« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »

2017年7月

2017年7月26日 (水)

三度のアセンションプリーズ!

「地球は生きている。」といっても誰も驚かないでしょう。地球内部はマグマが活発に活動しており、大陸プレートは動き、それらが原因で火山の噴火や地震が起きます。また地球は自転し、太陽の周りを公転し、それによって風が吹いたり、海流が生まれ…と、誰もが「地球は生きている」ということに納得すると思います。


けれども地球は意識ある生命体というと、多くの人が「意識?」であったり、「何言ってんの?」とか、「地球は物質にすぎない。」となるのではないでしょうか。地球は人々に話しかけてくるわけでもなく、宇宙の中を自由自在に動くわけでもありません。しかし地球は人間よりもはるかに高い意識を持つ生命体であるということが真実なのです。


Photo_6


地球は、「テラ」という男性(陽)意識と、「ガイア」という女性(陰)意識の2つがひとつとなった神霊によってできています。男性意識のテラは地球の自転や公転を調整して、生命が存在できる環境を整え、どのような生物を生み出すかというビジョンを決めます。女性意識のガイアは雨や海、川といった水を通じて、テラの描いたビジョンに命を吹き込み、地球上に生命を誕生させます。このふたつの意識がそれぞれの役割を通じて地球を様々な生命ある惑星としているのです。


つまり人間はこの二つの大いなる意識がひとつになって生み出された地球上に住んでいるのです。それはちょうど人間の腸内にいる微生物のようなものといえるでしょう。腸内の微生物は人間全体のことは分かりません。例え自分が今いるところが人間の体内であることは分かっったとしても、それが意識ある存在とまでは分からないでしょう。彼らはただその場所で自分の生命活動をひたすら行っているだけです。人間が口にするものが彼らの栄養源となり、それを自分たちの生命活動に使い、その老廃物を出しているだけです。また人間の感情や気分が、彼れらにとっては晴れの日であったり、雨の日であったりします。その天気に応じて彼らの排出物も変わってくるのです。それによって人間は生き続けられているのです。それと反対のカタチとなりますが、がん細胞もそれと同じようなことが言えます。彼らは自分たちの生命活動により、自分たちの生命を増やしていくことに専念しているのですが、まさかそれが自分たちの命取りとなることなど全く思ってもいないのです。


Eb7eba406b9db865525aa29e401de9db__2


さて腸内には、善玉菌、日和見菌、そして悪玉菌がいます。腸内に善玉菌が多ければ、日和見菌もそっちの方へと導かれ、悪玉菌は少量のままでいます。そうすると腸内は、腸内フローラ、お花畑といわれるように、それはそれはきれいなお花畑(腸)となります。もちろんその人は健康でいられます。ところが反対に悪玉菌が多くなると、日和見菌もそちら側へと付き、腸内は今度は薄汚いお花畑とは到底言えないようなドロドロしたものとなります。例えばヘドロの溜まった用水路を想像してみてもらうといいでしょう。その人は当然ながら不健康であり、何らかの疾患、あるいは複数の病気に悩まされることでしょう。


この善玉菌と悪玉菌のバランスによって腸内環境は変わっていくのです。では悪玉菌を全部排除してしまえば、最高にきれいな世界ができるかというと、そうとも言えません。悪玉菌は良好な環境においてはO157のような毒性を持ち人間に害を及ぼすような菌が侵入して来た際には、それを退治する役割を担っています。もし悪玉菌が全くいなければ、O157のような菌が侵入して来た際には、あっという間に腸内はO157だらけ、毒だらけとなり、即人間は死んでしまうことでしょう。そこで人間はO157などの侵入者が入ってきて、広がってしまった場合には緊急手段として抗生物質、いわゆる殺菌剤を服薬します。そして毒素菌を殺してしまおうとするのですが、それは同時に善玉菌などの元からいる菌にも作用してしまうのです。


