« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

2015年7月29日 (水)

フォルクローレ:人生は楽しむためにあるというメッセージ

先日フォルクローレのコンサートに行ってきました。フォルクローレとは、ラテンアメリカの民族音楽の総称のことです。当日はケーナとサンポーニャという楽器を演奏する人と、ギターを弾く人の2人の演奏だったのですが、演奏される曲は、誰もが知っている「コンドルは飛んでいく」からオリジナルの曲まで様々な曲が演奏され、どれも心にジ~ンと染入るものでした。


およそ1時間ちょっとのコンサートだったのですが、ラストに演奏された曲は、それがオリジナルなのか、昔からある曲なのか分からないのですが、とても明るくテンポの良い曲でした。体が自然に動いてしまいそうでした。そしてその曲が演奏されている時に私の頭の中にメッセージが飛び込んできたのです。


それは、「人生は楽しむためにある!」というものでした。


Photo_14


本来地球は充分なもの、あるいはそれ以上のものを人間に与えているのです。


ところが人間は地球の与える恵み以上のものを望んでしまいました。それが西洋思想であり、西洋の歴史であるのです。そしてその歴史とは搾取であり、搾取によって自分たちがあらん限りの贅を尽くすというものなのです。


その搾取の歴史として、私たちが一番よく知っているのは、奴隷制度や植民地政策です。現在これらは過去の歴史において起こったものとされていますが、その思想はしっかりと今も残っているのです。例えば外交です。現在の外交とは、いかに自国に有利な結果を交渉によって引き出すかという駆け引きとなっていいます。


外交にしろ、交渉にしろその本当の目的は、両者がWIN-WINになるようにするためのものです。けれども今も昔もWIN-LOSEのもとなっています。そして、その背後に見え隠れしているのが各国の「力」関係であり、「経済力」、もっと言えば「武力」そして、「脅し」であり、行き着く先は「戦争」です。



Photo_20


本来日本を始め、アメリカ大陸、南ノ島の国々、東南アジア共に十二分に恵まれた土地です。江戸時代の庶民は、それを十分に享受し、明るく楽しく暮らしていたのです。アメリカ大陸に住むネイティブアメリカンも自然の恵みを享受し、自然(聖霊)と共に生きていたのです。南の島々の国々の人びとも自然の恵みだけで十分に生きているだけのものを得ていたのです。


そのような環境のもとで暮らしていく中に音楽もありました。それは旋律に基づくものではなく、神への感謝であり、人間の生に対するの喜びでした。もちろんそこには突然の死を悲しむものもあれば、時には自然の恐ろしさも含まれています。すべての音楽は生活の中に溶け込んでいたのです。


Photo_15


ところが今や世界中が西洋的価値観に染まり、自分の欲望を満たすために、あらん限りに取ることをよしとするようになっています。与えられた範囲内で暮らしていくことなど過去のものとなってしまっているのです。


それを象徴するものがお金です。本来お金は良いものでも悪いものでもなく、人間の使い方次第なのですが、残念ながらそれが一つの権力の象徴と結び付けられるようになり、人々は手段を選ばずお金そのものを求めるようになってしまいました。


そしてその挙句の果てが、現在の地球環境であり、原発事故であり、テロです。これらは人間の強欲の結果引き起こされたものであり、このままでは人間は滅びるしかない状態になっています…。


Photo_19


と、このようなネガティブなことをコンサートが終わった後に考えてしまったのですが、そのサンポーニャの音とそのメロディは全くその逆で、今を楽しみ感謝して、そして「人生は生きるに十分値するものである」ということを感じさせてくれるものでした。


フォルクローレが、西洋人が金銀財宝の略奪のためにやって来る前からあった音楽なのか、その後に生まれたものか分かりません。けれども最後に演奏された曲の根底にあるものは、古の時代からあるも「喜び」そのものでした。


お互いがごちゃごちゃした、策略ばかりの世の中よりも、地球の与えてくれる恩恵の範囲内で精一杯楽しく生きる人生を選びたいものです。そんな世の中をつくっていきましょう!





