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2013年4月

2013年4月29日 (月)

しっちゃかめっちゃか

 映画「ヘルタースケルター」。沢尻エリカ演じる日本のトップモデルリリコ。世間はリリコ一色に染まる。けれども彼女は実は全身整形をしているという秘密を持つ。そしてその後遺症に怯えるリリコ…。

 映画のホームページに書かれてある「きれいになりたい」「幸せをつかんでやる」そして「欲望だけが真実!!」とあるように、この映画はまさに欲望の地獄絵巻図。欲望と金の渦巻く世界の中で生きる人々をスピード感あふれる展開で描いてエンターテイメントに仕上げられている。

 しかし女性にとって『美』とは永遠の欲望。そしてそれにつけ入り、取り巻く人々。時にその欲望は嫉妬を生み出し、事件を起こさせる。女の業が深いというのも嘘ではないよな…。けどそれをそそっているのは男だから、やっぱりどっちもどっちか。

 まあ、映画だから過激に描写しているところも多いのだろうけれど、きっとモデル業界(芸能界)というのは、大なり小なりそのような世界なのだろう。ある意味若さと美しさを利用した使い捨てカルチャーの中での、人々の夢も怨念もごちゃ混ぜになっている世界であり、実のない幻の世界だ。

 この映画を見て「虚空の世界に群がる人々」について考えた。虚空の世界なのだからそこには掴めるものなど何もない。けれども人はそこにそれがあたかもあるように思う。本人はもちろんのこと、ある者はこのままこの人についていけば、一緒にそれが手に入れられると思い、またある者はつかめるものなどないことを知っていながらも、とことん利用しようとする。

 そして彼女(あるいは彼は)このまま進めばプロミスランド(約束の地)へ行けるのではないかと夢を見る。しかしながら、あと一息でつかめるかのように思えた瞬間にそこは地獄へと変わる。深い穴へと落ちていく。それは神が与えた試練なのか、それとも悪魔の微笑みか?

 今や美容整形の技術が進み、お金さえ払えば、美が(誰もに?)簡単に手に入る時代となってきた。お隣の韓国ではかなりの人々が利用しているとも聞く。美容整形に限らない。世の中さまざまなものが簡単に入るようにされていく。そしてそこには(企業や人々の)お金儲けが渦巻いている。

 かつては女性なら自分たちで作ることも多かった服も今ではデコレーションされることはあっても、作られることはなくなり、某ショッピングセンターや〇クロなど、安く手軽に入るようになった。料理に自分で作るということは省かれ、でき合いのものとなり、そして外で食べることとなっていった。今では休日昼の時間Mバーガーショップのドライブスルー前は子供を連れた家族で渋滞だ。

 さまざまなものが手軽に手に入るようになり、失われていくのはそのプロセス。プロセスとはいいかえれば手間。服を作るプロセス(手間)。料理を作るプロセス(手間)。プロセス(手間)は省かれ代わりに代金を払う。得られるものは出来上がりの一時的満足。

 ああ、人間のファストフード化現象は進んでいく。そしてプロセスが省かれることにより、人間の心は、一方で確実にすさんでいき、弱くなっている。

 プロセスという手間。それは一歩一歩確実に階段を上っていくこと。それはいわばしんどいこと。同時にお金では買えないこと。そしてそれが確実に自分を高めていく方法。

 映画の中でのセリフに「若さに美はついてくる。若さ=美である。けれども美は若さとイコールではない。」というのがあった。年をとるほど美しくなる女性がいる。一方で年をとるほど耐えがたくなる女性もいる。できるならば前者であって欲しいもの…。

 しかしながら神様仏様はどのような人にでも、そしてどの時点からでもやり直しを与えてくださる。ありがたい存在。

 どのように生きるのかはあなた自身が決めること。誰もそれを決めてはくれないし、責任を持ってもくれない。結局はあなたがどうなりたいか。どうありたいかということ。

 私は一歩一歩確実に歩ませて頂いております。ありがたいことです。



 

2013年4月23日 (火)

よちよち歩きながら…

 3月いっぱいで雇われ人を終え、自由人となった。

 まだ生きてます!我ながらしぶとく生きている。おまけに何年ぶりのおひとりさま暮らし。自由気ままに生きてます。

 先日ケーブルテレビの人に肩書きを尋ねられ、「自由人です。」って答えたら、「分からない…。」といわれた。名刺の裏には“社会福祉士”だの、“協働クリエイター”だの、“生涯学習インストラクター”などと書いているのだけれども、ホントはそんなもの捨ててしまいたい!(一度は捨てたのだけれど、今は一時的に復活させている。)。そこで次からはもし肩書きを聞かれた時には「地球のお世話係です。」と答えることにした。

