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2014年3月

2014年3月26日 (水)

タイムスリップ

 約4か月ぶりに東京を訪れる。今回は昨年の7月から9カ月にわたり実施してきたプロジェクトの最終報告会としてその成果を15分間でプレゼンテーションし、その後質疑応答するのが目的。

 朝9時半から会議開始の為前日に東京に入り、ひとり作戦会議を実施するために15時にホテルにチェックイン。宿泊するホテルは西新宿にあるハイアットリージェンシー。高級ホテル。一体どのようなホスピタリティあるサービスが受けられるのかちょっと楽しみ。フロントで部屋は11階のツインルームをご用意しましたということ。エレベーターに乗り部屋まで案内してもらい、「カーテンを開けてもいいですか?」と聞かれたので、「お願いします。」すると窓から見えたのはまさに東京らしい風景。眼下に公園が広がり、その向こうにはビルの群れがず~っと続いている。その公園をよく見てみると石が積み上げられウエーブ型をした噴水(?)があった。更に注視するとそこには20年前の僕がいた。

 大学を卒業し、(今では割と大手の)とあるメーカーに就職し、勤務先として配属されたのが東京にある営業所だった。何故だか営業職となり、毎日あちこち訪問して回った。けれどもいつまでたってもちっとも売れない。成績は上がらない。最初は期待してくれていた上司からも挙句の果てに、「おかしいんじゃないか?」と言われる始末。今考えれば全く営業に不向きな性格であり、また製品にも全く興味のなかった僕が売れないのは当然なのだが、それでも当時の自分は自分なりに悩んでいた。そして時々車で訪れるこの公園の噴水近くのベンチに腰掛け、「この先どうしたらいいのだろう?」と暗い顔していた。20代にも関わらず老けきった自分。あの時の自分がそこにおり、彼を見下ろしている僕がいた。

 当然ながらあのころの自分は、20年後に目の前にあるホテルに泊まるようになるとは夢にも思わず、前を見ることもなくただただ下を向いてため息をついているばかり。悩んではいるけれど、やる気があるようで、実はあまりなく、ただただ空から幸運が降ってくることばかりを期待していた。

 「嗚呼かつての自分よ、君に売ることはできないよ。君に営業は不向きなんだ。来年度はメンテナンス部門に配置転換される。その時は再び大泣きすることになるけれど、数年後にはそこで活躍できるから。そんな暗い顔してないで、もっと楽しみな。」と声を掛けようとも、当然ながらその声は届かない。時間とはあるようでないもの。なのでおそらくその声を届ける方法はあるのだろう。けれどもたとえ時空を超えてその声を届けたとしても、当時の自分にはその声は全く聞こえなかっただろう。

 今思えばあのころの自分は全くもって軟弱だった。実力もないくせに、ただ身勝手なプライドだけが先行して、格好ばかりつけようとしていた。

 それから20年。僕はハイアットの11階の部屋から、あのころの自分を見下ろしている。今では物売りではなく、ひたすら社会のひずみを何とかしようとしている僕。けれどもこの20年で一体どう変わったのだろう。ハゲた。それは確か。でもそれだけか?いろいろな経験をしてきた。確かに強くなったと思う。少しは実力もついただろう。以前よりぶれなくなった。けれどもここまで登って来たのだろうか。振り返れば相変わらず組織に属することができずに、身勝手な僕がいる。時にそのどうしようもなさに落ち込んだりもする僕がいる。そして相変わらず人づきあいが苦手な僕がいる。むしろまだ当時の自分の方がよかった。ついでにきっとあのころの方が年収は多かった…。(笑えない…。)

 変わった僕。変らなった自分がいる。20年の月日は長いようでもあり、短いようでもある。バスローブを着て上から見下ろす僕。偉くなったか、ならなかったか。まあどちらにせよ仕事の経費として、そしてたまたま飛行機のチケットとセットでのバーゲンセールだったし…。そう考えると結局相変わらずか…。

 それでもひとつ。あの頃よりは人のために、そして社会のために貢献しようとしている僕がいる。そして一生懸命主体的に生きている僕がいる。

 なのでハイアットさん次はもっと上の部屋でお願いします。



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2014年3月21日 (金)

ミイちゃんPart2

ミイちゃんは只今中学生。

けれども彼女は自分で立つことも座ることもできなければ、食べることもできない。

そしておしゃべりすることさえもできない。



ミイちゃんは僕が初めて出会った重症心身障害児者(※1)のひとり。

彼女と初めて会ったとき、彼女は車いす(バギー)に乗っており、その表情はすごく緊張しているように見えた。

なんたって彼女の前に突如現れたのはヤクザなタコ坊主!?

