« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月

2013年2月27日 (水)

シーズン終了

 いよかんシーズンが終了した。すべてを出荷し終わり、納屋は空っぽの木箱が積み上げられているだけとなった。夢のいよかんを目指し始めて2シーズン目。結果は・・・「惨敗!」。全くもって納得のいかないモノとなった。

 スッパイ!味がまちまち。そして・・・。

 僕の掲げた目標は「安全・安心そして元気の出るみかん」。それはもちろん無農薬、無化学肥料による栽培。なのでそれまでいわれるままにやっていた農薬散布を昨シーズンからやめた。(ただし何故か農薬に分類される木酢は使った。)代わりにえひめA1という微生物の散布を始めた。そして化成肥料も止め有機肥料だけにした。

 「奇跡のリンゴ」として有名な青森の木村秋則さんが作る自然栽培のリンゴは腐らない。日が経つにつれ萎れていくのみ。そして自然の一部へと帰っていく。それが本当なのだ。野菜だってそう。本当は腐らない。いわゆる雑草が腐っていくのを見たことがない。萎れ乾燥し分解され、やがては自然へと帰っていく。

 そして我がいよかん。残念ながら腐る。それを見たとたんにがっくりしてしまった。でも原因はなんとなくわかる。肥料がいけない。有機肥料とはいえ、納得できていない。そして微生物の散布量。これもまだまだ研究が必要だ。(本当は肥料も微生物散布も止めたいのだが、今の段階ではそうすると木が枯れてしまう。)

続きを読む "シーズン終了" »

2013年2月25日 (月)

夢半ば

 夢はまだまだ半ばだった。

 けれどもそれは確実に近づいてきていることを実感した。

 観客の後ろから見ていると、舞台で踊るパフォーマーたちの姿は熱く、ぐいぐいと観客を引き込んでいた。オープニングの講演から、みんなビックリと感動に包まれ、そしてその後のパフォーマー達も初回から真っすぐのストレート剛速球。続いて緩急つけたカーブボールに、最後は予想だにしないイモ洗いダンス。絶妙な流れにアドバイスを送るコメンテーターの人達も、それらに呼応するかのように、積極的なコメントを送ってくれた。

 こいつはリアリティーであり、エンターテイメント。けれどもただのエンターテイメントではなく、彼らの未来を左右するかもしれないデザインコンペ。1月からのおよそ2ヶ月でここまでのモノに仕上げるとは、みんなやはりツワモノ達だ。

 けれども僕はあの時のエクスタシーを感じることができなかった・・・。


 あれはもう4年近く前のこと。僕はひとりの高齢者を見送ったのだが、その後感じた何とも言えない感覚。もちろんその方が亡くなられたことは悲しいことであったが、きっと満足して亡くなっていかれただろうと思えたあの気持ち。悲しみと同時に満足感がこみ上げた。

 それはもしかすると僕の自己満足だったかもしれない。けれども僕の中には10年かけて初めて(というか、ようやく)最高の(ターミナル)ケアをすることができたのではないかという気持ち。そしてきっとそのことをTさんも感じ、満足してくれただろうと思えたあの時。僕はようやくここまでたどり着くことができたという感覚を味わった。

 だから今回ももしかするとあの時と同じような感覚が味わえるのではないかと期待したのだが、それは始まりと同時に消え失せた。しかしながらその後のみんなのパフォーマンスが会場の雰囲気をどんどん上昇させていき、熱気あふれるものとなった。

 考えてみれば、「これからこんなことを始めたい」という、たったそれだけのプレゼンテーション。それにも関わらず、あれだけのの雰囲気が出来上がったのだから彼らは本当に大したものだ。そして僕が感じたのは今回のメンバー誰一人とて欠けていたら、ここまでのものは生み出せなかったという思い。みんながつくりだしたこの会場と雰囲気。かけがえのない宝物だ。