同じようにように、地球にも、善なる人間、悪なる人間、そして日和見な人間がいます。腸内と同じように、善なる人間が多ければ、日和見的人間はそちらの方について行き、地球は全体として善寄りとなり、お花畑の星となることでしょう。けれども悪なる人間が多ければ、日和見な人間は今度はそちらに追随します。悪なる人間は自己のエゴを満たすことに一生懸命となり、日和見菌をうまくコントロールしながら、世界を支配しようとし、この地球は荒れ果てた星となることでしょう。(日和見菌は悪玉菌に使われているのです。)では今の地球はどうかといえば…。


Photo_7


話は変わりますが、人間は地球が誕生してから、長い長い生命進化の上に地上に誕生した高等生命(霊長類)であり、その線上の最先端にいると私たちは思っています。ピラミッドがどのようにしてできたか、ナスカの地上絵がどのようにしてできたとか、あるいはマヤの遺跡など現代の科学技術では成せないことがあったとしても、それは例外、学問外として処理されています。見て見ぬふりをすることにしているのです。そしてもしそれに注目する人がいれば、その人はキチガイとして無視するようにされたり、あるいは異端視され潰されているのです。けれども実はこれまでに地球上には何度も文明が生まれては滅んできたというのが事実なのです。レムリア文明、ムー文明、アトランティス文明など人間はこれまでに幾度も文明を興し、そしてそれらは滅んできているのです。それは何故かというと悪なる人間が増え、それになびく人々も増え、地球が真っ黒な状態になりつつあるがゆえに、人間が抗生物質を飲み、殺菌し、緊急事態を脱したように、地球も意識的にそれを行ったからです。それが大地震、大津波であったり、北極南極の磁場が変わるポールシフトなのです。それらは伝説として伝えられたり、旧約聖書に描かれたりしています。あるいは科学調査によって地球の変動の歴史として明らかにされてもいます。


さて先の話題に戻り、現在の地球といえば、明らかに悪なる人間によって引っ張られているといえるでしょう。現在の地球環境を見てみると、放射能で大気も、陸も、そして海も汚され、資源の乱開発、都市開発、あるいは経済競争により地球環境は破壊されています。更には戦争やテロなどの争いは続き、多くの人間の命が奪われてもいます。科学の進化は人間の便利さを向上させはしましたが、一度に大量の命を奪ったり、命の源である水を毒するようになりました。今まさに地球はテラもガイアもボロボロな状況なのです。本来ならば今回の文明も、抗生物質投入の事態となっているのが本当のところです。けれども宇宙は無数の銀河団がら成り立っており、それらは相互に影響を及ぼし合っています。現在我々の太陽系の属する銀河は魚座からの影響を受ける時代から水瓶座の影響を受ける時代へと変わってきています。魚座時代の物質従属の域であったものが、そこから解放され精神の世界を重視する水瓶座の時代に入ってきているのです。そこでこのタイミングを機に人間の精神性を向上させ、美しき星にしたいとの願いから地震や火山噴火による文明のリセットを延期してもらっているというのが現状なのです。


けれどもその猶予期間がどれほどのものなのかは分かりません。もしかするとまだ何百年とあるのかもしれませんし、あるいはもうほとんど残されていないのかもしれません。ただ現在の地球の破壊状況からするとそれほど残されてはいないというのが正解と思えます。残念なことにそのような状況であるにも関らず、多くの人間は知らず知らずのうちに更なる破壊活動に参加しているのが現状です。いや、うまくコントロールされ、参加させられているといってもいいでしょう。まさに日和見菌の悪への傾倒状態にあるのです。


Photo_8


しかし一方で善玉菌も増えつつあるのも事実です。悪玉菌のやり過ぎゆえに人々が真実に気付きはじめ、善なる想いを持つ人々が増えてきています。それと同時に水瓶座の影響が大きくなるにつれ、精神的要素が重視されてくる時代へと入ってきてもいます。故に現在の地球は大変なアンバランス状態となっています。精神を重視した生活をしたいものの、現実的には物質主義のあがきでそれを実施するのが容易ではない状況になっており、その両方をうまく行き渡る人の数はまだわずかでしかないのが現状です。


