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2012年5月

2012年5月20日 (日)

バベルの塔

 今「2013年からムー大陸の再浮上が始まります」光明氏著(ヒカルランド)を読んでいる。
 このところいろいろな噂で5月22日が危ない、などと言われていたので、スカイツリーのオープンの日が狙われていて、バベルの塔になるのではないかと思っていたらこの本にもスカイツリーがバベルの塔として出ていた。(ただし5月とは書かれていない。)

 そしてこの本によると、本来3.11の東日本大震災で日本人の意識が変わるはずが、変わらなかったため、神は怒り、ソフトランディングになるはずが、ハードランディングとなり、大地震の発生、そして富士山の噴火も起こることになってしまったとのことだ…。

 2012年どのようなことが起ころうと不思議ではない1年ではあるが、残念なのはやはり、3.11から日本人は変わると思われていたのが、変わらなかったこと。もちろん一部の人々は変わったのだろうけど、僕から見ても結局はみんな再び飲み会の回数は元に戻り、買い物はどんどんするわ…、今では携帯電話はスマートフォンそれにプラスしてiーpadも持ち歩き、どんどん便利なものを求めていく、物欲は留まるところを知らないような生活状況。

 一般の人々もそうなら、政治やマスコミなどは言うに言われぬ状況で、筆舌尽くし難しとはこのことをいうのだろう。

 いずれにしろ天に感謝することさえないのだから、これでは神は怒ってもおかしくはない。やっぱ裁きが必要なのだ。

 残念ながら戦後の65年間に日本はすっかり腑抜けにされてしまったのだ。その点でいえば魂を抜きにかかった国は、恐ろしいまでの成果を上げたといえるだろう。

 しかしながら日本人のDNAには今もきっと、江戸の記憶は残っているはず。いや江戸時代だけでなく、縄文の記憶も残されているはず。いずれかの時にこれらのスイッチはきっとONとなるだろう。そしてその時こそ日本人が復活する時。そのためにもしかするとハードランディングは必要なのかもしれない。

 日本人の意識が変われば世界が変わる。日本人に期待している国は多いそうだ。アニメなどではなく、日本人の持つ精神の高さを復活させて、世界に示すことができたならば、世界は称賛するだろう。世界は今やこの金融支配の構造から抜け出す道をひたすら探しているのだ。1%の人だけがぬくぬくと暮らす、エゴの世界から抜け出す道を…。

 けれどもいきなり武士道を取り戻すことはできない。そんな急激な変化に耐えられる日本人は今では少ないだろう。だから少しずつでも、小さなことから変わっていくことができればよいのだ。
 
 日本人は「終わりなき改善の精神」がつい最近まで持ち合わせていた。昨日と同じのままでは恥ずかしいと思うこころ。それを復活させればよいのだ。

 社会はどんどん待ったなしで変わりつつある。それは一方でよい方向にも向かっている。それが意識の面だ。意識についての研究はどんどん進化し、意識が世界を創りだすことが分かり始めている。

 ここはひとつどんなことがあろうとも、意識を前向きにし、ワクワクしながら生きていくのが一番だ。もちろんそこには感謝の心が必要だ。本によると意識の上昇をもたらす秘訣は「愛と調和と感謝と笑い」だそうだ。



 

2012年5月13日 (日)

微生物革命

 「微生物が放射能を消した!!」高嶋康豪著(あ・うん)を読んだ。今福島では除染、除染と放射の物質の除去のため水で流したり、土を剥いだりしているが、これらはすべて放射能物質を別の所へ移動すること。

 水で流して川に流せば、それは海へと流れ、海藻類や魚の体内に、土を剥いでどこか別の場所に保管しても、その場所は放射能だらけとなる。更にここには金銭利権まで絡んで、放射能だけでなく人間のエゴだらけ・・・。

