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2011年10月12日 (水)

海外旅行からスピリチャル旅行へ

 円高により海外に出掛ける人も増えていることだろう。海外旅行に出かけバカンスを楽しむことはよいことである。日頃のストレスを発散し、リフレッシュしてまた新たな日々に臨む。バカンスの効用の一つである。

 しかしながら見えない世界からすると海外に出るということの目的は、「日本がいかに恵まれているか。」ということを知ることだと思う。そしてそのことを「ありがたい」という気持ち、すなわち感謝の念を持つことである。

 僕は年を追うごとに強くなる思いがある。それは「日本という国は素晴らしい国である。」ということである。いくら政治がダメで日本をリードすることができなくて、日本が落ちぶれていっているとしても、アメリカのポチとなってズルズル泥沼に道連れにされていようとも、日本は素晴らしい国であり、日本人はすごいのである。日本は世界のへそであり、地球の神聖なる領域に位置する国としか思えないのである。当然そこに集まっている人々はすごいのである。

 ところで世界の国々でなぜ貧富の差があるのか、それはもちろん一部の人々の政略によるものでもあるが、僕らはそれによりそれぞれの思いを持つためであると思う。例えばお金持ちの国の日本人がアフリカにある貧困国と呼ばれる国へ行ったとする。そこで日本人はいろいろな衝撃を受けるが、その中から日本の豊かさを知る。日本人が如何に恵まれていることを知る。と同時にその国の人々や生活を見て、何かできないかと思う。またその国の人々の笑顔や優しさを知る。

 あるいは貧困国と呼ばれる国の人が日本へ来たとする。そして日本の豊かさを知る。そしてこの国に住みたいとか、自分の国も何とかしたいという情熱を持つ。時に長くいると日本で失われたもの、そして自国にある良さを知る。

 これらの違いがなぜ生じるかというのは、すべては相対的であり、鏡であるからである。実はそこに映されているのはもうひとりの自分であり、自分自身を見ているのである。

 つまりあなたが目の前にいる人を醜い人と思えば、それはあなた自身の醜さを見ているのであり、目の前の人を美しい人と思えば、それはあなた自身の美しさを見ているのである。

 僕たちは常にそろばんを使って足し算引き算の損得の鑑定をしているのである。そしてそれは実は自分自身を見ているのである。だから自分が自分自身の評価を下しているともいえる。禅の中に「差別の中に平等あり。平等の中に差別あり。」という言葉があるが、まさに千差万別であることこそが世界の平等ともいえる。それは言いかえればひとり1人がこの地球上にそして今世に生きる意味は違っているということでもある。

 日本の四国には四国88ヶ所というお遍路文化がある。お遍路の真の目的は感謝をすることにある。「お参りできたありがたい。」と思えることが誰にも共通するご利益なのである。そしてそのご利益を日常生活に持ち帰り、生きていること、そして日々の生活に感謝をしていくことが真の目的である。

 世界にも巡礼は各地にある。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラは同じように道のりの決められたものなのだろう。そのほかイスラムのメッカ巡礼、アンデスの山への巡礼、国内に戻り身近なところではお伊勢参り等。どれも共通なものは「お参りできてありがたい。」ということであり、それは日常生活への感謝へとつながっていく。

 すなわちどのような場所、どのような境遇にいようとも心の持ち方次第で人間は変われるということである。それを端的に述べたのがV.E.フランクルではないだろうか。ナチスの収容所という極度の過酷な生活を強いられながらも、心を平和に持ち続けた人がいる。

 幸いな事に現在の日本人は貧富の差は生じながらも、まだまだそのような状況からは程遠い。現在の状況に感謝することができるならば、それは聖なる存在が私たちを新たなる方向に導いてくれるだろう。そのキーワードはやはり私たちの持つ「想い」=「意識」にあると思う。


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