« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月29日 (火)

 最近は「縁」を感じずにはいられない毎日を送っている。縁が縁を呼びつながっていく、そんな連続である。

 今日から12月、今年も残り1ケ月と言うこともあり、まだ早いかもしれないがふりかえってみれば、今年の2月からずっと「縁」によって僕の生活も仕事も成り立っていることを感じる。

 正直僕は今年の1月までは「縁」などということを感じたこともなければ、感じようとも思わない日々を送って来た。いわゆる一匹狼的生活を送っていた僕には「縁」など頭の片隅にも置いたことがなかった。
 けれども2月からはそれががらりと変わり、僕は人の支えと手助けによって生きるようになった。何が起こったか。何も起こってはいない。ただ僕自身が違う生き方をしたい。あるいは人の役に立つ生き方を望んだだけだ。

 僕は1年ぐらい前に「僕がやりたいことはやってしまった。」と感じた。その前に僕の中の外の世界を体験する時代、内なる精神を感じる時代が終わり、次はそれらを統合する時代だと思っていたのだが、いつの間にかそれよりも、世の中の役に立つ生き方をしたいと思い始めて今日に至る。
 けれども世の中のあるいは人の役に立つという生き方も、全く僕自身を自己犠牲をしている感覚はなく、どちらかと言えば好きな事をしている、その延長線あるいは重なりに役に立つ生き方があり、楽しみながら生きているという感覚だ。もちろん仕事としてやるからには嫌な事もある。緊張したり、不安に駆られたり、気が重たくてかなわないこともある。更には血尿もでた。石も詰まった。それでも、好きな事をしているという感覚があるから続けていられる。だから「好きな事をする。」ということはこんなに素晴らしいものなのだという感覚でいる。

 そしてそこに縁があり、その縁がまた次なる縁を呼びこんでくるという感じだ。ああ僕はどうしてこれまで「縁」というものを大切にしてこなかったのだろうといまさらながら思う。もっと早く気が付いていればどれだけの縁に巡り合っていたのだろう。
 けれども今だからこそ「縁」に気がついたのだろう。それがタイミングだし、すべてが必要、必然、ベストなのだろう。ようやくそのラインに立てたのだ。だからこの先僕が意識すれば、もっともっとたくさんの縁がやって来るのだろう。
 「縁によって生かされる。」なんだかいい言葉だ。僕はこの先縁によって生きていこう。そして世の中の役に立つと思われることをやっていこう。それが僕が楽しく生きること。ワクワクしながら、ニコニコして生きていく方法なのだろう。

いつもの繰り返しとなるが、意識が現実を想像する。

 実は僕は昨日までの約1週間、色々な不安に苛まれて、気分不快な状況に陥っていた。それが昨日僕の抱える不安を振り切り行動に出てみると意外と物事がスムーズにいった。その時に僕は気がついた、僕の中の妄想が更なる妄想を生じさせ不安の拡大へとなっていった。そして僕はその不安に押しつぶされ、現実として不安の中に生き、嘔吐するという状況を作り出していた。

 結局人間はその世界を自分自身が造り出しているのだ。誰のせいでもなく自分自身なのだ。もちろん集合意識というものはあるのだろうが、その集合意識の負(ネガティブ)の面が降りかかるか、あるいは正(ポジティブ)の面がやってくるかは、自身の意識次第なのだろう。

 意識次第でどのような現実が生じるかが決まる。そしてどのような「縁」に巡り会うかも決まる。だから僕たちは意識に注目すべきなのだ。そしてその意識も今現在の意識に注目しすること、それがその先の未来を造り出していくのだ。場合によって意識次第で過去さえも変えられるかもしれない。そうそれは自身がどうそれを評価するかということ。

 どうせ意識するならニコニコ、ワクワクの意識がいいじゃないか!! そのためにも今現在をニコニコ、ワクワクしよう。
 今のあなたはどうですか?

