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2012年4月25日 (水)

NOという子供たち

 新聞に大学で道徳教育重視という記事が出ていた。近頃は教室の備品を勝手に持ち帰ったり、試験中にトイレに行き携帯電話等でカンニングをしたりと、いろいろな場面でモラルの低下が見られるとのこと。

 近頃の学校って何を教えているのだろう。道徳って小学生の時に習うものだと思っていた。6・3・3の12年(6・6とかあるのだろうけれど…)、子供たちは何をしているのだろう。

 と思いつつも、僕自身を振り返ってみればもう20年前になるが、試験前にひたすらカンニングペーパーを作ったし、学校のトイレのトイレットペーパーを持ち帰ったことがある。それを思い出すと、僕はその先駆けだったのかとも思う。自称インディゴチルドレンの先駆け的人間としては…。

 けれどもそれでも大学で道徳は習わなかったが今こうしてまともに(?)生きており、一人前とは行かないけれども、人さまに迷惑をかけないように生きている。そう考えると今の大学生も20年後にはそれなりに生きているかもしれない…。

 こんな僕に言う資格がないのかもしれないのだが、そもそもこのような問題が出ること自体、教育のシステムそのものを変えなきゃいけないのではないだろうか。

 最近僕がよく耳にするのは僕の身近なところでも、子供たちが学校へ行かなくなった。不登校になったということ。先日もひとり不登校の中学生にあうことがあった。特に問題のあるような子でもなかったのだが…。

 僕が言えることは確実に子供たちは頭でなくもっと別のところで変化を感じているということ。インディゴチルドレンは社会の体制にNOというために生まれたきた。クリスタルチルドレンは聖なる存在、レインボーチルドレンはその生まれてきた使命を知っている神聖なる存在。そんな彼・彼女達は現在の教育に対して間違っているということを分かっているのだ。

 現在の教育が社会に会うために様々な試みは行っているのだろう。けれどもその教育は旧体制のものが根底にある限り、表面の改革だけでは意味がない。すなわちマインドコントロールされた教育。システムの中での従順・順応が根底にある限り、いくら個性を大切にすると言ったってそれは皮一枚の世界。

 金融・人間優先の化学技術経済となっている中の、一皮むけば人間のエゴがあふれだし、競争を善とし勝者のひとり占めが許される世界。そんな世界の中でそのシステムをベースにした教育にNOを突き付けるのは当然のことだろう。

 人間それはほんの小さな存在。そして僕らはまだまだほんのわずかのことしか知らない存在。しかしながら同時にそのひとり1人はかけがえのない存在であり、大きな存在でもある。そしてその人間もこの地球の中でこの地球によって生かされている存在。僕たちは地球のお世話をする係であり、そして共に生きていく存在。そこには眼に見えない微生物から、手のひらに乗る虫や小動物、そして人間の何倍もあるゾウやクジラまでもが生きている空間。

 あるいは何万光年も続く宇宙のすべての生命体の中にある、このひとつの空間。そしてこの次元。僕らは幾重にもの不思議な空間の中で生きている。その中でできることは祈ることであったり、感謝することであったり。

 もちろん時にはその謎を解くために切磋琢磨する。けれどもどんなにその謎をひとつ解こうが、次なる謎が現れる。僕らはそのような世界に生きているのだ。

 僕たちは真実を知れば謙虚にならざるを得ない。それが嘘に塗り固められたシステムをベースにおいている教育である限り、子供たちは反抗する。そして社会に“NO”つまりは問題を突き付ける。



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