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2013年1月12日 (土)

平安雅

 賀能啓す。高山澹黙なれども、禽獣労を告げずして投り帰き、深水言はざれども、魚龍倦むことを憚らずして逐ひ赴く。

 (日本からの遣唐大使である)賀能が申し上げる。高山はゆったりと静かで沈黙したままであっても、鳥獣は苦労など口にすることなく競ってそこへ赴き、深い水は物を言わなくても、魚も龍も倦むことをことをいとわずに急いでそこへ赴く。 (弘法大師空海全集第六巻より) 

 閑林独座草堂暁
 三宝之声聞一鳥
 一鳥有声人有心
 声心雲水倶了了

 閑林に独座す草堂の暁
 三宝の声、一鳥に聞く
 一鳥声有り人心有り
 声心雲水倶に了了
        (「空海の詩」 阿部龍樹)

 静かな林の中の草堂で独り坐禅三昧に耽り暁を迎えた時
 仏法相の鳴き声が聞こえてきた。
 仏法相と鳴く鳥の声、私の心
 声も心も森羅万象すべてが融け渡る悟りである。

 突然ながら弘法大師空海の詩が読みたくなった。かつて「高山澹黙なれども・・・」の詩を読んで、なんてすごいんだとビックリした。こんなにすごい詩をつくれるなんて、同じ人間?って思った。

 まあ、比べようとすること自体が無謀か?

 空海は奈良時代末期から平安初期の人だから、空海が平安文化の基礎をつくったといっても過言ではないだろう。なんだかこの詩の中に平安時代の雅がすべて凝縮されているような気がする。

 密教というそれまでにあった仏教概念をひっくり返すがごとくに「肯定」した仏教。それを唐の恵果和尚から伝承され、更に発展させ完成させてしまい、現代もずっと引き継がれているのだからなんて空海とはすごい人なのだろう。

 その空海にかつてあこがれた。ひたすら空海について書かれた書物を読みあさり、読むだけでは満足できなくなり、四国遍路の旅にで、更には空海にもっとも近いと思える法主のもとへ修行を願いでた。

 ちょっとでも空海が見たもの考えたことを知りたくて追い求めた日々。ああ、あのころが懐かしい。

 ほぼ毎日欠かさずに理趣経、般若心経を唱えていた日々。毎晩毎朝坐禅に励んだ日々。そしてひたすら山中を駆けずり回った日々。

 平安文化といえば、清少納言、紫式部に紀貫之。東寺に平等院鳳凰堂。数ある仏像。いろあでやかな着物姿。想像すればまさにそこには平安で文化が勃興したエルサレム。

 平安の三筆。五筆和尚。曼荼羅図。満濃池。不動明王。そしてひそかに景教(キリスト教)も隠し持ち帰り。うわさでいろは歌。空海が唐から持ち帰った文化。それらが日本の文化へと昇華されたいった。

 でも空海って表立っての文化だけでなく、どんな秘密を持ち帰り、そして日本の中あるいは文化の中に隠したのだろう。あれだけの人だからきっといろいろな仕掛けをしているに違いない。

 四国に何を隠したのだろう。剣山にどんな仕掛け(秘密)をしたのだろう。そして日本の文化にどんな秘密を隠したのだろう。

 お遍路で回っている時、高知の海辺でテントを張った。その夜夢の中で空海さんの夢を見た。浜辺でたき火をし、その炎をじっと見つめる空海がいた。あの時どんな仕掛けをしたのか、聞いておけばよかったな。

 空海の若き頃の奈良時代末期。遷都や悪霊など世の荒れた時代。それがやがては平安の泰平の時代へと移りゆく。

 そして今僕らがいるこの平成の時代。日本だけでなく世界、地球規模で荒れている。これは泰平の時代が来る前段階なのか。泰平の時代が来るためにはどのような刺激が必要なのだろうか?そしてその泰平の時代とはそのような時代なのだろうか。

 いずれにしろ、そのキーワードは「進化」に違いない。

 現在さまざまな古代の秘密が解き明かされているから、まもなくその空海が隠した秘密が明らかになるかもしれない。

 そこにはもしかすると「進化」の鍵が隠されているかもしれない。

 いずれにしろ「ワクワク」しつつ、進化するための準備をしておかないと。きっと空海も唐に渡るときにはワクワクしたに違いない。

 そのためにはやはり「意識」「意識の向上」。これを心がけないとね。

 磨かなきゃ「心」の中の三宝を。




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