 まあ、時に絶望的になることもある。一体自分に何ができるのだろう?何もできないんじゃないかと・・・。かつてできたことはやっぱ僕の後ろにあったネームバリューのせいであって、僕自身の実力などどれほどのものだったのかって思い知らされる時、さすがに落ち込んでしまう。

 それでも今のところ翌日あるいは数日後には前向きに歩いている自分がいるので生きられている。

 そして今なんとなく感じていることは、人を育てることって楽しいってことと、人に影響を与えることは楽しいってこと。

 3月までの延長線上に乗っかっていることと、今もわずかに残るかつてのネームバリューのお陰か、うまくすすんでいることもある。何人が育っているな~ってことを実感すると、しんどいことであってもやってよかったと思える。

 また僕が行ったこと(企画)が、人々に喜びや好影響を与えられたと思った時、無条件にやってよかったと思える。小さい事ながら行ったことに誇りを持つことができる。

 「道心(どうしん)の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし。」

 これは天台宗を築いた最澄の言葉。僕の好きな本「大愚のすすめ」 山田 恵諦著 (大和出版)に出てくる言葉。

 (転載)伝教大師は「道心之中有衣食 衣食之中無道心」と言うておられる。道心とは一つの理想です。あてがわれた仕事ではなくて、自分のしなければならない天命の仕事です。衣食というのは、いわゆる我々の日常生活です。
 つまり、理想を求めて、天命として与えられた仕事を成し遂げるという気持ちであれば、必ず衣食はついてくる。生活にそれほど困ることはない。ところが、生活のことだけ考えておったのでは目標がないから、結局のところ仕事に身が入らなくて、仕事もうまくいかないし生活にも困るようになる。
 (途中略)
 伝教大師の言うておる事を煎じ詰めれば「生活と理想は一つにしなければならない」ということで、こういう考え方で生きていくことが、我々をたくましくする一つの道理にもなるわけです。(転載終わり)

 とまあ、理想と生活を一致させようとしているわけだけど、未だ放たれた世界での泳ぎ方も分からず、アップアップしながらもがいているのが現状で、ちょっと息がつけた時には、よかったと思えるひと時であり、自分に誇りが持てる時。

 それでも一応自由を満喫しており、特にそれを感じられるのが朝のひと時。穏やかな朝食時間と新聞を読みながらの紅茶タイム。かつてのソフトな奴隷生活では休みの日にしか味わえなかったものをほぼ毎日楽しんでいる。

 どれだけできるのか、どのようなことができるのか。果たしてこの世間に通用するのか、全く分からない。それでも僕自身の描く理想に向けて歩むしかない。未だよちよち歩き。生まれたばかりのカモシカ状態で、周りには恐ろしい狼さんたちがいっぱいで…。

 先日引いたおみくじは中吉でそこに書かれてあったのは、「辛いことは神の与えた試練…」。そして詩には「花の散った後の庭」と書かれてあった。その時思ったのは、花の散った後にできるのは実。実になろうとしている時なのだ。桜の花びらが散った後には既に小さな小さな実がついていた。これがいよかんならば、やがてはあの大きな果実となるのだ。

 今できることを全力でする。楽しみながらする。

 そして、意識が現実を創造する。

 しっかりとした理想を描いて、あとはがむしゃらに進めば、きっと何かが見えてくるだろう。

 苦しい時の神頼み。瞑想でもしてくっか。


2013年4月19日 (金)

ポストアベノミクス

 先日約100キロ離れた町へ行くために車を走らせた。高速で行くのもよかったのだが、時間もあったのでのんびりと下道(国道)を通っていくことにした。
 
 春の陽気に気持よく走っていたのだが、途中道路工事をしており、片側交互通行となっていた。そしてしばらくするまた道路工事で片側l交互通行。結局目的地に着くまでに3ヶ所道路工事の片側通行にあった。そして夜。高速で帰ろうかと思えば、今度は高速が工事のため通行止め…。

 その工事を見てみると、山の斜面のコンクリで固めたその奥をまた削るなど、そんなことする必要があるの?と疑問符がつくものばかり。

 こりゃきっと新政権が打ち出した「公共事業」の一環に違いない…。なんだか必要のない公共工事ばかり行っている。こんなことして喜んでいるのは一体どこの誰?

