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2015年5月

2015年5月27日 (水)

過去世にまつわる話(その②)

テレビでマジシャンたちが数々の技を披露しています。ビンの中のものを取り出したり、ガラスの向こうにあるモノを消してしまったりと、ただただ驚くばかりです。けれどもそれらにはどこかに仕掛けがあり、それを私たちは(全くというほど)気が付けずにいます。時々種明かしの番組を見ると、「あ~、何だ、そうなのか!?」とそのからくりは驚くほど単純であったりします。


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前回とある不動尊の住職にヨガをしてもらい、そこで過去世を引き出してもらい始めたことを書きました。実は私はのちに住職が別の人の過去世を引き出すところを何度か見たことがあります。その時何か催眠術でもかけているのではないかと思い住職の一挙一動を注意してみていたのですが、いつものように般若心経を唱えた後、その人にごく普通に話しかけると、その人の手が動いたり、あるいはしゃべり始めたりと、どこかに特別な仕掛けがあるようには全く思えなかったのです。



さて相変わらず言葉を発すことはないままだったのですが、住職からいつも言葉に出しなさいと言われていると、約1年後たどたどしいながらひと言、ふたこと言葉が出るようになってきました。けれどもやはり大半は手や体によるジェスチャーで表現することがほとんどでした。そしてジェスチャー中に何度か喉を押さえるような仕草をしていました。


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年以上前、まだ大和朝廷もできていない頃、列島では様々な部族(移民)が争い、領土を拡大し統一しようとしていました。その中に法の力(真理の力)でもって国をまとめようとしていた部族王がいました。その王は次第に勢力を拡大していくのですが、年齢を重ねていくうちに、体力も衰え始め、その願いを後代の者に託すことにしました。


その部族王(以降老師と呼びます)と妻は奈良に隠居を構え、そこで各地からの便りを聞きながら、統一という悲願を叶えようとしていました。隠居には老師夫妻に仕えるひとりの若者がいました。その若者はかつて老師に拾われ、育てられ、いつしか同じように列島が統一される日のことを夢見ていました。けれどもその若者は老師から隠居にいること命ぜられ、老師夫婦の晩年のお世話を行っていました。本来ならば前線に行き他の仲間と共に戦いたかったのですが、拾われた恩もあり、それを言い出すこともなく、老師夫妻のお世話役の長として数名のものを従え、夫妻に仕えていました。


ある時、その若者は(仲間?敵方の?)ひとりの男に話を持ち掛けられます。その者との話の中で、若者は前線に出たいというこれまで心の奥に隠し続けていた欲望を掻き立てられます。そしてついつい彼の話に乗せられ、とうとうある夜(?)彼を隠居の中に導いてしまうのです。


若者は彼を隠居に導いた後に、これで前線に出られるという喜びと同時に、何か後ろめたいことをしたのではないかという罪の意識を感じ、思わずその場から逃げ出してしまいます。そして若者が逃げていなくなった間に隠居の中で起こったことは…。


しばらくして若者は、自分がとんでもないことをしでかしたのではないかと改めて思い、恐る恐る隠居に戻ってきます。そしてそこで彼が目にした光景は、無残にも切り殺された自分の妻を始め、隠居で世話をしていた者たち。そして奥の部屋で見たのは、血みどろになって倒れている老師夫妻の姿だったのです。


老師夫妻の姿を見た若者は、叫び声を上げると同時に、強烈な後悔と罪の意識にさいなまれます。晩年の老師夫妻の面倒を見るということを投げ出し、前線に出るということをついつい夢見てしまったばかりに…。そして若者は自分の行った行為とその無責任さに耐え切れず、ついに自害をします。腹を切ると同時に、自分で喉を刃物で掻き切り、死んでいったのです。

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住職に言われた通りにしていると、まるで私はあらゆるものを突き抜け、奈落の底に落ちていく感覚を味わいました。真っ暗な中、嗚呼これが地獄に落ちるという感覚なのか…、そう思いました。


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以降その男はその時の後悔と罪の意識がカルマとなり、生まれてくるたびに、そのカルマの精算を課題として、僧となり真理を求め、人々を救うことに人生を費やしていくのです。(けれどもその度失敗を繰り返すのです…。)


と、そのようなことがヨガの中で表現されて、読み解かれていったのですが、私が介護の仕事で、何故普通の人以上に一生懸命になって働いていたかの理由はそのようなところにあったのです。そして介護を始めて10年目。初めて満足いく看取りができたと思うと同時に、私の背中は何かから解放されるように軽くなったのです。そしてこの先もっと自由にしてよいものだと感じられ、遂に介護の仕事も終えることにしたのです。


それと同時に私はそのお寺を訪ねることをやめました。その理由は私自身にも分からりません。何となくもうそこへ行く必要がないと感じられたのです。その為そのお寺が今もあるのかどうか、たとえあったとしてもその住職が今もそこにいるのかどうかも分かりません。


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この世界に生まれてくる理由のひとつは、これまでの(前世での)カルマを解消するためともいわれます。私たちは何度も何度も生まれ変わり、課題のひとつであるカルマの解消を目指します。けれどもカルマだけに何度も、何度も同じこと、同じ過ちを繰り返してもしまいます。それでも天はカルマの解消がなされるのを、ずっと粘り強く、見守ってくださっています。小手先の手品ではなく、あなたの実際の人生の中でそれが達成される日を願ってくれているのです。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

 

2015年5月20日 (水)

過去世にまつわる話(その1)

占いで「過去世ではあなたは○○でした。」などと言われたことがある人も多いと思います。あなたは中世ではヨーロッパの貴族でしたとか、鎌倉時代に武士で殺されましたなど、そういわれると自分の中にそれらしき習慣のようなものを感じたり、なんとなく思い当たるようなものがと思ったりもします。それを信じようが信じまいが、どちらにしろ人は過去世を言われると大なり小なり興味を持つのではないでしょうか。


さて、四国のとある山の中に小さな不動尊(不動明王像を祀ったお寺)があります。そこへかつてほぼ毎月通っていたことがあるのですが、今回はその理由を含めて、過去世にまつわる話しを書きます。


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もう10年以上前のこととなるのですが、とある地図を見ていると、山の中に不動尊があるのを見つけました。その不動尊は普通の地図には載っていないのですが、その地図には卍マークと共に掲載されていたのです。すると何故かそこを訪れなければならないと思い始め、ある時何かに憑りつかれたようにそこを目指しました。その不動尊への道は途中から山道となり、細い道を滑るように坂道を下り、遂にその場所へたどり着きました。着いたとたんに「ここだ!」と感じると同時に、何故か涙があふれ出たのです。


そのお寺のお堂2箇所で般若心経を唱えた後、周りを見渡すと、夕方前で雨も降り始めたということもあり誰もいませんでした。本堂近くに母屋のような家があったのですが、そこも物静かです。誰かいないか探してみたものの、誰もいそうもないので、しばらくしてその日はその場を立ち去りました。


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それから数年後、そのお寺のことを思い出し再び訪れました。すると今度はそのお寺の住職さんが庭で作業をしていました。そこで声をかけ、かつてここを訪れた際涙を流したことを話すと、住職は興味を持たれたのか、(説法)部屋にあげてくれ、様々な仏教についての講義(解釈)をしてくださりました。残念ながらその講義はかなりレベルが高いものであり、ほとんど理解することができなかったのですが、それはこれまでに聞いたことのない独特な解釈をされたものでした。そして一連の説法が終わると、住職からヨガをやってみないかと言われので、「はい」と頷き、住職とそのお連れの方と一緒に本堂を訪れました。


本堂で正座し、目を閉じ、般若心経をみんなで一緒に唱え、その後も目をずっと閉じていました。そして住職から「あなたはどなたですか?」と声をかけられると、始めは何もなかったのですが、しばらくすると体が勝手に動き出したのです。その動きは最初は小さく首がゆっくりと動く程度であったのですが、徐々に大きくなり、最後は腰からグルグルとまるで鎌首を上げた蛇が体を回すように大きくなっていったのです。


住職は再び「あなたはどなたですか?」声をかけてきました。けれどもその質問に声を出して答えることはなく、時に頷くことはあっても、ただ体をグルグルと回すばかりです。更に住職が質問を投げかけると、今度はボロボロと涙を流し始めたのです。まるで子供がぐずるように鼻水まで垂らしながらボロボロと泣き続けるのです。


しばらく住職との問答が続くのですが、それに対して声を出して答えることはなく、ただ体を回したり、泣いたり、手をジェスチャーのように動かすだけでした。そのジェスチャーを住職は読み取って次々と質問をしていきました。そしてどの位の時間が経ったのか分からりませんが、問答(ヨガ)が終わったのです。


一体私はどうしてしまったのでしょうか?意識はありました。けれどもその間何か別の私が私の体の中におり、それら一連の動作を行っていたのです。一体何が起こったのでしょうか!?まるできつねにつままれたような時でした。


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本来ならとても気味の悪い出来事なのですが、私はその体験に異常に興味を持ちました。それから12か月に1度そこを訪れるようになり、お寺の掃除をして、その後仏教講義を聞き、最後にヨガを受けるようになりました。(住職の都合でヨガをしてもらえない時もあったのですが…。)


ヨガの最中いくら住職らが何かを尋ねられて言葉に出しなさいと言われても、相変わらず喋ることはなく、頷いたり、ジェスチャーを繰り返したりするばかりなのです。時に両手を天高く突き上げることもあれば、床にひれ伏すように礼拝することもあります。ある時は体を後ろに倒れるか如くにのけぞらせたり、時に涙を流したりと、そんなことが続いたのです。


実はその住職がされたヨガは、過去世の自分を引き出すものだったのです。それがその住職の能力によるものか、その場所がそのようにさせるのか分かりませんが、住職の問いに対し、私はジェスチャーでその問いに答え、段々と遠く1000年以上前の過去世が明らかにされていったのです。


ちなみに初回に体をグルグルと動かしたのは、自分の中の獣の部分、私の場合は蛇が出てきたそうです。蛇以外にも人によっては狐や狸などが出てきたりすることもあるそうです。


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占い師が、生年月日や名前、あるいはカードなどを見て、過去世を一方的に言って行くのではなく、その住職の問いかけに(ジェスチャーで)応えながら、過去世が明らかにされていくのでした。催眠術か何かにかかったのでしょうか?それとも密教者の呪術というものなのでしょうか? そうして私は過去世の私を知ることとなるのです。



(以下次回へ




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2015年5月13日 (水)

前世も含めて考えてみれば答えが出てくる

人はそれぞれ過去世を持っています。古い魂になるとこれまでに何千回も生まれ変わっているでしょうし、なおかつ地球以外の星からやって来たという人もいるでしょう。もちろん中にはこれまでに数回しか生まれ変わっていないという若い魂もあるでしょうし、地球には今回が初めてという人もいます。それでも往々にしてみな知らず知らずのうちに過去世の癖(?)が今世にも出ていたりします。


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最近思うことの一つに、人は30代以降に行っていること、あるいは興味を持っていることが、実は前世と関わりがあるのではないかということです。10代、20代は身体的にも成長期であり、今世の流行を追うことで一生懸命であり、外のものを中に取り入れ、今世の自分の基礎をつくることに当てられているのですが、30代以降はある程度成熟し、今度は自分の中にあるものが知らず知らずのうちに外に出ていくこととなり、実はそれは前世に関わるものであること、自分のカルマや使命に関わることが出てきているのではないかと思うのです。


勿論人によっては子供のころから前世から引き継いだ才能を発揮し(大)活躍する人もいます。例えばスポーツ選手などがそうでしょう。スポーツ界において卓球選手やスケートの選手などは現在10代から20代前半が主力であり、20代後半ごろに引退ということも多いようです。その人たちは前世でも体を動かしたり、俊敏さを要求されたりするようなことをしていたのだと思います。けれどもやはり彼らも引退後(30代以降)の仕事や興味あるモノ、あるいは引退後の生活の中に前世が関わっているものと思います。特に前世からのカルマ、あるいは今世で行うべき使命に関係していると思われるのです。


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私の場合、前世は仏教です。私の前世は間違いなく坊主(僧侶)だったと思います。30代から急速に仏教に関心を持ち始め、始めは禅から入り、そこからどんどんとのめり込み、密教を学び、遂には空海さんに一番近いと思える人の下へ修行をしに行くこととなります。それらを総合すると同時に、現在の私の思考形態を考えると僧侶以外にありえないのです。また身近にいる人々を見てみると、この人の前世は僧侶だったのだろうなと思えるような人が結構いたりします。袖触れ合うも多生の縁といいますから、きっと前世のどこかで縁があったものと思うのです。


ではなぜ今世は僧侶でないのかと言われると、ひとことで言えば、現在の仏教は形式仏教(葬式仏教)となってしまい、仏教の本来の目的が形骸化してしまったためとしか言いようがありません。仏教の本来の目的とは、大抵の人は悟りを開くことと思いがちですが、本当は自己の確立、人々の救済、人生の道標であると言えます。それともうひとつ、これは仏教だけに限らないのですが、生活(人生)の創造でもあるのです。残念ながら現在の仏教にはこれらがほとんどありません。それどころかお金儲けの手段となっていることも多いのが現状です。そういうわけで私は、今世は僧侶ではなく、現在それが最も可能と思われる(社会)福祉の道を選んだのだと思うのです。福祉の追求とは、(仏教徒時代と同じで)人を救うこと、前世からのカルマの解消であり、人生の創造でもあるのです。


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ところで孔子は論語・為政編に、30にして立つ「而立」、40にして迷わず「不惑」、50にして天命を知る「知命」、と書いています。30にして自信を持ち自立し、40にして迷いがなくなった。そして50にして自分の(天から授かった)自分の真の使命が何であるかを知ったのです。あの聖人君子の孔子でさえ、自分の使命が何であるかを知るのに50年という年月を要したのです。


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現代は迷いの時代です。40代、50代であっても平気でリストラされます。その為将来について迷いもします。もし自分が本当にすべきことは何なのか、これから何をしていけばよいのか分からないというのならば、自分のこれまでの過去を振り返ると同時に、今一番何に興味を持ち、ウズウズしているか(するか)を考えてみると、あるいは自分の周りにどのような人々がいるかを見てみると、そこには前世のヒントがあります。それを参考にして自分が何をするのがよいのかを考えてみるとよいのではないでしょうか?それが天職にも近づく一番の方法だと思います。


そして今世における自分の使命は何か、解消すべき課題は何かを知りたいならば、同時にそのことを念じ続けてみることです。そうすると必ずある日どこかでそのヒントも降りてきます。例えもしそれが分からなくとも、現代ほど人を惑わすものが少ない時代に生きた聖人君子も天命知るまでに50年を要したと思えば、当時の人たちよりも倍近く生きる今の時代ですから焦らなくてもよいと思えるようになるのではないでしょうか?


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心を落ち着け、前世も含めて振り返ってみて下さい。未来がゆっくり見えてきます。





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

 

2015年5月 6日 (水)

若者よ大志を抱け

先日引きこもりから抜け出そうとする若者たちの前で話をする機会を頂いた。

僕のこれまでの人生を振り返り、ありのままを話してきた。

およそ80分間に渡り話しをしたのだが、長時間話すのは初めてのことであり、途中から声が出なくなってしまった…。

自分としては70点ぐらいの出来栄えだったのだが、参加者の1人でも頑張ろうという気になってくれる若者がいたなら有難い。


また今回福祉学科に属している大学生とコラボする企画も採用され、次回ゼミ生に向けて話をする機会も頂いた。

こちらもありのままを熱く語ってくるつもりだ。

(今度は声をからさないよう、水分補給もしながら…。)

どちらも若者向け。

自分の経験や現在行っていることが少しでも若者の役に立つならば有難いこと。


思い返せば5年ほど前に見た光景。

大学を卒業した若者が父親と一緒に資格を取るための学校を訪れ、公務員試験対策講座の説明を受けていた。

それを見て、大学を卒業した後も自分で進路を決められないのかと思った。

同時に地方公務員となるために講座を受けるなんて、大学で一体何をしてきたのだろうと思った。

その疑問がきっかけとなり若者への関心を抱くこととなった。


あれから5年。

ようやく念願かない若者への支援活動ができ始めた。

思い続ければ叶うものだ。

僕の経験や思いが少しでも若者の心を動かし、夢に向かって行動する人が出てくれたならば、これまた自分の夢もまた叶う。

今度は若者(学生)に負けないように、情熱で圧倒しよう。

その為にも仕事を前進させねば!

そこが大切!であり、課題・・・(悩)。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~もよろしくお願いします。(未だにHPビルダーバージョンですが…。)


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