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2016年9月

2016年9月28日 (水)

大量生産・大量消費から道の駅型スーパーへの転換

大量生産・大量消費という言葉をよく耳にすると思います。大手のスーパーやドラッグストア、あるいはディスカウントショップや100円ショップと呼ばれるところなどはまさにそこに当てはまるのではないでしょうか。現在ではほとんどの人が大なり小なりそれらの恩恵を受けていると思います。中にはなくてはならないと思う人もいると思います。けれどもそろそろ見直しを考える時期に来ているのではないかと思うのです。


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先日とある食品加工の企業を訪問することがありました。13時にアポイントを取っており、到着したのが12時50分ごろだったのですが、ちょうどその時大勢の外国人が次々に工場に入っていくところでした。社長に聞いたところ、その多くがネパールから語学留学として日本にやってきている人で、アルバイトが許可されている範囲で働いているとのことでした。


その席には人材派遣に関わっている人もおり、近頃は中国・タイ・ベトナムは自国の人件費の高騰により、彼らを(実習生として)確保することが難しくなってきており、自国の物価・賃金がまだまだ安い国の人たちが日本にやってきているとのことでネパールからきているとのことでした。また今日本の産業は彼らの労働力なしには決して成り立たないとのことでした。


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そこで私が疑問に思ったことは、この産業構造は必要なのだろうかということです。


ただし外国人労働者を使うことが良い悪いなどという問題ではなく、私が頭に思い浮かべたのは、最近よくニュースなどで耳にする、食べ物の異物混入の為に食品を廃棄するという問題です。その量は何万、何十万という数量であることがよくあります。それだけの量を廃棄するということはいったいどれだけの食料を無駄にしてしまうのだろうと思うのです。


ごくわずかの異物混入の為に全部捨てるのはもったいないとなると、下手をするとそれを転売してしまうということにもなりかねませんが、それでもやはりもったいないと思うのです。中にはそのためにどれだけの生命が犠牲になるかもしれません。このことを考えると、産業構造のシステム自体に問題があるのではないかと思えるのです。


大手のスーパー、レストラン、食品関連事業者は日々競争の中でコストカットを迫られていますし、また迫ってもいます。それが故に下請けの(加工)業者に大量発注することで、価格を下げるようになります。下請けの加工業者はその量をその価格で捌くために、分業システムを作り、作業効率を最大限に上げようとしますし、またなるべく人件費を抑えようともします。それがゆえに外国人実習生と呼ばれる人たちが集められます。そしてそこで行われるのが、単純作業と流れ作業でとにかく数をこなしていくシステムです。そこにあるのは機械化できない部分を人間を機械のように使うということではないかと思うのです。そしてこれこそ大量生産・大量消費という物質主義の象徴ではないかと思うのです。


物質文明に陰りが見え始めた現在、そろそろこのシステム~コンビニや大手スーパー、大手レストランのように全国一律に同じものを販売するという制度~を見直したほうが良いのではないかと思うのです。工場のように大量に(同じ)ものを積み重ねて販売するのはもうそろそろやめてもよいのではないでしょうか?


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その代りに私が提案するのは、「道の駅型スーパー」を増やしていくということです。少量かつ地域ならではのものを売買するようにすればいいのではないかと思うのです。そうすることによってもし異物混入することがあっても大量廃棄することもなく、必要最低限で済むと思えますし、毎日永遠と続く単純作業をすることなく、もっと人間らしく働けるようになると思うのです。


もちろんそこには大量生産し、保存するために使われる添加物という化学物質も入れられることもないでしょう。それよりももしかすると今日食べる人々の顔を想像しながら作ることができますし、そこには喜びや愛情がいくつのもの段階で込められるのかもしれません。同じように買う人もつくる人の顔をイメージすることができます。また高齢者が尊敬され活躍できる場が増え、そしてその技の継承ができるかもしれません。あるいは障がい者の雇用も増えていくかもしれません。そうなると作る側も食べる側もお互いにハッピーになるのではないでしょうか?


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考えてみると、大量生産された品物は、好き嫌いの感情はありますが、作り手の顔を想像することなど全くなく、たとえあったとしてもコマーシャルに出ている俳優やそこで出てきたフレーズではないでしょうか?それらのものは全てコピーライターの人やプランナーの人が考えたものなのです。


時代の境目、大企業による大量生産・大量消費の限界と崩壊を私たちはこれから目にするのかも知れません。けれどもその崩壊と同時にそこに現れるてくるのは、一人ひとりの顔が想像でき、みんながハッピーになれるものが芽を出してくることなので、心配せず、楽しみにしましょう!



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             

2016年9月21日 (水)

ルート地球のお世話係パート2

平成のバブル景気が崩壊して25年以上が経過しています。この間ずっと日本は低迷状態にあります。一時期いざなぎ景気を超える景気拡大期(いざなみ景気)とも言われたこともありますが、結局は大企業のみの景気拡大であり、今では大企業は莫大な内部留保を抱え、国民の格差は拡大し、子供の6人に1人は貧困層と言われるようになっています。
             
この25年いくつかの政党が政権を運営し、名前を覚えられないほど多くの首相によって様々な経済政策がなされてきました。けれどもその結果は、国の借金が1000兆円を超え、国民1人当たりの借金は830万円となったこと。更には原発事故が起こり、多くの国民が借金を背負うだけでなく、重大な命のリスクにさらされるまでになったことです。
             
それでも日本の権力層のトップの面々は、現在も経済成長、経済成長と声を張り上げ、GDPの拡大を目指しており、多くの国民も(大半が40代以降ですが…)それで再びあの頃の豊かさが取り戻せると思っているのが現状です。

けれども本当は、日本の豊かさの次元が変わっているのです。そのことにもうそろそろ(いい加減)気付かなければならないと思うのです。なんたって25年、四半世紀以上が過ぎているのです!
             
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戦後からバブル時期まで、いわゆる昭和の時代は、日本にとって物質的成長が豊かさの次元だったことは違いありません。人々は科学の発展、物質の恩恵を受け、それまでの縛りから解放されました。けれども昭和天皇の崩御とともにそれは終わりを告げます。平成の始めの賑わいはその余韻に過ぎなかったのです。
             
平成(1989年)となり第1回目の精神的次元のシフトが起こり、次に2000年(平成12年)に第2回目、そして2012年(平成24年)に3回目の次元のシフトが起こり、その次元はどんどん大きくなっています。
             
それにも関わらず、政府、国会、霞が関、日銀、大企業は、今もお金とモノ縛られ続けており、多くの国民もそれに引っ張られている~マインドコントロールされている~状態が続いています。

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世界をみてみると、中国・東南アジアなどの新興国と呼ばれる国は今も物質次元にあり、彼らはそれらを通じて現在これまでの縛りから解放され豊かさを得ようとしています。それらといくら日本は競い合っても仕方ありません。そもそもの土俵が変わってしまっているのですから。
             
先進国(先進没落国?)と呼ばれる国々も、物質的次元から精神的次元への移行の促し段階にあり、それに薄々と気づき始めたり、あるいは様々な混乱が起きていたりするのが現状です。

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そんな中密かに注目されるべき国、その存在感を徐々に高めているのががブータンではないかと思うのです。
             
ブータンの注目されるべき点は、なんといってもGNH(Gross Natinal Happiness~国民総幸福量~)政策でしょう。経済成長ではなく、国民一人一人の幸福度、そしてそこには自然保護、自然との調和、そして人々の暮らしの中にある伝統文化を守ることを欠かせないものとしています。(その中でゆっくり近代化を進めていく。)
             
ブータンが2005年に行った国勢調査では約97%の国民が「幸せ」と回答しており、世界を驚かせました。ブータンは世界でも下から数えた方が早い最貧国のひとつです。それでも国民の多くが幸せと答えられる国とは?それを僕たちは考えなければならないのではないでしょうか?
             
ちなみに別の幸福度調査では、ブータンの幸福度はずっと低くなっています。けれどもその調査の中にある項目のひとつがGNP(GDP)経済成長です。
             
世界各国がグローバルリズムの影響によってモノラル化する中、ブータンは今も自国の伝統を保護し、大切にしています。そこには今も彼ら独特の美が生きています。もちろんブータンの人々も普段はTシャツを着たり、化成繊維やナイロンを着たりもします。けれども今も伝統文化がしっかりと残されています。
             
