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2017年6月

2017年6月28日 (水)

新しい日本を創ろうよ⑤~明治から現代を紐解く~

前回は縄文時代から江戸時代までの歴史を振り返り、江戸時代にジャパンパラダイスが作られたのは、弥生時代から戦国時代までに流入してきた文化を、1万年以上続づいた縄文時代に形成された遺伝子~自然に寄り添いながら生きていく平和的DNA~が、それらをミックス・中和し、縄文DNAと調和させていき出来上がった暮らしがそれであるとの考えを述べました。当時の日本人の幸せそうな表情や暮らしぶりを見て、(幕末に日本を訪れた)西洋人は驚かずにはいられなかったのです。
             
さて今回は幕末・明治維新から現代までの日本の変換を見ていきたいと思います。
幕末から明治・大正にかけて日本を訪れた西洋人たちは、その日本人の幸せそうな暮らしが、彼らの来訪により破壊されていく(いった)ことを知っていました。
             
「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩は本当にお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」(1857ヒュースケン)
             
「日本人は宿命的第一歩を踏み出した。しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜きとったとおなじで、やがては全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう。そして日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう。」(1855リュードルフ)
             
「古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になったと。」(1905チェンバレン)
             
「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になることは確かなことだろう。しかし昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることは決してあるまい。」(1925ウェストン)
             
とあるように、当時の西洋人は日本の西洋文明の流入により、物質的には豊かになるであろうが、その国土の美しさや人々の素朴さや純粋さは失われてしまい、最終的には(国ごと)全部が崩れてしまうことを予感していたのです。
             
幕末の西洋人の来訪、開国、国内の動乱、そして明治維新となり日本は西洋文明(物質文明・科学文明)を続々と導入し始めます。もちろんそれは西洋各国の植民地政策への対抗策であったと思われます。幕末に下田に現れた軍艦を初めて見た時、日本人はきっと腰を抜かしたでしょうし、その後彼らの持つ軍事力、科学文明、そして中国、東南アジア各国の(悲惨な)状況を知れば知るほどこのままではいけないと思い、立ち上がる人々がいたのは当然であったことでしょう。
             

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ここで西洋諸国の歴史を振り返ると、それは民族間の争い、そして宗教間の対立の2つが大きく占めてくると思うのです。ヨーロッパ大陸はアジア大陸と接しており、アフリカ大陸とも近く、その歴史は各民族間の争いであったと言えます。古くはギリシャ文明の時代から、ローマ帝国、そしてゲルマン人の大移動、ペルシャとの戦い、英仏戦争を始めヨーロッパ各国同士の争いと、民族間の争いの歴史を遡れば3,000~5,000年、あるいはそれ以上になるのではないでしょうか。同じく宗教の対立となると、誰もが思い浮かべるのがキリスト教とイスラム教の争いであり、610年のイスラム教の成立からともいえますし、それ以前にもユダヤ教とキリスト教の対立、キリスト教の各宗派の争いがあったのも確かですし、こちらも遡れば同じく2,000年以上宗教間の対立がるともいえます。このように西洋諸国の歴史は、対立や争いが切っても切れない関係であり、そこには争いのDNA、勝ち抜くためのDNAが形成されているとも言えるでしょう。
             
この対立・争いの本質を見てみると、強いものが勝つ、あるいは独占するということであり、領土、財宝、そして人々の命の取り合い・奪い合いともいえます。より多くを殺し、降参させ、奪い、奴隷とする。オールオアナッシングの世界といってもよいのかもしれません。それが故に西洋人は勝つため、生き抜くために戦いの知恵を磨き、科学を発達させてきたと言えるでしょうし、もしかするとその正当化やその意味を見いだすために哲学を発達させてきたと言えるのかもしれません。
             

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さて日本の歴史に戻り、明治以降の日本は列強諸国に対抗するためにパラダイスを捨て、富国強兵政策を取り、日露戦争を戦い抜き世界にその強さを知らしめます。思えば江戸末期の日本人は驚異的な体力を誇り、武士道の精神からも、そのころの日本人の強さとは途轍もないものがまだ残されていたのでしょう。その後日本はアジア各国へ進出し、いくつかの戦いを繰り広げ、遂には太平洋戦争で敗戦を迎えます。ある意味開国から太平洋戦争までに日本は西洋諸国の文明を取り入れると同時に、日本古来のものを失っていった、その上で3000年以上の争いのDNAをもつ民族の土俵で戦いを挑んだのですから負けて当然といえるのかもしれません。
             
