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2015年11月

2015年11月25日 (水)

縄文夢想:たくましさと優しさに満ちあふれた人々

中学1年の時、社会の先生のあだ名は大ちゃんでした。大ちゃん先生は歴史の授業の際、生徒にその頃の状況がよく分かるようによく独り芝居をして当時の場面を再現していたのです。

「お~い、天気がいいから海に貝採りに行こや~!」

「お~い、今日は山に木の実採りに行かんか~?」

縄文時代の再現です。30年以上前の授業の様子が今も記憶に残っているのですから、いい先生だったのでしょう。(今はどうされているのでしょうか?)


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その芝居のせいか分かりませんが、縄文時代といえば、木の実を取りに行ったり、貝を採ったりと、その日の食べ物を野山に行って取ってくる、いわゆる狩猟採集の時代であり、そして堅穴式の住居に住んでおり、どちらかと言えば原始的生活を描いてしまいます。

縄文土器なども含め、彼らの生活全てにおいて原始的なものだと思っていました。おそらく現在も多くの人がそう思っているのではないでしょうか。

同時期アジア、ヨーロッパなどでは文明が栄え、善政が行われたり、哲学が追及されもしていたのに、日本は原始的なままで、随分と遅れていたのだなあ…などと思う人も多いことでしょう。私もそう思っていました。

ところが先日NHKの番組で、縄文時代の調査研究が進み、今や彼らの文化はこれまでの常識を覆し、世界的に見て独特であり、かつ最先端な生活であったことが明らかになり始めているそうです。


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(舞台は青森県にある三内丸山遺跡です。)縄文時代は今から15千年前から始まり、弥生時代まで1万年以上続く「持続可能」な社会を形成していたことが明らかになって来たのです。

これは世界各国(ヨーロッパ、アジア、中国)の文明がどれも長くて数百年の国家であり、常に争いが繰り返されるという歴史であったのに対して驚異的な長さです。

その生活様式は狩猟採集を基本としながらも、その地に定住する独特のものであったのです。


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世界が麦畑のような農耕により文明を発達させていく一方で、そのような農耕を拒否し、代わりに栗の木を植え、春は山に山菜を採りに行き、夏は海に魚を取りに行き(干物にして保存)、秋には植えて育った栗の実などを集め、冬は動物を狩りその肉を食べ、毛皮を取るという生活を送っていたと考えられるのです。

その生活実態は、日本の自然と共生した大変豊かなものであり、文化的にも優れていたのです。

早くから土器がつくられていたのですが、それらはおそらく世界で初の土器であり、そしてあの縄文土器の独特の模様は、自然の精霊をかたどったものであり、自然への畏敬の念が込められたものだと思われるのです。

土器を作り、煮炊きし、翡翠を加工して着飾り、更には漆を使うという文化を早くから発達させたのです。また自然を敬い、定期的に儀式を行い、神を崇めていたのです。

更には巨大な建造物や道路も建設され、そこには優れた測量技術・土木技術が使われていたのです。

それらのすぐれた技術を用いつつも、すべては自然の循環の範囲の中に納まるように生活することにより、集落を維持・発展させながら1万年という時代を(おそらく争うことなく)持続させてきたのです。

この先調査が進めばますますその生活実態が明らかになってくることでしょう。


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さてここからは私の想像となるのですが、彼らの生活はとても豊かに感じられるのです。

もちろん平均寿命は現在の半分にも満たない30歳ぐらい(?)でしかなかったことでしょう。

けれども中には60年、70年と生き続けるひともおり、その人たちは長老と呼ばれ、誰もから尊敬され、敬われていたことでしょう。

彼らはたとえ若くして死んだとしても、死んだらあの世に帰り、またこの地に戻ってくることを分かっていたのだと思うのです。

だから死をそれほど恐れていなかったのではないかとも思うのです。

そして現在のように精神的に追い詰められることもほとんどなく、毎日必要な労働だけを行い、そしてみんなで共に唄い踊っていたのだと思うのです。

ナントこの時代に既にお酒を造っていたような形跡もあるそうです。

 
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(時にお酒を飲みながら)炎を囲み子供たちに話しを聞かせ、あふれんばかりの星を眺めて果てしない宇宙を想像しながら、夢や希望を語っていたことでしょう。

それらがどのような内容のものであったのか想像もつきませんが、(その夢や希望は)現在とは全く違ったものだったことでしょう。


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目を閉じれば彼らの笑顔が思い浮かびます。そこには同時に逞しさと優しさにも充ち溢れています。

そして彼らは「お~い、一緒に山に山菜採りにいかんか~?」と笑顔で呼んでいるのです。





らいふーあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年11月18日 (水)

生きる原点を考えさせてくれる映画

先日「Lifersライファーズ 終身刑を超えて」 という映画の上映会に参加してきました。この映画はアメリカで殺人や強盗などの事件を起こし、終身刑を受けた人々の更生についてのドキュメンタリー映画です。


現在アメリカ合衆国には200万人の受刑者がおり、そのうち10万人以上が終身刑受刑者とのことです。そこで彼らの更生を目的としたアミティという民間団体が、受刑者に対して刑務所内で実施する更生プログラムの様子や、自分の犯した罪を反省し更生したことが認められ仮釈放となり、同団体が設立した社会復帰施設で生活する(元受刑者の)様子を撮影したものです。
 

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映画を見て分かったことは、受刑者の多くが子供の頃に性的虐待や暴力などを受け、その心の傷が修復できずいるのです。なぜならその心の傷の修復を手助けしてくれる人も環境もないからです。唯一その心の傷を埋め合わせてくれるものがドラッグやバイオレンスなのであり、そこに彼らは陥っていくのです。けれどもそれらは当然ながら一時的に和らげるものでしかありません。いつしか心が壊れてしまい、我を失くし、気がつけば事件を起こして刑務所へ収容されているのです。そして例え刑期を終え出所しても、刑務所内で心の傷は修復されることはないままなので、更には社会から疎外されるため、再び事件を起こし刑務所へ戻るという悪循環が繰り返されるのです。


そこで彼らの更生を促すために、刑務所内にアミティのカウンセラー(かつての受刑者)が入り、当事者同士のピュアカウンセリング等様々なセッションを通じて、自分自身のことや自分が犯したことの事実を振り返っていき、心の修復を図ろうとしているのです。その振り返る手順は、

 
①(事実を)受け止める

 
② (お互いが)支え合う

 
③ (何か・誰かの)役に立つ

この3つを順次行い、繰り返すことによって、反省を促すと同時に自分自身の客観的にみることによって心の修復を行っているのです。



この映画を見て私が思ったのは、彼らが更生していくために必要なことは、、

Ⅰ支えが(受け止めてくれる、あるいは支援してくれる人や機関)が必要なこと

 
Ⅱ(自分自身が)社会に役立つこと、役立てることを実感することが必要なこと

という2つのことです。そしてこの2つのことは私が現在考えている社会福祉に共通することなのです。


現在私が行っている福祉の仕事は、障がい者の支援ですが、私が彼らに必要と思うことは、

 
ⅰ)今ここにいるという価値(=存在価値)が認められること。

 
ⅱ)支え支えられ、何か(誰か)の役に立ち、それを実感し喜びを感じること。

 
ということなのです。変な言い方になってしまうかもしれませんが、映画の中の受刑者のカウンセリングと同じことなのです。


そこで思うことは、もしかするとこれら2つのこと、~存在価値が認められること。そして何か・誰かの役に立ち、喜びを感じること。~は、受刑者や障がい者にかかわりなく、すべての人間がこの世に存在し、生きていくということの原点の一つではないかということです。



私たち(一般?)の人間も、存在価値が認められなければ、生きていくのは辛く感じます。また何か・誰かの役に立ててこそ生きがいや喜びを感じることができます。そこにはどのような身分も経歴も関係ないのです。私たちはついつい日常生活の中でそのことを忘れてしまっているのではないでしょうか?


「ライファーズ 終身刑を超えて」 印象に残る映画でした。










らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年11月11日 (水)

移行期

 スピリチャルな世界では、2012年(2011年)の冬至を持って地球はアセンション(次元上昇)したと言われる。

それから3年(4年)が経過する。

世界は変わっただろうか?

一見すると何も変わっていないようにも思う。

人によっては想いが実現される速度が速くなったともいわれるが、それを実感できる人々はほんの一握りなのではないだろうか。

では全く変わりはしていないのかといえば、そうとも思えず、むしろ確かに変化は起こっていると思う。

例えば、かつて強大な力を持ち世界の警察と自負していたアメリカの力の低下。

特にこれまで世界を牛耳って来た戦争勢力の力の低下を感じずにはいられない。

一見すると世界は中東を中心にまだまだ争いばかりで混沌な状態に見える。

戦争勢力は悪あがきを続けており、イスラエル、そして日本のアベゾー一派(ネオコン追従派)を始め、今も第3次世界大戦を起こそうと次々仕掛けているが、それでもなおその力の衰えを感じずにはいられない。

彼らの悪事はどんどん表沙汰にされており、(ロシアのプーチン大統領を始め、)外交による解決を求める派(平和派)が結束しつつある。

そして世界はますますスピリチャルが勢いずいている。日本でもこの派の出版は盛んであり、ビジネス書の中にもスピリチャル性が入り込んできている。また科学も量子力学を始め、既存の科学では説明できないものとなっている。

その他にもアジアの歴史の調査研究も進み、その平和なシステム、統治法が明らかになりつつあり、それは西洋システムにも勝るものであったことが理解されつつある。

こうしてみると世界は2012年ごろを境にどんどん変わり始めているようにも思える。

では本当に移行しているのであるならば、これまでの生活スタイルのままでいるならば、そこにも軋みが生じてくるのではないだろうか?

なかなかそれを感じることはないけれど、その兆候として「お金」「金融システム」への不信感が徐々に広がりつつあるのだと思う。

例えば金の価格。

以前に比べ金の価格は高騰している。

金の価格が以前の5倍になったという。

これは裏を返せばお金への信頼度が5分の1となったと言えるのかもしれない。

またサスティナブル(持続可能)という言葉が言われ始め、企業においても経営の主眼にこの言葉が重要視されつつあり、経営の在り方が変わりつつある。

それが故に今大企業の不祥事(悪行)が表沙汰にされているのかもしれない。

そして何よりもこれまでの価値観を捨てて、地方で農業や自分のやりたいことを求める人が増えている。

高齢化社会を迎え、また団塊の世代が定年後の新たな生活を求め始めたこともそれを加速しているのだろうけれど、若い世代にも増えてきている。

その多くがぎりぎりの生活状態ではあるみたいだけれども、もしかするとこの人達こそ移行している人たちなのかもしれない。

こうしてみると人々の意識は徐々に変わりつつあるように思える。

唯一変れない(変わりたくない)のは、先にも書いたがネオコン追従一派を始め、権力の中枢にいると思っている人たちとそれに追随している人々なのかもしれない。

こうしてみるとあと数年もすれば大きく動き出すようにも思える。

バブル世代を始め、今もまだかつての時代(物資とエゴ)に固執している人々、そろそろ考え方を変化させた方がいいのかもしれませんよ。

新しい時代はすぐそこまで来ているのではないかと思うこのごろ。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~




2015年11月 4日 (水)

ありがとうのちから

祉の道を歩む人たちの動機は様々だと思います。先輩の話を聞いて進もうと思った人、おじいちゃんおばあちゃんにかわいがってもらったことから介護士を目指そうと思った人、あるいは障がいのある兄弟がいたことなど、それぞれきっかけがあることと思います。私が福祉の道を進もうと思ったきっかけは「ありがとう」の言葉からです。最初はお金儲けの不純な動機もありはしたのですが、「ありがとう」の響きに負けてしまいました。今回はそのお話をしたいと思います。


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代後半バックパッカーとしてオーストラリア・東南アジアを約4カ月かけ旅をしてきたのですが、それを終えて日本に戻ってきた際に「さて、これからどうしよう?」と考え始めました。その数年前から「経営コンサルタントになりたいなあ」と思っていたものの、これまで製造業で営業やメンテナンスしかしたことのない私がいきなりそうなれるものではありません。更に当時は住所不定、無職状態であり、まずは住処を何とかしなければと思い、行き着いた先が横浜であり、知人宅での居候生活でした。


居候先は自営業をしていたためその仕事を夜間は手伝っていたのですが、日中かなりの時間を持て余していたので時々近所にある釣り堀に行き魚を釣りながらボ~ッと時間を潰していました。釣りをしながらある時ふと周りを見渡すと壁の向こう側に「特別養護老人ホーム」という文字が壁に掲げられているのが目に入って来ました。


そういえばかつて友人が福祉の資格を取るので老人ホームに実習に行くって言ってたな~、とかつての友人との話しを思い出しました。暇だからどんなところか見にボランティアにでも行ってみようと思い、早速その特別養護老人ホームに電話し、ボランティアをさせて欲しい旨を伝えたのですが、「現在そのようなことは募集しておりません。」と断られてしまいました


現代ならば決して断られることはないのでしょうが、当時はまだ介護保険の制度もできておらず、まだまだ閉鎖的な場所だったのです。そのため「何だ、人の行為を!」と思いつつ、断られたものは仕方がないので、再びどうしよう?と考えながら近所を散歩をしていると、今度は市が運営する「養護老人ホーム」が目の前に現れたのです。ではここで!とボランティアを申し出たところ、今度は「いいですよ。」と承諾してもらえました。


けれどもそのころの私は養護老人ホームと特別養護老人ホームといっても何がどう違うかも分かっておらず、そもそも福祉というものさえよく分かっていない状態でした。まあ爺ちゃん、婆ちゃんが何かの事情でそこで暮らしているのだろうとぐらいしか思っていなかったのです。(今考えるといきなり最初に申し出た特別養護老人ホームに行っていたなら、福祉をやろうと思わなかったかも知れません。)


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それから養護老人ホームにボランティアに行き始めたのですが、そこで与えられた主な仕事は掃除でした。あとは話し相手であったり、たまに部屋まで車いすを押したり、おじいちゃんおばあちゃんの手をつないで部屋や食堂まで連れていくということでした。


そんなわけで特に大したことをするわけでもなく、ただ単におじいちゃん・おばあちゃんを部屋まで連れて行っただけなのですが、去り際にその方々から「ありがとう。」と言われたのです。


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そこで化学変化が起こったのです!

その「ありがとう」という言葉が何だかとても心地よく感じたのです。

企業で働いていた時も機械を修理したり、点検したりした後に、お客さんから「ありがとう」と言われていました。けれどもその「ありがとう」とは全然心への響き方が違っていたのです。

「この感覚は何!? 一体なぜ同じ『ありがとう』という言葉でもこんなに違うの?」

と思いつつ、その心地よさは日本に戻ってきて以来ずっとどんよりしていた私の心に火をつけたのです。それから約2週間私はその老人ホームにボランティアに通い、心地よい「ありがとう」に触れ続けたのです。


こんなに喜ばれて、また自分も気持ちいいならば福祉の世界で働くのもいいなあと思い始めたのです。「そうだ、福祉コンサルタントになろう!」と思い、それから十数年間私は現場で高齢者から「ありがとう」の言葉を聞き続けることになるのです。


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もし今あなたが企業で働いていて、私はここで一体何のために働いているのだろうと悩んでいるならば、福祉体験をしてみるのもいいかもしれません。介護業界や高齢者福祉といえば、安月給に、長時間労働、そしてその離職率の高さもなにかと話題となっていますが、そこにはそれら以外の別の価値があります。


上辺だけではない本当の人の優しさを感じることもできれば、人の死に向き合い、生の意味や人生の意味を考えさせてくれます。そして何よりも純粋に「ありがとう」という言葉に何か感じるかも知れません。まあもちろんヘタをすると罵声を浴びせられるかもしれないけれど、それはそれでまたご愛敬です。


らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

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