 ソフト路線から再び公共事業、箱モノ路線に戻るのだろうか?また余計なところで自然破壊?

 僕は以前の政権がハードからソフト路線に転換したことは間違いではなったと思う。けれどもそこには知恵を働かすことが必要だ。前政権にはこの『知恵』が如何せんなかった。国民にもなかったし、あったとしてもその術を知らなかった。この「知恵」を使えば、あまりお金はかからない。人の循環は起るが、それほどのおお金の循環は必要ない。日本人、そして社会はそこにまだ慣れていなかった。

 今の社会は経済指標が第一で考えられる。イコールお金の量の計測といっても過言ではない。ところがソフト路線の知恵を使う社会ではその「お金」とはそれほど必要ないのだ。だから経済指標(=お金の量の動き)は低い。

 そしてほとんどの人々はお金の動きに一喜一憂しているのが現状だ。だから景気は悪いままということとなる。そして他人任せの現状では「今の政治は何をやっているのだ!」ということになる。

 知恵の社会では、お金はそれほど必要ではないので、お金の動きは少ないけれど、人は動く。人々の動きの循環が始まる。そしてそれが拡がっていけば、現役世代だけではなく、現役から引退した高齢者世代も動いていくことになる。するとそこに生き甲斐が生まれてくる。イコールそれは元気でいられるということだ。それらはやがて豊かさとなり、人々の心は明るくなる。

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2013年4月 8日 (月)

デザイン勉強中

 この2年間デザインについて考えることが多い。そもそものきっかけはこれからの地域づくりにはデザインを取り入れることが必要だといわれたこと。そこでデザイナーの方の事務所を訪れたり、協会を訪れたりした。そして話を聞いてデザインについて考えると同時に、本も買って学んだ。
 
「コミュニティデザイン」 山崎 亮 (学芸出版社)
「ソーシャルデザイン」 グリーンズ編 (朝日出版社)
「知がめぐり、人がつながる場のデザイン」 中原 淳 (英治出版)
「コミュニティデザインの時代」 山崎 亮 (中公新書)
「幸せに向かうデザイン」 永井 一史他編・著 (日経BP社)
「デザイン思考が世界を変える」 ティム・ブラウン (ハヤカワ新書)
「未来の働き方をデザインしよう」 石川 秀輝他 (日刊工業新聞社)
「クリエイティブ・コミュニティ・デザイン」 紫牟田 伸子他編 (フィルムアート社)
「地域を変えるデザイン」 筧 祐介監修 (英治出版)

 どれもデザインの本流からは離れているかもしれないが、僕は別にパケージのデザインやポスターのデザインをしたいわけではないので、これらの本が大いに仕事に役立った。

 そして今読んでいるデザイン関連の本は
「世界を変えるデザイン」 シンシア・スミス編 (英治出版)
「クリエイティブで世界を変える」 福島 治著 (六耀社)
 この2冊。最後の1冊だけ「デザイン」という言葉がないのだけれど、デザインのコーナーにあったので…。

 で、今読んでいる2冊が僕にかなり大きく影響を与えそうなのだ。特に「世界を変えるデザイン」の文章の中に印象的な言葉があったので、いくつか挙げてみると、

 「〈残り90%のためのデザイン〉展とそれを元にした本書は、ある種のデザインに注目を集めることを目指している。特別に魅力的というわけではなく、昨日も限られていることが多く、価格は非常に安い。だが、そんなデザインが人間の生活を変え、時には命を救う力さえ秘めているのだ。」

 「デザインという言葉には、『意識的な問題解決』という別の定義がある。本書に登場するデザイナーたちにとっての方法論は、ここに最もよく表されている。彼らは人間としての基本的なニーズさえ満たされない人達の苦しみを軽減するためにデザインを役立てる『社会起業家』である。」

 「多くのデザイナーが、距離や力関係、機会格差の問題を乗り越えるための独創的な方法を生み出している」

 「デザイン業界で、まだデザインやエンジニアリング、建築の学界で、一つの運動が育ちつつある。自分たちの仕事を、社会的責任、持続可能性、人間性の豊かなデザインに向かわせようとするものだ。」

 中でも最も印象に残ったのが文章は、
 「世界のデザイナーの95%は、世界の10%を占めるにすぎない、最も豊かな顧客向けの製品とサービスの開発に全力を注いでいる。残り90%に届くには、まさにデザイン革命ともいうべきものが必要だ。」という文。
 
