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2011年3月

2011年3月18日 (金)

自分という名のキャンバス

 自分という名の白いキャンバスに描いていきましょう。どんな文章を書くか、どんな絵を描くか自由です。シールを貼っても構わない。プリクラもウェルカム。花をつけたっていい。スミレ、金魚草、チューリップにひまわりなんだってOK。あるいは「成功」という文字をひたすら書き続けても問題なし。なんだっていい。とにかく自由に描いていきましょう!

 それは世界でたった一つのあなたのためのキャンバス。今世のあなたのキャンバスだから…。
 もしかすると、だから人は過去(世)の記憶をなくしているのかもしれない。真っ白なキャンバスに描くために…。知っていたら白じゃなくなってしまうから。僕等が故郷に帰った時に見比べてみるのかもしれない…。

 すべてを空にするのもいい。青空、いろんな雲の形…。海の中にしたって構わない。クジラの泳ぐ海。サンゴ礁の海。静かに揺れる海…。

 時に真っ暗な闇となることもあるかもしれない。真黒なペンキが長々と引かれていくかもしれない。それでも僕らは描き続けるのだ。その果てしないキャンバスに!  

 もし真っ黒で何も分からなくなったなら、時には離れてみるのもいい。そしたら白が見つかるはずだ。想像力とはそのためにあるのかもしれない。その人が上へ上へと上がって、上空から見るために。そしたらその真黒なところも小さな一点にすぎないことに気付くかもしれない。

 あるいは時にもっと近寄って、クローズアップして虫眼鏡で見てみるのもいいかもしれない。そしたらその時の微細なタッチまでが見てとれるかもしれない。そしたら懐かしい気分にもなるだろう。

 僕らに与えられた白いキャンバス。時には制限があるように見えるかもしれない。だけどそれは幻にすぎない…。僕らの心の中をのぞいてみれば、きっとそれは自分が設けてしまった幻にすぎないということに気づくだろう。

 自由です。どのように描いたって構いません。 さあ描きましょう! 思いのままに描きましょう。そして描けることに感謝しましょう。
 感謝。感謝。

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2011年3月15日 (火)

バトン

 東日本大震災の被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。そして亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 今回のブログを書こうかどうしようかとこの2日間考えましたが書くことにしました。

 今回の津波の映像を見て、心底自然災害の恐ろしさを思い知らされました。かつてのスマトラ沖大地震での津波被害それ以上のものが日本で起こったことにかなりの衝撃を受けました。そして改めて遂にこのような時が来たのかと…。自分は今何をすればよいのかと考えさせられました。

 そして一昨日の日曜日のこと。私はみかん畑でみかんの木の剪定をしていました。その時に頭の中でふと思いました。
 それは今回の地震で亡くなられた方々は私たちの身代わりではないかと…。今日本のどこで地震などの自然災害が起こってもおかしくない状態です。今回は東北地方でそれが起こり、そして大勢の人々がその犠牲となりました。
その犠牲者の方々から「頼むぞ。」「あとは任せたぞ。」と言っているような気がしたのです。

 今(地震の起こる前)果たしてどれだだけの人々がこの日本を幸せな国だと思えている(いた)でしょうか?格差はますます広がり、多くの人々が低所得であえいでいます。自殺者は年間3万人を超える状況が10年以上続いています。国の借金は増え続け、危機的状況が叫ばれています。そして情報さえもが操作されています。

 私は(私たちは)この状況に対して無力のままでいました。いくらその事実を知っても、腹は立て、批判や文句をいうことはあっても、それ以上のことは何もしてきませんでした。そしてその状況を他人任せにしてきただけでした。

 けれども本当は誰もが思っている(いた)はずです。もっとよい社会、安心できる社会にしたいと…。そして今のままではいけないことを…。変えていかなければならないことを…。
 
  「(今のこの状況を)変えてくれ。(そのために自分たちが犠牲になる。)」そんなふうに言っているような気がしたのです。

 日がたつにつれ状況はますます悪くなっています。原子炉はメルトダウンし放射能は漏れ出しています。世界史上最悪の原発事故となるのは間違いなさそうです。
 そして電力不足に伴い、計画的停電が実施され、これまでの私たち人間のひとりよがりのエゴに満ちた生活が見直しを迫られることも間違いないと思います。

 今私は東北からは離れた地におり、電気も使え、物資にも満たされ、放射能の恐怖からも程遠い場所にいます。現地にボランティアとしていくこともできません。
 だからこそ今回のこの災害、事故を私なりに受け止め考えてみたいと思います。

 そして私なりにこの困難に対して、これからの未来をより安心できる社会、喜びのあふれる社会づくりに尽力を尽くしたいと思います。
 もちろんこれは私一人でできることではありません。私一人の力はあまりにも小さなものです。そして私に一体何ができるのかさえも分かりません。
 より多くの人々と力を合わせなければなりません。そしてより良き知恵を出し合わなければなりません。だから私なりに声をかけていくつもりです。小さな力でも少しずつでも広がっていけば、いつかは大きな力となると思います。

 だからみなさん力を合わせましょう。まずはその意識を持ちましょう。

 少しでも社会が、世の中が、より良きものとなるように。その基盤作りを行いましょう。そしてこの大震災で犠牲になられた方々が、この世界にまた戻って来るときにバトンを渡せるように…。
 

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