しかしながら確実に時代は精神の拡大の域に動いています。科学の発展の勢いには劣りますが、人々の精神の見直しは徐々に始まっています。若者たちのシェアの考え方がそれであり、またそれを後押しする新世代の子供たちも続々と誕生しています。それは宇宙の作用であり、また地球意識の望むところでもあります。更には人類を発達させたい高次元の人々の願いでもああります。ただし宇宙の法則として人間には自由意志が与えられています。様々な要素に影響を受けつつも最後に決定するのはこの地球上の人間の意志なのです。故に進化の道を歩むのか、それとも滅びの道を選び、もう一度初めからやり直すのか、それは一人ひとりの人間の意志に委ねられているのです。このまま「我」を優先し「エゴ」を追求していくのか、あるいは「我」の意識から「地球」に寄り添う意識に転換するのか、それは私たち一人ひとりが決め、それが集合意識となり人間の総意となっていくのです。その総意を地球意識がどのように判断するのか。それによって私たちの未来が変わっていくのです。


Photo_9


さあ、みなさんはこの先どのような意思を持ち、どのような意識でもって未来を歩まれますか?



参考文献:アマーリエ
「光ある愛の星にアセンション―ガイアの祈り」
「ガイアその愛その光 地球シフトアップ計画」
「アセンション最後のハードルついに明かされた宇宙シフトアップ計画」
いずれも5次元文庫







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年7月19日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑦~グローバリズムの正体~

西洋の歴史を振り返ると、それは争いと奪い合いの歴史であり、それが彼らのDNAとなっていることをこれまで随所に述べてきました。今回はその辺りも含めて、グローバリズムの正体を私なりに紐解いていきたいと思います。

Photo


まず西洋諸国(ヨーロッパ大陸)を見てみると、そこにはインド・ヨーロッパ語族に属する多数の民族が暮らしていることが分かります。そしてその歴史を見るとゲルマン人の大移動など民族間の移住と定住であり、そこにはもともと住んでいた民族との争いがあったことが容易に分かります。また地図を見るとヨーロッパ大陸はユーラシア大陸の一部であることが分かります。ユーラシアとは、メソポタミア文明、インダス文明、そして黄河文明の4大文明の3つを抱えます。残りの1つエジプト文明はアフリカ大陸ですが、そのアフリカ大陸もすぐそばであり、4大文明のすべてがあると言えます。同様にその歴史を見ると各民族が争い、植民し、そして移動するということの繰り返しです。すなわち西洋の歴史とはヨーロッパ大陸であると同時にユーラシアという地球上で一番大きな大陸であり、そこに住む様々な民族が陣取り合戦を繰り広げてきたその歴史の一部なのです。


勿論西欧人の歴史は奪い合いだけではありません。彼らの特徴は、民主主義の確立、基本的人権の獲得などから分かるように、大変論理的であり、知的であることが分かります。それぞれの民族がいつも争い奪い合っているばかりでなく、交流し、交換し合い、そして切磋琢磨し合った結果、新たな技術や芸術が生まれ、その中で科学が発達してきたことが分かります。彼らは論理的に考え、新技術(科学)を生み出し、それを持って世界に進出していったのです。


Photo_2


ところで西欧人というと、基本的に白人といえるのでしょうが、その中でひとつ特異な人達がいます。ユダヤ人です。旧約聖書を生み出し、そこからキリストが生まれ、いつしか西欧文明=キリスト教文明といってもよいほど、西欧文明の根幹の部分に関わっているのがユダヤ人です。けれどもその歴史を振り返れば、近年のことならばナチスによるホロコーストといい、迫害の歴史ともいえます。その民族の始祖アブラムは、メソポタミアのウルから部族を引き連れ「カナンの地」へ移住したことから始まり、歴史の中で移住を繰り返し、争い、弾圧され、遂には離散させられますが、それでも各地で生き残り、結束してきた人達です。つまり西洋諸国(白人)とはヘブライ人(ユダヤ人)の歴史を含んでいるのです。



さてそのユダヤ人は歴史上各地で弾圧されてきた民族です。当然西洋諸国でも弾圧され、彼らは自由に仕事の選択することも許されませんでした。その為彼らは当時身分の卑しいものが行うとされた金貸し(金融)を主たる職とします。けれども現在社会をみて下さい。当時人々から蔑まれたその職が、今では金融業界として世界を圧巻し、日本の若者が就きたい職の常に上位までなっているのですから驚かされます。それと同時にこれまでどれだけ屈辱に耐え、そして知恵を屈指ししてきたかを考えると、そこには途轍もない彼らの想いを感じずにはいられません。


