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2016年8月

2016年8月31日 (水)

地球のお世話係という自覚

暑さもひと段落し、秋の訪れを肌で感じられるようになりました。

ホントに今年は暑かった~。

雨も全く降らずの猛暑続きで、大地は干上がり、これは天保の飢きんならぬ、平成の飢きんの到来かと思うほどでした…。

さて、家でひたすら考え事をしていると、時々おばちゃんたちの井戸端会議の声が聞こえてきます。

先週までは毎回今日も暑いですね~。家の中でも脱水になるんだから、庭仕事なんかできませんよ~。

などと話していました。

今年の暑さは異常ということが挨拶代わりだったようです。

(勝手に聞こえてくるだけで、別に盗み聞きしているわけでもないのですが…、)


きっとこれからは話題が変わってくるのでしょうが、暑さの話を聞いて思ったことがあります。

それは、今年の暑さはおばちゃんたちの日々の生活を直撃していたわけですが、その暑さの原因は他人ごとであり、本人たちと直結していないということです。

僕が掲げている「僕らは地球のお世話係」ということは、僕たち人間一人ひとりが地球のお世話係であるという「自覚」を持ち、行動していきましょうというものです。

まずは自分たちの生活を見直し、持続可能なライフスタイル(共生・循環)を心がけ、できることから始めていければよいと思っているわけです。

これは僕が若き時に海外数か国を訪れ、国立公園を歩き、キャンプして得た地球と人間の関係「人間は地球にはかなわない。」ということから来ています。


一方で、地方のおばちゃんたちにとっては、

テレビをつければ、そこには都会に暮らす芸能人やレポーターたちが、次々とレストランや新しいお店を訪れグルメを食べ歩き、また新しい家電製品などが次々紹介され、試してこれ買おうと叫んでおり、そこには別世界が映し出されています。

それに比べて自分たちはあんな贅沢三昧することなくつつましく暮らしているとおばちゃんたちは思うわけです。

彼女たちにとっては、

・毎日(普通の)ご飯が美味しく頂けて、時々外食できる。

・ボロ(服)を着るわけでもなく、多少のおしゃれができる。

・雨露・暑さ寒さがしのげる家がある。

・子どもが育ち、孫ができ、育っていく。

・そこそこ欲しいものが買える

・そして日々の健康と安全がある。

それで十分と思っているわけです。

更に加えるならば、お上(行政)の言う通りに、分別してゴミを出し、家電購入時には節電製品に買い替え、買い物にはマイバックを使い、エコにも協力していると思っています。

総じて自分達はささやかな生活を送っていると思っているわけです。

確かに十分です。


けれどもそのうえで、もう一度生活を見直し、いかに地球の恵みで生き、「地球のお世話係り」であることを自覚してもらうか?

今回の暑さが、自分達人間の欲を追求した結果であるかということに気付いてもらうか?

どうすればそれができるのだろうか?(難しい…。)

そんなことを(おばちゃんたちの会話が聞こえてくる中で)思ったのでした。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2016年8月24日 (水)

幸せの芽

(しあわせ)」と「(つらい)」のふたつの漢字。

横線「一」本の違いで何故こうも意味が違ってくるのでしょうか。

片や「幸せ(しあわせ)」~喜びに溢れており、

片や「辛い(つらい)」~つらくて、苦しくて…

この違いは何なのでしょうか?

全く違うようで、実は紙一重の違いなのでしょうか?

ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかの「考え方」の違いだけなのでしょうか?

 

それぞれの字源を調べてみたところ、

」とは、若死にせず永らえるということから「しあわせ」となっており、

一方の「」は、奴隷の額に入れ墨を入れるための磔から来ており、全く両者は違った字源であることが分かりました。


けれども何か納得いかないのです。

本当にそれだけなのでしょうか?

字源は(全く)違っていても、これだけ似ているのは何か意味があるのではないでしょうか?

そこで私なりに考えてみました。

私には「」の上の部分は「」に見えます。

一方の「」は、「」と「」、あるいは(上は)「(点)」に見えます。

このに関係するのではないかと思うのです。

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ところで私が実家のみかん(いよかん)づくりを引き継いで5年ほど経つのですですが、未だに本当に納得いくみかんはまだできていません。

