビエトとアメリカ合衆国の大国2国がにらみ合い、核兵器の製造合戦と対立を繰り広げてきました。その後ソビエトが崩壊し、合衆国の一強となり、世界の警察として君臨してきました。それが今や東アジアの北朝鮮という小さな国に挑発されている状況です。時代の変化と合衆国の弱体化を感じずにはいられません。


その北朝鮮はというと、これまで再三にわたる世界の核兵器開発停止の呼びかけにも応じず、その開発を進めると同時に、ミサイル発射の実験も繰り返してきました。そして遂にそれはアメリカ領域に届くまでになり、合衆国領土攻撃の脅しをするまでになりました。(小さな国でも)核兵器を持つと世界中を脅かすことができます。改めて核兵器の威力と恐ろしさを思い知らされます。


この核兵器を使用すれば地球を木端微塵に破壊することも可能でしょう。例え北朝鮮の持つ核兵器にそこまでの威力はなくとも、広島のものよりも数段威力は大きいでしょうし、使用されれば多くの人間や生き物が死ぬこととなります。善良な市民、無邪気な子供たち、更には動物などの多くの生命が巻き込まれ死にます。たとえ生き延びたとしてもその後の後遺症に悩まされ続けます。このような兵器でもって世界を支配しようとする人間は愚かです。全く持って愚か以外に言いようがありません。


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状況からして現在私たちはぎりぎりのところにいるのかもしれません。独裁者国家が核兵器を持ち、かつての大国をそれでもって脅しているのです。一歩間違えると本当に戦争が起こり、第三次世界大戦や核兵器の打合いになりかねない状態です。世界中が真っ暗な中にいるといってもよいのかもしれません。けれどもこのような状況だからこそ見えてくるものがあると思うのです。それは黒さの中の白、つまりは「愛」であったり「賢明さ」です。



核兵器や戦争は人間のエゴがもたらした究極のものであるとも言えます。人類絶滅、地球の滅亡とつながるかもしれません。しかしだからこそそこに「愛」がより一層輝いてくるともいえます。夜明け前の金星のように真っ暗な東の空に輝いてくるように思うのです。それは個々人を通り越した愛です。「人間」「地球」そして「生命」という大きな愛です。私たちはそこを見つめていかなければならないと思うのです。


またこの人間の愚かさが生み出した暗闇の中で、だからこそ人間の賢明さもまた輝いてくると思うのです。人間は愚かな動物です。けれども知恵ある動物でもあります。人類がここまで発展してきたのもその知恵を使ってきたからです。だからこそ今知恵を発揮し、人間の持つ賢明さを信じるべきだと思うのです。


そしてその愛と賢明さを発揮し、世界を平和へと導くのは日本人の役割ではないかと思うのです。日本は世界で唯一の被爆国です。太平洋戦争の終結として2発の核爆弾を使用され、多くの人々が亡くなり、その悲惨さと苦しみを知っている国です。更には原子力発電の爆発とメルトダウンを通じて「核」自体の恐ろしさを身をもって体験した国でもあります。唯一の被爆国であり、放射能の恐ろしさを体験した国であるからこそ、その愚かさを訴えられることができると思うのです。


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寄らば大樹の陰ではありませんが、これまでのようにアメリカの核の傘に隠れて、安全に過ごしていくという時代は終わりました。北朝鮮はイランやパキスタンのように離れた国ではありません。日本海の向こうの隣国です。だからこそ日本は余計に「核」の廃絶を先頭を切って行わなければなりません。


日本はこれまで多くの国を援助してきました。無駄な援助や裏のある援助等も多々あったのでしょうが、日本に感謝している国も多いはずです。太平洋戦争の際にも、間違いも多く犯しましたが、他国の自立を支援してきたことも確かであり、それを今でも感謝している国もあります。また日本国民の勤勉性は世界中の人が認めるところであり、今日の発展において日本が寄与した部分は大きいものがあります。だからこそ日本は新たな平和の道を模索していかなければなりません。