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年7月22日 (水)

幻想

 かつて高齢者福祉の現場で働いていた頃、スーツ姿にあこがれた。毎日ジャージ姿でう〇子やシッ子にまみれていたから、自分もいつか出世して偉くなろうなんて思っていたこともあった。その象徴が(ジャージスタイルから)スーツ姿に変るということだった。

 それが気つけばここ数年間スーツ姿のことも多かった。コーディネーター業務を引き受け、交渉のため各地へ毎日スーツを着て車を走らせていた。(夏はクールビズでポロシャツだったけれど…。)

 ではかつての願いどおりにスーツ姿となり、それで満足したかというと、 答えはノーだった。全然しなかった。逆に今度はジャージ姿が懐かしくなり、現場姿こそが格好イイなどと思ったりもした。結局人間って「隣の芝生は青く見える」といわれるように、自分の持っていないものを羨ましく思ったり、欲しいと思ったりの生き物だと思えた。

 さて現在の自分といえば、時々スーツ姿にもなるが、普段はシャツに黒のジーパンのことが多い。(今はポロシャツにスラックス)。 そしてチャリンコを走らせローラーに出かけたり、あるいは打ち合わせに行ったりする。車を運転して行く時もあるけれど、それは雨の日、配達の日、もしくは急いでいる時など。それがいいとも悪いとも思わず、当たり前というか、ごく自然な姿。


 先日チャリンコで走っていると、ちょうど昼休みで会社から出てきたスーツ姿の6,7人の集団に遭遇した。みんなシャツにスラックス姿で、中にはポケットに手を入れ歩いている者もいた。午前中の仕事に一区切りつけ颯爽とした人たちだった。これからお昼を食べに何処かへ出かけるのだろう。

 けれども全然羨ましいと思わなかったし、また格好イイとも思わなかった。結局彼らが格好良く見えたのは、会社の力と西欧的価値観のせいなんだ。会社の仕事が彼らを力のある存在と思わせ、そして欧米諸国の世界を席巻した西洋文明、いわゆる「スーツ」が、それを以てスタンダード、あるいはエリートと思わせる。

 それだけなんだ。結局はスーツなんてただの借り着に過ぎない。そう見せているだけ。英国紳士の作り出したイメージでしかない。

 本等はそれ以上に必要なのは、自信と実力だ。日本の侍が外国に行き、そこで写した写真を見たことがある。ちょんまげに着物姿、それに刀を持った姿が撮影されているのだが、その姿は威風堂々としていた。欧米の進んだ科学文明社会の中でも、何もひけ劣らぬ威厳に満ちていた。

 さて現在の自分。自分で事業を立ち上げ1年2か月が過ぎた。まだまだ稼ぐことはできていないけれど、ようやく自分の中に幾ばくかの余裕と言うか、落ち着きが生じつつある。そして少しばかしの自信が芽生えつつある。自分の足で立っている自信。

 これこそが自分の求めていたものだと思う。この自信が実力を伴い本物となれば、つまりは成果を上げることができれば、どのような格好をしていようとも、堂々としていられるのではないかと思う。

 結局スーツ姿が格好イイというのは幻想だ。世間が作り上げたイメージだ。それよりも自分自身の中にある地に根付いた自信。これこそ大切なもの。

 スーツに身を包んだ羊よりも、自分の中にあるしっかりした自信。こちらを確実に築き上げたい。そう思う今日この頃である。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係り~もよろしくお願いします。



2015年7月15日 (水)

床下浸水から考える

 先日局地的豪雨に見舞われ、家が床下浸水となる事態に至った。実はその時僕はその時2階の仕事場でデスクワークに没頭しており、強い雨が降っているなと思いつつも、まさか家が水浸しになっているとは思ってもみなかった。

 大雨により家の近所を流れる川が氾濫し、付近一帯を水浸しにしたのだが、床下浸水となったのは生まれて初めての経験だった。時々ニュースで大雨による床下まで浸かった家を見て気の毒だなとは思いつつも、まさか自分の家がそのような状態になるとは!

 更にはその川に沿ってみかん畑がある。後から行ってみると、みかん畑は完全に水没したようで、みかんの木が泥だらけ。葉っぱの汚れや、枝に絡まったゴミなどを見るに、優に大人の腰の高さまで水が来たようだった。

 みかん畑の片づけをしている時思ったことがある。それは今回の床下浸水、そしてみかん畑の水没といい、人災ではないだろうかという事である。

 子供の頃一度だけ近所の川が氾濫したのを覚えている。かかとのところまで水浸しになり、面白がっていた覚えがある。けれども決して家まで水が来ることはなく、川付近だけで収まっていた。それが今回付近どころではなく辺り一帯に水があふれ、床下まで水がやって来た。

 地球温暖化・気候変動で日本にも局地的豪雨が襲うようになった。今回の雨もまさにそれで地域の観測史上最高の雨量だったそうだ。

 けれども床下浸水した原因はそれだけでもないように思う。かつて子供の頃家の近所には家がたくさんあったけれど、1,2分も歩けば田畑だった。それが今では田畑はほとんどなく密集した住宅街。かつての田んぼはアスファルトと家とコンクリに変えられた。

 昔のように田畑がたくさんあったときには大雨が降ったとしても、そこが雨を吸収あるいは貯める役割を担っていた。けれども今では雨は大地に吸収されることなくアスファルトの上を滑るように流れていく。豪雨故にその量も増した。その行先はかつての用水路であり、行き着く先は川だ。それ故に川は一挙に増水し、容量を超えて氾濫する。

 みかん畑は川に沿ってあるので、そこは低い。みかん畑の周りは家や倉庫で、そこは土地が高くされている。それ故に低地のみかん畑に水は集中し、あっという間に飲み込んだのだろう。以前のように田畑がたくさんあれば、いろいろな場所に分散され、これほどまでには至らなかったのではないだろうか。

 現在みかん畑のあるところは市街化区域とされている。その為固定資産税も高い。以前市役所の農地課を訪れた時、そのエリアは住宅街とされていることを聞かされた。暗にさっさと土地を宅地に変えてしまいなさいと言われているようだった。

 けれども僕にとってはこのみかん畑は大事な畑。そして今では何より住宅街にあるオアシスだと思っている。人々はみかんの木々に癒される。緑を見て、花のにおいを楽しみ、そしてオレンジの実を見て季節を感じ、心が穏やかになる。

 田んぼにしてもそう。この季節なら田植えも終わり、苗が日々成長していく。カエルの鳴き声を聞き、子どもたちは田にいるカブトエビやらオタマジャクシを捕まえて遊ぶ…。今では子供たちもそのようなことはしないのかもしれない。(できる環境もない…。)

 けれどもこうしてのどかな風景を住宅密集地に変えてしまい、災害が起こるようになったのは、ある意味日本のそして県や市の都市政策の失敗ではないかと思う。

 近隣のアパートの空室率は増えていく一方で、今でも畑は宅地化され、住宅やアパートが建てられていく。すべては人間の経済優先政策のツケが廻って来たものではないか?

 サスティナブル~持続可能性~こんなところからも考える必要があると思う。




 HP「らいふあーと~僕らは地球のお世話係り~」もよろしくお願いします。



2015年7月12日 (日)

現代版ローマ帝国の終焉

福島第一原発
 「福島第一原発廃炉のための核燃料回収が当初の予定より3年間遅れる」と公式発表。でもそれは現在のフクイチの状況は、いかに手が付けられないものであり、危険な状況にあるかを伝えている。ノット・アンダー・コントロール?

 地球規模で火山活動は活発化し、日本各地でも火山の噴火。地震も各地で発生し、大規模地震の発生確率も高まり、地震保険は値上げも決定され、自然災害への危機感は高まる一方。

 そのような状況の中、鹿児島の川内原発では核燃料の装填がなされ再稼働に向けての準備OK!その他の電力会社も、原発を停止していても電力は足りているのに、再稼働の必要性を訴え、その準備を進行中。更には未だに原発の増設に意欲を示す者も沢山。


国立競技場
 新国立競技場の建設費用2520億円。

 ちなみに
 京セラドーム大阪 696億円、日産スタジアム603億円、札幌ドーム537億円、福岡ヤフオクドーム480億円。
2016年リオ五輪440億円、2012年ロンドン五輪583億円、2008年北京五輪525億円、2004年アテネ五輪360億円。

 なんなんだ!このとてつもない金額。京セラドームの3倍以上。ロンドンや北京の4倍以上。何故こんなにも巨額の費用がかかるの?そんなものを建設する必要があるの?しかもプロジェクトのリーダーは不在の様相で、関係者の誰もが自分の責任ではない発言ばかり。下っ端の担当者が吊し上げられ困った顔して平謝り…。

 更には建設費用の捻出方法も未だ決まらないままGO! 結局行き着く先は国民負担の税金から?その後建てたら建てたで、維持費用も超巨額。

 日本の抱える債務1000兆円以上。削減削減と言いながら更に輪をかけ増加するのでは?待ち構えるは更なる増税?これって未来の負の遺産でしかない。一部の利権屋の懐を満たす以外のなにものでもないのでは?

