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2017年4月

2017年4月26日 (水)

お金のアファメーション

いつの頃からかお金に対してネガティブなイメージを持っている。

貧困や格差の拡大、政治家のばらまき、そしてパワーエリートによるマッチ戦争の引き起こしとマッチポンプの強奪などを知るたびにますます近寄りたくないものとなっていた。


一時期自分なりにお金とは何かということで、人間を豊かにもするものとして

・人間間のコミュニケーションのアップ

・モノの循環の向上

を掲げ、お金に近づこうとしたが、それでもやはり自分の中で分離したものであった。


そのお陰で(?)今ではすっかりお金と縁がなくなり、アララ状態…。

(それでもちゃんと生きているのが不思議だし、生きていけるのだ!)


多くの人が現代社会を憂い、都会から離れ、地方の里山エリアに移り住み、自給自足的な生活を行いつつも、今の社会においてお金はまだまだ必要なのが現状である。

また多くの人がお金のその正体を理解し始め、更にはエリート層の乱用から、その価値が揺らぎはじめてはいるが、それでもまだしばらくお金はモノやサービスの売買に必要であり続けるだろう。

それに今もしそれが突然なくなったら、社会は更なる混乱となり、新たなる争いが生じることにもなりかねない。

お金とどう付き合っていくかが課題だ。


さて、ここでもう一度初心に戻って、お金について考えてみると、お金があればものは買える。

けれども(人の)心を買うことはできない。

一方でお金で人の心までもは変えないけれど、お金でモノやサービスを買うことによって、(一時的にしろ)心が満たされたり、豊かな気分を味わえるのも事実である。

そして今の社会、現代人の今の概念ではお金は必要である。

いくら田舎に引っ越したといえ、地方都市ではやはり生活の上でお金は欠かせないし、山村エリアで自給自足に近づけてもある程度のお金は必要である。

その中で、お金に対してどのような感覚、考えを持つか?

そんな時出会ったのが1冊の本だった。

はせくらみゆきさんの「リッチマネーの秘密」(徳間書店)である。

(ひとこと断っておくと、この本は本屋での立ち読みで、買っておりません…。申し訳ありません。)

その本をパラパラめくっていると、ひとつのフレーズが目に飛び込んできた。

それは「お金は旅する神様」という言葉。


元バックッパッカーで、旅好きの自分、

山川草木悉有仏性、八百万神を信ずる自分

そして、お金は人間を豊かにもするものを理論的に分かっている自分。

お金はさまざまなな人々の間を行き来し(旅し)、(人々を豊かにもする)神様である!

これなら受け入れられる!


そして更に「リッチマネーの秘密」に書かれているお金の考え方を自分なりに変えて、

お金

お金の「お」は、お陰様の「お」

お金の「か」は、感謝の「か」

お金の「ね」は、ネイチャー(自然)の「ね」

(本ではお金の「か」は感謝の「か」、マネーの「ま」はまごころの「ま」となっている。)

お陰様の感謝をネイチャーに! お金は旅する神様。神様今日もありがとう!!

ということで自分なりのお金のアファメーションができた!


そして更にこの本を見た後、すぐそばにあった小林正観さんの「ただしい人から、たのしい人へ そしてありがとうの人になる」という本を手に取った。

同様にパラパラめくり、目に止まったページには、

「人間は学問(教育)を通じて学ぶのではなく、楽しいから学ぶ。」ということが書かれていた。

ネガティブからポジティブへと変わりゆく時代

お金に対する考えもポジティブにしていく必要がある。

ならば「お金は旅する神様」とは、まさにピッタリだと思った。

いいことに使って循環させれば、旅する神様もきっと喜んでくれるに違いない!