 けれども、ただひとつ僕はぬかってしまった。僕のイメージを超えるモノではなかったモノがあった。それは僕の手抜かりだ。詰めが甘かったといわざるをえない。

 しかしながら2年間。正確には1年と9カ月でここまでできたことは素晴らしいこと。と同時にやはりこれだけの期間では、今の僕の実力ではこれが精一杯だ。

 地域づくりに魔法はない。コツコツやっていくしかない。それが現実だ。けれども僕は強力な魔法の手法を見つけた。それが「協働」。(それはまたいつかの時に…。)うまくいけばこいつは「偉大なる力を発揮する」


 ステージの幕が下りると同時に、また新たなスタートが始まった。これはあくまでも物語の序章に過ぎないことが分かった。僕に与えられた地域づくりはまだまだ道半ばだ。天はそのことを僕に教えてくれた。

 2年間で出来上がるわけないよな。10年スパンで考えなきゃ…。

 またチャンスがあるかどうか分からない。それでもみんなが受け入れてくれるならばもう一度一緒にやらしてもらいたいと思う。そしていつかまたあの時のエクスタシーを感じたいと思う。

 そう今度はみんなで一緒にエクスタシ~!歓喜に充ち溢れる男と女。

 なんだか不気味な世界が頭の中をよぎる…。

 意識の問題だ。

 素晴らしきみんな。そして仲間たち。ありがとう。

 ありがとうございました。



2013年2月23日 (土)

心の汚れ除去

 天気が良いので久しぶりに海辺に行き、海岸を往復2キロほど歩く。この場所を前回歩いたのはおよそ3か月前。そして前回もそうだったのだが、今回もスーパーの買い物袋を持ち、復路は海岸沿いの道路に落ちている空き缶を拾いながら歩く。

 3ヶ月ぶりに歩くと、まあ空き缶の落ちていること。少し大きめの買い物袋だったのだけれど、あっという間にいっぱいになってしまった。ホントは海に面した神社近くの砂浜に落ちてある空き缶を一番拾いたかったのだが、その前に一杯になってしまった。

 相変わらずみんなポイ捨てしているね~。これで空き缶だけでなく、タバコの吸い殻やら、紙ごみなども拾ったらきっと45リットルのゴミ袋でも足りないだろう。ボックスティッシュまで落ちてるわ・・・。呆れてモノが言えなくなる。

 拾っている途中、今度から缶やペットボトルの清涼飲料水やらアルコール類を製造している会社を訪れて、何か企画ができないかと考える。どうせならその人達が1日かけて清掃して、どうすれば空き缶やペットボトルのポイ捨てがなくなるか考えるとよいのだ・・・。

 以前から思っているのだが、缶やペットボトルに環境税とデポジット料金を上乗せして150円のペットボトルならば、200円ぐらいにして回収業者にもっていけば1本につき30円~40円を返還する。そして10円は自然保護や環境保全の美化資源に充てればよいのだ。いっそのこと500ミリのジュース1本260円にして100円返すってすれば、ポイ捨てなどなくなるに違いない。

 まあここまでしないと今の日本人は意識を変えることができない。寂しい民族となってしまったということだ。少子化の割に近所に塾がどんんどん増えているのだが、学校は一体何を教えているのだろう?

 企業も税金払えないところは、月に1度休日を(近隣の)環境美化活動として海や川または山に出て清掃活動をするようにすればいい。3月になくなるであろう金融円滑化法案というのがあるが、これで返済を猶予してもらった企業は少なくともそうすべきだ。(ちなみにこの法案が切れると倒産する会社が5,6万件あるらしい。)

 心の汚れてしまった日本人が多いのは確かだ。この人達に少しでも変わってもらわなきゃね。

 ところで、3か月前までは散歩しながら空き缶拾いするのに、恥ずかしいので、こそこそと拾っていたのだが、今日はほとんど何も気にすることなく、せっせと空き缶拾いに精を出してしまった。

 最近なんだか僕の意識モードはどんどん変わっていってます。それもいい方に変わっているように思える。昨年のマヤ暦の終わりに何も感じなかった僕だけど、それでも少しは影響があったのだろうか。

 どちらにしろ、これからは「地球と人が共生・共発展する」ってことをテーマに、地球と人をつないでいきたい。

 少なくとも意識はそのモードに入ってます!





ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。


2013年2月20日 (水)

食が危ない!

 「モンサントの不自然な食べ物
 「ありあまるごちそう
 「FOOD,INC
 「未来の食卓

 と立て続けに4本の食に関するドキュメンタリー映画を観た。

 ついでながら最近読んだ本に「タネが危ない」(野口 勲著)がある。

 それらの感想をひと言でいうならば、「やばいな!」。

 近頃冬場になるとニュースになる「O157」って人間が牛に餌としてトウモロコシを与えるようになって発生したそうだ。元々牛は雑穀を食べないのだが、人間が与えるようになり、牛の胃の中の細菌が突然変異を起こし、それが人間へと感染したらしい。

 そういえば、狂牛病だって人間が牛に牛骨粉を与えて、まるで共喰い状態にしたため発生したそうだし、その狂牛病の牛の肉を人間が食べ、その人も罹り・・・。

 アメリカの養鶏場では普通ヒヨコがニワトリに成長するのに3ヶ月かかるのが、怪しげな技で7週間で成長させ、食肉処理場に送られるそうだ。そしてそのニワトリといえば、すし詰め状態の中で飼育されているため、数歩歩けばこけてしまうような状態。そしてそこで飼育する人もニワトリの餌に抗生物質を多量に混ぜるために、抗生物質のアレルギーとなってしまったって。

 ひえ~!

 大豆といえば、今やモンサント製の遺伝子組み換え大豆。モンサントが製造する除草剤ラウンドアップに耐性を持つ遺伝子を組み込まれた大豆が市場を制圧している。

 またトウモロコシも同様にモンサント製のラウンドアップ耐性遺伝子組み換えが圧巻しているのだが、フランスの研究機関で実験したところ、このトウモロコシを与え続けたネズミはガンだらけになったそうだ。月刊フナイの12月号の中でその写真を見たが、それはもう驚くような姿だった。

 また近頃の野菜類の種はF1といわれる交雑種がほとんど。それらのほとんどが流通市場に載りやすくするために改良されたものであり、またその改良の仕方がいかがわしい。

 こんなモノばっか食べてんのや!食品添加物といい、化学肥料といい、なんやねん!

 こりゃ、ガンは増えるわ。アレルギーを持つ人が多くなるわ。アトピー増えるわ。化学物質過敏症も出るわ。出て当然や。そう思わざるをえない。

 しかしこれらのどれか一つとっても、言えるのは「企業論理」が優先されているということ。人間なんて後回しで、企業の儲けが最優先なんだってこと。小さなところでいえば、産地偽造も、消費期限すり替えもすべてそこに行きつく。

 人間よりも企業論理、経済論理が優先されるなんて、どう考えてもおかしいはずだが、それが当たり前となっているところが今の世の中なのだ。原発にしてもそう。人間の安全よりも企業存続の方が大切であり、みんなで一致団結して嘘をつく!

 公害、薬害エイズ、予防接種、すべてそう。

 このマインドコントロールは一体何なのだ!

 一体いつ目を覚ますのだろう。外からドンドンと音は叩かれているのだが、まだまだ日本人は夢の中…。みんなが夢を観ている間に、米国産は日本人のタンス貯金をせっせと懐に入れている。ついでにイビキをかきながら開いている口に毒まで入れていってくれてる。

 モ~どうしようもないな。「狂牛病です。」ってどこかの大臣が言ってたことがあるな…。あの人は何処へ行ったのだろう。

 目覚まし時計のベルはドンドン大きくなってます。いつ起きますか~?&そのグルメの品ホントに大丈夫ですか?




