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2013年11月

2013年11月27日 (水)

幕開け

 ニュースでカリフォルニア大バークリー校のチームが太陽に似た恒星のうち5個に1個が、地球と同じようなサイズと公転距離を持つ惑星を従えているという研究結果を発表したとあった。更には大気を持ち温暖で、地球上の生命に必要な液体の水が存在しうる惑星が意外に多いかもしれないとのこと。

 キター!都市伝説。地球外生命体の存在を一般ピープルに公開するための第一(二)段階に入ったか!

 なぜなら、これってイコール宇宙には地球以外にも生命が存在するってことを言ってるじゃん。更にもっと言うならば宇宙人の存在を間もなく認めますってことじゃん。

 これまで様々な映画でその存在をある意味恐怖やファンタジーとして(暗に)知らせていたけれど、遂に現実の段階へと入って来たか。

 地球と同じ大気もあり、気候条件も整った星がたくさんあるってことってことは、誰が考えても人間と同じような生命が存在するのでは?と思うのは当たり前のことだろう。ましてや地球のように生命体のいる惑星がこの宇宙で10億分の1という唯一の存在であるという方が驚きだ。

 僕らはこの宇宙に存在する唯一の生命体ではないのだ。

 「スライヴ」が宇宙人の存在を説き、「シリウス」が宇宙人に関する情報公開を迫った。政府やNASAがその存在を認めることに対する圧力はどんどん高まっている。一般レベルの科学の発達はその存在にどんどん迫り、これまでのように隠し続けることが難しくなってきている。

 数多くの宇宙の生命体がどのような姿なのか、人間と同じような姿なのか、それとも映画ETのような姿なのか、あるいはエイリアン…。そして彼らが友好的なのか、敵対的であるのか…。いずれにしても地球にやって来ているならばその知性や技術力は高いものを持っているのだろう。

 もし意識がその存在を生み出すならば、僕的には人間と同じような姿で、美しき女神さまのような姿を希望するな。もちろん友好的。そして宇宙旅行が現実となる!少なくともエイリアンやプレデターの姿は遠慮したい。そちらはSFファン・ゲテモノマニアにお任せする。

 それにしてもこうして宇宙時代がどんどん迫っているのは間違いない。心の準備をしておかないと、いざ宇宙人とご対面した時にはおしっこチビちゃうかも…。そして何より心をきれいにしておかないと。今のままでは地球人こそが他の惑星の人々にとって侵略者となってしまいかねない。もしかして宇宙人から見るとエイリアンやプレデターの姿=地球人(人間)だったりして。(一部爬虫類型の人間がいるようだけど…。)

 とにかくワクワクして次なるニュースあるいは現象を待ちましょう。時代の幕開け・夜明けがやって来てます。僕らは観客なのかステージの上にいるのやら。あるいはその舞台を創りだしているものかもしれない。どれを選ぶかはあなたの自由。なぜなら~

 意識が現実を創造する~のですから。

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2013年11月22日 (金)

だからやめられないPart2

 サティシュ・クマールは僕にとって師匠のような存在。彼の生き方や考え方、そして人間のあるべき姿等に関する思想は僕の考え方にピッタリ。だから僕が今一番影響を受けている人物といえば彼以外にいない。

 その彼の思想を説いた映画(DVD)「サティシュ・クマールの今ここにある未来」の上映会をすることとなった。ずっとこの映画の上映会がやりたくてこれまでに何人かに話を持ち掛けたりしたのだけど、いつも何故か(?)消滅…。why?それがひょんなことからコワーキングスペース(※1)で映画会開催の話が出て、トントン拍子で話が進んでいった。
 
 僕がサティシュ・クマールを知ったのは3年ぐらい前。エハン・ディラヴィが制作した映画「アースピルグリム~地球巡礼~」の中に彼が出演していたのがきっかけ。この映画はエハン・ディラヴィが考えるこれからの人間の在り方~幼虫から蛹となり、そして蝶となる時代がやって来た~を説いたもので、何名かの思想家や科学者等が登場し、それぞれの意見や説を述べているのだが、その中のひとりにサティシュがおり、人間の在り方、エコロジーに関する考え方を説いていた。