Photo_3


さてこれらのことから西洋の歴史を紐解いていくと、3つのことが分かります。


ひとつは、これまで何度も書いてきましたが、彼らの歴史とは、争いと奪い合いの歴史です。いくら平和裏に暮らそうにも、他の民族からの攻撃があれば、それを防がなければなりません。防御のためには武力が必要でしょうし、時には(先に)攻撃して征服することも必要ともいえます。それを突き詰めれば「殺らなきゃ、殺られる」という考えが起こるのも当然といえるでしょう。そしてこのことを更に突き詰めると、その根底にある心理は「恐怖」です。その「恐怖」故に、争い・奪い合いが繰り広げられてきたと言えます。


ふたつ目は、彼らの歴史とは論理的、知性的なところで発達してきたことです。つまり左脳を屈指した文明といえます。他民族が入り乱れるユーラシア大陸の中で、生き残るためにはいかに理論整然と知的に考え話すことも非常に重要な要素であったと思います。一方、ユーラシアの極東にあり、大陸とは海で隔てられた我らが日本は、1万年続いた縄文時代からして直感的、感性的であり、右脳の文明といえます。そこに大陸からの移住者による論理や知性が組み込まれていく中で発展してきた文明です。


そして3つ目は、ユダヤ人に関するものです。こちらも先ほど書いたように彼らの歴史は迫害の歴史であり、身分も、職業も差別されてきました。そのような中で生き残るために、蔑まれる金貸しを仕事としてきました。けれども遂にはその職の地位を高くし、権力を持ち、そして世界を支配するものまでにその地位を向上させてきました。そこには血と汗と涙、そして知力を屈指してきたことでしょう。と同時にその根底には、屈辱と、いつかは見返してやる(リベンジしてやる)という想いが含まれていたと思うのです。

以上の3つから西欧の歴史とは、恐怖、論理と知性、そして屈辱(リベンジ)だと言えるのです。


Photo_4


さて、ここで世界史全体を見てみると、この400年間はアメリカ合衆国も含め西欧諸国による世界進出の歴史であると言えます。イギリスの東インド進出からアジア各国の植民地化、アメリカ大陸への進出、そしてアフリカ人(黒人)の奴隷といい、西欧諸国による略奪・殺戮の歴史といっても過言ではないかもしれません。ではなぜそのようなことが行われたかというと、その根底には、先ほど上げた「恐怖」「論理と知性」そして「屈辱(リベンジ)」があると思うのです。この400年の間、そして彼らの「論理と知性」から、一見すると彼らは非常にスマート(賢く、優れている)と思いがちです。けれどもその心の奥底には「恐怖のDNA」と「屈辱(リベンジ)DNA」=「ネガティブDNA」があり、それらが原動力となっているのです。そして現在進められているグローバリズムの底辺に横たわっているのは、まさにそのネガティブDNAであり、結果世界的競争、奪いあい、征服主義なのです。


現代世界中でこの「ネガティブDNA」に基づく経済競争が行われることにより、地球の破壊は急激に進み、そのダメージは気候変動を始め様々なところで現れてきています。科学の発展により地球が小さくなり、世界の交流が盛んになることは誰にも止められません。けれども現在のネガティブなグローバリズムでは破滅を招くばかりです。地球人はその価値観を変えなくてはなりません。本当のグローバリズムとは、決して競争・奪い合い、征服ではなく、どうすれば共存していけるかを考え実行していくことであり、「共生き(ともいき)主義(DNA)」なのです。そしてその「共生きDNA」を持ちあわせているのが日本なのです。






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年7月12日 (水)

車と魂:イメージゲームから魂の実態を考える

「あなた、車と家族、一体どっちが大切なの?」なんて言ったことある奥様方、あるいは言われたことがある男性陣もいるかと思うのですが、同じような質問をさせてください。


あなたは車と人間(命)どちらが大切ですか?