戦争に負けはしましたが、ここでひとつ面白いことが分かります。太平洋戦争の間鬼畜米兵だったのが玉音放送で敗戦を知らされた直後、日本人は親米となります。と同時に焼け野原となった東京を立て直していくのです。それは前にも紹介しましたが、幕末に西洋人によって描かれている(江戸末期の)日本人そのものではないかと思うのです。
             

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「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。…女や子どもたちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみ跡形もない。まるで何事もなかったように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床を欲しがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などはどこにも見当たらない。」(ベルツ)
             
「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです。生きていることを喜びあうという風潮が強いせいでしょう。誰かの言葉に『自然がいつも明るく美しいところでは、住民はその風景に心がなごみ、明るく楽しくなる。』というのがありましたね。この国の人たちはまさにそれで、日本人はいつのまにかそういう自然に感化され、いつも陽気で見た目によいものを求めながら自分を深めていくのです。」(マーガレット・バラ)
             
これらを読んだ後、敗戦後の日本を想像すると、「ギブミー チューインガム」と米兵に向かってかける声や「東京ブギヴギ」の曲を思い出さずにいられないのです。
             

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そしてその後高度経済成長期を経て、途中何度かの停滞もありはしたものの日本経済の躍進は凄まじく、遂にはアメリカの魂といわれるロックフェラーセンターを買収するまでに至り、経済繁栄を謳歌するに至ります。いわゆるバブル経済ピークであり、この頃の日本は明治以降の物質主義を取り入れた新しい日本、その結果生み出された日本(物質ジャパン)の最高潮にあったともいえます。さて戦後からこの間に出来上がった日本の企業スタイルといえば終身雇用制度であり、年功序列であり、いわゆる家族的経営スタイルです。この家族的経営制度は今思えば、物質主義と経済を縄文時代からの遺伝子が中和させ出来上がったものではなかったかと思うのです。
             
しかしこの頃の日本は「自然に寄り添う」という一番大切なものを忘れていたことも確かです。物質主義に溺れ、お金にまみれていました。お金がお金を生み出し始め、お金で何でもできるという風潮が生まれたのもこの頃ではないでしょうか。そしてそれは日本人の驕りとなり、西欧諸国、特に米国から反感を買い~同時に恐怖も煽り立てたことでしょう~、そこから経済戦争、金融戦争というこれまでの目に見えて殺し合う争いとは違った戦いが始まります。ただし今では、そこに(裏では)見えない暴力が介在していたことも今では明らかになりつつあります。そして日本はこの経済戦争、金融戦争に見事に破れ、搾取され続け、バブル崩壊からの停滞状態が四半世紀過ぎた現在も続き、立ち直れずいます。
             

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この30年間市場原理主義が導入されてグローバル化は加速し、ITの発展は益々進み、金融経済は過激さを増していきます。世界はインターネットでつながれ夜も昼もない世界となります。そして競争が更なる競争を煽るようになっていきます。10年ひと昔と言われたものが、ドッグイヤー、マウスイヤーといわれるようになり1分1秒を争うようになりました。企業の在り方は一変し、社会も凄まじい勢いで変化していきます。それと同時に精神が壊れる者は増え、自殺者も増え、そしてこれまで考えられなかったような事件が起こり始め、人々の社会への不安は増していく一方です。
             
そして今では日本ではなく世界中が競争にさらされ、喰うか喰われるかの争いを繰り広げています。それは企業間の競争だけでなく、宗教間、国家間の争いともなり、人も企業も宗教も己の利益追求一色となり世界はまるでハイエナのような社会となっています。その結果日本だけでなく、世界中がボロボロとなりっています。経済基盤、金融基盤も崩壊寸前です。人間社会も同様です。更には地球も破壊尽くされ、今や大地も水も空気も汚染されています。その為に気象変動は起こり、この先地球はどうなるのか誰も分からないのが現状です。
             