けれども僕はミイちゃんを見て彼女以上にショックを受けた。


何故なら、彼女は側弯症(※2)で体が歪み、その矯正のために体中に装具をつけている。

更に首ものけぞり、その姿が何とも言えないぐらい痛々しかった。

正直こんな障害を持っている子供が世の中にいるのかとびっくりした。

そのため社会福祉士という資格を持っていながら、正直どう接していいのか全く分からなかった。


それからミイちゃんとは仕事で週に1回程度会うようになった。

しばらくの間僕は「こんにちはミイちゃん、元気?」とぐらいしか声をかけるぐらいしかできなかった。

何故ならなんて声掛けしたらよいのかさっぱり分からなかったから。

それでも会うたびにだんだんと慣れてゆき、そのうち彼女の姿を見るたびに、何かしてあげたいと思うようになった。



本来彼女の年頃なら、学校に行って友達といっぱい話して、おしゃれしもて、いろいろなところへ出かけているだろう。

今の時代ならパソコン・スマホを使って何でも知りたいことを調べて、アイドルに憧れ、学校の誰が格好いいと噂して、そしていっぱい遊んで、勉強もして…。

好奇心旺盛。箸を落としてもケラケラ笑う少女時代。

けれども彼女にはそのようなことが一切できないのだ。



平日ミイちゃんはお母さんに連れられて療育センターにやって来る。

そしてリハビリを受けに行ったり、デイサービスに通い、そこで訪問教育を受けたりもしている。

彼女が通える学校が地域にはないため、先生が訪問してくるのだ。

先生やデイサービスのスタッフは彼女の療育(※3)のために様々な取り組みを行っている。

絵を描くこと、書道をすること、時にはおもいっきり一緒に遊んだり。


けれどもやはり自由に動ける子供たちに比べると、それは限られた小さな小さな世界でしかない。

何とかミイちゃんの世界を広げてあげることができないものか?と僕の社会福祉士スイッチが入ってしまった。



僕の今回の仕事は、彼女のような重症心身障害児者とその家族が、地域の中でより良い暮らしを送れるようになるための支援方法を考えること。

あるいはどのような支援が必要なのか調査すること。

そのために様々な事業を試験的に実施する。

そしてそれらの結果を報告書としてまとめ提出すること。



センターを訪れる度にミイちゃんと会うようにしていると、どのような状況の子であれ徐々に打ち解け、仲良くなっていくものだ。

いつしか彼女と会うのが楽しみになっていったし、会いに行かなきゃと思うようになっていた。

なぜなら仕事でいろいろな事件が起こり、ストレス度が上昇した時、あるいは心が折れそうになったりした時いつも彼女は心を癒してくれたのだ。

今ではミイちゃんは最高の笑顔を見せてくれるのだ。

僕の声掛けに対して、彼女は言葉にならないけれど一生懸命答えようとしてくれる。

(ミイちゃんは話すことはできないけれど、こちらの言うことは分かっているようで、「うん」とかは言える。)



ところでミイちゃんに限らず重症心身障害児者の笑顔には人を癒す力がある。

きっと誰もがその笑顔を目にすると、癒されるに違いない。

先日重症心身障害児者とその家族のドキュメンタリー映画「普通に生きる」を見たのだが、その中に出てくる重症児者はそれぞれに最高の笑顔を見せていた。

映画を見た感想のなかにも「その笑顔に癒されました。」というものが多かった。

映画の中で重症心身障害児者の役割を、

「彼らは家にいるだけでは何もできない。けれども(外に出て)人に会うこと、人と触れ合うことで彼らは与えることができる。それが彼らの仕事。」

と話していたのがとても印象に残った。

なぜなら普段僕らは、「『仕事』とはお金を稼ぐための手段やもの」と思っているけれど、本当は「仕事」にはそれ以外にもいろいろな意味があるのだ。

お金には換算できない「仕事」があるのだ!