安保法案(集団的自衛権)
 多くの憲法学者が憲法違反と指摘し。連れてきた御用学者まで憲法違反!反対運動が日増しに強くなる中、十分に議論の時間は割いたから、あとは内閣が決めるよ的勢い。どれだけ大勢が反対しようと内閣的には合憲だからね~。辺野古の基地移転も一緒かな?


 とまあ最近の政治経済を見るに、いかにこの国の政治家やエリート層が狂っているかということがよくわかる。戦後の米国の管理下で、日本骨抜き政策が続けられてきた70年の成果がこの状態。

 日々の生活は苦しくなっていると大半の日本人は感じながらも、文句を言わず「消費税を上げるのも仕方ないこと」と真面目に生きている。人々は放射能にさらされる中で、「大丈夫!安全ですから、安心して。お得な商品券あげるから、それを使って楽しんで。私たちの言う通りにすれば経済成長して、また豊かな時代がやって来ます。」という言葉に騙され続けている。

 それをいいことに政治家とエリート層と呼ばれる人たちはやりたい放題。(本当は命令されるがままかもしれないが…。)今さえ、自分さえよければそれでいい。メルトアウトしているのは彼らではないか。今この国で起こっていること、これぞローマ帝国終焉の現代版である。

 この先日本は国際管理下に置かれるという話もチラホラと…。一度はそうなった方がよいのかもしれない。

 怒りと共に何とも言えない感情が込み上げてきた…。

 甦れ、大和の国よ!

2015年7月 8日 (水)

日本の伝統である発酵生活を楽しむとともに、身を守りましょう!

1年以上前からお味噌は高知県四万十市の農家から買っています。1ヶ月ほど前そのお味噌を取り寄せたのですが、そのまま数日間放置していたら、お味噌が入ったナイロン袋がパンパンに膨れ上がっていました。いや~呼吸しているわ!と思ったのですが、道の駅などで売られているお味噌の袋には小さな穴があけられていますが、このためなのだと改めて思った次第です。お味噌は生きているのです!


数年前から自分で米のとぎ汁乳酸菌を作るのですが、こちらも放っておくといつしかペットボトルがパンパンになり、破裂するんじゃないのか!と思うまでになっていることがあります。それを見るたびに「こいつら生きているな~!微生物の力って本当に凄い!」と思わずにはいられません。


Photo_3


お味噌を始め、漬物、醤油、お酒など、日本(の伝統)食は発酵(食)文化であるとつくづく思うのですが、この発酵を担っているのが微生物です。それらは眼には見えませんが、きっと日本の気候風土が多様な微生物の棲家に適しているのでしょう。日本の気候風土に感謝です。


また最近腸内フローラという言葉がよく聞かれます。私たち人間の腸内には100種類以上100兆個以上もの細菌が生息しています。それぞれがまとまって腸内壁面に生息してまるでお花畑のようであるためにフローラと呼ばれます。まさに私たちは菌と共に生きているのです。


Photo_4


ところが現在スーパーで売られているお味噌や漬物などの発酵食品の多くは、(発酵が進んで)味が変わらないようにするために、保存料が使われています。いわゆる添加物によって微生物よる発酵が進むのを止めてしまっているのです。もっと言えば微生物が殺され、防腐剤が入れられているのです。


それらの添加物威力でいつまでたってもその食品は腐ることなく、味も変わらず、そのままの状態です。余談となりますが、日本人はたくさんの防腐剤を体にとりいれているお陰で、最近は死んでも以前のように腐敗が進まないという噂もあります…。(怖)


ところで先日お餅をもらったのですが、そのままテーブルの上に置いていたら、3日後カチカチになった上にカビだらけになっていました。(人間よりもお餅の方がカビが生える?)これが本当だと思うのです。けれども量販されているお餅はいつまでたっても柔らかなままで、カビが生えることもありません。これぞまさに防腐剤等の化学物質の威力です。


これって本当に良いことなのでしょうか?もっと言えば食べ物なのでしょうか?


Photo_8


かつての日本の一般家庭ではお味噌に、梅干し・漬物と沢山の発酵食品を自分の家で作っていました。その為その家にはその家独特の発酵菌が住んでいたといわれます。そしてそれがその家の味ともなっていたのでしょう。けれども今ではそうやって時間をかけて発酵食品をつくることもなくなり、作ったとしても市販されている「一夜漬けの素」を使用したお漬物となってしまいました…。(全国均一の味となりました…。)


また生活を見てみれば、現代の住宅は高気密、高断熱をうたい文句とし、随所に抗菌コートされたモノが取り入れられています。その上除菌剤・除菌スプレーで徹底的に菌を退治し、限りなく菌ゼロ空間に近づけようとしています。そしてそれこそが安心で快適な空間とされているようです。もうその家に住む発酵菌などどころではありません。(けれどもそれが故に逆に菌に対する抵抗力もどんどん低下中…!?