日本は先に記した礎石を1個抜きとった状態から、今やすべてが崩れ落ちた状態になっているともいえます。そして間もなく世界も同じような状況を迎えようとしているように思えます。いま世界中は各国の経済も金融もそして政治システムも騙し騙し維持しているのがやっとの状況です。この先日本はどうなるのでしょうか?世界はどうなっていくのでしょうか?明るい未来がやって来るのでしょうか?それとも…。
             

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ここから先はまだ誰にも分かりません。けれども今のままでは益々地球は破壊されていくことは確かです。それは益々人間の生存環境が脅かされていることを意味します。だから私はこのままで流されていくならば暗い未来になってしまうと思います。それが故に歴史を振り返って来ました。そして今こそ江戸を学び、縄文のDNAを復活させ、新しい日本を生み出していく意思をしっかりと持つべき時だと思うのです。
             
私たちの中には縄文時代にしっかりと組み込まれた、自然に寄り添い生きていく、中和させ、調和させるDNAが組み込まれています。そして一度はそれを江戸時代に見事に外から入って来た文化を中和させ、調和させ西洋人から称賛される暮らし、そして国を創りあげました。それから150年を迎えた現在、今度はそれを意識して心がけ、新しい日本を作ろうとするときだと思うのです。現在科学は150年前と比べると凄まじい発展を遂げました。
その科学によって人間の意識の研究も盛んになってき、人間の意識が大きく社会形成にも関係していることが明らかになってきています。それ故に意識することはとても重要です。
             

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更に現在縄文の中和要素が再び働き始めているように思います。人々は、特に若い人々の間で、シェアすることを良しとする考えが増えてきました。また地方においては、経済的効果を狙ったものですが、地域おこしが活発となり、各地域で昔からあるものをよしとし始めました。外国人も日本の歴史や風景を求めてやって来る人が増えてきました。これらはすべて物質主義や経済を中和していく過程ではないでしょうか?私たちは今これらのことを意識し、次なる未来をイメージして、育てていくべきだと思うのです。
             
「古い日本は妖精の棲む小さくて可愛らしい不思議の国であった。」(チェンバレン)
             
              もしかするとアニメもコスプレも中和過程の最中なのかもしれません。そして今度の中和過程は日本国内だけでなく、世界へと発信し、世界を中和していくことになるのかもしれません。世界は益々混乱を深めていく様相です。そして彼らの持つ歴史からして「中和」よりも争いの遺伝子が今も表に出ています。中和できるのは縄文の遺伝子を持つ日本人です。それを彼らに事実として示すしかありません。だから私たち日本人の手に世界の未来・地球の未来がかかっているのです。争いの遺伝子をやさしく包んで、新たな未来を築いていきましょう!


             
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参考文献:「逝きし世の面影」 渡辺京二著 (平凡社ライブラリー)

             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2017年6月21日 (水)

新しい日本を創ろうよ④~日本を紐解く~

さて前回は幕末に日本を訪れた西洋人の日記や旅行記などから、江戸時代(末期)の日本人がいかに幸せに暮らしていたかということを書きましたが、今回はその生活(時代)を築き上げるまでを見ていきましょう。

             
江戸時代は徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を創設してからおよそ260年間続くわけですが、この260年間に日本人はパラダイスジャパンを築き上げたともいえます。何故なら江戸時代の前はどうだったかというと戦国時代と呼ばれるいわゆる日本を統一しようと各地域の武将たちが争いを繰り広げていた時代だったからです。更にその前を見てみると、室町時代があり、鎌倉時代の武士の時代があり、その前の前は、平安時代、奈良時代…弥生時代、そして縄文時代と遡ることができるわけです。


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さて現在この日本の始まりとされる縄文時代の研究が進み、当時の生活が徐々に明らかにされてきています。一般に縄文時代とは狩猟採集生活の原始的暮らしであったと教えられてきましたが、調査研究の結果、実はそうではなく、(もちろん狩猟採集もありましたが、弥生時代とは違う自然に寄り添うカタチの)農業が営まれ、土器が作られ、煮炊きがされ、村の中では、建築がされ、道路さえも作られており、非常に文明的な暮らしが営まれていたことが分かってきています。そしてそれはナント1万年以上も続く驚異的な時代であったことが明らかとなっているのです。
             