 僕もお金持ちの人のためのデザインなどするつもりはない。(もちろん日本人のほとんどはこの10%に入るのだろうけれど…。) 僕が行いたいデザインとは社会に貢献できるためのデザイン。例えばそれは地方の衰退しつつある地域の元気を取り戻すことであったり、疎外された人々が平等に(当たり前に)暮らせるようになるためのデザイン。そんなデザインが描くことができればと思う。

 そして何よりも僕がデザインしたいものは、経済一辺倒となってしまった社会に対して、もっと多様性を持たすためのデザイン。多様な豊かさの中で生きてくことができるデザイン。あるいは地球と人が共生していくためのデザイン。

 なんだかどんどんコトが大きくなっていく見たいけれども、そんなデザインにチャレンジしてみたい。

 世界中の多くの人々はデザインとは無縁の中で生活している。その人達に対しデザインし、問題を解決しようとしている(デザイン業界の)5%の人々がいる。僕はその人達にすごく共感を持つ。でも同時に世界の(最も豊かな)10%の人々に(自然との)共生を促したり、意識を変えていくためのデザインも必要だと思うのだ。

 そこに手をつけたいと思う。どのような方法があるのか分からない。もしかすると「クリエイティブで世界を変える」の中にそのヒントが隠されているような気もする。

 人の意識を変えることは難しい。けれども今の世界やら社会を見ていると、人の意識が変わらないことにはもうどうしようもなくなってきているとも思える。アベノミクスで浮かれている場合かとつくづく思う。でもそこにデザインの概念を取り入れてチャレンジしてみたいと思う。

 意識が現実を創造する。そこにデザインを取り入れて描いてみれば、何かできるかもしれないとも思う。

 でかいことを言っているけれど、やることは小さい僕。小さなことからコツコツと。できることから始めましょか。

 「情熱的バカと呼ばれたい。」というのが、今の僕の夢。しばしの自由か、永続的な自由か。どちらに転ぶか。それはやはり僕の意識次第。腕次第。



2013年4月 5日 (金)

 迷い

 NPO法人ハートオブミラクルという団体がある。~みんなで「ひとついのち」を生きる私たち。だからありがとう。すべてにありがとう。~いのち、出来事、出会い、自分・・・。すべてを「ありがとう」と大切にして自分といういのちの花を咲かせてワクワク生きること。そんな喜びがあちこちに溢れる活動をしています。
 という団体で、実は僕もそこの会員になっている。というのもこの団体が制作した映画「1/4の奇跡~本当のことだから」「天から見れば」を見て、この映画をみんなに見てもらいたい。広めたい。って思ったから。

 でもって今回「天から見れば」の上映会と田坂暁子さんのちぎり絵展を開催するわけ。あと2週間後だというのにまだ全然申込者少ないけれど…。

 実は僕は一応今も社会福祉士という資格を持っている。(今では持っていたに近い・・・。)。でも、高齢者関係にしか携わったことがなく、身体障害者、知的障害者などのことは理論的に知っていても、実際のところはよくわかっていない。

 そんな中「1/4の奇跡~本当のことだから~」を見て、その映画のテーマである「どんな人にも生きる意味がある。」「あなたはあなたのままで大丈夫」ということに感動した。特に僕が感動したのは映画の中で古代ペルーの布が出てくるのだが、その布にはいろいろな人の手形が描かれており、その手形の中心に6本指の手形があり、かつては障害を持つ人(人との違いがある人)は特別な存在とされ、尊重されていたのではないか」という話の部分。

 「それなら障害を持っていても生きていくことができる!」って思い、感動した。

 それで、この映画を障害者の方、あるいはその家族も含めて多くの人に見てもらい、このメッセージを届けたいと思った。そして上映会を始めた。

 そしたらある時、知的障害の子供を持つ母親から次のように言われた。「私は(次生まれてきた時は)全然障害を持つ子供を持ちたいなどと思わない。」と。その人は普段は明るく、そして行動的な人。障害を持つ家族のグループをつくり、地域の障害者あるいはその家族の環境を整えてきたひと。

 その時から僕は考えるようになった。一応健全な身体を持つ(?)自分。そして障害を持つ子供がいるわけでもない。そんな僕が「どんな障害を持とうと、生きる意味があるんですよ。」って言ってもいいのだろうか?と。

 ここ数年何度か知的障害者の施設に訪れる機会があった。そこでみたのはいわゆる重度の知的障害を持つ大人や子供たち。ひとこと言って「この人達の世話をする親たちは大変だろうな。」ということ。