そのことを僕に実感として教えてくれたのが、デイサービスに通う重症心身障害児者たちであり、ミイちゃんだった。



ミイちゃんは例え手を握ったとしても、握り返してくることはない。(できない。)

(重症児者の)定義にあてはめれば、運動機能では寝たきり状態であり、知的な面においては小学生2,3年程度の知能指数しかないとされる。

けれどもミイちゃんを見ていると、そのような定義は表面上のことだけであり、きっと内なるところでは同じ年齢のどんな元気な子どもよりも発達させているものがあるのではないかと思う。

きっとある!

それを医者や学者たちは、(目に見えるもの、科学として証明できる以外は)理解しないし、分かろうともしないのだ…。



そして時間は過ぎてゆく。

もうすぐミイちゃんともお別れ。

事業は終了し、僕の任務も終了となる。

一連の活動の報告書を作成し、それが記録として残される。


一体どれだけの成果が出せられたのかは分からない。

お偉い方々がどう判断するものか。

それより、もこの子(人)たちの役に立ったのか。

立つのか…。

何よりミイちゃんの世界を少しでも広げることができるのか…、

心もとなくもある。



そこで今度ミイちゃんとデートすることにした。

3月の終わりにお花見に出かけることにした。

デートと言っても父親とその子供のような年齢ではあるけれど…、父親とのデートも世間にもあるし…。

彼女と一緒に満開の桜を見に行くぞ~。

何よりもミイちゃんとの思い出づくり

楽しみです!



※1 重症心身障害とは、重度の肢体不自由と重度の知的障害を合わせ持つ複合障害。具体的には、身体的には寝たきり、もしくは座位を保つ(座れる)程度。そして知的には知能指数は35ぐらい(小学2,3年生)まで。その原因のひとつは脳障害と言われる。

※2 側弯症とは、脊柱が側方へ曲がり、そのうえ、ねじれも加わる病気。

※3 療育とは、治療教育の略で、お子さんの弱い部分を伸ばしていく為の訓練の事





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年3月15日 (土)

こんにちはさようなら711

 今更ながらコンビニ業界最大手のセブンイレブンが県内初出店した。ニュースでそのことがとりあげられており、その映像を見てみると、お客さんがいっぱいで、「この日を待ってました。」「買い占めちゃいました。」とコンビニらしからぬ大きなレジ袋を手にしていた。店側も今回の出店に合わせて地元にこだわった商品を開発し地域密着型で…、なんていっているけれど、そんなに大きな出来事なのかな~?

 と、世間のホットな話題を、冷たく見放す僕がいる。だって東京にいた頃セブンなんて嫌と言うほど行ったし…。

 ところで僕は最近韓国人が作る本場キムチにはまりつつある。最初に買ったのが300g入りの白菜キムチ、次に買ったのが500g、その次買ったのは1kg。今では1キロが定番であり、お店の人から「いつもありがとうございます。」なんて言われるまでになってしまった。

 それともうひとつはまっているモノがある。それはもう1年ぐらい前からなのだが、高知県で作られている手作りお味噌。道の駅で売られていたのを、何を思ったかもう覚えていないが、買ってしまったのだ。けれども今では「このお味噌じゃなきゃ嫌だ!」っていうぐらいになっている。

 初めてそのお味噌を買って、次の日味噌汁ができた時のことが今でも忘れない。朝2階から1階へ降りる途中に漂ってきたその香り、そして感じたあの時の思い。「あ~、このお味噌汁は生きている!」。そうあの時(お味噌汁が)生きているって感じたのだ!

 それ以来仕事の関係で高知付近まで行った時に、その都度道の駅でお味噌を買っている。けれども最近そこを訪れるのが月曜日のみとなり、月曜日はその道の駅が定休日となっているので、そのお味噌を買うことができなかった。先日久々に月・火曜日と訪れることがあったので、ここぞとばかしに買いに行くと、残念ことに品切れ中だった。もう家にあるそのお味噌が残り少なく切れてしまいそうなので、仕方なく別のお味噌を買った。

 そして遂に数日前そのお味噌はなくなってしまい、代わりに買ったお味噌で味噌汁を作った。こちらも無添加。しかもパッケージには「呼吸をしています。」なんて書かれてある。いつものように具だくさんのお汁にお味噌を溶き、出来上がったのを一口味わってみると…、

