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2014年6月

2014年6月25日 (水)

これからの未来づくりに欠かせないもの

先日経済アナリストの藤原直哉さんの勉強会に参加してきました。日本全国に数多くの経済アナリストがいる中で、藤原直哉さんは最も信頼できる経済アナリストの一人だと思っています。その勉強会は1部と2部に分かれており、第1部は日本や世界の政治経済情勢の開設であり、第2部では、(現代の)乱世の時代の中で、その先を見て行動していくこと。未来を創る、文化を創ることの大切さを話されました。それはとても勇気づけられる内容でした。全国各地で定期的に行っているようなので、皆さんも機会があれば参加してみてください。


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ところで私は障害者を支援する事業を立ち上げました。もともとは昨年取り組んだ重症心身障害児者(※1)の在宅支援事業に参加したのがきっかけで、重症児者にもっといろいろな世界を見てもらいたいという想いが募り事業を始めました。けれども、そこから障害者全般となり、彼らの就労支援(B型)、あるいは日中の居場所(生活介護)の現場を見て、彼らが形成する癒しの空間、そして彼らの仕事ぶり「ゆっくりだけれど、丁寧・手作業(手作り)」にとても魅力を感じたのです。


そこでこの「ゆっくりだけど、丁寧・手作り。」と言う彼らの持つ強みを是非とも活かしたいと思い活動を繰り広げているのですが、同時にこれこそ今の日本人が忘れてしまったものではないかと思っています。



かつての日本人は自然と調和して生きてきました。一方的な効率を追い求めることよりも、自然の循環の中で生きてきました。江戸時代商人の質素倹約とは、暴利をむさぼらないという姿勢を見せることでした。大きな利ざやを稼いだ後に社会貢献するのではなく、過剰な利ざやを稼がないことが、信用を得たのです(※2)。これなどまさに循環の中の一部であることの姿勢を現したものではないでしょうか。そして障害者の「ゆっくりだけど、丁寧・手作り」という仕事ぶりは、まさにここにも通じるものではないかと思うのです。


しかしながらそれとは反対に現代社会は人間の欲望のままに一攫千金、一山当てようとするものがなんと多いことでしょう。あるいは効率を追求するあまりにモノづくりの過程(プロセス)を省き、結果だけを求めていることがどれほど多いことでしょう。


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また話しが変わってしまいますが、専門家によると、現在出生数は減少しているのにも関わらず、知的障害や発達障害のある子供の数(割合)は増えている傾向にあると言われています。もちろんそこには医学や科学が発達し、以前は分からなかったものの原因が特定されるようになったこともありますが、それだけではないように思います。また精神障害の人も増えています。これも実感される方が多いのではないでしょうか。最近私はこのことが何かのメッセージではないのかと思えて仕方がないのです。それは企業優先社会への警告であり、欲望のままに生きることの警告ではないかと思うのです。


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Behaviorism and Mental Healthの記事より


現代社会は誰もがそのねじれや歪を感じながら生きています。多くの人がストレスを抱えながら、騙しだまし生活を送っています。それが故に癒し関連の産業が大はやりです。きっと人々は知ってか知らずか、どこかでSOSを発しているのではないでしょうか?


その中で障害のある人達は、事業所の中で癒しの空間を形成し、ゆっくり丁寧にコツコツと作業を続けています。その様子を見ていると、私はこれからの社会は、実は私たち、いわゆる健常者と呼ばれている人たちが障害者から学ばなければならないのではないかと思うのです。彼らを見て私たちがこれまで形成してきた社会を振り返るべきではないかと思うのです。きっと彼らこそが未来の道しるべとなるのではないかと思うのです。


もちろん彼らは他者の支援を必要としています。それが無ければ生きていくことが難しい人もいます。それを承知であえて言います。何故なら本当は多くの人が心の中で「このままではいけない!」と思っていることでしょうし、そしてこれからはエコの時代あるいは、ロハスの時代と言われる中で、「では一体どうすればいいのか」と迷っている人も多いと思われるからです。少なくとも障害者はそのヒントを与えてくれると思うのです。なにも田舎に行って農業をすることばかりがロハスじゃないと思うのです。


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まだこんな考えを持つ人などまれなことでしょう。障害者といえば、何もできない人、働けない人などと価値のない人と思っている人も多いことでしょう。けれども彼らを見ていると学ぶことだらけなのです。下手をすると価値観を180度変えられるかもしれません。これから持続可能な社会、あるいは文化を創っていくにあたり、彼らの存在は欠かせないと思うのです。
 



(※1)重症心身障害児者とは、重度の肢体不自由と重度の知的障害をあわせもつ持つ複合障害のこと。具体的には寝たきり状態にあり、小学生12年生程度までの知能指数

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※2)田中優子著「未来のための江戸学」小学館101新書







らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年6月18日 (水)

未来は変えられる!

僕たちは3次元の物質レベルで魂が肉体と言うボディをまとった世界の中で生きている。この3次元の特徴は物質レベルと言うこともあるが、もうひとつ時間の流れが直線的であるということである。そのため僕らはこの肉体を身に着けている間は、過去に戻ることはできない。

けれども僕たちの実際の生活を見てみると、体は現実の今の世界にありながらも、心(意識)は過去のことを振り返っていることが多い。「昨日何食べた。」「昨夜○○のテレビ見た。」「あれするんじゃなかったな。」など、過去のことをいかに語るかということに多くの時間を費やしており、ひたすら過去の出来事を思い出し取り戻そうとしている。けれどもそれはあたかも自分のしっぽを追いかけてクルクル廻っているようなものだ。

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直線的時間の中では過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。実際のところ僕たちは1秒前の過去さえも取り戻すことはできない。けれども1秒前の出来事をやり直すことはできる。ただしそれは未来においてである。

直線的時間の流れの中で、これから訪れる時間、つまり未来は未確定である。時間が迫れば迫るほどその選択肢は少なくなるが、そこではどのような選択も可能である。無限の選択肢があるといってもいい。そしてどのような未来を選択するかはあなた次第である。更に言うならば、それを決めるのは「今」のあなたであり、その出発点は「今」である。

なぜなら現実としてあるのは「今」だけであり、直線的時間とは「今」の連続でできているからである。今が過ぎれば過去。そしてこれから訪れる今(今のその先)が未来であり、「今」の連続で未来に向かうのである。


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かつて座禅修行をするために禅寺に籠ったことがあるのだが、ある時老師から「歩く時にはただ歩くだけに集中しなさい。そしたら自ずと目的地に着いている。」と言われた。最初それならどこに行くのか分からないではないかと思ったのだが、日夜座禅修行に徹していると、ある時歩くだけになっている自分がいて、きちんと目的の場所についている自分がいた。それを体感し、初めて老師の言われたことに納得した。

パム・グラウト著「
こうして思考は現実になる」(サンマーク出版)によると、顕在意識の役割とは問題を見つけることと、目標を設定することの二つだけだそうだ。もしかすると老師は歩く間の余計な思考を取り除き、今に集中することを言っていたのかもしれない。


過去を思い出すこと、未来を思うこと、それはほぼすべて顕在意識による。時に
潜在意識から沸き起こる表面上の顕在意識から消え去った記憶がよみがえることもあるが、大抵の場合人は顕在意識の作用によって心を迷わせ、右往左往する。そして再び過去に戻ることはできないにも関わらず、そこに縛られてしまい、自分自身に制限をかけてしまう。


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では過去とは何なのか?そして何故僕たちは過去を振り返るのか?


