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2011年9月 4日 (日)

性善説

 最近行政とかかわっているのですが、その中をウォッチングしていると、何とまあ書類の多いこと、多いこと。びっくりするぐらいに多いです。ひとつの会議を行うのに、“ひぇ~”というほど分厚い資料が用意されます。読むのも大変。いや目を通すのも大変。だから作るのはもっともっと大変なのだろうと思う。

 行政とかかわったことのある人や企業と話してみると、何かをするにも書類が多すぎると誰もが口をそろえて言います。普通の企業なら紙1枚で済むところが、行政となると10枚に…。それゆえ公務員の机は上も下も、もちろん机の中も書類が詰まったファイルでいっぱいです。地震が来たらきっと書類で生き埋めになってしまいます。

 ではなぜこんなに書類がいっぱいなのか?それは役所という県民、市民の税金を使って行われている仕事だから、完璧を期さなければならないから。確かにそれもあります。近頃は県民・市民の眼もどんどん厳しくなっているから、間違いは許されない…って言うか、マスメディアにこてんこてんに叩かれてしまうから。「国民・県民・市民の税金をなんだと思っているんだ!」と。そんなことがあると、無茶はできなくなります。だから公務員は書類の一字一句間違えないように、細心の注意を払っているのです。それもまたひとつ。

 しかしながらもっと根本的な事に気付きました。なぜ行政はこんなに書類が多いのか。そして行政の仕事とは何なのかということを!!

 ズバリ!行政の仕事とは「性悪説」に基づいているのです。

 性悪説とは儒家の荀子の唱えたもので、「人間の本性は、すなわち生まれつきの性質は悪であって、その善というのは偽すなわち後天的な作為の矯正によるものである。」ということで、要するに人間の本性は「悪」ゆえに、ねたみや嫉妬もあれば、欲もある。そのままでは争いやら奪いあいとなってしまう。だから勉強が必要であり、先生の教える規範の感化や礼儀に導かれて、はじめてお互いが譲り合うようになり、礼儀の形式や道理にもかなうようになり、世の中が平和となるのである、ということです。

 一方性善説とは孟子が唱えたもので、「人間は誰でも、他人の悲しみを見過ごすことのできない同情心を持っている。なぜなら子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、人は誰でも危ない、助けたいと思い、いたたまれない感情となる。」。すなわち人間の生まれながらの性質は「善」にある。というものです。

 さて日本は法治国家であり、文字通り法を持って国を治めるということです。これは簡単に言うなれば、法を犯した者は罰するということであり、根本には法を犯すものがいる。「人間は悪いことをする者がいる。だから法を作って、その法を犯すことをした者には罰を与える。だから悪いことをしてはいけないのだぞ。」というある意味脅しです。つまり性悪説なのです。

 世の中を見てみると、10人の人がいれば7人は善人もしくは悪いことはしない人、約束事は守る人です。残り3人のうち2人は悪いことをするつもりはないのだが、ついついサボってあるいは忘れん坊で、約束を破ってしまうという人で、1人は約束なんて知らない。俺の好きなようにする、という人です。

 要するに10人のうち7人の大多数は約束を守る人達であり、何の問題も起こさないのだけれども、3人は約束を守れない人。他の人達に迷惑をかけてしまう人。けれども罰を与えるぞと脅せば、そのうち2人は約束を守るかなという人。この3人のために「おしおき」の罰ができるのす。すなわちこの3人のために法律ができるのです。
 
 さてさて世の中を見てみると、身近なところでも今や契約書や同意書だらけです。何をなすにも契約書や同意書。その中を見てみると、あれはいけない。これはいけない。ダメ、ダメ、ダメのオンパレードです。そういう自分もかつて有料老人ホームで、契約書と一緒に同意書やら確認書を次から次へと作成し、家族に一筆下さいと言って、署名と印鑑をもらっていましたが…。
 現代はあらゆるものに関して法律やら条例が制定されており、それに基づいてその契約書は作成されています。はっきり言ってしまえばいざというときの責任を逃れるためなのですが…。

 ところで行政とはその法律を司るのが仕事と言っても過言ではありません。だから毎日契約書が違反をしていないか、その定款や運営規定が法に反していないか、一文一文、一言一言チェックして、漢字の間違いさえも赤ペン指導してくれます。ある意味丁寧と言えば、ものすごく丁寧です。でも一般の人から見ると「細かすぎる!」となってしまうのですが…。

 そこであるとき僕は思ったのです。公務員がこうやって細かに細かにチェックしているのは10人中3人の約束を破る人のためだと。もしも世の中がみんな信頼しあえる者同士ならば、このような事をする必要がないのではないかと…。チェックする側もそうだけど、その書類を作成する側も、この3人のために相当の時間と労力を費やしているのだと…。つまり性悪説に基づいて3人のために、朝から夜遅くまで働いているのだと…。一体この労力はどのくらいのエネルギーを消費しているのだろうかと。

 現在世界はほとんどすべて性悪説に基づき、展開されています。悪いものは懲らしめろと大国(?)は、攻撃しています。そして人を殺すことも正当化されます。テレビで殺したことを喜びあうシーンが正当化され、流されています。
 けれどももしこれが性善説に基づいて運営されていたらどうだろうと思ったのです。これがもし性善説に基づき、どんな人にも良心があるということを根底に展開されたらどうなるのでしょうか。

 話が少し大きくなりすぎました。公務員の世界に戻り、日本があるいは行政が性善説に基づいて仕事をしていくならば、こんなに契約書やら仕様書やら分厚い書類いくつも作り、そしてそれらを一字一句チェックしていく必要などなくなるのではないかと思うのです。

 もちろん10人の内3人は同じく約束を破ろうとするかもしれない。けれども性善説は良心があると信じること、すなわち相手を包み込もうとする発想なので、まずはそのうち2人は約束を守るのではないかと思うのです。そして最後の1人もいつかは…。

 「日月神示」には、悪を抱き参らせる、イシヤと手を組め、残る一厘は悪の中に隠してある、本来善も悪もなし等書かれています。このことから考えると、やはり性善説でもって、包み込んでいくという発想がいいように思えます。

 そうすれば公務員は毎日書類との格闘がなくなり、もっと書類ではなくもっと人に目が向くように思うのです。そして椅子に座ってばかりいるのではなく、人のために動くようになると思うのです。映画「県庁の星」で主人公が福祉のために自転車で走りだすか、あるいは「生きる」で公園造りに駆け回るようになる日が来るのではないかと思うのです。そんなふうになればこの社会はずっと良くなるように思うのです。

 新しい時代はそれぞれの持っている能力を提供しあう時代です。おすそわけの時代です。それは性善説に基づく時代です。そんな時代がやって来ると信じてみる。それもまたもいとをかしです。
 


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