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2012年7月29日 (日)

狂った社会

 「命」についての講演会に行ってきた。その講演の冒頭の話で、小学生の子供が、その子が大人になって、結婚して子供ができたら、その子供を殺すって話したとのこと。そしてそのことを小学校の校長先生に話すと、そのような事を考える子供は、(うちの学校にも)40人はいるでしょうと語ったとのこと。

 要するにそれだけの子供が、親から虐待を受け、心に傷を負っているとのことなのだが、それを聞いて僕は、ビックリした。僕が子供の時に、結婚して子供ができたら、その子を殺すなんて考えたこともない。全くそのようなことは、かけらさえ浮かんで来なかった。

 子供のころ、生き物はたくさん殺した。カエル、バッタ、フナ・・・誤って鳩を殺してしまったこともある。それでも人を殺すことなんて、全く考えなかった。いじめにあった時さえ、殺そうとなど思いもしなかった。

 けれどもここ数十年の間に、僕らは様々な衝撃的事件を繰り返し、耳にしてきた。子供が親を殺す、子供が子供を殺す。毎年毎年そんな事件が繰り返され、またか、またかの連続で、慣れてきてしまった感さえもある。

 時代はすっかり変わってしまったのだ。ゲームでリセットできる感覚で、殺したり、あるいは自殺したりするなんて言うけれども、世の中もっとすさんでいるのかもしれない。

 何をもって虐待というのかあいまいなことはある。躾と称して子供を殴ったら、それは虐待か。あるいは同じく躾と称して、押し入れに閉じ込めたり、寒い外に立たせたら、それは虐待となるのか・・・?

 僕には分からないことは多い。けれどもそこに子供に対する愛があるのか、あるいは子供の成長を願ってのことなのかというのが、基準ではないかと思うのであるが、もしかするとそれさえも甘いのであろうか。

 現在、この世界は仮の世界で、死後の魂の世界こそが、僕たちの故郷であることが明らかにされつつある。僕たちはこの世界に「魂の成長」をするためにやってきているのだ。

 だから人は死んでも、故郷に帰るのであり、いずれまたこの世界に戻ってくることがあるかもしれない。魂は永遠であり、何度も何度もこの世界との往復をしながら、成長していく。

 そんなことを知ると、じゃあ今回の人生はいいじゃないか、って思われるかもしれない。けれども僕はだからこそ今回の人生を大切にしなければならない。そして今世この世の命を大切にしなければならないと思うのだ。

 なぜなら、たとえ魂は永遠だとしても、今世のこの場所で、その名前のあなたは一度限りだから。そしてそのあなたには今世に課せられた使命がある。(それはあなた自身が決めても来た使命である。)。それを放棄するってことはきっと魂にも傷つくことだと思うから。

 しかし、やっぱ今の社会何とかしなくてはと思う。物質文明が行き過ぎ、心まで薄っぺらになってしまった今の時代。少しあと戻りも必要だと思えるし、そしてもう一度、心の復活を果たさなければならない。

 一方で大きく精神的にも成長を果たす人がいると思えば、一方ではどんどんすさんでいく人もいる。格差社会は貧富の差だけではなく、精神面においても大きな格差が生じている。

 もう少しよい社会を造りたい。それが僕のひとつの願いであるからには、なんかやらなきゃな。講演の中でいくつも印象に残る話が出てきたのだが、そのひとつに「男は100年先を考えることができる。」ということを話されていた。

 100年先の未来の日本が、この世界がよりよい世界となっているために、今からできることを考えて、一歩一歩進めていくしかないな。

 いつもの繰り返しとなるが、まずは意識を向上させること。念ずれば花開く。これは真のことなのだから。


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