 それがきっかけでサティシュに興味を持ち、彼の本を読み漁っていた時に、友人からのメールでエコロジーに関する映画の上映会があることを教えてもらい、よく見ればまさかのサティシュ。そしてその上映会こそ「サティシュ・クマールの今ここに―」だった。このシンクロニシティ的な出会い、今思えば偶然というよりも必然だ。

映画を見た後、すぐにそのDVDブックを取り寄せ、繰り返し見ること十数回。彼の思想のどれもが僕の理想とするものであり、「人間こうあらなきゃいかん。」とひとつ一つがシンクロしており、驚くとともに感動し、大きく頷いていた。そしてこれは是非ともみんなにも見てもらいたいと思った。

それから2年(?)の月日が流れ、遂にその日がやって来た。思えば長い道のりだった…。今回少人数の映画会とし、飲み物を飲みながら、みかん(お菓子)を食べながら見てもらい、そして上映会の後に映画を見ての感想を述べ合うシェアリングタイムも設け、より効果的になるようにもした。コワーキングスペースのオーナーがFacebookで告知してくれ、更にはチラシも作成してくれたので、それを数か所に配布し準備は万端。これで十数名来てくれれば言うことなし!

 そして当日。参加者12名。オーナーと僕を含め14名。多すぎもせず、少なすぎもせずちょうどいい加減の人数。

 大学生A
コワーキングスペースへ行くと、ちょうど大学生のような若者が入っていくところだった。彼は今日コ・ワーキングスペースというものを見学に来たそうだ。オーナーと話をしているうちに、映画会の話となり、ついつい彼ものせられ参加することとなった。そして彼と話してみると彼は農学部の学生で、なんと僕が今通っている大学の社会人学級の先生のゼミ生だった。彼は自然農法をはじめこの分野にも興味を持っており、映画の後とても喜んでくれた。

 社会人B
 本屋さんにて、サティシュ・クマールの本を買い、レジで支払いをしていた時、ふと横を見るとそこに「サティシュ・クマールの今ここにある未来 上映会」のチラシを見つけた。チラシを見ると上映会は今日。時計を見ると18時50分。映画開始まで10分。彼女はそのチラシをとり急いでコ・ワーキングスペースに電話をかけ、「今から行ってもいいですか?」。もちろん「ぜひいらしてください。」。彼女は会場を見つけるのに苦労しながらもやって来た。

他にも仕事を辞めることとし、辞めた後どうしようと考えている最中の人もいたりして、様々な偶然が重なった。いや、偶然かそれともシンクロニシティか、引き寄せ、引き寄せられたか。いずれにしろ面白い。映画の後のシェアリングも4,5人のグループとなりみんな結構盛り上がった。もし一人でもこの映画に感銘を受け、多大なる影響を与えることができたならば、それに勝るものはない。

 準備に苦労はするし、利益が出ることもないけれど、いろんなこと起こるからやめられない。小さくてもいい。コツコツと!そして地球を大切に思ってくれる人が増えるならば…。

最後に余談となるけれど、映画会の前々日の夜寝る前に軽くおなかが痛くなった。どうしたのだろうと思いつつ布団に入り寝たのだが、夜中に目が覚めるとなんだか無茶苦茶寒かった。大寒気団が南下してきたかと思い、そばにおいてあった布団を被ったのだが、とりあえずトイレに行こうとしたら体がフラフラで歩けなかった。厠のあと体温計を探して熱を測ったら37度3分。それから体の節々がどんどん痛くなり、おなかもますます痛くなってきた。食中毒?それでも翌日は映画会と思えば…、一晩寝て気合と根性で復活!

いや~映画ってホントにいいものですね。

 

(※1)コワーキング(Coworking)とは、事務所スペース、会議室、打ち合わせスペースなどを共有しながら独立した仕事を行う共働ワークスタイルを指す。一般的なオフィス環境とは異なり、コワーキングを行う人々は同一の団体には雇われていないことが多い。通常、在宅勤務を行う専門職従事者や起業家、フリーランス、出張が多い職に就く者など、比較的孤立した環境で働くことになる人が興味を持つことが多い。
(ウィキペディアより)


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2013年11月15日 (金)

だからやめられないPart1

 ここのところ仕事と個人的の両方でイベントを行った。ひとつは仕事で重度の障害者とその家族(きょうだい)を対象とした療育キャンプ。もうひとつは個人的というかふとしたきっかけでコ・ワーキングスペースでの映画会。それぞれに印象的な出来事があった。

 今回は療育キャンプでの出来事。こちらは仕事で重度の障害児者とその家族を支援する事業のひとつとして行ったのだけど、障害者とその家族(きょうだい40名に、スタッフ・ボランティア30名の総勢70名の大所帯。療育キャンプといっても宿泊するわけでなく、カレーづくりをみんなで行って、そのあと懇談会や太鼓の演奏会にレクリエーションをして、みんなで1日楽しくやりましょうということで、キャンプというよりも交流会みたいなもの。

 この療育キャンプをするにあたり、僕的にはボランティアの人に来てもらいたい~できれば大学生に来てもらいたい~と思い、社協の人を通じて近隣にある小さな大学でボランティアを募集した。しばしの間音沙汰なく、どうなるかな~と心配したのだけど、キャンプの2週間前に連絡が入り、とあるゼミの取組としてボランティアを行いますとのこと。喜び勇んで学生たちに事前説明会まで開いて、重度の障害がどの程度のものか説明した。

 重度の知的障害と重度の肢体不自由の両方を持つ…なんてね。でもこればっかりはいくら言葉で説明しても分からない。実際に会ってもらうしかない。特に学生達はほとんど障害を持つ人たちと触れ合ったことのない子たち。おもわず超重症の子は人口呼吸器をつけて…なんて脅かしてしまったりして…。(そのような子は今回のキャンプには参加しないけど…。)

 実際キャンプ当日学生たちは最初は不安でどのように接すればいいのか分からなかったみたいだけど、時間と共に徐々に慣れていったようで…。最後はとても楽しそうにしていた。そして後日療育キャンプボランティアをしての感想を書いてもらい、その多くはとてもよかったというものだったのだけど、その中に次のような感想があった。

 「このような催しには初めて参加しましたが、自分の思っていたよりも、ずっと自然に障害児者やその家族の方とコミュニケーションを取ることができました。私は当日までいったいどのようにして話したらよいのか分からず不安を抱えていましたが、いざお会いするとその答えはすぐにわかり、そしてとても簡単なものでした。分かったというよりも教えてもらったという方が正しいかもしれません。ある同じ年の女の子が、私を見るなり手を伸ばし、ハグをしてくれました。そして一緒にいる間ずっと私の手を握り締めてくれ、彼女が強く握れば握り返し、また私が強く握れば彼女も握り返してくれました。彼女は話すことも聞くこともできませんが、言葉がなくとも通じ合えるとはこのことで、こちらを笑顔にしてくれるとは、この感覚なのだなと実感することができました。またこのような機会があれば、ぜひ参加をしたいと思いました。」

 いや~なんだかうれしくなった。もちろんこれはまだまだ入口に過ぎないかもしれない。でもこれでいいのだ。これ以上最高のことはない!

 そしてもうひとつ。先日ゼミの先生と学生たちに再び会ったのだけれど、ゼミの先生が次のように話してくれた。「療育キャンプはとても良かった。学生達にもすごく刺激になったみたいで、キャンプの後から学生たちの顔(つき)が変った。ぜひまたやってほしい」と。僕が話している間中には全然別のことしている学生もいれば、まだまだ幼い顔つきの子もいたけど、きっと彼女達の心の中で何かスパークしたものがあったのだろう。

 先日も紹介したけれど、糸賀一雄氏の言葉の中に「毎日手のかかるこの人達は、私達に生命というものを教え、私達が堕落していくのに歯止めをかけてくれる人達です。この歯止めにこそ彼らの本当の存在理由があり、新しい社会形成の理念もそこにあります。」というのがある。きっと彼女たちもどこかで気付いてくれたかな?

 振り返れば結構準備は大変だった。途中頼りにしてた人が急に参加しないなんて言って棄権したり、ハプニング続出であちこちに迷惑をかけ、謝りまくったりしたのだけど…。それでもそれらを吹き飛ばしてくれるだけのうれしい出来事が起こるからやめられないんだな~。けれども次があるかは分からないけれど…。(家族からもまたぜひやってほしいとの声が多かったのだけどね…。)

 ついでながら学生たちに来年2月に少し大きなセミナーを開催するので、今度はボランティアではなくて、あなたたちの本領(※1)が発揮できる託児のブースを企画・運営まで任せるからコラボしてやってみない?って提案してきた。さあどうする学生達よ。

 世の中は楽しく面白く生きなくては!