ひとつの文明が1万年以上続くということは、それは現在の私たちとは全く違う価値観に基づく文明であり、それだけ平和裏に暮らしていたのだと思われます。その農業スタイルや出土した土器などから日々の暮らしぶりは自然と共にあったものと思われます。この1万年続く驚くべき時代は、今の日本人には全く想像もできないことでしょう。けれどもそのDNAは日本人に強固に埋め込まれているものだと思うのです。何故なら、何度も繰り返しますが100年や1000年でもなく、10,000年も続いたものなのですから! そしてこのDNAがあったからこそ日本は江戸時代のパラダイスジャパンを創りあげられたと思うのです。


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再度縄文時代から江戸時代までをもう一度振り返ってみましょう。大陸からの人々の移入が始まり、稲作が開始され弥生時代へと変わっていきます。そして古墳が作られ、飛鳥・奈良時代となり、漢字が持ち込まれ、仏教という宗教が入ってきます。この間ずっと大陸からの移住者とそして彼らの持ち込んだ大陸文化が日本に入ってきたことが分かります。そしてそれらが花開くのが平安時代であり、日本独特の文化が作られていきます。空海により密教がまとめ上げられ、神道と融合されていきます。ひらがなが生まれ、物語が記述され、平安雅といわれる貴族を中心とした華やかな文化が花開くこととなります。
             
それから武士が台頭し、鎌倉時代、室町時代と武士の納める社会が形成され、禅の流入と共に、質実剛健の文化が築かれていきます。それはこれまでの貴族を中心とした文化であったものが武士階級へと移ると共に、仏教の庶民化など、大陸からの流入文化が庶民の間に広がり土着化していく過程であることが分かります。
             
続いて応仁の乱を経て、下剋上の世の中が始まると共に、ポルトガル船が訪れ、日本人が初めて西洋人に直接会うこととなり、同時にキリスト教、鉄砲などの西洋の文化と科学が入ってくることとなります。ちょうどこの戦国時代の頃は日本においては農業技術の進化により、開墾され、生産性が向上しており、新しい技術を受け入れられる素地ができていたともいえます。けれども日本が統一され江戸時代となり、幕府はキリスト教流入の阻止、西洋の植民地政策に対して危機を覚え、長崎の出島にオランダ船と中国船(明・清)のみの出入りを許可する鎖国を行います。
             
この鎖国によって極度に海外からの文化の流入が制限される260年間に日本独自の文化が形成されていき、質素な暮らしながら、陽気で純粋にして、そしてそのほとんどが満足した顔、幸せそうに見える極東のパラダイスと呼ばれる日本が出来上がったと言えます。


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縄文末期から大陸の人々が移住を始め、大陸文化が持ち込まれる弥生時代、飛鳥・奈良時代が約600年ほどです。そしてそれらを基に日本の貴族文化が花開く平安時代が約360年、そして同じく大陸文化を取り入れつつ鎌倉、室町、戦国時代と武士を中心とした文化が約500年、計1,500年あまりの文化が中和され、そして縄文時代のDNAと調和されたのが江戸時代の260年ではないかと思うのです。
             
弥生時代から戦国時代までの約1,500年間に流入してきた文化を10,000年の縄文時代に間に形成されたDNAの中に取り込まれていく。10,000年のDNAはそれほどのものだと思うのです。もちろんそれは日本の自然豊かな国土との関係も大いにあると思います。縄文文化は日本の自然と切っても切り離せない、自然に溶け込んだ、自然と一体化した文化だからです。それ故に江戸末期に訪れた西洋人はその風景の美しさ、人間により開墾された田畑と自然が一体化した風景、道々を飾る花々、そして人々の暮らしを見て絶賛するのです。


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「日本人はいろいろな欠点を持っているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる。」(オールコック)
             
「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるものかと見とれてうっとりしたほどであった。」(ポンぺ)
             