お金をネガティブにとらえている人達、自分なりにポジティブに変えていきましょう。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年4月19日 (水)

使命を問う:混乱期の生き方

情報が錯乱しています! 一体何が本当なのか分からない状況です。 これまで信頼できる情報を提供してくれていた人々の間でも見解の食い違いが見られており、誰が正しいのか、何が本当なのか分かりません。 今の時代誰か特定の人の見解を一方的に信じることが難しいのではないでしょうか。ただし大手メディアからの情報をうのみにしてはならないことは確かです。


果たしてこのまま行くと戦争が起こるのでしょうか?それとも起らないののでしょうか??? 戦争を起こしたいがために煽る勢力がいることは確かです。けれども大半の人は武力よりも対話を求め、そして平和を求めています。そこで戦争勢力はひたすらプロパガンダを流し続け、不安定な情勢を作ろうとしています。 ニュースで報道される人々の言動を深読みすれば、それは表の言葉と裏の意味は全く違うことを述べているのかもしれません。 今や何が起こっても不思議ではない情勢です。よほど次元をあげて物事を俯瞰しないことには本当のところは分からないのではないでしょうか?


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このような状況の中でひとつ思うことは、これは人間同士の争いを超えて、天と地(光と闇)のせめぎあいがあるようにも思えるということです。人智を超えた世界の中で大きな動きがあり、それが私たちの3次元世界に大きく影響を及ぼしているように思うのです。見えない世界では現在とてつもなく大きなプランが進行されているのではないでしょうか。


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それではこの混沌とした情勢の中で私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか? 時代に翻弄されつつも、真面目にこれまでどおりに生きていくのがよいのでしょうか? それとも自分なりに先を予測して動いていくのがよいのでしょうか? あるいは何も考えずにただ淡々と生きていくことがよいのでしょうか?



淡々と生き続けられるならばそれが一番よいのかもしれません。けれどもこの先そうして生きていける人は少ないでしょう。どう生きればよいかの答えは出しかねますが、ただ一つ、この混乱の中で、地球上に暮らす人間の浄化が見え隠れしているように感じます。 更に一部の人々には意識の急激な変化が起こっているようにも思います。だからこの先は理論がどうこうというよりも、自分自身の直感を信じていくのがよいのではないかと思うのです。(もちろんそのためには直感を鍛えないといけませんが。)そしてこのような時こそ自分の今世この世に生まれてきた意味、今世何をすべきなのかの使命を問うのがよいと思うのです。


なぜなら私たちは生まれてくる前に、今世どのような課題をクリアし、どのようなことを成し遂げるかということをプランニングして来ているからです。この世に生まれてくる前の世界(5次元世界)は、この3次元世界よりもずっと認識力では勝っています。その中でプランニングしたものなので、現在の状況等もきっと見越しているはずです。故に使命を問い、それに従がうことが一番正しいと思うのです。




ただし私たち人間には今世この世での自由意志が与えられてもいます。それ故にあの世で計画したプランは顕在意識ではなく深層意識の中にあります。だから今世この世の人生がプランニング通りに進むこともあれば、そうならないこともあります。その答えがわかるのはあの世に戻った時です。もし社会情勢と自由意志だけに身を任せてしまえば、混乱の渦に振り回されてしまうことになり、計画したものとは正反対の結果となって終わってしまうかもしれません。


故に自身の心に今世この世での使命を問い続けることがより大切となります。そうすれば使命を心の中で感じながら自由意志でもって選択していくことができます。そして使命に基づいているときはきっと深い部分で納得することができます。それがきっとこの混乱期を乗り越えていくための一番の対処法であると思うのです。



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(平成29年8月一部修正)



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

             

2017年4月12日 (水)

現代における宗教の役割

宗教について考えてみた。

最初に言っておくと、自分の宗教に対する考えは、もうずいぶんと前からキリストも仏(ブッタ)もイスラム(マホメット)も見たもの、見た世界は同じであり、ただ表現の違いであること。

