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2015年4月

2015年4月29日 (水)

じいちゃんとみかん

みかんの花咲く季節がやって来た。

今年はじいちゃんにその花を見せて、その香りを楽しませてやることができないのが悲しい…。

それでも今年もみかんの木々はつぼみをたくさんつけており、あまりにつぼみが多いので、取り除いてやるほどだ。

これから数日の間で白い花をどんどん咲かせていくことだろう。

僕はいつも思うことがある。

それは今ではすっかり住宅街となってしまった地域の中で、このみかん畑はとても貴重ではないかということ。

特にこの季節みかんの花の香りが、みかん畑から離れた場所からでも漂っている。

ほんのりとしたその香りが一体どれだけの人の心を癒しているかと思うと、その価値は計り知れないほどのもだと思うのだ。

近代住宅が立ち並ぶ中でほんのりと甘い香りが漂い始め、更に進んでいくと、白い花を咲かせたみかん畑が現れる。

みかんの木々だけではない。

モンシロチョウにアゲハチョウ、そしてミツバチが飛び交うみかん畑。

ここは地域のパラダイス!

想像するだけでも心が癒される。

そして見た目には分からないかもしれないけれど、無農薬、無化学肥料のみかん畑。

時々散布するのは、木酢を薄めたものか、オリジナルの微生物培養液。

だから安全・安心なみかんになろうとしている。

農薬をやめてはや4年。

枯れてしまった木も多いけれど、今年はどことなく息を吹き返しているみかんの木が増えている気もする。

今年は僕が理想としている「安全・安心、そして元気の出るみかん」に一歩近づけるのではないかと思う。

じいちゃんが亡くなって2週間。

じいちゃんにはそのみかん(いよかん)を食べさせることができなかったけれど、きっとそれを見守ってくれていることだろう。

今日は天気がいいので、その姿形は見えないけれど玄関先に腰を下ろし、日向ぼっこをしながら、みかん畑を眺めているだろう。

じいちゃんに会って来よう。




らいふあーと~僕らは地球のお世話係~もよろしくお願いします。

2015年4月22日 (水)

ネガティブキャンペーン

ここ数日悪い想いに囚われている。

船瀬俊介さんの「日本の真相2」を読んだせいもある。飯山一郎さんのブログを読んでいるせいもある。それ以外にもいくつかの情報等から判断して、

現在の日本は危機的状況にあるんじゃないだろうか?

本当は終わっているのでは?

そんな想いでここ数日間を過ごしている。


政治…現在の政治(国政)をひとことで言えば、「嘘と戦争」と言えるのではないだろうか?

再び軍隊を持ち(すでにわが軍と言っているが…)、いつでも戦争ができる体制にしたくてたまらない現政権。憲法改正行うための数々の布石。

そして選挙も金融政策も原発政策も嘘だらけ…。ウソ、ウソ、ウソで塗り固められている。そして権力とお金の力でメディアを抑え込む。沖縄県への態度がすべてを物語る。

あまりにひどすぎる!(それに対して何もできない私たち…。)

それが今の政治(国政)


金融…本当はすでに崩壊しているのではないだろうか?

株価2万円というけれど、誰もが認める官制相場。年金基金など国民の資産をつぎ込み、維持させているだけ。ある日国民はスッカラカン。

経済も日銀のジャブジャブ政策、そして大企業への優遇措置により、株価と共に経済が上向いていることを見せかけるのに必死。

待ち受けるのは官制バブルの大暴落。

その時一体この国はどうなるのだろう?


日本人…総白痴化してしまった?

3S政策により、考えることをやめてしまった日本人。お上とマスコミのコントロール下に置かれてしまい、真実を知ろうとすることもなくなった。


そして原発。

今何よりも危機的状況にあるのがフクイチ原発ではないだろうか?メルトダウンし地下にいった核燃料はどのような状態なのだろう?チャイナシンドロームはどんどん進行しているのではないだろうか?

2020年のオリンピック?笑わせるんじゃない!どうしてそんなことができるんだ?

政府も東電も手が付けられない状況にあるんじゃないだろうか?それを必死で隠しているのではないだろうか?

日本の原発(いや日本そのものを)国際管理下に置くしかないんじゃないか?


現在の僕の杞憂はすべてここにある。

気がつけば日本全土が終戦の広島・長崎状態となるのではないかと…。


全ての元凶は、日本が完全なるアメリカの属国となっていること。

現在のアメリカの弱体化は誰の目から見ても明らか。かつての世界の警察としての面影はもうどこにもない。唯一強い時代に造られた兵器が、戦艦大和のようにあるだけ。その大和の護衛艦のような存在が日本。

アメリカ(大和)の沈没と共に日本も沈む。


911は嘘だったことがほぼ暴露されてきたけれど、それが完全に表立った時に起こるであろう世界同時多発崩壊。

(それを防ごうとしているロシア、ドイツに中国。やっぱり日本はアメリカの道連れ…。)


日本の唯一の希望は、今も真面目にコツコツ働いている人が沢山いるということ。そして社会課題を解決しようとする若い人たちが増えていること。


早く真実の時が来てほしい。そして立て直しを図って欲しい。日本人みんなが総決起すればすべてアッという間に解決できることかもしれない。


ああこれが僕の単なるネガティブな想像であればいいのに…。こんなにネガティブなのは添加物のせい?それとも脳の衰え?

考えすぎなだけ?

嗚呼、文章さえも書けなくなりつつある…。


心の弱さがやけに現れ、全てをネガティブにしてしまう今日この頃。

2015年4月15日 (水)

じいちゃん

じいちゃんが亡くなった。

97歳、数えで99歳。

100歳までは生きていてくれると思ったのだが…。

子どものころからのいろいろな思い出がよみがえる。

ドライブに連れて行ってくれたこと、魚釣りに行ったこと、将棋にキャッチボールなどなど。

怒られたこともあったが、それ以上に優しく、一緒に遊んでくれたことを思い出す。

僕と違って働き者のじいちゃんだった。

いつも何かしら仕事をしていた…。

そして何でもできた。

米づくり、みかんづくり、庭木の剪定、経営、修理、藁を編んで亥の子の俵づくり…。

まさに百のことをする百姓だった。

そんなじいちゃんも骨折をして以来、ここ十年は寝たり起きたりの生活が続いていた。

時々起きて、天気の良い日は玄関に腰掛け、前に広がるみかん畑を眺めていた。

僕の仕事のひとつはここ数年間じいちゃんをお風呂に入れてあげることだった。

寝たり起きたりの生活で、耳もほとんど聞こえなくなっていたじいちゃんにとってお風呂はひとつの楽しみだった。

だからできる限り本人が満足するまで湯船に浸かってもらっていた。

けれども昨年末左肩を骨折し、入院してからずっと病院や施設での生活が続いていた。

肩の治りが悪く、結局家に連れて帰ることができなかった。

その為昨年の冬が最後の入浴介助となってしまった。

もっともっとお風呂に入れてあげたかった…。

そして生きていて欲しかった。

けれども97歳まで生きたことは、大往生。

死に方も潔かった。

晩年のじいちゃんは認知症だと言われていたが、僕からすればなんでもできる限り自分でしようとする、最後まで自立心の強いしっかり者のじいちゃんだった。

大好きで、尊敬するじいちゃん。

僕は大丈夫だから、安心して天国に行っておくれ。

そして天国から(まだ元気な?)ばあちゃんを見守っておくれ。

ありがとうじいちゃん。



2015年4月 8日 (水)

大道無門

前回書いたKさんからの教え「悟りへの道」。

それは、「自分が描いた理想への道を往きなさい。それが悟りへの一番の道。」ということ。

それを通じて、今僕は(迷い迷いながら、なおかつ寄り道しながらも)悟りへの道に向かって歩いているということを知ったわけだが、そのことについて瞑想をしながら(?)再度じっくりと考えてみた。

そこで出てきたのが、「大道無門」という言葉。

辞書を調べると「大道無門」とは、仏教用語で仏への道はいつでもどこからでも入ることができる(それだけ広い)ということと書かれている。

けれども僕がこの言葉を知ったのは、禅の巨匠と言われた沢木興道氏の本(講和)。

その中で大道無門とは、「仏の道はとてつもなく大きい。門も作れないほどの大きさである。」というようなことを書かれて(話されて)いたことを記憶している。

僕はKさんからこのとてつもなく大きな道、つまり大道を空から眺める術を教えてもらったのだと思う。

地上にいると、この道はあまりに大きな道のため、時に(今の僕のように)前か後ろかさえも分からなくなり、どちらに進めばよいのか迷ってしまうことがある。

何故ならこの大道の中には、お金なければ通さないぞ!という人、迷路作ったから遊んでいけ!という人、面白いものあるで!という人など様々な人がいる。

そしてそこは大阪ミナミの繁華街、あるいは新宿歌舞伎町の繁華街のように、様々な誘惑や欲望に溢れており、人々を迷わせ方向を見失わせる。

そんなところも(大道の中には)多々ある。

けれども空高くから見ればこの大道も1本の道であり、あなたがいるところは一時の通過点にしか過ぎない。そしてその大道の彼方は光に充ち溢れている。

その光こそあなたの理想であり、その方向に向かって歩きなさいと言うことをKさんは教えようとしたのだと、そのように解釈することができた。




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2015年4月 1日 (水)

悟りへの道

Kさんの葬儀に参列した。

実はKさんとはこれまでに3度しか会ったことがない。

しかもまともに話をしたのは1度のみ。

1か月半ほど前のことだった。

けれどもその際Kさんとの不思議な縁を感じた。


Kさんとじっくり話をしたのは病院のデイルーム。

その時Kさんは癌のため再入院し、手術受けしばらく経ったときだった。

この日Kさんに会いに行くことを決めたのは急だった。

その日は雨降りの日曜日。

午後急に「Kさんのお見舞いに行かなかきゃ!」と思い、車を走らせた。


予想したことではあったが、Kさんは以前お会いした時よりも随分表情が変わっていた。

病室で最初Kさんを見た時、何だかゾクッと来た。

またあの感覚がよみがえるのか?と思った。(この件は後日また)


そしてこれもまた予想していたことだが、Kさんは最初僕が誰だか分からなかった。

けれどもこれまで2度会った時のことをひと言告げるとすぐに思い出された。

それからこれまでのことを含め、様々な話題を小一時間ほど話した。


病室を出て家に帰る途中、ずっと今回お見舞いに行ったのは、(魂レベルで)呼ばれたからだなと思った。


あれから1か月半、Kさんが亡くなられたことを知った。


Kさんに呼ばれたのはなぜだろう?

告別式の間、ずっとKさんとの縁について考えていた。


葬儀の時初めて知ったのだが、Kさんはチベット仏教だった。

インドに行き、お釈迦様の聖地を訪れたこともある信仰心の厚い人だったらしい。

それでまずひとつの答えが出た。


僕もかなり信仰心はある方。

僕の場合、仏教全般、特に空海。

故に真言密教。

そこでひとつつながった。

同じ仏教繋がり、密教繋がり。


それから病院でKさんと話をしたことを思い出した。

プライベートなこと、友人のこと、仕事のこと、そしてソーシャルな話題。

特にソーシャルな面でいろいろと意見を交わし合った。


思えばKさんとは全く同じではないけれど、(仏教をベースに)同じような理想を描いていたのだ。

理想的な社会(のあり方)を描いていたのだ。

きっとKさんはそのことを感じていたのだと思った。


告別式の間、嗚呼Kさんがこの場所にいるなと感じた。

全てを受け入れたKさん。

そして式の最期心の中にあることが浮かんだ。


自分の描いた理想の道を往きなさい。

(他人から何を言われようと、)ぶれることなく往きなさい。

それが悟りへの(一番の)道。


Kさんが僕に教えようとしたことはこれだと思った。


Kさんも僕も同じように悟りを求めていたのだ。

そして迷ってばかりの僕にアドバイスをくれたのだ。

Kさんとの縁がつながった。


Kさんのご冥福をお祈りいたします。

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