« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月26日 (水)

先祖供養について考える

ばあちゃんの49日の法要が終わりました。
             
葬儀が終わってから毎日理趣経、観音経、般若心経、そして真言を唱えていたのですが、それはじいちゃんの時とは違い、ばあちゃんとの語らいの時でした。
             
1年半前に亡くなったじいちゃんの時は無事に極楽浄土につけるようにとの思いで毎晩読経していたのですが、今回はじいちゃんが迎いに来て、手をつないで浄土へと向かっているという感覚だったので、その見送りと語らいだったのです。

Photo_12

             
毎日ばあちゃんの遺影と骨壷を前にして読経をしていたのですが、先日思ったことがあります。それは、「何故人はこうして骨とお墓を残すのだろう?」ということです。
             
お墓というと、私たちが日本の歴史として見る前方後円墳などの古墳もそうですし、エジプトのピラミッドもその時の王のお墓です。権力者たちはその時の力を誇示するかのように豪華なお墓を造り上げました。そしてそれは時の権力者だけでなく、いつしか誰もがお墓として墓石を積み上げるようになりました。
             
果たしてこれは人間の生前に持つ死後の欲望、つまり死後も自分自身を残したいという欲望ではないだろうかと思えたのです。(斜めに考えすぎかな???)
             
というのは、数日前産業廃棄物の事業を営んでいる人に会い話しをしていたのですが、廃棄処分場を訪れるとそこには墓石がいっぱい捨てられているそうです。おそらくもう誰も世話をする人がいなくなり、お寺の墓地にずっと放置されているお墓を処分したのでは?ということでしたが、思わずその現場を想像すると、何とも言えない思いがよぎったのです。
             
そんなことがあるというのにみんなそんなに死後も自分自身を残したいものなのでしょうか?(僕はどちらかというと、お墓にも入れずに、骨を海に流してくるだけでいい派なのです。)そうするといつしか町中、いや日本中がお墓で埋め尽くされるのではないだろうか?と思ったりしてしまいます。

Photo_17
         

最近5次元のことをずっと考えており、現在の結論としては僕たちの本体は意識であり、それは5次元(以上)の存在であり、この肉体(身体)は今世の着ぐるみであるということです。それ故に本体である意識は、肉体から離れあの世に戻る時徐々に着ぐるみ自体への執着は無くなると思うのです。(そのための49日であるはずです。)

             
そして読経している間に出てきた結論として、大切なことは、
             
① 故人を心の中に住み続けさせること。
             
② (その家を継ぐ)残された者が先祖を尊ぶ気持ちを持ち続けること。
             
この2つではないかと思ったのです。(この意味において仏壇などをこれらの機会として置いておくことはよいのかもしれません。)
             
そうすることによって、本体の意識もそれらを感じ取り、喜んでくれ、また私たちを守護してくれると思うのです。
             
そしてそれを更に突き詰めていくと、自分という存在が数知れない先祖の結果に今ココにあるということ、そして元をたどれば誰もが(アダムとイブに)つながっているワンネスの世界であるということであり、共存していく心を持つということではないかと思うのです。

Photo_18


残念なことに葬儀も供養もいつしかビジネスがしっかりと組み込まれてしまっています。一度しっかり見直すことも必要ではないでしょうか?
             

なぜなら世界は一つに向かい始めているのですから。


Photo_16





             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

2016年10月19日 (水)

食と社会の基盤

近ごろ地元産の水産品や農産物を東南アジアや中東へ海外展開するというニュースを良く見ます。そこにはプランナーはもちろん、県知事も同行しトップセールスを行い、現地への輸出・販売にこぎつけようとしています。

日本の農産・水産品が世界に認められることは素晴らしいことだと思います。それが農業・水産業を営む人々の懐を潤すならば尚更です。

けれどもふと思ったことがあります。

現在スーパーに行くと、野菜などの生鮮食品は地元産品、あるいは国内産のものが多くあります。けれども同時に中国産も結構あり、時にはブラジル・チリ産のものもあったりします。安いものを提供するために地球の反対側まで行くのかと思うと、その輸送にどれだけのエネルギーを使うのだろうと思ってしまいます。(それでも安いというのが不思議?)

更に加工食品になるとその割合がすっかり変わり、その多くが中国産のものが使われています。それに続いて東南アジア諸国、そして時にはトルコやロシアなどの国名も見られ、日本産の割合はかなり低くなります。唯一販売者・輸入者に日本企業の名前が書かれていますが…。

現在多くの人々がこの加工食品を食べる割合が増えています。地産地消と言われる中、あるいは地球環境問題が深刻になる中これでいいのかと思ってしまいます。

日本人が日本で作ったものは一部の日本人の口にしか入らずに外国へと輸出され、現地の富裕層の口に入る。一方で外国人が外国で作ったものが日本へ輸入され日本人の口に入る。(しかもまたこれが商社の指導で安く大量に作るために農薬・化学物質にまみれているということもあったりするようで…。)

何だかこれっておかしいのではないだろうかと思うのです。

現在日本でも貧困層の増加が大きな問題となっています。子どもの貧困問題のために全国に子ども食堂なるものが増えています。しっかりと食べられない子供が増える一方で、日本の食材は外国へと輸出される。

矛盾を感じてしまいます。

国の基盤は国民にあります。そしてその国民の安心の第一は衣食住にあります。それをおろそかにして豊かな日本となりうるはずがないと思うのです。

僕たちは一体何のため、誰のためにものを作っているのでしょうか?




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年10月12日 (水)

一般常識の反対の道を行く

毎月「心のうた」という冊子が送られてくるのですが、それを読むのをとても楽しみにしています。この冊子は吹奏楽の楽譜を販売するミュージックエイトの創設者である助安由吉さんが新たに設立した株式会社エイト社が製作しているもので、助安さんの書や助安さんがご自身の人生を通じて体得された生き方や内面世界の話しが綴られています。そのどれもが僕にとってすごく心に響くものなのですが、2016年9月号に掲載された「今月の言葉」がジーンときたのと同時に力をもらえたので転載します。


魂の目覚めた人は一般常識の反対の道を行く

人間は、目では見えない心・魂・零次元と、目で確かめることのできる物や身体や環境などの三次元の二つに分かれています。すなわち、霊次元の価値観と三次元の価値観に分かれているのです。理想はこの二つの価値観をバランスよく取り入れることですが、これがなかなか難しいのです。何故ならば、ほとんどの人は、霊次元の価値観に見向きもせずに、三次元の価値観・名誉・地位・財産・権力に魅力を感じて、その方向に進むからです。
 そのような中にあっても、魂の目覚めた人は霊次元の価値観を取り入れるようになります。その生き方は、完全に変わってしまいます。その一番大きなものは、生まれ変わりを信じていることです。これが判っただけでも生き方が大幅に変わります。すなわち、三次元の価値観である名誉・地位・財産・権力に対して、全く魅力を感じなくなって背を向けるようになってしまうのです。一般常識とは反対の立場をとって生きていくようになります。自分のことよりも相手のこと、日本中のこと、世界中のこと、さらには地球のことに対して思いが広がっていくのです。
 周囲の人から見れば、馬鹿か阿保かということになり、なかなか理解してもらえません。けれども魂の目覚めた人は、そんなことにはめげず、自分の信じた道をただ邁進していくのです。

「心のうたvol.52」株式会社エイト社 今月の言葉~壁内観より~


正直まだまだ魂が目覚めたわけでありません。ただ20代の若き頃にいくつかの国の国立公園を訪れ、歩いたり、キャンプしたり、あるいは(海を)潜ったりしたことから、地球というその大きさ美しさ、そして創造性というものに意識が奪われてしまい、更にその後高齢者福祉で人間(の人生)というものを観察し考えさせられる機会を得、更に更には仏道にのめり込み「心を観る」という経験から、すっかり一般的な価値観とはずれてしまった世界に生きているだけです。それでも僕はこれを読んでとても力を得たのです。

現在の僕はこの年になっても未だに自分の使命が見つけられずに、今世の使命は何だろうと常々考えながら生きています。現時点で思うことは、地球のお世話係ということもあれば、もうひとつ「生命(イノチ)」や「生きる(人生)」を通じて何かを学ぶことを目的として生まれてきたのではないかと思っています。