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僕たちが過去を振り返るのは「過去から学び、未来に活かす」ためである。僕たちに存在するのは今しかなく、そして今の一歩先が未来であり、それはやがて訪れてくるであろう時である。このやがて訪れてくるであろう時をよりよいものとするためにあるのが過去であり、その出発点が「今」なのである。

もし僕たちが過去の出来事を修正し取り戻すとすれば、それは今そして未来の関係を創りだすことである。過去のものや出来事を取り戻そうとするのではなく、過去から学び今現在の自分自身を見つめ、そこから未来の関係(新しいつながり)を創造することである。つまり新しいものに生まれ変わるということである。

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問題解決の方法のひとつとして、ずっと先の未来をイメージし、そこから今解決すべき目先の答えを見つけていくバックキャスチングと呼ばれる方法がある。これを応用すれば顕在意識で過去から学び(問題を見つけること)、未来の姿をイメージし(目標の設定)、そしてあとは今に集中していくこととなる。

「今」と言う時は一番強いエネルギーの高い場所。そしてここに集中することが未来を創りだす源となる。そしてどのような未来を引き寄せるかはあなた次第であり、その選択肢は無限である。

過去は変えられない。けれども、未来は変えられる。そしてその未来はいかようにもなる。

だから今に集中しましょう。今この時を愛しましょう。そしたら僕たちは最適の未来を手にすることができる!



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格言はこちらから!

解説図はこちらから!


参考:パム・グラウト著「こうして思考は現実になる」(サンマーク出版)
    はせくら みゆき著「カルマからの卒業」(ヒカルランド)





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年6月11日 (水)

人間は神を超えた???

 家のすぐそばに神社がある。子どもの頃毎日のように遊んだ思い出の場所。学校の集団登校の際にもその神社が集合場所だった。だからその神社は僕の人生には切っても切れないほどの場所。

 僕が生まれて小学校に入る頃までは神社の裏手は一面田んぼやみかん畑だった。ちなみに僕のみかん畑も神社のすぐ裏手の一画にある。小学校2年の頃神社のすぐ裏手の一画が埋立てられた。そして宅地化され住宅が立ち並んだ。それからどんどんあたりは宅地化が進み、今ではあたり一体気持ち悪いくらいの住宅街。唯一(と言っていいぐらい)わずかに残るのが我が家のみかん畑。

 神社と言えばだれもが思い浮かべるのが、神殿と大きな木。その神社にも同じように参拝殿と本殿があり、そして大きな木々があった。他にも子どもが遊べるように鉄棒、ブランコ、滑り台が設置されていた。子どもの頃神社にある全てのものが僕にとって遊べるものだった。遊具はもちろんのこと、参拝殿も友達みんなでゲームやかくれんぼをして遊び、木も木登りや蝉取りをして遊んだ。

 本殿の後ろには大きな木があった。なんという名前の木なのか、そして樹齢何年かも分からないけれど、覚えている限りでは僕が子供のころ既にかなりの太さがあった。少なくとも100年以上は経っているのではないかと思う。その木には夏にはクマゼミが止まり鳴いていた。クマゼミを捕まえたいなと思うのだけど、クマゼミのほとんどが手と虫取り網を伸ばしても届かない高いところで鳴いており、何とかして捕れないものかといつも思っていたことを今でも覚えている。けれどもその木は夏にイラと呼ばれる毛虫が湧いた。緑色をした毛虫で、刺されるととても痛い毛虫だった。そのため夏にはその木にはなるべく近づかないようにもしていた。

 ところがその木が先日伐られてしまった。長年そこにずっと生えていた木がアッという間に業者によって伐られ、切り株だけにされてしまった。数年前業者(植木屋)が来て神社の木の枝を切り落としたことがあった。何十年もうっそうと茂っていた木の枝が台風か何かの影響で折れそうになったので、それを契機に神社にある木々の枝を切り落とした。その時すっかり枝が無くなり丸坊主にされた木々となってしまったけれど、その時はまあ時には剪定されスッキリするのもいいものだと思った。逆に翌年には再び青々と葉を茂らせた木を見て、その生命力の強さに驚いたものだ。