それぞれの個性がそこに現れたというもので、根源は同じであるということである。


ただ今回はその部分を題材とするのではなく、別の観点から、つまり宗教の役割という点から捉えてみたいと思う。


自分が思うに、宗教をひと言でいうと、その役割は「(生きていく上での)心のよりどころ」であると思う。

けれども歴史上、そして現在も続くイスラムとキリスト間の争い、そしてこのところ特にクローズアップされるイスラム(過激派)によるテロ、

更に我が国日本においては、数々の新興宗教が設立され、その中には盲信により人生を狂わせたり、他者に危害を加えたりするということも起こり、

多くの人が宗教に対し、その一般的な歴史的価値を認めつつも、レッテルを張り、敬遠しているのが現状だと思う。


それが故に日本人の多くは(戦後)無宗教社会を選び、その代わりに宗教的行事を宗教とせず、生活の中のイベントとして捉えることを選択した。

実際のところそれを仕掛けている企業もあるが…。


宗教という心のよりどころを捨て、その代わりに社会に、そして人々の暮らしの中に大きく台頭してきたものが、物質であり、お金である。

けれども物質はカタチあるモノであり、それは、いつかは壊れ、失われていく。手中にあるようでないもの。

またお金においては数えられるものであり、1億あれば、5億あれば…とその欲望は膨らむ一方である。

そしてその枚数(金額)が減っていくと、今度は逆に心配が膨らんでゆく。


更にそこにプラスして、近頃は権力者・エリートたちのその乱用によりその価値、そして信頼性が揺らいでいるのが現状である。


宗教の信頼が失われ、物質主義の限界が露呈され、お金の信用と価値は揺らぐ。

このような状況の中で、人々は一体何を心のよりどころにすればよいのだろうか?

科学?スピリチャル?芸術?

科学…その進歩は凄まじい。情報のスピード、情報量、どちらも科学の力による。けれども人々はモラル無き科学の進歩を恐ろしく思う。

スピリチャル…ブームである。(個人的に自分もはまっているし、信じている。)けれどもまだまだいかがわしく思う人も多いし、実際にいかがわしい人も多い。

芸術…その可能性あり。けれどもどうやって心のよりどころに?心に余裕は与えるだろうけれど…。それにアートのセンスなんてないわという人も多い。


自分達は今すべてが不透明な時代にいる。

そこに輪をかけて情報過多により混乱は増す一方である。

このような時代の中で人々は生きていかなければならない。

如何に生きるか、何のために生きるか。

そのために何を持って心の拠りどころとするか、何を信じていくか?

生きていくための自信はどうやってつけていけばよいのか?

そこに宗教が再び入りこむ余地はあるのか?

別の役割があるのか?

答えは「分からない。」である。

けれどもその答えをこの先考えていきたいと思う。



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2017年4月 5日 (水)

あの世での人生プランニング

産婦人科医で池川明先生という人がいます。池川先生は子供の胎内記憶について研究されている方で、幼児期の子供が「空からお母さんのことを見ていた」とか「お母さんと約束したじゃない」など生まれてくる前の記憶を話すことが多々あることから、「子供は親を選んで生まれてくる」ということを唱えられています。


私が初めて池川先生を知ったのは、出産をテーマにしたドキュメンタリー映画「生まれる」という作品を見た時です。その中で先生が登場されその持論を述べられていたのですが、それを知った時は「そんなものなのかな? 自分の場合はどうなのだろう???」としか思いませんでした。もしかしたらそうかもしれないし、そうでもないような…、はっきりとした答えは出せず、そのままにしていたのです。けれども先日やはりそうなのかもしれないと思ったことがあったので、今回はそのことを書きます。


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それは障がい者の支援事業所を立ち上げられ運営している武さん(仮名)との飲み会の席での話しで、武さんの生い立ちを聞いた時のことです。


武さんは小さいころからの家庭環境・経済的環境から、中学生の時バリバリのヤンキーとなります。学校ではつまらない授業をする先生に向って物を投げつけたり、ガンを飛ばしたりする生徒でした。もちろん学校内外でタバコもプカプカ吸っていたことでしょう。武さんがいる中学校は当時市内でも12位を争う荒れた学校といわれていました。その荒れた生徒の1人が武さんであり、武さんは学校を卒業したら先輩同様極道の道をまっしぐらに走って行くものと思っていたそうです。


