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2014年7月

2014年7月30日 (水)

未来を予測する

 千賀一生さんの「ガイヤの法則Ⅱ」(ヒカルランド)はシュメールの神官とのスピリチャル的交流を描き、宇宙と地球の法則を説いたものでる。2年ほど前に出版され、とても感動したのを覚えている。けれども前著「Ⅰ」の方がより刺激的であり、「Ⅱ」はどのようなことが書かれていたのか覚えていなかった。そこで久々に読み返しているのだが、次の記述に注目した。

(転載開始)
 「東洋の諸地域は、いったん、現在の経済体制に乗る形で発展へと向かうことになる。これは、2048年までは、0度領域の、現象界ではまだ作用し続けるからだ。だがそれは、大地のパワーそのものではない。大地のパワーはすでに東回りスピンへと転回を始めており、現象世界では、いわばその残り火がしばらく燃え続けるのである。
 大地のパワーそのものは、大地の変動と共に転換を達成するが、過去へ執着しがちな人間の変化はそれに遅れ、社会変化はさらに遅れがちとなる。
 だが、あなた方の変化は早いほうが摩擦が少なくてすむのだ。
 東回りスピンへの優位性の移転により、日本以西の東洋諸地域がまず活気付くことになるだろう。あなた方の予想を上回るほど経済的開発がアジア地域で急速に展開することになり、下降する欧米と急加速するアジアの発展と言う、好対照が極端に露になるだろう。今は清潔感のないアジアのさびれた小都市も、この半周期である2030年頃には、非常に美しい芸術性を備えた都市となる。
 そしてアジアの人々は、自身への自信を取り戻しながら、既存の経済体制を超えたアジアらしい社会を求めるようになるだろう。その変化の源泉は、政府や行政ではなく、民間から湧き起り、国家はそれに従わざるをえなくなるだろう。まず、アジア全域の民間に対して新社会への流れを与える人々が、日本にあふれるようになるだろう。
 あなた方日本人は、アジアで最初に欧米化へと向かい、そのマイナス面を咀嚼しているが、それを土台に、どうしたらそれを超えられる新しい社会へと向かえるかを、既に潜在レベルでは希求し始めている。そうして、多くの日本の民間人が民間レベル、意識レベルでアジアをリードするようになる。これが2030年までに急速度で生ずる変化である。
 それは決して行政レベルではない。個々の人々が、個々の意志でアジアの諸地域をリードする。しかし、そうした人々すべての意志の背後には、一つの意志が働いているのだ。それは135度の意志、すなわち、このあなた方の星の聖なる意志である。
 そうして、個々の意志でありながら、同時にひとつの方向を目指した新たな文化的変化がアジアに生ずるようになる。その文化的変化が、しだいに社会体制までに及ぶようになるのだ。
 また、個人の意思の下には、互いにつながり合った『一つ』の意志があるという認識を常識とするようになるだろう。
 こうした民間からの変化と力により、アジアの諸政府や諸行政も、その体質をしだいにアジア本来のものへと変えてゆくこととなる。そしてその流れが、2048年までには、一つの完成を見るのだ。
 それは、一都市集中的な組織的国家とは対照的な、個々の小都市のバランスの取れた共和社会となる。その基盤となるものは、個々の意志による活動でありながら、その意志の背後に働く共通の『意志』への認識となるだろう。
 それが、あなた方が迎えようとしている新たな文明の柱となるのだ。」

(転載終わり)

 これを読んで、世間にはいろいろな未来の予測がされており、僕自身もいろいろと書いてはいるけれど、ここに書かれてあるのが一番現実的な道筋ではないかなと思った。

 東南アジアは今後もどんなに地球環境のことが言われようと、物質的豊かさを求めて、人件費などのコスト的優位性をうまく活用しながら、経済的に目覚ましい発展を遂げていこうとするだろうし、かつての先進国と呼ばれた日本も含めた欧米諸国もそれを利用しながら企業利益を求めていくことだろう。

 一方多くの日本人は経済成長の限界を感じているのも確かであり、気候の急激な変化、あるいは原発事故を通じて、現在のシステムの誤りを感じているのも確かであろう。しかしながらそれではどうすればよいのか、どのように変わっていけばよいのかというその答えが見えていない、あるいは見えていたとしてもこれまでの生活からシフトすることができずにいて、これまで通りの流れに乗らざるを得ないのが現状だろう。

けれどもいずれは東南アジアもそのコストの優位性を失う時が来るであろうし、同時に教育水準の向上により、地球環境に対する意識を持つ人々も増加し、変化せざるを得ない時が来るだろう。その際日本が現在の混迷した状態を脱し、新たな方向性を見いだし、世界に示すことができていれば、アジア諸国もそれを新たな目標とするだろう。

 そのことを千賀氏は、「その変化の源泉は、政府や行政ではなく、民間から湧き起り、国家はそれに従わざるをえなくなるだろう。まず、アジア全域の民間に対して新社会への流れを与える人々が、日本にあふれるようになるだろう。」と書いてある。まさにその通りだと思う。

現在の日本を見てみると、政治と市民(国民)の意思がどんどん乖離している。政府に甘い蜜を吸わせてもらっている一部の機関や人々のみが、政府を支持し、いかにもそれが国民の意思であるかのようにマスメディアによって操作され垂れ流される。そして多くの国民がそれにマインドコントロールされる。けれども多くの人々が心の中で違和感を抱えているという状況。

 けれども、それらのウソはネットなどでどんどん暴かれてきており、ネットを頻繁に利用する者は、政府やメディアの言うことを信じなくなってきている。信じているのは新聞やテレビなどのマスメディアを今も主要な情報源としている人々。そしてこのメディアは今や傾斜産業と言わざるを得ない状況。(唯一地方紙のみが可能性を秘めている。)そのためいずれは真実を知る人々の方が増えてくる。

 そしてやがては真実を知った人々が立ち上がり行動を起こし始める。(すでに始めている。)そのような人々が日本にあふれた時こそ日本が新しい文明をリードするようになる。もちろんそれは政府や中央が先導するのではなく、民間人である。そしてそこから生まれる「共通意識」。そう考えると何だかワクワクしてくる。僕もその一員となれるように行動をしなくては!

 やはりあとは意識のあり方ですね。



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2014年7月23日 (水)

福祉への想いを伝えたい

 先日ある人から大学の社会福祉学科の事情を聞いた。それは次のようなものであった。

 「近頃の福祉科の学生は、まず始めに一般企業の就職先を探し、そちらへの就職を優先する。もし一般企業への就職が見つからなかったら、福祉の職場での就職を探す。」とのこと。

 僕にはこれがどこまで本当のことなのか分からない。まさか全員が全員そうであることはなく、おそらく学科の一部の学生がそうなのではないかと思う。ただ、その学生の気持ちも分らないでもない。

 今世間で聞こえてくるのは福祉の現場の大変さ。かつて3K(きつい、汚い、給料安い)と呼ばれる職があったが、福祉はまさにそこにも当てはまる。中には6Kだって言う人さえもいる。(残りの3つのKは何なのか分からないが…。)

 確かにきつい。ものによっては24時間の仕事だから早番・遅番もあれば夜勤もある。夜勤なんて18時間ぐらい連続で働くこともざらにある。排泄の介助もしなければならず、時には汚物まみれの世界に…。

 そして中でもよく言われるのがその給料の安さ。安さゆえに男性職員が結婚を機に寿退職するともいわれる。それに阿部蚤屈巣。給与を上げるなどと言うが、介護保険などの社会保障費の下で働く職員の給料が上がるわけがないので初めから圏外領域。受けるのは物価上昇の不利益のみ。

 最近施設を訪れると、1,2年前から職員の確保が難しくなり、今では募集してもほとんど応募が無いらしい。(それなのに高齢者施設は次々に開設されていく…。)そのため現在では職員の負担が今以上にならないように配慮しなければならないとのこと。

 以前生産性人口や高齢人口などの関係から2015年危機説を考えたことがあったのだが、そんな時代が本当にやってきつつあり、今僕は非常に福祉の危機を感じている。このままでは人員の欠如により施設の運営が成り立たなくなるところが出てくるのではないだろうか。だから今こそ僕は学生たちに僕のこれまでの経験談を話すべきではないかと思っている。

 僕は十数年間高齢者福祉をやって来た中で、様々な経験をしてきたと思う。介護保険の始まる前の縛り地獄介護から現代のお客様時代への変換。利用者との触れ合いの中で楽しかったことや笑えたこともあれば、嫌だったこと、つらかったことなど山のようにある。そしてそれらを通じて今の僕がいる。

 それらを話す時じゃないのかなと思う。そしてお金ではない豊かさを得られたこと、人と人の仕事を通じて得てきたもの、それらを通じて福祉の仕事の醍醐味を語る時なのではないかと思っている。
 
 また現在の僕は重症心身障害児者の支援をしてきた経験から、新しい福祉社会を目指して活動を始めている。これは社会福祉士と言う資格が、相談業務や対人援助だけではなく、新しい領域(社会)を形成することができる資格であるということが認識されることを目指している。

 そのことを学生たちに伝えたい。福祉あるいは社会福祉士の醍醐味、そして魅力を伝えたい。そして例え一般企業に就職したとしても、いつでも福祉の門戸は開かれていること。その企業での経験も福祉の仕事をするうえで役立つことを伝えたい。

 最近流行のアドラー心理学。そのアドラーは断言している。「幸せになる唯一の方法は、他者への貢献である」と。本来福祉ほど他者への貢献をする仕事があるだろうか。1対1で本当に自分が試される仕事。

 弱い立場の人、困っている人々の声を聴き、手を差し伸べる仕事は一見すると受け取る以上に与えることの方が多い。けれどもある時気がつけばその分心が豊かになっている。他者へ貢献する自分がいる。幸せになっているのである。

 そのことを伝えたい。

 ただし、放っておくとどんどんスピリチャルな方向にも走ります!暴走します。




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2014年7月16日 (水)

現代と未来のはざまにいる子どもたち

 数カ月前のこととなるのだが、はせくらみゆきさんの「カルマからの卒業」(ヒカルランド)という本を読んだ。とても参考になることがたくさん書かれていたのだが、最後にビビッ!と来た箇所があった。その箇所を転載する。

(転載開始)
 実は、私がこの本を世に出す決意をしたのも、この想いからでした。
 瞳の美しい、冷静の高い子供たちが続々と生まれているにもかかわらず、大人たちが追いついていっていないのです。
 私たち大人は、まだまだ目に見える物質性の世界に捕らわれているので、その次の時空にある精神圏(ヌースフェア)を見きれないでいます。
 そればかりか、持つ者と持たざる者に分かれた支配と競争のゲームの中に、子どもたちも入れられてしまい、多すぎる習い事や塾通いなどで、子どもらしい時を過ごすこともままならなくなっています。
同時に、添加物や化学物質、電磁波(特に日本は酷い)など、成長期の生体に影響を及ぼすような生活環境が「当たり前」となり、心身両面から脅かされているのが現状です。
 勤勉さと従順さを求めている画一的な教育と、物質性中心の親の価値観によって、霊性に蓋をされている子どもたちがどれほどいるのだろうと思うと、心が痛みます。
 私は親として、子どもたちに、よりよい未来を手渡していく責任があります。今いる子どもたちとこれから生まれてくる未来の子どもたちが、豊かな大地ときれいな空気、水の中で、皆が慈しみ合いながら暮らしてほしいと願っています。
 たくさんの笑い声に包まれて、安心して人生を謳歌してほしいと願っています。
 そうした社会を実現するための、精神的な拠りどころとして、本書が少しでも役立てたらうれしく思います。

(転載終わり)

 まさに僕が思っていることと一緒だった。現在どれだけクリスタルチルドレン、あるいはレインボーチルドレンとして生まれてきているのに、その子たちが現代社会によって潰されてしまっていることか…。

 どれだけ多くの小学生が塾通いしていることか。住宅エリアの通りを歩いていると数百メートルごとに塾があると言っても過言でない。以前小学生の子供を持つ親に子育てのアンケートを取ったことがあるのだが、親の意見として、「今の子どもは部活に塾通いなどで忙しく、(自然の中で)遊ぶ時間がない。」と書かれていた。けれどもその子さえも塾通い…。

 毎日塾や習い事に通う子どもたち。あるいはタブレットを使って授業を受けたり、親にスマホを持たせてもらったりする子どもたち。そんなことよりも障害のある子への理解を促し共に支え合うこと。野菜を育てそれを食べること。自然の中で生活すること。生き物の誕生や死に接することなどを通じて心を育てることがどれだけ大切かと思う。

 以前肢体不自由の特別支援学校を見学させてもらった際、コーディネーターの先生に「この子たちの授業にも学習指導要領のようなものがあるのですか?」と質問をした。すると、「それはないです。先生がそれぞれの児童や生徒(の発達に)あう内容を考え、それを実施しています。」と答えられた。しかも授業はほとんどマンツーマン、あるいは一人の先生に2人の生徒まで。すごくそれが羨ましく思えた。1対1とはいかなくとも、それぞれの子どもにあった学習をしてよと思う。今やどれだけの先生が病んでいることかと考えると、学校なんていらない。それよりも寺小屋を復活させた方がいいのでは?と思う。


 (自身のこととなるが、話を転回する。)この本のこの箇所を読んで、これこそ僕が結婚していない理由だと思った。生まれてくる子供がかわいそうなのだ。このような環境の中で育てるのが嫌だったのだ。あまりに現在社会はは人間(大人)の身勝手な環境過ぎる!

 けれども今、流れが変わろうとしていることをすごく感じる。ひとりひとりが環境を変え得る時代になろうとしている。僕たちが意識を向上させ、行動することで社会がダイナミックに動くようになろうとしていることを感じる。地球も未来もそれを後押ししてくれる時代がやってくる。まさに夜明け。

 と言うことで、僕も結婚して、子どもつくろっと。一緒に遊ぼう。そして何より子どもたちによりよい未来を創って手渡さなきゃと思う。



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2014年7月 9日 (水)

見えない世界からの声がした

毎朝仏壇の前に座り読経するのが日課のひとつとなっています。先日いつものようにお経を唱えていると前方で時々ポツポツ音がします。梅雨前線と台風の影響で夜中にものすごい量の雨が降っていたので、もしかして雨もりかな?と思い天井を見上げてみたのですが、雨漏りしている形跡もありません。もしかしてゴキブリか何かが仏壇の食べ物をかじっているのかな?と思い、お経を唱えながら仏壇を注意してみたのですがが、そのような様子も見当たりません。

一体何の音なんだろう?

と思いながら、かつての修行時代のことを思い出していました。


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それはもう10年以上前のこととなるのですが、私は鹿児島県にある最福寺と言うお寺で1か月間修行させてもらったことがあります。ここは池口恵観法主さまが建てられたお寺なのですが、その護摩行の激しさは日本一であるとして有名です。


普通のお寺での護摩行は1回30分程度、長くて1時間程度だと思うのですが、この最福寺の護摩行は2時間(あるいはそれ以上?)の時間がかかるのです。護摩壇で火を焚くのですが、普通のお寺では炎の高さは1メートルから2メートルぐらいまでなのですが、ここ最福寺は2~3メートルの高さとなるのです。何といっても護摩壇にくべる檀木の太さが違います。普通のお寺だと割りばし程度の大きさなのですが、最福寺では幅4,5センチはあろうかという角木をくべるのです。更には人々が願いを書いた護摩木を燃やしていくのですが、その量が半端ではないのです。毎回何百枚何千枚と言う護摩木をくべるのです。


護摩行では護摩壇の前に恵観法主が座られます。その護摩壇の左右を弟子たちが並んで座るのですが、1列目に座る弟子たちはみな護摩壇にぴったりと膝がつくように正座をして座るのです。そのため顔や体の間近に2,3mの高さまであがる炎が来るようになります。そして行の間ひたすらその炎(の熱さ)に耐えるのです。


B0041(最福寺HPより)


行が始まると、理趣経を唱え、般若心経を唱え、そして不道明王様の真言、弁財天様の真言などを唱えていくのですが、理趣経を終え般若心経を唱えるころから段々と手や顔がジリジリと焼けてくるのです。理趣経も般若心経も大声で唱ます。真言を唱える時それはもう叫ぶように唱えるようになります。それは大きな声で唱えるよう言われていることもあるのですが、それ以上にその熱さや苦しさに耐えるためにひたすら大声で叫ぶのです。


初めてこの護摩行を受けた時は、私はその熱さに耐え切れず、後半から護摩壇そばの1列目から後列へと下げられてしまいました。そして2回目はあまりの熱さゆえに気が少し変になったのか、終盤狂ったように顔の汗を手で拭うようになり、法主さまの指示でまたまた弟子僧に引きずられながら下げられてしまいました。


そんな厳しい行を毎日受け、顔も手もやけどだらけとなり、眉毛は水ぶくれからかさぶたへと変わり、いつ眉毛ごと落っこち、眉毛がなくなってしまうのだろうかなど心配しつつ、一体この先どうなることかと思いながら日々の行に耐えていました。法衣も火の粉が飛んできて、焼けて穴がいっぱい開いてしまいました。時には火の粉の塊が法衣に落ち、燃え始め熱くてたまらなかったこともありました。さすがにその時は手で払いのけ火を消したのですが…。


B0021(最福寺HPより)


毎日死にそうな思いをしつつも護摩行を受けていたある日のことです。いつものように理趣経、般若心経を唱え、ちょうど弁財天様の真言を唱えていた時です。弁財天の真言は「おん そらそばていえい そわか」と言うのですが、それをひたすら叫んでいると、私の真言に合わせて叫ぶ声が聞こえてくるのです。もちろん周りにいる人たちと一緒に唱えているのですが、それらの声とは明らかに違うのです。


その声は頭上から聞こえてくるのです。しかもその声は弁財天様の真言の最後「そわか~」と言うところだけ、私と一緒に叫んでいるのです。一体誰の声だろう?と思いチラリと頭上を見上げてみるのですが、当然のことながらそこには誰もいません。けれどもやはり私の声に合わせ「そわか~」と大きな声で叫ぶ声がするのです。

うわっ!何なんだ?

とびっくりしつつも、そんなことを気にしている場合ではありません。正面には高さ3メートルの炎が目前にあり、すぐそばには法主さまがいる。気を取られている場合ではないのです。私はひたすらその声と一緒になって真言を叫びつづけたのです。


やがて弁財天様の真言を唱えるのが終わり、続いて様々な真言を唱えていきます。けれども私と一緒になって叫んでいた声は弁財天様の真言が終わると同時に聞こえなくなったのです。護摩壇の前には本尊の高さ20メートル近くある巨大な弁財天様の像があります。もしかして一緒に唱えてくださったのでしょうか?


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そんなことを思い出しながら、観音経、般若心経そしてご真言を唱え終え、朝の日課を終えました。それと同時に仏壇から時々聞こえてきたポツポツと言う音もしなくなりました。立ち上がり天井や仏壇の中を再度じっくり見てみたのですが、何もそれらしき形跡はありませんでした。

ん~???

目の前には小さいながら大日如来さまの仏像があります。その横には親父の位牌が置かれてあります。

ん~、親父かな?


ところでこの「そわか」とは、ネットで調べてみると、その意味は「幸あれ」、「祝福あれ」という意味だそうです。そうと分かると一緒に叫んでくれた人は私に「幸せあれ」、「祝福あれ」と叫んでいてくれたということになります。やはりあのときは本尊の弁財天様が「幸せあれ~」と叫んでくれていたのでしょうか。そうならば感謝以外のなにものでもありません。


(目には)見えませんが、私たちの目の前には無限の世界が広がっています。あなたもその世界にそろそろ気づきませんか?






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年7月 2日 (水)

戦争用語反対!

最初に言っておきますが、福祉の話です。

平野秀典さんの「GIFTの法則」というDVDをTSUTAYAでレンタルしました。平野秀典さんとは、感動を生み出す表現力を向上させる専門家で、感動プロデューサーという肩書を持った人です。平野さんは一部上場企業のビジネスマンの傍ら、「演劇」の舞台俳優として10年間活動し、その経験からビジネスと表現力の関連性に気づき、そこから独自の感動創造手法を開発したそうです。(オフィシャルサイトプロファイルより)その「GIFTの法則」の中で平野さんは様々な感動を生み出す方法などを話されるのですが、そのひとつがとても印象に残ったので紹介したいと思います。

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現在顧客に商品やサービスを提供するうえで、そのほとんどの場合が「WIN-WIN(ウィンウィン)」という考え方が基本となっています。この「WIN-WINの関係」とは、その商品を購入する顧客も、その製品を提供する企業(人)も、それぞれがそれを購入・提供してよかったという、お互いが満足をする関係、つまりお互いが利益を得るということが原則となっているものです(一部そうなっていない業界もありますが…。)。

けれどもこのWIN-WIN(お互いが利益を売る)関係となるための方法を考えるにあたって経営やマーケティングの世界では、「戦略」とか「戦術」という言葉を用いているのです。一見どこもおかしくないように思えるかもしれませんが、「戦略」とか「戦術」とは、「戦(いくさ)」という文字が使われているように、戦争用語なのです。平野さんは、戦争(用語)は勝ち負けを決めるのものであって、これらの言葉をお互いが利益を得て満足するWIN-WINの関係に使うのはいかがなもかというのです。

マネジメント(経営学)の世界では、「経営戦略」や「マーケティング戦略」、あるいは「戦術」と言うことが現在も当たり前のように使われています。大学の先生はもちろんのこと、コンサルタントの人や会計士、あるいは社労士の人なども使っています。小さなお店を経営している人で、少しでも経営の知識のある人ならば、やはり当然のように「戦略」と言う言葉を使っていると思います。そのくらい当たり前に使われている言葉です。

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ではそれをどうするかと言うと、顧客が幸せになること、感動することに焦点を絞り、戦争用語を使うのをやめましょうと説くのです。具体的には「戦略」を「シナリオ(脚本)」という言葉に、「戦術」を「プロデュース(演出)」、そして「戦闘力」を「パフォーマンス(振る舞い)」という言葉に変えましょうと提案しているのです。

考えてみれば、企業が利益を得ることだけの時代(WIN-LOSEの時代)ならば、勝つために戦略を練り、(企業の持つ)戦闘力を考慮し、戦術を用いるというのでもよかったのかもしれません。けれども今や様々な業界で、「WIN-WINの関係」、あるいは「ホスピタリティ」が叫ばれている時代です。そんな時にホスピタリティ戦略=「真心(幸せ)」と「戦争(用語)」並べられているのは確かに変です。

戦争とは多くの人々を不幸にするものです。イラク戦争にアフガニスタンへの侵攻、中東情勢とヨーロッパ諸国に押し寄せる難民。一体誰が幸せになったかということを考えてみれば、大笑いしたのは武器商人と一部の利権者・権力者のみです。両国のほとんどの国民は、逃げたり、怯えたりの日々です。家を失ったり人、家族・親族などを失った人も多いでしょう。そこにあるのは悲しみと涙でしかなく、誰も幸せにはしないものです。

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更に言うならば、現在「WIN-WINの関係」から更に発展し、「三方よしの」時代へと変わりつつあります。WIN-WINの関係とは、売り手と買い手の両方よしというものでしたが、三方よしとは、元々は近江商人の言葉なのですが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」と言うことで、「世間よし」が加わっているものです。この考えは、売り手と買い手、その両者だけが満足するのではなく、その商品(サービス)を通じて、世の中もよくなるようにしようとするものです。

人々(顧客)に感動を与え喜んでもらうのは当然のこととして、更にその商品やサービスを通じて世間をもよくしていくこと。そのシナリオ(脚本)を描き、それを演出(プロデュース)すること。そしてそのためのパフォーマンス(振る舞い)を行うこと。確かにみんなを良くしていこうとするものに戦争用語は合いません。戦争用語使用反対、納得です!

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さて福祉の世界で語るならば、現在世の中には、(社会の中で、あるいは人生で)躓いてしまった人がたくさんいます。僕が最近気になっているのは、貧困のために学ぶ機会や働く機会を失った若い人達、あるいは親や祖父母の介護のために同じく学ぶ機会や働く機会を失った若い人達。本人が悪いわけでもないのに第三的要因で機会を奪われてしまっている若い人達。世の中にはそんな若い人たちが大勢いるそうです。本来ならば平等にそれらの機会は与えられるべきものなのですが、現在のこの国のシステムではそうはいかないようです。そのためこの人達が少しでも喜んでもらえる、幸せになるためのシナリオを描けないものかと思案しています。(ただ現在は障がい者支援のことで手一杯…。)

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福祉とは人々を幸せにするもの。人々に神様の恵みを留める仕事です。けれども社会にはその神様の恵みを受け取れず要る人、チャンスを逃して通過してしまった人々が沢山いるのです。そんな躓いてしまった人々に、手を差し伸べ、彼らを起こしてあげて、そして神様の恵みが留まるようにお手伝いするためのシナリオを描けたらなと思うのです。

そんな仕事のシナリオを描くのに、「戦略」とか「戦術」などという言葉は似合いません。彼らの幸せのためにどのようなシナリオを描き、プロデュースし、そしてどうパフォーマンスするかを考えていきたいものです。





 





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