 やっぱ味が違う。美味しいのだけれど、やはり違う。僕には少々甘ったるい。意気消沈。

 お気に入りのお味噌の容器には、作っている人の名前、住所、そして電話番号が書いてある。なのでその日の夕方、思い余ってそのお味噌を作っている自宅に電話を掛けてみた。

 「私いつも道の駅でそちらのお味噌を買っているモノですが、最近手に入れることができません。そちらのお味噌が欲しいので、今度買いに行きたいのですが…。」

 すると現在品切れとなっており、4月以降でないとモノがないとのこと。「いつもはこんなことないのだけどねえ。」とのこと。これまた残念。けれども4月になればできるので、できたら何キロでも郵送で送りますよとのこと。それもパッケージではなく袋に入れたものなので道の駅よりも安い。そこでとりあえず2キロ注文。ついでに「そちらのお味噌の大ファンです!」との愛を伝えておいた。

 あ~4月が待ち遠しい。

 うまい味噌汁。うまいキムチ。もちろん両方無添加。そして最近は納豆の上に大根おろし、更にその上にもろみを乗っけてゴマをふりかけ、玄米入りのご飯を食べる。それが僕の定番であり、僕にとってはこれが何よりもの御馳走。(納豆もほんとは藁を使って自分で作りたいのだけれど、無農薬で栽培された藁が手に入らないんだな…。)

 もう自ら肉を買って食べるということをやめて2年近くになるが、最近は魚介類を食べる機会も減りつつある。今ではキムチに特製納豆ごはんと野菜があれば十分(今のシーズンはプラスいよかんに特製フルーツヨーグルト)。これで自ら野菜を栽培するようになれば天下無敵。時に食べる魚も自分で釣ってくりゃいうことなし!

 セブンイレブンさんこんにちは&お元気で~。

 けれどもしかし、悲しいことに現在山パンのイチゴスペシャルとロッテのチョコパイがやめられないんだな~これが。添加物いっぱいや~。なかなか食べ物の誘惑は恐ろしい…。




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2014年3月12日 (水)

ミイちゃん

重症心身障害児者と呼ばれる人達のことを知っていますか。重症心身障害児者とは、重度の肢体不自由(身体障害)と重度の知的障害を合わせ持つ複合障害のことです。もっと簡単に言うと、身体を動かすことも、言葉を話すことも難しい状態の人たちです。その原因のひとつは脳障害とされています。重症児者は全人口の約0.03%程度と言われており、現在全国に35,000人程度いると推計されています。

この重症心身障害児者の実態調査など在宅生活における調査を1年間(8ヶ月間)愛媛県の南予地域において行いました。その時の重症児者との出会いと、その感想を述べたいと思います。

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クルミさんは現在40歳。40年前に重症心身障害児として生まれて今日までずっと家族と一緒に生活をしてきました。クルミさんは生まれてからずっと、自ら寝返りをうつこともできず、喋ることもできない状態です。お母さんに抱かれて車に乗せてもらい、定期的に病院へ通い、リハビリを受けて家に戻って来る。そうしてお母さんを中心に家族の世話を受けながら40年間暮らしています。

お母さんはクルミさんの世話を40年間続けてきているのですが、ある時クルミさんの(日中の)行き場所がないことを問題として立ち上がりました。そして同じように障害のある子供を持つ親同士で集まり、障害者を支援するNPOを立ち上げ、遂には施設をオープンさせました。今ではそこにクルミさんをはじめ、多くの障害を持つ人たちがやって来ています。地域に障害者が日中過ごせる場所ができました。更にはそれによって(地域の)雇用も生まれました。それはクルミさんの存在があったからこそできあがったものです。

ちなみに僕はクルミさんより2,3年先に生まれただけの同じような年齢です。彼女はこの40年間ずっと自分で動くこともできずに生きてきたのです。一方で僕といえば五体満足で生まれ、(しゃべりは下手ですが)話すこともでき、自由に動くことができます。国内・海外放浪の旅までしてきてしまいました。同じ40年ほど前に生まれてきた者同士、片や40年間ずっとベッドの上、40年間です! 片や好きし放題。一体この違いは何なのか、そして僕はこの40年間何をしてきたのか…、と真剣に考えさせられました。