 ※1学生たちは保育士の資格を取ろうとしている短大1年生なのです。





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2013年11月 8日 (金)

がんばれ社会福祉士part2

 社会福祉士といえば相談業務。高齢者施設や、障害者施設あるいは病院、更には社会福祉協議会に福祉事務所など。けれどもそう思うのは社会福祉士あるいは医療・福祉に携わっている人達だけじゃなかろうか?一般の人からすれば「社会福祉士?何する人それ?」もしくは「福祉に携わっている人ね。」ってぐらいの感覚でしかないのはなかろうか?

 社会福祉士とはその名のごとく社会と福祉を司るプロフェッショナル。英語で言うならソーシャルワーカー(social)社会的な(worker)仕事をする人。福祉の仕事をする人。さてそれでは福祉とは…。福祉の「福」はさいわい・しあわせを意味し、福祉の「祉」はしあわせを意味する。つまり福祉とはWなしあわせを司るプロフェッショナル。どうせなら「あなたも私も幸せになる(する)プロフェッショナル」「社会の幸福を司るプロフェッショナル」としよう。決して相談業務だけが仕事じゃない。

 社会を幸福に導くために、社会の課題に対してアプローチする。そのため時にはアウトリーチ~こちらから積極的に対処する~ことも必要。

 周りを見渡せば、所得の再分配はなされず格差は拡大する一方、リストラなんて当たり前、解雇特区などという企業優先人間無視。その他もちろん自殺、引きこもり、鬱。ついでに過疎に少子高齢…etc。社会の課題はわんさか溢れ出している。(ちなみに私は共産党支持者ではありません!)

 さあ、それをどのように福祉的アプローチで解決に導いていくか…。

 社会福祉士=相談援助=社会福祉士の凝り固まった概念。15(16?)教科の試験勉強で頭にこびりついてしまった…。もちろん相談支援もとても大切な仕事には違いない。それでもって多くの人の生活を支えているのも事実であり、多くの人々の自立支援を行っている。尊敬すべき人も多い。けれども今の世の中いかにこれまでの固定概念を外していくかが大きな課題となりつつある。

 社会福祉士の頭の中にインプットされている社会制度。児童福祉に高齢者(老人)福祉、障害者福祉に公的扶助。法律(制度)が変るたびに覚え直さなきゃいけないなんて…大変。けれどもその介護保険は大丈夫?医療保険は大丈夫?生活保護は見直され福祉はどんどん削られていっているけど…。社会保障費の増大で先細りになる一方の社会福祉。お上の成すことに素直に従うだけでいいのか?

 いくら制度を知っていても仕方がないんじゃないの?はっきり言うと「公的制度」は終わりを迎えようとしている。TPPなんて来たら…、国債の金利が大幅に上昇したら…社会保障制度はどうなるの?「公」単独ではにっちもさっちもいかなくなってきた。今求められているのは公共へのシフト。

 社会を幸せに導くために、社会福祉士に求められるのは「新しい社会を構築する役割」。

 企業はイノベーションが求められる。けれども現在もっと求められているのが社会のイノベーション。資本主義の行き詰まりはもう誰の目からも明らか。未来のお金を先取りし、そこに開いた穴にひたすら資金(紙切れ印刷物)を投入し穴埋めしようとしている。そして社会の1パーセントがよければいいという社会にしていこうとしてる。それは世界だけじゃない。日本にしたってそう。アベノミクスで(社会)福祉に就いている人の給料上がります?介護保険の報酬が上がると思いますか?給料上がらず、物価が上がるだけでは?今では全国津々浦々犬も歩けば介護施設に当たる状態なのに…。それどころかちょっとお上にとって都合の悪いこと言えば機密漏らしったって捕まえられちゃうかもしれない。

 公共へのシフト、相互扶助。ひとり一人が公共に携わっていく時代。それをリードするのは社会福祉士。もちろん社会福祉士だけでも無理。けれどもそれを導いたり、つなげたりするのは得意のハズ!?

 せっかく専門の勉強したんだから、既存のもの(だけ)ではなく新たなモノに活かしませんか。ソーシャル・イノベーター、ソーシャル・クリエイター。社会的視点をもっているならばそこに加わっていくことが必要だ。

 がんばれ社会福祉士。あなたたちはWのしあわせを司る人なのです。そしてそのWの幸せを生み出すには社会のイノベーションが必要。さあ新しい社会福祉士像を創造していきましょう。そのために必要なもの。それはまずはその意識を持つこと。

 なぜなら「意識が現実を創造する!!」のですから。

 前を向いて進みましょう。




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2013年11月 2日 (土)

堕落していく私たちに歯止めを

 先日仕事の関係で特別支援学校を見学させてもらった。重症心身障害児は近年増えているといわれているが、実際に学校を訪れてみると本当にそこにはたくさんの重症児がおり、その数はやはり増えているとのことだった。

 1クラス2,3人の児童、生徒に対し、先生が2人もしくは3人のほぼマンツーマンに近い形で、子供たちに授業を行っていた。児童の中には国語や算数などの教科を習う者もいれば、日常の生活の向上を目指した学習を受ける子供たちも多くおり、先生たちはその子供たちにあった授業を考え実施しているとのことだった。

 重症心身障害児の療育に先駆的に取り組まれた糸賀一雄氏は、子供たちの豊かさを形成していくのが教育であり療育と述べ、「療育とはあらゆる発達段階の中にあって、その子のかけがえのない個性を形成していくプロセス」と言っている。

 重症心身障害児の一般的に知的といわれる部分での発達は非常にゆっくりしている。普通の人(?)と呼ばれる幼児が例えば10日でできるようになることを彼らは数年あるいは一生をかけて獲得していく。
 けれども彼らも私たちも変わらないことは、それぞれが豊かな個性を育てていくことである。ある意味障害を持つ子供たちはより大きくそしてより強い個性を育てていく。

 「重度の肢体不自由と重度の知的障害が重複した状態を重症心身障害という。」というように定義で見ればわずか数十の文字でひとくくりにされてしまうが、彼らを見ているとひとりひとりがその障害の症状が違うのはもちろんのこと、顔も違えば性格も気質も違っている。そして彼らを見るたびに私たちは様ざまなことを考える。「生命とは何だろう。そして生きるとは何だろう」と。


 糸賀氏はまた次のように述べている。「毎日手のかかるこの人達は、私達に生命というものを教え、私達が堕落していくのに歯止めをかけてくれる人達です。この歯止めにこそ彼らの本当の存在理由があり、新しい社会形成の理念もそこにあります。

 社会を見てみればかつてに比べどんどん堕落している。モラルは失われ、子供が親を、親が子供を殺し、そして子供が子供を殺してしまうような世の中となってしまった。そして人々はそのような社会を気にも留ることもなくなり、(社会が推し進めるままに)自らの娯楽にばかりふけるようになってしまった。もしかすると重症心身障害児が増えているのは本当に私たちの堕落に歯止めをかけるためかもしれない。

 今はまだその数は人口のおよそ0.03%と決して多くはない。けれども少子化の進む中でますますその数は増えていくのかもしれない。そしてそれは決して医療の発達~出産時以前は助けられなかった子どもが助かるようになった。~によりその数が増えただけとも言い切れないのではないだろうか。現在の添加物だらけの生活、予防接種だらけ…。そしてチェルノブイリとその周辺の実態からして、もしかすると福島周辺でその数は今後劇的に…などと恐ろしい想像をしてしまうこともある。

 私たちは彼らをもっとよく見て、私たち自身を振り返るべきなのだ。なぜなら全ての人間には何らかの生まれてくる意味があり、果たすべき使命がある。彼らは人の支えなしには生きていけない人たちだ。けれどもその身をもって私たちに何かを伝えようとしているのかもしれない。私たちは彼らの生まれてきた意味、そして増えている意味を考えなければならないのだ。そして新しい社会の形成を真剣に考えなければならないのではないかと思う。

 ある人が言っていた。トルコに原発を売りこむことは、「自分の家の便所が汚物を垂れ流しているのに、ご近所のトイレ工事を請け負うようなもの。」と。言い得て妙。今の日本。

 オリンピックや強い経済などと言ってる場合じゃないんじゃないのということです。我が身を、そしてこの国(の現在の状況)を客観的に、冷静的に振り返らなきゃいけないんじゃないの?

 それを子どもたちは伝えているのかもしれない…。




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