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2014年5月

2014年5月28日 (水)

イマジナル細胞(25年間の引きこもり②)

 ノリ・ハドル/きくちゆみ著「バタフライ もし地球が蝶になったら」(ハーモニクス出版)という本があるらしい。その本にはイモムシが蛹となり、そして蝶となるまでの過程を描いているそうなのだが、それは次のようらしい。(読んでないのだ!)

 イモムシが糸を吹き出し自分の身を包み蛹となる。そして蛹から蝶へと生まれ変わる。この一連の過程の中で何が起こっているのか。あのグネグネしたひとつの単純な生き物にしか見えないイモ虫が蛹となり、その蛹を破って色鮮やかな羽根を持ち大空を自由に飛ぶことのできる蝶となるまでに…。

 蛹の中で何が起こっているかと言うと、イモムシの体は一旦融けて液体化する。その液体の中にこれまでイモムシの体にはなかったイマジナル細胞と呼ばれる細胞が発生する。最初そのイマジナル細胞はごく少量であり、またこれまでの細胞とはかけ離れた波動のため、芋虫の免疫細胞に撃退されてしまう。けれどもそのイマジナル細胞はいくつも生まれ続け、遂には芋虫の免疫細胞を乗り越え増えてゆき、単独だった細胞が結合しグループを作る。その勢力はどんどん増していき連結し、同じ波動で響き合い新しい体へと変化することを悟る。そしてそれは全ての細胞にその波動がいきわたり、遂に蝶の体となる。そこからは誰もがこれまでに見たことのある、蛹を破り出てきた蝶となり、その羽を伸ばし乾かして、そして大空へと舞い上がる。

 前回僕は25年間の(精神的)引きこもりに気がついた。何度も多くの人がノックしてくれていたにも関わらず、傷つくのではないかいう小さな恐怖心の積み重なりが大きなトラウマとなり、その防御として更に頑丈な鍵をかけて世間に抗していた。けれどもその一方で心は救いを求め続け、引きこもりの部屋から外へ出たいという気持は常にあり、この状態から脱しようともがいていた。その気持ちやもがきこそ僕のイマジナル細胞ではなかっただろうか。

 けれども僕のもがき(イマジナル細胞)以上に、僕が鍵をかけた扉(免疫細胞)は頑丈で、いつもイマジナル細胞はあえなく撃退されてきた。トラウマに捕われ防御する自分。一方で外へ出たいという自分。その矛盾に僕はいつも悩み、やがてそれはストレスとなり、そのはけ口が見つからず、遂には何らかの形で爆発した。その爆発先は自分よりも弱いと思えるところへと向かう。いわゆる一種の精神疾患状態だ。

それが繰り返されること25年。25年かけて遂にイマジナル細胞は免疫細胞を乗り越えた。そして連結していくようになった。ようやく僕自身が抱える自己矛盾が受け入れられるようになってきた。僕の中にある黒と白が同時に受け止められるようになり始めた。そして全体的統合を目指そうと思うようになってきた。

 思えば、イモ虫の世界とは、1本の木の世界。ただ本能に従い、その木の葉っぱを食べまくる。例え別の木があることを認識することはあったとしても、その木に移ることはまずないだろう。そして敵を警戒しながらの生活を続け、身の危険を感じた時には、臭いにおいを放出したり、とげや毒でもって威嚇したりする。いわば非常に制限された中での弱肉強食の世界。

 けれども蝶となると世界が一変する。自らの羽でもって自由に飛び回り、花から花へと移っていく。その花も(受粉作用の担い手として)蝶に来てもらうために蜜を用意する。お互いがメリットを享受し、しかも生命を循環させていく。更には花の美しさ、蝶の美しさそれらがより一層世界を美しくする。相乗効果の共生世界。もちろん危険もあるのだろうが、イモムシの頃に比べると格段に自由度は高くなり、また他を傷つけることもはるかに少ない。

 僕は変わる。そして世界を変える。これまでの僕は小さな世界で指をくわえてみているだけだった。例え空を見ることがあってもそれ以上は何もしない存在だった。現状の世界に不平を言い、八つ当たりばかりしていた。けれどもこれからは大空を自由に飛び交い、共生し、循環させる世界の一員となる。イモムシから蛹となり、そして蝶となる時代が遂に僕にもやって来た!