 毎日この子たちの世話をしている家族のことを想像すると、僕が気軽に「どんなに障害があろうとも生きる意味があるんですよ。」なんて言ってもよいものか?と。もし僕がずっとその分野に携わっていたならば、色々な経験を踏まえてそのことを言えるのかもしれない。

 けれども僕にはその経験がない。あるとすれば認知症のじいちゃん、ばあちゃんならば、いっぱい接してきた。それなら話ができる。でも知的障害、身体障害となると・・・。(精神障害は半分自分もそれに近いものがあるから・・・。)

 ということで、僕は「どんなに障害を持っていても、生きる意味があるんですよ。」って声を大にして言うことができない。言ってもいいものか迷っている。でも「1/4の奇跡」の映画自体は今も大好きであり、どこかで上映会を開きたいと思っている。(そのために会員となったのだから。)

 重度の知的障害を持つご家族の方、教えてもらえませんか?

 でも宇宙に感謝の量を増やしていくということは、声を大にして言えますよ。

 毎日瞑想の際には宇宙に感謝を届けてますから。




ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。


2013年4月 3日 (水)

パワー(内なる力)こそ

 世界的エコロジスト サティシュ・クマールの講演に行ってきた。

 サティシュは若き頃当時核兵器保有国であったロシア・フランス・イギリス・アメリカの首都へ平和のメッセージを届けるために一銭も持たず歩いて2年半をかけて巡礼したという人物。現在76歳。けれどもそんな年齢を全く感じさせることない、圧倒的なエネルギーを放ち、とてつもないパワーを持った人であった。

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2013年4月 1日 (月)

脱資本主義宣言

経済的価値一辺倒の生活を終了します。

貨幣に縛られた奴隷的生活を終わらし、自由の中で自律し、自立した生活を始めます。

〇多様な豊かさを求めて生きます。
 物質的豊かさだけでなく、精神的豊かさ、心の成長、意識の解放・拡張を目指します。そして豊かさを開拓していきます。

〇創造的生活を行います。
 自ら生み出す。これまでになかったものを生み出すことを追求していきます。そして人々を経済的価値観一辺倒スタイルからの解放を目指します。私が創造したものは人々と分かち合います。

〇新しい世界を目指して歩んでいきます。
 21世紀のスタンダードとなる生活を求めていきます。それは地球のルールから宇宙のルールへの転換を意味します。そして大宇宙の中の存在として生きていきます。

〇自己のアセンションを目指します。
 自己の意識の次元を上昇させていきます。そしてワンネスの世界を目指します。

 ということで新時代への生き方への転換を計ります。未来の生き方思考を自分の生活へと盛り込み行動していきます。

 見てください。この現代のあり様を。この中で何もないことを願って生きていたって仕方がありません。それは岩の陰から巨大モンスターに見つからないようにじっとして、辺りの様子をうかがっているだけ。

 それよりも未来創りに取り掛かります。しかしこれまでの延長に未来は見えません。それどころかその先には大きな崩壊が待っているだけです。だからどこかで大きな転換が必要です。そしてそれには勇気と決断が必要です。

 創造していく覚悟が必要です。失敗もするかもしれません。失敗の連続かもしれません。それでも創造していくしかないのです。前に進んでいくのです。

 私たちが求めるのは新しい未来です。希望の持てる未来です。それは私たち自身で創造していくしかないのです。人任せにしていてはダメなのです。私たち自身が決断し、行うしかないのです。

 私たちには意識があります。そしてその意識こそが現実を創造しています。だから私たちは新しい未来、希望の持てる未来を描けばいいのです。そしてそれに向かってどんなことからでも構わないので始めればいいのです。それはやがてあなたの目の前に現れます。なぜなら意識が現実を創造するのですから。

 あなたの中にはその能力(ちから)があります。その能力を開花させましょう。ただそうイメージし、そして一歩を踏み出せばいいのです。はじめはうまくいかないかもしれません。それでも少しずつ慣らしていけばいいのです。ちょうど補助輪のついた自転車から補助輪をのけて乗り始める時のように。ゆっくりとバランスを取りながら…。

 大丈夫。すべての人に支えてくださる人々がついているのだから。ひとりぼっちってことなどないだから。さあ、解放してやりましょう。少しずつ少しずつ。手を話しても大丈夫だから。

 創造的生活とは愉しいものです。ワクワクしながら生きていけばよいのですから。

 さあ、始めましょう。そして感謝しましょう。

 あなたは本当の自由を手に入れるのです。



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