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2013年3月

2013年3月27日 (水)

カードの不思議

 日本の神様カード、和尚カードなどなど世の中にはいろいろなカードがあるようだが、先日日本酒を飲んでると、名前を忘れたがカードが出てきた。そこで酔っ払ってはいたけれど、これから先のことをイメージしてカードを切ると、出てきたカードが「観念」、「コミュニケーション」、そして「成功」だった。

 「観念」~僕はいろいろな観念に捕われている。特に人に対しては観念だらけ。基本的に僕は臆病であり、人づきあいが苦手。僕自身が相手のイメージを作り上げてしまう。そして僕とは合わないだろうと決めてしまうと、もうそれ以上先に進むことはない。すなわちコミュニケーションを閉ざしてしまう。

 「コミュニケーション」~カードの絵には崖と崖が電話の受話器が橋となり2人は結ばれていた。空ではメールの絵が描かれ、海ではクジラとクジラがテレパシーでのコミュニケーション。現代のコミュニケーションの手段は多様なのだ。その中でいかに相手とコミュニケーションをとり、相手に伝え、また相手のことを知ろうとするか。そして相手を認めてあげられるか。

 話すことが苦手な僕にでも、今ではさまざまなコミュニケーションツールが用意されており、これならなんとかなりそうだ。僕としてはクジラのようにテレパシーが好きなのだけど、今の人間同士ではそれはなかなか難しい?

 そして「成功」~観念を外し、そのためにコミュニケーションをとり、自身を変えることができたならば、僕は自然と成功へ導かれるそうだ。

 カードってなんだか不思議。昨日は4人でカードをしたのだが、他の人のものを聞いていると、なんだかカードにはすごく普遍的なことが書かれており、これは聴く人誰にでも大なり小なり当てはまることであり、それを人から語られることで、その部分が膨らんで、「合ってるわ!」なんて思うに違いないなんて思ったりしたのだが…。

 いざ僕の番となりカードをめくってみれば、「その通りやないか!」と思ってしまい、ハマっていく僕がいる。誰もが持つ普遍的なものではないのか?それとも個人の深層心理が影響するのか。そういえば量子力学について書かれた本で、箱の中にネコがいて、そのネコが生きているか死んでいるかどちらをイメージするかで状況は変わってくると書かれていたな。
 
 先日東京で霊能力者と会い、その人もカードを持っており、それをひいてみると、ピラミッドが出てきて「意識の拡張中」とあった。これまた今の僕にぴったりではないかと思ってしまった次第。やはり深層心理の力…。

 かつて20代の若き頃、ついてないことばかりの日々の中で、いつも神社やお寺のおみくじばかりひいていたことがある。凶とか出れば余計に落ち込み、中吉とか出ればホッとするけれど、しばらくして何も変わらなければ、再び落ち込んでいたあのころ…。一体何を信じていることやら…。弱かったんだね。

 けれども今またかなりその気になっている僕がいるのも確かであり、「観念」を外さなきゃとか、「コミュニケーション」をもっと取るようにしなくちゃな、相手を一方的に決めつけちゃいけないよな…。と真面目に、そして真剣に考えている。

 新しい世界に飛び込みたくて、そして新しい世界を創造したくてウズウズしている今の僕。成功させるんだ。今こそ地球と人をつなげなくっちゃ。地球と人が共生し、共発展していく世界を創るんだ!と、神社で祈る僕がいる。

 はたから見れば坊主頭でガタイのいい一見するとその筋の人。でも本当は臆病で、気弱。おまけに人見知り。無口で、無愛想。最悪やないか!けれどもそんな僕だけれども僕は僕が大好きなのだ。

 カードで気をよくしたあとは、クリーニングしよう。今日一日の自分を謝り、許しを乞い、感謝し、愛しよう。そして意識をどんどん拡張させよう。新たな時代は地球の次元上昇だけで起こるのではない。人間の意識でも起こるもの。そしてその意識は自身でコントロールすることができ、どんどん上昇させていくことが可能なもの。

 さあ、意識を拡張させましょう。意識が現実を創造するのだから。あなたに起こる出来事はあなたの意識が創りだしたもの。

 感謝しましょう。感謝しませう。すべての人・モノに感謝しませう。




2013年3月24日 (日)