「この時われわれが通ったような魅惑的な道に、私は他の国々を遊歩した際に出会ったことはなかった。それは時折、英国の田園地帯のいくつかで出会った道を思い出させたが、最初は先入見があったにもかかわらず、英国にはこれと較べられるようなものがないと認めないわけにはいかなかった。広い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、その木立は道を縁どって素晴らしい日蔭をつくり出していた。時折みごとな生垣も目についた。それはときにはさまざまな種類の常緑樫、ときには杉などの常緑樹でできていた。丁寧に刈りこまれ、ある時は英国貴族の庭園でよくお目にかかるヒイラギやイチイの丈高い生垣を思い出させるほど、高くのび揃えられていた。どこでも小屋や農家はきちんとしており清潔に見受けられた。こんな様子はほかの東洋諸国では見たことがない。・・・風景はたえず変化し、しかもつねに美しい―丘や谷、広い道路や木蔭道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる。」(フォーチュン)
             
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原でもの珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」(ヘンリー・S・パーマー)


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この10,000年間の縄文時代に形成されたDNAが、新たなものを中和し、調和させる。それらが江戸時代に働き、弥生時代から戦国時代の1500年が取り込まれ、調和され、新たなカタチを生み出し、結果上記のような感想が述べられる日本が生み出されたと思うのです。そしてこの力こそが日本の根底にある力であり、これからの新しい日本を形成していく力となると思うのです。
             
先進国の中で子供の貧困率が高い国、自殺率の高い国に位置する日本であるよりも、世界中の人々から「美しくて、みんな笑って幸せそうで、まるでパラダイスみたい!」といわれるような日本を取り戻したい(創りたい)と思いませんか?
             
             

(参考文献:「
逝きし世の面影」 渡辺京二著 平凡社  )    


    
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~




             
             

2017年6月14日 (水)

新しい日本を創ろうよ③~江戸時代から学ぶ~

江戸時代の暮らしというとどのような生活をイメージするのでしょう。
             
江戸幕府、武家社会、参勤交代、士農工商、鎖国、米騒動、一揆や打ちこわし、あるいは歌舞伎、浮世絵、元禄文化などを思い浮かべ、概して江戸時代とは、武家を中心とした社会体制の下、400年間続いた平和な時代でありつつも、一部の人々を除いて、多くの人々はどちらかと言うと不自由であり、質素で貧しい暮らしを強いられてきたと思われる方が多いのではないでしょうか?
             
もちろんそれも真実の一面なのでしょう。けれどもそれだけではないようです。例えば渡辺京二さんの「
逝きし日の面影」を読むとそれとは別のイメージを思い浮かべずにはいられません。この本は幕末の日本に滞在した外国人の感想記を素材として、それらを集めて1冊の本としているのですが、そこからイメージできるのは抑圧された世界ではなく、まさにタイトルにある「失われた日本の面影」であり別世界なのです。

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庶民は粗末な服装を着ています。家も質素なつくりです。中にはほとんどモノがありません。けれどもわずかにある家具や食器類は外国人からすると信じられないほどしっかりしたものなのです。また大人も子供も好奇心が大変強く、西洋人の後ろをみんなこぞってついてきます。そして何かあるとすぐに笑い大変人懐っこくもあり、かつ礼儀正しさも持ち合わせているのです。
             
一例をあげてみると、人々の陽気さについて、
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」(1867年<慶応3>ボーヴォワル)


「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。」(1859年(安政6)頃リンダウ)
             
簡素さについて、
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書斎などの備品がひとつもない。」(1859年頃カッティンディーケ)


「日本で貧者というと、ずい分貧しい方なのだが、どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない。」(1884年(明治17)頃イライザ・シッドモア)
             
礼節について、
「われわれの部屋には錠もなく鍵もなく、解放されていて、宿所の近辺に群がっている付き添いの人たちは誰でも侵入できる。またわれわれは誰でも欲しくなるようなイギリスの珍奇な品をいくつも並べて置く。それでもいまだかつて、まったくとるに足らぬような品物さえ、何がなくなったとこぼしたためしがない。」(1858年頃オリファント)
             
もちろん日本の風景の美しさにも西洋人は驚かずにはいられません。美しく整備された郊外の田園風景、港の風景、どれもが西洋人にとっては母国以上に美しい景観であったようです。その風景と日本人の人柄から彼らはこの地をまるでパラダイスであるかのように思えたそうです。
             
「5マイルばかり散歩をした。ここの田園は大変美しい―いくつかの険しい火山堆があるが、できる限りの場所が全部段々畑になっていて、肥沃地と同様に開墾されている。これらの段畑中の或るものをつくるために、除岩作業に用いられた労働はけだし驚くべきものがある。」(1856年(安政3)ハリス)