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西洋の歴史は争いと奪い合いの歴史であり、その根底にあるのは「恐怖と屈辱(リベンジ)」です。そこに彼らの持つ理性と論理がうまく働けばよいのですが、これまでの外交のあり方からすると必ず自身の優位性を保とうとするに違いありません。それでは今回の大将との和解には至らないように思えます。一方日本人のDNAには中和と調和の遺伝子があります。東洋と西洋をここ150年間も中和させてて来ています。更に縄文時代からすると1万2千年以上の歴史を持つ国です。それを持ってこの暗闇を照らす金星への道筋を切り開いていくべきだと思うのです。



今や小国が大国と対等に渡り合える時代です。アメリカの言いなりとなり北朝鮮を非難するばかりではなく、愛と賢明さで持って北朝鮮とアメリカの融和を図り、世界を地球を新たな次元へと導く日本であってもらいたいものです。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年8月16日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑨~この世に生まれてきた理由を考える~

私たちはなぜこの世に生まれてきたのでしょうか?

ただ自然の法則のまま命が与えられ、この世に誕生し、今世一世限りの人生なのでしょうか? それとも何らかの生まれてきた理由があるのでしょうか?


もし一世限りの人生ならば、一生の中でいかに欲しいものを手に入れるか、競争に勝ち、少数の者が勝ち組としてうらやましがられ、大多数は成功者をうらやましく思いながら、そして人生を終えていく。それも仕方のないことなのかもしれません。


けれども石器時代から現代までの歴史は物語っています。小集団グループから始まり、国家ができ、王政となり、そして民主主義となった現在。自然にあるものの利用・人力から始まり、手工業から科学が発達し、機械やコンピューターが開発され、自動化され、便利化してきた社会。それらの発達とともに人々は自由と豊かさを手に入れて今日の私たちがあります。けれども一方でその過程の中で失ったものがあり、今私たちはその記憶を頼りに反省し、必要なものと不必要なものの選択を迫られています。


歴史を振り返ると、私たちはその時代の発展を次の世代につないでいき、そこに新たな発展があり、それをまた次の世代へとバトンを渡す、その繰り返しの上に現在があるということが分かります。いわゆるご先祖さま方から受け継いできたものと、それらを進化発展させたところに私たちの社会の基盤と未来があるのです。もちろん中には間違ってしまったものもあります。奴隷制度、核兵器の使用、共産主義などがそれに当たるのでしょう。間違いを犯し、それを修正しつつ、発達させているというのが人類史といえるでしょう。


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人間一人ひとり、生まれてから死ぬまでの数十年間に、ものごとや知恵を学び、成長していきます。その人生の舞台は過去からの積み上げのものと同時に、時代が進むごとに進化・発展していきます。そして次の世代へとその舞台を引き継いでいきます。


まずここで私たちは次の世代に繋いでいく、バトンを渡していくということが分かります。もしバトンを渡すことができなければ、この地球における人類史は終わりを迎えることになります。すなわち私たち人間としての役割のひとつは、次の世代につなげていくということです。


先に人類は間違いを犯しつつ、それを修正しつつ、発展させていくということを書きましたが、その言葉を表すもののひとつに「温故知新」があります。温故知新(おんこちしん)~故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る~昔の事を調べて、そこから新しい知識や見解を得ること。よく人々がこの先未来がどうなるかということ推測するにあたって、「歴史から学べ」といわれるのは、まさにこの言葉にも当てはまるのではないでしょうか。もちろんここには過去の過ちから学ぶということもあれば、過去の成功事例から学ぶという両方があります。


現在ではほぼ使われなくなった言葉のひとつに「袖振り合うも多生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)」というのがあります。その意味は、「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁である」ということです。多生の縁、あるいは前世からの因縁とは、いわゆる輪廻転生、生まれ変わりのことです。江戸時代まではこの故事、そしてこの言葉は日本人みんなが持っていた当たり前の感覚・考えでした。それが明治以降の近代化、そして物質時代の進行により、今ではすっかり忘れ去られ、それどころかオカルトの域ともされるようになりました。


けれども現在、量子や意識についての研究、そして、子供の胎内記憶、臨死体験など、まあこれもオカルトといわれてしまいそうですが、これらの研究が進むにつれ、どうやら私たちはこの世に自然の法則のまま今世限りの命が与えられるようではないことが明らかにされつつあります。だから私は思うのです。今こそ温故知新で「袖触れ合うも多生の縁」をもう一度学ぶべきだと。そして輪廻転生の考えを現代社会に取り戻すと同時に、この先、未来の生き方に生かさなければならないと思うのです。


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そろそろ直球で行きましょう。私たちはたまたま与えられた命、今世一世限りの命ではないのです。今世この世に生まれてきたのには理由があります。それは私たちの持つ永遠の生命(いのち)、すなわち「魂」を磨くために生まれてきたのです。魂を成長させること、「愛」を学ぶために生まれた来たのです。そしてそれらは生まれてくる前に自分自身が決めてきた使命を果たすこと、自分自身の課題の解決(カルマの解消)することで、最もその目的を果たすことができるのです。


そして私たちは魂を成長させること、愛を学ぶことをこの星、この地球に生れ、この地上を舞台に行うのです。そうこの地球を舞台として、魂を磨いていくのです。生まれてから死ぬまでの数十年間私たちは地球の恵みを頂きながらそれらを行うのです。そしてまた次の世代へとつなげて、次なる時期が来れば再度この地上に降り立ち、再び魂磨きを行うのです。ならば私たちはまた戻って来る時のためにもこの地上を、この地球を大切にしなければなりません。数十年間魂磨きの修行をさせてもらい、そのことを感謝して、生まれた時よりも美しい状態で次世代へバトンを渡さなければならないのです。


さて、これまでの人間のレベルは、争い、助け合い、分かち合い、そして競争し合いetc、そんな中で悩み、苦しみ、ときに喜びがあり、それらを糧とし、自分自身(の魂)を成長させてきました。どちらかというと辛さや苦しみの中にこそ成長があるとされてきました。


これまでは競い、争い、より多くを手にしたものが豊かな者とされてきました。ピラミッドの頂点にいる者が一番の勝者であり、そこにどれだけ近づけるかが価値あるものとされていたのです。そしてその勝者がこの地上を支配し、果てはこの地球をも支配するものとの意識を私たち人間は思うようになっていました。けれども時代は(心の)豊かさから成長していく時代へと大きく変わろうとしています。その豊かさの形成も、これまでと大きく違い、分かち合い、助け合い、そして赦し合いの中から生じるものとなるのです。


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現在私たちは価値観の大きな転換期にいます。新たな流れへと時代は向かいつつも、これまでの価値観で君臨し、エゴを満たしてきたもの、いわゆる古い世代は、これまで通りがよいと、そこにしがみつこうとしています。一方で新たな時代に乗ろうとする新しい世代がおり、多くの子どもたちはその流れの中で成長していこうと生まれてきています。それ故私たちの足元は揺れ動いています。政治、企業社会を始め、お金、競争に対する価値観が揺らぎ、社会基盤が根底から揺らいでいます。そこには古い価値観と新しい価値観が交差し、入り乱れ、私たちは肉体と心のバランスを取らなければならなくなっています。この先しばらくはますますその揺れは激しくなってくるでしょう。ある意味大変難しい時代であるといえるでしょう。けれども少し見方を変えると、今の時代はたぐいまれな貴重な時代とも言えます。なぜならこの時代ほど心を鍛えられる、魂を鍛えられる時として最高の時代はないからです。


しかし時代の揺れが大きいということは、足をすくわれ転びかねないということも確かです。それは大波の中にいる小舟のようなものかもしれません。下手をすると船の中を転げ回り、船から転落しそうになり、あるいは船ごとひっくり返ることもあるかもしれません。未来は見えるようで見えない、そんな状態かもしれません。明かりはどこにあるのか、灯台の明かりは???見えるかもしれないし、見えないかもしれません。


実は今外に明かりを探しても、それを見つけることができるかどうか分からないのです。おそらくほとんどの人が今の方向(外の世界の状況)を正確に言える人はいないものと思えます。なぜなら大きな流れは見えていても、世界は人間一人ひとりの自由意志が集合意識となり、世界を動かしている面もあるからです。そのような状況の中でどのように生きていくか?そこで私は思うのです。大きな流れを見つつも、変わらぬものをしっかりとらえておくことが必要だと。


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まず大きな流れとは、先にも述べた豊かさの概念が変わってきていること。すなわち競争し、勝者の独占、いわゆるWinner takes it all(勝者の総取り)から、分かち合い、助け合い、赦し合いに変わりつつあることです。現在多くの若者がシェア(分かち合う)ということをよしとする価値観となっており、今後生まれくる子どもたちはますますこの傾向が強くなってくるでしょうし、この傾向を発達させていくでしょう。


そして変わらぬものとは、まずひとつは、私たちはこの世で果たす使命(成し遂げること)、今世で解決すべきカルマ(カルマの解消)の人生プランを立てて生まれてきたことです。そこから外れなければ、どんな時代も乗り越えていけるようになっているのです。なぜなら私たちの魂はこれまでに何度も何度もこの世に生れ、経験を積んできています。それ故魂は今世の脳の認識力よりもはるかに大きな認識力・思考力・感知力を持っています。それによって計画されたプランなのです。時代の動乱はあらかじめ織り込み済みです。ただ問題は私たちの自由意志がどこに向くかということです。時代に流され、飲みこまれてしまえば、闇へと落ちてしまうかもしれません。けれども自分の使命を果たそうとする限りは乗り越えられるようになっています。ではどうやって自分の使命を知るかということが問題となってきます。それが紙に書かれて渡されることはありません。あるいは誰かが告げてくれることもありません。それはただひとつ、自分の使命は何なのかを意識し、問いかけ続けることです。


そしてもうひとつ変わらぬものとは、未来につないでいくということと、すべてこの地球でなされるということです。どんな時代が来ようと私たちは次の世代へ未来をつないでいくという役割があります。それ故に子どもたちは生まれてきます。そして私たちの人生も、次の世代の人生も、この地球でなされます。そしてこの地球の恵みを受けながらそれらはなされます。もし地球の恵みが得られなければ、私たちは生きていくことができません。地球を脱出して別の星で、などともいわれますが、残念ながら今の人類の意識ではまだ不可能でしょう。(ただし、新しい世代では可能となるかもしれません…。)当面はこの地球が舞台なのです。ならば私たちはこの地球を大切にしなければなりません。けれども今の私たちの社会はどうでしょう?その反対の地球を傷めつけることばかりをしているのではないでしょうか?私たちはもう一度今の生活と地球のあり方を見直す必要があります。


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時代そして人々の価値観が大きく揺れ動いている今、私たちはもう一度私たちの暮らしを見直すとともに、自分自身の内側を見て、一人ひとりが何をなすべきなのか、もう一度考えなければならないのではないでしょうか。私たちは未来をつくらなければなりません。私たちの使命を果たせる未来、カルマを解消できる未来、そして次の世代に残せる未来。それらをこの地球でつくっていかなければならないのです。それがもしかすると私たちが今世この地球に肉体を持って存在している誰もに共通の使命であるのかもしれません。さあ、みんなで考えて明日ある未来をつくっていきましょう。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年8月 9日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑧~人類みな兄弟~

さてこれまで7回にわたり書いてきた「新しい日本を創ろうよ」シリーズですが、気づけば第8回となりました。前回は西欧社会の根底にあるものは、恐怖と屈辱(リベンジ)であることを論じてきましたが、今回は都市伝説を是として述べたいと思います。


その都市伝説とは日ユ同祖論です。これは日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人)のルーツが同じであるという説です。


古代イスラエルには、もともと12の支族が存在し、10支族による北王国(イスラエル王国)と2支族による南王国(ユダ王国)に分かれていました。このうち北王国は紀元前8世紀にアッシリアに滅ぼされ、そこにいた10支族の行方が分からなくなり、「失われた10支族」と呼ばれてその行方が問われているのです。その10支族の一部(あるいは全部)が古代日本へと辿り着き、日本人に同化したというのが同祖論となります。


これは明治時代に貿易商として来日したスコットランド人のニコラス・マクラウドは日本滞在中に、日本と古代ユダヤの類似性に気付き発表したことから日ユ同祖論が始まりました。


日ユ同祖論の経緯についてはネットで検索すれば、日本とユダヤの何が似ているのか、さまざまなものが詳しく述べられているので、詳細はそちらに譲ります。(私は日ユ同祖論は間違いないと思っているので、)ここでは都市伝説通り日本人とユダヤ人は同祖であることを前提に進めて行きます。(同祖論の都市伝説以上に奥が深いのが真実です!)


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縄文時代の終わり、大陸からの渡来人により弥生時代が始まります。以降定期的に大陸から人々が渡来し、彼らによって大陸の文化が大和の国に持ち込まれ、古墳時代、飛鳥時代、そして奈良、平安時代と移ります。この間の渡来人その一部が古代イスラエル人であったと思われます。その代表格が秦氏でしょう。一方陸路だけでなく海路からも日本へとやってきた士族もいます。十支族の中のレビ族などがそうではないかと思います。


いずれにせよ縄文時代からの日本人とユダヤ人が作り上げたのが大和の国であり、現在の日本へと続いているののです。そしてこれまでに何度も述べてきましたが、江戸時代後半の日本は西洋人から見てパラダイスのように思われた国でした。庶民は粗末な着物を着てモノこそ持ってはいませんが、人々はよく笑い、どの顔も幸せそうに見え、日々の暮らしに満足しているように思われたのです。更に国土の風景は、江戸の都会も田園風景も世界まれにみる美しさであり、よく整備されていることから日本人の几帳面さもうかがえるのです。それだけではありません。当時の日本人は西洋人からすると驚異的な体力も誇っていたのです。自然と一体化し、質素ながら誰もが幸せで、体力もずば抜けている。几帳面で、器用で、手仕事・ものづくりをさせれば超一級品を生み出す。これ以上の民族と文化があるでしょうか?


この江戸時代を作り上げたのは、弥生時代から渡来してきた渡来人、つまりは朝鮮系やユダヤ人と1万年以上続いた縄文時代における中和と調和のDNAであったのです。


そうすると江戸のパラダイス社会は、日本古来の人々と、渡来してきた人々の共同により造り上げたものとなります。


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古代イスラエル人たちは中東イスラエルの地を離れ、何世紀もかけはるばるユーラシア大陸極東の地の向こうにある“日出ずる国”日本へとやってきたのです。この間途中途中でさまざまな民族と交りあってきたことでしょう。それでも伝説の地とされる東(イースター)を目指して移動し続けてきたのです。もちろん日本にやってきたのはそれだけでなく、朝鮮系の人々、ペルシャ系の人々、あるいは海路(黒潮)を通じてやって来たイスラエルや南国系の人々もいたことでしょう。それらの人々が混ざりあい、それぞれの性質を受け継ぎながら日本人となっていったのです。ならばそれらの人々がみんなで江戸パライスを協働して作り上げたということとなります。それならば私たちはみな同朋であり、争う必要はないのです。ただ分かち合えばいいのです。


一方西洋諸国の歴史をふりかえると、それは争いと奪い合いの歴史であり、その根底にあるものは恐怖と屈辱(リベンジ)であることを前回述べました。けれども西洋の歴史とはユダヤ人との交わりあいの歴史であるとも言えます。そして現代の西洋文明をつくりあげたのは両者の関わりあいの結果であるのです。



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ならば江戸のパラダイス社会、現代の西洋文明、そのどちらにもユダヤ人が絡んでいることとなります。ユダヤ社会にはタムルードと呼ばれる聖典があり、知恵の書伴っています。そしてそれがユダヤ教徒のの生活基盤・信仰となっています。ユダヤ人がどのような考えを持つかで世界は大きく変わってくるともいえます。一方で共生するパラダイスをつくりだし、一方で争い、奪い合うというこの両極端ながら、彼らはその場に応じた知恵を発揮したともいえます。


けれどももし世界の人々が日ユ同祖論を認め、私たちは同朋であることを確認し、抱き合うことができたならば、世界は大きく変わっていくことでしょう。


ここ数十年で作り上げたグローバリズムとは、争い合い、奪いあう「恐怖」と「屈辱(リベンジ)」を根底にしたものです。もしそれを共存していく「共生き」主義に変えたならば、地球はこれ以上破壊されることはなくなることでしょう。


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真のグローバリズムとは、「助け合い」「分かち合い」「赦し合い」から成るのです。これらの精神と縄文時代からある自然に寄り添う中和と調和の精神を発揮し、「人間は地球の恵みでもって生きている」ということを理解することができたならば、経済開発、技術開発のいずれも、地球と人間が共生し、共発展していくものとなると思うのです。その土台となるDNAを持つのが日本人(縄文からの日本人、ユダヤ系日本人、さまざまな国からの日本人)なのです。私たちはそのスイッチをONにしなければならないのです!







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年8月 2日 (水)

共生するためには、次の総理を予想している場合ではないぞ!

未来を予測するにあたって経済アナリストの藤原直哉先生の考えをよく参考にさせてもらっています。先生は毎週日本や世界の情勢を分析し解説したものやこれからのリーダーシップについて説かれたインターネット放送を配信されています。82日の放送で「なるほど」と思ったことがあり、そこから私なりにいろいろと考えたので書いてみたいと思います。


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現政権が末期症状にあるのは誰もが分かることだと思います。そして多くの人が次は誰だろう、(Aさんとの声が多いようですが…)と予想し、そしてまあ誰がやってもダメだろうな…と考えているのではないでしょうか?


藤原先生は、それは江戸時代の第16代将軍が誰かを考えるようなものだと仰います。つまり15代将軍は徳川慶喜であり、その後の16代は「ない」「いない」であり、次の総理も「ない」「いない」が正解ということです。もちろん実際はAさんか誰かがなり、その後もしばらくはKさんIさんと続きはするでしょうが、それは「ない」「いない」と同じということなのでしょう。


それではこの先どうなるのだろうかというと、藤原先生は地方政党の時代がやって来ると言われます。これからの国会は、国連のように各国の代表が集まり、代表間の話し合いで決めていくように、地方の代表が中央に集まり、各地域の課題を持ち寄り、方向性を決めていく方式となると話されます。


何が違うかというと、これまでの中央集権、いわゆるトップダウンの方式ではなく、ボトムアップの方式へと変わっていくということです。要はこれまでの縦社会の終わりが来ているということです。そしてこれは日本だけでなく世界も今同時にそれに面しており、それが現在の世界的混乱となっているとのことです。


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そこで思うことがあります。それは日本の中央(東京)の時代が終わり、これからは地域政党の時代となり、地域ごとに運営していくようになっていくわけですが、地域の政党に任せるというカタチになってしまうと、それも間違いであるということです。それでは結局地域における小規模中央集権となってしまいます。そうではなく一人ひとりが地域政党、つまりは地域を担っていかなければならないということです。それはどういうことかというと「もうお上に頼る」という時代は終わり、これからは自律し、自立する時代がやって来る(来ている)ということです。


すなわちこれまでのお任せ意識を捨て、自分が何をするかをきちんと考えていかなければならないということです。藤原先生はこのことを「縦社会」が終わり「横につながる」時代と言われています。そしてこの横につながる時代、横につながる社会こそが「共生」といわれるものだと思うのです。


「共生」という言葉を聞くと、一見するととてもいい響きであり、誰もが理想的であるように思うと思います。けれども実はそこには「自律し、自立する」という1人ひとりの責任感というか、大きな意識の変換が要求されるものなのです。


それ故藤原先生は「共生」するには、1人で考えたり、ネット上で意見を述べ合ったりするだけではなく、実際に「行って」「見て」「聞いて」「話して」の行動が大切であると説かれています。


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「共生(きょうせい)」とは、もともとは仏教の「共生(ともいき)」から来ています。文字通り「共に生きる」ということでしょう。そしてこの「ともいき」は感覚だけではいけない言葉なのだと思うのです。「行って」「聞いて」「話して」とは、言い換えれば、「行動」し、「体感」し、「経験」して、そしてそれらをまとめ上げていく。みんなでつくっていく。それができて初めて「共生(ともいき)」となるのではないかと思うのです。まさに「言うは易く行うは難し」のものであるということです。けれどもこれを行ってこそ新しい時代は開けてくるのだと思うのです。


誰が次の総理大臣になるかを予想しているのではなく、まず自分自身は何をどうしていくか、それをきちんと考え、行動していくことが大切である。でなければ、時代の混乱に飲み込まれるだけですよということなのだと思います。


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共生(きょうせい)という一見するとやさしい言葉ですが、そこに至るためには私たち自身が精神的に成長していくことが要求され、そしてそれをこなしてこそみんなが喜びあえる「共生(ともいき)」の時代がやって来るのだと思います。


時代の要求を乗り越えていかなければなりませんね!





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

 

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