体外で除菌され、体内中で(保存料・防腐剤により)殺菌され、更には取り込まれるのは遺伝子を組み換えされた菌であったり、同じく遺伝子組み換えされた植物を加工した物です。中には殺虫遺伝子が組み込まれているトウモロコシからつくられたものもあります。


これでは細胞が異常にならない方がおかしいのではないかと思うのです。まともなものを食べていないのですから、がんになるのも当然でしょう。更に最近では放射能で追い打ちをかけられています…。


Photo_5


現代生活は忙しくて、料理などに手間暇かける時間がなくなっているのは分かります。けれどももうそろそろ一時的な便利さを追い求めるのをやめて、自然に合った生活を取り戻す時が来ているのではないでしょうか?手軽さや時短を求めれば、求めた分だけ化学物質が使用され、それが体内に取り込まれ、新たな病気を生み出していると思われます。その一番の犠牲となっているのが子供たちではないでしょうか?


今の子供たちを見てください。アトピー、アレルギー、そして発達障害etc…。子供たちは将来どうなるのでしょうか?


Photo_6


今一度暮らしのあり方を見直し、昔の人びとの知恵を学び、生活に取り入れ、暮らしを変えていきませんか?それこそが現代社会の中で身を守る方法だと思うのです。昔ながらの発酵食品をもう一度見直すとともに、私たち自身の「知恵」も発酵させていきましょう!

 



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年7月 1日 (水)

一念岩をも通す

 気がつけば自分で事業を立ち上げ1年以上が過ぎていた。

 始めは居候状態であったが、今では一応ひとり立ちし、主の身。けれども相変らず収入なしの金欠状態。記録更新中!(どうやって生きているのだろう?自分でも不思議…。)

 この状態「悪戦苦闘!」と言えるのだろうが、実は意外と本人のんびりしている。以前はどうしよう~と焦ってもいた時期もあったのだが、今ではなるようになる!との想い。ある意味開き直ったのか、それともようやくこのビジネス社会の中で落ち着きができてきたのか…。とにかく純粋に自分のやりたいことを自分のペースで楽しむ!との感覚で行っている。

 普通の人ならきっともっとうまくやって、人とのつながりもどんどん作り…と事業を進めていくのだろうけれど、自分の場合、人との付き合い下手、口下手、会話ができないなどなど(おそらく)発達障害状態なので、無理してもストレスで自分が参ってしまうだけ!(これまでがそうだった。)だから自分のペースでコツコツと!

 それでもいろいろな人の意見を参考に、自分の考えを少しずつ修正したり、企業の視点を取り入れたりして、事業の修正をしながら進めている。

 けれども当初からの想い「この社会をよくしたい!」「障がい者をもっと社会に出られるようにしたい!」との想いは変わることなく、ぶれることなく(~これだけはぶれさせない!~)、自分の持つ小さなつながりを頼りに細々とこの1年間続けてきた。

 そしたら最近少しずつだけれども、自分の望む方向に向いてきている、そんな気配を感じるようになった。自分の想いの卵の殻が破られ、ひよこが誕生するのではないか!?とそんな期待が持て始めた。

 このまま続けていけば、もしかするとまた一つ自分の夢が叶うのかもしれない。(ワクワク)

 いや~、きっと周りから見れば、あいつはトロトロして、一体何を考え、何をしているのだろうと思われているのだろう。でも自分がしたいのはビジネスじゃない!ビジネスの力を利用したいということ。そしてそれを通じて障がい者の支援をすること、社会をよくする(社会課題を解決する)こと。

 だから、きっとお金は後からついてくる!

 最近伊那食品工業代表取締役会長である塚越寛さんにはまっている。塚越さんの著作「リストラなしの『年輪経営』」の中に、「利益は健康な体から出るウンチ」であるという事が書かれている。ウンコは自然に出るもの。利益も同様。健全な体に健全なウンコあり!健全な事業に健全な利益あり。只今自分の食べたものは胃から腸へ移動したところ。この後いよいよ最終工程を得てウンコに!?

 いいウンコが出てきますように。

 いやいや願っちゃいけない。自然に出るものだから…。




HP「らいふあーと~僕らは地球のお世話係~」もよろしくお願いします。




« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »