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2015年4月 1日 (水)

悟りへの道

Kさんの葬儀に参列した。

実はKさんとはこれまでに3度しか会ったことがない。

しかもまともに話をしたのは1度のみ。

1か月半ほど前のことだった。

けれどもその際Kさんとの不思議な縁を感じた。


Kさんとじっくり話をしたのは病院のデイルーム。

その時Kさんは癌のため再入院し、手術受けしばらく経ったときだった。

この日Kさんに会いに行くことを決めたのは急だった。

その日は雨降りの日曜日。

午後急に「Kさんのお見舞いに行かなかきゃ!」と思い、車を走らせた。


予想したことではあったが、Kさんは以前お会いした時よりも随分表情が変わっていた。

病室で最初Kさんを見た時、何だかゾクッと来た。

またあの感覚がよみがえるのか?と思った。(この件は後日また)


そしてこれもまた予想していたことだが、Kさんは最初僕が誰だか分からなかった。

けれどもこれまで2度会った時のことをひと言告げるとすぐに思い出された。

それからこれまでのことを含め、様々な話題を小一時間ほど話した。


病室を出て家に帰る途中、ずっと今回お見舞いに行ったのは、(魂レベルで)呼ばれたからだなと思った。


あれから1か月半、Kさんが亡くなられたことを知った。


Kさんに呼ばれたのはなぜだろう?

告別式の間、ずっとKさんとの縁について考えていた。


葬儀の時初めて知ったのだが、Kさんはチベット仏教だった。

インドに行き、お釈迦様の聖地を訪れたこともある信仰心の厚い人だったらしい。

それでまずひとつの答えが出た。


僕もかなり信仰心はある方。

僕の場合、仏教全般、特に空海。

故に真言密教。

そこでひとつつながった。

同じ仏教繋がり、密教繋がり。


それから病院でKさんと話をしたことを思い出した。

プライベートなこと、友人のこと、仕事のこと、そしてソーシャルな話題。

特にソーシャルな面でいろいろと意見を交わし合った。


思えばKさんとは全く同じではないけれど、(仏教をベースに)同じような理想を描いていたのだ。

理想的な社会(のあり方)を描いていたのだ。

きっとKさんはそのことを感じていたのだと思った。


告別式の間、嗚呼Kさんがこの場所にいるなと感じた。

全てを受け入れたKさん。

そして式の最期心の中にあることが浮かんだ。


自分の描いた理想の道を往きなさい。

(他人から何を言われようと、)ぶれることなく往きなさい。

それが悟りへの(一番の)道。


Kさんが僕に教えようとしたことはこれだと思った。


Kさんも僕も同じように悟りを求めていたのだ。

そして迷ってばかりの僕にアドバイスをくれたのだ。

Kさんとの縁がつながった。


Kさんのご冥福をお祈りいたします。

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