Photo



もしそう質問したならば、ほとんどの人が「人間(命)です。」と答えるのではないでしょうか? まあ1,000人に1人ぐらい「俺は自分の命よりも、車が大切なんだ~!」という人も例外的にいるかもしれませんが…。


車は単なる(鉄の塊の)乗り物に過ぎず、値段も少々するけれど、命には代えられない。車は買い替えられるけれど、命は買い替えることはできない。命が大事!と大抵の方は考えるのではないでしょうか。



Photo_2



ではここで一つの仮定として、人間のBODY(身体)は魂の乗り物(にすぎない)とします。



そうするとあなたは身体と魂どちらが大切と答えますか?



魂など信じないという人も多いかもしれませんし、身体と答える人も結構いるのではないでしょうか?


Photo_3



ではもうひとつ仮定に加えさせてください。魂は永遠であり、何百、何千回も身体を乗り換えているとします。



あなたは身体と魂どちらが大切ですか?



そうすると魂と答える人が増えてくるのではないでしょうか?



私の場合「魂」です。ですが80年生きるとなると、できることならBODY(身体)も大切にしたい、できれば傷つけたくない、健康でいたい、と思います。車の場合も同じく、「命」が一番ですが、できれば傷つけたくない。きれいなままであって欲しい。だから安全運転しようと思います。欲張りですかね?



Photo_4



さて少し話を変えて、といってもまた仮定の話しですが、今度は人生100年として20才から70才までの50年間車を運転し、また乗り換えられることもできることにしましょう。ただしこの間に乗り換えられる車は5台までとします。あなたはどのような計画を立てますか?



20代の頃はスポーツカー、30代、40代はファミリーカー、もしくはワンボックスカー、50代は高級車、60代、70代は趣味の車という人、あるいはとにかく大事に乗りたいから1台当たり20年間乗り続けて3台でいいという人もいるかもしれません。そのパターンは十人十色で様々なものがあると思います。ただしその計画通りに行くとは限りません。途中で事故に遭い、車を廃車にしてしまうかもしれませんし、ひどい事故を起こしてしまい、免許を失い、車の運転ができなくなるかもしれません。




さて今度はまた身体と魂に戻りましょう。魂は1万年生き続けられるものと仮定します。そしてあなたはこの1万年間に10回まで転生できるものとします。1回の転生は最大100年間3次元界(この世)に生きていられるものとします。(少しややこしくすると、10回の転生の平均年齢は50年とします。)あなたはどのようなプランを考えますか?



1万年のうち、この世に出て来られるのは1,000年(平均年齢を50歳とすると500年)です。あなたはどのようなプランを立てますか?


中には1,000年(500年)しかこの世に出てこられないのであれば、思いっきり遊ぼう!好きなことをしようと思う人もいるかもしれません。あるいは貴重な1,000年(500年)だから大切に生きようと思う人もいるでしょう。

 


Photo_8



更にここでもうひとつ条件を付けると、1万年後にあなたは1つの惑星の管理者になるとします。(地球でも構いません。)管理者となることができれば、更に1万年の命が与えられます。(管理者になれなければ10万年間荒野の岩となります。)惑星の管理者となったあなた、そこには1億人がいます。そしてあなたはその1億人をあなたと同じように管理者になれるよう育て上げないといけないとします。さあ、あなたはどのようなプランにしますか?



Photo_6



更に更に条件を付けます。あなたは10,000年のうち9,0009,500)年間は、管理者になるための勉強をしているとしましょう?そしてこの世はその勉強が本当に身に付いたかどうかの試験であるとしましょう。そしてこの世で勉強したことが身に付いていることを証明することができれば、管理者になるための次のステップに上がれるとしましょう。さあ、あなたはどうしますか?



Photo_7



車と命とどちらが大切であるかということから、どんどんエスカレートしてしまいました。けれども、もしかすると見えない世界の仕組みとはそのようなものかもしれません。私たちは常日頃見えるものを中心に考えて生きています。けれども見える世界をたどっていけば、所詮は脳の機能が私たちに映し出した限られた世界に過ぎません。そして更に目に見える物質をミクロの世界に迫っていけば、そこは空間だらけのスカスカの世界となります。見える世界とはほんのごくわずかでしかありません。そのごくわずかの世界を追いかけて生きているのが通常の私たちであると思うのです。



見えない世界において、何が真実なのかは、この世にいる限り分からないのかもしれません。けれどもその見えない世界に私たちの本体はおり、見える世界の私たちはその一部に過ぎないように思います。その中でどのような生き方を選ぶのか、私たちの意志にゆだねられているのでしょう。



Photo_9


解説図




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2017年7月 5日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑥~現代から未来へ!~

世界で相次ぐテロ事件、北朝鮮のミサイル発射問題、中国の東シナ海への進出、アメリカ・ヨーロッパの混乱、そして国内では貧困格差、大企業の波乱、商品価格の上昇、ストーカー事件に親殺し子殺し、感染や疾病、更には放射能、地震に異常気象など。私たちはまるで不安の中にいるようです。


健康、子育て、老いなど生活に関する不安、異常な事件による社会に対する不安、そして世界や地球規模の不安など、次から次へと不安ごとが生じ、まるで不安を背負って生きていきなさいと言わんばかりです。庶民である私たちはもちろんのこと、例え権力者や名誉のある人、あるいは有名人などお金持ちというような人たちであったとしても不安を持って生活しているようにも思えます。一体どうなっているのでしょうか?

Photo


「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある。」(ティリー)

「日本人は毎日に生活が時の流れにのってなめらかに流れていくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」(ジョージ・スミス)


「誰もがいかなる人々がそうでありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」(オズボーン)

 逝きし世の面影」渡辺京二著平凡社ライブラリーより


幕末に日本を訪れた西洋人たちは、日本人を見て上記のような印象を持ちました。何だかそこには現在とは正反対の世界があったように思えます。現在の日本人を外国人が見るとどのように思うのでしょうか?上記のような印象を持つでしょうか?これまで見てきた自殺率、貧困率などそこからは上記の感想を持つことはとてもできはしません。


Photo_2

前回幕末から明治、昭和の敗戦からバブル経済、そしてその崩壊後の今日までをみてきました。経済戦争・金融戦争の結果、利益争奪一辺倒の世界、エゴむき出しのハイエナ社会となり、今では日本だけでなく世界各国が崖っぷちに立たされています。そしてそれが生活の安定を脅かし現在の不安となって現れていると思われます。



さてこの不安の原因を探っていくと、ハイエナ社会の結果生み出されたことももちろんなのですが、その奥には2つの要因があることが考えられるのです。ひとつは「人為的に生み出された不安」であり、もうひとつは「日本人の土台に反する生き方によって生み出された不安」です。


まず人為的に生み出された不安とは、例えば現在世界中でテロが発生し、日本でも起こるのではないかという不安にさらされています。テロといえば多くの人が思い出すのが911のニューヨークの貿易センタービルでの事件だと思います。これをきっかけにテロに対抗するとして中東での戦いが始まり、そこから世界中にテロが広まったと言えます。けれどもこの911事件に関しては発生後から数多くの疑惑が出てき、今では権力者たちによるヤラセであったことが明らかにされつつあります。更に現在世界中のテロの根源となっているISIS集団。これもまた権力者たちにより世界に混乱をもたらすために生まれたものであることが明らかにされつつあります。そしてその根底にあるのは、それによりお金を儲けようとする権力者たちのエゴです。権力者たちの限りなきエゴの追求の結果私たちの不安は生じているのです。これが人為的に生み出されている不安です。


そしてもうひとつの日本人の土台に反する生き方によって生み出された不安とは、放射能問題もそうですが、明治以降の主たる政策となって来た物質主義の極致による不安です。現在の社会は利益争奪戦のハイエナ社会であることは先ほども書きました。そこには日本人の土台となる縄文時代のDNA「自然に寄り添う」というものは全くありません。この150年間日本が取ってきた政策は自然と相反するものがほとんどでした。それ故に何度も公害が発生し、人々の健康が害され、同時に自然も破壊されてきました。今では地方でも都市化が進み、県庁所在地を中心に多くの人々が自然とかけ離れた環境の中で暮らしています。

