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2016年11月16日 (水)

チラシ配りを通じて学ぶ

商店街を使ったイベントを開催するので、このところその商店街の入り口の交差点でチラシ配りを何回かに渡り行っています。通行人に渡していくわけですが、次々と捌けていけばよいのですがなかなかそうもいきません。受け取ってくれない人も多いです。

交差点の広場に立ち初めてチラシ配りを行う際には、みんな受け取ってもらえるだろうかと結構ドキドキしました。勇気を出してチラシを通りがかりの人の手元に差し出したところ、運よく(ビギナーズラックで?)2,3人に連続して受け取ってもらえ、もしかして簡単?と思い調子に乗れるかと思いきや、そんなはずもなくその後は続けて拒否されテンションダウン…。それから再び緊張気味となりました。

イベントの内容的に小学生ぐらいの子供を連れた家族、あるいは中高年以上の人が来てくれる確率が高いと思われるので、その人たちをメインに配るわけですが、時には学校帰りの高校生グループや専門学校生や大学生と思われる人たちにも渡そうとします。けれどもほとんど受け取ってもらえないことが大半です。

中にはチラシを持っている自分を見て離れていく人もいれば、受け取りを拒否した後友人同士で「受け取るわけないじゃん!」と話す人もいます。それでまたこちらはテンションダウンするわけですが、配らないわけにもいかず、改めて受け取ってくれそうな人を選びつつ「今度イベントしま~す。」と言いながらチラシを差し出して行っています。

おそらく慣れてしまえば、仕事をこなすということで無機質に次々と差し出していくことができるのでしょうが、新宿や渋谷のように次々と大量の人が流れてくるわけでもなく、人が来たと思いながら、更にはこの人ならと選びながら配っています。

時に大学生らしき人がバイトでチラシ配りをしたりしているのですが、やはりドキドキしているようで、なかなかチラシを差し出す勇気が持てないようです。グループならば集団の力を持って次々とめげずにやることができるのでしょうが、ひとりとなるとそのドキドキ感は10倍、20倍となるのでしょう。

そんな情景を見つつ、自分も勇気を出してチラシ配りを行うわけですが、ふと思えば普段はほとんど反対の立場にいるわけです。大抵は配る側ではなく受け取る側にいるのです。

その時の僕を考えてみるとほとんど受け取っていないことが多いことが分かります。配っている人を見ると、距離を置いて通ること、目をそらすこともあります。「いらねーよ」と思う時もあれば、「はいどーも、でも結構ですよ。」と思うことも…。友人等と連れ立って歩いている時は、ほとんどの場合何も考えずに「結構です」。時々もらうのはティッシュ。その時は役に立つかなと思う時です。こう考えてみると様々な感情でもって配る人を見ていることが分かります。

でもひとつ言えることは、どのような状況であれ、配っている人の気持ち(感情)のことなどほとんど考えていないということです。配っているわ~、邪魔~、と思うだけで、相手の感情まで考えることは皆無といってもいいでしょう。チラシ配りを僕自身がひとりで行ったからこそ分かることです。人間立場が変わって、あるいは相手の立場となって初めてその人のことが分かります。そんなわけで最近あの子はあの時こういう気持だったのかな~と思ったりして…。

チラシ配りということからも学ぶこと、社会勉強になることってあるのですね~。何事も勉強! 経験することは大切です!

最後にひとこと、もしあなたがいい人であると思ってもらうためには、チラシを差し出されて時に笑顔で受け取るとことです。更に女の子が1人で(心細そうに)配っている時など、大丈夫だよと言う心でもって受け取ると好印象です。100万分の1の確率で惚れられるかもしれませんぞ!

それもまたチラシ配りから得た教訓です!!


PS:段々と慣れて来て4回目からは通路の真ん中に立ち、狙いを定めて声掛けし渡すと同時に、時々相手を選ばず渡すようになっています。今度は「慣れる」とは?ということで考えております。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


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