2011年11月26日 (土)

ニコニコ

 先日前の会社の子にメールを出したら、会社のよくない状況を刻々と説明をした、(怒りの?)メールが帰って来た。そこで大変だねと書きつつ、その現実をつくっているのはあなた自身(あなたの意識)だよ。と書いたメールを送ったら、それ以来連絡が途絶えてしまった。
 このことを最近いろいろと教えてもらっている方に話しをしたら、「それは(意識が現実を創造することを知らなければ)私でも怒るわよ。」と言われた。そうか。世の中はまだまだこのことは認められていないのだと改めて感じた。

 けれども僕は今意識が現実を創造していることをある意味確信している。というかかなり腑に落ちた。ああ現状がこうあるのは僕自身がそう望んだからだと、思えるようになってきた。
 表面というか表層意識では、こうなって欲しいと思っているのに、そうならないこともある。けれどもそれは深層意識ではそうならないようにと思っているのだ。顕在意識と潜在意識では違うことは多々ある。だから自分自身の心をじっと見つめてみればそこにNOと言っている僕がいたりする。

 ただし、意識の問題だけでなく、そこには魂が関わっていることもよくある。魂は僕たちがこの肉体をもつ前に、どのような人生を送るか決めているので、それに反することに対して、不快な気分をもたらしたりして、何らかのメッセージを発する。そうすると表層意識、深層意識そいて魂の関係を加えるととても複雑となってしまい、現在の僕では理解不能となってしまう。

 けれども最近、脳と心と魂のこの三つが一致していれば一番よい(うまくいく)のではないかと思う。そしてそれを実践するには瞑想が一番いいのではないかと思うのだ。

 と、理論を考えることは簡単だ。しかしながら実践するとなるとなかなか難しいものがある。意識が現実を創造しているのだと思いつつも、ついついネガティブに考えたり、不安に思ったりする僕がいる。僕の悪い癖…。
 進化するためには、この悪い癖から抜け出す必要があるのだろう。そのためにはまずはそれを認め受け入れること。そこから始まる。
 
 世界は益々想念が現実となるまでの時間が短くなっている。だからワクワクすることをし、常にニコニコしていることが必要なのだ。

 今読んでいる本「ムーからのスピリチャル・ビジョン」(ヒカルランド)の中にイエスは笑い、遊び、冗談を言っていたと出てくる。ついつい僕たちはイエスは真面目な顔をして愛を説いている姿、あるいは右の頬をぶたれたら左の頬もぶたれなさいと真剣顔をした姿を思い浮かべてしまう。けれどもイエスも弟子たちや村人と共に笑い、水辺で一緒に水の掛け合いっこをして、そして食事をしながら冗談を言っていたと思うと、なんだか違った世界を想像出来て楽しくなってしまう。きっとイエスだけでなく弘法大師空海も冗談を言い、笑い合っていたのだろう。世の中の真実を知っているものはきっと、ニコニコしながら過ごしていたに違いない。

 だから僕もニコニコしながら過ごしていくことを心がけよう。「笑う門に福来る。」とは真実なのだ。


 

2011年11月23日 (水)

地球は僕らの味方である

 ~地球は僕らの味方である~。こんな言葉が車を運転していると思いついた。
 今地球は目覚め次元上昇しようと大変革期にある。そのために地震、洪水、異常気象等様々な災害が発生している。これは見方によっては地球の浄化機能が働いているようにも見える。けれども本当は地球は人間の意識を上昇させるために、あるいは人間にもっと考え方を変えさせて平和な世界づくりをさせるために、変革を促しているともいえる。

 福島原発から飛び散らされたプルトニウム。その半減期は2万4000年もの歳月を必要とする。けれども半減期とはもしかするとその元素自体が無毒化しようとする自浄作用かもしれない。人間はそれほどまでに時間のかかる有毒なものを作り出してしまったのである。

 自然界はそもそも、人間に対してよしとも悪しきとも言わない。ただあるがままに存在している。それは時に人間にとっては不幸な出来事となる場合もあるが、その中から人間はあらゆることを学んでいく。この世とは学びの世界以外の何ものでもない。僕たちはこの世界にいる間すべてが学びなのだ。

 しかしながら人間は自然災害を悪ととらえ、それを克服するために、地球を破壊していくという道を選んでしまった。それは結果的に地球との乖離という事態となってしまった。

 今地球は人間に新たな促しをしている。それは「進化するか再び一からやり直すか」の選択である。一緒に共生・共発展していく平和な世界を築いていくか、あるいは再び原始時代に戻りやり直してみるか。すべては僕たち自身の選択にかかっている。それもまた地球はどちらがよしとも言わない。「どちらでも地球は付き合いますよ。」というスタンスだ。なぜなら地球は人間の味方であるから、人間と一緒にいようとしてくれているのだ。そしてその選択肢の一つとして次元上昇を提示してくれている。

 パラレルワールド~僕たちは僕たちの意識する世界でもって現実を創造している。そこにはひとり1人の地球が存在し、また集合意識としての地球が存在している。そこにはまだまだ謎がいっぱいではあるが、最終的には僕たちの意識する世界が創造されているのだろう。

 さて僕たちは地球とどう手を取り合い、この先の未来を創造していくのか。地球はそれを見守っているに違いない。そして時に選択を促すための、アクションをおこす。

 見えるもの、見えないものそれぞれが促している。そして共存している。進化するか、それともやり直すか。すべては僕たちの意識にかかっている。

 僕個人は進化する道を選ぶ。そしてその仲間を募り、一緒に新しい世界を創造していきたい。地球も人間もそして宇宙もすべてが共生・共発展できる世の中を目指して、進化するために自分が何ができるかを意識する。


2011年11月19日 (土)

想う

 個人的ながら今日は僕の〇回目の誕生日である。(隠すほどのことでもないのだが…。) 思えばよくもまあ今日これまで生きながらえてきていることで…。僕ひとりの力で生きてきたことではないのは確かなことであって、どれだけ多くの人々に支えられてきたかと思えば、それは数えきれない、星ほどの数であり…、その中で僕はどれだけの人に何かをしてきたかと思えば、恥ずかしい限りであって。そんな中これからの日々をどう生きていくかと、新たに想う今日という日だ。

 最近子供は両親を選んで生まれてくることを知った。そして本日新たになぜ僕は今の両親を選んだのかということを考える。なんとなく分かるような、分からないような…とにかくそこには理由があるのだろう。そして間違いなく僕自身が選んだのだと。だから今のこの新たな発見の日々がある生活ができているのだから。そういう意味でも感謝の賜物である。まだまだなぞは解けはしないが、それでも一生をかけて見つけていくことだろう。

 そしてこれまた数日前のこととなるが、中矢伸一さんが主催する日本弥栄の会の10月1日付の今週のひとことを読んでいると、コルマンインデックスの統合意識のことが書かれてあり、統合意識とは「何気ない日常生活の中で、充足感や幸福感に満たされることなのだそうです。」と書かれてあった。
 これって僕が日々求めているものではないか。僕はかつてお遍路の巡礼をしていた時に、最後には誰にでも行きわたるお遍路のご利益とは「お参りできることがありがたい。」と感謝できることだと思った。そして今目指しているものは日々の生活に感謝することなのだ。
 残念ながら日々の生活に感謝して生きているとはまだまだ言い難い。それを切望している段階であり、反省だらけの毎日である。それでもこの生活は意識の統合に向かっていると思えば、励みになる。

 僕は進化したい。進化して新しい世界を、この身の僕で持って感じてみたい。それがどのような世界なのか分からない。でもきっと充足感や幸福感に満たされた世界なのだと思う。そんな世界を味わうことができれば、これ以上の幸せはないのでないかと思う。
 でもその世界は確実に近付いてきているように思える。地球が今進化をしようとしているのだから、それに合わせて人間も進化していくはずだ。なぜなら僕達は地球と一心同体のようなものだから。もちろん人間はこれまで多くの間違いも犯してきた。けれどもそのことは多くの人間が気付き始めた。だから本当はこの流れを止めてはいけないのだ。僕らは新しい時代へと歩みを進めなければならないのだ。だって「充足感と幸福感に満たされる」って素敵じゃないか。きっと見えない世界の存在の人達も応援してくれるはず。

 だから意識を進化させましょう。そうイメージしましょう。
 「意識が現実を創造する。
 少しでもそういう仲間が増えていくことを願って、これからまた毎日を生きていこう。


2011年11月13日 (日)

学び

 11月に入り、僕はどんどん新しい世界に入っていることに気がつく。コルマンインデックスでのマヤ歴が終わり、右脳と左脳が統合されていくそのせいもあるのだろうか?それともただ単に僕自身の生活の中で新しいことにチャレンジする機会が多いだけなのだろうか。どちらとも判断はつきかねるが、新しい世界を体験することで、僕自身の発見が続いている。
 ワークショップを初めて開催した。大学の授業の一環として学生からインタビューを受けた。そして僕自身が企画した授業のコーディネイトをした。これらを通じていろいろな自分が見えてきた。見えたといっても僕自身の不甲斐なさに気がつくことがほとんどなのであるが…。
 ああ、なぜあのタイミングでもっといい言葉が出てこないのだ。ああ、なぜもっと分かりやすく説明できないのか…。僕の実態とは何なんだ!! 反省すべきことが次から次へと浮かび上がって来る。

 これまでの僕は右脳で生きてきた。なんとなくとか、ピンときた、あるいは瞑想の最中に浮かんできたという、直感的要素で感覚的に生きてきた。僕はそれらを自分の中では言語化したとしても、それらを外に向けて、言語に変換することなく生きてきた。
 だからいざ他の人に発信しようとしても、それを言語化して発信するというすべをもっていない。伝えようにもうまく伝えることができない。そのすべを学んで来なかったのだから。唯一僕は割と本は読む方なので、文章化することはしているが、さりとてそれもこのところあまり自信を持っていない。ここ数年は特に右脳だけで動いてきたような気がする。

 コルマンインデックスでは右脳と左脳が統合され新たな領域に入っていくようになっているのだが、僕の場合今のところ左脳が追いついておらず、右脳に傾いているという、傾きながらの発進状態だ。果たしてバランス良く飛行できるようになるのだろうか。
 けれども傾斜飛行の中にもかかわらず新しい自分が生まれてきているのは実感できる。そしてこれを続けていけば、これまでにない自分ができてくるという予感はしている。(これまた右脳的感覚であるが…。)

 人間同じことを続けていくことは、慣れとなり、慣性となり、そこにしがみついていくようになる。単調と思いつつも、それが楽となる。そして未知なるものに不安を抱くから、同じところにとどまろうとする。けれどもその思いを振り払い、新しいことに挑戦していくことによって、新たなる発展への道が開かれる。
 それをどう評価するか。他人はいくらでもいかようにでも批評する。批評・批判することは簡単だ。でも本当に大切な事は他人の評価ではなく、自分自身の成長ということになるはずだ。なぜなら人間の目的は如何に成長していくかにあるからだ。つまり自分自身がどう思い行動し、そして評価するかが問題なのだ。

 魂はこの世界で学び成長するために肉体に宿った。この不自由な(?)3次元に降りて来たのはその不自由さの中にこそ、大きな学びがあるからこそだ。だから僕たちは魂の学びを考えていく必要がある。如何に魂が成長するか。それこそが魂の喜びとなる。魂自体はそのことを知っているのだが、魂は決してそのことを言わない。(そのことを言語化しない。)

 僕たちは今学びの大きな転換期に来ている。この世の仕組みがどんどん明らかにされている中で、これまでの生き方、考え方の変化を迫られている。それなのに僕たちは旧世界に慣れ親しんでしまい、そこから抜け出そうとせずにいる。だから社会は行き詰まりへと向かっているのだ。
 慣れ親しんだ世界から離れていくことは不安に駆られる。新しい世界がこれまで以上に良い世界かどうかは誰にも保障できない。けれどもその新しい世界をいかようにするかは僕たち自身なのだ。僕たち自身が創造していくのだ。そう実は僕たち自身の意識次第なのだ。不安の中にいたままでは、その不安から現実が創造されてしまう。かく言う僕自身不安でたまらなくなることもある。

 しかしながら唯一の救いは3次元世界の中では、それが現実化されるまでに時間がかかるということだ。だから僕たちはそれを修正できる時間を持てている。けれども現在地球が目覚め3次元から5次元へと向かおうとしている中で、その現実化される速度は早まってきている。だから僕たちの思考が現実へと創造される時間も早まっている。僕たちも本当はそのことを意識して対応していかなければならない。つまりはなるべく不安を抱かないようにすること。あるいはワクワクするということを基準に行っていくということだ。
 好きな事をやっていく。そしてその中から魂の成長できる要素を加え、学んでいく。これが新しい時代の適応だ。
 銀河系の中で地球はいよいよ電気的空間の中へ突入しようとしている。あるいは覆われつつある。その時にどのような世界にしていくかは僕たち自身の選択次第となる。
 天国世界を築きあげるか、あるいは争いだらけの世界とするかは、僕たちの意識次第なのである。今がその調整のチャンスだ。しっかり自分の意識の調整をしておきましょう。


2011年11月 4日 (金)

自然の力

 前回「いのちの林檎」について書いたが、他にも思ったことがあるので書く。映画の中で「奇跡のリンゴ」の木村さんはリンゴの木一本一本に話しかける。「大丈夫か?」とか「がんばってくれてるな。」などと言いながら必要のない枝を切り落としたりする。そしてリンゴの木一本一本に「ありがとう」と声をかけている。
 木村さんは言う。リンゴは人間が作っているんじゃない。リンゴの木が自らリンゴを作っているのだと。人間はただそのお手伝いをしているだけだと。

 実は僕もみかん作りを始めてそう思うのだ。みかんは人間が作っているのではない。みかんの木が大地から水分を吸い上げ、光をエネルギーと変え育っていくのだと。そして人間はそれらのお手伝いをしているだけであると。
 僕はみかんの木1本1本に意識があると思えて仕方がない。けれどもみかんの木は一つの生命でありながら、葉や枝はそれぞれに働いていると思うのだ。それは人間で言うなら髪の毛や爪のようなところがあると思うのだ。つまり髪の毛や爪は人間が意識してのびるのではなく、自然とのびてくる。だから途中途中で切るという行為をしなければならない。同じようにみかんの葉や枝も成長を求めて自然に伸びていく。しかしながら一本の木全体から見ると、それは最適とは言えない状態となっていく。しかしみかんの木だけではそれをどうすることもできない。そこで初めて人間が手を貸す必要が出てくるのだ。その木にとって快適な状態にするという、木のお手伝いをするのだ。
 また木には意識があるので、「ありがとう」という言葉にも反応する。お礼を言われて木も気をよくして、「がんばろうか。」って思うのだ。そしておいしいみかんを作ろうと思ってくれるのだ。もしこれが不平不満ばかりみかんに言っているとその果実はきっと甘みの少ない、酸っぱいだけのみかんとなるに違いない。

 土がみかんの根幹を育てる。もっと言えば、その土の中の微生物たちがみかんの根っこを刺激し、根っこを延ばさせる。その土はミミズなどに加え、微生物たちが柔らかくし、根っこを伸ばしやすい状態にする。それは木村さんが発見した(気がついた)山の土の柔らかさである。
 そして太陽の光が、みかんの葉っぱの葉緑素と光合成をし、エネルギーに変える。大地の力と天の力。そのふたつの力が合わさり、みかんは育っていくのだ。そこに人間がより快適な状態となるよう手伝いをする。これがみかん栽培の循環システムだと思う。

 しかしながらそこに化学肥料が入って来る。微生物はそれが直接体に当たるので、その土の微生物は死んでしまう。するとみかんの根っこは水分と共にその化学肥料を吸収するが、それはある意味異物である。そして必要以上に吸収されていく。だから虫がつくのだ。自然はあくまでも循環システムを守ろうとする作用が働くだけなのだ。
 これが有機肥料の場合、それはみかんの木に吸収されるのではなく、微生物の餌となる。だから微生物が増え増えていき、土を柔らかくする。そしてその微生物が根を刺激し、根は伸びると同時に、水分を吸い上げようとする。
 もちろん有機肥料が過多の場合は循環にステムに狂いが生じ、そのためもとにもどそうとする自然の作用が発生する。すなはち異常が発生する。
僕なりの推測である。

 実はこれはみかんだけでなく、リンゴもそうだし、楠、杉などの木々もそうであるし、植物すべてに言えることである。

 僕は不思議に思えて仕方ない光景がある。それは公園にある、桜、梅、、楠、イチョウなどの木々である。人々は木々の葉っぱが落ちるたびに、掃除をする。そして一年を通して地面はいつもきれいな状態となっている。

続きを読む "自然の力" »

2011年11月 2日 (水)

化学物質過敏症

 「いのちの林檎」というドキュメンタリー映画を見てきた。この映画は早苗さんという重度の化学物質過敏症の女性と「奇跡の林檎」の木村秋則さんらを追ったドキュメンタリーだ。
 早苗さんは子供のころはごく普通の元気な子であったのだが、家族がマイホームを購入し、移住後シックハウス症候群となり、そこから重度の化学物質過敏症となっていく。今では道行く人のタバコのにおいや、上空を飛ぶ飛行機の低周波にも過敏に反応し、発作を起こしてしまう。そしてほとんど自家製の(化学物質の入っていない)安全なものしか食べることができない。
 その発作の様子はカメラに何度も撮られており、その苦しげな姿が映されるたびに、僕は何とも言えない気持ちとなった。
 映画の中で早苗さんはある日突然水が飲めなくなった時の話をする。4日間水が飲めない状態のなか、家族がようやく見つけたのが、木村さんの自然栽培のリンゴだ。それを一口食べたときに早苗さんは蘇る。早苗さんはいつか木村さんのリンゴ農園に行き、お礼が言いたそうだ。

 現代科学はその発達とともに何千万種類の化学物質を作り出してきた。そして今や化学物質が入っていないものはないといってもよい状態だ。かつてはそれは人間の生活を豊かにするものとして生み出されてきたのだろう。しかしながらいつの間にかそれは大地を汚し、そして人間の生命をも脅かすものとなって来た。
 にもかかわらず化学物質は日夜生み出され、大量に僕たちの生活に、そして体内に取り入れられている。そこにあるのは、企業の利益の追求とそして人間のエゴである。
 かく言う僕も、今や化学物質とは切っても切れない生活をしているし、ある意味それで生活を楽しんでもいる。だからすぐさま化学物質を廃絶せよとは言うことができない。けれどもなるべくそれを減らしていきたいと思うし、地球にそして人間の精神や身体に害あるものは極力使わないようにしたいと思う。

 僕たちの生活は今や様々な面でマインドコントロールされている。テレビのコマーシャルで如何にもよいものとして宣伝され、それを僕たちは鵜呑みにする。そこには当然ながら化学物質だらけのものが、僕たちの生活の質をよりよくするものとして登場する。いくら今回の原発事故で電力会社の嘘が暴かれようが、まだまだ僕らはマインドコントロールでがんじがらめだ。ひとつひとつほどいていかなければ…。

 早苗さんは現代社会に対するひとつの警告であり、象徴なのだろう。きっとその目的を持って生まれてきた女性なのだろう。発作に日々襲われながらも、粒粒の小麦を手に取り、それを臼で引く。あるいは奇跡の林檎を味わう瞬間を「幸せ」という。先日見た「天から見れば」に引き続き、ここにも幸せを見つけ出す人がいた。
 そして早苗さんのそばには、彼女を守る母親がいつもいる。前回書いたがここでもやはり早苗さん(子供は)は、親をきっと選んで生まれてきたのだと思えた。

 ところで僕たち日本人は江戸時代に農薬も使うことなく、化学物質を使うことなく、人口100万の都市を築いてきた民族である。しかもそれは循環型都市という、当時の世界のどこにもないハイレベルなものである。そしてその識字率、礼儀、優しさなど民族レベルは、諸外国の人々が驚くばかりのものであったそうだ。
 現代科学は何も悪いものばかりではない。その発展は人類の発展に寄与してきた部分も数多くある。そのおかげで僕たちはこうして長生きできるようにもなっているし、飢饉に見舞われることもない。(その分諸外国で苦しんでいる人々もいるが…。)
 だから僕たちはかつての精神の取り戻しと、現代科学のよき部分を掛け合わせていくことをしていくべきなのだ。それを時代も地球も、そして見えない世界も後押ししてくれている。
 時代の変化は益々急速になってきている。けれどもそれはこれまでの間違った世界への世直しの風であり、天の理に随う流れの中に入ろうとしている過渡期を象徴するものだ。

 僕たちがすべきことは、心の中を見つめ直し、少しでもきれいにして、そしてすべてが共生していく世界を目指していくことだ。まずはその意識を見覚めさせることが必要だ。

 蛇足ながら、僕は今年から無農薬みかんの栽培を行っている。残念ながらまだ無肥料とまではいかないが、目指すは安心・安全そして元気の出るみかん作りである。そしてもう一つ掲げたのが、化学物質過敏症の人も食べられるみかんだ。
 この映画を見て、化学物質過敏症の人がこれほどまで過酷とは思わなかった。早苗さんのような人が安心して食べられるみかんができるまでにはまだまだ年数がかかりそうだ。一瞬「こりゃ大変や。難しいわ。」と、くじけそうにもなったが、できると信じてやっていこう。現代科学の力特に微生物の力でなんとなく予想以上に早くできる気もするし…。その日が来た時のイメージを膨らませ、5次元化思考作戦でやっていこう。



ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。


2011年11月 1日 (火)

まじめにスピリチャルと合体

 「子供は親を選んで生まれてくる。」ってことを信じますか?
 僕は最近このことを本で読んだり、人から聞いたりしたのだが、先日どうも本当だなということに出会った。
 それは障害者の自立支援のNPOを立ち上げ、障害者も働くレストランをオープンしている人に出会い、話を聞いたのだが、そこでピン!!と来てしまったのだ。

 実はその方の子供は障害を持っているらしく、それがきっかけで、その方は福祉のことを学び始めた。そして福祉の現状を知り、もっと障害者も自立できる仕組みを作りたいと思い、そして考え付いたのがそのレストランだ。そこは障害者も働いているけれども、如何にも障害者が働いていますというような雰囲気は全くなく、ごく普通の…というよりも先進的なレストランだ。
 まずはバリアフリーとしてスロープがあり、車椅子でも入れる設計がされているのであるが、それがさも当たり前というか、普通に存在しているのである。
 そしてそのレストランでは3名ほどの障害者が働いているそうなのだが、僕は全くそれを感じることはなかった。もちろん僕はそこが障害者自立支援のNPOとしてあることを知っているので、どこかで障害者が働いていることは知っている。おそらく厨房かな(?)とか、この食器類は和風の弁当風な容器となっており、障害者でも洗えるように工夫しているのかなと、考えることがあったが、普通の人ならそこまで考えることはなく、このレストランの特徴とだけ理解するだろう。

 そして僕が何よりも驚いたことはトイレに入った時だ。そのトイレはやはり障害者が使用できるように設計されていた。当然と言えば当然のことなのであるが、そこは障害者向けのためのトイレというのではなく、一般者も障害者も一緒という雰囲気に作られていたことだ。しかもデザイン的にも美しかった!
 とにかくそこは障害者も健常者も一緒です。それが当たり前という雰囲気があふれているのだ。決してそれは押しつけではなく、あくまでもおしゃれで、人々が楽しくおしゃれに食事ができる場所なのだ。レストラン自体のデザインもすごくおしゃれだ。カップルで行っても全然okな場所だ。
 僕がレストランを訪れたのは平日の12時過ぎだったのだが、、子供連れのママさん達のランチタイムの場所ともなっており、すごく賑わっていた。

 ソーシャルインクルージョン、あるいはインテグレーションという言葉がある。これは僕が10年近く前に社会福祉士の資格を取ろうとしていた時に、授業で出てきた言葉だ。障害者も一般者も区別することなく、それが当たり前であること。例えば、ショッピングセンターに行くと、男女のトイレと、障害者向けトイレとに分かれているが、男女のトイレのどれもが障害者も使えるような設計であれば、そこに一般者と障害者のわけ隔てはなくなる。そんなふうに習った。そのときの記憶が僕の中で蘇った。

 そして僕は、その方から障害者を持つ母親として、障害者が自立していくことを考えて始めたということをきき、僕はその人の子供が、その人にその行動を起こさせるために生まれてきたのではないかと思った。

 僕は人間はなぜこの世に生まれるのかというと、「成長するため。」と第一に答える。人間は不完全な存在である。だから少しでも完全となるようにいろいろな経験を積み成長していく。だから人間は生まれてくるのだ。もし人間が完全ならばこの3次元という不自由な世界に生まれてくる必要はないはずだ。
 おそらくその子は母親を選び、母親に成長するきっかけを与えたのだろう。そして自らも成長するために、その(障害を持つという)ポジションを選んだのだろう。そんなふうに思う。

 最近僕は思うようになった。子供がもし親を選んで生まれてくるならば、僕はなぜ僕の両親を選んだのだろうかと。そこにはきっと理由があるはずだ。そう成長するための理由がきっとあるはずだ。そういう意味で考えてみることも秋の夜長にはいとをかし…。


 ちなみにこのお店は愛媛県北宇和郡鬼北町にある手作り菜宴あ×うです。その田園風景が心和む小さな町に、この素敵なレストランはあります。食事も町の風景にも癒されます。もちろん地産地消。


« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »