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2011年7月 4日 (月)

縄文文化

  縄文時代は1万年以上続いている。縄文時代といえばあの燃えあがるような土器、そして宇宙人のような姿をした土偶。なんだかいずれにしてもどこかに不思議さと神秘を持ち合わせた文化だ。しかしおそらくこんなに長い時代続いた時代は世界中探してもないのではないだろうか?

 もちろん縄文時代の草創期と終わりのころを比べると、かなり様子は違っているだろうが、それでも基本的な精神は変わらなかったのではないだろうか。
 その基本的精神とは何かと考えてみるに、僕は「すべてに感謝して生きる。」ことであったのではないかと思う。

 これだけ長い期間にはときに氷河期のような期間があったかもしれないが、この国は比較的穏やかな気候を持っていたことは変わらないだろう。縄文土器が関東から北の方から発掘されることから、今よりも温暖だったのかもしれない。その温暖な気候と自然条件からこの国ほど、実り豊かなところもなかったのではないだろうか。

 僕が想像するに縄文人は非常に穏やかな人柄だっと思う。もちろん狩猟もしただろうけれど、それほどギラギラとした狩りではなく、特別な日の神に捧げるものとして獣を獲ったのではないかと思う。

 そして普段は貝や木の実、果物、そして魚を食べ生きていたと思う。それで十分足りるだけの量がこの国にはあっただろう。冬には多少の苦労はあったかもしれないが、それ以外の季節は、それほど苦労しなくても、食べ物があっただろう。そして食べる時には必ず感謝をささげていたと思う。

 かつて南国の人々は、昼寝をして暮らしても生きていけた。果実は大量にあり、食べ物はすぐそばに満たされていた。けれども西洋人が文明を持ち込み、チョコレートを持ち込み、南国の人々に欲望を持たせ、そして必要以上の労働が必要となった・・・。

 縄文人はすべてが恵みであり、それに感謝をささげ、そしてそれ以上の多くのものを望まなかった…そのような人達ではなかっただろうか。それよりも自然界との共生を尊び、維持していくこと。そちらの方を重視していたのではないだろうか。

 一説によると、かつての日本には否定的な言葉はなかったともいわれる。これも縄文人が、すべてを恵みとして感謝の生活を送っていたからではないだろうか。

 ところが弥生時代に入り、大陸から人がどんどん流入するようになり、大陸の新しい考え方が、入ってきた。それが「所有」という概念だ。この土地を所有する。この人民を所有する。そしてこの食べ物を所有する。

 稲作をすること。これも自分たちが食べていくための所有から始まったのかもしれない。そしてわれらの土地を守るために、大きくしていくという概念。
 発達・発展を求める心も確かに必要だ。けれどもそれは一歩間違えれば、(現状への)不満となり、否定となってしまうこともある。より成長すること、より豊かさを求めることは決して悪いことではない。けれどもそれが行きすぎれば、破壊へとつながってしまうのではないだろうか。

 今ある生活に喜びを見つけること。感謝すること。それは現状肯定であり、精神的安定、満足でもある。そこから精神を見つめていくこと。そして精神的発達をしていくこと。今僕らに求められている精神とはそんなところにあるのではないだろうか。


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