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2011年6月 7日 (火)

おすそわけ

 もう5年以上前のこととなるが、ノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさんが来日され日本語の「もったいない」という言葉に感銘を受け「MOTTAINAI」という言葉は世界に広まった。
 この「もったいない」という言葉は英語で言うならば、環境3R~Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)~の意味にプラスして(地球)環境へのRespect(尊敬の念)がこめられているとのこと。
 僕らは普段こともなげに「もったいないなあ。」とか使われている言葉だけれど、世界では輝きを持つ言葉のようだ。

 この「もったいない」という言葉も素晴らしい言葉だと思うのだが、僕は最近「おすそわけ」という言葉がすごくいい言葉だと思っている。
 「頂き物なのだけれど、これおすそわけ…。」とか、よく食べ物などをご近所におすそ分けするということで、かつては使っていたと思う。
 今でも使ってはいるのだろうけれど、昔のように物の貸し借りがなくなった現在では、かなり減って来ているだろうし、釣りにでも行って大量に魚が釣れたから、その一部を配る程度となっているのではないだろうか?

 ところで僕がこれから言う「おすそわけ」とはもう少し広い意味で使おうと思う。それは物だけではなく自分の持っている能力、喜びやうれしさの気持ちなどの自分の持っているものの一部あるいは余力を第三者に提供することをいう。

 例えば最近ときどき耳にするようになり始めた「プロボノ」~これは自分の職業能力をボランティアとして提供することで、よく知られているのが、弁護士さんが一部の時間を割いて、無償の法律相談に乗ること。他にも大工さんが地元の公民館の(簡単な)修理をただで請け負うこと、看護師さんが近所のおばあちゃんの血圧を測ってあげるなど、自分の持っている能力を提供し社会貢献することだ。もちろんボランティア活動もそうなのだが、ここで言うのは自分(の何か)を犠牲にして行うものではない。

 そして喜びやうれしさのおすそ分けとは、自分が今幸せと感じているならば、その幸せの一部を第三者にも分かち合おうとする行為であり、それはプロボノも含まれるし、一般的なボランティアなどもそうだ。あるいは誰かに親切にするということ、悲しんでいる人を慰めてあげること、そのようなことで構わない。いわゆる布施に当たるものと言えるかもしれない。

 よく人は「お布施」とは僧侶の人にお金を渡す行為と思っているが、実際はそれは財施という布施の一種でしかない。布施にはほかに法施(仏の法を説くこと。)、無畏施(災難にあってる者の恐怖心を取り除くこと。)などがあるのだが、もっと簡単なものに無財の七施というものがある。(もちろん財施だってお金をたくさん持っている人が、苦を感じない程度の額を差し出すことはおすそわけといえるだろう。)
 無財の七施とは眼施(慈しみに満ちた眼差しですべてに接すること)、和顔施(いつもなごやかで穏やかな表情で人に接すること)、愛語施(優しい言葉をかけること)、身施(自分の身体で奉仕すること)、心施(心配り)、牀座施((席を)譲ること)、房舎施(雨露をしのぐ寝床の提供~転じて思いやりの心)ということだ。

 とにかくどれも無理しなくてもかまわないものであり、自分の中にある余力(それを提供しても自分の気分や力等を損ねないもの)の部分を相手に提供すること、そして自分の相手も気持ち良くなろうとすること。そんな「おすそわけ」が広がれば、社会は少しずつ良くなっていくと思う。



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