 まあ、まだまだ殻を破って、羽を伸ばし乾かさなきゃいけないし、空を飛ぶのにも勇気が必要で…、しかも最初は飛び方もぎこちないかもしれないのだろう。それもまた通過儀礼ということで。



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2014年5月21日 (水)

びっくりした!(雑談)

数日前の出来事。久々に夕方散歩をして親父の墓へ歩いて行った。お墓のコップを取って水場へ行き、コップを洗い水を入れると共に、バケツに水を汲んでお墓まで戻った。そしてお墓を掃除するためにコップをとりあえず端っこに置いて、周りに落ちているシキビの葉っぱを拾っていると、ふと左横に何かを感じた。

 見てみると、なんとそこには男の人が倒れていた!(最初のお墓に行った時には時は全然気がつかなかった。)慌てて駆け寄り、「大丈夫ですか?」と肩をゆすって声をかけるが、何の反応もない。もう一度声をかけるが、やはり全く反応がない。顔をよく見ると顔に赤みはあるが、鼻血を流した後がある。一瞬酔っぱらいとも思ったが、声をかけてもピクリともしないので、「こりゃもう死んでるのかも…。」と思った。(焦った。)

 とにかく警察なり誰かを呼ばなきゃいけないと思い、お寺の建物(庫裡)へと走る。そしたら家の前に高校生4,5人がいたので、「ちょっと手伝って!人が倒れている。ひとりは誰か(お寺の)大人の人を呼んで来て!」と言うと、高校生たちもビックリした顔になって「うそ~」って顔になる。そして3人ほど連れて走って倒れている人のところに戻る。

 再度体をゆすり、「大丈夫ですか?」と声をかけるが、反応なし。高校生たちの顔をみると、それはそれはビックリした顔で…。さて高校生を連れてきたのはいいけれど、どうしたものかと思い、もう1,2度「大丈夫ですか?」と声をかける。すると、おじさんは目を開け、顔を上げ「大丈夫てて何やねん?」とダミ声を上げる。

 ありゃ?もしかして単なる酔っぱらい?でも、生きててよかった~。

 そのおじさん再び「大丈夫てて何ねん?」と典型的な酔っぱらっい状態で今度は絡み始めた。高校生たちも「なんだ酔っぱらってるだけだ。」とひと安心の様子。その後お寺の奥さんがやってきて、「一体どうしたの?」と怪訝な表情で聞いてきたので、「大丈夫。倒れているのかと思ったら、酔っぱらっているだけでした。」と伝える。

 その間もおじさんは「大丈夫てて何やねん?」と再び絡んできて、遂には「お前らに話を聞いてほしいねん。」なんて言ってくる始末。けれどもみんなおじさんが単なる酔っぱらいだということが分かり、おじさんの話を聞こうとするものなどおらず、その場で解散。よく見るとおじさんが倒れて(寝て)いた場所の前のお墓には小さなお酒の瓶がある。まあいいかと思い、僕も再びお墓の方へ戻る。けれども、このまま放っておいてもよいものかと少し気になると、お寺の奥さんも戻ってきて、「このまま放っておいていいのでしょうか?」と尋ねてくる。

 「そうですねえ…。」「一応警察に連絡しておきましょうか?」

 「そうですね。そうしましょ。僕携帯持てないのでよろしくお願いします。」と奥さんにお願いする。

 おじさんは再びその場で寝転んでいる。それを横目に僕はお墓掃除を始める。もしかするとおじさんも寂しいのかもね~とか思いながら、お墓に水をかけ、般若心経を唱え…。

 しかし最初僕はおじさんが倒れているのに全く気がつかなかった。正面で倒れていたにもかかわらず気付かなかった。まさかそんなところに人が倒れているなんて思いもしなかったので、脳にその姿が映らなかったのだろうか???ちょうど脳について書かれている本の中に、脳は見たいものだけを映すなどと書かれていたので、そうなのかもしれないと思った。

 しかしびっくりした。けれども何だか不思議にも思えた出来事だった。これもまた何かのメッセージ?