「市街から田園へと気づかぬうちに映ってゆき、道路は次第に花咲く藤のしたかげの径となった。ついさっき天守閣の濠をみたしていた水は、曲がりくねった小川となり、つつじのトンネルの下から流れ出ていた。緑の楽園のただ中の、この蛇行する川ほど愛するべきものはない。ああ、日本のなんと美しくのどかなことか。」(ボーヴォワル)
             
その他いくつか抜き出してみると、
「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄した所はないだろう。」(パンペリー)


「この独特で、比類するものもなく、スポイルされず、驚異的で魅惑的で、気立てのよい日本を描写しようとつとめながら、私はどんなにそれが描写しがたいか実感している。彼らのまっただなかでふた月暮らしてみて、私は日本に着いて二週間後に大胆にも述べたことを繰り返すほかない。すなわち、よき立ち振る舞いを愛するものにとって、この“日出ずる国”ほど、やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにも他にはありはしないのだということを。」(アーノルド)


「この風景の全体を見ても、細部を見ても、すべてが精神を鎮静させ、やさしい夢想で精神を和らげ、うっとりした休息の楽しみ以外の印象を与えない」(アンベール)

                      
さて彼の本を離れて、また別の面を見てみると、日本人は陽気さ礼節さだけでなく、外国人からすると相当小柄であった日本人が持つ力は相当のものであったようです。外国人が見たものではありませんが、(ネットでも話題になっていますが、)山形県の酒田市には米俵5俵を担ぎ上げる女性の写真と人形が展示されているそうです。その写真は昭和14年頃の写真だそうですが。それでは一体江戸時代農村の女性はどれほどの力があったのだろうかと思うのです。

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その証言等は(まだ)見つかってはいないようですが、もうひとつ
外国人によって記録されていることがあります。それは明治時代ドイツ人医師のベルクに記録されています。彼は東京から日光へ観光に行くことがあったのですが、1度目は馬で行き、途中馬を6度乗り換え14時間かかったそうです。2回目日光に行った際には、今度は人力車に乗って行ったのですが、その車夫は1人で14時間半で行ってしまったとのことです。当時の日本人は馬より凄い体力を持っていたのです。東京(駅)から日光(東照宮)までは直線距離にして約120キロあります。時速8キロ以上のスピードで(人を乗せた)人力車を走り続けたことになります。
             
             
このように江戸時代の日本は、(外国人から見ると)人々は欲望や執着とは程遠く、簡素な暮らしの中で、常に陽気で笑いが絶えない上に力持ち! 更には(西洋諸国よりも)美しく心和む風景を持つ国、まさに極東のパラダイスであったのです。
             
「古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった」(チェンバレン)


「この町でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せそうで満足そうに見えるということだった。」(オズボーン)

            
それから150年。
江戸時代に比べると、日本人の平均寿命は驚異的に延び、誰もが長生きするようになりました。東京大阪間も3時間ほどで行くこともできます。世界中のものが手に入り、世界中の料理が食べられます。便利なグッズも100円で買えます。スイッチひとつでいつでもお笑い番組を見ることができます。遠くの友人といつでも話しをすることもできます。
             
信じられないほどの経済性と科学の発展をしてきた今の日本。男も女も子どももみんな幸せそうで、満足そうに見える国なのでしょうか?
            

日本の自殺率は世界各国でワースト6位(女性は3位)だそうです。アジアではワースト2位だそうです。国内で見ると15才~39才の5階級で死因の1位は自殺です。(2017年版自殺対策白書より)
             

日本の子供の貧困率は先進国(と呼ばれる国の中)では最悪レベルだそうです。6人に1人が貧困にあるとされます。(2012年子供の相対的貧困率16.3% 27年度版子ども・若者白書)
             
             
何だか夢も希望も持てなくなってしまった国のように思えます。本当に「逝きし世」「逝きし国」となってしまったのでしょうか。

             
それでも日本人には太古からの遺伝子、江戸時代の遺伝子が今も引き継がれていると信じたいです。だからもう一度「逝きし世の面影から」いくつか抜き出します。
             
「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです。生きていることを喜びあうという風潮が強いせいでしょう。誰かの言葉に『自然がいつも明るく美しいところでは、住民はその風景に心がなごみ、明るく楽しくなる。』というのがありましたね。この国の人たちはまさにそれで、日本人はいつのまにかそういう自然に感化され、いつも陽気で見た目によいものを求めながら自分を深めていくのです。」(マーガレット・バラ)
             
「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。…女や子どもたちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみ跡形もない。まるで何事もなかったように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床を欲しがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などはどこにも見当たらない。」(ベルツ)
             

もしかすると現在はこの150年の膿だしなのかもしれません。そして、膿み出しのあとは再生です!
             
             

             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             

             
             

2017年6月 7日 (水)

新しい日本を創ろうよ ②

前々回の記事では障がい児の特別支援学校や学級の増加、そして障がい者の支援事業所が増えていることをお伝えし、これからは障がい者を活かすことで社会を変えていかなければならないのではないかということを提案したのだが、それではどのようにそれを行うか考えてみたいと思う。
             
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もう7,8年前になるのだが「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメンタリー映画を見た。この映画は当時養護学校(現在の特別支援学校)で教師をしていた山本加津子先生を主役に障がいのある子が持つ能力や純粋さを伝えるとともに、彼らも同じひとりの人間であることを教えてくれる映画だ。
             
             
その映画の中でペルーの古代博物館に展示保管されている(古代の)布織物の話が出てくる。その布にはたくさんの手が描かれている(編まれている)のだが、中心にある手ひとつが、なんと6本指の手なのだ。
             
             
余談となるが手足の指が生まれつき多いひとはまれにいるようで多指症(たししょう)、逆に少ないのは欠指症(けっししょう)と言われ、あの豊臣秀吉も右手の親指が2本あったらしい。(ウィキペディアより)
             
             
映画の中で博物館の館長は、6本指の手が真ん中に置かれている理由を、当時は障がいのある人を異端視するのではなく、特別な人として、つまりは神の使いとして崇められていたのではないかと推測している。
             
             
この話がとても印象に残り、その後もずっとこの映画を思い出すときはいつも古代布が浮かんできて、その意味を自分なりにその都度考えていた。そんなある日よくお世話になっている人と飲む機会があり、その際に縄文時代に狩りの方法の話が出てきた。当時狩りに出かける際に自閉症の人を連れていくのだが、その人をどこに配置したかということだったのだが、真中に配置していたとのこと。その理由は、自閉症の人は周囲の異変等に最初に気づく能力を持っていたかららしい。
             
             
この話を聞いて、古代布の話しと重なり凄く感激した。同時に障がいのある人の位置づけにビビッと来るものがあった。そう、障がい者を真中に位置づけて考えるのが本当なのだ!
             
            
もちろん歴史の中では障がいのある人を見せものにされたりした時代もあるのだろう。けれども明治以降合の近代化の時代の中で、合理的思考が重視されていくようになり、彼らは不完全な人間として、差別され、隔離されるようになって来たと思うのだ。そんな中で本人やその家族、そして支援者の力で、今日の障がい者福祉が制度化され、彼らの居場所がつくられ、権利が保障されるようになってきた。その成果が特別支援学校であったり、障がい者の支援事業所である。
             
             
けれども現在それが新たなる転換期を迎えていると思うのだ。先にも書いたが特別支援学校・学級は増加、不足の事態にあり、支援事業所は増え続けている。そして障がい者支援だけでなく日本の社会保障費は莫大に増え続け、国の財政を圧迫している。それ故に医療保険も自己負担額は上がり、最近では介護保険制度などは利用者負担の増加がすすんでいる。正直このままではもたないと思うのだ。両者が共倒れになるのではないかと懸念する。
             
             
そこで思うのが、障がい者を活かす社会をつくるということであり、その方法が障がい者を真中において考えるということである。
             
             
障がい者を真中において考えるとは、ひとつはインクルーブデザインと呼ばれる手法がある。これは子供、高齢者、障がい者などマイノリティ、いわゆる社会的弱者といわれる人たちをデザインする段階から積極的に調査し、そこから出た課題をや気づきをアイデアに変換し、それらにも対応できるデザインを考えるという手法である。もっと簡単にいえば障がい者や高齢者なども含めてだれもが使える(使いやすい)ものづくり・ことづくりを行うための手法である。ただそれも重要かつ必要な手法であるのだけれども、今回ここで提案するのは、デザインプロセスよりも、一般企業の障がい者雇用という面から「障がい者を真中において考える」ということである。
             
            
一般企業における障がい者の雇用において、現在は従業員50名以上の企業には、2%の障がい者の雇用(法定雇用率)が義務付けられている。つまり50人の従業員(正社員)がいれば、1人は障がい者雇用をしなければならない。そして従業員が100人以上の企業においては、法定雇用率に満たない場合は、納付金(いわゆる罰金)をその不足人数に応じて支払わなければならない。そこで企業は障がい者を雇用することになるわけだが、現状を見る限り、ほぼ義務だから雇用するという考えであり、多くの企業が最低賃金、あるいはそれに近い金額で雇用するのが通常となっている。
             
             
けれども最近障がい者雇用により、その職場環境が良くなったとか、従業員のやる気が向上した、あるいは業績が上がったということがよく言われるようになってきた。それが書籍にもなっている。例えば「なぜ障がい者を雇う中小企業は業績を上げ続けるのか」影山摩子弥著(中央法規)などがある。そこに書かれていることは、障がい者雇用で得られることとして、
             
    ・人材育成のノウハウができる
    ・社内の業務の流れが改善できる
    ・職場環境が改善できる
    ・健常者社員が前向きに取り組むようになる
    ・適材適所のノウハウが形成される
    ・戦略的観点が身につく
      以上の6点が挙げられている。
             
             
まずはこの観点から障がい者雇用に取り組めばよいと思うのだ。いきなり障がい者を真中において企業経営をしろと言っても、現時点ではどうすればよいかも分からなければ、よほどの企業でしかそれで経営が成り立つとも思えない(例えば日本理化学工業)。そこから少しずつ障がい者を理解しながら、障がい者のできる能力を見極めていけばよいと思う。
             
             
現在における企業経営は利益第一主義であり、いかに成長・拡大していくかということに主眼が置かれている。グローバル経営の中で、大量生産・低コストが求められる中では仕方ないことではないかとも思う。けれども時代は少しずつ変わりつつあり、これまでのグローバル主義に疑問が呈されるようになり、また手作りの製品が見直されるようにもなっている。(手作りの)雑貨が人気であり、DIYが人気となっているのもその一つだろう。そこにはこれまでの大量生産・均一製品に対する価値観の変化が読み取れる。やがて人々に大きな変化をもたらし、それはいずれ企業にも大きな変革を迫ってくると思うのだ。もしかするとそれは社会情勢にも大きな変化を強制してくることがあるかもしれない。その時こそ障がい者を真中に考えることが出てくるのではないかと思うのだ。
             
             
まだまだそのような変化が来るように思えないかもしれない。そこは世界中が金融ジャブジャブ政策をとり、日本でも補助金ジャブジャブ、中央銀行による株価吊り上げ政策でその状況を維持しており、そのように見えるが、それも限界に近づいている。企業においては徐々にであるが、そこから抜け出し、あるいはそれを頼りとせず、御用達に徹しようとする企業が現れ出している。同時に若者の働く概念、中堅どころの仕事に対する意義も変わりつつあり、報酬よりも働きやすさや、意義を求め始めている。また人々に「持続可能性」であったり、「ロハス」ということも徐々に浸透し始めている。これらの認識がもう少し進めば障がい者への認識も改められはじめ、そこで初めて障がい者を真中において考えるということが出てくると思うのだ。
             
             
そして障がい者を真中において考えることが人々に認識されたときにはじめて、人々の社会に対する認識の変化、そして地球に対する認識の変化が生じてくると思うのだ。人々の意識の変化が生じると思うのだ。今はまだ利益、自己利益=エゴが渦巻いているけれど、そこから抜け出し他者意識が出てくると思うのだ。
             
            
まだまだ時間はかかるのかもしれない。けれども残された時間も少ないのかもしれない。どちらが早いのか勝負なのかもしれない。どちらにせよそこに留まっているのではなく、私たちは一歩を踏み出すしかないのだと思う。
             
             
             
             
             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             
             

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