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2013年1月16日 (水)

トウモロコシの向かうところ①

 映画「The River(ザ・リバー)」の主人公はメル・ギブソン演じる頑固ながらも正直に生きている一農民。彼は移民代々の土地でトウモロコシを育て生活している。

 その土地は元々は湿地帯であったために、時折の大雨により川が氾濫し、農地が水没してしまう。映画は大雨で川が氾濫し、農地が水没しようとしている場面から始まる。それを必死に防ごうとするトム(メル・ギブソン)とその家族。しかしながら自然は彼らの行為に対して、無残にも即席の堤防を崩し辺り一帯を水没させてしまう。

 水没により農作物(コーン)がダメとなり、トムは銀行に融資を申し出るが、これまでのローンの積み重ねもあり担保が足りないと断られてしまう。しかし実は裏にはダム建設のためにその土地を没収しようとする企みが…。

 というわけで、メル・ギブソンほか俳優たちの名演技が光ると同時に、川の氾濫など迫力あるシーンも見られ僕の中では古きアメリカの農民の姿を描いた名作品なのである。僕は随分昔にこの映画を中古のビデオ販売店で見つけ購入し1度見て以来ずっとほこりをかぶっている状態だったのだが、VHS復活とばかしに久々に見た。

 この映画の中では真面目に実直に農業を営みながらも、自然災害、農産物価格の下落、機械の購入等で借金を重ね、ついには土地を奪われ、農業を放棄していく農業者の姿も描かれている。

 ああ、これがアメリカの近代農業の変換の歴史なのだ。小規模農家はこうして農地を失い、一部の大規模農業へと変わっていく。きっとかつてはあった家族経営、大草原の中の小さな家のアメリカの家族像もこの過程の中で失われていったのだろう。

 実は僕もかつてアメリカで農業をしたいと思ったことがある。そこにはでっかい農場の中に小さな家があり、牛や馬もいる。ニワトリもいる。大草原の中で人間のちっぽけさを感じたり、自然のでっかさを感じながら生きていくということを夢見ていたのだが、きっと今ではそれは映画の中だけの世界となってしまったのだろう。

 映画のラストでは再び雨が降り、川が氾濫しそうになる。それを必死で防ごうとする農民たち。川が氾濫し今度こそ土地を没収しようとするダム建設を計画する者たち。彼らの対決が描かれるのだが、最後は正直で実直なトムの姿にみなが心を打たれ、農民たちの団結にダム建設計画者は白旗を上げる。

 けれどもダム計画者はトムの元を去る前に次のように言う。「いいだろう。今回は待とう。けれども、いずれまた洪水が襲う。あるいは干ばつが襲う。もしくは(過剰)豊作でコーンの値段が崩れる。それまで待とう。」

 きっとこの主人公の農民たちはやがては負けていく者たちなのだろう。現実アメリカ社会を見ればそれが分かる。それでも彼らはその日が来るまで農地を守り家族を守ろうとする。

 映画の中で、トムの娘が兄に手綱を持ってもらいながらも馬にひとりで乗れるようになるシーンがある。それを見て笑顔で手をたたくトムと妻のメイ(シシー・スペイセク)。厳しい彼らの生活の中にあるほんの小さな幸せの一シーンだ。

 映画のラストは、家族みんなで川の氾濫を免れたコーン畑で収穫車に乗りコーンを収穫するシーンだ。娘がコーンを手に取り、頭上に投げながら言う。「このコーンはミリオンダラーとなるわ」と。それを聞いて微笑む家族。

 最後は実に微笑ましく終わるのであるが本当はそれで感動して終わればよいのだが…。いや以前この映画を見た時は感動と心強さで終わったのだ。

 だが今の僕はこの映画の終わりと同時に寂しくもなったのだ。それはこの時のコーンはまだ幸せのコーンだった。しかしそれはやがて、「キングコーン」という世界支配を企むモノへと変わっていくのだと…。(もちろんその時にはもうこの家族は農地を没収されていなくなっているのだろうと…。)

 キングコーン。それは人類がつくりだした恐ろしき化け物か?

次回へと・・・。




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