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2014年5月14日 (水)

25年間のひきこもり

 毎週火曜日の夜NHKで「サイレント・プア」と言うドラマが放送されている。深キョンこと深田恭子演じる社会福祉協議会(社協)のコミュニティーソーシャルワーカー(CSW)里見涼が、地域で課題を抱えている人(家族)を解決に導いていくドラマなのだが、聞くところによると大阪にある社協の実在の人物をモデルにしているらしい。

 先日ドラマのテーマは「30年間家に引きこもっている男性を立ち直させる」というものであった。町内会長を務める男性は元銀行マン。子どもは仕事で海外に行き活躍中と近所の人々からは噂されているが、実は大学受験に失敗してからずっと30年間家に閉じこもっている。町内会長も年を取り、息子も50になろうとしている。一体このままではどうなるのだろうと心配し、意を決して深キョンこと里見が(前回の放送で)立ち上げた引きこもり者を支援するコミュニティカフェを訪れ、息子のことを相談する。そして深キョンはその町内会長宅を訪ね…という内容だった。

 このドラマを見ていて僕はドキッとした。何だかその主人公が僕自身に重なって見えたのだ。僕がテレビにいるって思えた。僕は家に引きこもっているわけではない。外に出て働きもしている。(ただし都合上現在はほぼプー太郎、引きこもり状態に近いが…。) けれども僕はずっとひきこもっているんだと思った。

 確かに体は外に出ている。休みの日も家にいるのが嫌いなので外に出ることが多いため、もしかすると普通の人よりも家にいないかもしれない。これまで色々なところへ出かけ、いろいろなものに参加し、体験し、きっと人よりも多く遊んでいる。けれどもやはり引きこもりに思えた。何故なら僕の心はずっと引きこもり状態だったから。

 いつから僕は心をずっと閉じ込めてしまうようになったのだろう。振り返れば大学へ入ったころから…(?)。と言うことは約25年間ずっと閉じこもっていたことになる。途中何度もいろいろな人が僕の(心の)扉をノックしてくれた。けれども僕はそのノックに応えることはなかった。いや、正確に言えば応えようとしたのだが、いつも恐怖に駆られ、その時は扉を開けようとしなかった。そしてその人たちがいなくなるとようやく恐る恐る扉を開け、外を見る。当然のことながらそこにはもう誰もいなくなっており、今度はそれを嘆いていた。そんなことをずっとこれまで繰り返していた。その繰り返しでますます人におびえるようになり、最近では親兄弟に対しても完全に心を閉ざしていた。

 けれども僕はそのことにずっと気づかないでいた。いやもしかすると気づいていたのかもしれない。けれどもそれを直視するのが怖くて、気づかないふりをしていた。あるいは別のことを原因とし、そこをいじることはするが、本当のところからは目をそらし続けていた。

 「トラウマ」~心的外傷。僕の持つ他人への恐怖の感情。僕の過去の記憶をたどってみれば、最初は何気ない友達のひとことから始まっているような気がする。そこからどんどん積み重なり、遂には完全に心を閉じてしまって…。結局逃げ続けていたのだ。

 ドラマを見てようやく僕自身(の抱えるトラウマ)を直視しようと思った。そして抜け出そうと思った。25年間の引きこもりから一挙に抜け出すのは大変だろうけど、それでも外の空気が吸いたいと思った。

 そう思っているとちょうど1冊の本が届き、その本の中に次の言葉が書かれてあった。
逆に言うと、このタイミングでできれば見たくない過去のトラウマを直視して、それを総括し受け入れることができれば、すばらしいポテンシャルを活かして、格段に素晴らしい会社に変貌することができる…(中略)…本来の輝かしい力を堂々と使いこなすためには、敗戦というトラウマを私たち自身がしっかりと受け止めていく必要があるのです。」 舩井勝仁・はせくらみゆき著「チェンジマネー」(きれい・ねっと)

 少し話題の方向性は違うが、僕自身に言ってくれているような気がした。この25年間何もせずただただ引きこもっていたわけではない。方向性違いだが修行もしたぞ。それを考えると僕にも大きなポテンシャルがあるはずだ。この文章と同時にイマジナル細胞などと言う言葉も飛び込んできた。(←次回のブログで)

 25年間の心の引きこもりから「今こそ(心の)扉を開けなさい」とメッセージが降りてきているような気がする。

 ドラマでは深キョンが毎日(?)町内会長宅を訪問し、息子に優しくそして根気強く話をつづけ、遂には息子も部屋の扉を開け…という展開で、考えてみれば深キョンみたいな子にそんなことをされるという、なんとも羨ましい気がするのだが…。我が町にも社協はあるけど、そんな子いるのかな?先日社協を訪ねた時冷静に「いない。」って言われたっけ…。



