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2012年9月23日 (日)

天誅下るぞ!

 新聞のニュースで神社の御神木が相次いで枯れる事件が起こっているそうだ。そしてこれが人間(悪徳業者)の手によるものらしいとのことが書かれていた。

 神社には樹齢何百年の樹木が御神木として祀られている。それはその神社が何百年も前からそこにあるという歴史を示す証拠である。一方で樹齢500年以上の樹木は寺や神社の建立や修繕に欠かせないらしい。けれどもそれらはめったに市場に出てくることはない。そのため業者は高額な金額を提示し売って欲しいと頼みに来るらしい。

 今回枯れ始めた木には根元に11カ所の穴が開けられており、そこから除草剤を注入し、それが葉を枯らし光合成ができないくなり、木全体が枯れてきたのではないかとのことだ。

 そして神社は木が枯れてきたため伐採を決めたとのことだが、伐採された木はもともとの(生きた木の)半値以下とのこと。このようにして故意に木を枯らし、買いたたく悪徳業者がいるとのこと。そしてこの木はどこかの城の修繕に使われるらしい。(9/23愛媛新聞要約)

 なんでこんなことをするやつがいるのだ!しかも神社の御神木。神様の宿る木だぞ!いやその木が神様そのものなのだ。それなのに神様を毒殺するとは!神も恐れぬ悪徳者とはこのことだ。とても腹が立つ!

 それにしてもつくづく思うのは、現代社会は本当に経済観念でしか動かなくなってしまっていることだ。神社という聖なる場所で、それを感じることもなく、経済的価値(貨幣価値)でしかモノを見ることができない輩達。そんなのがあふれてしまっている。

 僕はどこかに行ったとき、神社を見かけると、そこを訪れることが多いのだが、神社でお参りをするとともに、そこの御神木が目に着くと必ず、手を合わせると同時に、触らせてもらっている。その感触は聖なる感触と、生きているという感触でとても癒される。

 業者たちはそんなことを感じることもなく、木を見てこれをあそこに売れば、何百万、あるいはうまくいけば何千万円とそろばんをはじくのだろう。そして「はい、ごめんなさいよ。」と全く心のない言葉をかけ、手を合わせ、そしてためらいなくドリルで穴をあけ、除草剤を注入するのだろう。そして木が枯れる頃を見計らい、買いの注文を出すのだろう。

 ああ、おぞましい顔をした悪徳越前屋の顔が思い浮かんでしまう。

 バカ野郎!お前たちはまんまとうまくいったと思っているのだろうが、お天道様は、お前たちのやったことはすべて見ているぞ。お前たちは安く買いたたき、高く売り、儲けた、儲けたと喜んでいるのだろうが、その金はすぐに消えてなくなるぞ!天誅が下されるのだ。

 きっと彼らには汚い金もきれいなお金の区別はなく、お金はお金。と思っているのだろう。(まあ大体、今世界中のお偉いさんあるいは権力者と言われる人達が、お金にきれいも汚いも区別なくばら撒きまくっているのだから…。)

 それにしても、見えない世界を、あるいは神聖さを感じることなく、世界は実物だけ、あるいは実物と信じられているお金だけで動いているとしている人間がなんと多いことか。そして彼らはモノを所有し、それでもって自分の存在と満足を感じているのだろうが、彼らほど虚空と虚無の世界をいっている者はいないのではないか。

 豊かさとは、心が満たされていること、それは目には見えないモノで満たされていることを感じることであるのに…。その目に見えないものとは愛であり感謝であり、そして目に見えない存在、自分よりも大きな存在、あるいは(小さな)生命を感じることだ。

 これらの感覚をかつての日本人はみんな持っていた。けれども今ではそれを持っている人の方が少数派となってしまった。つまりは多くの人が豊かではないし、豊かさを勘違いしているのだ。

 一日も早く日本人が本当の豊かな心を取り戻すことを願うばかりである。それこそが今回枯らされ、伐採せざるを得なくなった木の精霊に対するくようである。



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