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2016年9月14日 (水)

神様の人生ゲーム

もうかなり古い(?)映画となりますがキアヌリーブス主演の「マトリックス」というのがあります。ご覧になられた方も多いと思うのですが、私もその第一作をようやく見る機会がありました。理解できないところも多々あったのですが、前提として私たちがいるこの世界は仮想現実の世界であり、本体の見る夢の世界のようなものである。けれどもその夢の世界と本体はつながっており、夢の世界での出来事が本体にも影響を及ぼす。ということではないでしょうか。


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最近私が思うことのひとつに、もしかすると私という存在は現れては消え、消えてはまた現れる泡のような存在ではないかということがあります。人間とは個の意識(魂)が身体(物質)に合体した存在であると思うのですが、その個の意識さえも大いなる意識の一部であり、その大いなる意識の揺らぎの結果生じた泡のようなものが個の意識であり、その泡の一つが私という存在であり、また別の泡の一つがあなたという存在ではないかと思うのです。その個の意識が肉体という物質にくっついて私は今ここに存在しているのです。


そしてその泡(個の意識)は誕生してから死を迎えるまで日々様々な選択を繰り返しており、その選択の結果が今現在の私であり、その選択によっては意識が肉体から離れていく、つまりは死が訪れることになっているのではないかと思うのです。


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また私という人間はこの世界で唯一の存在と思っているのですが、実はパラレルワールドであり、その時その時にいろんな選択肢を選んでいる私がおり、多次元界の中に無数にいる私のうちの1人に過ぎないのではないかとも思うのです。


ちなみにパラレルワールドとは、自分が存在する世界と並行して他の世界が存在するという考えで、並行宇宙とも言われます。例えば今目の前にケーキがあるとします。今食べることを選択する自分もいれば、おやつの時間まで取っておくことにする自分もいる。あるいは誰かにあげてしまう自分がいる。などなどいくつもの選択肢をそれぞれ選んでいる私がおり、その中の自分の1人が現在の「私」という存在であるというものです。


余談となりますが、物理学者のリサ・ランドール博士は、このことをシャワーカーテンにくっ付いた無数の水泡と言っているのではないでしょうか。


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もし私が多次元の中の1人に過ぎないのならば、そこにはいろんな人生を展開している私がおり、それぞれが肉体から意識が離れていくまで日々それぞれに選択をしながら生きていると思うのです。


そうするとそれは何だか、それぞれが双六か人生ゲームをしているようなものではないかと思うのです。その中には若くして終わりを迎える私もいれば、120年間生き続ける僕もいる。あるいは贅沢三昧をする僕もいれば、悲惨な運命をたどる私もいる。様々な私がいるように思うのです。



そう考えると、それは私自身が選んでいる人生でもあり、ある意味神様が人生ゲームを楽しんでいるようでもあり、何だか不思議な感覚を覚えるのです。私という存在は神様が遊んでいる人生ゲームの1プレイヤーでありつつも、そこに私自身の意識も関係している???

もし私のこの一生というものが神様の行っている人生ゲームとしたならば・・・、

きっと神様はゲームなのだから楽しいものとしたいでしょう。(ワクワクドキドキしたい!)そして私自身も私のこの人生がゲームであるならば、どうせならば面白いものとしたい!すべてがゲームであり、神様はそれを楽しみたい、そしてそこには私自身の意識も関係しているならば、私なりにゲームを楽しくしたい。面白く生きたい!そして神様にも楽しんでもらいたい!(もちろん中には苦しいゲーム展開をしたいという人もいるかもしれません。その方はそのような選択をすればよいと思います。)
 

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例えもしゲームの終わりが来たとしても、それは肉体から意識が離れるのみです。そしてその個の意識さえも、大いなる意識の揺らぎによって生まれてきたものであり、もともとは一つのものです。私は揺らぎによってできた無数の泡のひとつであり、ひと言でいうと幻のようなもの。もっと簡単に言えば私という存在は「夢」にすぎないもの。私もあなたもそれぞれの泡が様々な夢を見ながら、泡であり続け、やがては大きなひとつのものへと戻っていく。


夢ならば、やはり楽しいものであって欲しい。


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繰り返しとなりますが、神様の(人生)ゲームであり、夢であり、無数の泡の中のそのひとつである、それが私の人生。けれどもそこには(私の)意識も関わっている。それならば楽しいものとしたい!



映画「マトリックス」に戻りますが、私が最も興味を持ったのはラストシーンであり、そこには100%信じることができるならば、その夢の世界はいかようにもなるというメッセージが込められているのではないかと思うのです。結論として、この人生が泡のようであろうとなかろうと、夢のようであろうとなかろうと、あるいは神様も交えたゲームであろうとなかろうと、自分自身を信じて好きなことを精一杯することが一番ではないかと思うのです。

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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

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