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2016年11月 2日 (水)

瞑想の迷走を修正する

近頃ヨガや瞑想をする人が増えているように思います。それはスピリチャル的なことを目的とした人たちに限りません。ビジネス界においても、「今この瞬間の自分に注意を向けることによって、ありのままの自分を受け入れていく」マインドフルネスと呼ばれるものが流行っています。

いずれの方法においても、自身の呼吸に注目すること、ありのままの自分を受け入れるということは共通しているように思います。

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さて、私も瞑想を始めてもう何年にもななります。そのせいか最近では瞑想中に脳内マリファナがじゃんじゃ分泌されることも多く、松果体もガンガン刺激されたりもします。
             
そんな時の瞑想は、頭やこころ、そして身体全体が平和な気持ち、幸福感、安心感、そして喜びの感覚に満たされます。
             
この脳内マリファナはランナーが走り続けている際に、永遠に走り続けられるのではないかと思える心地よい感覚に満たされるという、いわゆるランナーズハイの状態の時にも出ているといわれていますが、瞑想の場合は床にじっと座っていれば出てきます。
             
自然と脳内で分泌されるおかげで、本物のマリファナなど必要なく、(最近妙に取り締まりが厳しくなっているようですが…)捕まることもありません。(笑)
             
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そのような状況にうまくはまれば、とても気持のよい瞑想ができるのですが、最近本当にこれでよいのだろうか?実は良くないのではないか?と思い始めまるようになりました。

何故かというと、この状態はもしかしてマリファナを吸って気持ち良くなっている人と同じではないだろうか?もしかするとこうして脳内マリファナが出て気持ち良くなるのは、脳が私に錯覚させているのではないだろうか?今の私は脳に騙されているのではないだろうか?と思ったからです。
             
というのは、確かに瞑想中は気持ち良くなり安心感や喜びに満たされるのですが、一旦瞑想を終えると、しばらくはその感覚は残りますが、だんだんと薄れていき、結局は普段の状態に戻ってしまいます。

同じように、彼らは吸っている間とその後のしばらくは気持ち良い状態に満たされます。けれどもそれが無くなった時にはまた元に戻ります。
             
つまりこれは外から取り入れるのと中で作り出す、それだけの違いではないかと思うのです。
             
            
そしてこれは決して悟りでも何でもなく、悟りからほど遠い状態ではないかと思うのです。お釈迦様の場合で言うならば「マーラの誘惑」でしょうか?
             
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瞑想は心を落ち着けることも目的の一つですが、現在私が目指しているのは、心をでっかくして、常に平和な気持ちや幸福感を持ちつつ、堂々としていられることです。
             
それは最近私がよく思う「今ココに生きる喜び・自信・感謝」を感じて生きていくということです。
             
そのために必要なことは、脳内マリファナを出すことではなく、どちらかというと丹田に力を入れることではないかと思うのです。
             
ちなみに丹田とはおへその下10cmのところにあるとされます。けれども実際に丹田という器官があるわけではありません。なのでそのイメージに近づけるために肛門に力を入れギュっと締めるともいわれます。
             
丹田に力を入れるとは、ある意味想像と意識の世界です。あるといえばあり、ないといえばないつかみどころのない心のようなものであり、まさに5次元的なものです。意識的な存在ともいえるでしょう。
             
そこに力を入れるということは、そのあるかないか分からないものをギュッとつかんでおくことです。つまりは自身の意識をしっかり保つということだと思います。そういう意味では、マインドフルネスにおける「今この瞬間の自分に注意を向けること」と同じともいえます。そしてそれが自然の状態となった時には、自分自身に腰を据えることができるのではないかと思うのです。つまり常に堂々としていられると思うのです。
             
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密教の経典「大日経」では、悟りとは大空の如く形なきものといいます。


空があることは確かですが、空はこれだというカタチはありません。また空に手が届き、つかむことができるかといえば、それも決してできることはありません。

けれども空を実感すること、つまりは自分自身がここにいるという実感は持てるはずです。
             
それを目指して瞑想し、精進していくのです。
             

ただ単なる脳内に分泌される物質によって満足を得るだけではなく、自分自身はここにいるという感覚をしっかりと持てるようにしたいと思います。

そうすれば世間に流されることなく、自分自身の道を歩むことができるのではないでしょうか?


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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~






             
             

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