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2013年1月19日 (土)

ホントウの自分

 寒さ厳しいこの頃。建物の中でPC使っての1日仕事。時に起るストレスフルな状態。まだまだ不自由に身を置く僕。解放しきれてないよね。疲れも覚え9時半にはスリーピー。ペットボトル湯たんぽをセットし、布団の中に潜り込む。そして午前1時半。目が覚めたので借りていたDVD観た。

トイレット」。一体どんな映画なのかと思い、始まりの日常の生活のセリフで、いや~これはもしかして…とバッドなイメージがよぎりもしたが、最後は感動した。内容もそうなのだが、監督の持つ独特の感性に感動した。

 勝手ながら、この映画の監督荻上直子さんずっと生きづらかっただろうな・・・。独自の感性の持ち主の故理解してくれる人少なかっただろうな。でも(映画という)表現の場を見つけたんだろうなって思った。

 映画の中でもたいまさこ演じる「ばあちゃん」は一種の独特の雰囲気を醸し出している。ある意味不気味な存在。でもばあちゃんは「ばあちゃんの世界」に生きている。そして孫3人は少しずつその世界を理解し引き込まれていく。

 ばあちゃんは偉大な存在だ。

 うちのばあちゃんも今やボケちまって、半野生状態。昨晩も訪ねてみると常夜灯の灯りの下で、布団に包まったままおかずを食べており、こっちを見ながらもモグモグと口を動かし続けていた。

 何をしでかすか分からないところもあり、今ではある意味どうしようもないばあちゃんではあるが「ばあちゃんの世界」に生きている。そして育ててもらったばあちゃんである。

 ばあちゃんと暮らし始めた孫3人はばあちゃんの世界に引き込まれると同時に、自分たちの持つ才能を見つけていったり、自分自身を(再)発見していく。

 「ひきこもり」。それは社会と自分自身のギャップを埋める防衛手段。

 「オタク」。それもまた自分自身のオリジナリティ。

 それぞれモノカルチャーな経済システムの世界に対する抵抗であり、防衛だ。

 映画のキャッチコピー「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」。

 誰もが自分自身の表現を求めているのだ。

 僕はこの映画の中に、自分の中にあるオタクを発見した。

 金星に帰りたい。金星人は大地と共に生きている。プレディアスに帰りたい。プレディアスは宇宙とともに生きている。けれども僕はまだプレディアスからは許されていない・・・。金星はどうか?分からない。

 そしてこの地球。地上に住む人間は分離している。残念なことに地球と人間は分離状態。大地とともに生きるどころか、自身の欲望を満たすことで一生懸命。自分自身とも分離状態。けれども人間は未だそのことを理解していない。

 けれどもこの地球に生まれてきた限りは、「地球でおやんなさい。」っていうことなのだろう。僕は地球オタクだな。

 ばあちゃんは、ばあちゃんの世界のうちに孫たちをつなげていく。そしてそれぞれの世界それぞれの表現方法を導き、やがては灰となっていく。

 偉大なる日本テクノロジー。その技術は世界を驚かすとともに、快感を与えることもできる。輸入されてきたばあちゃんは3人の孫たちにまさにそれを与えたようだ。

 さあ、オタク的技術でもってこのモノカルチャーな世界に色をつけることができるだろうか。さまざまな土台こそが、豊かな世界を築いていく。まずは大地とともに生きよう。

 そしてそのことに気付いた時には、自動的に流され去っていく。それぞれの星へと帰っていく。



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