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2011年10月16日 (日)

禍福一如

 「天から見れば」という映画を見た。これは少年時代に事故で両腕をなくした画家南正文氏のドキュメンタリー映画なのであるが、その中で出てきた言葉だ。
 「禍福一如」~幸せも不幸せも表裏一体、ものごとをどのようにとらえるかで、幸せにも不幸にもなるということだそうだ。
 南正文氏の師匠である大石順教尼も少女時代に養父の狂乱により両腕を切断されてしまった。それでも順教尼は養父をかばい、減刑を乞う。また生きていくため、両親を養うために自ら見世物となった時もあったにもかかわらず、順教尼は「生まれ変わってもまた手のない私でありたい」という。
 
 僕たちは一体何をもって幸せだとか不幸せだと言っているのだろう。

 手を失ったことによる損失、しかもそれが両腕をなくすというということは想像できないぐらい過酷であるはずなのに、手をなくしたことによる幸せもある。もちろん南氏も両腕をなくしてから、人から指をさされるあるいは何もできなくなった自分に絶望し、死を選ぼうとした時もある。しかしながらそれがあったが故に順教尼という師との出逢いがあり、そしてその師から絵を描くことを学び、それをきっかけに人々に感動を与えるようになる。幸せを見つける。もし事故にあわなければ、きっと順教尼に会うこともなく、絵を描くこともなく、ただのサラリーマンだったかもしれない。

 運命って何なのだろうか。けれどもすべては人間の心次第ではないのだろうか。

 というよりもすべては幸せに変えることができるということではないだろうか。そしてそれこそ意識の力ではないだろうか。

 小さな失敗に打ちのめされ不幸に陥り、そこから抜け出せない自分がいる。しかし一方で誰から見ても不運な事故に巻き込まれながら、そこから幸せを生み出す人がいる。

 「天から見れば」というこのタイトル。天から見れば、人間の幸・不幸などあるようでないようなもの。あるいはすべては幸せにすることができる。その力を誰もが持っている。その学びを天から与えられたのかもしれないし、あるいは自分たちで生まれてくる前に決めてきたのかもしれない。
 いずれにしろ何か不思議な力、あるいはもっと大きな力・概念が存在しており、人間にそのことを知らせようとしているのではないかと思う。それが「天からの愛」なのだろうか。

 しかしながらこのような映画が出てくることこそ僕たちが今時代の、地球のいや宇宙の転換期にいるということを象徴しているのかもしれない。さあ如何に希望を持ってこの転換期を迎え、そして超えていくか。

 心を浄化しましょう。そしてよりよい未来をイメージして一歩を踏み出しましょう。そしたらきっと天は喜んで迎え入れてくれる!! キーワードは「愛と感謝」。


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