« 経済の役割 | トップページ | 人間に宿る狂気 »

2013年6月23日 (日)

「知足」の時代

 最近つくづく思うのが「知足」(の心)があれば、そんなにお金など重要でなくなる。お金による支配〈呪縛〉から逃れられる。自由になれるということ。

 「逝きし世の面影」(渡辺京二 著 平凡社ライブラリー)を読んだのだが、江戸末期に日本に訪れた西洋人から日本の家屋を見てみると、家の中には何もない状態だったそうだ。そして日本人ほど働かずに遊びが好きな民族はないと見えたそうだ。けれども誰もが貧しいけれど幸せそうで、いつも笑っていたそうだ。そして西洋人を見るとみんなぞろぞろと付いていき、何かの拍子にみんなで笑っていたそうだ。

 家の中には何もない。働かない(?)。けれども現在博物館に行けば、僕らは江戸時代の工芸品を見てその技術や芸術性の素晴らしさに感嘆する。

 遊び好き。貧しそう。けれども当時寺子屋等が発達し、日本人の識字率は高かった。階級社会ではあったが関わらず学びの機会は平等に与えられており、実際寺子屋では年齢を聞かない、身分を聞かない、階級を聞かないという暗黙のルールがあったそう。

 きっとその根本には「知足」があり、物には囚われずにいたのだと思う。けれども向学心や好奇心は旺盛で、祭や芸能などの大衆娯楽を楽しみ、心の豊かさが求められていたのだろう。そしてその機会は日常的に多々あった。そのお陰で無理なく人生を楽しむ生活を送ることができたのだろう。

 一方で当時の西洋人の日誌には産業革命により、スピード社会となりストレスがたまり始めたということが書かれている。物による豊かさは得られたとしても既に心のゆとりは失われてきているということだ。

 当時の西洋の豊かさとは貴族・資本階級にとってのものであり、それ以外は人間にあるまじき環境の中で暮らしている。日本の武士階級の質素な暮らし、一般市民の貧しいながら幸福そうな暮らしとは根本的に違っている。

 そもそも貴族や資本家たちは奴隷や植民地という他者を支配下に置いたうえではじめてその生活基盤が成り立っており、誰かの犠牲がなければ成り立たない文化だ。そして後の市民革命による民主主義が成立した後でも、それはその名の下で永遠と続いており、今やそれがエスカレートしていることは誰もが承知するところ。

 けれども時代は変わりつつある。物質文明の行き詰まりと共に地球環境の危機が叫ばれ、人々の意識は変わりつつある。更にはこれまでの搾取の仕組みが暴かれ始め人々は真実を知るようになってきた。

 このような時だからこそもう一度「豊かさ」を考え直す時だと思う。何故江戸時代は誰もが貧しくとも幸せそうに見えたのか。一方で現代社会は家にはさまざまなモノが溢れており、誰もさまざまな衣類を身につけ暮らしているけれど、果たして幸福そうに見えるのか。幸福なのか?

 そして今こそ「知足」を学ぼう。「知足」のこころがあれば世界が変わって見えてくる。現代社会の行き過ぎが見えてくる。そして今本当は何が必要なのか見えてくる。僕らはこの200年の間に何を得、何を失ってしまったのか見えてくる。そして心の豊かさを取り戻すことができる。

 2013年の半分が終わる。旧体制が終わり21世紀の社会が見えてくる。手放せば、もっと暮らしが楽になる。しがみつけば角質と共に崩れていく。

 さあ21世紀を創っていきましょう!大丈夫あなたはもう十分持ってます。

ホームページ「らいふあーと~僕らは地球のお世話係~」もよろしくお願いします。


 



 

« 経済の役割 | トップページ | 人間に宿る狂気 »

心と体」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事