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2011年12月

2011年12月18日 (日)

ここにもいた!

 入江富美子氏監督作品「1/4の奇跡~本当のことだから~」を観てきた。この映画は特別支援学校の教諭山元加津子さんのインタビューを中心にしたドキュメンタリー映画で命の持つ神秘や、生きる理由を題材にしたものである。
 この映画の中で盲目のアスリートの人が登場する。残念ながら名前を忘れてしまったのだが、この方はある時原因不明の病気で失明してしまう。いわゆる途中障害者なのであるが、この方のインタビューで「神様が願いをかなえてくれるとすると、ぼんやりとでもいいから成長した子供の顔が見てみたい。けれども目が見えるようにしてくれるといってもそれは断る。」という内容の答えをしていた。
 また多発性硬化症いう病気の雪絵ちゃんの話を加津子さんがするのであるが、雪絵ちゃんはその病気を抱えているからこそ得られる出会い、もの、感覚があることを話していた。

 以前やはり入江富美子さんが監督した「天から見れば」を見たときにも、両手を失った順教尼も画家の南さんも同様に、自分の障害を受け入れ自分の人生に幸福を感じていた。そして同じようにまた腕のない人生を選ぶと言っていた。

 僕はまたここにも同じことを言っている人がいるということで、衝撃を受けた。障害とは一般の人達から見れば、「何と不自由な事なのだろう、かわいそうだな、大変だな。」と気の毒に思う。けれども彼等はそれを受け入れ、乗り越え、幸せを感じ、その状態に感謝さえしているのだ。僕たちいわゆる5体満足と言われる人達で、そのことで幸せを感じ、感謝もする人達ってあまりに少ないのではないだろうか。かえって不満を述べていることの方が多いのではないだろうか。

 僕はかつて人間は誰でも本当は障害者ではないかと思ったことがある。それは人間誰もが(必ず)コンプレックスを持っている。例えば自分の容姿のことであったり、内面のことであったり様々だ。そしてそのコンプレックスというものがどこに現れるかで、障害者と言われるだけではないのかと思ったのだ。
 例えば下半身まひで生まれた。それが一般の人と違うから、身体障害者。臓器に異常(コンプレックス)がある。だから内部障害者。一般の人とは考え方が違う、行動が違う。だから精神障害者と言われるだけなんではないかと思った。そしてそのコンプレックを外の人から見て大きさが小さい人が、一般の人と呼ばれ、また健常者と言われているだけではないかと…。

 そして人間とはこのコンプレックスを克服することあるいは受け入れることができるようになるために生まれてきたのではないかと考えた。更にはそのコンプレックスを受け入れられた人が(生まれてきた課題を成し遂げたので)幸せになるのではないかと考えたことがある。

 外から見ると何でもないようなことが、本人にとっては大きなコンプレックスとなり、そのことによってその人は真っ暗闇にいるように感じることはしばしばある。僕も若き頃は今となってはどうでもよいことに悩んでいたこともある。そして今もコンプレックスを持ち悩んでいることもある。いわゆるコンプレックスあるいは障害は大きなのがひとつの人もいれば、小さいのが複数ある人もいる。
 けれどもどちらにしろ、それらを受け入れられて前に進めたときに初めて幸せとはやって来るものではないかと思うのだ。

 さてさて、世の中はこれまで秘密にされていたものがどんどん解明されている。そしてその解明されていることによって明らかにされていることは、「1なるもの」つまりワンネス、すべてはひとつということである。もしかすると宇宙は拡大期から収束期に入ったのかもしれない。これから僕たちはますます大いなる1つ(ワンネス)に向かっていくのだろう。
 

2011年12月14日 (水)

パラダイムシフト

 本を読んだり、ネットを見たりしていると、どう考えても2012年は大変な1年となりそうだ。やはり何と言ってもEUから始まる大恐慌。リーマンショックの時とは比べ物にならないものがやってきそうだ。それはアメリカへと飛び火し、日本へもやって来る。日本もいずれ国債のクラッシュ(デフォルト)が起こりそうで、日本も大混乱と陥りそうだ。
 そんな先も見越して投資家ジョージ・ソロスは農場を購入し、また農業関連に投資し食料の確保をしている。
 世界では食料の高騰が続いている。日本は円高によりまだその影響が出ていないが、もしこの円高が円安とに変われば、そして国債のデフォルトが起これば、日本の食糧事情は非常に心もとない限りである。
 それだけではなく、国債のデフォルトが起これば、日本のあらゆる機能が(一時的に)マヒを起こしてしまう。その時日本人は一体どのような行動を起こすのだろう。