Photo_7


この2つの不安の要因ですが、どちらもいわば人間のエゴから発生しているものです。なのでどちらも人為的といえば人為的です。けれどもひとつめの人為的要因とは一握りの人達(大なり小なりの権力者たち)の欲望から生じているものであり、もうひとつは民衆を含めた多くの人、つまりは人間の持つ欲望(エゴ)から発生しているものです。


ひとつめの人為的要因には現在大きな変化が生じてきています。それはこれまで(権力者たちの力によって)裏の世界に隠されて決して表には出てこなかったものが、ウィキリークスなどによって暴露され、世間に知らされるようになってきたことです。アメリカの世界各国への盗聴、ISISの秘密などが次々と暴露され、それらはネットを通じてアッという間に広がるようになりました。日本でも一時大きな話題となったのがスノーデンファイルでしょうし、あるいはタックスヘイブンのパナマ文書などでしょう(但しパナマ文書に関しては更なる疑惑がありますが…)。国内問題では加計学園の問題、豊洲市場の問題などもそうであると言えます。この傾向はこの先益々大きくなり、これまで裏で行われていたことがどんどん表に出てくると思われます。


そしてもうひとつの日本の土台に反する生き方ということですが、こちらもその変化の兆候は少しずつ現れてきています。「自然に寄り添う」ということは、これまでに述べてきた中和され、調和するということであり、更に言えば共存・共生していくということにつながってきます。現在アウトドアブームが日本中でブームとなっていますが、それもそのひとつの徴候といえるでしょうし、前回書いたシェアをするという概念もそのひとつであると言えるでしょう。その他数年前から大きく広がり始めた共感による資金調達クラウドファンディングもその関連といえます。

Photo_4


さてこの2つのうち、ひとつめの人為的要因はこの先これまで秘密裏にされていたことが次々と明らかにされていくことでしょうから、秘密を抱える権力者や国民を欺いてきた人たちはその居場所が徐々に狭められていくことでしょう。その為自己の欲望を満たすために人々を欺くことはこれからは難しくなっていくと思われます。故に自然淘汰されると言ってもよいのかもしれません。ただしそこには権力者にすべてを委ねるという庶民のこれまでの姿勢ではなく、1人ひとりの自立と自覚が求められるのは言うまでもありません。


そしてもうひとつの土台の上で生きていく、自然に寄り添って生きていくということですが、これは人間のエゴ=物質的所有の欲望、あるいは便利さを求める欲望から生じ、そこから外れていった結果が現在の状況となり不安を生じているものです。現在シェアの文化が広がり、自然回帰への傾向が見られてはいます。けれどもそれ以上のペースで人々は欲望を追い求め自然を破壊しています。日本人にはその傾向は減少しているのかもしれません。けれども世界をみれば圧倒的に欲望を追い求めているのが現状です。このことに関して私たちは意識しなければなりません。そしてどこかで歯止めをかける意志を持たなくてはなりません。

Photo_5


現在あらゆるメディアはこぞって人々の欲望を駆り立てようとしています。テレビもネットも消費を促すものを垂れ流し続けています。政府も消費することを奨励し、中央銀行と組み、お金をばらまき続けています。それでも消費は思うように伸びていません。何故でしょう。それは日本人の持つDNAが働き始めているからです。バブルが崩壊して以降、停滞期を経て、そのDNAが少しずつ働き始めているのです。だから縄文時代の生活が明らかになりつつあり、そしてまた江戸時代の日本人の暮らしが注目されているのです。


私たちはこのDNAの働きを意識するべきです。そしてどのように未来を築いていくべきなのか考えていくべきです。決して何も縄文時代や江戸時代の生活スタイルに戻れというのではありません。この150年間に入ってきた豊かさもあります。それらを一度整理し、中和し、調和させ、そして自然に寄り添う新しい生活スタイルを確立しなければなりません。それができるのが日本人なのです。


Photo_6







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2017年7月 1日 (土)

日々こそ修行

かつて日夜坐禅を組み、毎晩お経を唱え、休みの日は山を走るように登って修験道に励み、そしてついには会社を辞めてお寺に籠もり修行に励んだことがあります。あの頃はひたすら悟りを求め、仏道に励んでいたのですが、今思えばあれは何だったのだろうと思います。いくらお経が読めて唱えられたとしても、仏教の知識をいくつも覚えたとしても、一体それがどれほどのものかと思うのです。
             