特に今年は多くの木が枯れて壊滅状態に近く、一体この5年間何をしてきたのだと思うばかりです。

けれども最近つくづく思うのは、「」と「根っこ」の大切さです。


人は果実を育てるに当たって、土から上の幹・枝・葉、そして実(み)ばかりを見ています。

世話をするのも剪定をして枝を落とし、葉を見て水や肥料を与え、そして実を見て食べて喜びます。

もちろん枝や葉を見て適切に対処することもとても大切なことですが、それと同様に、それ以上に土と根が大切ではないかと思うのです。

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みかんの木に限らず多くの木は地中深くに根が張り巡らされていれば、大風が吹いたり、干ばつとなった際、少々の枝が折れたり、葉が落ちることはあるかもしれませんし、一時的に弱ることがあるかもしれません。

けれども時が過ぎれば再び(元気に)よみがえります。

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(しあわせ)」もこの木と同様ではないかなと思うのです。

最近私がよく思うことは、社会は便利になればなるほど、人は弱く(脆く)なっているのではないかということです。

車社会となり、人間は随分体力的に弱くなったと思います。

パソコンが発達し、漢字も書けなくなり、計算(暗算)も出来なくなりました。

レトルト食品・外食産業の発達・スーパーのお惣菜の充実で料理も料理の腕も落ちてきたように思います。

今と比べてかつての(不便な?)社会の中には、数多くの自分(の強さ)をつくり上げてくれるものがあったのではないかと思います。


今の便利さは何かあればあっという間に幹から折れてしまう、あるいは根っこから倒れてしまうのではないかと思います。

ならば「(しあわせ)」も「」(つらさ・苦しさ)を根っことして大地にしっかりと根付いていれば少々のことがあっても倒れるようなことはないのではないでしょうか?


うわべだけの幸せはあっという間に折れてしまいます。

一発芸人が絶好調の後にどん底となるケース、あるいは結婚して幸せそうに見えても、あっという間に離婚するケースなどそうと言えるかもしれません。


つらいこと、苦しいこと、不便なこと、悲しいこと、できれば避けたいと思います

けれどもそれらは、私たちの根っことなり、私たちの人生を強くたくましいものとしてくれ、そこに本当の幸せがあるのかもしれません。


そして私たちはその数々の辛さを土の中に隠し、明るく楽しく生きていくことが必要なのかもしれません。

」と「」ほんのわずかな違いながら、そこには大きな意味があるように思います。


さあたとえ現在たくさんの辛さがあったとしても、それらが大地にしっかり根を伸ばしたら、今度は幸せの芽が伸びていきます。

だから未来に向かって生きましょう!

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詩的空間詩集「だから生きるんだ!」

         
    
             
らいふあーと~僕らは地球のお世話係~
             
             
             

2016年8月17日 (水)

What's Next?

僕が今障がい者の支援に関わっている理由は、

重症心身障がい児者と呼ばれる人たちがもっと外に出て、いろんなものを見たり、いろんな体験をしたり、いろいろな人と触れ合ったりすることができるようにしたいとの想いから。

彼らにも社会に影響を与えることがある、

その役割があると信じているから。

その影響や役割とは、社会の人々の価値観を変えていくこと。

そして(社会の人々に)「働く」という意味をもう一度考えてみてもらいたいこと。

それらを行うためには、彼らに対する社会の理解が必要ということで、障がい者の支援を行っている。

けれども一方で、重症児者は、意味のない存在、いなくても良いのではなどと考える人がいるのも確かなこと。

だから殺害したりする人がいる。

例えそこまでいかなくとも、彼らは「働くことのできない」存在、「役に立たない」と思っている人は多い。

今回戦後最悪級の殺人事件が起こり、それも対象が重度の複合障がいを持っている人達だった。

そのニュースを見て、

かわいそう、ひどい、許せないなどと思うことはある意味簡単なこと。

では、その次は?(What’s next?) となると時間とともに忘れていくというのが実情だろう。

彼らを世話することはとても大変なこと。

中には彼らを見放す親だっているのだから。

そしていくら彼らのお世話をしても、彼らをコントロールしようと思えば、それは無理な話し。

正直僕は彼らの直接的なお世話に携わったことはない。

彼らの在宅生活における必要なものは何かを調査しただけ。

けれども僕はかつてベッドに縛られた高齢者を見てきた、無残な死に方をした高齢者を見てきた。(介護してきた。)

そしてそれを変えようとして、挫折して、そこから再び立ち上がり、一生懸命働いて、

10年後に初めて満足して死んでいってくれたと思った。

ようやく満足いく介護(看取り)ができたと思った。

でもこれははっきり言って自己満足の世界。

僕の中のカルマの除去をしたまでのこと。

じゃあ次は?(What’s next?)

やっぱ重症児者を外に出られるようにするために、社会の理解を促進させるということ。

でも今やかつてのように体は動かない。

以前のような体力もなければ、この分野の経験も浅い。

だから以前のようなやり方は通じないし、例えできても失敗するだろう。

けれどもその為にこれまでの学びがある。

それらの学びを活かしつつ、10年かけて今度はみんなが納得いくものをつくりあげたい。

それが僕の残りの人生の使命のひとつだから!




