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2012年7月

2012年7月29日 (日)

狂った社会

 「命」についての講演会に行ってきた。その講演の冒頭の話で、小学生の子供が、その子が大人になって、結婚して子供ができたら、その子供を殺すって話したとのこと。そしてそのことを小学校の校長先生に話すと、そのような事を考える子供は、(うちの学校にも)40人はいるでしょうと語ったとのこと。

 要するにそれだけの子供が、親から虐待を受け、心に傷を負っているとのことなのだが、それを聞いて僕は、ビックリした。僕が子供の時に、結婚して子供ができたら、その子を殺すなんて考えたこともない。全くそのようなことは、かけらさえ浮かんで来なかった。

 子供のころ、生き物はたくさん殺した。カエル、バッタ、フナ・・・誤って鳩を殺してしまったこともある。それでも人を殺すことなんて、全く考えなかった。いじめにあった時さえ、殺そうとなど思いもしなかった。

 けれどもここ数十年の間に、僕らは様々な衝撃的事件を繰り返し、耳にしてきた。子供が親を殺す、子供が子供を殺す。毎年毎年そんな事件が繰り返され、またか、またかの連続で、慣れてきてしまった感さえもある。

 時代はすっかり変わってしまったのだ。ゲームでリセットできる感覚で、殺したり、あるいは自殺したりするなんて言うけれども、世の中もっとすさんでいるのかもしれない。

 何をもって虐待というのかあいまいなことはある。躾と称して子供を殴ったら、それは虐待か。あるいは同じく躾と称して、押し入れに閉じ込めたり、寒い外に立たせたら、それは虐待となるのか・・・?

 僕には分からないことは多い。けれどもそこに子供に対する愛があるのか、あるいは子供の成長を願ってのことなのかというのが、基準ではないかと思うのであるが、もしかするとそれさえも甘いのであろうか。

 現在、この世界は仮の世界で、死後の魂の世界こそが、僕たちの故郷であることが明らかにされつつある。僕たちはこの世界に「魂の成長」をするためにやってきているのだ。

 だから人は死んでも、故郷に帰るのであり、いずれまたこの世界に戻ってくることがあるかもしれない。魂は永遠であり、何度も何度もこの世界との往復をしながら、成長していく。

 そんなことを知ると、じゃあ今回の人生はいいじゃないか、って思われるかもしれない。けれども僕はだからこそ今回の人生を大切にしなければならない。そして今世この世の命を大切にしなければならないと思うのだ。

 なぜなら、たとえ魂は永遠だとしても、今世のこの場所で、その名前のあなたは一度限りだから。そしてそのあなたには今世に課せられた使命がある。(それはあなた自身が決めても来た使命である。)。それを放棄するってことはきっと魂にも傷つくことだと思うから。

 しかし、やっぱ今の社会何とかしなくてはと思う。物質文明が行き過ぎ、心まで薄っぺらになってしまった今の時代。少しあと戻りも必要だと思えるし、そしてもう一度、心の復活を果たさなければならない。

 一方で大きく精神的にも成長を果たす人がいると思えば、一方ではどんどんすさんでいく人もいる。格差社会は貧富の差だけではなく、精神面においても大きな格差が生じている。

 もう少しよい社会を造りたい。それが僕のひとつの願いであるからには、なんかやらなきゃな。講演の中でいくつも印象に残る話が出てきたのだが、そのひとつに「男は100年先を考えることができる。」ということを話されていた。

 100年先の未来の日本が、この世界がよりよい世界となっているために、今からできることを考えて、一歩一歩進めていくしかないな。

 いつもの繰り返しとなるが、まずは意識を向上させること。念ずれば花開く。これは真のことなのだから。


2012年7月27日 (金)

環境税

 消費税増税は何のために使われるのか?

 親分に貢ぐために増税するならやめてくれ!

 このところ海岸沿いを自転車で散歩する際に、空き缶拾いをしながら走っている。僕なりのちょいボラ(ちょっとだけボランティア)だ。やっぱきれいな海辺を気持ちよく走りたいから。ついでながら拾った空き缶やペットボトルは、近くにある自販機横の空き缶回収ボックスに捨てさせてもらっている。(これもまた企業のCSRということで・・・。)

 もひとつついでながら今日は同時に吸い殻拾いもした。けれどもあまりにも吸い殻は落ちているので一区画だけとした・・・。吸い殻持って帰れよ!

 そこで思った。実は前にも書いたことがあるのだが、消費税を上げるならば環境税として、消費税アップした分は環境美化や日本を美しくするためのものに使ってほしいと思うのだが、今回はまた少し変えて、飲料水の入ったペットボトルや缶に10円ずつ税金をかけたらどうかというもの。

 現在120円の缶ジュース類なら、10円アップして130円にする。そして5円はデポジットとして、お店などにもっていけば返してあげるようにして、残り5円は環境税として、ビーチクリーンや、河川の清掃など環境美化活動への助成金とするという案。

 まず5円のデポジットは、どうせならどこで拾って来ようが、回収所へ持っていけば1本当たり5円をバックする。自販機横の回収ボックスにあるのや、ゴミの回収日に出された者をのを持っていってもOK。そしたらホームレスの人達や低取得者が潤うようになる。子供たちの小遣い稼ぎでもいいや。そうすれば道端に落ちているペットボトルや空き缶もなくなるだろう。

 自転車で走っていると、わざわざ防波堤に空き缶をおいて、海に落ちろと言わんばかしに帰る輩もいるのだから、そんなこともなくなるだろう。(ちなみに海に空き缶落とすより、お前が落ちろと言いたいのだが・・・。)

 そしてタバコも1本当たり2円値上げすればいい。1円は同じく環境税として使用し、残り一円はやはりフィルタ100g10円で引き取るというのはどうだろうか。あるいは100g10円相当の緑の基金、あるいは世界の恵まれない子供たちに寄付という制度にすれば、これまた美化活動は盛んになるのではないだろうか。

 タバコは化学物質がいっぱいで、周りの人にも迷惑かけるから、どうせなら1本当たり10円ぐらい値上げしてもいいかな。そしたら今以上にタバコを吸う人が減るだろうし、イコールそれはポイ捨てする人も減るだろうから。

 まあ、ともかく僕が言いたいことは、(海岸沿いを)散歩していると、あまりにゴミが目立つということだ。少しは環境や美化のこと、あるいはマナーとして考えてほしいと思う。(ついでながらこの時期は花火をした後も目立つ。)

 自分が飲んだり、食べたりしたものぐらいは、あるいは自分が出したごみは、自分が責任もって片付けろということだ。それぐらいは公共のマナーとして守ろうではないか。

 誰もやはりゴミだらけの海岸よりも、ゴミのないきれいな海岸を散歩した方が気持よいのだから。山でも、川でも、街中でもそれは一緒。きれいなところを歩いた方が、気持ちいいのだから。

 地球のお世話係としては、やっぱきれいにしたいものだ。その方が地球も喜ぶぞ。



2012年7月25日 (水)

植民地からの解放

 日本はアメリカの植民地じゃないか。

 今朝新聞を読んでいるとそう思えて仕方がなかった。地方紙の1面には岩国基地に配備されたオスプレイの写真が掲載されており、見出しには「低空飛行60メートル」と、日本各地を低空飛行する計画があるとのこと。更に記事を読んで行くと中国山地のブラウンルートと名付けられたところは、地形が朝鮮半島に似ているため、訓練に重宝していると書かれていた。

 日本はアメリカのいいように使われている。日本、朝鮮、中国が仲良くすればいいだけのことなのに、これでは逆に戦争に加担している。

 オスプレイだけでなく、ここ最近の日本の出来事を見てみると、どうした日本?と思わざるを得ない。

 ひとつは原発。再稼働反対、原発廃止に数万人規模で人々が集まり、デモや集会が開かれるにも関わらず、安全確保もされないままに再稼働してしまった大飯原発。日本(?)政府に日本国民の声は聞き入れられなった。

 ふたつめはTPP参加問題。アメリカが自国を有利に、他国を食いつぶすためのものと分かっていながらも、参加が検討されている。(今や電機産業も、自動車産業も補助金なしにはやっていけない状況なのに…。)自国の自給率の低さが言われながらも、農業のことなど顧みられない。

 そして、子宮頚ワクチン。不妊の恐れが指摘され、安全性が問われているものが、受けろ、受けろのオンパレードで、全額公費負担なのだから、受けないものは悪いがごとくに、摂取を勧められている。将来不妊の確立が高くなることが発表されたらどうするつもりだろう。

 これらの背後にはすべてアメリカがおり、アメリカが日本を再占領し、日本を植民地化しているように思えて仕方がない。そしてそれはどんどんあからさまになってきており、だれの目から見てもそう思えるのではないだろうか。

 けれども、この「あからさまになってきている」ことが、逆にアメリカ自体もかなり焦っていることが分かる。それはアメリカ自身が現在崩壊の崖っぷちにお、そして、数百年続いた西欧型システムの終焉が訪れようとしている。今では経済、金融、政治と西欧が先行して来たもののほぼすべてが行き詰まりを迎えていることは明らかだ。

 さて、終焉があるならば、そこには始りがある。そしてその新しい社会においては日本がそのリーダーシップを担うことは、徐々に日本人自身が気づき始めており、日本の江戸時代の庶民の暮らし、あるいは縄文時代の暮らしのあり方がクローズアップされている。おそらくこれらをベースに新時代に似合うものとされていくのだろう。

 一方沈みゆくアメリカは、権力者の意地として、このまま日本が浮上することにジェラシーを感じ、少しでも先を延ばす、あるいはできることなら日本を道連れにしたく、過度の「いじめ」に走っている。そして現政権はそのいじめが怖くて、それに追従するだけとなっている。(認めないけれど・・・。どこかの○育委員会みたい。)

 それでは僕たち日本人は今どうすべきか。それを考えなくてはならない。

 まずは僕たちは新しい文明の勃興者であることの自覚を持つ必要がある。そして文明をおこすためにはそれなりの生みの苦しみを伴う覚悟も必要だ。けれども新しい文明とは共生の文明であり、それは誰もが喜びを得る文明であり、ワクワクが基本となる。だから恐れる必要はない。

 そして共生の文明とは「いじめっこ」を排除することではなく、いじめっ子にも仲良くやっていく方法を提案していく方法だ。そこにはいじめっ子を許す、あるいは包み込む心を要求される。

 日月神示には「イシヤと手を組むこと」と示されている。それは今世界を操る権力者たちをも受け入れろということ。日本人はそれができる民族だ。なんたって終戦の次の日にアメリカ大好きになれるぐらいの国民なのだから。

 それに今やいじめっ子は世界でずば抜けた軍事力を持ち、人工地震や津波さえも起こす力を持っている。そんなところにあっちに行け!っと言ったら何をされるか分からない。

 さて実は日本人にはもう次なる文明を引っ張っていく準備が既にできている。反原発デモにしろ、そこには秩序があり、非暴力とマナーの精神がある。3.11の時にしろ同様。世界はそれを見て、日本人に感動した。だから多くの国が日本に期待している。

 それが日本にできる新しい文明を提示する最初の方法である。あとはもう少し日本人が共生の意識を身につければよいだけ。これもいずれ何らかの形でできるようになるだろう。

 今は植民地。それでも準備だけはしっかりしておこう。

 さあ、もうすぐ政治も終わる。多少の混乱は生じるだろう。それでも日本人に準備さえできてれば大丈夫。しっかりと正しい判断ができるようになっていれば、それは新しい文明に近づいているということ。

 意識を向上させて備えよう。備えあれば憂いなし!!

 がんばろう日本。


2012年7月21日 (土)

生まれてきた時よりも美しく②

人間がこの世界に生まれてきた理由が明らかになりつつあります。私たちの本質は意識体であり、魂です。そして魂は5次元以上の存在であり、私たちはこの3次元の世界で魂の成長を目的として、肉体という殻をまとい生まれてきて、数十年の歳月を過ごすのです。弘法大師空海はこのことを阿字(宇宙の根源)で表現し、「阿字の子が阿字の古里立ちいでて、また立ち返る阿字の古里」と詩を詠んでいます


すなわちこの世界は私たちにとって実際は仮の世であり、やがては元の世界(実存の世界)に返っていくのです。


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魂の世界(5次元以上の世界)は想念の世界であり、想ったことが、そのまま現れてきます。その世界はある意味思い通りの世界で、素晴らしい世界であり、見方によっては楽な世界であるとも言えます。そのような世界で成長がそのまま促されていくならばよいのですが、魂の成長の度合いを測るには、また別の世界が必要とされるのです。すなわちそれは苦労の世界です。私たちが今いるこの世界、物質世界とは実現速度が想念世界よりもはるかに遅く、時間を要するがゆえに苦を伴う世界でもあるのです。そしてこの苦を通じて魂はより成長できるとされているのです。


魂を成長させるとは、その魂をより美しく輝かせることであり、ワンネス(根源)に向かうことでもあります。すなわち分離の世界から統合の世界へと向かうことであるのです。魂の最終目的とはひとつに戻る、すなわちサムシンググレートのもとに戻ることなのです。


そして人間はこの地球を選び、この地球の3次元世界でもって魂を成長させることを選んだのです。かつ地球もまた人間を選んだのです。地球にも目的(ビジョン)があります。それは多様な生命を育むことであり、その多様な生命がこの地球でより多くの経験を通じて成長していくこと。それでもって地球もより美しく、そして成長していくのです。地球はこの3次元、つまりは物質世界の基盤の役割を担っている場なのです。つまり私たちは地球によって魂を成長させる経験の場を与えられているのです。


そして私たちは魂を成長させるために地球で暮らすと同時に、地球と共生・共発展するという契約を結んでいるのです。つまり両者ともに成長し美しくなるために、協働するのが本来の姿なのです。


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ところが人間はその契約をすっかり忘れてしまい、エゴに走り、地球はどんどん破壊されていっています。多様な生命を育むはずが、その種類も減っているのです。残念ながら魂を成長させるに至っていない人(魂)の勢力が強く、多くがそちらに引っ張られているのが現状です。


しかしながら希望の持てることとして、このことに気がつき始めた人間が増え始めています。この破壊された地球の状況を見て、それは地球が破壊されるだけでなく、同時に人間、つまりは自分たち自身も破壊していることに気が付き始めたのです。周りの世界を見渡してみてください。私たち自身が傷ついているだけでなく、今や政治家や大企業のトップ、そして芸能人などテレビのニュースに出てくる人など、その多くが地球を傷つけると同時に、実は自分自身(の魂)を傷つけている人ではありませんか?


現在それらのことを気付き始めた人々は、循環型社会、エコロジー、脱原発、自然農法、ロハスetc とこれまでの人間のあり方を反省し、自然に沿った生き方をしていこうとしています。これに賛同する人々が増えていくにつれ、この考え方はどんどん発展し、広がっていくことでしょう。そして私たちはやがてこの地球をいかに美しき星にしていくかを考えるようになるでしょう。


なぜならば私たちの目的は魂を成長させることであり、言い換えるならば、魂を美しくすることであり、人間は地球の目的である「生命を育む」ということに協力していくことにつながっていくからです。


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今気候変動や環境問題をはじめ様々なことで課題が突きつけられています。それは自然環境だけでなく、社会状況、そして人間自身の病気や精神の面においても課題が突きつけれれています。これらは突き詰めると人間のあり方が問われているのです。私たちはその課題に対して答えていかなければならないのです。もうこれまでのようにエゴばかりではこの世界で生きていけなくなってきているのです。



魂の成長を考える時、それは私たち(魂という本体が)阿字の古里へ帰る時に、この世界を生まれてきた時よりもどれだけ美しくすることができたかということであり、それはイコールこの地球をどれだけ発展させたか、美しくしたかということにもなってきます。自分自身を美しくすること。それは世界を美しくすることでもあり、それらはすべて私たち一人ひとりの手にかかっているのです。


生まれたときよりも魂も地球も美しくして、(元の世界に)帰っていく。このことを意識して、この先生きていくというのはいかがですか?

 

 



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2012年7月15日 (日)

生まれた時よりも美しく

 小学生のころ瀬戸内海にある自然の家に学校行事として1泊か2泊の行程で行ったことがある。きっと今でも小中学校の行事のひとつとして全国でも行われているだろう。

 その時雨の中をオリエンテーリングをした記憶がかすかにある程度でほとんど覚えていないのだが、他にも定番のきっとカレーを食べたり、キャンプファイアをしたりしたのだろうな。ああ、なんとなく思いだしてきそうだ・・・。

 そんなあいまいな記憶の中ひとつだけ僕の中に残った言葉がある。それは「来た時よりも美しく。」という言葉。きっと部屋の中にその言葉を書いた紙が貼られていたと思う。そして先生からも最終日にはその言葉をいわれ、きちんと自分が使った部屋などの掃除をさせられたのだと思う。

 けれどもその残った言葉もいつの間にか忘れ去られ、あちこちを汚しまくる日々を過ごした。中学・高校と手抜きばっかりで、あんまり学校できちんと掃除しなかったものな…。きっと時代もそんなことよりもいい学校に入るための受験であったり、いい会社に入り、豊かな生活を送ること…などなどそんな価値観の真っ只中だったのだろう。

 振り返ってみると本当にあちこち汚したなあと、つくづく思う。穴があったら入りたい。

 そんな僕が再び「来た時よりも美しく」の言葉を思い出すのは、バックパッカーとして様々な国を旅したり、国立公園でキャンプをしたり、と歩きまわってた頃だろう。

 ある国の国立公園の中をキャンプしながら歩こうとしている時、ルールとして自然の中でのトイレ(大)の際は、15センチほどの穴を掘って、終わったらちゃんと埋めることとのルールを知り、出発前にあわててスコップを買いに行ったことを覚えている。

 そして、自然の中を歩いたり、キャンプを繰り返しているうちに「来た時よりも美しく」という言葉は、いつの間にか意識されるようになり、必ずその場を去る時には「来た時よりも美しく、立つ鳥跡を濁さず。」とつぶやくようになり、自分が出したごみは持ち帰るのは当然ながら、周りのゴミを拾ってから出発するということが身に着いた。

 余計なことだが、今では職場を去る時も「来た時よりも美しく、立つ鳥跡を濁さず」ということで、最後はきちんと掃除をして終えるようにしている。身もきれいなまま去れれば良いのだが…。

 かつて歩き遍路をしていた時、街中の大きな公園でテントを張り、泊ったことがあった。ちょうどその日僕以外に家族6人でテントを張った一家がいた。翌朝僕は出発前にいつものように僕がテントを張った周りのゴミを拾っていたのだが、その家族の中の小学生の子供が、何をしているのかと尋ねてきたので、ちゃんときれいにしている事をここぞとばかしに教えてあげた。するとあとからその子が、僕を公園の中にある機関車の所へ連れて行き、「この中にいっぱいごみあるよ。」と、大量のごみを見せられ、一体どうしたものかと困ってしまったことがあった。

 さてなぜこんなことを書いているかというと、実は今日映画を見た。サティシュ・クマールの「今、ここにある未来」という映画だ。サティシュ・クマールは世界的エコロジストとしても有名な方で、勝手に僕の師匠の1人にしている人でもある。

 その映画の中で色々な格言が出てくるのだが、僕が一番興味を惹かれたことに「生まれてきた時よりも美しくできれば…」という言葉。

 僕らは生まれてきてから死ぬまでに一体どのくらい、この地球を汚しているのだろう。僕が心がけている「来た時よりも美しく」も大切だけれども、これをもっと僕の人生に広げていくことができたならばどんなに素晴らしいことだろうと思った。もしだれもが「生まれてきた時よりも(地球を)美しく」することができたならば、きっとこの地球は未来永劫に違いないそう思った。

 いや、もしみんながそうするならば、地球は明日にでも人間と一緒にアセンションするかもしれない。一挙に優良星に昇格だ。

 人類とは英語でhuman-being。つまりは人間がどうあるかということ。どうするかではなく、どうあるか。つまりは心のあり方。地球を自分たちのエゴを満たすために利用しつくすのか、それとも共生するために、地球と共にあるのか。

 僕らはこの地球という星に生まれ、地球の恵みによって生かせてもらっている。そしてこの地球で魂を成長させ、次のステップに行けるように様々な経験をさせてもらっている。それならば、この身を地球の土に戻す時に、少なくとも生まれた時よりも美しく返せるように心がけたい。

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2012年7月14日 (土)

warning

 今年の梅雨は雨が多い。各地で大雨による被害をもたらしている。天気予報では「これまでに経験したことのないような大雨」と、そりゃ、一体どんな雨や?とばかしの表現がなされ、異常さを際立たせている。

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2012年7月 8日 (日)

夢の扉

 日曜日の夕方に「夢の扉」というテレビ番組がある。中小企業や個人の夢の事業の奮闘記を描いたものなのだが、結構お気に入りの番組でよく見ることがある。今日も夕飯を食べながら見ていたのだが、今回の内容は廃熱を利用した発電機を開発している人(企業)の話だった。

 廃熱とは工場などで製造工程の中で使われた熱源で不必要となったもので、捨てられるお湯や蒸気などである。工場などに行くとよく排水溝でパイプ(配管)から蒸気が出続けていたり、お湯が流れ続けたりしている光景を目にするが、それが廃熱である。もっというならば、家庭でほうれん草を湯がくために使ったお湯は流しに流してしまうだろうが、それも一種の廃熱と言える。

 熱源を利用しての発電はよくあるものなのだが、これまでは100度以上の熱を基本としており、それ以下のものは利用できずにいた。それが技術の進歩により、これまでただ捨てられるだけのものだったものが、電気をおこすようになるなんて、こんないいことはない。

 番組では焼酎製造工場での実験が取り上げられており、その製造工程でできる65度のお湯があるのだが、これまでそれは捨てられるだけのものだったのが、見事に3.5KW分の電気となり、ライト6ヶ分とスポットクーラーの電気となっていた。

 かつてやはりこの番組だったと思うが、振動を利用して発電させるというものが取り上げられていた。実験では駅の改札口や首都圏の自動車専用道路の橋にその装置を設置し、見事に発電させていた。

 発電といえば、太陽光、風力、水力、地熱などが思い浮かぶが、それだけでなく今や様々なところから発電エネルギーは生まれている。今人気のハイブリッドカーだってタイヤの回転を利用したり、ブレーキのエネルギーを利用電気をおこしている。今や動くものなら何でも発電が生まれてきつつある。

 僕は今音楽を聴きながらこれを書いているのだが、その内スピーカーの振動でも電気が発生し、パソコン操作もできるようになるかもしれない。キーボードを打っているこの力さえも電気が発生させられるようになり、自己発電パソコンができる日も近いかもしれない。

 そしたらこの地震国の日本で地震のエネルギーで電気を発生させる、また電気エネルギーに変換することで、地震が押えられるなんてことも夢でなくなるかもしれない。

 今日本では節電意識がどんどん醸成されている。と同時に発電エネルギー開発もどんどん進んでいる。様々なアイデアが湧き、実現されようとしている。しかもそれらは安全かつ無駄のないものとして開発されている。

 そしたらやはり原発なんて無くて構わない。大飯原発再稼働させて、火力発電を止めるような、バカなことをする必要もない。何より原発を再稼働させて、不安の中で暮らしていく必要もない。

 それよりももっと節電意識をみんなが持つと同時に、発電エネルギーの開発に力を入れた方が、日本の力はついていくのではないだろうか。そしてその力は経済効果を押し上げるものとなるのではないか。

 原発再稼働で不安を高めるのではなく、節電意識から国力を高める方がいいんでないの?

 人は夢を追い求める時に一番力を発揮する。それが誰かのため、社会のためだとなおさらだ。

 ズバリ!日本に必要なのは、原発を再稼働させることじゃない。夢の扉を開ける力だ。



2012年7月 7日 (土)

政党って

 消費税増税法案の採決とそして離党(除名)騒ぎて感じたこと。それは「政党なんていらないんじゃないか。」ということ。

 個人個人が常に全く同じ意見を持っているわけではない。特に今回のように消費税率を上げることに対して、今あげると余計に経済が縮小するとして反対する人もいれば、現在の日本の国債発行残高のことを考えると、待ったなしの状態と考える人もいるだろう。

 けれどもそこに政治家個人が属する政党があり、政党としての方針は「増税」であるのだから、属するものはそれに従えということに対して、結局は行きつくところカネの匂いしか感じられないのだ。

 要は政党に属し、大半はカネに絡むモノで政党の恩恵を受け便宜を図っているのだから、その政党の方針に従えということであり、カネで縛っているということだ。
 
 政治に限らず、組織というものは大抵そうなるのであろう。もちろん始めは純粋に目的達成のためであろうが、組織ができ時間が経つにつれ、その中によどみが生まれる。

 もともとは個人や各集団がその小単位ではできないことを、小額のお金を出し合い集まることで組合化し、勢力を得て活動を活発化させる。1ではできなかったことを集団となることで可能にする。しかしながらいつの間にかその集団がもともとの個人や集団よりも力を持ち始める。典型的なのが農業組合だろう。

 民主党という政党に加わった者たちは、はじめは自民党に代わる日本を動かす政党として集まったのだろうが、結局は政権奪取という目標が達成されたら、その先の共通して目指すモノが無くなり、かつてのそれぞれの小集団の目的に変わっていったとも言える。本来ならばもっと早くに分裂してもよかったのだろうが、そこには多大なカネが集まる集金システムが出来上がっており、その奪い合い、あるいは美味い汁を吸うことのためにこれまで一緒にいたとも言える。

 ところで現在のところあまりカネと結びついていない組織にNPOがある。非営利組織としてあるが、そこに属する者の中にはもちろん給与をもらう職員もいるが、基本的に属する会員(社員)はボランティアであり、何故そこに属しボランティアをするかというと、その組織の使命に共感したからである。

 NPOのその存在使命とは、今そこにある社会的課題の解決を図ることであり、その課題解決に向かって活動を行おうとする。そしてその課題に対する解決(方法)に共感を持つものが集まり組織を形成する。

 NPOの場合その使命に共感することがなければ、参加しなければよいだけであり、また例え参加していたとしても、その使命に魅力を感じなければ、去ればよいだけである。つまりその使命への共感度によって自分がどこまで参加し、貢献するかを自分自身で決める。

 そして究極的にはNPOはその課題解決という使命を果たしたならば、解散しても構いはしない。

 政党だって本来それでいいのではないか。議員はそれぞれ国家から報酬をもらっているのであり、その政党の使命に共感するからそこに属する。そしてその共感がなくなればそこを去る。それだけのことではないか。

 本来政治家とはその個人の問題意識、行動に有権者が共感し、票を投じ、そして当選した者の集まりである。それならば本来はその票を投じた者の意見を聴く、あるいは支持者に自分の行動の説明責任があるはずだ。けれども今の政治家のほとんどは選挙前に有権者に向くが、あとは政党に向いている。

 本当に日本の未来にとって必要なことは何なのだろう。持続可能な未来のために、そして子供たちの明るい未来のために必要な事を自分の頭で考え、訴え、行動する。そしてそれに共感するものが集まり、その課題解決のために共に行動する。必要に応じて集まり、組織化する。そして課題解決されればその組織はいったん解散する。

 政党もそれでいいのではないか。特定のモノの指示を受けたり、便宜を図ったり、あるいは自らの保身を図るための組織はもういらない。無くていい。政党の在り方再考の時期だ。でなければ日本の政治は崩壊していく一方であり、再生することはないだろう。



 とにかく日本が立ち直るために自ら考え、行動していくこと。僕はやっぱそれをやっていく。政党に期待することなどしない。僕ひとりのちっぽけな存在であろうと、地球を思う気持ちは人一倍大きいと思うから、僕なりの方法でやっていく。楽しく、かつ責任持ちながらやっていく。それが一番だ。


2012年7月 4日 (水)

息苦しい~ッゾ!

 新聞の記事である映画監督のインタビューが取り上げられていたのだが、インタビューの中に、(ずっと海外にいて)日本に戻って来た時の閉塞感を感じたと書かれていた。そこでピンときた。

 実は以前にもカンボジアに地雷除去の活動を行っている人の講演会に参加した時、その方もやはり同じように「日本に帰って来た時の閉塞感」ということを話していた。

 日本の中に漂う閉塞感とは何なのだろう。経済の停滞…確かにそれもあるだろうが、ただそれだけでないような気がする。20年以上海外に出ていない僕としては、それが何かとは答えられないが、それでもそのことに妙に共感できる自分がいる。

 ただひとつ最近思うのは、日本のシステムとして、中央政府(官僚機構)があり、県政があり、そして市町行政がある。それに従っているところほど閉塞感を漂わせているのではないかということ。つまり縦型システムほど人を縛りつけており、動けなくしているということ。

 地方を見てみると、自分たちでやろうとしているところは元気がいい。地域のことを自分たちで考え、自分たちで行動する。そんなところは上からの押しつけではなく、自らの力でもって動いているので、自発的エネルギーが湧いている。

 ところが上からの指示に従って行っているだけの所は、下に降りるにつれそのエネルギーは劣化していく。これは何も行政だけに言えることではない。民間の企業だって上からの指示に従うだけの社員よりも、自ら判断行動する社員がいて、その環境が整っているところの方が元気であるのは誰もが知っていることだろう。

 要は自発的エネルギーのあるなしではないかと思うのだ。かつての高度成長期の際は日本中がよりよき暮らしに向かって、それぞれが自発的エネルギーを出していた。その時は上から降りて来たものでも、だれもが共感できたので、自発的エネルギーが湧きあがった。

 ところが残念ながら今の中央には自発的エネルギーを出すだけの力がない。それぞれの利権に絡み動いているだけ。それが閉塞感をもたらしている原因の一つではないだろうか。

 いや~それにしても息苦しい。閉塞感もここまで来ると窒息死しそうだ。

 けれども一方でこの閉塞感を打破しようと立ち上がろうとしている人達がいるのも確かである。例えば自分たちの地域のことを自分たちで行おうとしている人達であり、新しい社会を創りだそうとしている人達である。

 そしてその関係は縦ではなくヨコである。リーダーもいるがその関係は対等である。対等のなかでそれぞれが、自分たちの持っている資源を出し合意、つなぎ合わせ、目的に向かって進んで行く。

 縦の関係は圧力であり、それは押さえつける。だからそれぞれの力を発揮することができない。ところがヨコの関係ではそれぞれが、それぞれの特徴を伸ばしながら、広がっていく。構造の問題だ。

 権力者の横暴が目に余るこの頃。ヨコの関係こそが未来を切り拓く!




 
 

2012年7月 1日 (日)

how beautiful you are

 浜崎あゆみの「how beautiful you are」が今お気に入りである。浜崎あゆみなどこれまで一度も気に止めたこともなかったのだが、この曲を聴き続けている。(この曲以外は聴いたことないけれど・・・。)

 もともとこの曲を知ったのは、これまためったに見ないテレビドラマであり、もう少し前のドラマとなったが「最後から2番目の恋」を見ているとエンディングテーマ曲として流れていたことからなのだが、最初はこれまで浜崎あゆみの歌など聴いたことがなかったので、彼女が歌っていることなど当然のことなど知らなかった。ただ最初に聴いた時からいい曲だと思った。

 「今日も1日ありがとう。その笑顔に助けられた。」って言う出だしから、なんだかホッとする感じがとてもいい。またサビの部分になる「you don'tknow. you don't know. how beautiful you are.・・・」ってところも、みんなに伝えたいって気になり、これまたいい。

 みんなが気付けばいいのだ。「ホントはみんな美しい」のだってことを。けれども現実はいろいろなものが外から内から被われていてその美しさに気がつかない。

 外からはあれがいい、これが流行り。こうでなければ・・・という様々な情報が入って来る。そしてそれらは概して宣伝活動にすぎないものが多い。そして内からは様々な欲もエゴも出てくる。これもまた外からの情報に刷りこまれたモノも多ければ、自分を卑下する嫉妬から来ることもある。

 ホントはそれらを全部棄て去ればいいのだが、こびり付いているので取り除くことは大変だ。(大変だと思う心が大変にしているのかもしれないが・・・。)

 10年以上前に禅寺に行き、一周間坐禅に励んだことがある。朝から晩までひたすら坐り続け、心の中を洗う作業に没頭した。そしたらある時、坐禅を終え、部屋に戻ろうと外に出て歩いていると、そこにいたイモリ(?)が何とも美しく見えた。まるで宝石のように輝いていた。また草についている雨の滴が、これまた輝いており、まるでその中に宇宙が宿っているように感じたことがある。

 残念ながらあの時の感覚は、今ではすっかり無くなってしまっているが、それでもあの時の体験はあまりに劇的であり、今でもよく覚えている。きっとあの時の僕は「BEAUTIFUL!」であったに違いない。

 今このブログを書いている最中も「how beutiful you are」を繰り返し聴きながら書いており、最後に「you do't know,you don't know, how beautiful you are.」と力を込められたサビが流れており、僕自身の感情も高まると同時に、優しい気持にもなっている。きっと30分前よりかは美しいかもしれない。

 浜崎あゆみも今は以前のような勢いは衰えてきているとも聞く。けれどもようやく彼女も歌がうまくなったのではないかと思う。歌は聴いたことはなかったけれど、色々なニュースやゴシップではその名前を見かけることもあった。これからようやく世間を気にせずに、本当に自分が歌いたい歌を歌えていくのではないだろうか。

 様々な経験をすることによって人は成長していく。その経験の中には何とも愚かなコトと後から振り返ると恥ずかしくてたまらないと思えることもたくさんある。

 けれどもそれらを含めて経験だ。魂はそれによって学びを知る。僕らの魂はどのようであれ、ひとつの方向に向かっている。もちろん横にそれたり、上がらず下がることを経験している魂もあるだろう。それでも全体を見ればワンネスというひとつの方向に向かっている。

 「あなたは美しい。あなたが思うよりもずっと美しい。」

 心の中を覆っているいる霞を少しばかし取り去ってみると、そこにはずっと美しいあなたがいる。

 たまには自分自身の心の中をそっと振り返ってみるのもいいかな。



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