 そんな中高嶋先生が行った微生物を活用した「複合発酵法」は、放射能をどこか別の場所に移動するのではなく、消してしまうという画期的な方法だ。
 しかも現在も原発から放射能が大気に漏れているので、水での除染はいずれまた行わないとならないし、土の表面剥がしだって、再び行わなければならない。そしたらますます保管場所は必要となるし、これが農作地ならば、よい土がどんどん失われてしまう。

 その点複合発酵法は、新たに放射能が降ってきても、微生物が再び除去してくれる。素晴らしい技術だ。しかしながら、日本の上の方にいると思われている人達はその技術を認めようとしないらしい・・・。頭の柔軟性というか、利権というか・・・。実に馬鹿げたところでこだわりを持ち、国民を不幸にし続けているという、どうにもならない人達だ。

 実は今回はこれらの人の批判をしようとするわけではない。この本を読んでいて、複合発酵法を使うことによって、農薬や化学物質で不毛となってしまった農地が、半年でふかふかの土の農地に生まれ変わるということが書かれており、すごいと思ったわけだ。

 そして「このふかふかの土」にピンと来たのだ。実はこのふかふかの土のことを言っている人がもう一人いる。奇跡のリンゴをつくる木村秋則さんだ。木村さんの作る奇跡のリンゴの秘密がこのふかふかの土にあるのだ。しかもそのふかふかの土に気がつくまでに木村さんは尋常ではない苦労を伴った。

 木村さんはリンゴ栽培で農薬散布を止め、そこから無農薬林檎を作るのに10年の歳月を費やした。林檎のならない林檎畑のために家族を貧窮させ、周りの人々からバカにされ、遂には自殺を図ろうとした。首をつるロープをもち山に登り、死のうとした際に気付いたのが、そのふかふかの土だ。

 木村さんの見つけ出した答え、そして奇跡のリンゴができる10年という歳月が、今では微生物の力で半年でできるようになってしまった。なんだかそれを考えると、感慨深いというか、何とも言えない気分になる。もちろん高嶋先生は複合発酵法を産み出すまでに相当の研究を積み重ねたに違いない。

 けれども僕は木村さんが苦労に苦労を重ね産み出したが故に、その答えは次なるステップのレベルに達したのではないかと思う。
 パソコンだってそう、ずっとベーシックやらマシン語とか言っていたのが、ある時コンピューターおたくのビルゲイツがウインドウズを完成させ、そこから一挙に次なるレベルへと突入した。

 結局産み出す者は多大な苦労を生じるが、その産物ができたおかげで次なるレベルへの道はどんどん短縮されていく。最初の産み出したその苦労が故に称賛されるのだ。

 さてしかし僕がここで手放しに喜んでいけないのではないかと思うことがひとつある。この微生物技術素晴らしいのひとことであるのだが、もしかするとこの微生物技術も行き過ぎれば、とんでもない方向に行ってしまうのではないかということ。

 化成肥料技術も、歴史的に見てそれまでの時代から画期的に生産量を増やしたことも間違いない。そのおかげで食料不足から解放されたこともあるだろう。しかしどこかで限度を超えてしまった。そしてそれはやがて逆に不健康な作物を作るようになってしまい、農地さえも破壊してしまうものとなってしまった。

 だからもしかするとこの微生物技術も行き過ぎてしまうと、おかしなことになってしまうのではないかとも思う。そのことを心配してしまうのだ。同じ過ちは繰り返したくないものだ。そろそろ僕たちは学ぶ必要があるのだ。
 
 しかしながら今はこの微生物技術、不毛地帯も緑の地帯へと蘇らせる、素晴らしい技術である。しかも放射能は除去する。だからこの技術を適切に使えば、さまざまな問題が解決していく。


 目に見えないものの力とは偉大だ。この微生物の場合は電子顕微鏡を使えば見えるわけではあるけれど・・・。この世界で目に見えるものはたったの4%。あとの96%はダークマター(暗黒物質)と呼ばれる目に見えない世界。そこにはまだまだ僕たちの知らない様々なパワーが秘められている。

 このダークマターの世界が今後どのように展開していくのか、考えるだけでワクワクする。その前に人間はまずはこの微生物の力により、これまで不可能と言われていたものが画期的に変わってくるかもしれない。

 この微生物革命要注目!!


2012年5月10日 (木)

みかん畑は共生空間

 只今みかん畑はみかんの花でいっぱい。2か月前に剪定したにもかかわらず、若き枝は既にぐんぐん伸び、剪定前よりもおい茂るとばかし。また木によっては乱れ咲きのごとくに白い花だらけ。けれどもみかんの花は桜と同じくあっという間に散ってしまう。みかんの花の場合散るというよりも、花びらは落ちるって感じだけれど。今はつかの間のみかんの花の香りに包まれている。

 ミツバチはみかんの花に顔を突っ込み蜜をせっせと集めている。その姿を観察していると、ついつい時間が経つのも忘れてしまう。ずっと近くでミツバチの様子を観察していると、中にはミツバチが顔をあげ僕の姿を見たとたんに驚き、急いでとんでいくのもいる。またなんだか花びらの上で油を売っているのか、遊んでいるようなのもいる。きっとミツバチの中にも働き者とサボりの2系統に分かれるのだろう。

 春のこの時期、みかん畑は生命にあふれている。ミツバチだけでなく、蝶が飛び、蜘蛛は巣を張り、蚊もいればハエもいる、他にも名前は分からないけれども生き物がいっぱい。

 地面を見れば草花が咲き、その中をカエルがぴょんぴょん跳ねている。草や落ち葉を剥ぐれば、そこには団子虫やら様々な虫たちが・・・。そして僕がうれしくなる第2の生き物ミミズちゃんが成長している。今年も土を耕してくれそうだ。他にも目には見えないけれど、この土一握りの中には何百万の微生物がいる。

 それらたくさんの生き物の観察をしていると、なんだか自分がひとりファーブル昆虫記をしているような気持ちになる。そしてこれまたひとりでワクワクしている。

 朝一番にみかん畑を訪れると、みかんの花の白と若芽の鮮やかな緑がまずは飛び込んできて、そして新鮮な空気の中にみかんの花の香りが漂う。目を閉じればスズメにツバメ、鳩にその他たくさんの鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 思わずこの自然の恵みに感謝せずにはいられない。そしてまた今年もおいいしみかんができる事を願う。安心・安全そして元気が出るみかんができておくれと願う。

 宅地化が進むこのエリアの中で、少なくともこの場所は農薬もなく、化学肥料もない、炭を撒き、また埋め大地を浄化させ、そしてプラスチック類もほとんどない聖なる空間となりつつある。と同時に共生の空間でもある。時に草を抜いたり、アブラムシを取り除いたりはするけれども・・・。

 すべてが喜びの賛歌を奏で、共生している。もし共生を一番邪魔しているものがあるとすれば、それは間違いなく自分自身だろう。そのためにひふみ祝詞をあげたり、感謝の意を伝えている。

 この空間を一歩離れると、難しい理論を考え、戦略を練り、いかに攻略するかということばかり考えている自分に社会。でもこの場所にいるときだけは「NO!」だ。ただただ自然に寄り添って、リラックスして時の流れに身を任せる。

 ほんの少し前の時代の農家ってホントはこうして、みかんの花を見ては喜んでいたのんじゃないだろうか。きっと今よりは酸っぱいみかんができていたのろうけど、それでもいかにみかんの量を多く収穫するかとか、草に栄養取られたり、虫にみかんを傷つけれらることなくひとつでもお金になるものを・・・、なんて考えはしなかっただろうな。勝手な想像ではあるけれど・・・。

 しかしながら僕は幸せ者だ。普段は人間世界でもまれながらも、こうして自然との共生空間にいられる。これってすごく贅沢なことだとも思う。世間の多くの人は農業なんて関心を持っていないだろうけれど、僕は人間世界と自然の中でのバランスを保っていられる。ありがたいこと。

 感謝しなくては。そしてこの悦びを、何らかの形で世間に、社会に、そして自然に返さなくては!