同じに見えた

 先日広島の原爆ドームを見た。自転車持参で行ったので、自由に動き回れるということで、平和公園まで行き、360度じっくり見てきた。こんなにじっくり見るのは初めてだ。

 次の日も春先の晴れた朝の原爆ドームを川を挟んだベンチに座って、これまたじっくり見た。時に目を閉じ、頭の中にいろいろなイメージを浮かべながら当時のその瞬間を考えてみたりした。そしてその苦しみはいったいどのくらいのものかと考えると、胸が痛くなった。

 さて、原爆ドームを今回訪れ最初に思ったことは、こりゃ福島も一緒じゃないかということ。なんだか原爆ドームの頭のドームの部分と、福島の原発のむき出しにされた鉄骨部分とが重なって見えた。

 日本は同じことをしてしまったんだなと思った。

そしたら平和記念公園の中にある慰霊碑を訪れたら、石碑に「過ちは繰り返しません。」って書いてあった。

 繰り返してしまったんだな…。

 そしてその福島。未だに放射能漏れは続いている…。爆発した原発。1基はMOX燃料でプルトニウムが含まれていたのに、プルトニウムのことは全くマスメディアには流されない…。流されるのはセシウムのことだけ…。ストロンチウムなどあるハズなのに…。

 前政権が終息宣言したのを現政権も引き継いだのか、今では再稼働ありきでタイミングを狙っている。(都合のいいとこだけ引き継いでるな。全く…。)しかも今回の教訓を活かして安全な原発を提供しますとばかしに輸出を奨励し、ついでに武器まで輸出しようとする勢い。

 これでは犠牲者への「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから。」に対する裏切り行為じゃないの?

 結局現在の社会とは人間よりも経済優先なのだ。

 この社会とは何のためにあるんだろう?

 人間優先というのも間違っていると思うけれど、人間よりも経済が優先される社会はもっとおかしく、そしてその経済とは(大)企業であり、更に言えばお金。

 人間<経済=大企業(=金)という実にくだらない社会がそこにある。

 ということで、本当はこの構造に付き合う必要などないのだ。もっと豊かな生き方がある。人間らしく、そして地球にやさしい生き方。共生し、共発展していく生き方。悦び愉しむ生き方。

 そんな生き方づくりを始めます。少しずつそれに向かっていきます。それがホントの犠牲者の方々の供養につながるだろうから。

 いい加減に目をさまさなくちゃ。もう独占することばかりの世界はやめて、分かち合わなくちゃ。

 人間の持つ創造力を活かさなくちゃ。意識次第で目に見えない世界も応援してくれるだろうから。

 ということでやはり意識を進化させましょう。




ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。


 

2013年3月21日 (木)

悲しい事実。でも光はあるはず。

 2月5日の読売新聞の論点に若者の自殺深刻化として、NPO法人自殺対策支援センター・ライフリンクの清水康之さん執筆で次のような事実が書かれてあった。(一部転載)

 昨年の自殺者数が、15年ぶりに3万人を下回った。しかし依然として、交通事故死者数の約7倍、1日平均70人強が自殺でなくなっているわけで、決して楽観できる状況にはない。
 特に若者による自殺が深刻だ。若年世代(15~34歳)の死因1位は自殺であり、日本で自殺が急増した1998年以降も、20代は30%、30代も20%、自殺率が上昇している(年代別統計は一昨年のものが最新)。主要先進7か国中、日本の若年世代は事故による死亡率が最も低いが、自殺率は最もたかい。

 とのこと。なんだか悲しくなってきた。

 筆者はその原因として、「人は生きるもの」という大前提させ揺らいでいるというか、多くの若者にとって日本が「生きごたえのある社会」ではなくなっていることを上げる。そして若者の自殺は「日本社会に対する三行半」であり、「生きごたえのある社会」だと思ってもらえるようにしなければ、今後も若年世代の自殺は増えるだろうと言う。

 口では簡単かもしれないけれど、死ぬなよって言いたくてたまらない。自分の可能性をそこで閉ざすなよ…って。お前たちはまだ全然自分たちの可能性の「か」の字にもたどり着いてないのだから…。

 確かに現代のほとんどの大人たちに魅力がない。マスメディアを見ても、社会の現状を見ても、空威張りの輩だらけ。中身のない大人たちで溢れている。それを若者は見抜いている。

