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2012年9月15日 (土)

亀は万年

 毎日通勤途中にお堀のいかだに亀が何匹か這い上がり、のんびり日向ぼっこをしている姿を自転車で走りながらみるのだが、その姿に少しばかしの癒しを頂いている。

 亀と言えば、子供のころ池や川あるいは用水路で遊んでいると、時々小さな亀を見つけた。捕まえて帰り、水槽やら庭の小さな池でその亀を飼うのだが、大きくなって川へ放すか、いつの間にかいなくなったのを覚えている。

 最近新聞の記事で読んだのだが、そのカメ(イシガメ)も今や絶滅の恐れさえあるとのこと。というのが用水路はコンクリで固められ、更にはため池さえも公共工事として修理をコンクリブロックで固められてしまいつつあるのが原因とのこと。

 周囲を見渡せば子供のころ用水路で捕まえたザリガニもドジョウも今やその姿を見ることはなく、塗り固められた人工用水路のヘドロの中にかろうじてオタマジャクシを見たり、あるいは外来種のジャンボタニシの生々しいピンク色したタマゴを見るだけとなってしまった。

 ここのところニュースでカワウソは絶滅したとされ、日本ウナギさえも絶滅危惧種となることが伝えられている。そういえば、かつて子供のころ海に行けば、サビキでイワシやサバがあっという間にバケツ一杯に釣れたのを覚えているが、今では釣り人を見ていても、ポツリポツリとしか釣れていない。かつては当たり前のようにいた生き物がどんどんその姿を消している。

 いうまでもないが、すべては人間の仕業だ。人間のエゴによる自然破壊、あるいは乱獲による減少。すべては人間の自分たちの都合により自然を作り変え破壊したことが原因だ。

 トキが一度絶滅し、中国から連れて来られ、放たれ再び日本で野生のトキが復活したことがニュースでよく伝えられているが、今の人間のあり方では、それもつかの間の喜びだけかもしれない。(まあ今の中国を見ていると日本以上にひどいようだが…。)

 それにしても人間は懲りない生き物である。身の回りの小さな自然から熱帯雨林のジャングルの破壊まで、どんどん壊していく。いくら自然の大切さを唱えても、それ以上に破壊していく。中国の歴史の舞台であり、世界有数の大河である長江さえもその色を真っ赤にしてしまうのだから。人間のその破壊力はすさまじい。(一体今や誰が中国産の作物を安全な食べ物だと思うだろうか。)

 けれども懲りない人間もそろそろ冗談ではすまされないくらいに来ているのを自覚しなくちゃいけないのではないだろうか。

 いや、ホントは「いい加減に目を覚ませ!!」 って言いたい。

 これまでの暮らしを見直して地球そしてこの自然と共生する道を選ぶのか、あるいはある日神の洗礼を受け滅びるのか。どっちがいいのだ?

 動物や虫がある時大量発生する時がある。例えばイナゴが大量発生し、農作物を食い荒らすこともある。けれどもその大量発生したイナゴはやがて作物を食べつくし、食べ物がなくなり消滅していく。それが自然の原理だ。

 人間ももしかするとそうなのかもしれない。世界中の人口が70億となり溢れかえっている。けれども今では日本は少子化社会であり、人口減少国となった。この先更に原発で減り、あらゆる化学物質の摂取、不妊ワクチンの接種で今後どんどん減少していくのかもしれない。そして人口減少はやがては日本だけでなくアジア各国にも起こるかもしれない。

 まあ、ある意味イルミナティの人工削減計画の成就だな。今のエゴだらけの人間ならそれもよいのかもしれない。

 鶴は千年、亀万年の長寿の生き物。しかもそのカメは数億年前からこの地球に存在する先輩生物。氷河期も生き延び、レムリア、ムーの時代も生き延びてきた生物。

 今その数を減らしながらも、じっとその甲羅の中に身をひそめ、人間の愚かさを見続け、現世代の人間が滅びるのをゆっくりと眺めているだけかもしれない。お堀の日向ぼっこ中の亀はもしかすると、「愚かな人間が今日もストレスためてせっせと滅びに向かって行っているわー、気の毒に・・・。」って僕達を見送っていてくれているのかもしれない。

 「滅びるのは僕たちではなくお前達人間だよー。」

 「歩みはのろいけれども、自然と共にあるのが一番長続きする秘訣なのだよ。」



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