2012年5月 9日 (水)

カジノで・・・

 なんだか最近「???」の新聞記事がやたらと目立つ。地に落ちた感のあるマスメディアではあるが、それでも世間の動きを知るには一応役に立つ。

 さてさて今回の「???」の記事は全国各地で地域活性化のためにカジノ誘致を打ち出しているという記事だ。特に「地域活性化」という言葉に「・・・」。言葉が出てこなかった。

 地域活性化とは地域の経済が潤うという意味も確かにあるのだろう。けれどもそれだけの意味なのか?僕にとっては地域活性化とはそこに住む地域住民が活き活きとしていること。果たしてカジノができれば住民は活き活きした表情の人が増えるのだろうか。

 競馬場、競輪場、競艇場など日本にもいろいろあるけれど、はたしてそれで地域は活性化されたのだろうか。もっと身近に言うならばパチンコ屋ができてまちは元気になったのだろうか。よく田舎の人はパチンコばかりに行っているとか聞くけれど、むしろ崩壊する人が増えたのではないだろうか。

 競馬・競艇・競輪そしてカジノ。どれも結局はお金を吸い上げるのが目的。維持していくためには吸い上げる方が多くなければならないもの。結局は失う人の方が断然多いもの。身近なところでは友人が10万負けたとかよく言っているし、大きな所では一部上場企業の元会長が何10億というお金を失い、背任罪。

 そんなもので地域が活性化するのか。もし活性化したとしてもそれは不幸になった人を踏み台にした活性。なんだかちっとも嬉しくない。子供に「この街はカジノのお陰で潤っているのだ。」って誇りを持たせることができない。

 それを全国の知事が言っているらしい。そんな知事を選んでしまったことは恥ずかしいことではないのだろうか。国会議員はの地位は地に落ちた感があるが、知事レベルでもそれが進行しているのかと思うと、地方も危ないのではないかと感じてしまう。

 世の中地方の時代となり始め、各地域で地域おこしに取り組む人達が増えている。このことはとても素晴らしいこと。過疎化が進みつつある中、若者の流出が進む中、もう一度自分たちの地域の誇りを取り戻そうとしている人達を声援したいと思う。その人達を支持し、応援することこそがいま求められているのではないだろうか。

 手っ取り早くお金の量を増やすには「カジノ」。その発想はいまやうそで塗り固めた何の根拠もないお札、つまりは偽札を刷りまくって自分たちの立場をを取り繕っているいる世界の中央銀行の行い方と変わらないのではないだろうか。

 コンピューターが発達し何でも手軽に行えるようになったこの時代。今求められているのはもう一度汗をかきながら地道に活動する力。誰もが手っ取り早く、手っ取り早くやってしまおうとする、あるいはすぐにリセットしてもう一度となるなか、コツコツひとつずつ組み立てていく力。それこそが必要なこと。

 いくらコンピューターにより物事を早くすませることができようと、早く結果が出せるようになろうと、心は育たない。人間の持つ力は育たない。様々な人の力でコツコツ地域の力をつけていくことこそが、地域が元気になり、人々の心も育っていく。


 

2012年5月 5日 (土)

厄年から肉体と魂をつなげる意識へと旅をする

厄年というと、誰もができる限り何事もなく終えたいと思うことでしょう。特に大厄を迎える時など、なるべく無事に過ごせるよう、大難が小難となるようにと厄払いに行って、祈祷してもらって、お札をもらって帰り、そのお札に毎日手をあわせるぐらいの勢いとなるのではないでしょうか。


実は私も昨年は大厄で、今年は後厄の一年となります。昨年は結石ができ、それが尿管に詰まり死にそうな思いをしました。そして今年もカゼを引きそれから調子がすぐれない日々が最近まで続いていました。(もちろん厄払いには行って来たのですが…。)


男の厄年は数えの42歳ですが、思うに40歳を過ぎて何かと体の変化を感じます。私の場合どんどん体力が落ちていくのですが、それと反比例するかのように体重は増えています。やはり男のこの頃の年齢は体の変化がいろいろと起こる年齢なのでしょう。厄年というのはそういう意味で当たっているとも言えますし、そこに大厄がもうけられてもいるのかもしれません。


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さて、この変化がもたらされる身体とは物質世界の象徴であるといってもいいと思います。そしてこの物質世界の原則とは、「形あるものは壊れていく」ということでもあります。物質として形あるもので、永遠なるものはないと断言してもよいのではないでしょうか。


故にこの次元で肉体は生まれ、成長し、そしてピークを迎え、あるときから衰退し、やがては滅びていきます。これぞ法則であり、それがこの次元の限界なのかもしれませんし、永続性なのかもしれません。一方で滅びるものがあれば、一方で生まれ来るものがあり、そうして循環し繰り返していくこと、これもまたこの次元の法則です。


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この身体、カタチあるものはいつかは滅するという有限性に対して、魂は永遠であり、不滅のものです。そしてこの次元に降りてきて肉体と共に生滅を繰り返していきます。いわゆる輪廻転生というものです。永遠なる魂と消滅を繰り返す肉体。この2つの相反するものがひとつとなり、この物質次元の中で循環していくのです。


そして魂の永遠性と肉体の有限性。それらを通じて魂は成長していくのです。私たちは過去世の事をほとんど覚えていません。それに対して魂はこれまでのすべてを貯蓄しています。しかしながらこの肉体でいる限り魂は直接は語りかけてくることはありません。


しかしながら魂は肉体をある意味コントロールしようとします。いわゆる使命へと向かわせようとするのです。この肉体の誕生の前に描いたプランを実行しようとするのです。一方肉体はその使命に向かいつつも、肉体の自由を行使しようともします。そしてそこに葛藤が生じます。いわゆる3(4)次元と5次元の覇権争いのようなものです。


そこで3次元の肉体が上回れば、肉体への快楽へと突き進みます。それがいわゆるエゴというものです。しかしながらそれが勝り続けると自らの肉体の破壊へと進んでしまいます。例えば暴飲暴食を繰り返せば、その分余分なもの、あるいは余計な負担が過剰に蓄積され体は破壊されていきます。


一方魂が上回ればどんどん魂の上昇へと向かいますが、ときにそれは肉体の限界を超えて上昇しようとし、遂には肉体への破壊へとなってしまうこともあります。激しい修行により体を壊したり、精神を逆に病んでしまうことはありうることです。


結局魂と肉体の調和が要求されているのです。それがこの次元で私たちが一番うまく成長していく方法なのです。


ではその調和をどのように見出していけばよいのでしょうか。正直こればかりは私たちの経験の蓄積によるのではないかとしか言うことができません。そこには当然ながら個人差もあるでしょうし、魂のレベル、肉体の強度等様々なものが関係してきます。


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厄年の話に戻ります。最近言えることがひとつあります。それは厄年を迎えてはじめて分かることもあるということです。私の場合肉体の変化の時期を迎え、改めて自分自身のこれまでの生活を振り返ることができました。そしてこれまでの肉体への負担のかけ方を考えると、自分自身の生活を改めて調整していく必要性を感じるのです。


こうして自分自身の肉体(の限界)について分かる一方で、魂の存在について考えるようになり、ようやくその使命へと向かう判断ができるようになったことも感じます。そのため魂を向上させようと自分自身の使命に向かっていきたい気持ちも募っています。


厄年を通じて、この肉体(の限界)の認知と魂の追求という二つを実感したわけですが、これからはこれらを調整・調和させながら進んでいくことがやるべきことであるとも思えます。しかしながらどちらも結局焦ってはいけないし、なるようにしかならないようにも思えます。


ただ一つそこにはどちらも意識が絡んでいるように思います。意識でもってどのようにコントロールし、方向を定めていくかということになるのです。肉体の3次元と魂の5次元に共通するもの、それはもしかすると意識かもしれない。そして意識こそがそれらを統合するものなのかもしれません。厄年とはそのような意識をもたらすものなのかもしれません。


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らいふあーと~僕らは地球のお世話係~

2012年5月 3日 (木)

日本語

 毎日地元のローカル紙(愛媛新聞)に目を通しているのだが、「なんだって!」と思う記事によくぶつかる。ということで今回も新聞の記事から。

 今回は今小学生の間で「英検」人気が高まっているそうで、全国でこの10年間で受験者数が約80%増。愛媛でも11年度は1409人受験したとのこと。中には準2級を受ける子もいるとか…。

 まず始めに僕は英検3級しか持ってない。それでも1以上外国で生きてきた。そんな僕でも言わせていただく。「小学生で英検なんて受ける必要ない!それよりも国語『日本語』教育を大事にしろ!」。

 確かに現在日本の企業でも社内の共通言語を英語としたところも出始めている。英語が喋れると世界中の人々と意思疎通できるので便利だ。そして小さな時から英語に慣れ親しんでいると、あとあと苦労しなくてすむ。いわゆるドメスティックバイリンガルというよなもの。きっと親がこれからは英語が喋れて当たり前。そして自分は学生の時英語で苦労した、海外旅行で恥ずかしい思いをしたなどの経験から小さい時から英語を習わせて…などと考えてのことだろう。

 けどはっきり行って英語なんて日本で何十年学ぶより、現地でもまれた方があっという間に身につくものだ。20代からでも全然遅くない。高い授業料払って英検受けるよりも、もっと他に払うべき箇所があるのではないか。

 そして何よりも僕たちは「日本語」を大切にしなければならない。それは僕たちは日本人であるということももちろんであるけれど、それ以上に日本語こそが天から与えられた素晴らしき言葉であるからだ。

 日本人は季節を眼や肌で感じるだけでなく、耳からも感じることができる。虫の鳴き声、風の音、そんなところからも日本人は季節を感じ、風流に浸ることができる。

 ではそれは何故かというと、日本語は母音言語であり、この母音言語の特徴として、母音言語を使う民族は、右脳の働きの一部を左脳でまとめて機能させてしまう。母音言語を使う民族は、日常的に左脳・右脳を同時に使って物事を認知するので、他の民族よりも、自然の音や気配、色彩がよりビビットに反応する。(AK ウィークリーレターVOL-319より

 ということもあるが、それよりも大切なのはこの日本そして日本語は「言霊(ことだま)」の国であり、言葉であるということである。言霊とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。つまり神様とつながるための言葉である。神というのが胡散臭く感じるならば天、あるいはより大きな世界、もしくはサムシンググレートでもいい。

 ちなみに終戦後GHQが日本の力が蘇ることを恐れて教科書に絶対に載せさせなかった言葉がこの「言霊」であるらしい。

 その言霊の宿る日本語を正しく教えずして、英語を優先するとは悲しいという以外にない。日本人の持つ力をそぎ落としているといっても過言ではない。

 僕たちは日本人であること、日本語を話す民族であることを過小評価しすぎなのだ。本当はすごいことなのだ。もちろんそれで傲慢になることはない。謙虚でいればいいい。けれどもこの天とつながれる言葉を話す者としての誇りは持っていたい。

 だからこの日本はこうして繁栄もしてこられた。そして歴史上で素晴らしき共生の時代をも作りあげれた国なのである。日本語の持つ力、そして繊細さ。どれもが素晴らしいもの。そのことを理解するとこの言葉をおろそかにはできないはず。

 もっと日本語を大切にしよう。そしてこの日本語を話し、自然と調和する能力を持つことに誇りを持とう!



 

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