 最近僕がよく思うのは、実は日本人は深層心理でこれらのことを感じているのではないかと思う。現在地方では地域おこしが活発だ。地域を元気にしよう、コミュニティビジネスを立ち上げよう、地産地消を進めようと、あちらこちらで旗揚げをしている。僕もそれに関わっている。
 そして農業に関しても、若い人たちの農業への関心も高まっている。今では山ガールならぬ、農ギャルもいたりする。就農者には数年間の所得が保障され、農業を続けていけられるような政策を施している(これにはよい意味と、悪い意味が含まれているが…。)。また有機栽培・自然栽培に注目が集まり、これまでの化学肥料・農薬漬けの栽培からの脱却が言われつつある。これって日本人は何らかの危機感を感じている証拠だろうと思う。

 翻って今政府を頼っているところと言えば、大企業。このままでは先はないのではないかと言いたくなるばかり…。税金を下げろとか、TPPの推進やら…。暗くなる話題は大企業からやってきているのだ。間違いなく大恐慌でまず白旗を上げるのは大企業だろう。つまりそれだけの人々が放りだされるということだ。

 さて来年はどうなるのだろう。思うに来年は未来を切り拓いていこうとする人々が飛躍を始める年となるのではないだろうか。地方にしてもそう、今設けることよりも、地域を元気にしたい。あるいは自分たちの故郷を何とかしたいとの想いをもつ人々が立ち上がろうとしている。いや実際に立ち上がっている。もちろん生きていくためには、現代の社会の中ではお金が必要で、悪戦苦闘しているけれど、それでも知恵を絞りながら進めている。
 これらの人達はきっと恐慌にも負けない人達だと思う。そして恐慌こそが彼らを前進させる力となるのではないだろうか。そしてこれらの人々が、大企業から投げ出された人々を救っていくようになるのだ。

 現在はこれまでの強欲資本主義の最後のあがきの時期だ。人々は未だにこれまでのパラダイムが手放せず、何とか継続させようとしている。しかしながらもうこのパラダイムは滅びるのが運命なのだ。そこにしがみつくか、それとも新しい価値観でもって、未来を切り拓くか、いずれかの選択が既に始まっている。

 新しい価値観を身につけましょう。お金やものから生まれる喜びや満足ではなく、共生できる、分かち合える喜びや感謝。そして新たな価値を生み出す喜び。そんな世界を創造していきましょう。



  

2011年12月10日 (土)

 アセンション

 日本人がもっている(いた)自然を愛する風習を考えてみると、、仲秋の名月を楽しみながら生きていた。月を見ながら団子を置いて祝い、そして酒を酌み交わす。これってすごく風流ではないか。春の桜の花見は今でもあるけれど、花見の仕方は今とはきっと違っていたのだろうな。夏の小川のせせらぎを楽しむ。冷やしたスイカにかぶりつく。散りゆく紅葉にはかなさを感じる。虫の鳴き声を聞いて秋の夜長を感じる。今の季節だと囲炉裏に炭をくべて、暖を取る。
 日本人ってなんて風流なんだろう。素晴らしい民族だし、すごい民族だ。それが今はどうしたことか…。僕たちはもう一度見直さなくてはならないのではないか。もう一度その優雅さ、おおらかさを取り戻したい。

 僕たちは今なんとおかしな時代にしがみついているのだろうか。我欲にとらわれ、「あれがない。これがない。」と言っている。手放してしまえばいいのに…。何をそんなにこだわる必要があるのだろうか。そんなものなくてもちゃんと生きていけるよ。人間が生きていく上で必要なものって本当はごくわずかなのだから。
 僕はアセンションしたいと思う。アセンションて世間では地球が次元上昇することといわれている。確かにその通りなのだろうけど、僕たちはひとつ肝心な事を忘れていまいか?それは「では、僕たちは今のままで(地球と一緒に)アセンションできるのだろうか?」ということだ。つまり、アセンションで5次元世界に行くということよりも、それより前に僕たちの意識がひとつ上の世界に行かなければならないのではないだろうか。

 僕たちは現在「争いと闘い」の次元にいる。世界を見てみるとまさに人々は争いと闘いの真っただ中にいる。一国のトップといわれる人が、他国を攻撃するぞと脅し、相手国もそれにやり返し、紛争ばかりが起こっている。争い、略奪、戦争そして分離。果たしてこの世界のままでいいのだろうか。
 そうではなくて僕たちはひとつ上の意識、分離から統合を目指す意識すなわちワンネスを目指していく意識社会に入らなくてはいけないのではないか。 ワンネスを目指す世界とは、子供たちにとってそれは驚きと喜びの世界であり、大人にとっては喜びと感謝の世界だ。もちろんそこには自然との共生が根本にあって…。自然を敬って生きていく、自然と共にあるという精神が根付いている。まさに月を見て喜び、花を見て感動するとともに季節を感じるという、かつての日本人がもっていた感覚であり、それを進化させたものであり、愛に包まれた世界だ。

 よしっ、僕はひとつ上の(意識)世界に行こう。僕はそっちの世界に生きよう。僕の意識はそれを決断しよう。もう争いと闘いの世界は卒業しよう。これからは毎日喜びと感謝に満たされて生きよう。人間考え方ひとつで世界は変わる。なぜなら意識が現実を創造しているのだから。
 だからニコニコとワクワクの世界を僕はイメージする。競争するのではなく分かち合うことを考える。支え支えあう世界を目指す。もちろん競争が面白い、エキサイティングだと思う人はそちらの世界でいればいい。その人にはその人の願う世界が用意される。
 僕は分かち合いの世界を選ぶ。地球は次元上昇に向かっていることは確実だ。想いが実現する時間もどんどん短くなってきている。だからそれぞれの人々の想いの世界が現実として現れるようになっている。パラレルワールドこの世界にはいくつもの宇宙が存在しているのだから。そしてあなたの目の前で起こっている世界はあなたの意識が造りだしたものだから。

 再度宣言するぞ。僕は喜びと感謝で生きていく世界を選択する。さあ、あなたはどちらの世界を選びますか?


2011年12月 7日 (水)

コンタクト

 僕のよく見る「In Deep」や新聞でも取り上げられていたが、太陽系外で地球と同じように液体の水が存在できる惑星を見つけたという記事が掲載されている。その大きさは地球の2.4倍。温度も22℃ということで快適ではないか。いずれ僕たちの移住地候補になるのかな。

 さてこれらの記事は一体何を意味しているのか。「第2の地球」探しということで、僕たちはそこに生命の可能性を期待する。生命すなわち僕たちが期待するのはまずは人が住める場所であり、緑あふれ小川が流れ…そして最終的には宇宙人の存在である。

 実はNASAは既に宇宙人の存在を知っているし、コンタクトを取っていると僕は思っている。けれども、それをいきなり、一般の人間に知らせるとパニックに陥ってしまう可能性がある。だからこうして少しずつその存在を期待させる、そして徐々に慣れさせるためのモノの提供を行っているのだ。だから今回の発表も一般の人間への「慣らし」の第2弾か、3弾ぐらいではないかと思うのだ。
 ハリウッド映画は未来に起こる出来事(これから一部の人間が画策している事件)を人々に知らせるため、(慣れさせるために)使われていることはよく言われている。テロリズムの映画も戦争映画も大衆へのプロパガンダとして使われる。
 そして最近よくつかわれるのが、宇宙との関係。もうずっと前からのことであるが、宇宙人とのコンタクトはしばしば題材に取り上げられるし、最近は特に地球崩壊のテーマが取り上げられていることも多い。もちろんその中には純粋にエンターテイメントとして作られたものもあるのだろうが、人々へのメッセージとして作られているものも多いはずだ。
 2012年が間近に迫りつつある現在。映画「2012年」もそうだし、先日テレビ放映された「ノウイング」もそう。そしてEUの金融不安。イスラム諸国の状況等、来年に向けての不安を煽る要素は事欠かない。

 そんな中で僕たちはきっともうすぐ、宇宙人の存在を告げられる。いきなり宇宙人そのものが出てくるのか、それとももう少し慣れささせるという意味で、単細胞生物のようなものから知らせるのか分からない。けれどもその存在を知らせる速度はどんどん速くなっている。そのための設備は整い、機運も上昇している。

 だからUFOが現れ、そこから宇宙人が降りてくる様子を僕たちが現実としてみるのは、そう遠くはないはずだ。できればその時友好的な宇宙人であってほしい。人間が意識を大きく向上できる、あるいは地球をもっと大切にしたいと思えるような出会いであって欲しい。

 僕たちはいよいよ宇宙時代を迎えようとしているのだ。この3次元の世界としての宇宙の接近。そして5次元の世界での宇宙の接近。どちらもワクワクする。どちらにしてもキーポイントは僕たちの意識の向上にあるに違いない。
 おっかないエイリアンに遭遇するか、それとも心やさしいETに遭遇するのか、それは僕たちの心がけ次第なのかもしれない。

心のレベルを向上させましょう!!


2011年12月 4日 (日)

3つの力

 山田恵諦さんという今は亡くなられたがかつて天台宗の座主だった人がいる。その山田さんの話しの中に、人間がひとつのことを成功させるために必要な「3つの力」というものがある。
 その必要な力とは
1.自己最大の努力
2.周囲の援助
3.神仏の加護
の3つで、この3つの力がそろわないと、ものごとはうまく進まないそうだ。逆にうまくいくことは、たとえ自分が気がつかなくても、あるいは自己の力だけだと思っても、3つの力が備わった結果であるとのことだ。

 最近このことが僕の中でようやく分かって来たような気がする。確かにこの3つが揃わなければ、ものごとはうまくいかないのだ。
 今日仕事のひとつが終わった。講演会を開催したのだが、決して自分だけの力でできたわけではない。参加してくれた人々みんなの援助があり、そして講演をしてくれた先生方の協力、そして講演を手伝ってくれた人々みんなの力があり、そして僕は朝神仏に力を貸して欲しいと願った。もちろん僕もこの講演会を開くためにあちこちを駆けずり回った。
 これらのどれか一つ欠けていても、今回の講演会はうまくいかなかった。今日一日を振り返ってみると改めてそう感じる。

 かつてはひとりで生きていけると思っていたけれども、今ではどれ一つとても僕ひとりの力ではないと思える。いろいろな人がいて、色々なところで支えていてくれる。見える人、見えない人。そして見える力、見えない力。それぞれが相互作用し、ものごとを成り立たせている。
 驕り高ぶってはいけないなと改めて感じる。僕らひとり1人がいろいろな力で支え、支えられているのだ。

 この山田恵諦さんの話は「大愚のすすめ」(大和出版)の中にあり、もう10年以上前に出された本であるが、山田さんの人生のエキスが詰まった本である。かつては読んで感動はしたけれど、山田さんは柔らかい人だなあ。と感じるだけで終わってしまっていた。まだまだ僕は当時の山田さんの半分も生きてはないけれど、それでも少しその意味が分かって来たような気がする。「珠玉のことば」とはきっとこうして自分の中にしみじみと溶け込んでくるもののことをいうのだろう。僕も年を取ったものだ。

 それでもまだまだ僕には学ぶべきことがたくさんある。イコールそれは成長できるってこと。まだまだ僕の学びは尽きない。僕の魂は今回の人生でどれだけのことを学ぼうと計画してこの世にやって来たのだろうか。計画の半分ぐらいは既に達成されたのか、それともまだ1/3程度なのか…。表面の僕には分かりはしないけれど、前進していることは間違いない。そして今日ここにいる僕自身がその計画の実行者である。まだまだドヤがおすることはできないけれども…。

 この先も学びの連続だろう。どうせ学んでいくならば、ニコニコ、ワクワクして学び、そして生きていきたいものだ。そやっ!意識の力でそうしよう!!


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