 けれども今回は思い出深い大きな木ともう一本の木が枝だけではなく、幹から伐られた。それを見て、何故この木を伐る必要があるのかとすごく憤りを感じた。

 その木のすぐそばには約30年前に建てられた住宅地の家がある。確かに葉が生い茂らせた木はその家からすればとても煩わしいものだったかもしれない。けれどもその家が建てられた時から(いやそれよりもずっと以前から)その木は茂っていた。その家が直接その木を伐るように依頼したのかどうかは分からない。けれども地域住民が同意して木を伐ることにしたのは間違いない。

 その木が伐られてその家は明るくなった。日差しがよく入るようになった。秋の掃除の手間も省かれるようになった。お陰で随分と快適な生活になったと思う。けれども神社はとても寂しくなった。歯抜けのようになってしまった。その木はご神木としてあがめられてきたわけではない。ただ神社に生えている木としてあっただけだった。けれども昔からそこにあり、神社の大きな木として象徴的な木でもあった。

 伐り倒されることが無ければ、きっとまだまだ葉を生い茂らせ、後何百年もそこに生え続けることができたであろうに、一体いつ人間はその木を伐採する権利を得たのだ?一体いつから神社(=神様)よりも人間の都合を優先するようになったのだ。人間はいつそれほど偉くなったのだ?何だかおごり高ぶってしまった現在の人間のあり様を見たような気がした。

 数日後神社のそばを通ることがあった。すると切り株の所に数人の子供たちが集まって、その切り株を触っていた。なんだか子ども達がその木を癒してあげているような気がした。けれどもその木を伐った業者は下手なのか切り株はガタガタだ。どうせなら子供たちがその切り株をテーブルや椅子代わりにして遊べるように、もっときれいに伐れよと思った。

 全く今の大人って奴らは、銭勘定と自分の都合ばかりを優先する生き物だ…。神様に謝っておいた。

 ところで、あの業者伐った木を売りに出すのかな?利益ちゃんと還元しろよ。



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2014年6月 4日 (水)

プロフェッショナルとは…(介護編)

 ショートステイにやって来られる東さんは、白髪で物腰柔らかなお婆ちゃん。落ち着いた雰囲気を漂わせており、きっと着物を着たら似合うだろうなと思わせる。けれども東さんには認知症があり徘徊をする。知らない間に外に出てしまうこともある。そのため家族は目が離せない状態。だから時々家族のレスパイトとしてショートステイを利用される。

 ただし徘徊をしていても、職員が声を掛ければ、東さんはにこやかに返事をされ、職員と一緒にみんなのいる場所へ戻ってくれる。そして他の人達と一緒にテレビを見たりしている。けれどもしばらくすると立ち上がり再び徘徊を始める。まあ、東さんもここがどこだかきちんと理解していないのだから仕方がない。

 ところでこのホームでは夕食後入居者を居室へ誘導し、口腔ケアをすると同時に、一部の人を除いて義歯をあずかる。そして夜間に義歯を(ポリデント)洗浄し、翌日の朝食時にそれぞれに渡すシステムを取っていた。(以前夜間に義歯が無くなるということがあり、それ以来そのようにしているらしい…。)

 夕食後東さんを居室へ案内し、うがいをしてもらうと同時に、義歯を預かり「明日の朝お返ししますね。」と伝えた。東さんはそれに対して「そうですか。」と笑顔で答えられた。ちなみに東さんの部屋はスタッフルームの斜め前。ショートステイ利用者と言うことで、スタッフの眼の届くところに部屋がある。

 入居者の誘導を終え、再度預かった義歯を洗い、ポリデントと一緒にそれぞれの名前の書かれている義歯ケースに入れる。そしてそれらを移動式のサイドテーブルに並べ、いつものようにスタッフルーム横の通路に一時的に置いておく。そこは東さんの部屋の正面となるが、アコーデオンカーテンで仕切られているので、東さんの部屋からは見えない。

 夕食時の介助を終え夜勤者2人(一人は僕)は休憩をはさみ、再びそれぞれの仕事をこなしていく。21時となり消灯の時間となるので、今度は廊下の椅子に座っている入居者さんたちを居室へ連れていくと共に、排せつ介助を行う。それを終えると廊下の電気を消して、各居室を再度安全確認のため巡回する。

 ひとりは排泄介助ででた汚物等の片付けがあるので、僕が懐中電灯を持って端の部屋から順番に居室を回っていった。すると東さんがいる居室に入ると、ベッドに東さんがいない。トイレ誘導後ベッドまで案内し、臥床を確認したのにいない。またトイレに入ったかと思い、トイレを見てみるがやはりいない。他の部屋に行ってしまったか?

 廊下にも東さんの姿はない。他の部屋の巡回を兼ねて東さんを探すが、見つからない。さあ、東さんどこ行った?もう一人の夜勤者に東さんがいないことを伝え、2人で再度それぞれ各居室をみて回るがやはりいない。東さんが消えた!

「東さんどこへ行ったんだろう?」と2人でちょっと焦っていると、スタッフルームの横で何やらゴゾゴゾ物音がした。慌てて見てみるときちんと閉めたはずのアコーデオンカーテンが開いており、そこに東さんがいた。

 東さんはそこでテーブルに並べられた義歯ケースを開け、一生懸命「あれでもない、これでもない…」と自分の義歯を探していた。義歯がバラバラ状態に!

 ヒエ~!東さんどうするねん!!! (と言っても、こんなところに置いておくスタッフ側のミスだね。)

 幸い(?)東さんの義歯ケースはまだあけられていなかったので、義歯をケースから取り出し、東さんにはめてもらい居室へ連れていく。(これで東さんは安心して寝られるハズ。)

 さて問題はこれからだ。このフロアには44名の入居者(ショートステイ利用者を含む)がいるが、約20名の義歯を預かっている。そして今そのうちの3分の2がバラバラ状態でテーブルの上に散乱している。

 さあどうする! スーパーパズルだ。義歯には名前など入っていない。僕も焦ったが、もう一人の夜勤者(僕よりも若い子)はもっと焦っている。

 僕は義歯としばらくにらめっこを始めた。ひとつ一つの義歯をよ~く眺めていく。

 そして、もう一人の夜勤者に
 「この義歯の出っ歯具合は、フクさんのだね。」
 「この部分入れ歯は、アツコさん。」
 「これは上下2つセットで、ハツさんの。」
 「この斜め45度具合は、…ツルさん?」と伝えていった。

 普段何気なく義歯を洗っているようではあるが、毎回同じことをしているので、実はそれぞれの人の義歯の特徴をつかんでいた。(いつも義歯を洗っている時、「この人の義歯は随分前に出てるな~」、「この人こんな大きな義歯が入ってんだ」などと思いながら洗っていたのだ。)

 翌朝食堂に集まった入居者の方々に、ちょっとドキドキしながら義歯を渡し、必要な人にははめていった。一応「もし入れ歯の具合が悪い方がいたら、伝えてね。」と皆さんに声掛けするが…。(まさかバラバラになりましたとは言えない…。)

 結果、ピッタリ!
 ヤッタ~。ひとりぐらい「なんか違う。」と言ってくる人もいるかもしれないと思ったが、全員普段通りに朝食を食べられた。もちろん東さんも何事もなく、昨晩のことなど覚えているわけもなく、朝食を召し上がられた。

 夜勤終了後しっかりとヒヤリハット報告書に書いておいた…。(もう一人の夜勤者に書いてもらった。)

 いつもよりも疲れる夜勤ではあったけれど、無事に終了し、満足。満足。
 プロフェッショナルとは、「入れ歯を見ただけで、それが誰の(義歯なの)かが分かることです!」と、少し誇らしげに思えた。

 まあ、認知症の人もいっぱいいるので、義歯が合っているかどうか分からない人もいるかもしれないけどね。




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