ところがある日、武さんは母親から父親の悪口をさんざん聞かされた挙句、父親と離婚をすることを聞かされそうです。そして弟にもそのことを伝えるから呼んで来いと言われます。その時武さんは母親に向かって「弟は関係ないだろ。親のいざこざに弟を巻き込むな!」と訴え、これからは弟の面倒は自分が見ていこう、そして弟を守っていこうと決心します。


同時に武さんは弟には大学まで行かせたいと思います。そのために今のように反抗ばかりしているのではなく、勉強して高校だけは出て、きちんと就職して、そして弟を大学へ行かせるための費用を稼ごうと決めます。


それらのことを決めた武さんが最初にしたことは、これまでのバリバリのヤンキーヘアだったのをグリグリの丸坊主にしたことです。そしてこれまでのヤンキー仲間のもとに行き、今日からもうみんなと遊ばない!と宣言します。更に学校の職員室に行き、勉強を教えてくれと、先生にお願いをしに行きます。その姿を見た先生はみな驚きますが、先生の中にはこれまでさんざん武さんにいじられた人もおり、彼に教えることを最初は断固拒否していた先生もいました。それでも武さんは毎日職員室へ通い続け、勉強を教わります。そのひたむきな彼の姿を見て、一時は勉強を教えることを拒否した先生もやがて武さんのことを見直し、勉強を教えてくれるようになります。そして年が明けた春に武さんは何とか(私立に比べて授業料の安い)県立高校に入ることとなります。




そこからまたいろいろとあるのですが、中略して、十数年後のことです。


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武さんはバイクで事故を起こしてしまいます。一命は取り留めたものの、身体はほとんど動かず、更には足を切断しなければならなくなるかもしれないことを先生から伝えられます。結局は切断しなくて良くなったのですが、その状況に彼は絶望を味わい、それが原因で鬱となります。


鬱状態で先の見えない暗闇の中をさ迷う武さんを救ったのは、一冊の仏教の本だったそうです。それをきっかけに武さんは仏に導かれつつ、鬱状態から立ち直っていきます。リハビリの結果体も無理は効かないものの、動くようになり、歩けるようにもなります。そして武さんは自分が体験した鬱、不自由な身体を通じて、彼と同じような立場の人たち、つまりは障がい者を支援していこうと決意します。



現在武さんは障がい者支援事業を立ち上げ、常時100名近くの障がい者を支援しています。そして障がい者、そこで支援する職員からはもちろんのこと、多くの人達から慕われています。(実際その日武さんと一緒に飲んでいた居酒屋のアルバイト店員も以前武さんが店を訪れた時に彼の魅力を感じ、それ以降兄貴のように慕っています。)また武さんは現在これまでの自分の経験を社会に返したいと、仕事を通じてできるボランティア活動にも取り組んでいます。


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話を聞いたあと、武さんはきっと生まれてくる前に、今世どのような課題解決に取り組むか、どのようなことを達成するか(3次元での人生)すべて計画してきたに違いないと思ったのです。そしてその上で母親に「あなたの子として生まれてもいいかい?」と尋ね、母親もそれを承諾したのだと思うのです。今回の計画を実行するためにこの人に母親になってもらおうと武さん自身が決めたのだと思うのです。きっと母親とも前世のどこかで何らかの縁があり、その課題解決も兼ねているのでしょう。


また武さんの話しを聞いて、きっと彼は前世で坊主であったことがあるに違いないと直感的に思いました。もしかすると結構名前の知れた僧侶だったのかもしれません。今世で人を救うためには坊主であるよりも、一般人として生きた方が自分の使命は達成されるとしたのだと思うのです。そしてある程度計画通りの人生を送っているのではないでしょうか?


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子どもは親を選んで生まれてくる。


決してそれを科学的に証明することはできないと思います。それが理解できるのはあの世に戻って、また再びこの世に戻って来る時かもしれません。けれどもそれは生まれてくる時に忘れてしまいます。例えもし残っていたとしても成長と共に忘れていきます。だからまあ面白いといえるのですが…。


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子どもが反抗期を迎え、親に「勝手に産みやがって、一体誰が生んでくれって頼んだよ~!」などと叫んだときは、冷静に「あんただよ…。」とひと言で終わるのかもしれません。






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

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