 

2013年2月17日 (日)

理屈なんていらない。それだけで十分。

 「僕たちは世界を変えることができない
 主人公の甲太は浪人生活を経て医学部に入り、学生生活を送っている。東京のマンションで暮らし、そこそこ欲しいものが手に入り、そこそこ楽しめ、不自由なわけでなく、それなりの生活を送っている。なんとなくの生活。

 今では当たり前の学生生活。(まあ近頃は苦学学生も再び増えてはいるのだろうが…。)授業もちゃんと受けるけど、バイトもしている。苦労な生活をしているわけでもない。大半の若者達は、楽しみを見つけながら、なんとなくの生活を送っている。

いや若者だけじゃない。大半の大人たちがそんな生活を送っているんじゃないだろうか。

 不満もないわけではないけれど、満足しているわけじゃない。「何かが足りない」。なんとなくの生活。何か夢中になれること。熱中できること。

 そんな甲太がある日、ふとしたことでカンボジアに学校を建てるパンフレットを見つけ、「カンボジアに学校を建てたい!」と思い始める。そして仲間に相談して、やろうということになり、サークルを結成する。スポンサーを見つけ、イベントを行い、募金活動を展開する。

 甲太を始め4人は実際にカンボジアに行き、カンボジアのさまざまな現状をみて打ちのめされ、そして考えさせられ、認識を新たにし、活動に力を入れようとする。

 けれどもある時、スポンサーが逮捕され、サークルの掲示板は誹謗中傷で炎上する。募金箱にも批判がマジックで書きなぐられる。そしてサークルメンバーが集まり議論する。

 メンバー達はいう、
 そもそもなんでカンボジアなの?
 軽い気持ちで入っただけなのに…。
 ボランティアすると就職に有利だと思って・・・。
 日本にだって困っている人がいるじゃん。
 学校建てても、教師が足りてないんじゃないの?
 サークルは崩壊の危機にさらされる。

 よくあるストーリーの展開だ。こうして観客は引き込まれていく。

 けれども、僕が思ったのはそんなことじゃない。このメンバーの議論のシーンで、僕もそんな目にあったことがある事を思い出した。それも1回だけでなく、大なり小なりしょっちゅうだ。きっと、誰もがそんな場面に遭遇したことがあるんじゃないだろうか。

 今では何かをする時には、理由や論理を求められる。そして人々はさまざまな視点からモノを言う。箇条書きにまでしてくれる。それらを乗り越えるのはひと苦労なことだ。僕もそれで何度折れたことか・・・。

 情熱に理屈がいるか!

 そう思ったんだ。僕らはあまりにも理屈をこねくり回しているんじゃないか?そして自分の中の情熱を自ら冷ましてしまっている。僕らはできない理由を探すのが大好きだ。

 甲太が「カンボジアに学校を建てたい」と思ったのは、郵便局でそのパンフレットを偶然に手にしたこと。そして建てたいという情熱が湧いてきた。ただそれだけ。

 それだけで十分じゃないか。ましてや学生ならば。いやホントは大人だってそれだけで十分なはず。心の奥底のふとした「揺れ」。それだけで十分。それが自然の論理。

 自然には理屈も何もない。秩序があり、時にそれは乱され、壊される。そして再び秩序が戻り・・・、その繰り返し。これこそ神の原理。この三次元世界の摂理。そんなことにいくら理屈をつけても仕方がない。

 ふとしたことで「やりたい」と思った。社会に役立つのに、それだけで十分じゃないか?理屈なんていらない。(理屈なんてあとからいくらだってつけられるでしょ。)

 今では誰もが理屈をこねる。ましてや大人になるとそこに必ずと言っていいほど金銭勘定が入って来る。そしてそれは不可能と結論を下してしまう。そこには無難な未来はあるかもしれない。けど明るい未来は見えない。

 甲太達はふとしたことから「やってみたい」と思い、未来を見つけた。

 未来を見つけた者には希望がある。

 今のあなたにはどのような未来がありますか?理屈抜きで情熱を持つことができてますか?



2013年2月15日 (金)

夢叶うかも

 地域づくりという仕事に関わり始めまもなく2年が来ようとしている。

 1年半前にデザイナーの事務所を訪れた。そして地域づくりとデザインについて教え乞うた。でもそのときはまだ僕の中で地域づくりの概念もまとまっておらず、ましてやデザインといかに交差するのかもはっきりとつかめていなかった。

 そのためデザイナーの人も僕の話すことがよくつかめずにいたのだが、ある時「デザインの仕事とは物事の背景を創りだすことでもあるね。」って言った。

 その言葉にビビッと来た。

 そうだ僕は「背景」をつくりたいのだ。もっと言うならば「舞台」をつくりたいのだ。みんなが活躍できる舞台をつくりたいのだって思った。それ以来僕の地域づくりとは、「地域の人々が活躍できる舞台をつくる」こととなった。

 けれども概念は固まっても、実際にどうその舞台をつくるか。あるいはその舞台を誰がどこにつくらせてくれるかということとなると、思考錯誤、試行錯誤の連続だった。何せ想いは人一倍あるけれど、実績ゼロに近い素人なのだから…。(といっても福祉の舞台ではそれに近いことはしていたが…。)

 ストレスのせいか、血尿が出始め、尿管がつまり死にそうな思いもした。体調が悪く階段登るのもやっとこさの時もあった。それでも何とか少しずつ前に進んでいった。

 地道な(?)努力が功を奏したのか、よき出会いに恵まれた。そして一緒にやりましょうという人達に巡り合えた。

 舞台は出来上がり、まずはそこに人が集まり検討した。そして舞台の上で演じる役者も決まりつつある。さまざまな人々が集まり、話し合い、ストーリーは展開されつつある。

 僕が夢見るシーンは、舞台の上で演じる人達がいる。そしてそれを観る観客がいる。やがて舞台の上の人達も観客も一体となりひとつになっていく…。そしてそれを後ろで眺めている僕がいる。そして最後にみんなと握手をしたり、抱き合ったり・・・。

 さあ、この夢は叶うだろうか。幕が上がる日は近づいている。

 (いつものセリフとなるけれど)
 意識が現実を創造する。

 既に僕の頭の中では、がっちりみんなとがっちり握手をしているだけどね。イメージトレーニングは準備万端!

 いやいや、それでもまだまだこれからだ。

 兼好法師は梯子を降りる手前になり始めて「気をつけなさい。」といった。

 みんなを信じること。自分を信じること。そして感謝すること。

 夢よ叶え!

 でもって、その後は・・・次なる夢に万進だ。

 振り返ればそこに道はできている。

 でもまだまだ先は長いからね。先はでっかい荒野だから。

 だから面白い。

 宇宙時代の幕開けは、意識のあり方次第。

 これからだ。


2013年2月13日 (水)

ベールの向こう側に見えるもの、それは・・・

この世に生まれたからには生きていかなければなりません。もちろん中には若くして亡くなる人もいますが、今や男女ともに80年以上生きる時代です。その80年間をできることならば毎日充実した日々を送りたいと誰もが思います。生き苦しい毎日が続くというのは、考えただけでも嫌になってしまいます。けれども現実はその息苦しさが続いているということも多いのではないでしょうか?


Photo_4


学生時代を終え社会人となり製造業に勤めていたことです。そこでは営業やメンテナンス(保守)の業務に携わっていたのですが、常々疑問に思ってたことがあります。それは、「これって交換しなきゃいけないの?まだ使えるんじゃないの?」という疑問です。


そうは思っても、売上を上げ、利益を出さなければ評価されません。しかもその会社では毎月個人個人の損益を出していたものですから、やはり(自分の成績が)赤字になると気になってしまいます。そこでまだ使えると思っても、そろそろ交換したほうがいいですよと買い替えを勧めてみたり、点検の際に余計に部品を変えたりもしました。(そのお陰で未然に故障を防いだこともあるとは思います。いいわけですが…。)


皆さんも仕事の中で「これってホントはまだ使えるんだけどな…。」、「ホントはこんなの必要ないのに…。」、「こんなの使うと体によくないいじゃないの?」と思ったり、あるいは「毎日毎日同じ(単純)作業の繰り返しで、こんな日がいつまで続くのだろう?」と思ったりしながら働いてませんか?正直これこそ息苦しいことだと思うのです。


けれどもそう思いはしながらも、それが売上を上げるためであったり、それが会社からの命令であるとすれば、(働き続けるためには)それをやり続けるしかありません。単純労働、おまけに低賃金であってたとしても、文句を言ったら変わりはいくらでもいるから辞めてもらって結構ですと言われてしまいます。こうして大量生産の中で機械の一部、あるいは機械の補助として働き続けること。それが現代社会です。


子供たちにはこんな思いをさせたくない。子供たちにはしっかり勉強させて、偉くなってもらって、人並み以上の生活を送ってもらいたい。だから塾に行かせて、いい成績をとって、よい学校、よい会社に入って欲しい。できることならそれで私も少しばかし楽になれれば…、と子供に夢を託していませんか?これもまた息苦しさだと思うのです。今や格差は広がっていく一方です。


Photo_5


かつて日本の企業は、「会社とはそこで働く人達のためのものである。」といわれたこともありました。家族主義ともいわれました。良し悪しはあれど、みんな中流を意識できた時代です。けれどもそれは今や昔の世界となってしまいました。今では企業とは売上を上げ、利益を出すモノ。そしてその稼いだお金はその企業に出資した者がいただくという世界。それが企業論理となってしまいました。



私たちはピラミッド構造に組み込まれ、そして権力者達の搾取の下に生きているのです。ピラミッドの下層の者たちは働けども働けども、収奪される一方です。すべては一部の者たちが稼ぐための手段にすぎず、私たちはこのシステムの犠牲者となっています。社会はすっかりMonetary World (金融至上主義)となってしまったのです。本来ならば、生きていくためのひとつの手段でしかなかったモノが、経済を動かすだけでなく、経済を支配し、社会をも支配するモノとなってしまいました。今や私たちはMONEYという1本だけのものさし(豊かさ基準)でしか、人生を量ることができなくなってしまいました。


そのようなモノクロームな価値観を権力者たちはそれこそが世界のあり方といいます。グローバリズム、あるいは市場原理こそが正しいとして主張します。そして真実を隠すために、マスメディアや政治、そして大企業と結託して、人々の視界を狭めていきます。時にはこれからは、これこそが自由であり、個性の追求であり、そして多様性であるといいます。けれどもそれらのすべては実際は「自由もどき」「個性もどき」「多様性もどき」という「もどき」でしかないのが実情です。


私たちはそのようなベールに被われた世界の中で生きているのです。そして多くの者がそれを当たり前の世界として受け入れ、素直に従っているのです。お上は悪いことをするはずがない!という思い込んでしまっているのです。


Photo_6


けれども世界を被っているベールに風が吹き始めました。またベールの色が薄くなり始めました。ベールにほころびがやってきました。僕たちはベールの向こうを垣間見ることができるようになってきたのです。それは権力者たちが作った構造のからくりだけではありません。本来私たちがあるべき姿「共生」「分かち合い」「創造」「感謝」「愛」そんな世界が垣間見えてきているのです。



1人ひとりの個性や能力を重んじる社会。人間の多様性を活かすことのできる社会。自然と人間が調和して生きる世界。そこでは「恵み」「慈悲」のもとで誰もが生きている。地球の一員として、そして宇宙の原理を基に生きている。多様な豊かさは人々を喜びを与える。そして人々を「愛」や「感謝」を基にした暮らしを与えてくれる。もどきの世界ではなく、理想の世界が実在するのです。


4_2




しかしそのためにはあなたの意識、あなたの意識の持ち方が関わってきます。今のあなたの意識でそのベールの向こうの世界に行くことができるでしょうか。中には今の意識ではこのままベールの内側の世界にいる方がいい人もいます。あなたの意識は「エゴ」「欲」で溢れてませんか?もしそうならば現在の意識をクリーニングする必要があります。 この世界はすべては意識が現実を創造しています。今のような時代であるからこそ、クリーニングしてベールの向こう側へ行く準備をしましょう。



図での解説は
コチラ






らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2013年2月10日 (日)

子離れなさい

 近頃は真実を報道しなくなってしまった大手のマスメディア。例えしたとしても読者を誘導する偏った報道や、表面的なことばかり。

 そうと分かっていながらも新聞に目を通す自分。一応社会の流れというヤツを見とかなきゃって思う次第。なぜならまだまだ多くの人々がこの風潮の中にいるから。そしてどれがホントで、どれが偏重報道なのか見極めるのにも役立つから…。

 ということで、新聞ネタをひとつ。2月10日の愛媛新聞に出ていた、「就活まで子離れできず」「県内増える保護者の過干渉」「内定先『無名』と反対」との見出しで、子供の就職活動に熱心に(?)関わる親が増えているとの記事があった。

 近頃の親は企業まで訪れ労働条件を確認したり、就活セミナーに親がやってきて「子供は面接が苦手で・・・」などの相談をしたりするらしい。そしてせっかく内定をもらっても親の反対で辞退することもあるそうだ。

 そういえば、もう5年位前になるが、4月にとある専門学校にどホームページ作成講座を受けに行っていたのだが、そこに大卒の子供とその父親が来て、公務員(受験)講座のことをスタッフに相談していたことがあった。

 大学卒業しても、親に一緒に来てもらわなければならないのか・・・って異様に感じたのだけれども、今ではそれも当たり前となってしまったのだろう。

 僕は高校生のころから家を出たくて仕方なかった。「ひとり暮らし」がしたい、とにかく親元を離れたいという気持ちでいっぱいだった。そしてもちろん就職活動など親にひと言も相談した覚えがない。

 今でもそれでよかったと思っているし、大学生ともなればひとりでやっていくものだと思う。まあ今思えば、自分はそう思っていたつまりだけれども、親に頼っていること、独りよがりだったことをしみじみと感じるのではあるが・・・。例え勘違いであってもそうありたいと思う。

 そして中学受験や習い事に熱心な親ほど大手志向が強く、子供の就職にも力を入れがちなのだそうだが、これってきっと自分もしくは夫へのコンプレックスなのだろうなと思う。

 今の世の中「大手」といわれる企業こそ危ないと思わなければならないのに、それが自分自身の自己満足にしか過ぎないということが分かっていない。本当に子供の気持を考えたことがあるのだろうか。

 子供が本当はどんなことが好きで、どんなことをやりたいのか、それを見出してやるために、色々な体験をさせてやることが必要だ。そしてそれは決してそこいらの学習塾では学べない。教科書や問題集では学べない。

 確かに僕は中学、高校と勉強した。割と成績も優秀なグループにいた。望み通りの大学にも入れた。それが正しいことだと思っていた。けれども大学に入って、自分が何をしたいのか分からなかった。その先がなかった。そして悩み、鬱になりかけ、中退しようかともめた挙句の果てにオーストラリアに逃避行した。そしてオーストラリアという国の中であれこれするうちに、少し先が見えてきた。

 だから親に言う。子供を急がせ過ぎなんだ。自分の価値観あるいは世間の価値観を押し付け過ぎなんだ。もっと子供にじっくりと何がしたいかという考える時間を与えてあげて欲しい。

 教科書や問題集を解く時間よりも、より多くの体験をさせてあげて欲しい。そして自分自身が道を見つけていくことを教えてあげて欲しい。そしたら子供は自ら強くなっていく。

 子供はあなた自身とは違うのだ。どんなにずっと一緒に暮らしていたとしても、あなたと違うのだ。同じ価値観を共有していることもある。けれどもその子はその子自身の人生を生きていく上での課題を持って生まれてきているのだ。その課題に向かっていけるそれこそ大切なのだ。

 あなたの思い描いた道のりを決して子供は歩まない。もし歩んでいたならばそれは子供ではなく「リカちゃん人形」だ。

 だから親達よ、さっさと子離れしなさい。そしてあなた自身の課題に向かいなさい。きっとあなた自身の課題が山積みですよ。


2013年2月 6日 (水)

阿部ちゃん

 最近「天国からのエール」という映画を観た。見たといってもDVDでだけど。

 この映画弁当屋を営む主人公の陽は高校生達がバンドを続けたくとも、練習できる場所がないことを知り、借金までして無料のスタジオをつくり、彼らに提供するとともに、時には高校生たちを叱りながらも、彼らを応援していく。しかしながら主人公の陽は志半ばで病に倒れ・・・。

 この映画のホームページに「本気で叱ってくれた。本気で愛してくれた。」と書かれてあるけれど、陽は高校生達をよく叱る。でもそこには彼らのことを思って本気で叱るというとても大きな愛が感じられる。だから高校生たちも最初はそれに反発するが、やがては慕い始める。

 この映画の主人公の陽を演じる阿部寛こと「阿部ちゃん」がすごくいい演技をしている。ホントにこんなおっちゃんだったら従うよな~。だって俺たちのこと本気で思ってくれているんだもん。そんなふうに思える。熱い演技をしている阿部ちゃんの好感度大だ。

 しかし。最近の阿部寛の阿部ちゃんは大人気だな。「テルマエ・ロマエ」「麒麟の翼」といいいい演技してる。(見てないけど…。)。きっと好感度もとっても高いだろう。おそらく人間的にもいい人なんだろうな。どこかに変な癖は持ってるんだろうけどね。

 そして今阿部ちゃんといえばもうひとり。世間をにぎわしている阿部ちゃんがいる。「アベノミクス」と騒がれているあの阿部ちゃん。なんだか一見こちらの阿部ちゃんもすごく熱く見えるのだけど、どうも胡散臭さが漂ってきて仕方がない。おかしな熱さを感じる。「日本をどうする気?」と本当に心配になってしまう。

 「アベノミクス」ってバブル崩壊以来ずっと、騙され損し続けられてきたおじさんおばさん連中に淡い期待を抱かせる。今度の阿部ちゃんはやってくれるんじゃない?

 首相就任祝いとして、日本中にお金をばらまき、公共工事をばら撒き、まるで餅まき気分。餅まきが終われば誰もいなくなり、踏み荒らされた足跡だけが残るという…。まるで媚薬を飲ませそれが効いている間に、好きなことしてまえという、いやらしげな手口をお使いのような…。

 「憲法改正」「軍隊化」「武器産業の育成」「軍事費の増加」「自衛官の増強」・・・。日本は只今戦争体制構築に向けて走りだしたって外国人みんなそう思っているんじゃないの?

 「原発輸出」「戦闘機の開発」・・・。これって平和国家のすること?唯一の被爆国、そして原発事故を起こした国のすること?全くもって平和と結びつかない。というか全否定としか思えない。

 思うに阿部ちゃんは腹痛予防対策として、きっと魂を売り渡してしまったのだろうな。そこまでして首相がしたかったのだろうな。このままでは「お腹アタタ首相」として名前が残ってしまうということで…。

 でも阿部ちゃんは残念ながら、先の見通しが甘いのだろうな。世界は確実にグローバル時代の終焉を迎えている。グローバリズム、原理主義、西欧化(アメリカナイズ)の世界は終わろうとしている。今か彼らは最後の悪あがきをひたすら続けている。

 そしてアジア各国、いや世界の多くの国々が待っているのは、新しい方向を引っ張ってくれる日本なのだが、阿部ちゃんは腹痛予防のためにに「日米同盟強化」としてしまった。国民の前では強い阿部ちゃんを演じながらも、一方でハーグ条約やら50兆円のお土産を持って大統領に会いに行こうとしている。

 ああ、日本をにぎわす2人の阿部ちゃん。2人のこの先の展開はどうなるのだろう?ひとりはきっと日本の大俳優となるのだろう。そしてもう1人は・・・。どんな風に歴史に名を残すのだろう。



 

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »