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2015年6月

2015年6月24日 (水)

古典と現代人

 じいちゃんが亡くなってから毎晩お経を唱えている。予定では49日を終えるまでとしていたのだが、49日が過ぎた後もずっと唱えている。

 毎晩「理趣経」「観音経」「般若心経」を唱えている~(最近は参同契も加わった)~のだが、毎回唱えるたびにその経典に書かれている内容に圧倒される。

 理趣経など意味の分からないことだらけなのだが、かつてその内容が訳されたものを読んだのと、漢字や熟語の意味から毎回感じられるのは、生命の躍動、そして絶対見地から見た世界や平等について述べられており、その思想の大きさに圧倒される。

 観音経も同様に、信じることの力を永遠と述べており、意識の力を説いていることが分かる。そしてそれは現代科学(心理学や脳科学など)でもって、潜在意識などが明らかにされる中で、観音経の真実が証明されつつあるように思える。

 そして誰もがその名前は知っている「般若心経」。この世の真実、宇宙の実態、空と密の世界が展開されている。あの短さの中に絶対真実が詰め込まれているのだから驚愕せざるを得ない。

 これらどれもが1,000年以上前に書かれた「思想」や「哲学」であり、現代まで唱え続けられ、そして未来にも変わらずに唱え続けられるであろうことを考えると、何ともいえない気分になる。

 これらの経典以外にも、「論語」「マハーバーラタ」「ソクラテスの弁明」など、いわゆる「古典」と言われるものが、1000年の時を超えて読み継がれてきたこと、そしてそのような時代にそれだけの「真実」「不変なもの」について突き詰めていたことを考えると、現代人とは一体何なんだろうと考えざるを得ない。

 私たち現代人と呼ばれる者は、相も変わらず右往左往して生きている。全てエゴでもってゴタゴタを繰り返し、取った取られたの世界に生きている。それを思うと、果たして人間世界はこの1000年の間に進化・発展してきたのだろうか?疑問を持たざるを得ない。

 人間の寿命は延びたと言われるけれど、果たして本当に延びたのだろうか?無駄に生きて地球を破壊しているだけじゃないだろうか。地球上の生命の観点から見ると、その寿命は縮んでいるのかもしれない。

 社会は誰もがスピードを求めている。ビジネス界は言うまでもなく、福祉の世界までがスピードを上げている。けれどもそれらはすべて表面の世界の出来事、結局はエゴの世界の追求でしかないように思える。

 みんながみんな経典のようにその心理を突き詰めよ、奥深く求めるべきとは思わない。けれどもせめて本当の幸せとは何か、何が必要なのかをより多くの人が考え初め、そしてその勢力が大きくなれば、もう少し社会は変わってくるのではないかと思う。

 というわけで最近は「経典」という古典に、こてんぱんにやられております




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~もよろしくお願いします。




2015年6月17日 (水)

歯一本に意味がある

 夜お風呂から上がりまったり過ごしていると、突然口の中で舌に何かが当たった。舌と指を使って取り出してみると石のようなものが出てきた。

 何コレ?舌で歯を触ると下の前歯内側の付け根のところにポックリ穴が開いている。まさか!と思って鏡を見てみると、(なかなか見るのが難しいのだが)葉の付け根が空洞化している。

 歯が欠けちゃった!何故?

 しかも葉の付け根。こんなところ詰め物できないんじゃないの?もしかしてこの歯を抜いて差し歯にしないといけないの?

 嫌だ~。

 差し歯なんて無茶高価じゃないの?それよりも何もできれば自分の歯を残したい。

 ということで、以前から「保険外診療だけど、歯に対する考え方が素晴らしい」との噂を聞いていた自然歯科にメールで連絡を取る。

 そしたら診察可能とのことで、いざ自然歯科へ行く。

 診察の前に写真を撮ったり、歯に関する説明を受けるのだが、それはこれまでに聞いたことのないような話しだった。(ちなみに写真を撮るのは体や顔のバランスを見るためです。)

歯を削って痛いという事は
「それ以上削ると駄目になっちゃうよ」と言う派の命の叫び声です。
麻酔で歯を黙らせればいくらでも削れます。歯を殺すことなど簡単です。
神経を取れば神経の管に膿を持つようになるかもしれません。
神経を取れば枯れ木と同じで歯がもろく折れやすくなります。
被せるために大きく削れば自分の歯はどんどん無くなります。
被せれば自然の歯と固さが違うため、今度は骨が減り歯周病になります。
入れたものに噛み合わせの不調和があれば相対する歯が駄目になったり
噛み合わせが不安定になり歯も体も時間をかけて駄目になります。

歯の治療は歯の、体の気持ちに耳を傾けながら
掛け替えのない歯を大切にし、体のバランスを崩さないように
慎重に行うことが必要です。
(「自然歯科のすすめ」より)

 という事で説明を受けた後、実際の診察となり歯を見てもらうと、実は歯は欠けていなかった。歯に着いた歯石が落ちて穴が開いたように見えただけだった。

 それを聞いてひと安心し、それならばきれいに歯石除去をしてくれるのだろうと思ったところ、歯石にも意味があることを教えてもらった。自分の場合下の前歯三本が少し揺れる。(実際にその場で揺れを確認)この前歯3本を安定させるために歯石は付着しているとのこと。

 普通の歯科ならばここでその歯だけでなく全部の歯の歯石を除去をするのだが、その際ヘタをすると歯を痛めたり、歯茎から出血したりすることもある。うち(自然歯科で)は必要最小限の歯石を除去します。とのことで、欠落した歯石の周辺の歯石とリクエストしたところの部分と必要最小限の歯石を除去するにとどめてくれた。

 ところで歯石除去の前に左右の歯のかみ合わせのチェックをしたのだが、噛み合わせはとても良いらしい。ひと言「あまり歯医者には行ったことはないですか?」と尋ねられたのだが、実は高校以来ほとんど歯医者には行ったことがない。大学時代に1回、社会人になって2回の合計3回のみ。大学時代は歯が痛かったので、歯医者に行くと「虫歯じゃなく磨き方が足りないだけだ!」と叱られ歯石を除去された。社会人となっての2回はいずれも詰め物が外れたので、再度詰めてもらった。

 そのため歯をほとんどいじっていないので噛み合わせもよいらしい。さすが見る目のある人は分かる!もし歯医者に頻繁に通っている人なら噛み合わせはガタガタかも…。

 結局ほとんどの歯科医は診療報酬と言うお金のために必要以上に歯を削り、処置を施す。(もしかするとそれが当たり前と思って、あるいはその人にとって良かれと思って必要以上に削っている歯科医も多いのかも…。)
そしてそれが悪循環となり、再び歯科医を訪れなければならなくなったり、あるいは体の別のところが不調となる。下手をすると死につながるかも…。

 そんなわけで自然歯科の素晴しさを実感すると共に、歯を大切にしないといけないと改めて思った。

 人間の体はあらゆるところがつながっている。どの部分も大切にしなければなりません。

自然歯科さんについて詳しく知りたい方は、自然歯科さんのホームページをご覧ください。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~



2015年6月10日 (水)

直接援助と間接援助

 このところ久々に仕事で対人(直接)援助に関わっている。

 今回は障害者の一般企業への就労支援であり、以前やっていた高齢者福祉とは全く違うので分からないことだらけだ。その為いろいろと調べながら、相談しながら、制度の狭間を行くか、それとも制度を利用するかと頭を悩ませながら進めている。例えて言うならば、パズルのピースをひとつ一つ見比べながら組み立てているようだ。

 けれどもそれが実に楽しくて楽しくて仕方がない。

 嗚呼、自分てこんなことが大好きなんだ!と改めて実感している。

 ここ1年どうやってお金を稼ぐかってことで(頭を悩ませ、)試行錯誤の連続だったのだが、その悩みとは全く次元の違う試行錯誤を楽しんでいる。またこの数年は人への直接援助ではなく、当事者とは直接かかわることのない間接援助を行ってきたので、久々にじかにこの人(とその家族)のために動いているということが実感できその有意義さを味わっている。

 ということで楽しみながら自分のできる限りを尽くそうと思っているのだが、今自分が行っている支援は、本人と家族の自立と自己実現のための選択肢をひとつ増やしているという想いなので、最終的に自分が提示した援助が本人家族に選ばれようと選ばれまいとどちらでも構わない。

 一番大切なのは本人と家族がベストと思えることが選択されること。(本人の将来ベストとなれば一番良いのだが…。)

 自立を支援し、その人の幸せに一歩近づけること。それができることが自分にとっての幸せ。その人が喜んでくれる姿が見られたならば一番うれしい。

 けれどもこの支援が終わると、再びお金を稼ぐことの試行錯誤が始まる。純粋に対人援助に専念することができればいいのだが、直接援助では自分が支援できる人には限りがある。 

 今回はより多くの人々が、幸せを感じることのできる基盤(仕組み)を作ること。

 そのことを理解してくれる人はまだまだ少ない。なんせ公共的なことにも関わらず、国(税金)に頼らずに社会の理解を促しながら進めていこうとしているのだから。周りからそれでどうやって食べていけるの?と聞かれる。それに対して「なんとかなるんじゃないの?」としか答えるしかない。

 まだまだ先は不透明。それでも何故かその方向に向かっている。それも(人からいくらスピード感がないと言われようと)自分のペースで行っている。自分でも論理的には分からないけれど、きっと直観的にあるいは魂的にその先には光があることを感じているのではないかと思う。

 だから崖っぷち綱渡り状態ではあるけれどこのまま進みます!

 ちなみに先日友人から今度(知り合いの)霊能力者に会うから何か尋ねたいことがあれば聞いてあげるよと言われたので、自分の今行っている仕事について訊いてみてもらったところ、

「天職です。そのまま続けて下さい。けれども今あなたの周りにお金の神様はいません。」

と答えが返って来たそうだ。もうしばらく崖っぷちが続くのかな???

 もうしばらくこのスリルを楽しむしかない!




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~もよろしくお願いします。



2015年6月 3日 (水)

タヌキと人間

 先日車で山の中を走行していた時のこと。少し傾斜のきつい坂道を上り切ろうとしていたその時前方に何かが動いた。よく見ると数メートル先でタヌキが道路上でヨロヨロしながらくるっと一回転しそのまま道路に横たわった。その周辺は赤い血が…。慌てて車のハンドルを切り何とかそのタヌキを避けることができた。後続の車も同じく慌ててハンドルを切っていた。

 おそらくタヌキは道路を横切ろうと飛び出したところを車にはねられたのだろう。そしてあの場所で間もなく息絶えてしまうのだろう。まさに死ぬ瞬間を見てしまった。どうすることもしてやれなかった…。

 その道は初めて通る道路だったのだが、山を切り拓き作られた2車線道路。アップダウンはあるものの比較的真っ直ぐに続く道路。その両側の斜面は十数メートルコンクリートで塗り固められており、その上は木でおおわれている。そんな風景がずっと続いていた。

 タヌキを見た後その両側をコンクリで塗り固められた道路を走っている間、何だか全て人間の便利さのために自然がいじられ破壊されているとしか思えなかった。タヌキや小動物の住める場所はどんどん狭められていく。この道は数十年前まではあったとしても車がやっと一台通れるグニャグニャ道路だっただろう。それならタヌキもまだ自由に行き来できただろう。まだ十分にタヌキが住める山間地帯だっただろう。けれども今のようになっては完全にタヌキの棲家が分断されたと言っていいだろう。タヌキにとっては随分行動が制限され棲みにくくなったことだろう。

 車を走らせながら、思考の対象はタヌキから人間に変って行った。そしてコンクリに囲まれた道路の印象から、人間は便利さを追求しすぎて却って息苦しくなってしまっているのではないかと思い始めた。便利さを求めた結果地方の過疎化は進み、一方都市部ではその逆に極度の過密化が進んだ。一カ所に集中する一方で、他方はどんどんすたれていく。

 更には今やグローバル化がどんどん進み、世界中で過当競争にさらされている。お金は局所にどんどん吸い上げられ、日本という国の中でもかつては国民すべて中流だったのが、いまや経済格差は広がる一方。

 これほどまで交通網・物流網が発達する前は、地域で経済は循環し、人々は地域の中にあるものを売買し、それで生活が成り立っていたのだ。ところが経済範囲の拡大とともに、地域の小規模商店は追いやられ、大規模店が軒を並べるようになった。その為どこへ行っても見慣れた色と柄の店が立ち並ぶ。もちろん中の商品もどこへ行っても同じ。その中で人々はコンピューターに管理されながら、マニュアルに沿って仕事をしている。

 経済の自由化をエゴのまま進めていった結果、人間の自由は狭められてしまったのではないだろうか?言論統制は強められ、そして今度はマイナンバーですべてが番号で管理されようとしている。行き過ぎてしまったのだ!

 タヌキの生活圏は狭められ住みにくくなったように、人間も実は随分と住みにくくなってしまった。放射能吸いながら生きなきゃならないし…。

 交通網の発達であちこち行きやすくなったのはいいけれど、もう一度小さな範囲で自然と共にある生活を見直すのもよいのではないだろうか?

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