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2014年5月 9日 (金)

Worst Days(最悪の日々~介護編)

 それは夜勤明けの日に起こっていた。明けの休みを挟んで2日ぶりの出勤。(有料老人)ホームに行くと入居者Mさんのお金が無くなったという。そして(犯人として)僕のことが疑われているとのこと。何故???と言うのは次の通り。

 数日前Mさんの娘が来所した時に、買い物用としてMさんに2万円を渡したのこと。Mさんはそのお金を自分の財布にしまった。(そのことは娘も確認)
 そして僕が夜勤の日。Mさんを夕食前後と就寝前にトイレに誘導する。夜中も確か1度NCがありトイレに誘導。そして朝食前と朝食後にも誘導。ちなみにMさんはトイレに行くときはいつもナースコール(NC)を鳴らす。それに対して職員はMさんを車いすでトイレに誘導する。そして終わればまたNCを鳴らしてくれるので、再び職員にて誘導する。19時半以降次の日の7時まではそのフロアに職員は夜勤の僕ひとりなので、MさんのNCも当然全て僕が対応した。それ以外は僕が対応したのもあれば他の職員が対応したのもある。
僕は朝食介助を終え、朝のミーティングに参加して、いくつかの雑用をこなし、すべての夜勤業務が終了したのが10時すぎ。介護主任(代行)の僕は夜中も様々な作業に追われくたくた状態。フラフラ状態で帰路へと向かう。

 僕が帰ったその日Mさんの顔色が変わった。何故なら午前中にMさんが財布を確認したところ、あったはずの2万円がなくなっていたから。ちょうどその日娘が来たので、Mさんは娘にそのことを話す。そして娘は施設へ訴えた。娘さんの話では昨日の夜Mさんが財布を確認した時には2万円はあったとのこと。

 その話を総合すると、僕が夜勤の日の夜にMさんが財布を確認した時には2万円があった。けれども翌日の午前中に再び財布を確認すると確かにあったはずのその2万円が紛失した。状況的に盗ったのはその日の夜勤者に違いない。つまり犯人は僕。ひえ~。

 僕は断じて盗っていない。でもMさんはすっかり僕を犯人だと思い込み、不信感満々。

普段Mさんは自分の枕の下に財布を入れ、食事の時など部屋から出る時にはその財布をカバンに入れ車椅子の背もたれと自分の背中の間に入れて移動する。それがMさんの習慣。唯一財布から離れるのが、食事前後のトイレ入った時(この時財布の入ったカバンを車いすに置いておく。)と、お風呂の時。

 それらのことを考えると如何せん状況は僕が怪しい。限りなくクロに近い。けれども僕は全く身に覚えのないこと。まさか朝食前のトイレ誘導の際、夜勤疲れの無意識下で盗んでしまったか?そんなはずはない!これまで自分のお金をつぎ込むことはあっても盗ることはない。じゃあなぜ、どうしてお金は無くなってしまったのか???

 フロアリーダーに「状況からすると、僕は極めてクロに近いね。」と言うと、「そうそう。」と。フォローしろよ!(今リーダーとは信頼関係はできているので、まさか僕が盗ったとは思っていなかっただろう…???)

 しばらくの間僕はMさんのトイレ誘導はせずに状況を見ていた。けれどもお金がベッドの下から見つかったなどと言う報告もないので、数日後僕はMさんの居室に行き、直接僕は盗っていないことを訴えた。けれどもMさんは「警察に言ってもいいよ。」とのこと。僕とMさんの信頼関係は完全に壊れてしまった。

 更に悪いこと(?)に、僕はその施設をあと1週間で辞める。(高齢者介護を終わりにする。)周りから見れば残り1週間だから…なんて思われなくもない。でも職員は…。他の職員を疑うのも嫌だ。気の合う人もいれば、合わない人もいるけれど、介護する人に基本は、少なくとも僕が主任代行する現場には、そんなことする人はいないと信じたい。とか言いつつ疑ってしまいましたが…。(いろいろな施設で盗難の件で新聞沙汰になったりもしますが…。)

 結局Mさんとの信頼関係は崩れたままで終わってしまった。その後お金が出てきたとの話も聞かなかった。だから僕の直接介護の終わりはとてもビターなものとなってしまった。今でもあれほど嫌な思いをしたことはなかった。何度も言うが、そして今でも言うけれど、「僕は盗っていない。」

 高齢者施設の中で働いていると時々お金のトラブルは発生する。もしかするとこれを完全になくすことは不可能なのかもしれない。(例え完全クレジット制とかスマホ課金制とかしたとしても…。)けれども施設の中でお金のトラブルに巻き込まれるのは二度と嫌だ!

 心に傷を負った。



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2014年5月 6日 (火)

みかんの花咲くこの季節

 みかんの花咲く季節がやって来た。我がみかん(いよかん)畑も花いっぱい!と言いたいところだが、今年は花がほとんどない。まあ枯れ木に花は咲かないか…。特に僕が剪定した木には花がない。新緑の葉っぱだけが伸びている。やはり腹を立てたり、文句を言ったりしながらの剪定ではみかんは応えてくれない。

 しかし、わずかながら白い花がチラホラ咲いており、その花からは甘い蜜の香りがする。そしてその匂いに誘われてミツバチはどこからともなく集まってくる。みかんの花咲く季節。この甘い香りで思い出されるのは去年の出来事。

 去年の今頃夕方から夜にかけ時々近所を散歩していた。僕が子供のころは一面の田んぼが広がっていたこの地域も、今では住宅街となり家だらけ。子どものころの思い出は、田んぼが埋め立てられて、その形跡が無くなると同時に消失していく。そんな寂しさをも抱えた散歩であるけれど毎回いろいろなことを考えながら歩いていた。ある日1時間近く歩いたのでそろそろ散歩を終え家に帰ろうと家に囲まれた道路を歩いていると、かすかに甘い香りが漂ってきた。そしてその香りはだんだん濃くなり何とも言えない気持ちになった。

 その匂いこそみかんの花の香りであり、我がみかん畑から香るみかんの花の香りだった。その香りの存在に改めて驚いた。そして思った。このみかんの香りが一体どれだけの人を癒していることだろうかと。そう考えるとこのみかん畑が無茶苦茶貴重なものと思えた。

 かつて子供のころ小中学校の通学路の途中には、ところどころにみかん畑があった。けれども今ではそのみかんの木は切られて宅地化され、家が立ち並んでいる。今では通学路の途中にみかん畑を見ることはない。唯一我がみかん畑のみだ。子ども達は毎日このみかん畑の前を通って学校へと向かう。その意味でもこの地域に残された我がみかん畑は貴重だ。

 けれども町はこの地域を市街化区域とし、畑や田んぼを宅地化とする方向で考えている。そのため税金は高くなっている。もしこれが農業区域ならばずっとその固定資産は安く済む。要するに行政は住宅街にあるみかん畑、あるいは田んぼの存在を否定しているわけだ。(税金高いのだから)早く売ってしまうか、もしくは宅地化してマンションでも建て人の住む場所にしなさいと…。

東京に住んでいた時には住宅街の中に時々農地があり、そこは緑地保存地区となっていた。きっと税の控除がなされていたのではないだろうか。そしてその小さな畑がどれだけ都会の中家だらけの空間にやわらぎを形成していたことか。有ると無いでは大違い。この町もその必要性を早く理解してほしい。

 このみかん畑の価値は売り上げにすればわずか10万円。人件費も出やしない。けれどもこの季節はこうして甘い香りを漂わせる。そして秋には虫の大合唱。やがてみかんは色づきオレンジ色の美しい光を放つ。一連の変化で多くの人が季節を感じることができていると思う。それとも人々はホームセンターに売られている色とりどりの花をプランターや小さな庭に植え、それを見ることで季節を感じるだけでいいのだろうか。

 僕にとってはとても愛おしいみかん畑。今年の花はわずかなれど、それでもここには様々な「いのち」が宿っている。そしてその「いのち」は季節と共に循環している。それを人々は無意識に感じる。ましてや今では無農薬のみかん畑。どれほどいのちの多様性があることか。その価値プライスレス!

 この貴重なみかん畑。じいちゃん、ばあちゃんからの贈り物。たくさんの思い出の詰まった場所。そして人々が季節を感じる場所。例え今年の収穫はわずかであっても守りたいと思う。

 なので大○建託の営業マンの方々、もう来ないでくださいな。



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