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2016年8月10日 (水)

WARNING~地球からの警告~

日本列島が炎上しています!

オリンピックではありません。

オリンピックはオリンピックで選手たちの熱さがみなぎっているようですが、

今回は気温です!

連日各地で35度を超える猛暑が続いており、中には40度に迫るところもあります。

予報の段階から35度超えとなっている日も多いです。

こんなこと初めてではないでしょうか?

おばちゃんたちの井戸端会議でも、「こんなんこれまでになかったわ~、異常やね~。」と言ってます。

確かに異常です。

でもそのひと言で終わらせてはいけません。

今僕の心の中でビンビン来ていることは、

地球がおかしい、地球がヤバイ!ということです。

(この「ヤバイ」は最近の「イイ」と言う意味ではなく「危ない」という意味ですので…。)

これは全くもって地球の人間に対する警告です。

特に日本人への警告です。

今地球は怒っているのです。

人間はあまりにも地球を荒らし、破壊してしまいました。

一刻も早くそのことを反省し、僕たちは地球の恵みでもって生きているということを認識しなければならないのではないでしょうか?

もうこれ以上人間の身勝手でもって生きていてはならない!そう思うのです。

日本人は本来自然を崇め、自然と共生してきたはずの国(人々)です。

けれども今ではすっかりそのことを言葉だけの世界としてしまい、「今だけ、自分だけ、お金だけ」の行動をとるようになってしまいました。

新興国、あるいは超大国となりつつある中国では、まだまだ経済成長が最優先されるでしょうし、新興国はもともと暑い地域も多いのでこのことは分からないでしょう。

けれども元来日本人は季節の変化に敏感です。

今この事態を真剣に考え、これまでのあり方を反省しなければなりません。

そして人間は地球のお世話係であり、いかに地球と共生していくかを考え行動し、世界をリードしていかなければなりません。

その際一番大切なことは、これは科学技術だけで解決するようなことではなく、人間の意識の問題であることを認識することが必要です

パラダイムを変化させねばなりません!

地球は人間を遥かに凌ぐ意識ある生命体です!

商業主義に取り込まれてしまったオリンピックに浮かれている場合ではないのです。

この連日の酷暑は地球が日本に警告を発しているのです。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


2016年8月 3日 (水)

ありのままの自分を受け入れる

以前友人のOSHOタロットで出てきたカードを解説してもらった後にインスピレーションとして湧いてきた言葉が、

「あるがままに身を任せ受け入れる。さすれば自ずと現れる。」です。

それを更にカードの意味等を含めて僕なりに理解したのが、

「去るもの追わず、来るもの拒まず。(善悪等)区別することなくあるがままを受け入れる。

母がこの分け与えるように、そして子が育って行くように、自然に共有し、創造していく。

そのプロセスを楽しみつつ、次なる世代へとつなげていく。」

ということでした。


それからしばらくして、仕事がうまくいかず、落ち込み、自信を失い、引きこもりになるかと思ったその時に気付いたことが、

「みんな頑張って生きている。」ということ。

世の中には誰が見ても頑張っており、そして活躍している人がいる。

けれども、そ反対の人、

恐怖に足がすくみ、動けなくなっている人、

自分自身に負けてしまう人、

誤った判断をしてしまう人もいる。

それでもみんな頑張って生きているということです。

だから人はお互いを支え、支え合うことが必要なのです。

ここまで気付きを得たのですが、それではいざ実践!といっても僕自身どう実践したらいいのか分からなかったのです。


けれども先日また新たな気付きを得ました。

それはまずは「ありのままの自分を受け入れる。」ということです。

僕はどちらかと言うと完璧主義です。

しかしその一方でズボラな自分がおり、更に最近は恐怖に負けている自分、動きたくても動けない自分、口だけとなってしまっている自分がおり、そんな自分を否定しようとして、矛盾に陥っている自分がいたのです。

そこで、ダメな自分、いいことをしたいと思う自分、嫌な自分、いい自分、ヨモダな自分、真面目な自分、それらありとあらゆる自分をひっくるめて受け入れてみようと思うのです。

そしてそんな僕を愛そうと思うのです。


自分自身を受け入れなければ、どんなに人を受け入れようとしても、そこには嘘があります。

それはまた新たな矛盾を生んでしまいます。

だからまずはありのままの自分を僕自身が受け入れる。

そこから始めようと思います。


新たな世界の始まりをを目前にして。



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~


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