 そして現状を見れば、失業率は高く、職につけても非常勤や契約社員で将来の保証はない。低賃金で働かされて、税金は上がっていく。そんな中では結婚も程遠い。そして政治家たちは嘘ばかり。原発問題で大手企業も政府もグル…。

 そんなのを見れば確かに、生きごたえなどない。でもそれでも自分の持つ能力も知ることもなく、死を選ぶのはやめてほしい。頑張って生きて欲しい。先は見えないかもしれない。それでも生きて欲しい。

 かつて僕も先の見えない時代が長く続いた時がある。光なんて一体どこにあるのだろうと思ったこともある。来る日も来る日も迷い、悩み、死にたいと思ったこともあある。ホントに首を吊ろうと思ったこともある。それでも生きた。苦しかったけれど生きた。

 そしたら今ようやく光が見えてきた。思い返せば20年以上迷ってきた。孤独の中をずっとひとりで歩いてきた。人生の半分を迷い悩みながら生きてきた。ようやく見つけた一本の細い光。

 僕はこの細いながらの光をできることならば分かち合いたい。ひとり独占するつもりなどない。何とか育て、分かち合いたい。

 だから若者よ。生きよう。どんなに苦しくとも生きよう。例え世の中が糞喰らえであったとしても生きよう。生きるに値しないと思っても生きよう。自分の可能性を見るまでは生きて欲しい。そいつは簡単に見つかるものじゃないかもしれない。それでも信じて生きよう。

 不器用でも生きよう。生きるのが下手でも生きよう。いつかは必ず光りが見えるから。お天道様は決して見捨てていないから。笑える日が来ると信じて生きよう。

 今の僕にはこれだけしか言えないけれど・・・。



 

2013年3月19日 (火)

若さとは精神だ!

 JOURNEYという1973年アメリカのサンフランシスコで誕生したバンド。今年で結成40周年。メンバーチェンジを繰り返しながらも、ギターリストNealSchonを中心に活動を続けている。

 結成40年ということもあり、Nealは現在59歳、Jhonは63歳、Ross64歳、Deen47歳、Arnel45歳であり、かつての主要メンバーは60歳前後。けれどもNealもJhonもまだまだ若く見える。

 JOURNEYの全盛期は70年代後半から80年代前半。特にアルバム「ESCAPE」「FRONTIERS」のころは日本でも爆発的ヒットし、当時のNHKがそのライブの様子をテレビ放映したほど。当時のヴォーカリストStevePerryのハイトーンヴォイス、Nealの情熱的感応ギター、Jhonの持つポップな才能が見事にマッチングし、そのライブは今聴いても熱狂モノ。

 そんなJOURNEYが4年ぶりに来日し、そして30年ぶりに武道館でライブを行った。

 九段下の地下鉄の構内では「チケット譲ってください」と書いた紙をもった若い人たちも多数。そして武道館までの通りには「チケット買うよ。チケットあるよ。」のダフ屋のおっちゃん方もこれまた多数。そして会場には今20代と思われる若い人たちもいるけれど、多くは30年前に20代と思われる人々が続々と集結。満員御礼状態。

 前座でニールの息子とジョンの娘のバンド“アメリカンビューティー”が演奏を終え、少しの休憩をはさみ、会場が暗くなると、拍手が巻き起こり、既にみんなスタンディング状態。そして1曲目にいきなり名曲「SeparateWays」のメロディが流れると、観客は興奮状態に。かつての東京フォーラムでのライブを思い出す。あの時もニールのギターからこの曲でスタートした。

 往年の名曲が次から次へと演奏され、そのたびに歓声が上がる。武道館はパーティー会場と化していく。この日はテレビカメラも入り、メンバーも観客も余計に気合いが入ったか。

 しかしそれにしてもかられの演奏は分厚い。5人のメンバーでこれだけ分厚いサウンドを生み出し、そして観客を興奮の渦へと導いていく。おそらくJOURNEYを知らない人でも、このライブ会場に来たら、その演奏に驚き、そして体が動き出すんじゃないだろうか。もちろん会場はかつて20代だった人達も大勢なので、途中休憩で椅子に座る人々もいたけれど…。

 僕は2階席で割と後方の方だったのだけれども、それでも最初から最後まで立ちっぱなし。興奮しっぱなし。手をたたき、奇声を上げ、飛び跳ね、大喜び状態。ただ諸々の事情により着ていた(下着も含め)服が3日目だったので、途中で汗臭くなり、匂いを発生させ始めたので、少し控えめになってしまった…。