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さて、再び日本に戻ってみるとどうでしょう?多くの伝統建築は破壊され、近代的なビルや建物へと変わり、都会をぎっしりと埋め尽くしています。競争社会が毎日24時間休むことなく繰り広げられています。誰もが生き残ろうと必死となり、あるものは精神を犯され、あるものは死を選びます。
             
大手メディアは毎日これでもかと、グルメ番組、お笑い番組を流し続け、今の価値観を維持しようとしています。一見すると日本はこのままずるずるとバブル崩壊後の低迷をあと10年、20年と引きずって行くだけのようにも思います。
             
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けれども日本にも可能性の芽は出てきています。そのひとつが地方の地域が頑張っていることです。もちろんそれは地方の消滅を避けるため、あるいは地方経済の活性化が主な目的となっていますが、そこでは地域の伝統的な食や産業が見直されて、それをもう一度取り戻し、発展させようとしています。
             
更に自らの活路をそこに見いだそうとする若者も増えつつあります。都会では得られない充実感を求める若者、Uターン(Iターン)してくる人々が増えています。それらを通じて日本の伝統、日本の美が取り戻されていけば、きっと再び日本人の持つ精神が取り戻されると行くと思うのです。
             
それを支持するかのように、競争世界が生み出したITという産物が、SNSや情報面から側面支援を始めています。それに伴い大手メディアの力は弱まり、これまで隠されていた多くの事柄が表に出始めています。人々は真実を知るようになってきています。
             
そこに今世界的に起こりつつある精神次元への移行が重なり合えば、きっと大きなシフトが起こってくると思うのです。
             
天の計らいとは絶妙なのかもしれません。
             
             
             
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             

2016年9月14日 (水)

神様の人生ゲーム

もうかなり古い(?)映画となりますがキアヌリーブス主演の「マトリックス」というのがあります。ご覧になられた方も多いと思うのですが、私もその第一作をようやく見る機会がありました。理解できないところも多々あったのですが、前提として私たちがいるこの世界は仮想現実の世界であり、本体の見る夢の世界のようなものである。けれどもその夢の世界と本体はつながっており、夢の世界での出来事が本体にも影響を及ぼす。ということではないでしょうか。


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最近私が思うことのひとつに、もしかすると私という存在は現れては消え、消えてはまた現れる泡のような存在ではないかということがあります。人間とは個の意識(魂)が身体(物質)に合体した存在であると思うのですが、その個の意識さえも大いなる意識の一部であり、その大いなる意識の揺らぎの結果生じた泡のようなものが個の意識であり、その泡の一つが私という存在であり、また別の泡の一つがあなたという存在ではないかと思うのです。その個の意識が肉体という物質にくっついて私は今ここに存在しているのです。


そしてその泡(個の意識)は誕生してから死を迎えるまで日々様々な選択を繰り返しており、その選択の結果が今現在の私であり、その選択によっては意識が肉体から離れていく、つまりは死が訪れることになっているのではないかと思うのです。


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また私という人間はこの世界で唯一の存在と思っているのですが、実はパラレルワールドであり、その時その時にいろんな選択肢を選んでいる私がおり、多次元界の中に無数にいる私のうちの1人に過ぎないのではないかとも思うのです。


ちなみにパラレルワールドとは、自分が存在する世界と並行して他の世界が存在するという考えで、並行宇宙とも言われます。例えば今目の前にケーキがあるとします。今食べることを選択する自分もいれば、おやつの時間まで取っておくことにする自分もいる。あるいは誰かにあげてしまう自分がいる。などなどいくつもの選択肢をそれぞれ選んでいる私がおり、その中の自分の1人が現在の「私」という存在であるというものです。


余談となりますが、物理学者のリサ・ランドール博士は、このことをシャワーカーテンにくっ付いた無数の水泡と言っているのではないでしょうか。


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もし私が多次元の中の1人に過ぎないのならば、そこにはいろんな人生を展開している私がおり、それぞれが肉体から意識が離れていくまで日々それぞれに選択をしながら生きていると思うのです。


そうするとそれは何だか、それぞれが双六か人生ゲームをしているようなものではないかと思うのです。その中には若くして終わりを迎える私もいれば、120年間生き続ける僕もいる。あるいは贅沢三昧をする僕もいれば、悲惨な運命をたどる私もいる。様々な私がいるように思うのです。



そう考えると、それは私自身が選んでいる人生でもあり、ある意味神様が人生ゲームを楽しんでいるようでもあり、何だか不思議な感覚を覚えるのです。私という存在は神様が遊んでいる人生ゲームの1プレイヤーでありつつも、そこに私自身の意識も関係している???