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続いてアユちゃんは現在30歳。30年前重症心身障害児として生まれました。初めてアユちゃん訪ねた日、彼女はバギーと呼ばれる特別な車椅子に乗っていたのですが、お母さんに生活の様子などいろいろとインタビューしている間ずっと眠っていました。

アユちゃんは現在気管切開(※1)しており、毎日何度も痰の吸引が必要とのことです。それは日中だけでなく夜間も必要です。そのためお母さんは毎晩定期的に起きては(痰の)吸引をしなければなりません。大変です。けれどもお母さんはアユちゃんのことが可愛くて、かわいくて仕方なく、未だに子離れができないといいます。

アユちゃんには弟が2人います。普段アユちゃんは2階の部屋で生活しているのですが、家は普通の1戸建て住宅のため、人ひとりが通れるほどの階段しかありません。その為1階から2階への上り下りは毎日2人の弟さんかお父さんが2人で抱えて行っているとのことです。弟のひとりは介護職員としてずっと働いているそうです。そしてもう一人の弟も最近社会福祉主事として働きはじめたとのことです。そのうち社会福祉士など目指すのかもしれません。アユちゃんがいたから二人の弟たちは福祉の仕事についたのです。そして家族はアユちゃんがいるからこそひとつになれているのです。

後日近隣の施設で再びアユちゃんに会うことがありました。その日アユちゃんは起きていました。お母さんとの話が終わり、2人を車まで見送りに行き、車のドアを開けてお母さんがアユちゃんを車に乗せようとする際、彼女はとびっきりの笑顔を見せてくれました。その笑顔はこれまで見たこともないような純粋そのものでした。いっぺんに心が洗われました。お母さんが子離れできないと言う理由が分かった気がしました。

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そして最後に紹介するミイちゃんは現在中学生です。十数年前に重症心身障害児として生まれました。ミイちゃんは僕が初めて出会った重症心身障害児者です。その日ミイちゃんも僕の顔を初めて見るので緊張しているようでした。(生まれて初めてみる海坊主!) 僕はミイちゃんを最初見た時、その姿にものすごい衝撃を受けたました。何故なら彼女の身体は側弯症(※2)で歪んでおり、なおかつ体中に装具をつけていたのです。更に首ものけぞっており、その姿がとても痛々しく感じられました。正直こんな重度の障がいを持つ人がいるとは知らなかったので余計に驚かされたのです。

ミイちゃんは市営団地でお母さんと2人暮らしです。平日ミイちゃんは日中いくつかの施設で過ごします。曜日によって利用する施設が違います。お母さんは仕事をしながらも、ミイちゃんが日中過ごす施設への送り迎えをします。ちなみにその施設に毎回午前中に特別支援学校の先生が訪れ2時間ほど授業が行われています。地域にミイちゃんのような状態の子を受け入れられる学校がないため訪問学級といわれるものが行われているのです。お母さんは様々な福祉サービスを使いながらミイちゃんと二人三脚で毎日を暮しています。(そんなことを知るにつれ、僕は今回のこの仕事を頑張りたいと思ったものです。)

調査の業務を受けてからほぼ毎週ミイちゃんに会うようになりました。一緒に遊んだり、時には昼食の介助もさせてもらいました。いつのまにか仕事に疲れ、心が病んだ時には施設に来ているミイちゃんに会いに行くようになっていました。そしてミイちゃんの顔を見て話しかけます。そんな時ミイちゃんはいつも最高の笑顔で迎えてくれるのです。僕の声掛けに対して、言葉にならない言葉だけれども答えてくれるのです。いつしか仲よしお友達となっていました。(娘みたいなものですが…。)

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そして時はあっという間に流れ過ぎ、僕に託された重症児者の在宅調査の仕事は終わりました。僕がこの8か月がんばって来られたのはこれらの人たちの出会い、そしてミイちゃんのお陰です。ミイちゃんがいたからこそ何とかしたいと思ったのです。無事に調査を終わらせ提言書を作成することができました。


振り返ってみると、彼女達との出会いがあったからこそ新たな経験をすることができたのです。そこでは仕事だけでなく、「生きるとは?」「人生とは?」と考える機会も与えられました。随分と与えられてきた8ヶ月です。僕にその分のお返しができただろうか?それを考えると心もとない限りです。これから返さなければなりません!

それにしてもこの8ヶ月間は、僕の人生の中でも、素敵な出会いに恵まれたことは間違いなく、それを考えると感謝以外にありません!

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※文章中の名前はすべて仮名です。


(※1)気管切開とは、気管とその上部の皮膚を切開してその部分から気管にカニューレを挿入する気道確保方法

(※2)側弯症(脊椎側弯症~せきついそくわんしょう)とは、脊椎(背骨)が側方に弯曲する病気である。(ウィキペディアより)





らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2014年3月 5日 (水)

 自然栽培のみかんづくりを目指して3年の月日が経つけれど、まだまだ理想のみかん畑からほど遠い。というよりもどんどん木が枯れてゆき、寂しくなる一方。このままではまもなくみかんの木が総入れ替えになるのではという不安も募る。一体いつになれば「安全・安心そして元気の出るみかん」ができることやら。

 ともかく自然栽培で生命力のあるみかんを夢見ているのだが、先日読んだ本の中にそのヒントになるのではないかと思えるようなことが書かれていた。その本は渡邉格 著「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」であり、「作物」と「菌」の「発酵」と「腐敗」について次のように書いていた。

 自分の内なる力で育ち、強い生命力を備えた作物は「発酵」へと向かう。生命力の強いものは、「菌」によって分解される過程でも生命力を保ち、その状態でも生命を育む力を残している。だから、食べ物としても適している。
 反対に、外から肥料を与えられて無理やり肥え太らされた生命力の乏しいものは「腐敗」へと向かう。生命力の弱いものは、「菌」分解の過程で生命力を失っていく。だから、食べ物としてはあまり適していない。
 (中略)
 「天然菌」は、作物の生命力の強さを見極めている。リトマス試験紙のように、生命の営みに沿った食べ物を選り分けて、自分の力で逞しく生きていけるものだけを「発酵」させ、生きる力のないものを「腐敗」させる。ある意味で「腐敗」とは、生命にとって不要なもの、あるいは不純なものを浄化するプロセスではないかと思うのだ。


 現在僕が行っているのは、無農薬・(無化学肥料)でできるみかん。木酢を散布したり、炭や堆肥を与えたりしている。堆肥の量をだんだん少なくして、いずれは太陽の光と水でもって(美味しい)みかんができるだけのエネルギーを持つようにするために、土づくりに取り組んでいるのだが、なかなかうまくいかない。けれどもその土づくりのキーワードがこの「菌」だと思うのだ。

 いい土にはいい菌がたくさんいる。だからその土は柔らかく、ホクホクで温かみがある。そんな風に思えるのだが、僕のところのみかん畑の土はまだ冷たい。これまで何十年も外から化学肥料を与えられ、生えてくる草はきれいに刈り取られ、そして農薬でもって消毒され、まるで無菌室の中で守られてきたみかんの木だから、急に外に出されても抵抗力ゼロ。更に土は化学物質の影響で冷たく固くなってしまっているのでその回復には時間がかかる。

 菌(微生物)の住みやすい環境づくり。それが現在の一番の課題だ。奇跡のリンゴの木村秋則さんは無農薬のリンゴづくりに10年の歳月を費やした。ただ木村さんの場合は全くの手探り状態から始めた。けれども僕の場合はそれができるってことが(木村さんのお蔭で)分かっている。「土を育てる」ってことが大切であるってこと。なので10年はかからないような気もするのだが、付きっきりでみかんづくりをしていないのだから、それぐらい覚悟しておいた方がよいのかもしれない。

 とにかくコツコツ続けるしかない。少しずつ少しずつ微生物を増やし、生きた土を作る。これに徹するしかない。そしていつか天然菌に負けない生命力の強いみかん(いよかん)を作りたい。放っておいても腐ることなく、しおれていくだけのみかん。そしてそれを食べた人が笑顔になる瞬間を見てみたい。僕の場合特に、化学物質過敏症の人が食べて笑顔になる瞬間が見てみたい。

 人間の意識と自然のマッチング。そこに最高のコラボレーションが生まれるような気がする。地球はその力をよりよく発揮するために人間をこの地に住まわせている。人間の持つ能力、そして地球の持つ力。それらが化学反応(共生反応)を起こしたときに最高のものが生まれる。それをサポートする微生物たち。この仕組みを会得することができたならば、きっと黄金に輝くみかん(いよかん)ができる。

 そんなみかんを作りたい。

 なんだかいいよかんがする。



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