どちらも現代社会では最もおろそかにされているものです。地球はとことん人間のエゴによって破壊され、多くの生物が絶滅へと追いやられています。同時に人の命は軽んじられ、こちらもまた一部の人間のやりたい放題となっています。一見すると地球環境を大切にし、命を大切にしていこうという政策が採られているように思われますが、実際はその正反対です。その象徴としてまさに原発と放射能の現状があるのだと思います。

それらを僕個人に何かできるかと言うと、全くもって大きなことはできません。けれども大手の嘘マス(増す)メディアに左右されずに、僕自身がこれまでの経験を通じてこうあるべきと思う理想に向かってコツコツと歩み続けていく。ただそれだけです。

それが僕の生き方。
さあ、(一般常識の反対の道であろうと、)人生をアートしましょう!



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年10月 5日 (水)

お遍路さんへ!

以前にもお伝えしたかもしれませんが、今年(平成28年)は60年に1度のお遍路さんの当たり年だそうです!何でも逆打ちすると通常の4倍の後利益MAXになるとか…。みなさんご利益をいただけるといいですねぇ~。今年はお遍路さん賑やかです!

そのお遍路さんの開祖である弘法大師空海さんは(日本)密教を完成させた人であり、日本史上、いえ世界史所においてもまれにみる天才です。更にその密教界では現世利益は否定されていません。現世利益もよしとします。眼耳鼻舌身意すべて聖なりとしています。なんたって僕たちの今世の目的の一つは幸せになるということですし…。

さて、先日とある人から(経営者のグループの)お遍路の案内をしてもらえないかという打診がありました。

結局その話は流れてしまったのですが、その際その経営者の方にひとつお伝えしたことがあります。それは多くの人が言われることですが、「歩き遍路が一番利益が多い」ということへの僕なりの意見です。

僕の経験から、確かに歩き遍路はそれだけ時間と体力を使ってお参りするので、お接待を受けたり、いろいろな人に会ったりして、より多くのものを受け取ると思います。けれども車やバスで回ろうと、バイク・自転車で回ろうと、歩いて回ろうと、お遍路する人みんなに共通の利益が与えられます。

それは「お参りできてありがたい。」と思えることです。

歩いて四国を廻った時いろいろなお遍路さんと出会いました。50回以上廻っている人もいれば、エンドレスで歩いて廻り続けている人もいます。あるいは高齢で階段を上ることが難しく、下から拝むという人もいますし、同じく高齢者で階段でこけても上がろうとする人もいます。

何故この人たちはそうまでしても廻るのだろうとずっと考えていました。中には商売がうまくいくよう利益目的の方もいるでしょうし、病気を治したい、死への準備、あるいは自分探しなどひとり一人それぞれに理由があるのだと思います。けれども僕が最終的に見いだしたのは、先に書いた「お参りできて有難い」ということです。これは歩き遍路の最後の方に僕自身の中に生じた心であり、そのことを確信しました。

「お参りできて有難い。」

そう思えることがお遍路さんみんなに与えられる共通利益であり、何よりものご利益です。(中にはそう思えない方もいるかもしれませんが…、その方はもしかすると欲の皮が厚すぎるのかも…。それもまた良しですが…。)

ということをその方に伝えしました。

けれども今思うと更にもっとよいのが、お遍路参りを通じて日常生活を感謝して生きられるようになることです。お遍路経験での感謝が日常生活に活かされるようになればとても素晴らしいと思います。更に更にそれを突き詰めれば「今ここに生きていることに感謝して生きていく」ということになるのでしょう。

今この瞬間瞬間を感謝しながら生きていく。

こうなるとご利益超マッハ!僕もそうなりたい…。そんな人生が送れると素晴しいと思うのです。

実は最近すっかりお遍路経験がはげ落ちてしまった僕…。あの頃を思い出し、もう一度心を立て直さなければと思っているところです。そしていつかまた感謝のお遍路旅をしたいと思うのです。

只今修行の真っ最中です!

感謝

(当時のお遍路日記はこちら



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »