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2012年6月

2012年6月30日 (土)

実験

 お金の時代はまもなく終わると思う。

 これが今の僕の予想だ。世界中今やお金の垂れ流し状態だ。もちろん日本もそうだ。EUなんてもうジャージャー流しっぱなし以外の何でもなく、アメリカだってそう。銀行も、国家も穴埋めするために、今やこれまであったタガが外れたかのように、お金の刷りまくり。さぞ印刷機もフル回転で消耗が激しいだろう、そのうち色が薄くなって来るんじゃないかと思えるぐらい。

 そんな統制も何もなくお構いなしに増刷されまくるお金がいつまで信用されるのか・・・、そう考えると今のお金ってまもなく信用されなくなるのではないかと思わざるを得ない。僕らが抱いているお金の価値なんて、これが最後じゃないだろうか。

 それではお金の価値がなくなった後はどうなるのかというと、今の僕には「分からない。」というしかない。もしかするとハイパーインフレーションがやってきて、物価の急上昇がやってくるのかもしれないし、あるいはある日今日から金本位制となりますと、全然違ったお金が現金・預金残高に応じて配られるのかもしれない。

 けれどももっと予想もつかないような世界が訪れる可能性だってある。例えば、お金がなくても人々のお互意の信頼関係でモノの取引がされるような、世界がやってくる事だってありうる。もちろんそうなるまでにはかなりの混沌があるだろうけれど・・・。

 いずれにしろ、この先の未来は不透明だ。どうなるか分からない。分からないが故に思考錯誤しつつ、さまざまな可能性を探っていくしかない。けれどもその思考錯誤の試行錯誤こそが新たな可能性を産み出すに違いない。

 だから僕なりに新しい世界を想像し、創造していくように様々なことを試していきたい。もちろんそのベースとなるものは「共生社会」であり、よりよい世界を想定している。

 現在は様々な世界を想定・実験する時代なのだ。もちろん中には北斗の拳のように荒れ果てた世界を望む人もいるかもしれない。それはそれでいい。その人にはそのような世界が訪れるだろう。

 科学の世界は進化していっている。そして今や科学はスピリチャルな世界と融合しつつある。その中で「意識」こそが大きく取り上げられ、注目されている。

 「意識」こそが世界を創造するモノそのものであることが明らかになりつつある。あなたの意識があなたの世界を創りだしている。その意識を創りだすモノがあなたの心であり、あなたの思考であり、あなたの行動である。

 ならば僕の今の希望する未来が、僕の考えが、そして僕の行動こそが、新しい世界を創りだす。イコールそれはお金のない世界である。

 お金ではないもっと人々の相互の関係の世界、まだまだイメージできるまでには至っていない。それでもそこは現状よりははるかによい世界であり、「共生」の世界である。

 しっかりと意識の形成を行い、未来を築いていかなければ!!


2012年6月28日 (木)

理由

 朝起きて瞑想をした。僕自身に今自分はどうすべきなのかと問いかける。僕の今なすべきことは何なのかと…。その時は答えは出てくることもなく、ただ内なる自分を見つめるだけに終わった。

 その後職場に出かけるが、出張のためすぐに車に乗り込み車を走らせた。すると高速道路に乗る直前に、なぜ僕はかつて世界を旅し、色々な世界を見てきたのかという問いが湧いてきた。

 そんなに多くの国を訪れたわけじゃない。でも地球のすごさは十分に身をもって知った。崩れ落ちる氷河、大自然の中で黄金に輝くグリスリーの姿、僕の頭上を優雅に泳ぐマンタの優雅な姿、人間がゴマ粒のように思える渓谷、砂漠の中を丸2日間かけての激走、食料を背負って山の中を歩いた1週間等。普通ではできないような体験をさせてもらった。

 それらの世界を何のために僕に見せたのかとの問いかけがあった。

 僕はこの圧倒的な迫力をもち、かつこの上もなく美しき地球のために何かをしなければいけないのだ…と思った。

そう思った時に、それを後押ししてくれるかのように僕がいつも見ている「天下泰平」のブログに水木鈴子先生と言われる方の詩が掲載されていた。

以下転載

地球母さん

キラキラの緑豊かな美しい水の惑星・・・地球星!

その母なる大地は、全生命体(無数の動物・植物・鉱物・人間)のすべてを我が子と信じ、限りない無限の愛をわけへだてなく与えて下さり、万象万物が無差別・無所得の愛で生かされています。

地球母さんは、どの子もどの子も可愛く、いとほしく、気の遠くなるような年月を重ねて、忍耐強く子育てに心を配って下さっています。

生命体をたくさん生んで育てることは、地球母さんの誇りであり、尊いご使命だからでございましよう。

とりわけ花たちは、気高く、初々しく、決して不平や不満を言わず、地球母さんの美の教えを忠実に守り、母さんの愛を素直に感じ、素直に表現し、地上を美化し、幸福(しあわせ)の波動を全宇宙に向けて放射しているのでございましょう。 

もし、あなたが生きていくのが辛くなったり、疲れた時は、地べたを素足で歩いてごらんなさいな!

のんびりとねそべって、手足をゆっくり、ゆっくり、のばしてごらんなさいな!

あなたの心いっぱいに、体一杯に、ジワジワと、ポカポカと、地球母さんの肌の温もり(地熱)が伝わってきて、身も心も優しく包んで下さる母さんの愛を感じて、もうあなたは一人ぼっちの存在ではないことに気付くことでございましょう。

「女性は、肉体生命の創造と、その生命を豊かな感性でもって、護り育てる大切なお役目がありますよ!」と、私たちに身をもって、お教え下さっているように思えます。

私達人間は、美しい自然が無いと生きていけません。

何百年、何千年と、姿を変えなかった海や山や川や大地が、私たちの世代で大きく姿を変えようとしています。

干ばつで土地が砂漠化し、木を切り倒して山を崩し、すでに世界の熱帯雨林は、もう修復がきかないほど破壊されています。

地球母さんの子育てに必要な、掛け布団の大気は、排気ガスや化石燃料の炭酸ガスで汚され、敷き布団の大地は、農薬や廃棄物で汚されております。

また、異常気象による食料不足で、たくさんの人々が、飢えで亡くなっておられます。

世界のあちらこちらで紛争やテロが起き、尊い命が地上から消えております。

地球母さんご自身も、体がボロボロになりながらも、子供たちの苦しみや、悲しさ、辛さを肌で感じ、日夜なげき悲しみ、泣いておられます。

私たち人間と言う子供たちは、すべてを与え生かしてくださる地球母さんに対して、感謝の心と報恩行を久しく忘れてしまっております。
 
便利さや快適さや物質的な豊かさばかり追い求め、「大地から生まれて大地に還る」と言う大自然の法則を犯してしまい、燃えないもの、壊れないもの、腐らないものを地上にたくさん作ってしまいました。

たくさんの自然を破壊してしまったことを今こそ真剣に反省し、母さんに心からお詫び申し上げ、一刻も早く大調和の生き方に変えなければなりません。

地球母さんが心から喜んで下さるような思いやりの花、いたわりの花を胸一杯咲かせて、母さんと同じように優しく、逞しく、与え続ける、おおらかな生き方をしなければなりません。

無条件の愛で生かしてくださる地球母さんに習って、お互いに助け合い、話し合い、分かち合い、生かし合って生きていけなければ・・・。

それが今までたくさんの、たくさんのご無礼をしてしまいました地球母さんへの、心からのお詫びと、ご恩返しではないかと存じます。

大好きな地球母さんが喜んで下さる愛と光の花を、毎日の思いと行いの中で咲かせていきたいものでございます。

ありがとうございます。  地球母さま         

みずき すずこ
             (転載ここまで)


 らいふあーとのサブタイトルは「僕らは地球のお世話係」としている。それはこの地球と共生する社会をつくりたいため。でも今の状況は人間は地球を破壊する一方。かつては地球と共生していた日本人も、原発事故で地球を穢した上に、今また更に原発を再稼働させようとしている。

 僕にできることは何だろう。分かりはしない。けれども車の中でひとつ感じたこと。今の人間の(生活の)有り様ははあまりに地球のペースよりも速すぎるってこと。だから壊していく一方なのだ、ということ。

 おそらく明治以降から地球のペースよりも速くなってしまったのだと思う。もっとペースダウンしてもよいのではないかと思った。里山風景の中で腰をおろし、ゆっくりしているとゆったりとした時が流れていく。もしかするとそれが地球のペースなのかもしれない。

 地球の役割とは様々な生命に恵みを与え、その魂を育むこと。今僕らは本当に何をしなければならないのか、地球に宇宙に、そして天から問われていると思う。





ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。


2012年6月26日 (火)

始まりの音

 EU崩壊が日増しに色濃くなる中、日本の政治の崩壊も始まったようだ。

 世界は今最も弱い部分から壊れ始めている。結局EUは無理やりの金融統合という矛盾の吹き溜まりからほころび始め、傷口はどんどん広がっている。ギリシャ、イタリア、スペインへと傷は深くなるばかりだ。

 そして今回日本でも日本の一番腐りきった政治からほころび始めそうだ。民主党の政権奪取から50年来の一党政治に終止符が打たれ、一時は国民革命が始まるかと期待されたが、もともと相反する勢力が一緒になった政党は、国民との約束を裏切った時から、巨大権力への従属へとその態度を豹変させ、国民無視への政治へと突っ走る。そしてその末期的姿が現在の分断だ。

 今後日本の政治は今以上に内部抗争ばかりで、何も決められない状態へとなるのではないだろうか。そしてやがては国民は政治(家)など全く期待ももたなくなるのではないだろうか。社会保障制度改革どころか、社会保障制度そのものが停止状態になるかもしれない。

 世界は完全に揺れ始めた。さて、それでは次なる世界のほころびはどこに現れるか。おそらくアメリカのドルの崩壊か、それとも中国の国家体制の崩壊が現れてくるのではないだろうか。いずれが先にしろこ2つは矛盾だらけの状態であるから、崩れることに間違いはない。

 世界は完全なる混乱へと突入しようとしている。資本主義も民主主義もその行き詰まりが露呈し始めた。やがて音を立ててのその崩壊が始まるのだろう。そうなれば現在の世界システムにのっとった多くの国の人々は混乱にさらされるだろう。

 アメリカ人はエゴを満たすために、借金を重ねに重ねていった。日本人はかつての精神を骨抜きにされ、何も考えない幼稚民族となっていった。中国は金銭欲に溺れ、国民も国土も汚していった。

 そんな矛盾だらけのシステムは、いつかは壊れるのも当たり前のこと。天は今人間に罰を与えようとしている。エゴをむき出しにし、地球を破壊し続ける人間に警告を与えようとしている。 昨年の3.11から日本人の意識は変わるように見えたが、変わらなかったことに対して天は怒り、ハードランディングとすることに決めたとも言われる。

 けれども考えようによってはこれは大きなチャンスかもしれない。これまでの人間のエゴを中心にしたシステムの崩壊なのだから、もう一度世界のあり方を見直すチャンスとなる。そこには全く新しい世界観が生まれてくるかもしれない。

 そうこれは天からの愛でもある。価値観を変えられず、破壊を止められずにいる人間に対する、変化を与える愛でもある。

 いずれにしろ我々はこれから起こる出来事に対して、厳粛に受け止めなければならない。そしてどのようなことが(個人に)起ころうとも、それは我々の意識の状態を現している。ある人は明るい世界に包まれるかもしれないし、ある人はすさまじき世界が訪れるかもしれない。

 すべては心のあり方次第。意識のあり方次第。おっかないことが起こるのがイヤなら態度を改め、心を磨くしかない。



 

2012年6月24日 (日)

 原子力

 原子力基本法の改正で、「我が国の安全保障に資する」という文言が入れられることで、日本の核武装の道を開くとの懸念が国内外で上がっている。

 我が国の安全保障に資するためには、原子力をなくすことが一番だ。福島で原子力は安全でないことが、これ以上なく証明されたのだから、「日本の安全保障のためには、原子力を放棄する。」ということにすればいい。

 広島、長崎で原爆の恐ろしさを知り、非核3原則でもって、核爆弾を放棄したのだから、今回の福島の原発事故でもって、原発の恐ろしさを知ったのだから、原子力(発電)も放棄すればいいのだ。

 それなのに、政府は企業の癒着、アメリカのいいなりのために、原発の再稼働に、原子力産業の売り込みに懸命で、反原発デモの声を無視する。とてもじゃないが、国民の代表とは思えない。

 僕は日本というこの国が好きだ。大震災でも秩序を保ち続け、世界から称賛されたことを誇りに思える。だからこの国を好きでい続けるために、そして世界から称賛される国であるために、何が正しいかを判断できる国であって欲しいと思う。

 ではなにが正しいかとの判断の方法って何か。ひとつの方法として「未来永続できるものか」。あるいは「子供たちの明日にとって最善か。」ということではないかと思う。

 僕らはあまりにも現在の自分たちの満足のために、未来に「ツケ」を残してしまった。そして子供たちの幸せを望みながらも、子供たちに過酷な競争や、環境を押し付けている。そのことを考えると心が痛む。

 福島で起こったこと、それを反省し、繰り返さないために必要なことは何か。国民の生活を守るために「原発を再稼働する」というよりも、今ここで国民に少しの辛抱を与えても、「子供達の明日」を選択することが正しいことじゃないだろうか。そしたらおのずから答えは出てくるはずだ。

 僕自身のことながら、5月に雨がほとんど降らず、6月に入っても雨がしばらく降りそうもなかったので、みかんに水をやるべきかと心配していたのだが、今年も梅雨がやってきて、雨を降らしてくれている。大雨の影響で被害もありはするが、自然の営み。ありがたく思う。

 日本人とはこの豊かな自然に恵まれると同時に、自然の災害の恐ろしさも知ると同時に、受け入れる力を養っている。けれども人工による災害が起こった時には、なくなるよう拒否してきた。原爆にしても、公害にしろそう。薬害エイズのようなものも二度と怒らないでと思う。だから原発も当然ながらもうこのような事故は起こらないでと思う。

 地震がつきもののこの国。ましてや大きな地震の到来がいわれるづけるこの頃。原発事故が二度と起こらないようにするためには、もう動かさず、なくしてしまうことしかない。


2012年6月21日 (木)

地方の時代

 新聞によく知事の一日。というのが載っている。それを見てると結構東京(事務所)と書かれていることがある。おそらく各県の知事動向欄もそう書かれていることが多いのだろう。もし知事だけでなく市町長動向欄があれば、大きな都市ほど同じように東京へ出かけていることが多いのだろう。

 知事が東京へ行くだけでなく、東京に事務所を構えている都道府県となると、全都道府県となるだろうし、何人もの職員を配置しているところも、これまた多いのだろう。

 東京に首都機能があるので、そうしているのだろろうが、大抵の場合それだけでなく、東京(首都圏)の動向こそが、各県の命運を握っており、東京こそがトレンドをつくりだす、なんて考えているのだろう。

 残念ながら、僕に言わせれば東京の時代は終わっている。昨年の大震災と共に終わっている。東京がトレンドを産み出していたのは既に過去の出来事となってしまっている。

 今や東京は嘘しか生み出さない。政治、検察、マスメディアどれも嘘しか産み出していない。そしてそれも最後のあがきにしか過ぎない。まもなく多くの国民はその嘘を知り、ますます見離していく。

 ではこれからはどこの時代となるか。埼玉でもない、仙台でもない。マスコミをにぎわす橋本何某のいる大阪でもない。それは一時的な注目にしか過ぎない。どこでもない。分散する。これからは地方の時代。地方にこそ活力となる鍵が眠っている。

 つい最近まで地方は疲弊する一方。都市部に人口は流出し、働き口も都市部に集中。地方は高齢化、過疎化が進むのみ。などと言われてきたが、これからは完全に逆転する。地方こそが日本のこれからの運命を握っている。

 確かに地方だって疲弊している。けれどもそこにはまだまだ日本の原風景が残っている。その風景には日本人のもつ歴史の遺伝子が眠っている。ここ100年眠らされていたスイッチをONにできるのが地方なのだ。

 今日本人に与えられた使命とは、この日本の故郷遺伝子をONにして、循環型社会を構築することであり、都会に出て、エゴを満足させる使い捨て文化を掘り下げることではない。世界経済を動かすことでない。もう都会から生まれるトレンドなんて流行らない。

 これからは地方から循環型トレンドを発信する時代なのだ。都会のレストランは流行らなくなる。それよりも地方にある農家レストランで、取れたての地元野菜を使ったレストランが流行り出す。もっと言うならば、自然栽培で育てられた地元の固有種の地域の味を楽しむことがトレンドとなる。

 だからこんな時代に東京事務所を設置し、東京のトレンドをキャッチすることは時代遅れである。東京に人をおくならば、どんどん各地方に行かせ、地方のトレンドを知り、自分の地元の特徴に合わせたトレンドを産み出すことの方がはるかに効果的となる。

 かつてはテレビっ子なんて言葉が流行ったが、今ではテレビ人口は減る一方。大手新聞社も部数は減る一方。マスメディアはその力は落ちていくこと極まりない。大手企業もリストラに走り、金融機関も博打に走るか、国債購入しかできない状態。都市部での産み出す力はどんどん落ちていく。

 一方地方では6次産業、農業の復興、そして地元の人々によるネットからの発信と奮闘している。もちろんまだまだ都会に比べれば、発信力は弱いかもしれないし、金力の差は大きく開いている。けれどもこの先確実に力をつけていく。なぜなら地方ではお金がない分みんなが知恵を使って、アイデアを出し合っている。そして今やお金の時代は終わろうとしている。お金ですべてがコントロールできていた時代の終わりがやって来る。

 これからは地方の時代だ。これからますますそのことがはっきりしてくる。面白いことをしたい人は地方に行くべきだ。そののんびりとした風景を味わいながら、故郷遺伝子を活性化させ、新しい日本の国土づくりを行うのだ。心も体も喜び始めること間違いなし。

 東京に残ったらよい人の条件は江戸っ子であること。少なくとも祖父母の代から3代は東京に住んでいる、という人は東京を盛り上げる遺伝子があるから東京に住み続ければいい。生き残るだろう。

 地方から発信するトレンドこそがナウいのだ。クールじゃが! であれい格好イイだべ。


2012年6月17日 (日)

2分化する社会。

 愛媛県松山市でも小型重機を使ったATM強奪事件が起こったそうだ。重機を使い、外のATMごとごっそりと持ち去っていくそうだ。今回は逃走途中にトラックに積んだATMがずれ落ちて、うまくはいかなったようだが・・・。

 10年以上前に海外では重機を使った強奪事件があるんだぞって、イギリス人から聞かされ、だれが一体どうやってそんなことするんだろうとすごく驚いたし、想像すらできなかったことを今でも覚えているが、それが遂にこの都会に比べればまだまだ田んぼも残る松山でも起こるとは…、ビックリ以上だ。10年かけてその波が遂にこの穏やかな地にまでやって来たと思うと、何とも言えない気持ちになってしまう。こんな波来なくてもいいのに・・・。

 それにしても社会はどんどんすさんでいっている。そのすさまじさに心が痛い。原発の再稼働しかり。国民の大半が納得していないにも関わらず、「国民のため」と言って、再稼働を決定する政権に政治家たち。そしてそれを歓迎する大企業。この社会は一体どうなってしまったのだろう。

 しかしながらひとつ確実に言えることは、現在社会はどんどん2分化してきていること。共生を目指す社会層と、エゴしか考えない社会層の2分化だ。もちろん今最も多いのはその中間層だろう。

 けれども、これから注目されるのは、まさにその中間層であり、彼らがどちらの方向へ向いていくかで、今後の日本も、社会も、地球も変わっていく。

 社会の中では今もマネーの世界が威力を持っている。お金があればモノが買え、美味しいものが食べられ、贅沢な生活ができる。それが豊かさとして讃えられる。そして中間層の人々もまたこのお金でもって、社会的価値を換算するように奨励されているのが実情だ。

 もちろんお金がなければ、雨露さえしのぐことができず、食べ物も何も手に入らないということも大いに考えられる。しかしながらこれは権力者が進める、都会で生活する民に、与えてきた恐怖の戦略かもしれない。

 さて現代世界中でこの「マネー」というお札が刷られまくっている。EUにしろ、アメリカにしろ、そして日本でもジャブジャブと大量のお金が刷られている。一体誰がそのような権限を持ったのか、とにかくも刷られている。果たしてその刷ることのできる裏付けはないかというと、何かあるのだろうか?実は何もないのでは?
 
 かつての金本位制度のもとでは、「金」という価値に基づいていたので、金という裏付けがあったが、現代の管理通貨制度のもとでは、その国の経済規模に見合った通貨量を流通させることであり、そうなると、現在ギリシャ、スペインへは一体どうなのか、アメリカは、日本はどうなのかと、疑問に思わざるを得ない。

 結局今世界の中央銀行がジャブジャブお札を刷りまくっている背景は、民の盲信を利用しているにすぎない。そのの盲信とは「お金には価値があり、これがあれば欲しいものが手に入る」ということだ。

 しかしながら、そろそろこのことをもう一度考える時期に来ている。なぜならこのジャブジャブマネー政策はまもなく崩れることは間違いないからだ。今世界は後々の時代に大きな大きなつけを残す形で、現在をやり過ごしている。けれどもその未来と現在の幅(距離)がどんどん近づいてきている。そしてそれはまもなく一致する。一致した時その時こそが臨界点であり、すべての嘘がはげ落ちる。

 さてその時どのようなことが起こるのか。それは現在の中間層の行動の仕方にかかっているように思える。軟着陸できるのか、それとも激突墜落の大惨事か…、いずれにしろ、意識の転換がカギを握っている。



 大きな世界、高き世界では、高き次元なるものが、すべての状況を見ている。そしてこの地球さえもそれを見ている。そして大いなる意思が判断を下そうとしている。その判断はあなたの心の中にその答えが握られている。



 

2012年6月16日 (土)

職場の思い出~八(ハチ)さん~

 八さんは車椅子で移動しないといけないこと以外、しっかりした人だった。いつも冗談を言って笑いあったり、タオルをたたむのを手伝ってくれたりもする、僕にとってはありがたい存在の人だった。僕に気を使ってくれ、夜勤明けの時にはいつも「「お疲れさん。大変ねえ、夜勤は。」って言ってくれた。

 そんな八さんある日がのどの調子が悪く、声がかすむようになり、病院に行くこととなった。検査の結果病名は咽頭がんで、急きょ入院することになった。そして入院して数日後には危篤状態となり、今晩がヤマと言われた。

 ちょうどその日僕は夜勤の日で、夜勤の申し送りの際に、八さんが危篤で危ないということを知った。はじめ僕はビックリしたものの、その日は覚悟を決め、もし八田さんが深夜に戻ってくることになった場合のことも考えながら仕事をしていた。

 夕食介助を終え、しばらくして、時間を見ながら利用者さんのベッドへの臥床、トイレ誘導、あるいはおむつの交換を行っていく。食器類の洗浄、薬の準備、そして洗濯機の入れ替えなどなど、夜勤の仕事をひとつ一つこなしていくうちに、どんどん時間は過ぎていき、あっという間に時計は0時を過ぎて行った。電話がいつ掛って来るかも知れないと思いながらも、僕は夜勤のパートナーと交代で仮眠を取った。

 そして時間は3時、4時と何事もなく過ぎていく…。電話はまだかかってこない。「八さん頑張っているんだ。」と僕は心の中で八田さんのことを考えながら、夜勤の仕事をこなしていく。

 やがて時計は5時を過ぎ、利用者さんの朝の排せつ介助、着替えを行う時間となり、僕はパートナーと2人で40人余りの利用者の介助をしていく。この時間はいつもながら汗だくとなる時間だ。時にはまだ眠そうな利用者さんに悪いなと思いながらも、起きて、着替えをするように促していく。

 6時を過ぎ、排せつ交換・着替えにひと段落つき、少し休憩を取る。「八さん大丈夫だったね。」とお茶を飲みながら話をし、早番の職員が来るまでに、あと数人の排せつ介助と、着替え、そしてみんなを食堂に誘導しなければならない。

 再び気合いを入れ、各居室へと入っていく。「おはよう!もうすぐ朝ごはんだから、起きて顔を洗って、食堂へ来てね。」と声かけしたり、車椅子に移譲してもらったりと、介護を行っていく。

 6時55分、早番の職員が僕のいる居室へとやって来た。そして「今電話があって、八さんがなくなったって・・・。私これから4階で(八さんが戻って来る部屋の)準備をするから、こっちはお願い。」と言ってきた。僕は「分かった。上はお願いします。」と告げ、しばしの感慨に浸った。

 その時、「八さん、この時間まで待っててくれたんだ。」と思った。八さんは夜勤の仕事が大変なのを知っていて、いつも気遣っていてくれたから、早番の人が来て、少しでも落ち着くまでは…と思って頑張ってくれたんだ。と思うと同時に、悲しみと、こんなときまで気を使ってくれて、最後ぐらい迷惑かけてもいいのに・・・、と何とも言えない気持ちとなった。

 それから僕は、利用者さんに悲しい顔は見せちゃいけないと、八さんのことを思いながらも、利用者さんに笑顔で声かけしながら、ベッドから起こし、車椅子に乗せ、洗面所で顔を洗い、そして車椅子を押して食堂へと向かった。

 食堂に着いたとたん突然、僕の心の中に八さんの笑顔が飛び込んできた。八さんが車椅子に乗って笑いながら手を振っている。

 八さん戻って来たんだ。それも満面の笑みで戻って来てくれた。僕の心には八さんと笑いあった思い出がよみがえる。夜勤明け仕事が終わった時間に八さんとフクさん木下さんと4人で一緒に居室の窓を開け、桜を見ながらお茶を飲んだ日のことを思い出す。

 そして今また車椅子に乗って、笑いながら手を振ってくれている。「お帰り、八さん!」。

 僕は思わず元気になり、再び力が入り、満面の笑みとなり、仕事していく。利用者さんを食堂に案内しては、元気におはようと声をかけていく。もちろんそこには八さんもいる。

 けれども、そんなことを知らない他の職員の人達は、八さんが亡くなって、涙をこらえながら、あるいは影に行っては涙を拭いているのに、なんでこんな時に、満面の笑みで仕事をしてるのだ!、と批判めいた視線が突き刺さって来る。と同時に、陰で、なんであの人笑ってるのと、囁かれている。

 けれども、僕には八さんがそこにいて、大笑いをしながら、手を振っていることを感じている。だから「お帰り、ありがとう。」なのだ。帰ってきてくれてこんなにうれしいことはない。元気に仕事する以外にどうすることができる?でもこんなこと理解してもらえないよね。

 そしてやがて八さんは、大笑いをしながら、そして車椅子から手を振りながら、ありがとうと言いながら、だんだんと遠くへ行った。僕は八さんを今度は「八さん、ありがとう!」と見送った。

 日報類の書類も書き終わり、夜勤も終わった。僕は4階へと階段を駆け上がり、部屋の扉を開けた。そこには病院からもどっってきた八さんが眠っていた。

 ありがとう八さん。こんな最後の時まで気を使ってくれて。ありがとう八さん。いつも声かけてくれて。涙が初めてこぼれた。

 もう10年近く前のこととなる。でも八さんは今でも僕の心の中にいる。



2012年6月11日 (月)

絞り出せ!ひねり出せ!

 今日は職場で一日中パソコンとにらめっこし、僕なりの地域づくり理論を考えた。正確には先週の金曜日からだから2日間かけた。いや、もっと言うならばこの仕事に取り掛かったのは昨年5月からだから、1年間の知恵を絞り出したとも言える。けれども作ったのはA4サイズに3枚半。これだけしかないのかとも言えるし、これで十分とも言える。

 ただ僕の心情としては、自分自身の頭で考えたぞと言える。もちろんこれまでいろいろな人の話を聞き、色々な文献を読み、それらをまとめたものではある。けれども出来上がったものは、僕なりのオリジナルなものではないかとも思う。

 かつて社会福祉士の養成校(通信教育)に通っていたころ、毎月1冊のテキストを勉強し、課題についてレポートを書かなければならなかった。その時僕はテキストをまる写しするのだけは嫌で、いかに自分独自の意見を述べるかということに力を入れた。すると返って来たレポートは「あなた独自の考え方ですね。」とよい評価をくれた先生もいれば、「こんなことはテキストには書かれていません。」と低い評価の先生もいた。

 当然よい評価をもらうと、うれしいわけで、「ヤッター!」と思うわけだが、低い評価も、「教科書通りで行くとね…。」と受け止めた。なぜならその時僕はテキストを何度か読み返し、理解したうえで、独自の意見に走ったという自負があったから、そんなこと書かれていないといわれたら、それも納得できたし、僕としてはそれ以上を目指したからだ。

 今思い返せば、あのころが懐かしいし、あの頃の読解力、思考力、集中力があれば、今こんなに苦労しなくていいのに・・・、と思ってしまう。

 それでもかつてのハングリー精神は今でも健在の所もあり、今では文章ではなく、人生そのものがオリジナルであることを目指している。誰かのマネであったり、誰かに言われたように生きたいとは思わない。

 もちろん僕にもあこがれる人はおり、その人を真似ることはある。けれどもやはり、どこかに僕自身で考え、納得できる人生をと思ってしまう。それにたとえ僕がどんなにまねしたとしても、結局その人にはなれないのだから。

 そんなことしえいると文章にしろ、人生にしろ、色々人に指摘されることはある。その時はそれはそれでありがたく聞かせてもらう。そして納得でき、修正できることは修正する。お蔭でそれでよりよくなっていることも多い。けれどもあとから振り返ると、結局はベースは自分自身の思った通りにやっていることが多い。そこはやっぱ僕自身のものだから、僕自身が一番納得いく形で行いたい。

 さて、しかしながら今回は僕自身が納得いくだけでは成り立たない。仕事である以上相手がおり、相手の意見があり、またお金がかかることでもあり、様々な人が納得できるものでなければならない。

 さてさてこいつをどうするか。僕自身のプレゼンでみんなを納得させることができるだろうか。それとも修正に、修正を重ねなければならないだろうか。いずれにしろ僕も納得でき、みんなも納得できるものを産み出さなきゃ。いや、それとも僕が信じる道をひたすら押し通すか…。

 いずれにしろ大変だ。けれどもこれは僕も真剣に取り組みたいし、みんなもよくしたいと思ってのことだ。徹底的に議論して、いいものを作り上げたい。そのためには徹底的に考えるぞ!!頭をひねりにひねるぞ。

 そうやって物事は生まれていくのだ。産み出す苦労。でもそれが形として成り立った時喜び倍増。そこに人々の笑顔が加われば、これ以上の満足はない。


2012年6月 9日 (土)

守る?

 「国民の生活を守る」って一体どういうことなのだろう。何故に原発を再稼働するということが、「国民の生活を守る」ことになるのだ。原発事故のせいで福島県民の生活はぐちゃぐちゃにされてしまった。現に僕の友達も引っ越しをせざるを得なくなった。

 それなのに一体何を持って守るのだ。安全確認ができたって何を持ってできたのだ。これだけ日本列島を襲う直下型の地震の危機が高まっているのに、安全と言えるのか。

 そして国民のだれが政治家の言葉を信じるのだ。この数年間の歴代の首相の名前を挙げるだけでも大変なのに、解散を迫られ、その地位もなくなろうとしている人が「責任を持ちます」と言っても、どう信じるのだ。そしどう責任を取るのだ。

 最近の日本の権力層はあまりにひどくなってしまった、とこのところ怒りが沸々と湧き上がることが多くなている。それにしても目に余る…。

 ところで、電力がないと人って豊かな生活を送れないのだろうか。確かに今の時代電力がないと困ることも多いけれど、それほど必要なのかと疑問に思ってしまう。

 人の家を訪れると、ビックリするようなバカでっかいテレビが置いてある。そして僕よりも給料の低い人が、スマホにi-padを持ち歩いている。ついでながらでかい車にも乗っている。(ちなみに僕は社会的分類で言うならば貧困層に分類される。)。こんなに贅沢する必要があるのかな・・・?と疑問に思ってしまう。もしそれが日本の平均水準ならば、日本ってあまりに贅沢しすぎだ。

 物質ばかしの豊かさを追い求めれば、それに比例して電気の需要も増えるのだろうけれど、心の豊かさを求めれば、電気ってそれほど必要ではないことが分かる。必要ないものをいっぱい抱え込んでいる。

 そしてモノでは心は満たされないって、みんなもうずいぶん前に気がついたはずではないのか?

 原発はなくてもいい。電力も足りなくてもいい。今年は節電すればいい。日本国民みんなで、生活の見直しの年にすればいい。みんなで星空を眺めるのもいいじゃないか。もっと低エネルギーで生きられる社会を築いていけばいい。

 縁側、うちわ、スイカ、打ち水、風鈴etc…、かつてのものを思い出してみるのもいいじゃないか。木陰のありがたさを知るのもいい。そして何なら公務員みんな高原に移動すればいい。有給休暇取得率アップ週間として、海の家に行き、泳げばいい。ドジョウも海で泳げばいい。

 原発を稼働しなくても、豊かに暮らす方法をみんなで考えればよいのだ。本来一国のリーダーならば、原発の危険性を伝え、そしてこの夏を乗り越えるために、国民一丸となって節電に取り組むとともに、みんなで知恵を働かせて、心地よい夏を過ごす方法を考えよう、と訴えればいいのだ。世界は日本人の整然とした行動を関心を持って見ているのだから、やっぱそれらしい行動を取りたいものだ。

 今こそ日本人の力を見せればよいのだ。争いばかりしている国々に対して、平和や安全のため、そして国民の生活のために、一致団結できる姿を見せて、世界の人々の心を再び揺り動かせばいいのだ。

 1人ひとりががクールジャパン!みんなでCOOL JAPAN。楽しくCOOL JAPAN。納涼日本!今年を里山元年としよう。


 

2012年6月 8日 (金)

静かに進める

 あらゆる体制が過渡期にある現在、僕たちはどうすればよいのだろう。。世界経済の崩壊に怯えるのだろうか。政治の崩壊に怯えるのだろうか。あるいは3.11の次なる災害に怯えるのだろうか。

 ニュースはイランの核問題を取り上げ、中国の領土進出を取り上げ、あるいは北朝鮮の情勢を取り上げ、僕たちを混乱と恐怖に落とそうとしている。僕らはこのまますべてを鵜呑みにして、恐怖におびえているだけなのだろうか。

 僕らはこの数十年の間に飛躍的な科学的進歩を遂げた。今ではほぼどの家庭にもコンピューターがある。そしてその高速のコンピューターをもち歩けるようになっている。外出していても連絡は取れ、情報を仕入れることがでる。まさに子供のころのドラえもんの道具が近づいている。

 20年前を振り返ってみれば、携帯電話が今のようになるとは、いったい誰が思っただろうか。スマートフォンなんて想像だにしなかった。ワードは一応使えたとしても、エクセルまで使える人はすごいと思われた。そんな時代だった。それが今ではワードにエクセル使えて当たり前。使えなければ仕事にありつけない。そんな時代となっている。

 当時インターネットが言われ出したけれども、一体どうなるモノなのか分からなった。(テレビで)双方向のやり取りと言われても、全く意味が分からなかった。それが今では当たり前となり、誰もがインターネットでもって情報を得る時代となった。

 そう、今では誰もがインターネットを駆使すれば、どのような情報でも手に入る時代となったのだ。それも国内だけでなく、世界中から情報が手に入るようになった。あっという間に情報は世界を駆け巡る。

 さてここまで科学が進化し他時代において、それでは僕たち自身はどうなったのだろうか。科学の進歩と共に進化したのだろうか。残念ながら、その進歩についていけずに、足踏みしているとしか言えない状況だ。

 しかしながら、もし自分自身で選択すれば、進化できる時代でもある。例えばこのインターネットを利用し、叡智について調べれば、世界中の叡智が一瞬にして手に入る。また世界の真実を知りたければ、少しばかしの選択能力をつけることができたならば、正しい状況を知ることができる。

 つまり僕たちは、叡智を手に入れ、進化することのできる時代にいるのだ。それはこれまでの野蛮な問題解決方法を選ばなくとも、問題は解決されることを意味している。真実を知り、暴力を使うことなく、話しあうことで解決される時代にいるのだ。

 それなのに、世界は物事の解決手段として、未だに暴力を使おうとしている。そして世界は自国の利益を得るために、他国を蹴落とす手段ばかりを使っている。武力による戦争。金融博打による戦争。戦争により富を得ようとする輩がうじゃうじゃいる。

 それらの現実が明るみになった今、僕らはこのまま何もせずに、権力者の思うままにさせて良いのだろうか。僕たちは様々な叡智を手に入れることができた。そして戦争なんて必要ないことも分かった。それなのに戦争が起こされることを容認してよいのだろうか。正直に生きる者が、一部の強欲者に搾取され、犠牲になったままでよいのだろうか。それで当たり前と思っていてよいのだろうか。

 静かなる革命。かつてガンジーは非暴力でもって、インドを解放へと導いた。彼は叡智でもって、強欲者に立ち向かい、勝利を得た。僕たちは彼に習う必要がある。

 3.11の際奪い合うことなく、整然と並んでいる姿を、世界は称賛した。そして世界はそその次なる姿を待ち望んでいる。

 僕たちは今真実を知っている。この世界に戦争をする必要のないことを。一部の人がコントロールし、搾取するシステムを築きあげてきたこと。

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2012年6月 6日 (水)

よりよい社会

 僕が去年の春高齢者福祉を辞め、今の仕事に就いた理由の一つは「もう少しよい社会をつくりたい。」と思ったからだ。

 今もそうだが、毎年毎年3万人以上の人が自ら命を絶ち、100万人もの人がうつ病。そして不登校に引きこもり・・・。さすがにこのままではアカンやろ。ちょっとでも何とかしたい。そんなふうに僕の中の正義感が、何ができるか分からないくせに突っ走ってしまったわけである。

 それから1年以上が経過し、世の中を眺めてみれば、相も変わらず社会は酷く、原発問題を見ても、裁きのあり方見ても閉口を通り超え怒りがこみ上げてくる。

 政治も、司法も、(大)企業も、国もどれを見ても、いよいよ終末論のスイッチオンという状態だ。実際にスイッチオンとなり、デスノートに何万人もの名前が書き記されたとも・・・。さてどうなる日本!
 
 しかしながら過去を振り返ってみると、恐らく誰も社会を悪くしようと思っている人は少なく、(まあ一部の支配者層が人類家畜化計画と人工削減計画で暗躍はしているのと、小悪党で金儲けと自分のことしか考えていないヤカラはいるが、)大抵の人はよりよい生活を目指して生きてきたし、働いてきたことは疑いようもないことだろう。

 しかし、このよりよい生活が、残念ながらよりよい社会とならなかったことが問題だったのである。なぜなら、これまでよりよい社会を、より便利な生活と捉えて追い求めてきてしまったからである。

 戦後の何もない生活、そして様々な苦労を重ねてきた生活の中で、人々はより便利で、快適な生活を求めるあまり、いつの間にか度を超えた「楽(らく)」を目的としてしまった。

 少し話を戻して、「社会をよくする」いうとなんだか正義感をかざして大げさなことを言っているように思うかもしれないが、何も大げさなことではない。みんなそう思ってこれまでやって来たのだ。ただよくする=(イコール)便利にすることと捉えたのが間違いだったのだ。だからこれからはその間違いを正しい方向に、ベクトルを変えればよいのだ。

 ではその「社会をよくする」のベクトルをどの方向に向ければよいかというと、「人と人がつながる。」あるいは「地球と人がつながる。」というふうに、共感し、共生できるという方向に変えればよいのだ。仏教で言うならば、山川草木国土悉有仏性であり、すべてのものに仏の心が宿っている。あるいは神道でいう万物に神が宿るということだろう。

 ところが企業はこれまで成長ということを、相手に勝つということばかりを考えてきてしまった。もちろん市場に残れなければ企業は存続しない。しかしながらそのベクトルが共生ではなく独占となり、エゴの追求となってきた部分があるのは否めない。

 もちろんそこにはこれまでの経済システムが、利益の追求を目指していかなければ、存続できないというモノになっていたことも原因の一つであるし、それによって一部の連中が、支配力を強めていったこともある。

 本来企業も例えば外食産業であるならば、本当によいもの、美味しいものを提供する。そしてそこにホスピタリティでもってもてなすことが役割だと思う。もちろんその美味しいものとは環境を破壊していないこと、自然の法則に反しないものが含まれる。

 そういう意味でも、これからの企業の目指すべきところは、「循環させる」ことであり、その大前提として「共生」があげられるのではないだろうか。

 「共生」できない企業は淘汰されていくことは間違いない。だからつい最近まで我が物顔でふるまっていた世界的企業は今やある意味戦々恐々としているのが実情だろうし、もしそうでなくても、ある時あっという間に消えてなくなることだろう。

 そしてよりよい社会を追求していくならば、そこには「愛」「感謝」「悦び」に行きつくことは間違いないようだ。企業だってそれがあってもよいはずだ。いや進んでいる企業は既にそこを目指しているはずだ。

 人間ひとりできることなど限られているだろう。まだまだ潰されるのがオチかもしれない。それでもひとりでもそんな人が増えたならば、地球は喜ぶはずだ。


地球が喜ぶことしないとね。 僕らは地球のお世話係なのだから。




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