 JOURNEYのリーダーNeal Schonはソロを含めギターを弾きまくる。時に早弾きのテクニックを見せたり、時に泣きの音色を聴かせたりと、そのエモーショナルなギターワークで観客を盛りたて、興奮の渦へと連れて行く。

 職場では50代の人々が前の大きな机を構え椅子に座り、新聞を読んでいる。残念ながら彼らは物事を理詰めで判断はするけれど、人々を熱狂へと導くことはない。

 が、目の前の40代、50代、60代の男たちは、日々の嫌なことも忘れさせ、天に向かってこぶしを突き上げさせ、夢の時を与えてくれる。終わって見れば汗をかき、疲れてもいるけれど、感動で心は満たされ、明日への元気が注入されている。

 人間の若さとは精神だ。精的若さが年齢を凌駕する。どんなに年齢を重ねようと、心が若ければ、それは魅力となり人々を惹きつける。年を重ねっていっても、人々に感動を与え続ける。それがどんなに素晴らしいことか。それをNealを始めJOURNEYは教えてくれた。

 彼らは本物のプロフェッショナルだ。アメリカンロックンロールという分野の中で人々を魅惑し続けるロックンローラーだ。アメリカにもまだまだ本物の男たちがいる。そして彼らはまだまだ若くあり続け、人々に希望を与え続ける。

 濃密な約1時間半。欲を言うならば、もう少し演奏してもらいたかった…。夢の中に浸らせて欲しかった。けれども会場を去る人々の満足度はかなり高ったはずだ。あちこちで「よかった~。」の声がきこえていた。

 JOURNEYというバンドの男たち。彼らは永遠の旅人Journey menだ。次回は結成50年か。




 

2013年3月17日 (日)

ざっくばらん

 いつも見ているホームページ「船井幸雄.com」を見ていて気になったので転載。

 原発が爆発しないと根拠なく確信していたように、なんとなく大丈夫だ~という気持ちが、いつしか確信に成りあがってしまうのが我が民族の特徴なのでしょうねえ。
 核シェルター設置率
 スイス100%、イスラエル100%、ノルウエー98%、アメリカ80%、ロシア75%、イギリス67%……日本ほぼゼロ。
 世界は最悪を想定し手を打っているというのに、日本人はなにも考えてないというのか、いさぎよいというのか、とにかくリスク・マネッジメント能力はてんでございません。
船井幸雄.com 加治将一のよろずご意見スペースより

 核シェルターなんてつくらないといけない世界をつくりだしたことがいけないのだ。日本は調和を図れる国。共生できる国。平和ボケした国ではなく、平和な国なのだ。江戸時代の文化、平安時代の文化、縄文時代と平和のある国なのだ。核爆弾をつくって持ってる国が悪いのだ。その内核ミサイルを持ってること自体が恥ずかしいことになってくるんじゃないのかな。いまや北朝鮮の小国までもが持つようになったのだから…。核を持っていない国の方が強い時代がやって来る!



 アベノミクスは、大規模な金融緩和、機動的な財政政策、そして成長戦略という3つの矢で成り立っていますが、この政策の中味を見ると、実は昭和初期の大恐慌の時代に高橋是清大蔵大臣が実施した政策と瓜二つなのです。
 問題は、最後の成長戦略です。日銀が国債を買うことで財政を大幅に出したことが実は軍事予算にまわってしまい、高橋蔵相が加熱した景気を冷やそうとして緊縮政策に転じたとたんに軍事費の縮小を恐れた軍部の反発を招いて、2・26事件で高橋是清は暗殺されることになってしまうのです。つまりデフレからの脱却は、最後は戦争につながってしまったということです。
 これはアメリカでも事情は同じで、ルーズベルト大統領のニュー・ディール政策は高橋是清と同じ財政政策でしたが、最後は第2次世界大戦という戦争経済によってアメリカもようやくデフレ不況から脱することができたのです。前回の大恐慌から脱出するための成長戦略は、結局は戦争への道を準備することになったのです。
船井幸雄.com 船井幸雄注目の“本物”に携わる人たちより

 憲法改正の準備がされ、武器輸出が解禁され、徴兵制もささやかれドンドン準備は進んでる。
 TPPなんてこの党が政権をとれば推進されることが分かってたじゃない。何をいまさら・・・って感じ。でもこれからまたお腹が痛くなるかもね。電〇による強いTOPの演出もいつまで続くのやら・・・。



創作活動をする人間は結局
自分で自分を育てるしかなく
自分で全責任を引き受ける覚悟が必要です。
船井幸雄.com リレーでつなぐ”ハート”の話しより) 

 創造をテーマにこれからの人生を歩もうと思っている僕にとっては身にしみる言葉。気を引き締めなくっちゃ。でも誰も自分の人生に責任を持ってくれる人なんていない。自分で自分の人生に責任を持つしかない。

 で、最近思ったこととしてネット、本、講演会などさまざまな情報を得る機会がある。それらの情報の中からどれを選ぶかそれも自分の判断だけれども、選んだ情報に対して自分がどう行動するか。そしてそれがどう展開するかも自分自身の責任ということ。

 結局人生とは自己責任なのだ。誰を責めることもできない。自分自身の責任なのだ。

 そこで思うに、こりゃやっぱ神様と仲良くするしかないということ。なるべく神様に好かれるような生き方をしなきゃいけないということ。そうすると、いざという時に必ず助けが入ってくる。

 目に見える世界なんてホンのごくわずか。大半が目に見えない世界。そしてそこにこそ大きな力が宿ってる。その力こそ神様のちから。そして意識の力。意識が現実を創造する。そしてその速度はドンドン速くなっている。

 サムシング・グレートの根本は「すべて善し」だそう。こりゃ信じるしかないでしょう。


2013年3月14日 (木)

日本を動かす力

 日本はもしかするとここから変わるんじゃないか! そんなふうに思わせる大会に参加して来た。

 その大会とは、3月9日10日の2日間にわたり、東京都墨田区両国で開催された「ファンドレイジング・日本 2013」。そこには約1000名の人々が集まり、熱く、力強く、そして希望に満ちたエネルギーが溢れだしていた。

 そもそもこのファンドレイジングとは何かというと、ひと言でいえば「寄付」となるのだが、ここで言う寄付とは従来の「歳末助け合い」「赤い羽根共同募金」の寄付から、より1歩2歩進化させた「新しい寄付」ということとなる。

 具体的にはNPOやNGO団体が欧米の(ファンドレイジング)手法や(ビジネス)業界のマーケティングやブランディングなどの技術・研究成果を取り入れたり、あるいはこれまで募金がどのように使われていくのか不透明だったものを透明にし、誰にでも分かるようにするということなのであるが、その大前提にあるのが「共感」であり、「感動」である。

 現在(2011年)の日本の寄付市場(個人)は約1兆円なのだそうだが、これを2020年には10兆円規模に育てようとの目標をこの大会の主催者である日本ファンドレイジング協会は掲げている。

 1兆円から10兆円というととてつもない額と思われるのだろうが、世界を見てみると、2010年においてアメリカの個人寄付総額17兆7千億円、イギリスの個人寄付総額1兆6千億円だそうで、2010年においての日本の個人寄付総額は4800億円である。そして2011年の3.11から日本人の寄付や社会に対する意識が変わったとされ、今後の動向が注目されている。

 2日間にわたりおよそ50ものセッションが繰り広げられ、さまざまな分野の講師陣が集められ、そして熱く語り、聴衆の心を大いに揺さぶっていた。

 僕が参加したセッションのひとつでは、一見するとその講師はまだ若く、ひょろっとした感じの男性であり、「この人が…?」と思えたのであるが、いざ講義が始まると、自分が見たこと体験したことを、ユーモアも交えながら語り、会場にいる人々を聴き入らせ、共感・感動を生じさせていた。思わず僕もその話(話術)に引き込まれた。

 また、あるセッションでは講師が次のように語っていた。「人間は自分で自分の可能性を閉ざしてしまう。問題が起きた時、それをピンチとするかチャンスとするかは自分の意思で決める。思い通りにならない事をどのように自分の成長の糧としていくか。そのことに感謝し、どのように自分の出番と成長につなげていくかが大切。そして苦しい時に誰かのために行えるか。自分を変えながら夢に向かっていけるか。」と。

 外を振り向けば、未だに権力が支配をしているかのように見える。けれども現在あちこちでこれまでの真実が明るみにされており、それは確実に弱りつつある。終焉が近づいている。

 一方で感動し、共感し、共有し、共に歩み始める世界は、確実に大きくなろうとしてる。新たなる力の台頭。

 この会場には世界や日本にある(社会的)課題を解決しようとしている1000名がいる。そしてその誰もがこのセッションを通じて、このファンドレイジング~新しい寄付~の仕組みを創ろうとしている。

 彼らは世界(社会)の課題解決に情熱を持ち、そして共感や感動を生み出し、納得させ、信頼させ、支援者を増やそうとしている。そして彼らはあきらめない。自分のためだけでなく、社会や第3者のために、行動している。

 この大会のサブタイトルは、「ファンドレイジングは新たな地平へ」とされていた。まさにこの文化がこれからどんどん大きくなっていくのではないかと感じる2日間だった。もしかすると・・・、いや確実にこの波は新たなる日本を動かす力となるだろう。


2013年3月 9日 (土)

生きてく自信

Another night in any town
You can hear the thunder of their cry
Ahead of their time
they wonder why

新たな町の新たな夜に
君は都会のざわめきを聞くだろう
時代を先取りする彼らは
わけを知りたがっている

In the shadow of a golden age
A generation waits for dawn
Brave carry on
Bold and strong

ゴールデン・エイジの暗がりで
一つの世代が夜明けを待っている
勇者たちは前進を続ける
たくましく、強く

 僕の30年来好きなJOURNEYの“ONLY THE YOUNG”という曲。

 映画「ヴィジョン・クエスト~青春の賭け」 マシュー・モディン演じる高校生のラウデンはレスリング部に属し18歳の誕生日を機に階級の転向を申し出る。その理由は史上最強といわれる全米高校チャンピオンのシュートに挑戦するため。

 映画の中で主人公のラウディンが街の中をランニングするシーンがある。そのシーンの中でこの曲は流れていた。歌詞からも分かるように、気分が高揚するよなアップテンポな曲だ。スティーブ・ペリーのハイトーンのヴォイスとニール・ショーンの透き通ったギターの音色がまるで大空を駆け巡るかのようだ。

 この曲は以前から好きな曲で、よくお気に入りのテープ(今はCD)をつくる時に入れていた曲なのだが、そのサビのメロディが大好きでよく口ずさんでいた。

Only the young can say
They're free to fly away
Sharing the same desires
Burning like wild fire

発言力を持っているのは若者だけだ
彼らは自由に飛んでいく
同じ望みを分かち合いながら
野火のように燃え広がりながら

 きっと憧れだったのだろう。そうやって生きてみたいという…。

 また、かつてのアメリカには大陸というスケールのでかさがあった。(懐のでかさがあった。) それにもあこがれた。

 これまでいろいろな人、本あるいは映画に影響されながら生きてきた。時に迷い、時に苦しみ・・・。そんな時がほとんどだったような気もする。大いに悩み、吐き気を催した。

 そんな中でもがくかのように、バックパックを背負い放浪した。時にバスや電車に何十時間も乗り続けケツの痛みに耐えていた。時にビビりながら親指をあげてヒッチハイク。山の中を1週間分の食糧とテントを背負って歩いたこともあった。あるいは毎晩酔っ払いながら野宿をしてた時もあった。

 またあるときは、お寺の門をたたき、坐禅にふけったこともある。あるいは四国88ヶ所を歩いて回り、そして炎の行者のもとで顔や手にやけどをしながら、法衣を燃やしながら修行した。そして何冊もの宗教の本や哲学の本あるいは自己啓発本を読みあさった。

 それでもまだ自分が見つからなかった。どんなに仕事で一生懸命に働いて例えよい成績をあげても、他の職員から称賛をえても何かが足りず、迷いも消えず、転職を繰り返した。その数一体いくらだろう。思い出すのが大変なぐらいだ。

 旅を通じてどんなことがあっても生き延びてやるということには自信があった。もう大丈夫だと思ったりもしたが、やはり弱かった。とにかく弱かった。

 そんな僕に変化の兆しが見えたのは数年前。高齢者の福祉に携わり10年。ひとりの人を見送った時。ようやく自分の仕事に納得した。自分の中のカルマがひとつ成就した気がした。

 けれどもその後も何をしたらよいのか分からずに迷走した。迷走しながら、瞑想もしながら日々を生きてきた。そして「公」という見知らぬ世界に足を踏み入れ、それプラス「地域づくり」という未知なる世界に飛び込んで、これまた迷いながら、僕なりに手探りで進んできた。差別も受け、裏切りにもあい、血尿出しながらも、歩んできた。

 ずっと独りで歩んできたつもりだったが、気がつけばそこには仲間がいた。一緒に育ちながら来ていた。

 振り返るにはまだ早いけれども、少しばかり振り返ってみると、そこには細いながら自分という道ができており、そして前を見れば、未知なるだだっ広い世界が広がる。まだまだ先は長そうだ。

 まだまだ弱い。弱っちょろい。

 それでも少しばかし生きてく自信ができてきた。小さいながら切り拓いていく自信ができてきた。

They're seein' through the promises
And all the lies they dare to tell
Is it heaven or hell
They know very well

彼らは約束の真実を見抜いている
そしてどんな嘘でもあえてつく
それは天国なのか、地獄なのか
彼らはよく知っているのさ

Only the young can say
Only the young can say
Only the young can say
Only the young can say

発言力を持っているのは若者だけだ
発言力を持っているのは若者だけだ
発言力を持っているのは若者だけだ
発言力を持っているのは若者だけだ

 年齢的には中年域となってしまったが、精神はまだまだ若くありたい。ずっと若くありたい。

 そしてこの先もぼくなりに新たな世界を切り拓いていきたい。人生を創造していきたい。

 意識が現実を創造する。

 僕が(僕の)世界を創造する。


 最後に、映画でラウデンがどうなったかは、DVDでも借りてみてください。
 歌詞の対訳Kuni Takeuchiさんのを拝借しました。




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2013年3月 5日 (火)

甘平さん

 甘平(かんぺい)という種のみかんを頂いたので食べてみた。

 その大きさは温州みかんの2倍近く、いよかんで言うならばLサイズからLLぐらいあろうか。そしてその色がまあ何とも言えない濃いオレンジ色。テカテカに輝いている。

 そしてその皮をむいてみた。皮薄い!普通の温州ミカンの半分ぐらい。いよかんに比べりゃい予感が皮が5ミリとすれば、1ミリぐらい。

 最後に味は…「甘い!」。甘平という名前だけに甘い。随分と糖分が高いのだろうな。酸っぱさが全く感じられない。

 こりゃスゴイ!これってみかんなんだ。柑橘類か。

 調べてみると、甘平は不知火(デコタンゴール)と西の香を掛け合わせて生まれた品種らしい。

 一度食べてみるといいでしょう。でもまだお値段の方もお高いようで・・・。

 ということで、「いや~、すごいみかんが出たもんだ。僕もつくろうかな・・・。」なんてことは全く思うことなく、僕にとっては「やっぱイヨカンが一番いい。」って思った。

 まずこの皮の薄さ。きっと取り扱いが大変なんだろうな。大事に大事に扱わないと、すぐに痛んでしまいそう。夏から秋にかけて雨が少ないと、皮が割れてしまうそうだ。きっと摘んだときにも丁寧に扱わないといけないのだろう。

 その点いよかんは摘んで少々落ちようが、投げようが大丈夫。キャリーに一杯入れて、移し替えようが平気だ!そして食べるときにも、皮にまずは親指を突き刺さないと剥けない強靭さ。

 続いてみかんの色。なんだかいかにも消毒いっぱいして、虫も菌も近寄らせない完全防備というイメージを抱いてしまった。(実際にどうだか知らないけれど…。) なんだか毒々しいオレンジなんだよね。

 その点無農薬いよかん。きれいな色したのもあるけれど、傷だらけなのもいっぱいだ。夏場に蜘蛛もウジャウジャいるぞ。蚊も飛び交っている。蝉はジンジン泣きまくり。歩くと蜘蛛の巣だらけ、蝉のションベンかけられる。蚊には刺される。悲惨な状態。そんな中で育ついよかんちゃん。

 そしてその味。甘い。とにかく甘い。しかしその甘さに酸味が感じられない。僕には物足りない。僕が目指すのは酸っぱさもありながら甘い。酸っぱさと甘さのハーモニー。以前母親に言ったことがあるのだけれど、甘いだけのみかんなんていらない。

 その点うちのいよかんは酸っぱいぞ!酸っぱさが甘さをかなり勝って刺激的!眼も覚める!(全然納得できない品なのだが・・・。でもいつか絶妙のハーモニーで食べるとホントに元気が出るいよかんを作ってやる!)

 ということで、甘平は僕にとっては、人間が作った人工みかんのような気がするのだ。僕の理想とは正反対のものなのだ。言ってみれば今出回ってるイチゴみたいなもんだ。

 あるみかん農家の人が言っていた。ある種のみかん(念のため甘平ではない。)は、ハウスの中で栽培する。そして消毒をする。その消毒の影響で体を壊し亡くなった人がいるってことを。

 僕が作りたいのは自然との共生で出来上がるみかん。太陽の恵みで育ち、大地の水分を吸い上げ育つみかん。暑さ寒さを乗り越えて出来上がるみかん。そこに人の愛情や気持がプラスされ出来上がるみかん。自然をベースにしながら、少しばかし人の手が入るみかん。

 甘平がいいという人もいるだろう。それはそれでいい。きっとそっちの方が流行るんだろうな。イチゴと一緒で。でも僕はあくまでも僕の理想を追求する。頑固一徹。意地っ張りだから。でも素直に自然に従いたいだけなんだけどね。
 
 そんなみかんができるのかと思う人もいるだろう。けれどもそこはやはり、

 「意識が現実を創造する」んだ。

 きっとできると信じているから、きっとできる。

 いつか自分の理想のみかんが出来上がり、それを食べた人の驚きと喜びの笑顔が見れる日を今日も明日も、明後日も夢見ます。



 

2013年3月 3日 (日)

夜が明ける

 夜明け前が一番暗いというけれど、その一番暗い時が過ぎ、なんだか最近夜明けが来たって感じがする。

 やっぱ昨年の冬至から宇宙時代はやってきたみたい。あの頃は何も感じられなかったとブツブツ文句を言っていたのだけれども、ようやく僕にもそれを感じられるようになってきた。

 4月から晴れて自由人となるつもりなのだが、これからは心(魂)の導きに従って生きていけばよさそうだ。

 きっと経済至上主義・企業の論理優先の世界の終わりが、誰にでも分かる時がやって来るんだろうな。そろそろ脱資本主義宣言をしてもよいかもしれない。

 経済・企業やお金に支配されたモノクロームの価値観が崩れ去った後には、さまざまな価値観が春に花が咲き乱れるように出てくるのだろうか。そこはきっとこれまでうつむき、暗い目をしていた人々が顔を上げ笑顔を見せる世界となるのだろう。

 本当はいろいろな価値観でもって、さまざまな豊かさがあっていいのだ。人それぞれにそれぞれの豊かさがある。豊かさを享受することを否定する権利をもった人など誰もいないのだ。これまで一部の人達による価値観の強制と支配の時代が間違っていたのだ。

 けれどももしかするとそれも人間の発達に必要だったのかもしれない。縛られた世界を体験したからこそ、より自由を、自由の素晴らしさを感じられるのだろうから。そして宇宙の法則において決して無駄なものはないだろうから。

 僕らの目に見える世界はたったの数パーセント。その数パーセントの世界を僕らの大多数がそれがすべてと思いこんでいる。けれども本当は90%以上が目に見えない世界であり、僕らはその中に包み込まれて生きている。

 目に見えない世界をどうやって捉えるか。それはただ目を閉じて、心を落ち着け感じるしかない。ただただ感じるしかない。

 現代の僕たちはモノに囲まれ、その目に見えない世界を感じる力を随分と落としてしまった。モノの力、あるいは科学の力によって目に見えない世界をおろそかにしてしまった。そして数値でもってしか計れなくなってしまった。

 新しい流れに乗り始めるにあたって、僕たちは再びこの感じる力を取り戻さなければならない。大地の音、空の音、そして僕たちの心の音。それぞれが響き合っている。宇宙の音とともに調和して響き合っている。

 チューニングしなおさなきゃね。その気になりさえすれば宇宙はきっと味方してくれる。心の世界がきっと反応し始める。

 ワクワクの時代。それが新しき時代の感覚。

 夜が明ける。麻(朝)がやって来る。夜明けの麻の実ナッツでも食べよう。

 太陽が顔を出したら一体どれほどの世界が現れるのだろう。想像もできないや。超ド級のワクワク!

 意識が現実を創造する。みなそれぞれがそれぞれの個性を活かしながら創りあげていく「創造の時代」がやってきた。

 さあ、それがいよいよ顕著になり始めたかな。



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