もし私のこの一生というものが神様の行っている人生ゲームとしたならば・・・、

きっと神様はゲームなのだから楽しいものとしたいでしょう。(ワクワクドキドキしたい!)そして私自身も私のこの人生がゲームであるならば、どうせならば面白いものとしたい!すべてがゲームであり、神様はそれを楽しみたい、そしてそこには私自身の意識も関係しているならば、私なりにゲームを楽しくしたい。面白く生きたい!そして神様にも楽しんでもらいたい!(もちろん中には苦しいゲーム展開をしたいという人もいるかもしれません。その方はそのような選択をすればよいと思います。)
 

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例えもしゲームの終わりが来たとしても、それは肉体から意識が離れるのみです。そしてその個の意識さえも、大いなる意識の揺らぎによって生まれてきたものであり、もともとは一つのものです。私は揺らぎによってできた無数の泡のひとつであり、ひと言でいうと幻のようなもの。もっと簡単に言えば私という存在は「夢」にすぎないもの。私もあなたもそれぞれの泡が様々な夢を見ながら、泡であり続け、やがては大きなひとつのものへと戻っていく。


夢ならば、やはり楽しいものであって欲しい。


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繰り返しとなりますが、神様の(人生)ゲームであり、夢であり、無数の泡の中のそのひとつである、それが私の人生。けれどもそこには(私の)意識も関わっている。それならば楽しいものとしたい!



映画「マトリックス」に戻りますが、私が最も興味を持ったのはラストシーンであり、そこには100%信じることができるならば、その夢の世界はいかようにもなるというメッセージが込められているのではないかと思うのです。結論として、この人生が泡のようであろうとなかろうと、夢のようであろうとなかろうと、あるいは神様も交えたゲームであろうとなかろうと、自分自身を信じて好きなことを精一杯することが一番ではないかと思うのです。

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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2016年9月 7日 (水)

ルート地球のお世話係パート1

夏も終わり、秋となりました。

西日本の人に言わせれば、「今年の夏は暑かった。今もまだ暑い…。」のひと言に尽きるでしょう。

北海道の人に言わせれば、「今年の夏の雨はひどかった。今も…」となるのでしょう。

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どちらにしても、ひと言で片づけてしまうのはヤバイのではないかと思うのです。
             
何故なら僕にとって今年ほど地球の危機感を感じたことはなかったからです。
             
そろそろもっと多くの人々がこの地球について真剣に考えなければならないのではないでしょうか?
             
少なくとも日本人はこの気候変動を他人のせいに、あるいは他人任せにするのではなく、自分ごととして一人一人が考えていかなければならないと思うのです。
             
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そこで日本人が自分たち人間は地球のお世話をする役割を担っていることを意識するための方法を考えてみました。
             
             
最初に関係ないと思われるかもしれないけれど、「平和憲法の維持」です。
             
残念ながら参議院選挙で与党2/3以上の議席を取らせてしまった日本人は、今や(利権集団の)なすがまま状態にあると言わざるを得ません。
             
それがゆえに日本人を狙ったテロも発生してしまいましたし、おそらく次は海外で自衛隊が武力を行使する事態となり、ますます日本人が狙われるようになるのではないでしょうか?
             
日本国憲法の前文と第9条は世界の宝です。
             
(前文一部抜粋)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
             
(第9条)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
             
             

本来人間が意識を向上させれば、戦争などなくなります。
             
そのことを教えていたのが憲法9条でした。(この9条そのものも不必要となります。)
             
けれども現在それはどんどんと武力行使可能な方向へと拡大解釈がなされ、その根幹が崩されようとしています。
             
私たちはこの9条をなんとしても守り、戦争のない世界を目指さなければなりません。

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次に原発の廃止です。
             
3.11で私たちはどんなに原発が恐ろしいものであり、また不必要なものなのかを身をもって学びました。
             
あまりにも多くの人が犠牲となりました。
             
それにも関らず再稼動され、再び原発依存状態に戻そうとしています。
             
マスコミも電力会社の広告宣伝費が収益に大きくかかわっているので、大げさにはしません。
             
国家もその責任を負うこともなく、全国の原発を再稼動させようとしています。
             
本来あれだけの惨事となったのですから、原発政策を見直し、新エネルギーへの転換を行うべきです。
             
現在フリーエネルギーの開発(発見)は盛んです。
             
それらの存在を認め、開発を後押しするのが国の仕事のはずです。
             
けれども既存電力会社の利益、影の国際的圧力、原発を持ちたい政治家、そして彼らの持つ利権等により、フリーエネルギー開発よりも元の鞘(原発稼働)におさめる政策が推進されています。
             
そこには犠牲者への哀悼はもとより、国民(の命)を守るという概念は存在していません…。
             
ただし(フリーエネルギーの開発において)ひとつ気をつけなければならないことは、意識の向上なしにフリーエネルギーの利用はできないということです。
             
現在の意識のままでは、つまりエゴむき出しのままでの利用では、たとえフリーエネルギーが使えたとしても、地球を破壊しかねません。

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まずはこの「平和憲法維持」「原発の廃止・フリーエネルギーの開発」でもって日本人の意識を、マインドコントロール状態から抜け出し、自分たちで変えていく(創っていく)意識へと変えなければなりません。
             
私たち日本人は本来それができる民なのです。
             
             
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2016年9月 4日 (日)

今年の台風に思うこと

朝晩が涼しくなり、身体が随分楽になってきました。

ようやく台風も平常のコースを通るようになりましたが、今年の夏は4つの台風が東北・北海道を襲い、

中でも台風10号はブーメランのように動き、遂には東北上陸、そして横断と言う事態となりました。

今年の台風の異常さを象徴しています。

中には人工台風という説もあるようですが、僕には分かりません…。

先日〇HKで今年の台風の特集をしており、北海道の水害が映されており、北海道での台風被害がクローズアップされていましたが、

僕が思ったことは(申し訳ないけれど)北海道は結果に過ぎないということです。

それよりも注目すべきは、東北ではないかと思うのです。

何故にこうも台風が東北を襲うのか!?

それはズバリ「福島原発」ではないかと思うのです。

(一部に福島原発を狙った人工台風という説もあり…???。もし例えそうとしても)

福島を中心に東北地方で溜まった放射能を拡散し、その濃度を薄めるために台風は東北を襲っているのではないかと思うのです。

そしてこれには地球の大いなる意思、

あるいは僕たち人間の知らない存在の意思が働いているのではないかと思うのです。


その意思が働いているのは東北地方だけではありません。

西日本の異常な暑さ(干ばつ)が襲ったのも、大いなる意思によるものではないかと思うのです。

その原因は、これもまた原発です。

再稼働してしまった川内原発と伊方原発。

これに対する警告ではないかと思うのです。


大いなる意思は人間に原発を止めさせるが故に、世界(日本)に3.11の発生を許しました。

けれども原子炉爆発時の放射能の大半は海(太平洋)へと拡散させました。

また微生物の多い日本、更には発酵食を好む日本人故に列島における被害も最小限とするようにしたのではないかと思うのです。

これがもし福井(日本海側)、九州、伊方、浜岡だったらどうでしょう?

いくら発酵食を食べようとどうなっていたか分かりません…。

これは大いなる意思の愛だともいえないでしょうか?

(もちろんそれでも大きな犠牲を払っていますし、今後も払わなければならないでしょう。)


大いなる意思は警告と同時に愛を与えてくれています。

今回の4つの台風も自然の驚異を知らせると同時に大地に溜まった放射能、更には海底に溜まった放射能を拡散させてくれました。

同じく干ばつ(気候変動)と言う猛威と同時に、原発への警告、そして原発がなくても大丈夫であるということ、水の有難さを再確認させることを教えてくれたのではないでしょうか?


この世界、この地球は、人間だけのものではありません。

もし地球上に生命のピラミッド層があるとすれば、人間が頂点に君臨してしているわけではありません。

そして実際ピラミッド層などありません。

あるのは循環のサイクルだけです。

人間がそのサイクルを勝手に断ち切っているだけです。

それが故にあまりに多くの生命と自然(環境)が犠牲となっているのです。

僕たちはそのことにいい加減気付かなければならないのではないのでしょうか?

もし気付けないようならば、更なる大きな罰を受けることになるかもしれません。

ホントにゴジラが出てくるかもよ~!!!




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



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