もちろん仏道修行によって多少は自分自身を鍛えることができたとも思います。けれどもそれは年に1度の誕生日や、試験に合格した日のような特別の日に過ぎないのではないかと思うのです。例えばもし重い病気を持つ子どもが誕生日を迎えたら、その子の両親の喜びはひときわ大きいでしょう。あるいは数年間毎晩勉強をつづけてきた結果試験に合格したらその喜びと感慨深さはとても大きく深いものでしょう。けれどもそれは日々の病気との闘い、そして毎晩夜遅くまでの勉強の日々があったからこそその喜びがあるのです。それらがあって初めての賜り物です。だから特別な日、つまりは結果も大切ですが、それよりもいかに日常の日々を生きるかということの方がよっぽど大切だと思うのです。

Guardiandeityofchildren66626_640

             
同じように世の中には政治家で先生、先生と呼ばれる人もいます。確かに自分を犠牲にして国民、県民、市民のために日々汗水たらしているならば偉いと思います。けれどもそのような人は今ではほとんどおらず、(特に国会議員と呼ばれる人などは)利権を手に入れるために裏では何をしているか分からない人がほとんどではないでしょうか?大企業のトップも同じことです。何千人何万人という従業員のトップに立ち多くの人から凄いと思われます。けれども一体どれだけの人が日々従業員の幸せにすることを真剣に考え、彼らを守ることを考えているでしょうか?そしてどれだけの人が本当に社会に役立つものを提供しようとしているでしょうか?
             
そのような人たちよりも子供たちをしっかりした大人に育ててきた、あるいは育てようとしているお母さん、お父さんが一番偉いと思うのです。おじいちゃんおばあちゃんの残りの人生を幸せに生きてもらうために日々汗水たらしている人こそが偉いと思うのです。そして本当に従業員の幸せを考え、本当に社会への貢献を日々実行している経営者が偉いと思うのです。
             
そこに難しい理論も哲学も必要ないと思うのです。ただ日常を誰かの(幸せ)のために生き、それが知らず知らずのうちに自分を高めることにつながっている。それこそが偉いと思うのです。

Pmletgo1648866_640

             
もうひとつ私の経験からの話しとなりますが、かつてお寺で修行をさせてもらっていた時、住職(法主)のお母さん(お母さん先生)のお墓を掃除したことがあります。墓石を拭きながら「ああ法主は偉いなあ、それに比べて自分なんて…。」とひとり呟いたことがあります。その時心の中にポンッと入って来た言葉があります。それは「(自分が)今何をすべきか、何ができるかを考えて、それを一生懸命する人が一番偉い!」というものです。それは私の中に偶然思いついた言葉ではなく、きっとお母さん先生が私を諭してくれたのだと思いました。
             
世の中には凄いことをやり遂げ、有名となっている人がいます。確かにその人たちの偉業は素晴らしいです。(簡単には)真似できないものです。でも本当に凄いことはその偉業ではなく、その人たちの日々の生活の中にあり、それは有名になるとか、ならないとか関係ないのです。お母さんも同じです。お母さんたちは、赤ちゃんが泣けば、ミルクを飲ませ、おむつを交換し、夜中でもその子のために起きて抱っこをします。一生懸命です。そしてその子の成長に合わせてその子に必要な援助(世話)を行います。そうして日々子供の成長を見守っています。それはただただその子を思ってのことであり、ある意味無心です。その日々のあり方、そこには誰が偉いも、偉くないも関係ありません。有名、有名でないも関係ありません。その時その時を一生懸命に生きるそれこそが偉いのです。
             
すなわち日々の生活そのものが人間の一番の修行であり、それは決して特別なものではないのです。その日その日をどう生きているか、どう自分自身と向き合っているか。それが本当の修行の姿であり、生きる姿です。そしてその姿こそが美しいのだと思うのです。
             


合掌


Sun622740_640



             
格言「修 行」(PDF)
             
             



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »